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If another story is existed

地平線の西に傾く大きな日輪が、少年の顔を灼いた。
アシュタロスの事件から一年が経った。
時間が、日常がじわじわと思い出を蝕む。それが、怖い。

一方、その傍らで少女が、少年の行動を見ていた。
嫉妬と焦燥の入り混じった複雑な感情が走る。

「先生! 時間が無いといったのはどこの何方でござるか!」
「ああ、そうだな……」

而して少年は、表を落日に見遣ったまま、全く動こうとしない。
少女は白い髪を振り乱して、思いっきり少年の手を引き抜いた。

「馬鹿! いてててっ! 腕が逆だっ!
 無理やり引っ張るなっ! こらっ!」


if another story is exsited...


「大体お前がっ! 止まれっつってもズンズコ進んでいくから、こうなるんだろうが!」
「せっかくのでぇとに、夕日など見ている先生が悪いんでござる!」
「など、だと……」

剣呑な雰囲気に、少女が思わず頭を下げる。

「あ、いや……すいませんでござるよ……」

一つ一つのパーツは些細なこと。


しかし組み合わせが悪ければ大事へと発展する、というのはよくある話だ。

散歩で予定より二時間も遅くなってしまった。
雇い主が時間に厳しく、折檻は避けられそうもない。
しつこくせがむ正面の相棒に辟易していたのも、よくなかったに違いない。

こちらに来て半年。二人で過ごす時間が少しでも欲しいのに。
ようやく取れても、楽しいひとときは飛ぶように過ぎて。

遅くなったせいで、後ろにいる師匠に怒られたのが悲しい。
そのくせ自分は時折、落ちる日輪をゆったりと眺めて。
これも、心を乱す元となって。

喧嘩して、ふて腐れて注意散漫。
それが最大の原因に間違いない。

「シ、シロっ! 高速道路だっ!!」
「はいでござる! えっと、高速……?」

理解しても、慣性で前に進むしか出来ないバンダナの少年。
返答したものの、混乱して意味を反芻できなかった狼の少女。

正面からは重量ぎりぎりまで積み込んだ10t大型トラックが、
目を丸くした運転手がはっきり見える。
交わし切れない。そう思ったのはどちらであろうか。

接触するコンマ1秒。強い閃光が落日に負けじと辺りを焼いた。



ぼんやりとした意識が、徐々に覚醒してゆく。

(……よく生きてるな〜。さすが横島の忠ちゃん、無駄に頑強。
いや、ほんとに無事なんかわからんけど)

辺りは総じて真っ暗で、一筋の光も射してこない。
その上、体がぴくりとも動かない。

(ん〜……こりゃあ、どういうことだ?)

唯一知覚できるのは、石の無機質でひんやりした感触それのみ。
横島は自らの置かれた状況を整理しようと努めたが、途中で投げた。

(ま、焦ってもしゃぁないべ。しかしあいつ、大丈夫かな)

咄嗟に自転車を蹴り上げてトラックの間に入った。
しかし、はたしてどれだけの効果があったやら。
物思いにふけっていたそのとき。

「誰?」
(うお!?)

誰かが頭の中へ向かって直接声を叩き込んだ。横島はそう感じた。

(他に誰かいるのか。俺としては、かわいい女の子を切に希望なんだが)
「俺……? ちょ、ちょっとアンタ! どうやって私の中に潜り込んだのよ!」

(おっしゃビンゴ! しっかし……残念、石の硬〜い感触しかねぇ。
 もうちょっとムチムチとした質感をだな。)
「冗談じゃないわ! 出てけ……。出てけ出てけ出てけ〜!!」

爆ぜ割れる音が、鼓膜を刺激する。
横島は慌てて耳を押さえようと条件反射で腕を動かしたところ……
強い抵抗はあるものの、動いた。

(出られるのか!)

そう思うのが早いか否か。
目の前の視界がひらけ、弾けた石のつぶてが顔に当たる。

「いてててて! ……と、何か冷てぇと思ったら本当に石の中にいたのか」

周辺そこら一帯に小石が散乱していた。

「ちょっとあんた! 一体どういうつもりよ!」

怒りを充満させた声と共に、横島の体が浮いた。
胸座を捕まれて、すっかり弱腰になる。

「スンマセン! 何が何やらわからんが、とにかく謝ります!」
「わからない? 勝手に私の中に潜りこんできたんでしょうが!」

怒って胸座を掴んできたのは横島のよく見知った顔……妖狐のタマモだった。

その体勢のまま、しばし時間が流れた。
これは狐火一発に往復ビンタコースかな〜と、横島はのんきに構えていたのだが。
待てど暮らせど、いっかな攻撃が飛んでこない。
と、いきなりタマモは手を離し、横島の頭をぽすぽすと撫で始めた。

「あ〜〜、うん。ゴメンネ!」
「あんっ!?」

横島は目を引ん剥いた。彼女に稲荷を奢った直後すら、こんな反応はない。

「な、何よその目は! いくら私でも、
 アンタみたいなこんまいのを引っ叩く趣味はないわよ!」
「ちょっと待て。いやすごく待て」

何で俺が、タマモみたいなロリロリ発展途上娘にお子様扱いされねばならんのか!」

「そういうこと言うのはこの口か、ん〜!?」
「ひててててて、ひまった、ひゃべってたぁ」

タマモはひとしきり横島の口をにょ〜っと伸ばした後、フンと鼻を鳴らして手を離した。
なんつーか、こんなこと初めてされたんだが。

おかしい。絶対に何かがおかしい。
だいたいタマモに胸座を捕まれて、足が浮くのはどういうことか。

「とにあえず気になったんだが……お前背伸びた?」
「さっきからアンタ何言ってるのよ」

身長においては、前はわずかに見下ろす関係だったはず。
それがどうしたことか。

かなり傾斜をつけて上を見なければ、タマモの顔が見えない。
おかしい。根本的に、何かがおかしい。

「やっべ、混乱してきた」
「ははぁ、わかった。アンタ前世の記憶のせいで、
 頭の中ごっちゃになってるんでしょ」
「へ、前世の?」

横島がその言葉の意味を理解する前に。

「ほれ。今のアンタ」

土煙一つと共に、タマモがでっかい鏡に化けた。
映し出されたのは、白にほんのり金が混ざった髪の子狐。
鏡に向かって手を伸ばすと、そいつの手がが伸びてきて……。

「な、なにぃぃぃぃっ!!」

鏡の中で、狐のガキンチョがちっこい犬歯を剥いて、おんなじように驚いた。


「ちょっとは頭の中が整理できた?」
「どこをどう間違ったらこうなるんだ……しかも女の子……」

子狐横島が頭を抱えて呻く。

「聞き捨てならないわね。妖狐を侮辱する気?」
「すいません、私が悪うございました。つきましては、
 右手の狐火をしまってくださると嬉しいかなと」
「わかればよし。同じ種族とあうことなんて滅多にないんだから、仲良くした方がお得よ」

青白い炎を纏わりつかせて仲良くもへったくれもないと思うが、
流石にこれは口の中に引っ込めた。

いかん。このままではマジで子狐のまんま認知されてしまう。
なんとか俺であることを伝えねば。

横島はそう決意すると、さりげなく自分の話題を振ってみる。

「なぁタマモ、お前ヨコシマって言う人間知ってる?」
「はっ? 誰よそれ」
「そいつが実は……って誰よそれと来たか!」
「何で私が、唯の人間のことを気にかけなきゃならんのよ」

うむむむ、これでは俺のことを話しても意味がない。
実はこいつ、タマモと見せかけて別人というオチだろうか。

「なぁ、呼んどいてなんだが、お前って本当にタマモであってるのか?」
「あってるわよ」

あっとんかい。

「でもお前って、除霊事務所に居候していなかったっけ?」
「除霊事務所に居候? なによそれ。私は目覚めたばかりよ。
 その瞬間にアンタ居たじゃない」
「だ、だよなぁ。スマン、俺が悪かった」

ううむ。
さっきのはタマモが生まれる瞬間だったのか。


……あ、もしかして。
横島は一つの可能性に思い至った。

轢かれる瞬間、文珠が発動した気がする。
変な字が発動して、自分がおかしな世界に紛れ込んだのかもしれない。
もっとも、何で自分が狐になっているのか、さっぱりわからないが。

「そういえばアンタ、何で私の名前を知ってるのよ」
「え」

まさか知り合いでした、などと言うわけにもいかない。
横島があうあうと言い訳を探していると、タマモはタマモで右手を顎にあて、考え込む。

「伝承だと天気の予知ができたりする狐もいたみたいだけど……
 その類の力を持ってるのかな」
「いや、なんと言うか」

俺はもともと狐じゃないんだが。

「ねぇ、次に私たちはどう行動したらいい?」
「おいおい、何だよいきなり」
「ぱっと直感で良いから。欲を言えばお揚げの入手が絡む方向で」

横島はがくっと頭を下げた。

「お前はこの事態において、お揚げを優先するんかい」
「あら、食料の確保は重要よ。それより何か見えてこない?」

何も見えないちゅうに。
そもそも今がタマモの封印が解けた瞬間とする。しかし、俺は何も知らない。

この瞬間に立ち会ってはいないのだから。
俺が絡んでくるのは、この後に政府が狐退治の命令を……。

「ちょっと待て!」
「ん、何か感じた?」

タマモは興味津々だ。

「ここから逃げるぞ」
「急にどうしたのよ!」

なんと言えばいいのか。しかして悠長な時間はない。

「とにかくここから離れるんだ。でないと退治されちまう!」
「退治? 陰陽師か祈祷の類のようね。了解、私にぶら下がって」
「な、なぬっ!?」

タマモにぶらさが……

「うおおお、俺はロリコンやないんや、俺はロリコンや」

硬い拳骨が頭に垂直落下した。

「ええい、アンタにだけは言われたくないわよ!」
「す、すんません」

気のせいか、タマモの尻にひかれつつある。横島はそう感じた。

「足跡を残さないように飛んで逃げるわ。次、変なこといったらそのまま落とすからね」
「オッケーっす……」

結局、横島はタマモにおんぶする形になった。
タマモはそこまで苦にすることもなく、手を羽に変えて飛んでいる。

普段なら非常においしい状況なのだが。
なんというか、母と子供みたいな大きさ関係でそそり立つものが一切ない。

今の俺はパピリオや天竜と同年代ぐらいじゃなかろうか。
横島は大きく溜息をついた。


飛ぶこと三時間。時折休みを入れたものの、流石に俺もタマモも疲れが出てきた。
道の外れの木の下で、ふぅっと一息つく。

「ねぇアンタ。本当に、陰陽師が来るんでしょうね?」
「来る、はずだ。今はGSって呼ばれているんだが」
「へぇ……」

ちょうどそのとき。道の向こうから、人の声が聞こえた。
横島が顔を上げると、タマモが一つ頷いてその方角を見やる。

遥か遠くまで伸びた一本道の向こうから、人影が二人現れた。
一人は簡単な手荷物を持ち、もう一人はふよふよと浮いて、傍らに人魂が確認できる。

オキヌちゃんっ!?
もう一人は……美神さんか!

横島とタマモが大きく腰を落として物陰に忍ぶ中、二人の声が聞こえてくる。

「そういえば、今日の依頼は何ですか」
「妖狐が目覚めたとかで、政府から直々に、超速達で依頼が来たのよ」
「へぇ……狐さんですか。どんな妖怪なんですか」
「それがよくわかんないのよね」

そう言うと、美神は頭のてっぺんをぽりぽりと掻いた。

「えっ、強いとか凶暴とかじゃないんですか?」
「まだ目覚めたばかりだから、そこまで力を持っているとは思えないけど。
 昔に国を傾けた逸話の残る妖怪だから、オエライさんがぴりぴりしてるのよね〜〜」
「……まだ、何も悪さしていないんですか」

キヌがどんよりと、暗い影を落として美神を見る。

「そんな目で見ないでよ、おキヌちゃん。
 大規模に捕獲の通達が出ちゃったから、私一人じゃどうしようもないわ。
 だから私が仕留めて大金ゲット、貴方は無駄死にではないと持っていくのよ!」

げっ! あれはお金モードの目だ! あかん。今出たら、問答無用で喰われる。
横島は、大きく頭を項垂れた。

……しっかし、おキヌちゃんが幽霊とは。一体どうなっているのか。
眉を顰めて考えるが、全く理由が分からない。
そこに、タマモが耳元で囁く。

「ちょっと、今のはどういうことよ」
「八茶けて言うと、この国のドンが一発ヤットク? ……っと」

遅れて歩く人の存在を認知し、再び潜む。

(なんで生まれて早々、狩られなきゃならんのよ!)
(しーっ! 来てる来てる!)

遅れてタマモが手で口を塞いで伏せ、周囲は小鳥の囀りのみになった。

新しく現れたのは荷物を抱えたバンダナの少年。

「美神さ〜ん! に、荷物が重すぎるッス……」

「なぬっ!?」
「わ〜〜! 馬鹿っ!!」

狐の私と人の子アナタ。
目と目が合わさりコンニチワ。

「み、美神さん、出た出た出ましたぁっ!!」
「ちょ、ちょっと待った! こちらの話を聞いてくれ!」

説得の暇なく。タマモに首根っこを押さえられ、反転脱走!

「お、おい! いきなり逃げるなんて」
「冗談! あの人間、目がドルマークじゃない!」

ちらりと向けば、見つけたわよ私の獲物と神通棍が乱舞する。

「……らじゃぁ」

狐ヨコシマは、がっくり折れた。


流石は美神と言うべきか。
二匹の狐は、追い詰められていた。

「ええい、こうなったら切り札を使う! ちょっと幻術で時間を稼いでくれ!」
「ん、わかった! でもアイツ強いわ! そんなにもたないわよ!」

タマモが応じて、髪の毛を梳かして放つと、太い木の根が蠢いた。

「わわわっ、なんじゃこりゃあ!」
「狐の妖怪だもの。幻術に決まってるでしょ!」

横島には効いたものの、美神にまでは効き目がない。
苦もなく突っ切られ、彼女はすぐそこまで迫っていた。

「出ろっ文珠! 出ろおおお!」

狐ヨコシマが吠える。

そしてーー出た。
ボーリング大の塊が、ごろごろと。

「うおっ!? えらいでっかいのが発生したぞ!」

ここで慌てたのが、災いした。
最後に出た一つから、ガスの抜けるような音が響く。

「何の音よこれ?」
「……は、はは、ははは。作るの失敗しちゃったぜ」

そうこうしている間にも、巨大な文珠の亀裂はどんどん大きくなって。

「み、みんな逃げろぉぉぉぉ!!」

慌てて避難する二人の狐。いぶかしげに眉をひそめる美神。
直後。その後ろで、巨大な地柱が舞い上がった。


煙が収まり、後ろを振り返ってみると。
特大サイズのクレーターが一つ、これでもかと存在をアピールしていた。

「ア、アンタ。なんつーことを」
「う。……そ、それより早く逃げようぜ。今のでキレちゃったと思うから」

こんなの見せられてなお、向かってくる人間なんて。
と言うか下手したら、果てたんじゃなかろうか。
タマモが喋ろうとしたその時。

地面から、土を被った亜麻の女性が這い出してきた。
この距離からでも分かる。黒と紫を足して二で割ったような、
禍々しいオーラが満ち満ちて……。

「あんたらーーぶっ潰す!」
「ひぃぃぃぃ! スンマセン! スンマセンッ!!」
「謝るぐらいなら最初からするなぁぁ!」

美神令子が、愛用の神通棍を振ってクレーターの壁を抉り、登って来る。
その様子を見たタマモが、小さな相棒に噛み付く。

「ちょ、ちょっと! どうすんにょよこれ! 最悪じゃない!」
「や、やむをえん。こうなったら一か八かじゃあぁぁ!」

そう言うと、キツネ横島は残ったでっかい文珠を天にかざす。

「えーい行けぇ!「妙」「神」「山」「江」っ!」

神通棍が掠める当に直前。
二人の姿は、周りの景色ごと掻き消えた。

「な、何なのよ、あいつら……」

神通棍の先端が、まるでレーザーで切断されたように綺麗な楕円を描いて折れた。
いや、無くなっていた。
呟く美神は、二つの巨大なクレーターの狭間にて、ただ呆然と立っていた。



人間界に駐屯する神族の代表が務めを果たす地、妙神山。
竜神・小竜姫は週に一度の重点掃除をしているところだった。

ここには露天風呂があるのだが、たまには湯を抜く必要があるのだ。
掃除が終わったら私の重点掃除もしようかしら。
小竜姫は紅い髪とそこから伸びている小さな角の隙間を掻いた。

このお風呂がなんとも気持ちいい。将来のご褒美を考えると、モップを持つ手も弾むというものだ。
そんな事を考えていた当にその時。大量の土砂が全てを飲み込んだ。


そこは廃墟だった。
大小の小石に砂利で全てが埋まり、端のほうから濁った水が湧き出ていた。

「ちょっとアンタ、ココは一体何処よ」
「おっかしいなぁ。妙神山に飛んだはずなんだが」
「妙神山?」
「そ、武の神様がいるから匿ってもらおうと思ったんだが……」

小竜姫は、自分を土と泥水まみれの体にしてくれた犯人に対し、
こめかみが引きつるのがよくわかった。

二匹は再び辺りを見渡す。
廃墟にしては新しい建物。緑蔽い茂る倒木。出口でピクピクしている鬼の足。
キツネ横島はある可能性に気づいて、しとどに汗を流した。

「閉鎖されたんじゃないの?」
「いや、どうも俺がぶっ潰したみたいだ、あはははは」

朗らかな笑い声に、小竜姫がプツンときた。

「この不届きもの!!」

声と共に、一柱の神様が現れた。
全身泥まみれで美貌は半減。それでも剣を交えたい相手ではなかった。

「ここを妙神山と知ってなおこの狼藉か!」
「スイマセン、力が暴走しちゃったみたいで……その……ほんっとスイマセン!」
「え! これやったのアンタ!?」

タマモが後ろに一歩下がった。

「暴走したで済みますか!」
「ちょ、ちょっと緊急でして……あ、そうだ、猿います?」

この一言が小竜姫の頭へ完全に火をつけた。

「猿!? 言うに事欠いて、老師さまを猿呼ばわりですか!」
「あああしまった、つい」

小竜姫の鞘から神剣が抜刀された。

「貴方のような存在を罰せぬわけには参りません! そこに直りなさい!」
「ぶっ! 何が悲しゅうて小竜姫様とやりあ……たわっ!?」

小竜姫が小さな犯人のお尻を叩こうと神剣の腹を振り回した。
慌てて逃げるキツネ横島。そこに助け舟が出された。

「止さんか、小竜姫!」
「老師さま! しかし」
「この嬢ちゃんはワシの客じゃろう? ここを潰すほどの大妖が緊急と言うのじゃ、
 何か事情があると踏むがのう」

老師と呼ばれた眼鏡をかけた猿は、ふぅっと煙を吐いた。

「さすが猿。話が分かる。ちょっと説明がややこしい事になっているんで、
 あの空間が使えませんか」
「ほ……お主は知っておるのか」
「そりゃぁもう。あ、修業に来たんじゃないんで、ノーミソまで猿にならんでくださいね」

言われた老猿はしばし考え事をしていた。
この者を鍛えた記憶はない。なのに何故、こうもいろいろ知っているのか。
自分一人の手に余ることなら良いが、と軽く溜息をついた。

「よかろう。ついてくるが良い」


こうして老猿と子狐は亜空間に消えた。

残された小竜姫とタマモの気まずいこと気まずいこと。

「で、この惨状はどうしましょうか」
「わ、私に聞かれても……」

タマモは妹の折檻を決意した。


一方、亜空間にて。

「厄介事とは覚悟しておったが、まさかこれほどとは……」
「なぁ猿、状況が全く分からんのだが?」
「おそらく轢かれる直前に文珠が発動し、魂だけワシらの世界に逃避したのだろう」
「ってことは、やっぱりここは俺のいた世界じゃないのか」

キツネ横島は頭を下げた。

「並行世界という概念がある。ワシらから一人欠けた世界。時間が進んだ世界。
 あるいは遅れた世界……ここはおぬしから見れば時間が遅れた世界じゃ」
「よ、よく分からんが。過去だけど厳密には過去じゃないんだな?」

老師が一息ついて頷いた。

「それが証拠にあさって、天竜皇子がここにやってくるぞ」
「なぬっ!? それでオキヌちゃんは幽霊だったのか。
 しかしーー何で俺はキツネなんだ?」

キツネ横島が首をかしげた。自分が自分に憑依するならまだわかるのだが、と付け加える。

「己で言ったじゃろう。厳密には過去じゃない、と。
 お主の魂は帰依するところのない代物じゃ。
 推測じゃが、たまたま狐の嬢ちゃんが眠る石にぶつかって、魂が補填されたのじゃろう」

子狐が耳の裏を掻いてぼやく。

「どーせならイケメンに当たればよかったのに」
「馬鹿を言え。魂の衝突エネルギーでスプラッター映画になっておるわ」

気楽に呟いた横島だったが、老師の次の言葉にキモを冷やした。

「な、なぁ。シロは? シロは大丈夫なのか?」
「わからん。そもそもこの世界にいるのかさえも、あやふやじゃからな」
「そうか……」

キツネ横島が落胆した表情を見せた。
この世界ならともかく、よその世界なんざ探しようもない。

「ま、帰る時期が来るまで、ここにいないか探す事じゃな」
「そうだな……って帰れるのか!?」


この問いに、斉天大聖とも呼ばれる老師が頭に手を置いた。

「力量のある者なら可能やも知れぬ。しかしワシではどうにもならんわい」
「おい。……あ、そうだ文珠はどうだ?」
「それはまずい。お主の世界でも時間が経っておる。それを足して正確にイメージできるか?」
「う。帰る方法ねーじゃねーか!」

牙を剥くキツネ横島に、猿はククと笑う。

「一つだけあるじゃろう。アシュタロス公が使ったーー」
「コスモプロセッサーで願うのか!」
「左様。このまま歴史がおぬしの世界と同じように進めば、
 必ずやアシュタロス公は使ってくるはず。
 歴史の歪みが生じないよう細心の注意を払い、生じた歪みは修正するのじゃ」
「よし……猿、任せた!」

老師がコケた。

「こりゃ! おぬしの問題じゃろうが!」
「いや、そんな答え合わせみたいな作業むいてねーし。
 それよりシロだな、うん。あと大阪辺り、関係ない所でナンパ♪」

この問答に、老師の眼鏡が横一線に光る。

「その体でどうナンパするのじゃ」
「ぐっ……」

悔しそうに臍を噛む幼狐に、老師が一言添えた。

「まぁ、キツネの妖怪なら幻術でイケメンになるのも可能じゃがのぅ」
「そ、そうか! よーし、アシュタロスが来るまでの間、誑かして(化け騙して)
 ブイブイいわせてやるぜー!!」
「……言質は取ったぞ」

老師はそういうと、金冠を横島に被せた。
不思議がる横島を尻目に、それがぎゅっとしまる。

「いててってててて!?」
「汝を折伏する。今後は我が僕となって動き、道を正すが良い」
「さ、猿、嵌めたなっ!」
「なんのことかのう。ワシは妙神山を潰した悪キツネを、改心させようとしてるだけじゃが」

殴りかかろうとした子狐は、老師の一喝で再び悲鳴を上げた。

「汝に命ずる。横島、美神の周囲を探り、異変がないか確認せよ。
 異変あるときはそれを修正せよ」
「く、綺麗なねーちゃんならまだしも、なんで爺の下で無賃労働あいたたたたたっ!!」
「さて、戻るとするかの」
「ちょっと待て。コラ!!」

しかし老師は聞く耳持たず、長い棍で亜空間を切り裂いた。


時間にして三十秒。
二人が早く出て来たことにタマモは拍子抜けした。
しかし、目ざとく妹分に付けられた金の輪を注視する。

「ちょっと。うちのに何したのよ」
「いや、それがのう……」

老師がタマモの耳元でぼそぼそと言葉をこぼす。
傍目にも分かる。タマモの目がつりあがっていく。
キツネ横島は、自分の立場が悪くなるのが目に見えてわかった。

「ア、アンタね……っ!」
「そうだ。嬢ちゃんには教えとこうかのう。かくかくしかじかっとな……」
「フッ……喝!」
「いででででででっ!? 猿てめえなんつーことを!」

キツネ横島の抗議などお構い無しだ。

「タマモの嬢ちゃんや。こやつが脱線したらこれでとっちめてくれんかのう」
「わかったわ。にしても何? いきなり神様の前で破廉恥な事を口走って、
 式代わりにされてるのよアンタは! まぁ、面白そうだらいいけど」

タマモがほの暗い笑みを浮かべた。
間違いない。あれは子供がおもちゃを手にいれた時の目だ。
老師が文珠で復旧をせかす中、横島は頭を抱えて座り込んだ。
つくづく何かの下が似合う星の元に生まれたらしい。


妙神山の夜。
山頂の空気は澄んで、星々は己の美しさを存分に競い合っていた。
へこんでいるキツネ横島の隣に、タマモが座る。
「ねえ。まだ聞いてなかったんだけど、アンタ、名前はなんていうの」
「名前?」
「そ。これだけ力を持ってるんなら、名前ぐらい覚えてるでしょ」
「えーと、よこっ! こっここっこ……」

何気なく横島と言おうとして、慌てて中断した。
本名はマズい。しかし、自分の名前を何て言おうか。
キツネ横島が悩んでいると、助け舟が来た。

「アンタは鶏か。でも「こ」しか出てこないんじゃしょうがないわね。
 私が名前を付けてあげるわ。……こういうの、憧れてたのよね」
「え、いや名前を付けてくれるのはありがたいが。お揚げは勘弁して、痛っ」

名前のない子狐に拳骨が落ちた。

「こ、こ、ねぇ。コダマ! どう、いいセンスでしょ」
「俺はヤッホーかい」

もひとつ拳骨が落ちた。

「言霊のような不思議な珠を操るって意味よ! 文句ある?」
「スンマセン、ないです」

コダマ、か。俺がつけるより、案外いいかもしれない。

それにしても、タマモの性格が明るいのが気になる。
或いは、こちらが本当のタマモなのかもしれない。

前の世界では警戒されていたのだろうか。
いきなり襲わたのだ。無理もない。
あれから、結局のところ子供にしか完全に心を開かなかった。
そう思うと、複雑な心境になる。

こっちでは少し好き勝手やらせてやるか。
コダマと名づけられた子狐は、もう少し草むらに横になろうと決め込んだ。
初めましてorお久しぶりです。
長いのが書き終わりましたので投稿いたします。
シロ、タマモ方面で逆行物を書こうとしたのですが、まさかこれほど時間がかかるとは。
力量不足を痛感しております。

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