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斯くも長き休暇


 その日、何の前触れもなく妻がやって来た。
「やっほう、あなた」
「美智恵」
「あら、呼び捨てなんて新鮮な響き」
 そう言って、いやんと照れる妻。しかし、問題はそこではなく。
「来ちゃった」
 ここは南米の奥地。ジャングルのど真ん中だ。日本からここまで、気軽に来れるような距離ではない。私は目先の研究資料を放り投げ、ドアの前にいる妻に迫った。
「仕事はどうした? それに令子は?」
「色々、あってね。理由はすぐに分かると思うわ」
 今度は苦笑いだ。彼女らしくもない。
「あっ、届いたわね」
 玄関先でストンと音が鳴った。
「郵便よ」
 彼女の言うとおり、郵便受けに一通の手紙があった。エアメールだ。差出人は……。
「唐巣神父だ」
「開けてみて」
 妻は上着と長旅の荷物を床へと置いて、椅子にもたれかかった。ナイフで口を開けて、手紙を読んだ。誠実で生真面目であるはずの神父の文面は、何かに急き立てられて書き殴ったような筆致であった。
「これは……」
 読み終えたあと、すぐに美智恵を、自分の妻の顔を見た。彼女はにっこりと微笑む。
「どういうことだ? 何かの冗談だろ?」
「神父が冗談を言う人に見えて? そこに書いてるのは事実よ」
「馬鹿な。じゃあ、なぜ君はここにいる? 手紙には死んだと書いてあるのに!」



 《斯くも長き休暇》



「どっちも真実よ」
 妻は足を組み直して、説明を始めた。
「私が時間移動能力者なのは、あなたも知ってるはずよね。今回、未来で大事件が起こった。それも人類の存亡にかかわる規模の。事態を重く見た神・魔族は私にその指揮を要請したわ。事件自体は紆余曲折はあったけれど、なんとか収束できて、私は今後能力を使わないことを条件に、最後の時間移動をして、この時代に帰ってきたわけ」
「なるほど。で、今送られてきた手紙とどういう関係があるというんだ?」
「こっちに帰ってきた私は、関係者との連絡を絶たないといけないの。だから表向きは死んだことにして、どこかに姿を隠さなきゃいけない」
「それで僕のところに来たわけか」
 彼女は頷いて、また笑う。
「つまり、未来に起こる事件との辻褄あわせなのよ。私がいなくなっていないと、未来がおかしくなる」
「そういうことか」
「ええ」
 辛い表情で、彼女は笑う。
「……コーヒー、飲むか?」
「お願いするわ」
 水を入れたポットを火にかけ、沸かす。その間、コップを二つ探し出して、インスタントの粉末を入れた。
「……令子も辛いだろうな」
「そうね……けど、こればっかりはどうにもならないわ」
「僕はどうしたらいい?」
 出来上がったコーヒーを手渡して、お互い一息をついた。
「とりあえず、私の葬式には出て。そうしないとあなた、令子に一生恨まれるわ」 
「今も、あまり好かれてはいないと思うが」
「ふふっ、そうね」
 湯気の立ち上がるカップ。ほつれた髪をかき上げる妻。会話はいつの間にか途絶え、なぜだか急に時が止まったような錯覚に陥った。
「ま、そういうことだから。今日からしばらくお世話になるわね」
「念願の夫婦生活というわけか」
「ええ。『念願の』、夫婦水入らずよ」
 お互いの顔を見て、思わず笑い出した。またゆっくりと時が動き出したような気がする。気づけば、午後三時が過ぎ去っていく。


  ◆


 妻が最初に始めた事は、家の掃除だった。
「……でも、あんまり汚くはないわね」
 ジャングルの奥地とはいえ、人がいないわけではなく、そここに集落は存在する。今、滞在している家も賃貸ではあるので、日本の田舎ぐらいなものだろうか。
「ああ、まあ資料の整理や衣類の洗濯くらいはどうにかこうにか」
「男の人ってもっとこう、煩雑にしてるものかと思ったわ」
「おいおい」
 ラフな服装に着替えて、エプロンをつけて、掃除機を片手に。いかにもな服装だが、普段の彼女を考えると新鮮ではある。
「……ってなこと考えてたでしょ?」
 こっちをジト目で見ている妻。
「なっ、何を根拠に……」
「顔に出てた。目がいやらしかった。年を取ってオヤジっぽくなった」
「うっ。さ、最後のは関係ないだろう?」
「やっぱ、四十にもなると変わるものねー」
 テレパスでもないのに、どうしてこっちの考えを読み取れるのだろうか。
「まあいいわ。綺麗にするから、あなたは仕事をしてて」
「あ、ああ……じゃ、何かあったら呼んでくれ」
 部屋に戻ると、扉越しに鼻歌が聞こえてくる。なぜかピンクレディーの「SOS」。ずいぶんと楽しそうだ。それに耳を傾けていると、妻と出会った頃のことが甦ってきた。
 今も昔も、相変わらず私は鉄仮面をはめて、生活している。が、最近はそれがなくても、快適に生活できている。人とほとんど会わず、虫とばかり対話してるからでもあるのだが。日本と比べれば、その人口密度も雲泥の差だ。
 彼女と神父と私。当時の日本はまだバブル前夜だったが、活気付いていた頃のように思える。自分もまだ若かったし、彼女の方はもっと若かった。それに今のように彼女と結婚して、子を持つようになるなんて、想像も出来なかった。
 結婚して以来、家族の体裁をほとんど保てていなかったが、妻がこうして目の前にいる事がどんなに幸せなことか。
「ふう」
 目尻を押さえて、一休みする。最近は目がやたら疲れる。老眼だろうか。外は日が翳り、オレンジ色の空に白い月が浮かぶ。時計を見れば、すでに午後七時を回ろうとしている。
「あなたー」
 ドアを叩く音。これまでこの家に響かなかった音がする。もちろん音の主は私の妻だ。
「夕飯、出来たわよ」
「ああ、今行く」
 いつの間にか彼女は掃除も終えて、晩の支度までしていたようだ。
 さて、今日の仕事はこれまでにして、愛妻の手料理をいただくことにしよう。


  ◆


「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
 彼女の作った料理はそれはもう豪勢なものだった。本人が腕によりをかけて作ったと、自信満々に言うのも分かる。
「味はどうでしたか、旦那様?」
「美味しかったよ」
「ん、ありがと♪」
 妻は嬉しそうに答えた。
「実はね、少し緊張してたのよ。あなたに料理作るのはほとんど初めてなくらいだったから」
「……そういえばそうか」
 言われてみれば、確かにその通りだった。彼女の料理を口にしたのはほんの数回、だったように思う。なにせ研究に勤しんでいたから、ほとんど会う機会もなければ、令子の出産のときも立ち会えてはいなかった。自らが望んだこととはいえ、今になって思えばどこか寂しくもある。それは恐らく彼女も一緒だったろう。
「すまない」
「ど、どうしたの、急に畏まっちゃって」
「いや、君にはこれまで不義理を重ねてきた。もちろん令子にもだが。だから……」
 その瞬間、彼女の拳が私の頭に降り注いだ。
「あなたって人は……どうして十五年前と変わらない事を言うのかしらね!」
「ちょっ、いきなり殴ることはないじゃないか」
「殴りたくもなるわよっ! 大の男がいつまでもぐじぐじ、ぐじぐじ……情けないったらありゃしない」
 いや、そこまでひどくはない、と思うのだが。
「私はずっとあなたが好き、全部好きなの。たとえ同じところに住んでいなくても、それだけは絶対に変わらない。だからあなたが研究に没頭して、私も仕事が忙しくても、私たちの絆はいつまでも繋がっているのよ……」
「美智恵……悪かった」
 その言葉に打ちのめされて、私は彼女を抱きしめた。
「愛してる」
「私もよ。それにこれから一緒に生活できるんだから、これ以上の幸せってないんじゃない?」
「……そうだな」
「今も昔も、私たちはきっと変わらない。だから」
 彼女が瞳を閉じて、唇を差し出す。今日という幸せの証として。
 唇を重ね、キスを交わす。
 月は満月。
 蒸し暑い熱帯夜に涼しげな風が吹く。


  ◆


 そして日はまた昇る。
 ブラインドの隙間から暗い寝室に朝日が差し込む。目覚めの一撃としては効果てきめんだ。
 私は天井を見ると、あくびを出した。首を回して、だるい体を動かす。
 が、今日はいつもと違う。身体の上に重さを感じる。
 腕の中で眠る私の妻。
 その彼女も起きた。
「おはよう」
 寝ぼけ眼をこすりながら、身を起こした。差し込む光が彼女の一糸纏わぬ姿に彩りを加える。
「どうしたの……?」
「いや、なんでもない」
「ははあ〜ん、昨日もお楽しみだったくせにまだ足りないの? あ・な・た?」
「馬鹿いうな」
 お互いにシーツ一枚の中に寝そべり、一夜を明かした。つまり、そういうことである。
「私は魅力的だったかしら?」
「そんなこと、答えるまでもないだろ?」
「あら♪」
 あなたも言うようになったわね、と唇を奪った彼女。
「でも、シングルベッドはやっぱり窮屈ね。しばらくはいいとしてもダブルベッドを買わないと」
「僕はこのままでも別に」
「そうね、あなたの胸に密着して寝られるし……」
「どうした?」
「もう一人くらい、子供も……」
 頬を赤らめて、だめ?とこちらを見てくる。まったく。君の強引さも十五年前と全然変わらないじゃないか。
「いずれ、な」
「ええ。せっかく神様からもらった休暇だもの。大切に使わなきゃ」
 また嬉しそうな笑顔を見せる。私の前では少女でもあり、女でもあり、妻でもある。令子の前では母親か。君という人間に出会えた事が私にとって一番の幸せなのかもしれないな
「そういえば聞かなかったが、いつまでここで過ごすんだ?」
「五年よ。それがどうかしたの?」
 ああ、斯くも長き妻の休暇。
 私、美神公彦と妻、美智恵の幸せな日々がこれから始まる。


 終わり

ミッション4に続いて参加させていただきました。
一泊ものとしては反則気味ですが、
1824泊1825日、つまり都合五年の最初の一泊を書かせていただきました。
個人的には原作一番の仲睦まじいカップルではないかと。
まあ、実際結婚してるのだから当然といえば当然かもしれませんけどもw
二日で書いたので色々大変でしたが、楽しんでいただければ幸いです。
ではまた。

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