心底自分が情けない。
そう思いながら、震える指でチャイムを鳴らす。
「はーい。
今出まーす」
ドア越しの声を聞いただけで、ドキドキと胸の奥が弾む。
私の胸を蝕む、決して不快じゃない、でも認めたくはないその感情。
それが何なのか解らないほど、今の私はガキじゃない。
「どちらさまで……って……
あぁ、君か……」
「……」
扉を開けて現れた男。
それこそが、私がここへ来た目的。
最初は、嫌々のはずだった。
縁もゆかりも無いどころか、憎むべき敵であるはずの存在。
そんな男の家に転がり込むのは、追い詰められたその時の私に残されていた、数少ない選択肢。
その中で多分、一番”マシ”……ただ、それだけの筈だった。
なのに
「また来たのかい?」
「迷惑……だった?」
「いや、違うよ。ヤな思いをさせたのなら謝る。
僕はそーゆー事を言ってるわけじゃないんだ。
そうじゃないんだが……その、一応念のため聞いとくけど……」
それが、どうしてこうなったのか。
仲間達の目を盗んでは、足繁く通い詰める日々。
「君が僕ん所に来てるって事……
兵部のヤツは知ってるのかい?」
「……」
誰かに命令されたわけじゃない。
こいつの元へ足を運ぶ、許されざるその行為。
それは、私自身が望む、私自身の意思によるもの。
「……はぁ……
まぁ、いいか……おいで」
「……おじゃまします」
何度でも、何度でも。
こいつの居る、この家へと、私は引き寄せられてしまうのだ。
「どうせまた、泊まってくんだろう? 澪」
「うん……そのつもり。
ありがと、皆本」
まるで見えない首輪でも、嵌められてしまったかのように。
【迷い猫】
<<SIDE: 澪 >>
「澪……ここ、台所だよ?
こんな所でこんなマネして……みっともないと思わないのかい?」
「……ぁ……」
頬っぺたが、熱い。
顔が、赤くなるのがわかる。
私がしている事。
今の自分が、どれだけはしたなくって、みっともないか……
それは、自分でもよく解ってる。
けど、やめる事ができない。
やめるなんて、出来るわけない。
「そんなに汚しちゃって……べちゃべちゃじゃないか。
着替え、用意しといてよかったよ」
「ご、ごめんなさい……」
だって、そんなことがどうでもよくなってしまうくらいに
私の身体が欲しがっているのだ。
いつもいつも、こいつと一緒に居る、あいつを羨んでしまうくらいに。
今の私みたいにして、皆本のを毎日味わえる、薫が妬ましいくらいに。
「で……どうだった?」
「ちょっと……苦かった……」
私を見てくれる皆本の声は、何処までも何処までも優しくて。
私はそれを聞くたびに、身体中かぁっと熱くなる。
アタマが、じぃんと痺れる感じ。
……ちゃんと、解ってるんだ。
こんな事、ダメ。抵抗しなきゃ。
だって皆本は敵だもんって。
忘れたわけじゃない。
心ではちゃんと、その事を理解できてるはずなのに。
身体が、まるで自分のものじゃ無くなってしまったみたいに、私の言う事を聞いてくれない。
「……まだダメっていったのに。
相変わらずお行儀が悪いね、澪は」
「だ、だって……もぅ、ガマンできないよ……
あ、ぁぁ……は、早く、はやく……」
「やれやれ……本当に君は仕方ないなぁ」
なんて意地悪。一体誰の所為でこんな……
でも、考えただけで口には出さない。
出す事は、出来なかった。
機嫌を損ねておあずけを食らうのは、もう二度とごめんだから。
「ほら、もう準備は出来てるよ。
お楽しみはこれからさ」
「ぁ、す、スゴぃ……」
それを目にした瞬間、ぞくんっ……と。
身体中に鳥肌が立った。
あぁ……そうだ。
これが、これが全部悪いんだ。
私の身体も、心までも、全部気持ちよくしてしまう。
こいつが、この男のものが、全部悪いんだ。
もう、身体が覚えてしまった。
コレがイイ、皆本のがイイって。
他の人のじゃ、もう駄目だって……
「ははは、最初のときとはえらい違いだね?
『お前らは敵だ!』 なんて、あんな威勢のよかった君が、今じゃ自分からこうやって……」
「あ、あっ……
や、やぁ……それは言わないで……」
今、私どんな顔してるんだろう?
なんだか、頭がくらくらしてきた。
耳の奥がさっきからずっと、ごぉごぉ鳴ってる。
お腹のところ、きゅーってして堪らない。
本当に、なんていやしいんだろう。
コイツといる時は、いっつもそう。
私は、知りたくもなかった自分の本性を見せつけられてしまう。
私はどうしようもないくらいに、いやしくてだらしのない女の子なんだって。
嫌ってくらい、思い知らされる。
「あーあ、今の君の姿……
兵部のヤツにも見せてやりたいよ」
「や、駄目!
……それは、ゆるして……」
その名前を聞いた途端に、ざわっと全身に鳥肌が立った。
きゅーっと、胸が苦しくなる。
身体も心ももぐしゃぐしゃに、潰されそうになっちゃう位の恐怖感と罪悪感。
でも、それでも尚
「み、皆本……」
「ダメだよ澪。まだ、ダメだ……
これがほしいのなら、ちゃんと教えたとおりにするんだ……」
「そんな……」
大好きな、大好きなはずの少佐を裏切ってまで。
私はコイツの、皆本の元へ来て。
いやしくてみっともない、本当の自分をさらけ出してしまうのだ。
だって。
「言う事が聞けないのなら、ずっとおあずけのまんまだよ?
僕はどっちでもいいんだけど」
「う、ぅぅ、ぅぅぅ……意地悪……」
「さ……どうする、澪」
だって……
「……ごめんなさい……ごめんなさい、少佐……
私……私、もう……ガマンできないの。
こいつのじゃなきゃ、ダメなの……
だから……だから……
い、いただぃまぁーーす!!」
「はい、良く出来ました。
食事の前にはちゃんと挨拶を……って、聞いてないね」
「むっ……んっぐ、むっ、はむっ」
だって美味しいんだもん!
美味しすぎるんだもん!
皆本のつくる ”ごはん” って!!
「雑穀入りのご飯に、紅鮭の切り身。味噌汁はいつもと違う出汁で……」
「む、んぐ、はむ……ん、む……」
「さっき君がつまみ食いしたやつは、少し焦がしたヤツだったんだ。
苦かったのはその所為だ。だから、より分けておいたんだけど……」
きっかけは、少し前の事。
少佐とケンカして……その理由は忘れちゃったけど、アジトを飛び出しちゃったとき。
隣に、コレミツも、マッスルも、桃太郎もいない一人ぼっちの私は、何一つ満足に出来ない情けないガキんちょで。
そんな時、偶然あった薫のヤツが 『家へ来ない?』 って。
あがり込んだ先で皆本のヤツが 『ご飯食べてきなさい』って。
や、さ、最初はちゃんと断ったのよ? 敵の施しなんかうけられるかぁーっ! って。
でもさ、薫のヤツも皆本のヤツも、どーしても!ってしつこくてさ。
だから私も仕方なく、嫌々渋々、ほんとに、ほんっとう〜に仕方なく……ね?
んで、見事に餌付けされちゃって……今や、ごらんの有様だよってワケ。
まぁ、おいしいタダメシが食べられるから、これはこれでいいんだけど……
「む、ぐ……ふん……ほいひぃ。
ほへ、ほいひぃほ……」
「……あー、何言ってるのか解らないから。
口に物が入ってるときは、しゃべっちゃ……
あ、ほらよだれが! また服がよごれちゃうじゃないか!」
……いや、ホントはね。
自分でもこれはどうかなって、思ってるんだ。
手懐けられたノラ猫みたいに、皆本の手の上で転がされてる、今の私ってどうなんだろーって……
でも
「ん、んぐ……ん……
お、おいしい、っていったのよ」
「そいつは良かった。
またレトルトやインスタントばっか食べてるんじゃないかって心配してたけど……」
「……そ、それは気をつけてるわよ。
ぁ、あの時、あんたに……その、色々言われた……から……」
食べられれば、何でもいい。お腹に入れば、みんなおんなじ。
そう思ってた、昔の私に。
”ごはん”っていうのは、もっと美味しくて楽しくて。
すごくあったかいものなんだって。
それを、教えてくれたのは他でもない皆本だもん。
いまさらひとりぼっちの”ごはん”や、レトルト生活には戻れない。
その責任はとってもらわなきゃ、ねぇ?
「ついでにその箸の持ち方と、食事前のつまみ食いも、何とかしてくれると嬉しいんだけどな?」
「し、仕方ないじゃない!
その、コレミツや少佐に見つけてもらうまで、そーゆー事、ぉ、教えてくれるヒトなんて誰も居なかったし……
だ、だからカンタンには直せないわよ!」
「そっか……」
だからさ。
もー、パンドラとかバベルとか、エスパーとかノーマルとか、敵とか味方とか。
そーゆー細かな事、今は、今だけは、全部何もかも忘れちゃって
思う存分、めいっぱい、楽しんじゃおうかなって。
そう考えるようにしてるの。
「ま、いいさ……あせらずゆっくり、だ。
ひとつずつよくしていこうな」
「…………うん♪」
皆本と一緒にすごす、この幸せな時間をね♪
「っきぃぃーーーっ! ナニ? 何やねんなこの空気はっ!?
この二人だけの桃色空間はなんなの!?
皆本はんもあの女も、ウチらが居る事忘れてへん?」
「うぐぅ……皆本の浮気者ぉ……」
「”手のかかる娘ほど可愛い” ってことなんでしょ。
私達のときもそーだったじゃない。無意識でアレだもん、ホント性質が悪いったら……
大体ねぇ、薫ちゃんがあんな行き倒れ拾ってくるから……」
「ア〜ア 澪ッテバ、アノ眼鏡クンニ、完全ニ餌付ケサレチャッテルネェ。
コリャ落チルノモ時間ノ問題カナァ?」
「……」
「京介ガ悪インダゾ? 最初家出シタ時、薫ン所ニ転ガリ込ム前ニ、連レ戻シテオケバ良カッタンダヨ。
ソレヲ、甘ヤカスノハ良クナイカラッテ放ッテオクカラ、コンナヤヤコシイ事ニ……
ッテ……キョ、京介?」
「……#」
「……ア、イ、痛! 痛イヨ!?
潰レルゥゥ〜〜〜ッ!?」
おしまい
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