主な産業が観光の都市での仕事であった。そこに悪霊が出ては、唯一の産業が潰され街は死んでしまう。選挙を控える地方議員としては、先を見越してのことであったのであろう。
そう難しい仕事ではなかった。わざわざ一流を呼ぶ仕事ではないし、オカルトGメンの到着を待ってもそう支障はなかったほどである。
仕事を終え、イエローのポルシェ911カレラタルガトップは街灯の少ない国道を走っていた。
ハンドルをまかされていた横島忠夫は、ラッキーストライクを咥えると愛用のジッポで火をつけた。
「この車、タルガで良かったわね」
「煙が篭りませんからね」
苦笑すると紫煙が風に煽られ消えていった。
海岸線の国道であるが、生憎と真夜中である。昼間でない限り、風景を楽しむことはできないであろう。だが美神令子はずっと海を眺めていた。
「なにか見えますか?」
「海」
「夕方だったら、良かったかもしれませんね」
「いいのよ、今が」
声が風に靡いたままであった。こちらを向かなかった事は見なくても分かっていた。
街灯が増えてきた。歩道を照らすそれは外国を意識しているものであろう、五分ほど前に通った港町の風情とはかけ離れたものであった。
白く大きな建物が見えた。まだ距離はあるが、何も無いこの道からはかなり目立っていた。
風に煽られたせいであろうか、煙草がフィルター近くまで灰になっていた。右手で灰皿に押し付けると指先に熱さを感じた。
この街の産業の目玉であるリゾートホテルの入口にポルシェを停めた。
ドアボーイが近づくが、先に降りた令子がそれを止めた。素人に除霊道具を触らせたくないとだけ答えると、ロビーへと入っていった。
駐車場まで案内されると、横島は道具を下ろしロビーへと向かった。
すでにチェックインを済ませたのか、令子がロビーのソファーに座っていた。長い足を組み、顎に手をやる仕草は考え事をしている時である。付き合いの長い横島にはすぐに分かった。
「どうしました?」
声を掛け隣に座ると、一瞬だけ視線を向けるがすぐに掛けられた絵の方に向けられた。
「どうもしないわ」
立ち上がりエレベーターへと向かった。
最上階まで行くと、カードキーを挿しこみドアを開けた。ベルボーイは同じ理由で断っているため、横島が荷物を部屋の中に入れた。
「荷物、ここに置いておきますね」
カーテンを開け大きな窓から暗い海を見ている令子の方は見ずに、部屋の中を見渡した。
高級そうな家具や絵画が部屋の雰囲気を崩さない程度に置かれている。煙草を咥えたが、火をつけるのはやめておいた。
「明日は何時ですか?」
「何時にしようかな」
海を見たまま応えた。
「禅問答は似合いませんよ」
「それもそうね」
ようやくこちらを向いた。苦笑すると、煙草をソフトパッケージの中に戻した。
「俺の部屋の鍵はです?」
「ないわ」
「ない?」
「ええ」
ゆっくりとこちらに近づくと、ソファーに座った。
「ないって……」
「手違いでね。本当はタマモと来る予定だったんだけど、急に変わったでしょ。変更したんだけど、時期が時期だけに間に合わなかったのよ」
「んじゃ、俺は?」
少しだけ口元を緩めて笑ってみせた。
「バスルームで簀巻き」
令子ではなく、横島が答えた。昔を思い出したのか、令子は目を瞑って口元を緩めた。
「よく覚えてたわね」
「忘れるわけないでしょ」
「それもそうね」
戻した煙草を咥えた。
「ここで寝るしかないわね。明日に響くとマズいしね」
言葉を確認するかのように、ジッポで火をつけた。
水音が聞こえる。バスルームに向けてした視線を窓の外に向けた。
部屋の灯りのせいもあり、海は見えなかった。煙草を咥えた。中を覗くと本数が残り少なかった。火をつけ、窓の外を見るがやはり海は見えなかった。
月くらいでていれば、少しは見えたのだろうが生憎と新月であった。
ドライヤーの音が止み、しばらくするとバスローヴに身を包んだ令子がでてきた。
「どうぞ」
一声だけ掛けると、冷蔵庫を開けた。ビールを取り出し、プルトップを開けた。
「あ、ズルいな」
「あんたは運転でしょ」
悪戯っぽく笑うと、喉を鳴らしビールを呷った。横島はその姿に苦笑すると、煙草をもみ消しバスルームへと向かった。
背中を視線で追い、その姿がバスルームに消えると令子は缶ビールをテーブルの上に置いた。大きく息をつき、ソファーに凭れた。
テーブルの上に置かれた赤い丸が描かれた煙草が妙に目に付いた。手に取ると、残り二本だった。一本取り出すと、口に咥えホテルのマッチで火をつけた。
煙たそうに眉を歪めると、紫煙を吸い込む。途端に咳き込んでしまう。
「よくこんなの吸えるわね」
胸がムカついた。灰皿に置くと、吐き気をビールで押し込んだ。
一息つくと、灰皿から紫煙が天井へと線を引いているのが見えた。もう一度煙草を手にすると、ゆっくりと吸い込んだ。紫煙を天井に向け吐き出すが、先ほどよりは胸はムカつかなかった。だが今度は頭がフラついた。
バスローヴに着替え、バスルームからでてくると部屋の灯りは消えていた。
ソファーに戻ると、令子の姿はなかった。煙草を手にすると、最後の一本になっていた。灰皿に目をやると、長めの吸殻があった。ルージュの跡はついていなかった。
苦笑して最後の一本を咥えた。火をつけるとソファーに腰を下ろした。振り返り窓の方を見た。
海は見えなかった。
紫煙を吸い込むと、蛍火のような赤が映っていた。
「こっち来たら? 風邪ひくわよ」
窓に映った部屋の中は変わりはなかった。
「いいんスか?」
「いいも何も、仕事に支障をきたしたくないだけよ」
ベッドルームの方から声は聞こえていた
紫煙をゆっくり吐き出し、灰皿に押し付けた。潰れた空き缶が倒れた。
「ねぇ、横島君」
「なんスか?」
かなり広いベッドであった。体が触れるようなことはなかった。
「今日の仕事どう思う?」
「どうって?」
「どうって……何も感じなかった?」
仰向けに寝ていた横島は、隣を向いた。令子は背中を向けたままであった。
「そうっすね……えらく簡単だった気がします」
「……そう」
短い言葉だけが返ってきただけだった。妙に声が遠くに感じた。
随分と広いベッドだ―――見た目以上の距離を感じると横島は目を瞑った。
潮騒が二人の間を遮るようであった。
GSとしての勘であろうか、弾けるように二人同時に跳ね起きた。
お互いに目を合わせたまま、口さえも開かない。枕元に置いてある携帯が音を立てた。令子がそれに手を伸ばした。
「……はい」
低い声で返事をすると、相手はかなり声を荒げている。完全に声が漏れていた。電話を持つ手に力が入り、僅かだが音を立てた。
「……分かりました。すぐに伺います」
電話を切ると、横島の方を見た。何があったのか察知したのであろう、横島は苦笑した。
「行きましょうか」
ベッドから下りると、ソファーに戻った。
装備のチェックだけを済ませると、部屋を飛び出した。
二人はプロのGSである。
彼らは理解していた。
GSにとって、夜は安息の時間ではない。
生きていると感じることが時間だということを―――
「―――と、いうワケなんだよ。俺ってシブいなぁ〜」
地方での仕事の話を、都内某所の居酒屋で横島は自慢気に話していた。
聞いているメンツは、雪之丞にピート、タイガーの同期たちである。
「どう思います?」
ピートが雪之丞に耳打ちした。
「話半分に聞いておけよ、こいつがそんなタマかよ」
「そうですよね。もし本当だったら、こんな浴びるように飲んでないですよね」
泣き笑いをしながら横島は、チューハイというより焼酎そのものが入ったジョッキを呷った。
「そうですじゃ。横島さんがこんなに荒れるとは……まぁ初めてというのは難しいもので」
タイガーがしみじみというと、完全に座った目で横島は睨みつけた。
「あ〜〜〜? なんか言うたかぁ〜〜〜〜?」
悪いところだけ上司に似てしまった男が、タイガーの襟首を掴んだ。
「いえ、わしは何も」
「そうか……んじゃ飲め!」
一升瓶をタイガーの口に押し込んだ。タイガーが目を白黒させる間に、焼酎は減っていった。
「わははははははははははは! 飲めない奴は女がいる奴だ!!飲める奴は訓練された女がいる奴だーーーーーー!!!」
ケラケラと笑いながらも、血の涙が溢れだしていた。
「もうムチャクチャですね……」
ピートは苦笑しながらも、どうやってこの場を納めようかと無駄な思考を廻らせていた。
「考えるだけ無駄なこった。どうせこんなこったろ……」
達観したかのように雪之丞はグラスを呷ると、横島の話から推測される答えを語りだした。
横島がならず者と化し雪之丞が推測を語っている時と同時刻、美神令子は母親である美智恵のマンションにいた。
そのマンションに当然いるはずのひのめは、事務所に預けられていた。美智恵が“何か”を察したのである。
「もぉね……あのバカたれ、せーーーーっかく人がお膳立てしてやってんのに!!」
グラスに入れず、ラッパ飲みをしている。ちなみにアルコール度数は50度を超えている。
テーブルの周りには、酒屋が配達してくれた酒瓶が所狭しと並んでいた。すでに半分は空になっていた。
いつもは咎める美智恵であるが、さすがに今回ばかりは咎める気にはなれなかったのであろう。令子ほど飲んではいないのだが、チビリチビリとグラスに注がれたウィスキーに口をつけ哀れな娘に付き合っている。
テーブルに顔を叩きつけるよう伏せると、令子は愚痴混じりにその日の事を語りだした……
まったくふざけた電話であった。
自分が国会議員だから仕事を引き受けるのは当然であろうという、完全に上から目線な受け答えであった。
誰に言うとんのか、分かっとんのか、われぇ―――と、最近観たDVDの影響でいいそうになったが、とりあえずそれだけは持ちこたえた。
たいしたことのない事を大袈裟に騒ぎ、選挙前の票稼ぎであろう事は簡単に推測できた。さてどうやって断ろうかとカレンダーに目をやると、その日に丸印がつけてあるのが目についた。おキヌが研修旅行で留守にする日であった。
おキヌちゃんが留守か……ますますやりたくないわね―――と、そう思った時であった。居候の散歩から帰ってきた男の声が聞こえた。
「やめんかーーー!!水分と塩分を人の汗から取るんじゃねぇ!!!」
「微妙に美味いでござるよ。先生も拙者のを舐めてみるでござるか?」
「やるかーーーーっ!!!」
間抜けだがエロだかよく分からないが、とにかく世間体に悪過ぎる会話をしながら事務所へと声が近付いてくる。
その時、令子は決断した。
やるときゃ、やるよ!と。
後で相応のお返しを計算しつつ、ムカつく議員の仕事を引き受け、タマモと仕事に向かう事を告げた。
そして仕事の前々日、前以て仕掛けていた葉書が横島がいない時間に事務所に届く。期限付きの達人フェアの当選券である。料理の達人たちのスペシャル料理の食べ放題である。シロが飛びつかないワケがない。しかも当選のお知らせはペアである。シロは横島を誘うと断言する。だが納得しないのはタマモだ。なぜならその達人フェアには和の達人もいるからである。当然懐石や寿司もあり、高級油揚げ食べ放題なのだ(もちろん仕込み)。
お互いに妥協した二人は、令子に休暇と旅費を頼み込んだ。食い物に常に飢えている横島にバレたら怒るだろうな〜という事を臭わせ、自然と秘密にしておくことを強要させた。もちろん令子も内緒にしておいてあげると恩を売ることは忘れていなかった。
そして二人で泊まるということ、ホテルに予約して出掛けたのだ。
仕事は簡単に済んだ。
当たり前である。議員が票稼ぎのために、わざわざ一流で名前が通った令子を呼んだだけで、二流どころでも簡単に済む仕事だったのだ。
仕事が終り、ホテルへと向かった。
令子は横島の顔を見ることができなかった。どういう顔をしていいか分からないのである。
これから一緒の部屋で一晩過ごす、しかもリゾートホテルのスゥィートと考えただけでのぼせてしまいそうになった。
(ひょっとしてマジ? マジだったの私?)
性格も何もかも分かっているつもりであったが、それであるがゆえ余計に恥かしいものがあった。
海を見るフリをして、顔を風に当てた。これでかなり熱が冷ませるはずである。
「この車、タルガで良かった」
ほどよく頭が冷えてきたせいか、思わず口から零れてしまう。
「煙が篭りませんからね」
煙草の煙だと勘違いしたようだ。令子は『気づかれなかった』と安堵したが、実は横島も安堵していたのである。
なぜなら……何もないと分かっているけど、泊まりの仕事というだけであんなに喜んだ男である。しかも今回は二人きりである。気にする必要は無い!!! だがあれから数年たち、横島も少しは大人になっていた。いかにもモテない男が餓えて焦ってます〜〜〜という態度をとれば、いつものように撃退されるのは目に見えていた。それゆえ、昔とは違いますよ〜〜〜♪とアピールしたかったのである。
だがそこは横島、そんな知識も経験もあるワケはない。もちろん相談する相手もいない。ホテルに向かうこの一本道、どう喋っていいか分からなかったのである。仕事前に開けた煙草は、車に乗り込んでから消えることなく吸い続けていたのだ。
(どんな顔してるのかしら。見たいんだけど、見れない……つーか、こっちの顔なんて見せられないわよ!!!)
声を聞いて安心どころか余計に緊張が増したようである。涼しくなったはずの顔がまたしても熱気を帯びた。
(えーっと、えーっと、せっかくのチャンスだ。用心されんように何か言わなくては……って思いつくかーい!!)「なにか見えますか?」
「海」(ヤバっ!声引きつった!!)
声どころか顔も引きつっていた。
(海ってそのまんまつーか見えねーし! しかもなんか声、怒ってるし……海ネタ海ネタ……)
「夕方だったら、良かったかもしれませんね」
(陽が出てる時にこの顔見せられかーっ!!!というか、対向車に変な目で見られるって!!)
「いいのよ、今が」
今以外は絶対無理!と言わんばかりに令子はいった。そうこうしているうちにホテルが近づいてくる。。まだ距離はあるが、何も無いこの道からはかなり目立っていた。
風に煽られたせいであろうか、煙草がフィルター近くまで灰になっていた。右手で灰皿に押し付けると指先に熱さを感じた。
(うあっちー!あちあちあちあちあちーーーーー!!)
かなり熱かったのだが、声は出せなかった。
外には出さないが、二人とも普段の自分と戦っていた。
そして、お互いに同じことを思っていた。
落ち着け……落ち着け自分! と。
ホテルに着くと、ドアボーイがすぐに近づく。工作がバレないように、チェックインするときに横島は側にいない方が良い。移動は本人にさせるべく、道具を持ってくるように指示を出した。もちろん顔は見せていない。
横島が駐車場に停めてくる間に急いでフロントへいった。あまりの勢いに、沈着冷静なはずのホテルマンが仰け反ってしまったほどである。
「予約しておいた美神です!」
「美神様ですね。本日御一泊の予定で二名様」
「そうよ、早くしなさい! サインでしょ」
フロントの指で忙しなく叩き、仕事を急かせた。
「こちらに記帳を」
全てを言い終わらないうちにペンを手に取ると、用紙が破れんばかりの勢いで記帳した。
「はい。早くキーを頂戴!」
カードキーと朝食のサービス券を封筒に入れ、カウンターの上に置いた。強奪するかのように受け取ると、フロントマネージャーが声をかけた。
「美神様、お支払いの方は九馬様より頂いております。ご伝言の方が」
人の良さそうなフリをした脂ぎった議員の顔を思い出しフロントまで戻ると、ブラックカードをカウンターに叩きつけた。
「自分で払うわ。倍とっていいから、突っ返しておいて。電話は一切繋がないでね! それからその伝言、シュレッダーにかけた後に焼却して埋めてから上に塩かけといて!!」
除霊のとき以上の殺気を放つと、踵を返しトイレに駆け込んだ。
別に便器に用があっての事ではない。顔の準備をするためである。さすがに顔を洗うことはできないが、乱れた髪と化粧を直す時間が欲しかったのだ。顔が赤くなっていないかチェックをして、風で乱れた髪を梳き、口紅だけ塗りなおした。
トイレから出てくると、横島の姿はまだ見えなかった。ロビーのソファーに腰を降ろし、足を組むとこれからのことを考えた。
(いつものように迫られると、つい殴っちゃうだろうな……ほとんどボケとツッコミだからねぇ。長く付き合ってるとこれだから困るわ。でもねぇ相手はあの横島君よ、映画みたいなことなんて期待できるワケないじゃない。とにかく、ボケとかセクハラに突っ込まない! 襲い掛かられたらもう勢いよ、それしかないわ)
「どうしました?」
身体が大きく跳ね上がったが。気づかれたか? と思い一瞬だけ視線を向けチェックした。気づいてはいなかった。丁度隣に座ったので分からずに済んだようだ。
一方横島は隣に座ったはいいが、手の置き所に困っていた。一人用のソファーならまだしも、3〜4人掛けのソファーである。令子の左隣に座ったのだが、微妙な距離に座ってしまったため右手をどう置くか決めかねていた。
ソファーに置けば、体重が乗って手が触れるかもしれないがなにかワザとらしい。といって自分の膝の上というのも何か可笑しな格好である。肩に回すか?いや距離がまだ遠い……なんでもないことなのだが、自分を作ろうとすると些細なことでも妙に気になってしまっていたのである。
「どうもしないわ」
声が上ずりそうになったため、立ち上がりながら言った。
(ダメだぁ〜、人が見てるかもと思ったら自分が何するか自信ない)
思わず殴ってしまいいつもと同じやりとりになる事を恐れ、部屋へと移動した。
ベルボーイを断ったのを後悔したのは、エレベーターに乗ってすぐであった。
エレベーターという密室で二人きり、ベルボーイがいるから会話が無いということはよくある話だが、二人で会話が無いというのは妙に空気が重い。
モーター音だけが聞こえる密室。『この空気どうにかしてくれ』と思ってはみるものの、断ったのは令子自身であるためにどうすることもできない。階数を知らせるデジタル表示だけをじっと見て、目を逸らすことはなかった。
一方横島は別なことを考えていた。自分の部屋は何階であろうか、どのような手段で部屋に忍び込むかと、気分はルパ○三世であった。
まったく会話がないまま、最上階に着いた。ドアが開くと、令子は大きく口を開けた。。呼吸をする音が聞こえないように、口から息を吸ったのである。正面から見ればかなり間抜けであるが、後ろを歩いている横島からは見えるわけはなかった。
部屋の前にくると、封筒の中からカードキーを出した。小刻みに手が震えなかなか入らなかったが、横島は空調などの侵入できる箇所を模索中であったので気づくことはなかった。
部屋に入り、電気をつけると別世界であった。
このホテル以上のスゥィートには何度も泊まったことはある。だが自分の一生ものの思い出となる場所になると思うと、浮き足立ってしまった。妄想に耽るといった方が正しいのかもしれない。
あまり興味のなかったはずの、おキヌが見ていた映画のシーンが蘇える。もちろん登場人物は、自分と横島に置き換えてだ。
ふわふわとした足取りで、窓辺へと向かう。
(『抱いてくれって私の方から言わないと分からないの?』……『すいません』……『お願い、私のことだけ考えて』……って、きゃーーーー!きゃーーーーーーーー!!!)
弟子が師匠に似るというのはあるが、この場合は逆であった。いや、似たもの同士であるから必然だともとれる。
「荷物、ここに置いておきますね」
横島の声で現実に戻され、令子はある事実に気がついた。
荷物を置く姿が見えたのである。夜の窓は“映る”のである。
慌てて自分の顔を見ると、かなりヤバい。妄想から帰ったばかりで、締まりの無い顔をしていた。
こちらを向いてないかチェックすると、横島は辺りを見渡している。もちろん令子は気づいていないが、夜這い経路のチェックである。普段はすぐに気づくはずなのだが、なにせ自分がこれから行うことで精一杯である。横島が中身が一緒で、外面をコーティングしているなどと思う余裕などはあるはずなかった。
(ラッキー、こっちを見てないわ。普段の行いを神様が見てくれているのよ)
普段の行いを考えると天罰以外は考えられないはずなのであるが、そこはそれ美神令子である。自分ご都合主義なのである。
ちなみに令子が思わず祈った神様は、うっきーと叫びその横には角を生やした貧乳の見慣れた顔があったのはいうまでもない。
急いで顔をマッサージしてニヤケた顔を整えると、窓に目をやり横島の行動をチェックした。
「明日は何時ですか?」
煙草を吸うのを止めた。煙草を吸うのは長居をしてしまうことに繋がってしまうかもしれないからだ。
横島は早く部屋に行きたかった。なぜなら、すでに侵入ルートの設定が終了したからである。後は令子が寝静まれば行動を開始できる。同じ部屋にいたのならば、寝る時間が遅くなってしまう。プランは立てた、ならばすぐに実行して結果が欲しいのである。
「何時にしようかな」
本心であった。
とりあえず今からお風呂。それでむにゃむにゃしてぇ〜はにゃはにゃしてぇ〜ごろごろしてぇ〜にゃんにゃんにゃん♪……何時頃終って何時に起きるかなんて分かるはずなかったのである。
しかも未経験の上、先ほどまで妄想していた頭である。おキヌの雑誌を漁ってきた知識により、普通ではありえない事までも想定している。時間の検討なんてつくはずもなかった。
(なんじゃそりゃ! 本能か? 本能で時間を稼いでいるのか?……いや、待てよ……明日の仕事のことで何か言ってたような気がするな……なんだったっけ……ヤバイ! 思い出せん!!)
質問を質問で返され、珍しく深い考えになってしまっている。
(誤魔化すしかないっ!!だけど誤魔化すってどうやって……全然わからん)
目の前のキャビネットにウィスキーが並んでいた。ブランデー、アイリッシュウィスキー、スコットランドウィスキー、それにジャパニーズウィスキー、かなりの高級酒である。
もちろん横島が洋酒の名前など分かるワケがない。かろうじて分かったのは、山崎、軽井沢、竹鶴などの簡単な漢字で書いてあるものであった。
(日本語で書いてあるし……ってこんなもの見たって……!!)
「禅問答は似合いませんよ」
少し前にウィスキーのCMで名前にかけて「全然」といっていたのを思い出した。それを見た令子が「つまんないわねぇ、お酒飲むのにヘタなシャレいわれてもねぇ〜。禅問答やって美味しく感じるワケないじゃない」といっていたのを思い出したのだ。
「それもそうね」
窓ガラスに映った自分の顔がニヤけていないのを確認すると、令子は横島の方を向いた。
時間の計算が終了して、うだうだやってたら時間が無いと思ったのである。
「俺の部屋の鍵はです?」
「ないわ」
「ない?」
「ええ」
(まさか……侵入経路を気づかれたか! そうか!煙草か!! 焦り過ぎだったか!?)
令子が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。かなり目が鋭い。
(ヤバい! この目は、殺る気だ!!)
ニヤけを無くすために引き締めたのはいいが、緊張と相まってかなり危ない目になっていた。
(慌てるな……落ち着け……とりあえず、言い訳言い訳)
ソファーに座り、息をついた。
「ないって……」(しらばっくれて逃げるっきゃない!!)
素早く脱出経路を探りつつ、令子の出方を待った。動けば殺られる!と思ったのである。
「手違いでね。本当はタマモと来る予定だったんだけど、急に変わったでしょ。変更したんだけど、時期が時期だけに間に合わなかったのよ」
一息で一気に言った。イントネーションが微妙におかしかったのだが、脱出に気を取られていた横島は気がつかなかった。
(言えた……詰まらなく言えたわ。エライ!さすが私♪ って油断しちゃダメ、肝心なことが残ってるわ)
(油断するな! これは言い訳だ。美神さんがそんなミスをするワケがない……これは仕組まれた罠か!?)
「んじゃ俺は?」
脳みそをフル回転させる。その中のファイルに引っ掛るものがあった。
「バスルームで簀巻き」
野宿しろ! と言われる前に、過去の出来事で先手を打った。こういえば、同じ手を使ってくるかもしれないからだ。外に放り出されてしまうと、侵入したときに警備員に見つかって通報される恐れがあるからだ。それに今の自分の能力だと、簀巻きにされた程度では足止めにさえならないという自信があった。
「よく覚えていたわね」(変なこと思い出すなーーーーっ!! あ〜〜〜〜もぉ! 今思えば、あのときものすっごいおいしいシチュエーションだったのよね。時間超えてあの時の自分、殴りにいこうかしら)
自分が悪いことをしたとは思っているようであるが、『今の』ではない。あくまで『過去』の自分であり、時間移動が可能な令子にとっては過去の自分は他人なのである。
「忘れるわけないでしょ」(なんであのとき、俺は動けなかったんだ!! 俺のバカぁーーー!!この今の体力さえあれば、このチチもシリもフトモモも俺のものだったのにーーーっ!!)
「それもそうね」(え!? ひょっとして恨んでる? そんなことないわよね〜、だってあれから懲りもせず何度もセクハラしてたし)
(追い出す気満々になる前に、時間稼がねば……)
時間稼ぎのために、先ほど戻した煙草を咥えた。
「ここで寝るしかないわね。明日に響くとマズいしね」(言えたー!!!偉い!私!!さすが私!!令子はやれる子、やれる子なんです!!ね、ママ、見ていてくれた!!)
美智恵は死んだワケではないし、隠しカメラなんて仕掛けているワケはないので、当然見ているワケはない。
(よし、とりあえず時間稼ぎは成功)
まだここにいていいという言質をとったと思い、煙草に火をつけた。
(ちょ……ちょっと待て……今なんつーた?……ここで寝るしかないっていったよな。ここってどこだよ!? ベッドか? 同衾か? お床入りなのかーーー??)
飛び掛りたい衝動に駆られるが、かろうじて踏みとどまり足が痙攣した。
ここで飛び掛っては、いつもと同じ。ヘタすると朝まで強制的に眠らされる可能性が非常に高いと判断したのだ。
(え? うそ!? 来ないの?)
いつもの調子なら飛び掛ってくるはずである。そのためにソファーに移動したのだ。ベッドに移動するとあまりに露骨過ぎるため、まずはソファーで襲われて『続きはベッドで』とか『ここじゃ嫌……』とか先のことをすでに考えていたのに、肝心の一歩目が無いのである。
(煙草吸ってるからかもしれないわ……それなら)
ソファーから立ち上がり、自分の荷物を持つと浴室へと向かった。
「先にシャワー使わせてもらうわ」
目線だけを向けた。本人は映画の知識により“誘う目”のつもりであった。
「どうぞ」(な、なんじゃーー! 今の目は!? 殺気バリバリでとったぞ!! ここで覗いても逃げ場は無いっちゅー脅しか?)
緊張のあまり引きつっていたせいか、色気ではなく殺気ととられてしまった。
令子がシャワーに入りしばらくすると、横島は煙草を灰皿に押し付け行動を開始した。
バスルームのドアに手をかけノブを捻ろうとしたが、ふとあることに気がついた。
(鍵を閉める音が聞こえなかったぞ? らっきー♪)
ドアノブを回した。
(ちょっと待て!!! あの美神さんだぞ、俺がいるのに鍵を閉め忘れることなんておかしい。おかし過ぎる!)
そう、これは令子の罠である。KING OF NOZOKI の横島がこのようなシチュエーションで覗かないワケがない。入りやすいようにわざわざ鍵を開けている実に甘ぁ〜〜〜い罠なのである。
だが普段の行動が災いしてか、横島はこれを危険な罠と判断してしまった。
(ふっ…・・・甘い誘いには罠がある。前菜に飛びついて、メインディッシュを食い損ねるマネはしないぜ)
ドアノブから手を離し、バスルームから離れた。
もちろんその行動を、令子が見ていないはずはなかった。
(え? え!? えーーーーー!!! うそ!! 横島君よ? あの横島君がデバガメしないワケないわ! ちょっと、なんでよーー??)
浴槽に入ったまま、頭を抱えてしまった。
(そうか……出来過ぎよ、出来過ぎなのね。あまりにも隙を見せ過ぎているから、用心してるのよ。あのコもバカじゃないんだから、少しは学習しているのよ)
一人浴槽の中で、自分の考えに納得したかのように頷いた。
バスルームから離れた横島は、もう一度部屋の中を見渡した。
令子がいる時は遠目でしか確認できなかったため、今度は近くにいって確認している。
ソファーのある部屋からベッドルームまでの距離。天井を外して空調も確認した。そしてメインとなるベッドルームの確認である。
まだ令子も入っていないため、ベッドメイクされたままのベッドはコインを落とすと跳ね返ってきそうなくらいであった。
(ドアからベッドまでは3メートル弱、匍匐前進でいっても気づかれるな……となると、窓か? いや海の音が目立つ……やはり天井だな)
天井を見上げ、空調ダクトの位置を確認した。
(よし! この位置なら一気にイケるぞ!!)
頭の中で令子の反応スピードと落下速度と距離をベクトル計算し、納得したかのように大きく頷いた。
踵を返し部屋を出ようとしたが、枕元に近付きポケットから財布を取り出した。その昔、友情の証として貰ったゴム製のとあるものを取り出し、見つからないようにマットレスの間に挟んだ。
(ありがとうユッキー。ようやく役に立つときがきたよ)
思い出の中の雪之丞はにっこり笑って歯が光っていた。
リビングに戻り、靴を脱いでホテルに備え付けのスリッパに履き替えた。
荷物を漁り、着替えの準備をする。来る前はこういう事になるなんて想像もしていなかったが、なぜか新品のパンツを持ってきている。袋から取り出し、新品だとバレないように袋はバックの中に仕舞いこんだ。
ソファーに座るが、妙に落ち着かない。小刻みに身体が震え、そわそわと辺りを見渡している。煙草を吸ってみた。深く吸わず忙しげに煙をスパスパと吐き出していた。灰皿に灰を落とす。また忙しげに吸うと、すぐに灰皿に灰を落とす。灰になっているワケもなく、火玉が煙草から落ちた。もう一度火をつけるが、同じことの繰り返しであった。
(いかんいかん、落ち着け。こんなだと、すぐにバレてしまうぞ)
煙草を灰皿に押し付けると、今度は歩き出した。テーブルの周りをぐるぐると同じところを回った。次第に眉間に皺が寄ってきた。どうやら、シュミレーションをしているようである。ぐるぐると忙しなく回り続け、テーブルの角で小指をぶつけた。
声を出さずに足を抱えるとのたうち回った。痛くて出せないのもあったが、何をしていたかバレるのを恐れたためでもあった。
一方バスルームの令子は、ドライヤーで髪を乾かすと化粧道具を取り出した。
寝る前のスキンケアというのは、あまりにも念入りである。薄化粧風な念入りなメイクであった。
別に肌に自信がないワケではない。曲がり角に近付いてはいるものの、遺伝により老けない体質である。特に肌に関してはそれが顕著にでている。だが、それでも力を入れてしまう時が女性にはあるのである。まさに今の令子がそれであった。
化粧が終わると、身体に巻いていたバスタオルを外し、鏡に姿を映した。
「おかしいところないわよね」
小声で呟くと、自分の身体を隅々までチェックした。どこを重点的にチェックしたかは、乙女(?)の秘密である。自分で胸を持ち上げ、張りをチェックすると思わず目線が斜めに上がった。
また妄想してしまったようで、顔を真っ赤にすると乾いたばかりの髪を振り乱した。
「し、しまった……」
慌てて乱れた髪をブラシで整えると、ヴィトンのバックからとっておきの下着を取り出した。
(いくら部屋を暗くして見えないとはいえ、ある程度夜目が利くからね。これくらはやっておかないと)
かなりゴージャスな黒レースであった。
(上もかわいいんだけど、外すのに手間取るだろうしね)
なにかの本で読んだ情報を基に、ショーツだけ身につけるとバスローヴを羽織った。帯は少し緩めに締めた。
(焦って引っ張られると解けなくなるからね♪)
最後にもう一度鏡を見ると、大きく息をついた。
(令子はできる子、できる子なんです。ファイト令子、オー!令子)
心の中で叫ぶと、バックを手にドアを開けた。
リビングに戻ると、横島はソファーに座り煙草を吸っていた。小指はまだ痛みを伴い、おそらく腫れていた。
「どうぞ」
一声掛け確認だけすると、バックを置き冷蔵庫に向かった。その確認だけで、顔が上気したのが自覚できた。風呂上りだから誤魔化せるはずと思いながらも、念を入れるためにビールを手にした。誤魔化しもあるが、勢いのためでもあった。
「あ、ズルいな」
「あんたは運転でしょ」
飲ませるワケにはいかなかった。二人して飲むと、おそらく勢いがつき過ぎて部屋にあるアルコールは全部飲んでしまうであろうことは簡単に予想できた。そうなると計画は潰れてしまうだろうし、仮に上手くいったとしても記憶が無くなってしまうことは避けたかった。お互いに覚えていない初体験なんて、最悪以外の何物でもなかった。
運転にかこつけて上手い理由だったと、思わず笑みが漏れた。軽く飲んだつもりだったが、緊張のあまり喉が渇いていたらしく、一気に半分ほど空けてしまった。
(とりあえず、風呂で指冷やそう)
そう思い立ち上がったが、かなり痛かった。叫ぶわけにもいかず、歯を食いしばりながら表情は変えていないつもりであった。
バスルームに入ると、水道の蛇口を捻り足を突き出した。熱湯だった。
横島がバスルームに入ると、缶ビールを置き全身の力が抜けたかのようにソファーに凭れかかった。
(なんで横島君に、こんな緊張するのよ)
相手が横島なのに緊張するということではない。令子にとっては横島だから緊張するのである。恋愛初心者の令子が気づくワケはなかった。
テーブルの上に置かれていた煙草が目に付いた。
(間を開けられて、もったいつけられても堪らないわね)
煙草を手に取り中を覗くと、残りが二本であった。
(二本とも捨てるとバレるわね)
一本取り出すと捨てようかと思ったが、興味からか口に咥えた。灰皿の隣に置いてあるホテルのマッチを手にすると、それで火をつけてみた。
昔、グレていたときに吸ったときがあったが、あれからかなりの年月が経っている。久しぶりの煙草はかなり効いた。あまりのキツさに思わず咳き込み、パッケージに書いてあるニコチンとタールの量を確認した。
「よくこんなの吸えるわね」
自分が吸っていた煙草の倍以上あるその量に辟易するが、このまま消しては自分が吸ったとバレてしまう。とりあえず吐き気を消すためにビールを呷った。
少し落ち着くと、再び煙草を咥えた。キツい煙草には慣れてないが、吸えないワケではない。キツいと分かっていればそれなりの吸い方があるのだ。喉にこないように吸い込むと、今度は頭がくらりと揺れた。
「あ〜、ダメ。限界」
無理をするのは止め、煙草を灰皿に押し付けビールを呷った。少ししか残っていなかったためか、思わず握り潰してしまった。
もう一度冷蔵庫に行き、ビールを開けた。ほとんど一気に飲み干すと、テーブルの上に置き、バックを開けた。
バックの奥に隠れるように仕舞われていた箱を取り出した。以前美智恵から渡された母の愛である。箱を開け、中身だけ取り出そうとするが、ふと手が止まった。
(相手は横島君よ……一回や二回で済むと思う?)
変な情報のせいで、かなり知識が歪んでいた。箱を閉じ、そのまま立ち上がった。
焦っていたのであろうか。テーブルの角で小指をぶつけた。声を出さずに足を抱えるとのたうち回った。ぶつけた場所も、ぶつけた指もまったく同じであった。
テーブルの上に置いていたビールで小指を冷やしながら、母の愛を片手にベッドルームへと向かった。
ベッドまでたどり着くと、残り少なくなったビールはすぐに温もってしまった。残りを飲み干し、ゴミ箱に入れると枕の下に蓋を開けた母の愛を置いた。そして枕元にあるスイッチで部屋の電気を消すと、ベッドの中に入り、珍しく真ん中で堂々と寝ることはせず入り口の方のスペースを広く開けておいた。
ベッドの中で身体が丸めていた。緊張のあまり身体が縮こまっているのではなかった。小指の痛さで、足を抱えていたのである。
それが幸いなのか不幸なのか分からない。だが、横島がバスルームからでてくるまでの時間を緊張しないで過ごせたようではあった。
バスローヴに着替え、バスルームからでてくると部屋の灯りは消えていた。
ソファーに戻ると、令子の姿はなかった。
(しまった!すでに寝てるのか? 微妙な計算をやり直さないといかんのに)
かろうじて火傷はしなかったは、まだ足が痛いことには変わりはない。予定しておいた位置からのジャンプでは、迎撃される可能性がでてきたのだ。微妙な計算をし直すために、もう一度確認しておきたかったのだ。
ソファーに座り、煙草を手にすると、最後の一本になっていた。灰皿に目をやると、長めの吸殻があった。ルージュの跡はついていなかった。
(どう立て直すか……動きやすいように着替えるか?)
いざというときに行動しやすいようにバスローヴを着てきたことを激しく後悔した。
(いや、今着替えたのなら音がたってしまう。寝てからそう時間は経ってないはずだ。眠りが浅いはずだから、気づかれる可能性が高い)
かなり真剣に考えているようで、顔はシリアスそのものだった。
(さて……どうする)
紫煙をゆっくりと吸い込み、思考の海へと潜ろうとした。
「こっち来たら? 風邪ひくわよ」
シーツを頭から被り、声をだした。
横島がバスルームから出てきたことは知っていた。時間をかけているのは、おそらく自分が完全に寝たのを確認してから襲うつもりであろうと推測していた。襲い掛かられるのはいい。それこそ自分が望んだものだ。だが!ここに誤算が生じた。もし襲われたときに足を踏まれたら、反射的に殴ってしまう。そうなるとこの計画は水泡に帰してしまう。
悪霊、いや悪魔と対峙したとき以上に勇気を振絞った一言である。もちろん顔は茹蛸状態である。
「いいんスか?」
そういいながらも、信じていなかった。いや信じられるわけがなかった。
「いいも何も、仕事に支障をきたしたくないだけよ」
確かに明日も東京で仕事である。この地方都市から帰ることを考えれば、睡眠は必要である。
(ピートが前に言ってたよな。マフィアは命を狙う相手に贈り物をするって……)
ホテルに着てからの令子の態度を思い返すと、いつもとかなり違っていた。自分がまったく違った行動をしていることは、棚の上である。
(罠だ、完全な罠だ……だが罠など食い破ってこその漢ぞ! ここで罠から逃げてどうする、気合だ横島忠夫! 燃えろ横島忠夫!!)
妙に力の入った指先で煙草を灰皿に押し付けた。潰れた空き缶が倒れた。静かな部屋に音が響いた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
声にならない叫び声をあげ、二人同時に体が飛び上がった。
ベッドルームに向かった。
足音は聞こえないが、雰囲気で近づいてきているのが分かった。シーツに包まった令子は心臓が頭にある程にうるさく聞こえていた。
(静まれ静まれ静まれーーー!! 聞こえちゃう!!)
横島も心臓は破裂寸前である。どんな罠が待ち構えているかもしれない。まるでリヴォルバーでなくオートマチックでロシアンルーレットをやっている気分になっていた。
(それでは失礼しま〜〜〜す)
口だけ動かしシーツをあけた。
令子は高鳴っていた心臓が一瞬止まったような気がした。
(ダメ! 向こう向けない、どーしよう)
どういう顔をしているのか顔をみたいのだが、羞恥が邪魔をして見ることができない。一応、乙女なのである。
入ってしまうと、二人ともピクリとも動かなかった。いや動けなかったという方が正しいであろう。少しでも動いたら、シーツから音が立ち気づかれてしまう。妙な緊張感が漂った。
「ねぇ、横島君」
口火を切ったのは令子の方であった。まさか本当に寝てしまったのか? という疑念が彼女を行動へと繰り出したのだ。
「なんスか?」
(良かった……起きてた)
(あ〜! つい返事しちゃったよ!)
かなり広いベッドであった。体が触れるようなことはなかった。
(もう少し、真ん中にいくべきだった)
二人同じことを思ったのはいうまでもない。
さて起きていることを確認したはいいが、話すことなど何もなかった。
(ヤバっどうしよ……ネタネタネタ!!)
慌てて話のネタを探した。思いついたのは仕事のことであった。
「今日の仕事どう思う?」(あ、バカ! 焦って墓穴掘ってどうすんのよ!)
今日の仕事は、ほとんど仕込みである。取調で自白させられてしまう容疑者の気分になった。
「どうって?」(やっぱり何かあったのか!? えらく簡単だったんで、凡ミスしたような気がするんだよな?)
「どうって……何も感じなかった?」(もうヤケヤケ!!気づいてないって言えっ!)
(やっぱりミスか!?)
仰向けに寝ていた横島は、隣を向いた。令子は背中を向けたままであった。動いていない背中を確認すると、息をついた。
「そうっすね……えらく簡単だった気がします」
「……そう」
よかった、気づいてない……と同じ言葉を思いながら、同時に息をついた。
随分と広いベッドだ―――見た目以上の距離を感じると横島は目を瞑った。
潮騒が二人の間を遮るようであった。
(距離が遠い……どうやってこの距離を埋めるか)
仲良きことは良きことかな。またしても同じことを考えていた。
(自然に、自然に近づく)
寝返りをうてばよい! そう考えると、ベッド中央に目掛け寝返りをうった。
まったく同時に。
目を開けたいが開けることはできなかった。
(近すぎだーーーー!!)
二人同時に元の位置に戻った。
(あーびっくりした、びっくりした!!)
息が合いすぎているのも考えものである。
これはマズいと思ったのか、お互いに間合いを取った。
先に動いたのは、やはり令子であった。この計画に対する執着が違う。
体を起こし、僅か数十センチ先に寝ている(フリ)横島の側に移動しようとした。
手を伸ばせば届く距離である。伸ばしかけた手を戻した。
(焦っちゃダメ、こんな時に女が先に行動してどうすんのよ。相手は横島君よ、横島君なのよ。私だけに向かえばいいけど、調子にのって他所に手を出しまくるに決まってるわ)
そんな男に執着している自分は棚の上においている。
元の位置に戻ると、当初の計画通り横島が襲ってくるのを待つことにした。
今度は横島が体を起こした。
(行くっきゃないだろう!! 誘いだぞ誘い!! こんな美味しい話二度とないかもしれんのだぞ)
僅か数十センチ先に寝ている(フリ)令子の側に移動しようとした。
手を伸ばせば届く距離である。伸ばしかけた手を戻した。 (いや待て待て……美味しいからこそ気をつけないといかん。このせっかくのチャンスを潰すワケにはいかんのだ!)
もう一度作戦を練り直すために、元の位置へと戻った。
また令子が体を起こした。
(ちょっと待って。ママは行動を起こしたからこそ結婚できたわ。あのママがよ!? やっぱり今の時代は行動あるのみよ)
僅か数十センチ先に寝ている(フリ)横島の側に移動しようとした。
伸ばして掛けた手をまた戻した。
(今の時代じゃないじゃない! ママが成功した時代って、私が生まれる前じゃないの)
元の位置に戻り、待ちの姿勢に戻った。
また横島が体を起こした。先ほどと同じ行動をとる。
(ほらいけ!今いけ!すぐいけ!!)
手をじりじりと伸ばすが、その手は元の位置へと戻される。
精霊石のイヤリングが目に入ったのだ。
(いかん!こんなじっくり行っていては、煩悩で精霊石が暴発してしまう!)
過剰なまでの心配をすると、元の位置に戻り作戦練り直しに入った。
またまた令子が体を起こした。
(そうよ、元々はシロがあんなことするから思いついたんじゃないの。だったらシロみたいに、甘えちゃえばいいのよ)
一息つき飛び掛ろうとしたが、腕が伸びなかった。気になって自分の体を見るとバスローヴの帯が解け、自慢のものが露出していた。解きやすくするために、緩く結んでいたのが原因のようである。
(きゃー!きゃーーー!! このまま飛びついたんじゃ、痴女じゃないの!!)
慌てて元の位置に戻り、帯を締めなおした。
それから二人は、わけのわからない攻防をお互いに繰り返し、気がつくと午前3時をゆうに回っていた。
1時間もしないうちに東の空も明るくなってきてしまうだろう、初めてが朝日の中というのは絶対に避けたかった。
作戦もクソもあるか! もういくしかない!!!
開き直り、弾けるように体を起こした。
まったくの同時であった。
お互いに目を合わせたまま、口さえも開かない。いや開けないといった方が正しいであろう。
目蓋さえも動かせなかった。どうやってこの状況を収拾するのかさえも分からなかった。
枕元の携帯が鳴った。
その音に二人の体が大きく跳ね上がった。ようやく動けるようになった令子は、電話を手にとった。発信先は九馬であった。
「……はい」
携帯を切るのを忘れていたのを後悔しつつも、怒りの矛先を携帯に向けた。
『また出たーー!!今度は本当に出たーーー!!札からぶわーーーーっていっぱいでてきたーー!!』
本当もクソも、昨日も出ていたのは本物である。だがどうやら安い護符を使ったのが祟ったらしく、隙間から這い出てきたようである。しかも横島も貼り方をミスしているようである。
こちらのミスには違いなく、携帯を持つ手に力が入った。
「……分かりました。すぐに伺います」
電話を切るが、力を込めすぎたために砕けてしまった。
(やっぱミスってたか)
横島は苦笑するしかなかった。
横島も確かにミスはしている。だが、ケチった護符を使ったのは自分である。それを教えていれば、ミスをすることはなかったであろう。
ただ浮遊している霊である。放っておいても問題もないのだが、仕事して引き受けた以上そういうワケにもいかなかった。ましては問題無しと放っておいては、この仕事自体が仕込みだとバレてしまう。
「行きましょうか」
あまりの出来事に二人は同じ場所で着替えていた。
(せっかくのチャンスが……)
半べそかきながら着替え終えると、荷物を手に肩を落として部屋をでていった。
母の愛と友情の証はそのままに……
その後、二人の怒りは霊と九馬にぶつけられたのは言うまでもない。
雪之丞の推測が終るころには、横島は一升瓶を抱きしめて潰れていた。
「まぁこんな感じだろうな」
「そうでしょうね……」
自分が渡した友情の証を使うことなく終った悪友に、寂しそうな目を向けた。
「男だからある程度仕方ねぇとは思うが、こいつの場合……」
一方、美智恵も話しながら潰れてしまった令子に向かい、思わず溜息をついた。
「不器用なのも程があるわね……まったくこの娘は」
起きているときにはいえない言葉をかけると、ウィスキーを呷った。
「順番くらい踏め(なさい)……告白が先だろうが(でしょう)」
世話を焼いた二人の叫びが、横島と令子の耳に届くことはなかった。
―――おしまい―――
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