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予期せぬ客人

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「予期せぬ客人」
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「うわっ、好美ねーちゃん!卵焦げてる!」
「えっ!? 薫、んじゃ、こっち見てて!」

明石薫の実家のキッチンでは、大騒ぎが起こっていた。

「ちょ、ねーちゃん、今度は鍋吹いた!!」
「なんでぇ!?IHヒーターなのにー!」

慌ててヒーターの電源を切る薫の姉、グラビアアイドルの明石好美。

「つか、ねーちゃん、一気にあれこれやり過ぎだってばさ!」
「だぁってぇー、やっと『キッチンですよー!』出演のオファーが来たんだよ? これは
チャンスよ!」
「何の?」
 
妙に気合いが入る好美に、薫は不思議そうに聞く。

「ちゃんと料理も出来るって事、アピールして家庭的なイメージを作りあげるのよ! 
只のコスプレ・グラビアアイドルはもう卒業するわ!」
「付け焼き刃でなんとかなるもんかねぇ?」
「うるっさいわね、なんとかして見せるわよ!」

腕をまくる好美だが、結果としては惨たんたるモノだった。
炭と化したトンカツ、伸びきったパスタ、原型を留めていない肉じゃが。
料理ガイド本片手に奮闘するも、プロデューサーから渡された課題料理リストのほとんど
にバツ印が付きそうな勢いだった・・・というか、もう付いている。

「あんたたちー、ほどほどにねー、掃除が大変だからー」
薫と好美の母にして、女優の明石秋江が、リビングのソファーで寛ぎながら声を掛けた。
ファッション雑誌を眺めながら、すでにキッチンに立つ事は諦めている風情だった。

「つか、かーちゃんは掃除しないだろ!」
「あったりまえじゃない、使った人が片付けるのは、我が家のルールよー」
薫のツッコミを軽くいなして、秋江はのんびりと雑誌のページをめくる。

「まったく、ねーちゃんもかーちゃんも、相変わらずだなぁ」
思わず愚痴をこぼす薫だが、久々に3人揃っての団らんは楽しんでいる様だった。

「次は中華しばりよー!」
「えー!まだやんのか!?」
「あたりまえじゃない、でないと晩ご飯が食べられないわよ!」
「げーっ!これ食えってか!」
「だから、もっとマシなの作るから手伝ってよね!」
「ああ、もう好きにやりな」

ガックリと肩を落とし、好美の後に従う薫。
最悪、サラダだけになってしまう事を予想しながら・・・


「ピンポーン」
 
その時、玄関のチャイムが鳴った。
午後8時は過ぎている。予定されている来客はないはずだ。
薫はとっさに表情を引き締め、玄関に向かおうとすると・・・秋江が先に動いていた。

「かーちゃん!?」
「私が出るから大丈夫よ、薫は好美を見てあげて?」
「でも、この間みたいな不審者だったら・・・」
心配そうな薫に秋江は微笑みを返す。
「だったら、すぐに薫を呼ぶから、ね?」
「・・・分かった、そうする・・・」

渋々キッチンに戻る薫、だが程なくして秋江の声が聞こえてきた。

「薫ちゃーん、ちょっとー!」
「ほら見ろ、いわんこっちゃない!」
踵を返して玄関に向かった薫。

「かーちゃん!どうかした!?」
走り込んで来た薫に、秋江は静かに微笑んだ。

「お友達が、来られたわよ?」
「友達!?」
 キョトンとなる薫、この実家の場所は公にはされていないはずなのだ。バベルの関係者
や、葵、紫穂、皆本達の他に知る者はいないはず。ちさとや東野にも秘密なのだ。

「どうも・・・」
秋江の影から現れた小柄な少女。
長いブロンドの髪を無造作に束ね、勝ち気そうな瞳を湛えたその表情は、複雑な想いに彩
られていた。

「み、澪!?」
その姿に、薫は慌てて澪の襟首を掴み、玄関ドアの外に連れ出した。

「あんた、なんでここを!」
「ふん、パンドラの情報網は、あんた達のプライバシーぐらい把握してるわよ」
澪はつっけんどんに言う。
「メガネ男の家に行ったけど、あんたいなかったし、ここかと思ってさ」
「なんであたしンちなんだよ! 用があるなら呼び出せ! かーちゃんとねーちゃんには
関係ないんだろ! つか、もし手出しすんなら容赦しないぞ!」

 凄む薫に、澪は肩をすくめる。
「そーんな気、毛頭ないわよ。ノーマル相手に無駄な力は使わない様にしてるから」
「じゃ、なんで・・・ウチに?」

「ちょっと・・・ね。少佐とケンカしちゃった」
「へ?」
 バツが悪そうに澪は視線をずらす。
 兵部少佐を慕う澪が珍しい事だと、薫は目を丸めた。

「だから・・・なんだか居場所がなくって・・・」
 澪は後ろ手に持っていたディバッグを揺らす。

「だったら、どっかネットカフェにでも行ってろよ、なんであたしンとこに・・・」
「それは・・・」
 言いよどむ澪がじれったい。

「薫ちゃん、どうしたの?」
 開けたドアから、ひょいと秋江が顔を覗かせた。
「あ、いや、こいつさぁ・・・」
「薫ちゃんのお友達なんでしょ? 上がって貰いなさいよ」
「え? でも、かーちゃん・・・」
「ウチは構わないわよ? 立ち話もなんだし、いらっしゃいな、あなた」

 秋江は優しい微笑みを澪に向ける。
 澪は薫を見やった。

「ちぇ、かーちゃんがそう言うならしょーがないなー。来いよ、澪」
「うん、ありがと」

 妙におとなしく薫に従う澪。
 ふと、薫は澪に耳打ちした。

「おい、おまえがエスパーだって事、気取られるなよ」
「え?」
「ウチん中では非常時以外、超能力禁止なんだよ。これがルールだ」
「わ、分かったわよ、そんなに怖い顔しなくても・・・」
 真剣な横顔の薫に、澪はそれ以上、何も聞けなかった。


 ***


「お邪魔しまーす」
 澪が再び玄関口に入ると、バタバタと足音と香ばしい匂いと共に、好美が走って来た。

「出来た出来た出来たーーー!!」
「んだよ、ねーちゃん、うるさいなー」
「チャーハン、上手く出来たよ、ほら、焦げてないっ!」
 得意げにフライパンの中身を見せる好美。

 くぎゅぅぅぅぅぅぅ。

 と、奇妙な音が鳴り響いた。

 顔を見合わせる秋江と薫。
 恥ずかしそうにうつむく澪が、発信源だった。

「くすっ、おなか空いてたのね?」
 秋江が澪の肩を抱いた。
 真っ赤になる澪。

「っと、あら、お客さん?」
 澪の姿を見て、好美は微笑む。

「あ、えっと、こいつ、隣のクラスの奴で・・・」
 慌てて取り繕う薫。

「お名前は?」
 好美の問いに、澪はやっと顔を上げる。

「澪、です」
「澪ちゃん、ね。可愛いお名前だわ」
 秋江は、とん、と澪の背中を押す。
「さ、どうぞ、もうすぐちゃんとしたご飯が出来そうよ?」

「ちゃんと、ってどういう意味よ!」
 憤慨する好美。
「そのままの意味じゃん、ねーちゃん頼むぜ?」
「じゃ、薫、手伝ってねー」
「・・・やっぱしか。じゃ澪、ちょっと待ってろよ」
「うん・・・」
「こっちにどうぞ、澪ちゃん」
 秋江は澪をダイニングへと導き、好美と薫はキッチンへと向かった。

 チャーハンで勢い付いた好美の料理が、次々とテーブルの上に並ぶ。

「まずは、チャーハン、で定番の餃子。ほら、温かいうちにどうぞ!」
 澪の前に小皿に取り分けられたチャーハンが差し出された。

「じゃ、えーと・・・いただきます」
 澪は一口、チャーハンを頬張る。
 好美がじっと見守っている中で。

「おいしいっ!!」
 澪の一言で、好美は破顔の笑みを浮かべた。
「ホント!? 嬉しいっ! 澪ちゃんどんどん食べてね!」
「はい!」
 澪も嬉しそうにテーブルの上に手を伸ばす。

 リベンジの黒豚トンカツ、マスタードタラモサラダサンド。
 カリモフのメロンパン、何だかとりとめのないメニューだったが。

「ふうん、あいつ、あんな顔する事あるんだ・・・」
 薫はキッチンから、好美と秋江に囲まれている澪の様子を伺う。
 こうして見ると、澪も普通の少女と変わらない。
 とてもバベルと敵対しているパンドラに所属し、あまつさえ薫とも幾度となく対戦した
相手だと思えなかった。
 「よっと!」
 薫はフライパンの中でチキンライスを炒め、薄く焼いた卵焼きで包んだ。

 「ほらよ、おまたせ」
 澪の手元に、ケチャップで「MIO」と文字が書かれたオムライスが届いた。
 「・・・これ、あんたが作ったの?」
 「おう、最近、皆本に料理習ってんだ。上手く出来たと思うぜ」
 澪は一口、食べてみる。
 「・・・一応、食べられるわね」
 「んだと? 失敬な」

 頬を膨らませる薫に、秋江はにこやかに微笑む。
 「さ、薫もテーブルに付きなさい、あとは好美にまかせて」
 「大丈夫かな?」
 入れ替わりにキッチンに入った好美の後ろ姿に、薫は不安を隠せない。

 しかし、しばらくして元気な声の好美が戻って来た。

 「タコス、出来たじぇ!」
 「ねーちゃん、それ、何のネタだ!」


 ***


 思いがけず、賑やかな食卓になった。
 薫は当初こそ澪がボロを出さないか、内心ハラハラしていたが、和やかに秋江や好美
と談笑する姿を見て、それが杞憂だと知った。

 澪には、初めて会った時の刺々しさは、今は見られない。
 おそらくパンドラの仲間たちと過ごして来た時間が、澪の心をほどいたのだろう。
 自分が皆本と出会い、その心を緩めてきたのと同じ様に。

 楽しいお喋りは時間を過ぎるのを忘れさせる。
 いつの間にか、午後10時を過ぎていた。
 
 「澪、おまえそろそろ帰れよなー」
 「え?」

 不意の薫の言葉に、澪は表情を強ばらせる。
 「そろそろ、心配してる頃なんじゃねーか?」
 誰か、とはあえて言わなかった。
 「う、うん・・・」
 リビングのソファーに沈む澪は、心なしの生返事だ。

 そんな澪の様子に、秋江は何かを感じ取った。

 「澪ちゃん、今日はウチに泊まってく?」
 「へ?」
 「えっ! かーちゃん! 何言ってんだよ?」

 驚く薫に、秋江はなんてことない風な表情を向ける。

 「だって、もうこんな時間だし、女の子だもの、追い出すワケにはいかないでしょ?」
 「でも・・・」
 「それに、澪ちゃん、プチ家出してきたっぽいし」
 秋江のウインクに澪は、思わず部屋の隅に置いたディバッグを見やる。

 「ほーら、正解。そうなんでしょ? 澪ちゃん」
 秋江の問いに、澪は小さく頭を縦に揺らす。

 「はー・・・だからってウチに来るこたあ・・・」
 「薫も友達だったら、その辺りは察してあげなさい。年頃の女の子には色々と事情が
あるものよ?」
 「居場所がないって、そーゆー意味か・・・」
 口を尖らせる薫に、澪はすっかり借りてきた猫状態だった。

 「親御さんには連絡しておいた方がいいわね、澪ちゃん、自分で出来る?」
 「あー! それはあたしがする! 同級生の方が向こうも安心するだろうし!」
 慌てて手を挙げる薫に、秋江は目を丸くする。
 「あら、そう? じゃお願いね、薫ちゃん」

 「了解。じゃ澪、とりあえずあたしの部屋に来いよ」
 「え? いいの?」
 「いいも悪いもねーだろ、こーなりゃ!」

 澪の手を引き、部屋に向かう薫を、秋江は物静かに見守っていた。


 ***


 「全く、予想外だ」
 「・・・ごめん」

 薫の部屋で、しょげる澪に薫は頭を掻く。

 「普通でいいよ、もう」
 「え?」
 「なんかこう・・・いつもの澪じゃないと調子が狂う」
 「何よそれ! いつもの私ってあんたにどう見えてんのよ!」
 くわっと声を荒げる澪。
 「そうそう、そんな感じ」
 ニヤリと笑う薫。
 「・・・ったく、からかわないでよね!」
 憤慨する澪は、いたずら坊主の様に屈託ない薫の様子に、全身の力が抜けた。

 「全く・・・あんたみたいなのが将来、パンドラのボスになるなんて・・・」
 「ああ、またその話か」
 「他人事みたいに言わないでよね」
 「まだ、他人事だよ。未来なんていくつも可能性があるんだ、そのうちの一つが示され
てはいるけど、それは決定した事じゃない。あたしは、それを信じるには証拠がない」
 「大勢のプレコグが、それを示唆していても?」
 「今まで、そういった予知をあたしと葵、紫穂。それにバベルのエスパー達がいくつも
覆してきている。その事実のほうが大事さ」
 
 薫は天井を仰ぎ、ぽつりと呟いた。
 「それにもし・・・あたしがパンドラのボスになったとしても、ノーマルと戦争すると
は限らないしさ」

 澪が薫のその表情に、何かを読み取ろうとした時、部屋のドアがノックされた。

 「どーぞー!」
 のんびり薫が応えると、ひょいと秋江が顔を覗かせた。
 「どしたの? かーちゃん?」
 
 「薫ちゃん、久しぶりに一緒にお風呂に入んない?」
 と、にっこり笑顔。
 「えー、あたしはもういいよー」
 「ちぇー、つまんないなー・・・あ、じゃあ澪ちゃん、一緒にどう?」
 「ほへ!? わ、私!?」
 突然の誘いに澪は動転した。
 
 「おー、そーだ。澪、おまえがかーちゃんと風呂入れよ」
 「な、なんでっ!?」
 「女優・明石秋江のフルヌードなんて、金払っても見られないぜ?」
 「そーよ、澪ちゃん、このチャンスを逃す手はないわよ?」
 部屋に入ってきた秋江に腕を掴まれ、澪は戸惑う。
 「いや、あの、ちょっと・・」
 薫は、澪のディバッグをすかさず投げた。
 
 「いってらっしゃーい!」
 「え? あの? でも? えええっ!」

 半ば引きずられる様に澪は、秋江と風呂場に向かう。

 「ま、驚いてこいや」
 薫はまた、いたずらっぽい笑顔で見送る。

 「さて、あいつの布団でも用意するか」
 薫は部屋のテーブルを隅に追いやり、スペースを作った。

 「ねーちゃーん! 予備の布団ってどこだっけー!?」
 薫が好美に手伝ってもらい、澪の布団を敷き詰めてからしばらく。

 澪がタオルを頭に巻き、上気した表情で薫の部屋に戻ってきた。
 その口元は、正三角形に固定されていた。

 「どーだー、凄かったろ、ウチのかーちゃん」
 「あ、あ、あ、あれ、人間の身体なの?」
 わなわな震える澪。信じがたい光景を見たらしい。

 「おうよ、とても子持ちにゃ見えんだろ、あれでどっこもいじってない100%ナチュ
ラル・ボディだぜ?」
 「あの、ぼんっ、きゅっ、ぼんっ・・・・」
 既に澪は上の空だ。
 「彫刻像でも、あんなの見た事ない・・・」
 正にパーフェクト・ボディ。明石秋江ここにありを見せつけられたのだ。
 「どーなったら、あんなになれるのかな・・・?」
 少しは成長したとはいえ、まだ幼さが残る自分の身体を見やる澪。

 「まー、偏食やめればいいんじゃね?」
 薫はそう言うと、すっと立ち上がった。
 「あたしも風呂入ってくる、布団敷いたから、寝っ転がってテレビでも見とけや」
 「う、うん、ありがと・・・」

 澪と入れ替わりに薫は部屋を出た。
 敷かれた布団に座り込み、テレビを点けた澪だが、バラエティ番組のグラビアアイドル
の水着映像に、思わず呟いた。
 「私も・・・頑張ろう」


 ***


 「悪りー悪りー、飲み物持ってくんの忘れてたわ」
 風呂上がりの薫が、ペットボトル2本を持って戻ってきた。

 「オレンジとコーラ、どっちがいい?」
 「えーと、じゃ、コーラ」
 「ほいよ!」

 薫からコーラを受け取り、澪は喉を潤した。
 「ふう・・・」
 すっかり寛いだ様子の澪だったが、ふと表情を曇らせた。
 「どした?」
 薫は、それを見逃さなかった。

 「いや・・・世話になってて言える立場じゃないけど・・・」
 口ごもる澪に、薫は息を付く。
 「今更なんだよ、もうぶっちゃけちゃいな。今日は敵味方関係なしで行こうぜ」

 「じゃ、言うけど・・・」
 「おう」
 「やっぱり、あんたの事、憎たらしい」
 「おおう、ズバリだな」
 ニヤリと薫はほくそ笑む。
 澪の表情には、まだ迷いが見えたのだ。
 しかし、勢い付いた澪の言葉は止まらない。

 「あんたは、幸せな家族を持ってるし、優しい仲間や大人たちに守られている。んで、
将来はパンドラや他のエスパーのリーダーとしての地位が予定されている・・・」

 キッと澪は薫を見据えた。

 「なんか、不公平。あんたの為に私たちが今、奔走してる事がバカみたい」

 真っ直ぐな澪の視線が薫を捉える。
 しばしの沈黙。

 薫は、そんな澪の言葉を受け止めた上で、微笑んだ。

 「で、本音は?」
 
 薫には見透かされていたと知った、心の奥の思い。
 澪は、むくれっ面で視線をずらす。

 「・・・あんたの事、羨ましい」

 「・・・そうか」

 薫はそんな澪に静かに語る。

 「あのさ、ウチに入る時、エスパーだって事、隠せって言ったよね?」
 「うん?」

 「あれさ、かーちゃんとねーちゃんの為なんだよね」
 「え?」

 「家ん中に、猛獣が二匹いるって、怖いよね?」
 薫はゆっくりと天井を仰ぐ。
 「今でこそ普通に振る舞っているけど、昔、あたしがまだ力のコントロールが出来てな
い時に色々と迷惑かけた時期があって・・・実の所、まだあたしの事、怖がってるんだ」

 「え? ずいぶん仲良さそうにしてたじゃない?」
 「そりゃ、かーちゃんもねーちゃんも、演技上手いからさ」
 「演技?」
 訝しがる澪。

 「そう、そーっと機嫌を損ねない様に、刺激しない様に気にしながら」
 空しい笑みの薫。
 「だから、あたしの本音としては、澪がいてくれて助かったって感じかな?」
 「どういう事?」
 「澪が居たら、あたしもやたら無茶はしないだろうって思ってたんじゃないかな?
かーちゃんもねーちゃんも」

 「あんた、そんなに怖がられているの?」
 「噛まれた事実は、心に残るんだよ。何年経ってもね」

 「だから、家族がいても幸せだとは限らない」
 薫の言葉は重い。

 「で、こうなったら避けては通れない未来予知の話もしよう」
 薫は澪に向き直る。

 「澪、あんたはあたしが将来、パンドラのリーダーになるって予知、どこまで信じてる
んだ? 本当にあたしがノーマルと戦争するって、そう思う?」
 「って、そういきなり言われても・・・私も少佐からあんたがクイーンになって、パン
ドラを導いてくれるんっだって聞いているだけだし・・・」

 「そう、あたしにも分かっている事はそれだけ。京介や皆本、ばーちゃん辺りは何か隠
してそうだけど・・・ま、今んところは関係ないし」
 薫は腕を組んだ。
 「未来予知の確率、バベルでも研究しているんだけど、そう高い確率の事柄は意外と少
ないし、ウチらチルドレンだけじゃなく、高超度エスパーで対応できる範囲なんだよね、
それぐらい信用度の高くない予知、それももっと先の事なんてわかりゃしないとは思うん
よ、あたしは」

 一気に喋った薫は、オレンジジュースを飲み干した。

 薫の言葉を受け、澪も静かに語りだす。
 「これはウツミさんや少佐から聞いた話なんだけど、人間には『集合無意識』ってのが
あって、これは人が何人か集まれば『予想しうる物事』が曖昧な形で浮かび上がってくる
みたいなんだって、その統計を取ると、いくつか共通する事象が重なってある程度のコン
センサスを得る事が出来る。パンドラは、それがエスパーの役に立ちそうな事なら惜しま
ず研究や実験を行う。その為の資金集めやら研究過程は非合法な事もあるけど・・・」

 「ダメじゃん、それ」
 「仕方ないじゃん、バベルみたいに堂々と施設造れないんだから!」

 「結局、やってる事に大きな差はないって事なのかもな・・・」
 「うん、そうかも・・・」

 「でも、あたしはノーマルと戦争したって得るものはない気がする」
 薫は呟く。
 「かーちゃんやねーちゃん、皆本や他のノーマルの友達を傷つけたくはない」
 薫の瞳に、強い意志が宿る。

 薫は澪の布団の上に、大の字になって寝っ転がった。
 「つか、みんなヨチヨチうるさいんだよ! あたしは赤ん坊かっての!」

 ぶうたれる薫に、澪はぷっと吹いた。
 「まー、それだけ期待されてるって事じゃないの?」
 「んなの、いらん!」

 「そうだ!」
 薫は急に起き上がると、机の上のノート一冊とペンを澪に手渡した。
 「何?これ?」

 「今から何が起こるか、予知してみないか?」
 「そんなの無理よ、私プレコグじゃないし。」
 「専門外だからこそ、ピンと来るモンがあるんじゃないか?・・・例えば・・・・
このコーラをひっくり返してこぼす。とか?」
 「そんなモンでいいの?」
 「いいんじゃない?」
 「んじゃ・・・それで」

 と、澪がノートにペンを走らせている途中に、薫はペットボトルを奪い去り、残って
いた中身を飲み干してしまった。
 
 「ちょ、あんた!何すんのよ!」
 「げぷ。つまりあたしらバベルがやってる事がコレ。危険を予測出来る事があれば、
その原因を排除する。もし起こってしまった事なら、最小限の被害で抑える。エスパー
でないとなし得ない任務は、たくさんあるからね」

 「その代償は、カラのペットボトルなのね?」
 「ははは、リサイクルして社会貢献しなよ!」

 「怒った! もう一つ、予知してやる! あんたの事について!」
 ムキになった澪は再びノートに何やら書き出した。
 薫は、そんな澪の様子をのんびり眺めていた。


 ***


 ノートに何やら書き留めた澪は、すばやくノートをマットレスの奥に差し入れる。
 「ふふん、これでどう?」
 「どう、って、何がだよ」

 ふんぞり返る澪に、呆れ顔の薫。

 「悔しかったら、当ててみな!」
 「んなの、無理だよ。あたしプレコグじゃないし」
 「そーよね、レベル7たって力業だけのあんたじゃ、大した事ないもんね」
 「言ってくれるぜ」

 ベッドサイドに腰掛け、薫は足をぶらつかせる。

 「ところでさ、澪たちの間では今、何か流行ってる事ってある?」
 「何よ、急に」
 「雑談。もう今日はややこしい話はナシだ」
 屈託のない薫の笑み。
 澪も肩の力を抜く事にした。

 「そうね・・・カズラとかはは最近ネイルに興味があるみたい」
 「おおう、ネイルかぁ。そーいえば紫穂もそんな雑誌、借りて見てたよーな・・・」

 駆け引き抜きの、ガールズトーク。
 年相応の女の子同士の話題は、尽きる事なく楽しく続く。

 時計の針が午前様を回った頃、澪がふわりとあくびをした。

 「お、もうこんな時間か」
 薫は時計を見やると、話題の種となり、散らばった雑誌や漫画を見渡した。

 「そろそろ、寝るか」
 「そうね、今日はありがと、楽しかったわ」
 「どーいたしまして」

 薫と澪が、辺りを片付け始めたその時。

 不意に澪に薫が急接近した。

 そして。

 澪の頬に軽く、薫が唇を寄せた。

 一瞬、時が止まる。

 澪の目が、思い切り見開かれた。

 バサリ。

 持っていた雑誌を取り落とし、澪は後ろに跳び退った。

 「ああああああああああんた! なななななななな何すんのよ!!」

 真っ赤になって頬を抑える澪。
 
 薫は「んー」と、上目遣いで飄々とした表情のまま答えた。

 「ちょっとした余興」
 「あああああああああああんた、バババババババカじゃないの!?」

 驚きやら慌てるやら戸惑いやら狼狽やら、色々入り交じった表情の澪。
 ESP能力さえ使い損ねてしまった様子だった。

 「さっきさ、あたしの事について予知したって言ってたよね?」
 「そ、そんなの忘れてたわよ!」
 
 怒ったような、そうでないような口調の澪。

 「でさ、それ考えてて、絶対ありえないだろう事を考え付いたら、こうなった」
 「こ、こうなったじゃないわよ!」
 「な、所詮予知なんて不測の事態の、それまた思いもよらぬ結果は知る事は出来ない」

 薫は大げさに両手を掲げる。

 「そんなもんにすがってちゃ、ダメだって事さ」

 「・・・だからあんたは、予知なんて当たらないと思っているの?」
 「少なくとも、プレコグじゃない澪の、ならね」

 澪は、先ほどマットレスの下に差し込んだノートを取り出すと、薫に突きつけた。

 「見なさい! コレ、半分当たってるわよ!」

 開かれたノートには一行、こう書かれていた。

 『薫が、何かバカな事をやらかす』

 それを見た薫は思わず笑い出す。

 「あっははははっ! そんなんじゃ当たりって言えねえよ。いつどこでとか書いてない
じゃん!」
 「今日のあんたの事について書いたの!」
 「そんな後付けの言い訳は、意味ないぜ?」
 「だーかーらーっ、もうっ!」

 ぷいと顔を逸らせた澪。
 
 「さ、もう寝ようぜ」
 「え! 寝るってまさか・・・」

 警戒する澪に、薫は肩をすくめる。

 「心配すんな、あたしにその気はねーよ」


 ***


 「じゃ、電気消すぜ」
 「・・・・うん」

 部屋の片付けを終え、薫はベッドに、澪は並べて敷いた布団に横になった。
 
 窓のカーテンから漏れる月明かり。
 すぐに薫は寝息を立て始めた。

 だが、澪はまだほのかに残る頬の温もりに寝付けないでいた。
 今頃になってドキドキしている胸の鼓動も、それに重なって。

 「全く・・・自分にその気がなくても、相手にあったらどうする気だったのよ!」
 心の中で憤慨し、澪はひとりごちる。

 静かに上下する、薫の無防備な寝姿をちらと見やり、澪は呟く。

 「・・・バカ」

 
 ***


 翌朝。

 薫が目覚めた時、既に澪の姿はなかった。
 折り畳まれた布団の上には一冊のノート。

 開かれたページには、太いマジックで『バーカ!』とだけ書かれていた。

 「全く、あいつは一宿一飯の恩義を知らないのか・・・」
 ふっ、と薫は頭を掻きながら微笑んだ。

 あくびをしながら薫がリビングに向かうと、秋江の姿があった。

 「かーちゃん、おはよー」
 「おはよ、薫ちゃん」

 テレビには朝のワイドショー番組が映っていた。
 たわいもない芸能界情報。秋江はつまらなさそうにそれを見ていた。

 「澪ちゃん、ちゃんと帰ったみたいね」
 「へ?」
 秋江は、一枚の便せんを差し出した。

 『お世話になりました、ありがとうございます。澪。』

 丁寧な字の書き置きに、薫は口を尖らせる。
 「なんだよー、この扱いの差は・・・」
 ぶつくさと嘆く薫に、秋江はにこりと微笑んだ。

 「あの子、澪ちゃんってエスパーなんでしょ?」
 「げ! なんで!?」

 あいつ、どっかでボロを出したのかと薫は慌てた。
 
 「いや、その・・・」
 「でも、バベルの子でもない。そうなんでしょ?」
 「うげ! かーちゃん、なんで!?」
 「ふふん、女の勘と女優の洞察力をなめちゃダメよ?」

 かと言って秋江は、別にそれを咎める風ではなかった。

 「かーちゃん、それ知っててなんで・・・?」
 「うん、それはね、澪ちゃんが薫ちゃんを頼って来てくれたからよ?」
 「え?」
 「一目見て、ああこの子はエスパーだって分かったの、でも、そう悪い子じゃないって
のも分かった。最初、不安そうな表情だったけど、薫ちゃんを見て表情が和らいだのよ?」
 「あれ・・・で?」

 どう見ても仏頂面にしか見えなかった、昨晩の玄関先での澪。 
 だが、秋江はその微細な心を感じ取っていたのだった。

 「何があったかは、知る必要はないから、私たちはせめて澪ちゃんが和める様にするし
かなかったの」
 「でも、あの・・・」

 薫は思い詰めた様に、秋江に問う。

 「怖く、なかった?」
 「どうして?」
 秋江は首を傾げる。
 「エスパーが二人も、家にいて」

 「全然!」
 秋江は、さもおかしげに薫を見つめる。
 「澪ちゃんが悪そうな子だったら、薫ちゃんが助けてくれるでしょ?」
 「そりゃ、そうだけど・・・」
 「じゃ、何の心配があるってのよ? ご飯食べてお喋りして、とても楽しかったわ」
 
 それでもバツの悪そうな薫を、秋江は手招いた。
 側まで来た薫を、秋江は優しく抱きしめた。

 「ちょ、かーちゃん!?」
 「かあさんね、嬉しかったの。薫ちゃんが人に頼られるまで成長したんだなって」
 「あれはでも・・・」
 「これは薫ちゃんが築いた絆と信頼よ、それは間違いない事実。もっと自信を持ってこ
れからの任務に赴きなさい。そのひとつひとつが、あなたの財産になってゆくのよ」
 「かーちゃん・・・」
 「あなたには未来がある、私たちはその未来を信じる、それのどこが不満?」
 「ありがと・・・かーちゃん・・・」
 薫はしばし、秋江に抱かれてその温もりを感じていた。

 「あ、でもあいつの事、バベルには・・・」
 「報告はしないわよ、まー、規定違反だけど、内緒にしとけば大丈夫でしょう」
 「かーちゃん、それでこそ女だぜ!」
 「薫ちゃんも、段々成長してきてるわね?」
 「ちょ、かーちゃん、どこ触ってんだよ!」

 「おっはよー、あらら」
 はだけたパジャマでリビングに現れた好美は、じゃれ合う秋江と薫に気づいた。
 「いえーい、なかーま!」
 勢い良く飛びついてきた好美と秋江の胸に挟まれ、薫はじたばたする。
 「ちょ、ねーちゃん、苦しいって!」
 うりうりと胸を当てる好美は、澪の姿がない事に気づいた。

 「あれ? 澪ちゃんは?」
 「もう、帰ったよ!」
 「あらー、残念。今日は半オフだから、どっか買い物にでも行こうと思ってたのに」

 ようやく、秋江と好美の間から抜け出た薫が「ふへぇ」と一息つく。

 「まあいいわ。薫、また今度は澪ちゃん連れて遊びに行こうよ、買い物とか色々!」
 無邪気な秋江の笑顔に、薫は微笑む。

 「うん、また今度、誘ってみる!」


________________________________(おしまい)__

 ども、松楠です。

 ソフトな「百合」の要素を含めてみようと思ってましたが、思いの外難航してしまい、
結局、澪と薫の二人語りが前に出た形になってしまいました。
 あと、長くなったので、あちこち削ったので説明が足りない箇所とかあると思います。
 この辺りは今後の課題として、胸に留めて置きます。

 「澪と薫」がキスするだけの話が、なんでこんな事に(笑)
 
 ほっぺにしたのは、ワタシのわずかに残った良心です。
 すいません、肝心な所がヘタレで(汗

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