少女がおりました。
年は十くらいに見え、桜色の着物に同系色の帯を締めています。
その柔和な雰囲気は日向ぼっこをする猫の様です。
とある山の麓の家。
近くに山道が通ってはいるが、地元の人間も滅多に近寄らない場所。
今日は思い切って縁側に出てみました。
黒いおかっぱの切り揃った前髪からのぞくクリクリとした目で、外をじっと見ています。
―今日は何かありそう・・・かな?
夕方、少女は奥の座敷に引っ込むと、お手玉をして遊んでいました。
少し開いた障子戸から、もうすぐ雨が降ると思ったのです。
一夜
『山の天気は変わりやすいからナぁ、気ぃつけんさい』
その言葉を身をもって噛みしめているのは、美神除霊事務所の二人。
すなわち破格の除霊依頼を受け山奥まで出張した挙句、帰りの山道にオープンカーで土砂降りの雨に遭っている美神と、
自分の上着を美神の頭上に掲げる濡れ鼠の横島である。
「だから依頼主さんの忠告をちゃんと聞いていればよかったんスよ〜」
「うっさいわね。ほら、もっと水垂れないように広げる!
まったく、覚えてなさいよあんの天気予報〜」
「はぁ、どこか雨宿りできればいいんスけど・・・」
辺りを見回すも、家一軒見当たらない。
日も落ち雨脚が強まる中、通行人を見つけるのは不可能に近い。
辺鄙な山道だからしかたないとはいえ、美神の機嫌はますます傾いていく。
そしてとうとう山道を下り、麓にたどり着いてしまった。
「ああもう!こーなったら、全速力で人里までフッ飛ばす・・・」
「あっ、待ってくださいっ!家が見えます!」
横島が指差すその先、美神が視線を向けると確かに家があった。
山道入り口を脇に逸れた先、雨でけぶる元は庭や畑だったであろう草地の奥。
かやぶきの大きな屋根に縁側。昔ながらの民芸造りである。
まるで、その家だけ時間が止まっているかのようであった。
「・・・どうします?」
「どうするも何も、雨宿りぐらいはできるでしょ。それとも、ここままびしょ濡れで帰りたい?」
「美神さんはあんまり濡れてませんけどね」
「あぁん、何か言った?」
「イイエ、ナニモ・・・と、とにかく行ってみましょう」
そして、美神は車を脇道へと走らせたのだった。
―誰か、来た!?
少女はお手玉を仕舞うと土間の方へかけて行きました。
『すいませーん』
そんな声が聞こえます。
少女は踵を返すと急いで隣の部屋に隠れました。
そして、家に入ってきた人間を観察し始めます。
「やっぱり誰もいないみたいッスね」
軒下の玄関前に二人は立っていた。
近くに寄ってみたが、人の気配は感じない。一応何度か声をかけてみたが、返事は無い。
あらためて見てみると、所々屋根が朽ちて薄くなっていたり、障子が破けていたりとあまり状態はよくない。
長い間人が住まず、そのまま放置されているといった風情である。
「廃屋・・・か?まぁ、ともかく中へ入ろう・・・寒いし」
全身ぺったりと衣服を張り付かせた横島は心底からそう言った。
「・・・・・・」
だが、美神は家をじっと見上げて動こうとしない。
「美神さん?どうしたんスか」
「・・・何でも無い。さ、中はいりましょ」
「?」
「おじゃましまーす・・・」
一応挨拶をして一行は家の中へと入っていった。
まず目に飛び込んで来たのは、入り口から入ってすぐ地面がむき出しの広い土間だった。
奥のカマドは長い間放置されていたらしく、うっすら埃が溜まっている。
さらに中の方は薄暗く、埃っぽいひんやりとした空気が澱んでいた。
横島が空き家独特の雰囲気に立ち尽くす間に、美神はさっさと一段高い上がりまちから奥に進む。
「あ、待ってくださいよ」
板張りの部屋の中央に四角く区切られた穴がある。
これが囲炉裏であることは横島でも知っていた。
「よーし、これで服が乾かせる」
横島はいそいそと囲炉裏の脇に積んであった小さな薪を中に積み上げる。
「で、マッチとか持ってません?」
返事は、無い。
事務所の人間は誰も煙草を吸わないので、当然火を点ける道具は持ち合わせていない。
「・・・しゃーない、ここは文珠でなんとか」
その時、ごとんと部屋の隅の暗がりで何かが転がった。
「!?」
横島が驚いてそちらを見ると、石が二つ転がっていた。
片方の石には金属の刃の様な物が付いている。
「これ、火打ち石って奴か」
横島が驚いた様に呟く。
「ラッキー、これで火が点けられるな」
しかし横島がこれ幸いと石を拾い上げた後も、美神は部屋の隅をじっと眺めていた。
―・・・大丈夫みたい
少女は囲炉裏に火が灯ったのを見て、ほっと安堵します。
最初は、怖い人が来たらどうしようと思っていました。
でも隠れて様子を見たら、そんなに悪い人には見えません。
不思議な服を着た綺麗なお姉ちゃん
何だか可哀想な雰囲気のお兄ちゃん
―さっきお姉ちゃんの着替えを覗こうとして、薪の角で殴られてたけど大丈夫だったのかな・・・
「まったく、あれは若気の至りとゆーやつで・・・」
縁側で横島はブツブツ呟きながら着替えを終え、上着をギューッと絞る。
これで囲炉裏にあたっていればさっきより幾分マシになるだろう。
相変わらず雨が屋根や庭に叩きつけている。当分は止みそうに無い。
「・・・今日はここから動かない方がいいわね」
火がパチパチと爆ぜる囲炉裏端で、美神はそう提案した。
「そッスね、もう日が暮れちゃいましたし・・・」
戻ってきた横島はそう言って、明かりの役割を兼ねる薪を一本くべる。
当然電気が通って無かった為、明かりは火に頼るしか無い。
ゆらめくオレンジ色の明かりは、数十歩離れると暗闇に呑まれてしまっていた。
「じゃ泊まりって事ッスか?」
「そういう事になるわね。アンタとなんてかなり不本意だけど」
「でもそんな準備なんて無いッスよ・・・」
今回の依頼は日帰りを予定していたため、寝袋などサバイバルができるような重装備は無い。
いくら屋根があるとはいえ、軽装で寝るのはリスクが高い。
「・・・まぁ、残りの着替えをありったけ着込んで固まって寝れば一晩くらい何とかなるでしょ」
そう言って美神は嫌そうにため息をつく。
しかし、横島の脳ミソは急激にフル回転しだす。
(そ、それはつまり・・・
雨に閉じ込められた寒い夜、二人は抱き合って体温の低下を防ごうとしていた。
しかし、非情にも温もりは少しずつ奪われてゆく。
『―寒いわ、横島クン』
美神は細い肩を震わせ、甘えるように体を摺り寄せてくる。
『よしよし、俺が人肌で暖めてあげよう』
ここで俺は彼女を安心させるべく、耳元でそっと囁いてやる。
『横島クン・・・』
彼女の心臓が早鐘のように脈打つのが密着した体から伝わってくる。
そして、美神はこの感情が極限状態がもたらした物だけで無いと気付き始め」
「聞こえてるぞこの妄想バカ!!!」
「ああっ!声に出してしまった!!」
美神の手の神通棍がうなりをあげる。今日はイライラも伴って威力は三倍増しだろう。
「だあぁっ!まっ、待ってください!男なら誰だってこれくらいの妄想の一つや二つ・・・」
「やかましい!!非常時だから共寝もしょうがないと思ってたけどやめた!
私は隣の部屋で寝るからアンタは外で寝てろっ!」
「そんな〜、殺生な〜・・・・・・って、え?」
しまった。美神がそう思った時には手遅れだった。
「・・・い、今、一緒に寝るのも嫌じゃないって・・・」
横島が呆けた様に呟く。
「そ、そこまでは言ってないわよ!」
対する美神は語気を荒げるも、若干否定し切れていない。
「じゃっ、つ、つまり・・・・・・
今夜は俺に体を預けてもイイとゆうぐぼげふぅっ!」
―うわ〜、痛そう
お兄ちゃんの額に薪が刺さってる様に見えるけど、本当に大丈夫かなぁ・・・
「今度節操無しな動きしたら火箸を飛ばすわよ」
「はい、すんません・・・」
「ぐうぅ〜」
「かんにんや〜・・・ん?」
横島がだくだく流血する額を床から上げると、横島に負けないぐらい顔を真っ赤にして美神がお腹を押さえていた。
「・・・・・・な、何か聞いた?」
「・・・ひもじいのはわかりますが、食料の類も無いッスよ」
「はぁ!?べ、別に私は」
くうぅぅ〜
今の音は、美神のお腹が抗議した音らしい。
「俺は空腹に慣れてるからいいッスけど、美神さんには酷ッスね・・・」
「だ、誰が空腹よ誰が!」
「山菜・・・いや川魚・・・・・・いっそ野鳥を」
「人の話を聞けぇ!!」
ガタガタ
「ん?」
横島が音の方を見ると、縁側に通じる障子が半分ほど開いていた。
ふとそのまま外を見た横島は、ある事を思い出した。
「そうだ、あれがあった」
「?」
「ちょっと待っててください!」
横島はそう言い残すと外へ駆け出して行った。
「あ、ちょっと横島クン!
・・・そんな無理しなくてもいいわよ」
雨がまだ降り続く景色に、美神がぽつんと呟いた。
「さぁ、もう煮えたッスよ〜」
囲炉裏の中央で鍋がくつくつとあぶくを立てている。
中には様々な形のじゃがいも。
横島はこの家の前に畑らしき場所があった事を思い出した。
もしかしたらまだ何か農作物が自生しているかもしれない。
はたして、草ぼうぼうの畑から野生のカンでじゃがいもを掘り当てたのだ。
旬はまだ先だが、充分食べられる大きさである。
「いやー、前の住人さんが鍋とか色々残してくれてよかったッスね」
そう言いながら、横島は菜箸でじゃがいもを刺して引き上げる。
「はいどうぞ。塩とかはさすがに無かったので我慢してください」
「あ、ありがと」
美神はまだ湯気の立つじゃがいもを受け取ると、はくりと一口かじる。
「む・・・結構おいしいわね」
美神はじゃがいもをあっと言う間に平らげてしまう。
そして二個目を食べようとして鍋に近寄った所で横島と目が合った。
「何よ?」
「いやぁ、質素なご飯にがっつく美神さんが新鮮で」
横島もじゃがいもを食べながらニヤニヤと笑う。
その途端、美神はわたわたと慌てだす。
「こっ、これは、アンタがわざわざ取ってきたから・・・べ、別にがっついてる訳じゃ」
「ほーお。じゃ、そこの大きいやつは俺が貰いますよっと」
「ちょっとそれは私のよ!」
はっ、と気づいた時には目の前で横島が母親のような慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
「まだまだ沢山ありますから、ゆっくり食べてください」
「・・・・・・・・・・・・はい」
真っ赤な顔でシュンとしながらじゃがいもをかじる美神と言うのも、中々新鮮で悪くないと横島は思った。
―ふふふ、楽しそう
少女は部屋の隅から二人が鍋を囲んでいるのを見ています。
囲炉裏で鍋が煮えてて、その周りには笑顔でご飯を食べる人。
少女はそんな光景を眺める事が好きでした。
なんだか自分もほっこりとした気分になるのです。
―こういうのも久しぶり
最後のじゃがいもを賭けて本気でジャンケンをする二人を見ながら、少女は嬉しそうに呟きました。
「横島クン・・・これはどーゆー事?」
「・・・布団、ですね」
お腹も落ち着くと、特にする事もないので寝るしかない。
そこで美神が隣の座敷に入ると、何と布団が敷いてあった。
一組だけ。
「それに、これ」
「・・・枕が、二つありますね」
「「・・・・・・・・・」」
何とも言えない沈黙が二人を襲う。
―あ、あれ? 何かマズイ事になってるのかな・・・
「美神さん」
沈黙を破ったのは据わった目つきの横島だった。
「な、何よ」
対する美神はこれから来る衝撃に備え、防御しやすく攻撃に移りやすい姿勢に重心を移動させる。
(まったく、これだからコイツは!
どーせ『これは布団でイチャイチャしろとの神のお告げじゃー!』とか言って)
「美神さんは布団で寝てください。自分は囲炉裏端で寝るッス」
「ってええぇぇぇっ!!!」
美神の悲鳴が、空き家に木霊する。
「何スか!?いきなり」
「だって!ル○ンダイブもせずにこんなまともな台詞吐くなんて・・・
はっ、さては偽者!?」
「何でやー!ケダモノじゃなきゃ俺じゃないとでも!?」
「自覚してんなら驚かせるんじゃないわよ!!」
「うわ、即答。 俺だって傷つくんスよ・・・」
あんまりな対応に部屋の隅っこでのの字を書きつついじけてしまう横島を見て、美神は軽く嘆息する。
「悪かったわよ。アンタらしくもない殊勝な態度だからつい・・・」
すると、横島も顔を上げて美神を見つめる。
「そりゃあ普段はアレですけどね・・・
いくらこういう状況でも、男女二人っきりで一緒の布団で寝るのはさすがにまずいッスよ。
それで布団が一組しか無いなら、当然俺は美神さんに譲ります。
それが男のプライドって奴ですし」
「そ、そう・・・いい心がけね・・・」
意外に紳士的な横島の対応に美神は動揺を隠せなかった。
努めて平静を装っているものの、動悸が速くなっていく。
(アレ・・・コイツ、こんなにカッコ良かったっけ・・・)
「美神さん」
「はえっ!?」
思わず美神が上ずった声で返事をした瞬間、横島と目がかっちり合った。
「でも一緒に寝られないのは残念ッスね〜
まぁそれは美神さんと添い寝できる関係になるまでおあずけ、ってことで」
そうして、横島はニッと小さく笑った。
どきん、と美神は心臓が跳ねるのを感じた。
かーっと顔が熱くなる。横島の顔を真っ直ぐ見ていられない。
(もしかして・・・でもそんな・・・・・・)
「・・・横島クン」
無意識に浅くなる呼吸を必死に整え、美神は言葉を紡ぐ。
「アンタ・・・それは、その・・・」
うまく伝わらない。でも聞きたい。
少しこわい、回答次第でどうにでもなりそうだったから。
「どうして、そこまで私の事・・・」
そして、横島はこう言った。
「どうして、ですか・・・・・・
だって、ここで飛び掛ったらどーせしばき倒されるパターンじゃないッスか!
こぉんな絶好のシチュエーションをそれでフイにするのはあまりに勿体無さすぎるっ!!
ここは何とかごまかして、あわてず様子を見るのがベスト!
それで完全に寝静まった所を・・・ふふふぐへへへ
も〜これは本懐を遂げよとの宇宙意志に則って粛々とぉ!」
「へぇ〜、なるほどぉ」
美神は、笑っていた。 そう、氷の笑みで。
ついでに別の意味で動悸が加速し、体が熱くなり、呼吸が荒くなる。
「横島ク〜ン
貴様の血は何色じゃあああぁぁぁぁっっっ!!!」
その後の惨状で「よかった」を探すとしたら、とりあえず横島が完全に破壊されなかった事であろう。
また、少女が長雨を気にして窓の外を見ていた事も幸いだ。
あんなものを見せたら、少女の人格に甚大な影響を与えてしまう。
「あ〜もう、不覚不覚一生の不覚!」
かくして、横島らしき物体を囲炉裏端に転がし、美神は布団にもぐり込む。
本当なら今日の疲れとまどろみに任せて眠りに就くはずだったが、さきほどのこっ恥ずかしい勘違いが頭をかすめる度に、むらむらと殺意が湧いて眠れない。
布団にうつ伏せになり、枕に額を押し付けて美神はなんとか激情を抑えていた。
(まったく何よ!期待した私がバカみたいじゃない・・・)
ぴったり閉まった板戸の先の人間に、恨みのこもった一瞥を向けるが
(ってべべ、別に期待なんかしてないし!!)
んああ〜、と謎の声をあげ枕に突っ伏していたりした。
どれくらい経ったか、ふと戸の向こうで火の熾る音がしていた。
田舎、特に山の夜は耳鳴りがするほど静かであり、慣れない人間には眠りにくい。
美神もそんな人間で、うとうとしていた所にかすかなこの音が聞こえたのだ。
どうやら、復活した横島が囲炉裏の火を再燃させているようだ。
そこで、美神は布団から出た肩口の寒さに身をすくませた。
夏でも風邪を引く程山間部の夜間は涼しい。
それに雨が降り止まないせいもあって、意外と寒い。
自分は布団に入っているからまだマシだが、小さな火のみで寒さをしのぐ横島を想像してしまう。
へっぷし!
そんな情けないくしゃみの音で、美神は思わず上半身を起き上がらせていた。
考えてみれば、今日横島はよくしてくれた。
食べ物も探してくれたし、下心があったが布団も譲ってくれた。
「―横島クン」
できるだけ自然に、緊張を隠すように
「さ、寒いなら・・・その」
美神は戸に手を掛ける。
(これくらいのご褒美をあげてもいいよね・・・)
「何もしないなら、一緒に寝てあげてもいいかなー・・・なんて」
引き戸を開けた。
「 か〜 すか〜 ぴ〜 」
横島が、気持ちよさそうに横になって寝ていた。
火を熾した所で力尽きたのだろう。
寝ながらくしゃみするとは器用な奴だ。
しばし、沈黙。
美神は戸をぴしゃりと閉めると布団に戻る。
なるべく冷静に、さっきの事を考えないように眠りに
『一緒に寝てあげてもいいかなー』
んぎぎぃー、と美神は枕に謎の言葉を染み込ませていた。
―寝ちゃった、のかな
深夜、少女はそおっと顔を出して辺りを見回します。
囲炉裏端で横島が姿勢を変えずに寝息を立てています。
隣の座敷では、布団が規則正しく上下していました。
―・・・よーし
少女は隠れていた障子の陰から思い切って囲炉裏のそばへと出てきます。
そして横島が気付かず眠りこけているのを確認し、少女は顔のすぐ近くまでやってきました。
そしてしゃがみこんで横島の寝顔を眺めます。
―・・・・・・
小さな手を伸ばし、横島の頬に触れてみます。
起きないようなので、さわさわ撫でてみます。
思い切って顔をぐにぐに弄んでみます。
―・・・ちょっと、かっこいいかも
思わずほう、とため息を漏らす少女。
どうやら、中々に独特な感性を持っているらしい。
―でも駄目だよね・・・お兄ちゃん、お姉ちゃんの物みたいだし
今度は残念そうにはぁ、と息を吐く。
随分な言い方だが、概ね当たっているので侮り難い。
少女は手を引っ込めると、囲炉裏を見た。
だいぶ火勢が弱くなっている。
少女は何本か薪をくべて火を大きくする。
オレンジ色の揺らめく光が横島と少女を照らし出した。
ざあざあという雨音が弱まっている。明日にも雨が上がるだろう。
そして、二人は帰ってしまう。
この家に来てからずっと一人で過ごしていた少女は、自分に『寂しい』なんて感情が残っている事に戸惑っていました。
少女はこの家が気に入っています。
特にここはまだ自然豊かで、畳の部屋が沢山あるからです。
最早人里に少女の住み着ける場所など無く、少女がここを住処と決めて幾年かが過ぎ去りましたが、
ここを訪ねる人間は数える程もおりませんでした。
たとえ訪ねて来たとしても、少女は誰にも見えません。
小さな子供なら姿が見えますが、二人くらいの歳になると気配すら感じられません。
しかし、少女はそんな事には慣れっこでした。
むしろ静かで穏やかに一人で過ごす日々というのも悪くないかな、とも思っておりました。
でも、少女は今夜ここに泊まってくれてよかったと思いました。
久しぶりの来客はとてもにぎやかで、何も無い静かなこの家に暖かい笑顔をたくさんくれました。
二人の記憶には残らないかもしれないけど、少女はそれでも満足です。
家の人間の幸福が、少女の幸福なのですから。
しかし、このままサヨナラは味気ない。
―どうせ駄目なら、せめてもうちょっと近くで・・・
少女はいたずらな笑みを浮かべて顔をぐいっ、と横島に近づけます。
少女の瞳に、横島の間の抜けた寝顔がアップで映し出されます。
―はあぁ〜・・・お姉ちゃんはいいなぁ
少女は吐息と羨望のため息をつきました。
その時、横島の目がパッチリと開く。
少女は目を猫の様に丸くして驚きました。
あわててずざざっと後ずさります。
一方横島は、「・・・んんん〜」と唸りながら目をしょぼしょぼさせている。
―・・・もしかして、寝ぼけてる?
一瞬私が起こしちゃったのかと思ったが、そんな訳はありません。
姿どころか声も聞こえないのだから。
案の定、横島はゆっくりと眠たげに辺りを見回す。
少女の方を向いたが、絶対に目が合う訳がな
「・・・・・・んん、君はだれ?」
今度は目が丸くなっただけでなく、動けなくなってしまった。
―どうして!?なんで私の事がわかるの!?
そんな半ばパニック状態の少女と対照的に、横島は緩慢な動きで囲炉裏に視線を送る。
炎はまだ火を熾した時と同じ勢いで燃えていた。
「・・・・・・薪・・・足してくれたの?・・・」
その問いは明らかに少女に向けられていた。
はっ、と少女は我に返り、首をぶんぶんと縦に振る。
「・・・そっか・・・ありがとね」
― !
横島はそれだけ言うと、また横になり目を閉じてしまった。
少女は横島が寝息を立て始めても、まだ胸がどきどきしています。
少女は今まで誰かに『ありがとう』と言われた事がありません。
そして、それがこんなに嬉しい事だとは思いませんでした。
外を見ると、雨はだいぶ治まってきたようです。
まだ、まだ止まないで欲しい。
少女はそう思いました。
「―・・・きて・・・おきて・・・・・・起きろコラ!」
「ぐふっ!」
どげげんっ、と顔を踏まれて横島は目覚めさせられた。
「んあ・・・おはよッス。今日もセクシーで力強い御足ですね」
「相変わらず脳みそが目覚めてないようね」
そんなジャブの応酬もそこそこに、美神は縁側の障子を開ける。
すっかり雨が上がり、爽やかな青空がそこには広がっていた。
「おキヌちゃんも心配してるだろうし、とっとと帰るわよ」
「そッスね」
―・・・・・・
少女は荷物をまとめる二人を眺めていました。
胸がぎゅーっとします。
本当はまだ帰って欲しくありません。
でも少女にこの家があるように、あの二人にだって帰る家がある事を少女は充分理解していました。
きっとお姉ちゃんの言っていた人も帰りを待っているでしょう。
そう、少女は自分に言い聞かせました。
「何か不思議な一夜でしたね」
そう横島は土間で靴を履きながら感慨深げに言った。
「なんか空き家のはずなのに、落ち着くっていうか・・・」
「まぁ、居心地悪くは無かったわね」
そんな会話をしつつ、一行は戸を開け外に出る。
昨日とはうってかわり、抜ける様な青空に横島は目を細めた。
「ああ、そういえば美神さん」
軒下のコブラのエンジンを始動させ、まさに家を出ようという時に横島がふと呟く。
「昨日の夜中に着物の女の子に会った夢を見たんスよ」
車のエンジン音が聞こえます。
本当のお別れがやってきました。
少女はせめて見送りだけは、と縁側に出て行きます。
その時少女は車が軒先からどんどん離れて、そのまま
―・・・あれ?
少し離れた所に止まったのを見ました。
―忘れ物かなぁ・・・
すると二人が降りてこちらの方を向きました。
私は訳が分からないまま、二人を眺めていました。
「何スか?いきなり止まって・・・」
「やる事があんのよ。ほら、アンタも降りる」
「へいへい」
横島も美神に促され、同じ様に向き直る。
そして、美神は家に向けてこう言った。
「昨日はありがとう。今度は事務所の全員で遊びに来るわ!」
「・・・誰に言ってんスか?」
横島は美神の言動に眉をひそめていた。
だが美神はコブラに乗り込みながら柔らかな笑みを浮かべてこう言った。
「アンタの『夢の女の子』によ」
「は、はぁ!? って、あ、ちょっと待って!」
横島は不可思議な顔をしたが、慌てて発車寸前の座席に乗り込んだ。
少女は、呆気に取られていました。
ですがお姉ちゃんの言葉の意味がわかった時、少女はぱぁっと表情を明るくして手を振りました。
二人が去った方へ、大きく手を振りました。
「アンタ、昨日女の子の夢、あれ夢じゃないわ」
帰りの田舎道、美神が唐突に言った。
「・・・え、じゃ、あれぇ?」
対する横島は唐突過ぎて思考が追い付かなかったらしい。
「あの家にはね、女の子がいたの。
私も薄々気配は感じててけど確信が持てなかったのよ。
でも、アンタは会ったみたいね」
「いたの・・・ってまさか幽霊とか!?」
「そんなんじゃないわよ」
よもや幽霊屋敷に泊まってしまったのかと青ざめる横島を、美神はさらりと否定する。
「ああゆう古い日本家屋に住まう、まあ一種の精霊よ。
滅多に人の目に触れないけど、見た人間や住んでる家を幸せにする能力がある。
いたずら好きだけど温厚な、子供の姿をした各地に伝説を残す妖怪。
ここまで言えば分かるわよね」
いくら横島でも、日本人なら誰しもピンとくるその少女の名前が浮かぶ。
「まさか・・・昨日の夜も」
不自然に揃っていたしけっていない薪や、一晩泊まるだけの生活用品。
奇跡的に食べられる農作物が生えていた畑。
「その女の子に感謝しなさいよ。
初対面の私達を歓迎して一晩泊めてくれたんだから」
「・・・そうだったんスか」
横島は後ろを振り返る。
もう家は見えないが、まだ雄大な山々が残っていた。
その山の麓の家。
近くに山道が通ってはいるが、地元の人間も滅多に近寄らない場所。
少女は、手を振り続けました。
これから夏空になる青空の下、再会の日を期待に胸ふくらませ、少女はもう見えない二人に手を振り続けました。
座敷わらしの少女は、いつまでも手を振っていました。
(終)
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