眠れる森の美女という言葉が脳裏に浮かんだ。
お伽噺に出て来るような豪奢なベッドの上で、お姫様然とした美神さんがすーすーと安らかな寝息を立てている。
その色っぽい寝姿に、俺―――横島忠夫はゴクリと唾を飲み込む。
キョロキョロと周囲を見回すが、悪い魔法使いの姿は無い。
冗談としか思えないカボチャパンツと白タイツ、マントを羽織った己の姿を一切スルーし、ひらり白馬から舞い降りる。
寝室に馬という状況にもいちいちツッコミは入れない。
自分でも徐々にこれが夢だと言うことに感づいてはいるが、そんなことはどうでも良かった。
夢なら夢でOK。このとことん都合の良い状況を、心ゆくまで楽しんでやる。
眠っている美神さんにどーこーすることを、アンフェアだという意識はない。造物主的にもOKな行為の筈だった。
先ずはぶちゅっと目覚めのキスを一発。
うっすらと目を開く美神さん。
ディズニーアニメならば森の動物たちとダンスが始まるのだろうが、俺はそんな甘い男やない。
すかさず覆い被さり、太股から臀部にかけて手をすべりこませ窮屈そうなパンストを脱がしにかかる。
うわ。柔らけえ・・・・・・っていうか、最近のお姫様ってパンスト履くのか?
あまりにリアルな感触が設定への違和感を強めていく。
『横島君・・・・・・』
びよびよとパンストを伸ばしながら首をかしげていた俺は、呼びかけに応えるように美神さんに視線をむける。
パンストの薄いベージュ越しに見た美神さんは、凄まじい怒りの形相を浮かべていた。
『寝ている女にナニしてんのよッ! この犯罪者っ!!』
『ゆ、夢の中でくらい、いいじゃないですかッ! 造物主的にもヤツの初体験はOKな・・・・・・イタッ! 揺すらないで美神さん、頭が激しく痛いッ!』
胸ぐらを掴まれ、ガクガクと揺すられる度に頭に激痛が走る。
その激痛が俺を夢の世界から完全に放逐していた。
―――――― いつか夢で ――――――
「美神さん、やめ・・・・・・ッ!?」
がばりと上体を起こした俺は、激しい頭痛に顔を歪める。
人生初の二日酔いは、かなりのダメージを俺の体に与えていた。
「イタタ・・・・・・やっぱり夢か。んで、ここは何処だ?」
痛む頭に右手を当てながら周囲の様子をうかがう。
カーテンの隙間から差し込む朝日。
見るからに高そうな内装の室内。広いベッド。
周囲に散乱するボウリングが出来そうな数の空き瓶。
そして、隣で寝息をたてる美神さん・・・・・・って、ええーっ!!
出そうになった叫び声を慌てて食い止めるが、その動きすらも新たな驚きの切っ掛けとなっていた。
口元に押しつけた左手が握っていた物―――精霊石のイヤリングが、俺の昨晩の行動を如実に物語っている。
となりで眠る美神さんの耳にイヤリングはない。
だとしたら俺が外したのだろう。推理以前の問題だった。
落ちつけ、俺。昨夜一体何があった?
えーっと、確か独りで飲んでいた美神さんに、ナンパ対策の虫除け要員として呼び出されて・・・・・・
そうだ、確か最後はカラオケBOXでオールナイトコースをチョイスしたんだっけ。
確かあんまり高そうな店だと俺が気楽に楽しめないからって。
いやー、楽しかったなぁ美神さん独り占めで。
高そうな店で美神さんと飲む優越感に浸るのもいいけど、この人カラオケ行くと平気でアニソンとかも歌っちゃうからな。
はい、十分ロマンチックいただきましたとも!
俺は隣で小さく体を丸め、すやすやと眠る美神さんに視線を落とす。
この人のああいう一面を知ってるのって、俺くらいなんじゃねーかな?
多分、一泊数十万はするだろうホテルの一室。
平気でそんな部屋に泊まる人が、チープなカラオケBOXであんだけ楽しそうに笑うんだもんな。
「しっかし、高っかそうな部屋・・・・・・」
そう小さく呟くと、俺の貧相な描写力ではとても表現できないゴージャスな空間を見回し力なく笑う。
さっきまで夢で見ていたコントチックな豪華さではなく、リアルな質感を伴った豪華さだった。
考えてみたら俺が手にしてる精霊石のイヤリングだって、億の価値があるんだもんな・・・・・・
この部屋をチョイスしたのは絶対に俺じゃない。だとすれば美神さんしかないよな。
あの人も大分酔っぱらってたから、いつもの様に俺が泣きついて、「何にもしませんから一緒に泊めてくださいお姉ー様」とか言って押し切ったんだろうなぁ。
マジで記憶無いけど、多分ルームサービスで美神さんが飲み直してそのまま潰れたと。そうじゃなきゃ前みたいにシャワー室監禁が良いトコだろうし。
だったら、美神さんが起きないうちにこのイヤリングをどうにかしなきゃ・・・・・・って、ええーッ!!!
枕元にでもそっと置こうと身を捻った瞬間、俺の目に更に信じられないモノが飛び込んでくる。
外したバンダナの上に、こんもり盛り上がったベージュ色の山。
無造作に置かれた美神さんのパンストに、先ほど見た夢がフラッシュバックする。
――― ぬ、脱がしたのか? 俺が、コレを
手の中のイヤリングがその光景と結びつき、更に深い意味を持ち始める。
これって俺が美神さんとスルつもりだったってコト!?
ちょっと待て、よく考えろ俺!
俺は何処に出しても恥ずかしくないほど未経験の筈じゃないか!?
チェリーだよ!? 死んだら天国に行ける綺麗な体だよ!?
何でそんな俺が、スル前にアクセサリー外すなんて手慣れたことを!?
コメリカで経験してきたアイツがあんなKYなエスコートしているのに?・・・・・・って、ナニ訳の分からないコト考えてるんだ俺はっ!
「殺される・・・・・・というか、死ぬ」
夢で見た折檻の図がリアルに思い出される。
二日酔いの体調でアレを受けたらマジで死んでしまう。
兎に角、今はコレを何とかしなくちゃ・・・・・・もう一度履かせるか?
そんな俺の恐れなどお構いなしに、美神さんは小さく体を丸めすーすーと寝息を立てている。
うわ。顔ちっちぇ・・・・・・んで、睫毛なげえし。
こうして無防備に寝ていると、ホント可愛いんだよなぁ。
目が覚めたら猛獣だけど。
俺は間近で見る美神さんの寝姿に、二日酔いの頭痛を忘れそうになっていた。
たわわな胸は残念ながら両腕がガードしていた。
しかし、張りのあるお尻はボディコン姿で体を丸めることで、見事にむき出しになっている。
もっとも隣り合わせで寝ているから、俺の位置からは見えないんだけど・・・・・・
もう一度ゴクリと俺の喉が鳴った。
――― 体、前屈させれば見えるんじゃね?
パンストを握る今の状況で起きられたら死は確実。
でも、少しでも足にひっかけることが出来れば、美神さんが無意識に脱いだという事に・・・・・・な、なによ! 別にパンツが見たい訳じゃないんだからねっ!!
と、何処かの誰かさんみたいなノリで、俺は隣で寝る美神さんを起こさないようそろそろと体を前に屈ませていく。
別に足下に投げ捨てるだけでいいんじゃねーの? そんなつまらない事いう子は先生嫌いだな!
これはあくまでも緊急避難。自分の命を助ける為にヤルやむを得ない行為。
えーっと、何とかの板ってやつだ。
――― も、もうちょい。
あと少し視線を前に持っていけば目的の風景・・・・・・ゲフン。美神さんのつま先にパンストをひっかけることが出来る。
なかなかその数センチを稼げない俺の苦労を、発火能力者の少年は分かってくれるだろう。
「いなずまキーック!!」
やっとの思いでつま先をパンストに差し入れさせた矢先、美神さんの足が跳ね上がる。
思いっきり慌てた俺は、パンストを手放し全速力で寝たふりへと移行した。
バレたの? それとも寝ぼけ? つーか寝ぼけなら一体どんな夢見てるのよ!!
美神さんに背を向け、体を丸めると必死に目をつぶる。
背後で体が起きる気配。あ、動揺している。
――― やばいなぁ・・・・・・流れ的にいつもの折檻フルコースだ。
背中に全神経を集中しつつ、寝たふりを続ける俺。
熊の前で死んだふりをするのは間違いだと聞いたことがあるが、今の俺には作戦の変更をする余裕はない。
いくら美神さんでも、無防備な人間に容赦の無い攻撃は加えないだろう。
そんなことを考えていた俺は、左手に握ったままになっていたイヤリングを思い出し愕然となる。
マズイ。折角、パンストを誤魔化しても俺がコレを握っているということは・・・・・・うわ、死にたくねえ。
背後から伝わる美神さんの気の質が変わる。
多分、パンストが無いことに気がついたんだろう。
今なら照れ隠しの一撃ですむ。
腹筋に力を入れつつ、俺は致命傷にはならないガス抜きの一撃を待ちかまえた。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
何でこないのぉぉぉぉぉぉッ!
ねえ? ひょっとして怒り熟成させちゃってます?
何でさっきから黙ってるの? ねぇ、どうして?
ビクビクしながら寝たふりを続ける俺の側らが少しだけ沈む。
にじり寄った美神さんが、俺の背中ギリギリに手を付いたのだろう。
瞼越しに感じる光が陰る、うわ、覗き込まれているよ多分。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
この首筋に当たるのは美神さんの髪の毛?
あ、顔にも。触るか触らないかの微妙なタッチで。
すげえ気持ちいいんですけど、何の罠ッスか?
これでピクリとでも動いたら速攻攻撃がくるとか?
でも、いい匂いだなぁ。
絶対、マツキヨとかで売っていないシャンプー使ってんだろうなぁ。
あれ、でもこの匂い最近何処かで?
時に匂いは映像以上に想い出と結びつくらしい。
美神さんの髪の匂いは俺の脳髄を引っ掻き、昨夜の記憶を浮かび上がらせていた。
『美神・・・・・・さん。俺、もう駄目ッス。眠くて・・・・・・』
『なによ! 若いのにだらしない』
歌い手がいなくなったカラオケの伴奏が、薄暗い室内に響き渡る。
不満そうな口ぶりとは裏腹に、美神さんは強かに酔っぱらった俺が寄りかかるのをそのまま受け止めてくれていた。
温かくて柔らかい肩の感触。
ふわりと香るシャンプーの匂い。
『仕方ないわね・・・・・・』
クスリと笑った美神さんの声。
その一言に安心して、俺は深い眠りに落ちていく。
なんか昨日の美神さん、ほっとけなかったんだよな。寂しそうで。
あれ? じゃあ、俺をここに連れてきたのは美神さん?
俺が頼み込んだんじゃ無くて?
ねえ、あれから一体何があったの??
「いなずまキーック!!」
自分の声で目が覚めた。
あれ・・・?
キョロキョロとあたりを見回す。
カーテンの隙間から差し込む朝日。
見るからに高そうな内装の室内。広いベッド。
どこかしら・・・ここ?
頭を振る。おっかしーわね。さっきまで森の中にいたのに。
ぼりぼりと頭をかき、私・・・美神令子は夢の記憶をたどった。
森の中、花を敷き詰めた棺の中に、お姫様みたいなドレスを着て私は寝てたはず。
その周りを帽子かぶった小人やら、ウサギやらリスやら小鳥やらが囲んで泣いてたのよ確か。
そこへ、冗談としか思えないようなカボチャパンツをはいた王子様が、かっぽかっぽと馬でやってきて・・・・・・
―――うわ。なんちゅー恥ずかしい夢を見てるのよ私は
赤面してしまう程のベタな夢。
王子様のキスで私は目を覚ましていた。
彼の差し出す手を取り身を起こす。見つめあう瞳と瞳・・・・・・
そこまではいいんだけど・・・・・・っていいの?
胸の中に湧き上がる違和感。私は自分でも不思議なほど、馬鹿としか思えない格好をした王子様を受け入れていた。
―――んじゃ、何でいなずまキック?
その答えはすぐに思い出せた・・・・・・というか、思い出したくなかった。
私と見つめ合った後、王子の野郎はすんごいいい顔で笑ったのよね。
そして、おもむろにポケットに手を突っ込み、超ハイレグのレオタード、ピンヒール、うさみみ、うさぎしっぽ、蝶ネクタイ、編みタイツと、目の前で次々にバニーガールの衣装を取り出し・・・・・・うわ、思い出したらまた腹が立ってきた。
馬鹿王子はいそいそと、私にパンストをはかそうとしたのよ!
結局、いつのもの様に「何考えとんじゃボケ―――っっ!!!」としばき倒し、カボチャパンツをヒールで踏み・・・・・・ん? いつもの? そして衣装装着済み?
まあ、いちいち夢にツッコミを入れても仕方がない。第一、私はフロイト信者じゃないし、深層心理なんてどうでもいい。
兎に角、私は馬鹿王子に向かって、必殺の回転いなずまキックを放ったのよ。第一幕から出直せと、彼のバンダナを巻いたこめかみを狙って・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
―――バンダナ?
急に目が覚めてきた。同時に背中に嫌な汗が流れる。
ここ・・・どこ? 周囲を見回すと見知らぬ部屋。
シャンデリアがぶら下がった天井。広いベッド。そして、隣で寝息をたてる横島クン・・・・・・って、えええええ―――っ!!
寝ている彼を起こさないよう必死に叫び声を飲み込む。
シックな内装に豪奢な家具。完璧に清潔で贅沢で・・・そして生活感がない。
ホテル・・・? たぶんそうだ。それもスイート。
ゆったりと広い間取りと備品の豪華さが、そう言ってる。でもなんでホテル? チェックインした記憶なんてまったくないわよ?!
ぐるぐる見回した。ホテルなのは間違いないと思う。でもこの床に転がる酒瓶は何? 私? 私が空けたの? これ全部?
――― 覚えてないしっ! 酔った勢いで・・・何したのよ私!
頭を抱え自問している私に、もう一人の冷静な私が「何がってナニでしょ、ほかに考えようがないじゃない!」と、ツッコミを入れてくる。
全力否定したいとこだけど、たしかに状況証拠のすべてが、ソレ一点を指してるような気がしなくもない。
い、いや、でも結論を出すのは早すぎる。何か、何か反論の材料はっ!
・・・・・・・・・・・・そっそうだわっ! 服着てるじゃないの! 私!
昨夜のままよね! 私はようやくほっとして大きく息を吐き出す。
――― そーよ昨日のままだわ。どこも変わったとこは・・・・・・・・・あった。
ペンダントがない。イヤリングも。
あわてて見回す。枕脇、ベッドサイドテーブル、棚の上・・・・・・自分ならそこへ置くはずだ、ってとこをざっと目で探すが、見当たらない。
再び背中に冷や汗が吹き出る。私は外出先で精霊石を外したりはまずしない。
精霊石が高価で、なくしたりしたら、軽く半月分ぐらいの稼ぎはふっとぶ、ってのも理由の一つだけど、それより何より、精霊石が護符の役割を果たしているというのが大きいのだ。
過去何度もこれに危機を救われた私からすると、これなしでいるのは、裸でいるより頼りない気分になってしまう。
それなのに、どうしても置き場所が思い出せない。
ということは石を外したのは私じゃない? でも、あれは私の同意なしに外せるものではない・・・・・・って、ことは!
――― 私がいいって言ったわけ? ええええーッ?!
自分の推理に、私は大きく動揺する。
仮に私が眠ってて、誰かがイヤリングを外そうとしたとしても、私はすぐに飛び起きるだろう。
どんなに深く眠ってても、霊感が危機を知らせるはずだ。
眠っている私から、イヤリングを外せる人間がいたとしたら、それは、私が完全に心を許している人間だけ・・・・・・
強力な結界に守られている自宅や事務所ならともかく、その外で精霊石を外すなんて、下着を脱ぐよりありえないと思うのに・・・・・・って下着!!
あわてて足を触る。そしてさらに動揺を深くする。パンストがないっ!
―――ぱ、ぱんつはあるわよ?! ないのはパンストよ? でも昨夜は履いてたはずなのにっ! なんでなくなってるの?!
消えた精霊石。消えたパンスト・・・・・・
横目で隣を窺う。
横島クンは毛布をかぶり、背を向けて眠っている。
私の推理によると犯人は・・・・・・いや、いや違う。
私は頭を振った。周囲の状況には不自然なことが多すぎる。
実行犯はコイツかもしれない。けど主犯はたぶん・・・・・・
私は髪をかきまわし、昨夜の事を思い出そうとした。でも飲みすぎたせいか、へんな夢ばっかり見たせいか、うまく記憶がつながらない。
夢。王子様の顔を思い出す。そうよ! 衣装は変だったけど、確かにこいつだった。
こっちのかかとを掬うように持ち上げて、慎重に網タイツを足指にかぶせようとしてた。
大マジメだったわ。それって、それって・・・・・・
―――もしかしてその・・・逆なわけ?履かされたんじゃなくて・・・・・・つ、つまり、その、脱が
顔から火を吹きそうになった。
きっとそうだ。ほかはともかく、なんかこう、ふくらはぎとか足首のへんに、みょーに生々しい感触が残ってるのが決定的だ。
でもなんで?? なにがどーしてそんなことに?
なにをやらかしたのよ私ッ!!!
ホテルのスイート、横島クンにそんなお金はない。転がってる空き瓶、これも横島クンが飲める量じゃない。
精霊石、私の同意なしで外すのは無理。ってことは何? 私? 私が犯人? 私がこいつをここへひっぱりこんでどーこーしたと?
――― 覚えてないーッ!!!
朝の爽やかな陽射しの中、頭をかかえる。
窓の外で、スズメたちがチュンチュン鳴き交わしている。
これが巷でいうところの、これがいわゆる朝チュンってわけ?
ち、違うっ、違うんだからねッ! 私は窓の外を睨み付ける
チュンチュンうるさいわよっ! 朝から鳴くなっ。昼からになさい!
「チュチチチチチ、ジュチチ、チュンチュクチュン、チュチュチュ!」
「わっ!」
返ってきたイヤミのような大合唱に、私は思わず声を出しそうになってしまう。
このままじゃ、コイツが起きちゃうじゃない! お願いだからもう少し静かに・・・・・・
何というのか、スズメというのは何がどうでも朝から鳴きたい動物らしい。私も朝から泣きたくなってきた。
半べその私を尻目に一分以上も合唱して、嵐のようなさえずりはようやく去った。
鳴き交わす声がトーンダウンしたたところで、私はもう一度隣をうかがった。
ベッドが軋まないようにそーっと手をつき、毛布のかたまりに覆いかぶさるようにして、顔を覗き込む。
「・・・・・・・・・・・・」
目を閉じて。横島クンは眠ってる。
みのむしみたいに毛布にくるまり、枕に半分顔を埋めている。スズメの合唱も私の葛藤もどこ吹く風で、まったく起きる気配ナシ。
ほっとした。と、同時になんか憎らしくなってきた。
私がこんなに悩んでるっていうのに、なんであんただけそんな気楽そうなのよ。元はといえばあんたがゆうべっ・・・・・・
ゆうべ・・・・・・なんだっけ?
目を閉じた横顔にオーバーラップして、昨夜の会話が蘇る。
『俺、もう駄目ッス。眠くて・・・・・・』
『なによ! 若いのにだらしない・・・』
そうだ!
私は昨日、ママの召集を無視して、飲みに繰り出したんだった。
お気に入りのバーまでコイツを呼び出して、その後、カラオケBOXに移ったのよね。
カラオケBOXのお酒なんて安物で美味しくないけど、いくら私でも未成年を高級バーのカウンターへずっと座らせるのは気がひけるしね。
それに、Gジャンジーンズじゃ、場違いで横島クンも楽しめないだろうし・・・・・・
独りで飲んでれば、そんなこと気にしなくてもいいんだけど。
昨夜はなんか独りでいたくなくて・・・・・・でも楽しかったなぁ。
『仕方ないわね・・・・・・』
本当はまだ物足りなかったけど、私はそう呟く。
アニソン20曲。サワー7杯で横島クンはつぶれた。
私の肩に寄りかかり、息も絶え絶えな声を出す。二の腕に押し付けられた頬が熱い。
わざとなら宙を舞わせてるけど、ほんとに酔ってるのがわかったから私は殴らなかった。
じっとしてると、そのうち頭どころか全身預けてきて、肩が規則正しく上下し出す。あーらら。
『こんな水みたいなお酒で、よく酔えるわね。冥子と変わんないじゃないの・・・・・・』
こないだ冥子とカラオケやった時とおんなじに、よりかかられても私はじっとしていた。
なぜって? ソレはほら、アレよ。猫が膝に乗ってきたり、そこで眠っちゃったりしたら立ち上がりにくいじゃない。
―――それと同じよ・・・そんだけなんだからね
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
でもなんだかな・・・・・・・・・・・・ぬくもりを感じながらじっとしてると、こっちも眠くなってくる
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
うーん。やっぱ冥子とは違うなー。何がって、ほら、密度よ。やせっぽちに見えても、さすが男の子。
ずっしりしてるっていうか骨が太いっていうか、実が詰まっててカタイ。重い。
水に入れたら沈むかな? うとうとしながらそう考える私に、思い出の中の声が抗議した。
『一日二回も! 人に重りつけて海に突き落として!!』
あー、沈めたことあったわね。そーいえば。あれはでもまあ仕事だし、今思ったのとはちょっと違・・・・・・
『ったくもう、死んだらどーしてくれるんですかっ?!』
大丈夫よ。私は答えた。アンタならきっと・・・・・・絶対、大丈夫。
『なんで?』
さあ・・・なんでかしら。根拠はないけど、そう思うわ・・・・・・だから安心しなさい。私もそうするから。
私は少し身じろぎをして楽な姿勢をとった。こうしていれば大丈夫。
よりかかる彼の体温や、息づかいや、心音さえ間近に感じながら、深夜のカラオケボックスで、私は眠りに落ちた・・・・・・
・・・・・・あれ? 記憶ここで終わり? 終了?
うそぉ。問題はそのあとでしょ?
カラオケボックスで眠ったはずなのに、なんでホテルにいるのよ??
なんでよ? あれから一体、何があったの??
「寝たふりはバレているわよ・・・・・・」
美神が横島の耳元でそう囁いたのは、しばらく彼の顔を覗き込んでからのことだった。
狸寝入りを完全に見透かしたようなその発言に、横島はみのむし状態のままベッドの端まで飛び下がる。
「いい、いつから、気づいて・・・・・・」
「呆れた・・・・・・やっぱり起きていたのね」
美神は本当に呆れたようなジト目で横島を睨む。
覗き込んでいる間、横島の鼻が微妙にヒク付いているように感じた故のカマかけだったが、それが自分の髪の匂いを求めた動きであることまでは思い至っていない。
「あっ、ずりぃ! 誘導尋問っスか!」
「ずるいのはどっちよ! ナニ寝逃げしてんの」
「だ、だって、だって、その・・・・・・」
口ごもる横島に、彼が自分の知らないことを知っていると感じた美神は、視線を反らせつつ咳払いを1つする。
平静を装おうとする精一杯の仕草だった。
「横島クン」
「は、はい!」
「あんた・・・・・・あんたさ」
「・・・・・・はい」
「あんた覚えてる? 昨日何があったか・・・・・・」
チュチチチチチ、チュンチュン、チュチュチュ!
意を決し、口にした質問と共に起こったスズメの大合唱。
顔を真っ赤にした美神は、ベッドから飛び降りベランダに走り出す。
「だーッ! まぎらわしいッ! 違うっつってんでしょッ!! っていうか、さっきから何で高層階にスズメがいんのよ! このホテルで飼ってるって訳? ったくもーッ!!」
しっ、しっ、あっちいけ! とばかりにバタバタ手を振りわめき立てる。
ハッキリ言って大人げないことこの上ない。
ちりぢりに逃げ出したスズメの姿を見送ってから、美神は肩で息をしつつ部屋へと戻ってくる。
上気した彼女の顔を、横島は唖然とした表情で見上げていた。
「あの、美神さん、今のは一体・・・」
「質問禁止ッ! 質問してるのは私!!」
ピシャリと自分の発言を遮った美神に、横島はベッドの上に正座し姿勢を正す。
こうなった時の彼女に逆らってはいけないことを、彼は過去の経験で嫌と言うほど知っていた。
「まず・・・そうね。どこまで覚えてる? あんた」
「ど、どこまでといいますと・・・」
パンストの事なのか、それともイヤリングか。
横島の額に冷や汗が浮かぶ。
どちらにしても折檻は必至。しかし、彼自身ソレに関しての記憶は全くと言っていいほど無かった。
「自分の記憶でしょうッ! 覚えてることを順番に、包み隠さず言いなさいッ!!」
「は、ハッキリ覚えてるのは、カラオケBOXで騒いだとこまでです・・・・・・ほら、飲み放題、オールナイトコースで。それで俺、酔いつぶれちゃいましたよね?」
拍子抜けする事実に、美神は力なく溜息をつく。
横島が覚えている記憶も彼女と五十歩百歩。真相は未だに忘却の彼方らしい。
美神は足下に転がる酒瓶を見回すと、更に深いため息をついた。
「アンタも覚えてないか・・・・・・私もそこから先がハッキリしないのよね。流石に飲み過ぎたかしら?」
「・・・・・・美神さんが酔いつぶれるなんて珍しいこともあるもんスね。何かあったんスか?」
「そっか。言ってなかったわよね」
美神はぽふ、とベッドに腰掛けた。
間近に感じた彼女の体温と匂いに、横島の心拍数が僅かに上昇する。
「実はさあ、ゆうべ・・・ママに呼び出しかけられてたのよ」
「隊長に? 仕事ですか?」
「ううん。親父が日本に来てるから一緒に食事しようって」
「え゛!? そ、それじゃまさか・・・・・・」
横島の脳裏に嫌な想像がリアルに浮かぶ。
神父から聞いた両親のなれそめで和解したかに見えた親子関係だったが、意地っ張りな彼女としては急には馴染めないらしい。
顔をひきつらせた横島に、美神はバツが悪そうな笑みを浮かべる。
「うん。すっぽかしちゃった」
「うわ! やっぱり・・・・・・でも、めったに日本に来ないんでしょう? それじゃあ、隊長きっと怒りますよ?」
「でしょうねえ。だからまあ・・・・・・あんたも共犯ってことで」
「え―――っ?!」
横島の脳裏に美智恵の笑顔が浮かんだ。
美しく優雅な、でもその背後になにか黒いモノがたちのぼる、恐ろしい笑顔が。
「人を勝手に巻き込まんでくださいっ! あの人怒らせたら、ある意味美神さん以上に質が悪いじゃないッスか」
「何よ、私以上にって! まるで私まで質が悪いみたいじゃない」
「自覚ないんスかッ!? 一卵性みたいにそっくりっすよ! 特に人使いの荒さとか・・・・・・」
いきなり呼び出された昨夜のドタバタを思い出し、横島はいつものような愚痴を口にする。
しかし、それに対する美神の行動は、いつものような折檻や辛辣な反論にはならない。
美智恵と似ているという横島の一言に、美神は複雑な笑みを浮かべていた。
「昨日だって15分以内に来いなんて無茶な集合かけるし・・・・・・ッたく、俺が何回車にはねられかけたと思ってるんですか!」
「大丈夫よ、アンタなら・・・・・・」
記憶に残る最後の部分を思い出し、美神は思わず口元を緩める。
その表情に先ほどまでの虚勢は見あたらない。
彼女の浮かべた自然体の笑顔は、横島に諦め半分の笑顔を浮かべさせていた。
「ずるいっスよ。虫除け要員に呼んだクセにそんな顔で笑って・・・・・・」
「虫除け? 虫除けって何?」
「ナンパ対策の虫除け・・・・・・違うんですか?」
横島がまたたきする。美神はしばしその顔を見つめ、軽く肩をすくめた。
「馬鹿ねー。そんな目的で呼び出す訳ないじゃない。アンタに虫除け効果がないのは分かってるし」
「うわ。ひっでー! もっと時間くれればちゃんとめかし込んで行きましたよ」
「タキシードとかで来たらしばき倒してたわよ」
美神はクスリと思い出し笑いを浮かべる。
お見合いを断る目的で横島を恋人にしたてた時、ドレスアップした彼は上方方面のギャグ扱いされていた。
「アンタが格好つけようとすると、コントにしかならないんだから・・・・・・いつもの、あれ? そう言えばバンダナは? 昨日もつけてたでしょ」
「いくら一張羅でも、寝るときは外しますって・・・・・・」
ダメ出しともとれる虫除け効果無し発言に凹みかけていた横島は、苦笑混じりに美神の疑問に答えようとする。
彼は毛布の裾から覗いていたバンダナの結び目に右手を伸ばす。
「昨夜も無意識に外したんでしょうね。ホラ、ここに・・・・・・」
美神に見せようとバンダナを引っ張り出す横島。
急に表情を強張らせた美神に再度バンダナに視線を戻した彼は、彼女以上に表情を強張らせる。
美神が蹴り上げた時に絡みついたのだろう。
横島が持ったバンダナの輪には、美神のパンストがしっかりと絡みついていた。
「違う、違う、違いますっ!」
「・・・・・・」
「俺じゃないっ! 俺が脱がせたんじゃありませんっ! 誤解ですっ」
「・・・・・・」
激しく狼狽した横島は、美神の顔の前でパンストをぶんぶん振りたくる。
まるで白旗の様に振られたソレを、しばらくの間凍り付いた表情で見つめていた美神だったが、彼女にしては珍しく怒り出したりはしない。
如何にも頭が痛いと言う風に額に手を当てると、美神は若干赤らんだ顔で横島の手から自分のパンストをひったくった。
「わかってるわよ。そんなことッ!」
「へ?」
びよびよと伸びたパンストを美神は器用にまとめ背後に隠す。
折檻に発展しなさそうな流れに、横島はキョトンとした表情を浮かべていた。
「多分・・・・・・あんたと同じ。寝てるとき、うざったくて自分で脱いだのよ。無意識に」
自分の部屋で寝るときもたまにやってしまうと、美神は脱いだパンストについての分析を終了させようとしていた。
いくら酔っていたととしても、自分が横島に脱がされることは先ずない。
未だ見つからないイヤリングと同じく、自分で外して無意識に何処かへ寄せたのだろう。
美神は自分がそんなに簡単に心を許す人間ではないと思っていた。
「な・・・なんだ、そっか」
「そうよ・・・・・・・・・・・・私がそんなこと許す訳がないじゃない」
横島は複雑な表情で溜息をつく。
それにはあらぬ誤解を受けずにすんだ安堵と、美神を口説けた訳ではないという失望が混在していた。
「よく考えたらそうっすよね。俺が美神さんをどーこーするなんて・・・・・・・・・・・・じゃあ、精霊石も美神さんが自分で外したんスね」
「え?」
まるで不意打ちを食らったかの様に美神は視線を上げた。
「・・・・・・精霊石?」
「そう。精霊石のイヤリング。朝起きたら握ってたんですけどね」
「・・・・・・握ってたって、アンタが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
驚いた様子の美神に、横島は彼女の中で自分への疑念が膨らんで行くのを感じていた。
いつもの様な直情的な怒りではない、初めてとも言える戸惑い混じりの思索の表情。
重い沈黙に耐えかねたように、横島はしどろもどろな口調でいい訳がましい言葉を口にする。
「あ、いや、あの、盗ったんじゃないですよ! 酔っぱらってて、俺も覚えてないけど、美神さんが外したのを拾ったんですよ。きっと・・・・・・た、たぶん、なくしたらいけないと思ったとか、そんなんじゃないスかね?」
「・・・・・・さっきから握ってるの? 私のイヤリング」
美神は横島の左手に目を移した。
ただ事でない雰囲気にしっかり握られた拳からは、確かに精霊石特有の波動が伝わって来る。
――― それを外させるということは、心を許しているということ
先ほどの想像が、リアルさを伴い美神の中で急速に成長していく。
そしてその想像は決して不快なものでは無かった。
「え、ええ。そーです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・えと」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの・・・・・・・・・美神さん?」
黙り込む美神に横島はかける言葉を見つけられない。
少しの沈黙の後に美神が発した言葉は、彼の戸惑いを一層深いものにしていた。
「さっき言ってたよね。アタシがママにそっくりだって・・・・・・」
「え、言いましたが、それが・・・・・・ッ!!」
突然変わった話題と位置関係。
となりに腰掛け、軽く体をあずけて来た美神によって、横島の戸惑いは最高潮に達する。
横島の位置からは美神の表情を覗い知ることが出来ない。
肩に感じる美神の頭の重みが、横島に一切の質問を禁じていた。
「私はずっとママの様になりたかった・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「でも、無理だと思ってた・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ずっと独りで生きてきたんだもの。誰にも心を許さずに・・・・・・」
横島の頭は真っ白だった。
肩口から伝わる美神の体温と息遣いが、彼の頭から思考力を奪っている。
しかし、彼は自分を奮い立たせ、どうしても今伝えなくてはならないことを口にした。
「美神さんは独りじゃないッスよ!」
俺がいますとは言えなかった。
しかし、彼の言いたい事は十分美神に伝わったらしい。
美神は柔らかい笑みを浮かべつつ、更に深く横島に体をあずけた。
「そうね・・・・・・ねえ、私、眠ってた? イヤリング取るとき、何も言ってなかった? それも覚えてない?」
「自分で・・・外したんじゃないんですか・・・?」
擦れるような声で横島は答える。
心音が早鐘のようだった。
「精霊石は護符だもの。眠ってたって、自分から外したりはしないのよ。でも外されたのに眠ったままなんて、もっと信じられないわ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「そんなことできるのは、私が心から・・・・・・」
頬が、さらに強く肩に押し付けられる。
「私・・・私いつの間にか・・・あんたに・・・・・・」
小さなつぶやきは横島の耳に入っていなかった。
彼の意識の殆どが、美神と触れた左半身に向けられリソースを食いつぶしている。
残った数%の意識が、「今の話を流すな! 何か言えアホンダラ!」と喚いているのだが、彼はなかなか行動に移れないでいた。
「まあ、お互い忘れちゃ仕方がないけどね・・・・・・」
行動に移れない横島を促すように、美神は彼から離れ向かい合う。
――― 次は忘れないわよ。スズメ追っ払っちゃったから・・・・・・
美神は柔らかな笑みを浮かべながらじっと横島を見つめる。
そして、そのままの姿勢で目を閉じ横島の行動を待った。
「美神さんッ!」
ここで動かんかったら男や無い。
意を決した横島は、美神の両肩を掴み引き寄せようとする。
その時、彼の左手から精霊石のペンダントとイヤリングが零れ落ちた。
「・・・・・・・・・!!」
膝に感じた石の感触に、目を開けてしまった美神。
そして彼女は見てしまう。己の膝の上に落ちた美智恵のイヤリングを・・・・・・
美智恵からの誘い。失った記憶。そして彼女のアクセサリー。
「ママのばかっっっ!」
コンマ数秒の間に全てのピースがピッタリと当てはまり、美神は目の前の横島を思いっきり突き飛ばす。
目を瞑りタコ口になった姿勢のまま、横島は華麗に宙を舞った。
「あー残念。ヒント出し過ぎちゃったかしら」
薄く開いたドアの隙間。
ずっと一連の出来事をのぞき見していた美智恵は、心底残念そうに人の悪い笑顔を浮かべていた。
彼女の視線の先には、美神に突き飛ばされ、後頭部痛打&二日酔いの追撃を喰らった横島が断末魔の痙攣を見せている。
振り返った娘が放った動揺と怒り混じりの気をやり過ごすように、美智恵はそそくさと愛する夫が腰掛けるソファへと向かっていった。
「昨日は僕も酔っていたから付き合ってしまったが、やっぱり悪趣味じゃなかったかな?」
「いいのよ。折角奮発して親子水入らずの場を作ったのに逃げだしたんだから! これぐらいの悪戯は当然・・・・・・」
「でも、彼に君のイヤリングを持たせたりするのは・・・・・・」
「横島君の命綱のつもりだったのよ。令子が悪い方向に逆上しても、アレ見れば私の悪戯ってすぐに分かるかなって・・・・・・でも、失敗だったかも」
全く悪びれない妻の様子に、公彦はこめかみに指先を当てる。
ズキズキと痛むこめかみは、昨晩、娘の逃走に気づいた美智恵のやけ酒に付き合った後遺症だった。
酷い頭痛に鉄仮面を外した彼の膝では、ひのめが不思議そうな目で父親の素顔を見上げている。
「まだお酒抜けない? 昨日は結構飲んでいたから・・・・・・まあ、その空き瓶のおかげで上手く令子を騙せたけど」
思い出し笑いを浮かべた美智恵に、公彦は呆れたように人差し指を一本立てる。
「僕が飲んだのはワイン一本。隣の部屋に運び込んだ空き瓶は殆ど君が空けた分じゃないか・・・・・・」
「あら、そうだっけ? 酔っぱらってたから良く覚えていないわ。歳のせいかしら?」
「良く言う。元気いっぱいに令子をここまで運んでおいて・・・・・・・・・・・・」
「でも、楽しかったでしょ? 横島君運ぶのは大変だったかも知れないけど」
公彦のとなりに腰掛けた美智恵は、覗き込むように公彦の顔を見上げる。
沈むような声とは裏腹に、彼の口元には思い出し笑いが浮かんでいた。
酔いも手伝い、昨夜は彼自身楽しんで美智恵考案の悪戯に手を貸している。
「まあね・・・・・・しかし、酔いつぶれていたあの青年はともかく、君と同じくらい強い令子がよく起きなかったものだね」
美智恵は夫の疑問にニッコリと笑うと、彼の膝の上からひのめを抱き上げた。
そして、昨晩令子に行った様に優しく背中を撫でながらハミングを口ずさむ。
その曲目がディズニーアニメであることに公彦は気がつかなかった。
「眠る令子を抱きながら除霊したこともあったしね・・・・・・どう? 見事なものでしょ」
「成る程。完全に心を許しているからこそか・・・・・・流石、一卵性の母娘だけある」
美智恵の胸で安心しきったように眠るひのめの姿に、公彦は少し寂しそうに笑う。
そんな彼の表情に呆れ顔で応えながら、美智恵は公彦にすやすやと眠るひのめを預けた。
「馬鹿ねー。私と一卵性だったらあんなに恋愛下手な訳ないでしょ! あの辺は完全にあなた似じゃないの」
「僕・・・・・・似?」
「当たり前でしょ! 親子なんだから・・・・・・」
美智恵は何を今さらとでも言う風にコロコロと笑うと、上機嫌で受話器をとりフロントへ朝食のルームサービスを頼もうとする。
彼女は不器用な娘がどんな顔で部屋から姿を現し、朝食の食卓を囲むのか夢想していた。
横島の分も含む4人分の注文を口にする美智恵。
そんな妻の姿に笑みを浮かべかけた公彦だったが、隣室から伝わってきた意識にその笑みを苦笑へと切り替える。
娘が彼に似たのは、恋愛に関してのみらしかった。
「注文は僕たちの分だけにした方が良さそうだよ。どうやら令子はこのまま彼と帰るらしい」
公彦の言葉だけで娘の行動が予測できたのか、美智恵は受話器を放り出すと一目散に美神と横島を寝かせていた隣室へと駆け込む。
そこで彼女が見たものは、横島の腕を掴みベランダに引きずり出した娘の姿だった。
「! ・・・・・・待ちなさい! 令子ッ!」
美智恵の制止も空しく、美神は真っ赤な舌を出しアカンベーをすると、躊躇いもせずベランダからダイブする。
駆け込んだ美智恵と公彦に苦笑混じりの会釈をしようとした横島は、腕を掴んだままの美神に引きずられるように自由落下の道連れとなっていた。
急いでベランダに駆け寄った美智恵と公彦の表情に、身を投げた2人に対する心配はない。
美智恵は過去に見た2人の行動から、そして公彦は伝わる2人の思念から、美神と横島がとった行動が彼らにとってごく普通の行動であることに気付いている。
「ちぇっ、逃げられちゃった・・・・・・・・・・・・でも、どこかで見た光景だと思わない?」
「僕はあんな風に引きずられていないはずだが・・・・・・」
「だからアナタ似って言ったでしょ。あの時先に飛び降りたのはアナタで、引きずられた方が私!」
「・・・・・・・・・・・・そうだったね」
公彦が浮かべた懐かしそうな視線の先には、文珠の力で軟着陸を果たした2人が振り返りもせずに走り去る姿があった。
2人の行く末を夢想しかかった公彦の隣では、美智恵がどこか黒さを伴う上機嫌な笑みを浮かべ始める。
「まあ、今回は一緒に酔いつぶれるくらい、令子が横島君に心を許しているって分かっただけで良しとしましょう・・・・・・ねえ? 次はどんな手を使おうかしら? 横島君も馬鹿じゃないかってくらい鈍いから心配よね」
美智恵は楽しそうに笑うと、放り出した受話器を拾いに鼻歌交じりで部屋へと戻っていく。
そんな妻の姿に、公彦は二日酔いとは異なる頭痛を感じていた。
「令子にはすまないが、僕に似た以上彼女には勝てないな・・・・・・・・・・・・ひのめ。君はどっちに似たい?」
苦笑混じりの口調で、公彦は己の腕に抱くもう一人の娘に語りかけた。
昨夜見たような安心しきった寝顔に口元を緩めると、公彦は再び走り去る美神と横島に視線を戻す。
これから美智恵から受ける様々なお節介を予感したのか、彼似の難儀な娘は一度だけその背を振るわせる。
不器用な娘と何処までも鈍い青年の行く末を思い、公彦はいつしか心からの微笑みを浮かべていた。
―――――― いつか夢で ――――――
終
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