「だから僕はそんなモノを開発すること自体がどうかしてる!って…… 薫もそう思うだろ?」
そんな愚痴を聞き流す様に、目の前の薫がジョッキを空にした――
---------- 新橋 ----------
「おやじ〜! ホッピー2つ追加! 氷入りで! それとモツ焼き一つにボンジリと砂肝2本づつ! もちろん塩で! あとカシラも! 」
「って薫! 聞いてるのか? 飲み過ぎじゃないのか? 」
そう言いながらネクタイを緩めると、シャツのボタンを上から3つはずす。
汗を掻くジョッキに手を伸ばし、ホッピーをグビリとひと息に飲み干した。
なるほどこの街には生では駄目だ―――ホッピーが良く似逢う。まがい物かもしれないが、ココにはコレが一番シックリくる。さっき薫が言ったその言葉を実感した。理屈とかじゃないんだな……これはもう……そう。生理現象だ。
「おやじさん! ホッピーもう一つ追加! 速攻で! 」
この街の雰囲気に呑まれたのだろうか? 少しだけ照臭くもあったのだが、薫にならって店の奥に声を張り上げてみた。
店主店員が息をそろえて威勢の良い掛け声を返してくる。
「まだまだこんなもんじゃないぜ〜。皆本の方こそ飲み過ぎなんじゃないのか? しかもそんなに愚痴って……真面目すぎるんだよ! 何事にも……」
「だから尚更許せないんだよ! まったく、賢木の守備範囲の広さには呆れるよなぁ…… こんな店に薫を連れて来たなんて…… 」
憎まれ口を叩いてみたが、実はまんざらでも無い。
『この街は癒される……』
ふとそんな事を想った。
賢木クンに連れてきてもらったことあるから! と、薫に連れてこられた時には賢木の節操無しを呪ったものだ。薫をこんな店に連れてくるなんて……。まぁ、その時2人っきりで無い事は確認済みだし、100歩譲って良い事にしよう……
「サラリーマンの聖地かぁ……」
ポツリと呟いてみた。雑多な喧騒と煙り立つ路地の一角。定時で上って直行したにも関わらず、僕達2人が到着した時は既に店内は満席だった。
「だから近場のもっとちゃんとした店に行こうって言ったのに…… 」
そんな僕の言葉をニヤリと受け流した薫は、そそくさと店員と交渉を始めたのだった。
すると店員が颯爽とテーブルメイクをはじめて…… いや、そんなに品の良いものじゃないか。ビールケースを2つ重ねてベニヤ板を乗せる。それを手早く自転車チューブでパチンと留めた。
「こちらへお掛けください」
洒落っ気タップリに店員が丸椅子を出した。ねじり鉢巻きに裾のほつれた色あせた作務衣。確かにこれがここでの正装なのだろう。ニューグランデやクラウンのホテルマンにこう言ったら失礼にあたるかもしれないが、一流のサービスというものに卑賤は無い。その淀み無い一連の人間味溢れるある対応には舌を巻いた。
「ありがとう」思わず芝居掛かってしまったのも御愛嬌だろう。進められるまま席に着いた。
「外で我慢してやるから、お通しはグレートの良いやつサービスしろよな! 」
「うちのはどれだって、1流の“3流品”だよ! 」
奥に居た店主が笑って魅せた。ブーブーと嬉しそうに文句を言う薫と、店主の他愛も無いやり取りがしばし続いた――――
「な? ここも結構良いだろ? いつも皆本と行くトコロって、上品すぎるんだよ! 」
嘴を尖らせる薫に思わず見惚れた。だってそりゃそうだ。こんな立派なレディーと一緒なのだから……
今こうしてこの顔を見られただけでも、ここに来た甲斐があった―――と思った。
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「お客さん。そろそろ終電出ちゃうよ? 」
店主に促されて席を立つ。ゆらりゆらりと視界が揺れる。
「お客さん! 忘れ物! 」
店主に言われ、ビニール袋を指先に引っ掛ける。 今夜のしょく罪代わり、お土産にと……包んで貰った焼き鳥の詰め合わせ。正直こんなモノであいつらが喜ぶとは正直思えないが、別に何かの言い訳の為って訳では無い―――
呑みながらふと、そう思っただけだ。
「ちょっと皆本……だらしないぞ! 」
薫が僕のはだけたシャツとネクタイを整えた。
同じだけ。いや、それ以上に呑んでるハズなのに、薫の足元は僕よりもしっかりしてる。
ふらふらと歩く僕の腕をスッと取る。薫に身を任せて歩く自分がなんともみっともない。
すっかり街と薫に呑まれてしまったようだ。周りを見れば、絵に描いたような千鳥足のサラリーマンがふらふら。相方がいる分、僕の方がなんぼか見栄えが良いだろう。しかもこれだけの美女を伴っているんだ。文句なんて言わせない。これはこれで良い事にしよう。
「ほら! しっかり歩け皆本! 」
薫が僕を心配そうに覗き込む。ぐるぐる回るメリーゴーランド。見つめる瞳を8つまで数えたトコロで意識の深淵に溶けた――――。
「ん〜 気持ち悪い」
トんでいたのか? 気が付くと駅前の植え込みに崩れていた。
疼く頭を持ち上げる。
薫がペットボトルを片手に小走りで近づいてくる。
「あっ! 」
駆け寄る薫がよろけて転んだ。そしてヒールの踵がポキッと折れる。
僕はすぐさま立ち上がる。指先のビニール袋を内ポケットに無理やりねじ込むと駆け寄った。
薫の手に持つスポーツドリンクをグビリと飲むと大きく深呼吸。
有無を言わさず薫を背におぶる。
「ちょっ…… ちょっと皆本…… 」
「異論も反論も認めない。僕がおぶるって言ったらおぶるぞオブジェクション! 」
薫をおぶって立ち上がった時、不思議と身体が軽くなった。
終電の終わった街並みを当てもなく歩く……
背中を伝わる薫の体温が僕のココロを温める。
「今夜は茶臼でキマリだ! 」
すれ違う酔いどれカップルが大声でそんな台詞をがなりたてる……
全く意識していないかと言われたら答えはノーだ。
僕は魔法使いじゃ無い。今や薫だって一人前の……魅力的な女性だ。
偶然を装いながら、この界隈に迷い込んだのも御愛嬌というものだ。
背中の薫が「ん〜」と色っぽい声を出す。伝わる体温と鼓動が高まっている。
『なんだ…… やっぱり酔ってるんだな…… 』
僕のココロがさらに弾んだその時、薫がポツリと呟いた。
「責任…… 取ってくれるんですよね? 」
ふーっと首筋に吐息がかかる。それは僕をさらに大胆にさせた。
「心配するな! 僕にまかせてお…… 」
耳元に寄り添う薫の顔を見ようと首を傾いだ。
「柏木一尉? 」
一瞬で血の気が引いていく。
『僕は何をしてるんだ? 』
冷静に分析を試みる……
柏木一尉を背におぶり、踵の欠けたパンプスを左手がひょいと掴んでいる。
耳元では、柏木一尉の上気した顔。
その瞳に当てられて、僕の心臓が跳ねた―――
辺りはネオンと大人の入り口がズラリ。ふと見た看板に“地頭”の文字が輝いてる……
泣く子と地頭には勝てないとは言うけれど……
僕の躰の奥の方からそっと悪魔が囁きかけた……
精一杯に理性を振りしぼる。僕はその誘惑に勝てるのか……随分飲んでしまったし……
ふと、胸に宿る生温かさ。
背中の柏木一尉を落とさない様に、ぎこち無く動く右手をそっとスーツの内ポケットに伸ばす。
カサカサと袋の擦れる音―――そう言えばお土産買ったんだっけ……
改めて思う。随分飲んでしまった――
袋の口から立ち昇る安い獣脂の臭いが鼻についた時、今度は僕の胃袋が跳ねた―――楽になってしまえと悪魔が囁きかける。
……どうやら僕はその誘惑に勝てない様だ。
柏木一尉を慌てて下ろすと、僕は袋を取り出した。
そして、僕は劣情以外のモノがこみ上げてくるのを感じていた。
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疼く頭が昨夜の幻想が現実だと教えてくれる。
頭を抱えながらベットを降りるとカーテンを引いた。
黄色い朝日が僕の意識をクリアにしていく……
昨夜の事を思い出すと背が震えた。
そもそもの始まりを思い出した時、思わず拳を握って壁を撃った。
『あんなモノは認めない…… 』
疼く拳にさらに力を込めた。
局長がどこからか入手した人工ヒュプノ装置。その試作品――――
記憶と認識を、本来のソレとは捻じ曲げる効果があるらしい。それが真実だと調査で判った時は愕然とした。
「こんなモノを開発すること自体どうかしています! 」
装置の調査を命じた局長に詰め寄ると、苦虫を噛んだような顔をしていた。
柏木一尉に宥められ、そのまま定時で上がって飲みに繰り出して散々愚痴をこぼして……
「なんで薫なんだよ…… 僕はロリコンじゃない…… 」
調査の過程でミスがあったのか、僕は身を持って、その装置の効果を確認するハメになった。
捻じ曲げられた認識で、柏木一尉を大人になった薫と重ねた。
あれは現実でも願望でもない。捻じ曲げられた記憶と認識なんだ……
半ば強引に自分に言い聞かせると寝室を出た。
リビングのドアを恐る恐る開けると、薫、葵、紫穂の3人がジト目で見つめくる。
こいつらが怒るのも無理は無い。泥酔した揚句、タクシーで帰宅したのは午前様だ……たぶん。
実は良く判らない。
バツの悪さもあったのだが、無言のままダイニングの席についた。
3人は無言のまま、僕にジト目をぶつけてくる。
さてどうしたものか……その時お腹がグゥと鳴った。
空腹なのに気がついた―――コメの薫りが僕の鼻をくすぐっている。それは日本人の心と胃袋を揺さぶる薫り。これはもはや条件反射の生理現象みたいなものだ――――
「お粥。食べられますか? 」
「か……柏木一尉? 」
湯上りだろうか、小ざっぱりとした柏木一尉が僕のスエット上下を着こみ、キッチンで忙しなく動いていた。
真っ直ぐ柏木一尉の目を見る事が出来ない……
そうか…… 昨夜酔い潰れてそのまま一緒に……
チルドレンの3人がチラリと柏木一尉を見る。表面上は笑ってみせた3人が、そのまま視線をスッと滑らせて、今度は僕をジッと睨む。
柏木一尉が帰った後の八つ当たりが恐ろしい……
「で、皆本。おみやげは? ソレ1つでお仕置きに手心を加えなくも無いんだぜ! 」
「そうそう。酔っ払ったお父はんは寿司オリ持って帰ってくるもんやで! 」
薫と葵の言葉に思わず身を固くした。ん〜。やっぱりそれは規定のコースなのか……
「いや……買うには買ったんだが…… えっと…… つまり…… 」
「おみやげ落として来るなんてサイテーの酔っぱらいよ…… 」
紫穂は僕から視線を外し、遠くの空を見つめていた―――
「で、どこで呑んでたんや? 銀座? それとも赤坂? 」
「そうだ皆本! ドンペリ全色とか、高級クラブのお姉ちゃんの詰め合わせとか! 気の効いた名産みやげは無いのかよ〜! 」
尚も問い詰める葵と薫に、ちょっとバツが悪そうにお粥を炊いていた柏木一尉が呟いた。
「新橋で飲んでたのよ、いいところで月島に変わっちゃったけど…… 」
僕は口腔に残る酸味を改めて噛みしめた。
それは生理現象の余韻だった―――――
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