午後のひととき(その5)
煤け朽ちかけてはいるが豪華な調度から元はそれなりのステータスを備えたホテルの一室であった事を示す部屋。
そこに持ち込まれた野戦指揮所を思わせるほどの電子機材の間に置かれたパイプ椅子に座った三宮紫穂は物憂げな雰囲気に身を包み、人を待っていた。
ちなみに、彼女が身につけているのは華やかなライトオレンジのパーティドレス。同色の花をあしらったチョーカーがアクセントを添えている。
およそ部屋の有様とは不釣り合いではあるが、彼女の美しさはそれを圧倒するだけの力があった。
「いくら気配を消しても無駄よ! 超度7のサイコメトラーに隠し事はできない事は知っているでしょう」
人が近づくのを透視(よ)んだ紫穂は入り口に向かって声を掛ける。
「紫穂か?!」声と共に姿を見せる男性は彼女の待ち人−皆本光一。
しっかりと狙いを定めた構えた高出力熱線銃−エスパー・ハンターは姿だけでは本物とは信じないと語っている。
その緊張感が肌に心地良いと紫穂は笑みを浮かべる。それが証明となったらしく銃口が下がる。
「どうしてここに居るんだ? ここは賢木にしか教えていないはずだが‥‥」
皆本は当惑を隠さず尋ねる。
「だから? センセイだって私相手じゃ隠すごとはできないわ。超度7は測定不能、一つ違いでも『5』と『6』なんかとは全然違うのは知っているでしょ」
「だからといって来る必要はないだろ! 報告なら指定の回線で済む事じゃないか」
「あら、皆本さんの顔を見たいっていうのは理由にならないかしら?」
挑発的な反問に顔をしかめる皆本。苛立たしげに
「おい、ここは戦場、それもエスパーとノーマルが戦線もなく戦っている場所だ! 流れ弾だって人は死ぬんだぞ!」
「心配ないわ。今の私は空間全体の情報が透視(よ)めるのよ。流れ弾だろうが狙った弾だろうが弾道を透視(よ)んで避けるのに何の苦労もないわ」
自信たっぷりに言い切る紫穂。もっとも、自分が安全と考えた理由はそれだけではない。
完全に開花し習熟したサイコメトリー能力は、正規のプレコグに比べれば制約は多いものの、未来を高い−ほとんど超度7の−精度で”知る”事ができる。
そして、”知った”未来、この時点では自分はまだ生きている。そう、まだ、『この時点』では。
‥‥ 何かを言いかけ首を振る皆本。
来てしまった以上、咎めても仕方がない事に気づいたからだ。
「そういうことよ。それに危険という事じゃ、ここも私が居るところだって似たようなものだし」
「済まない。そうだったな」目を伏せた皆本は辛そうに詫びる。
多くのエスパーの支持を受けたP.A.N.D.R.Aとあくまでもノーマルの利益を代表する政府との内戦、皆本は対P.A.N.D.R.Aの実戦部隊に成り下がったB.A.B.E.Lに属しつつも、この不毛な戦いを終息させる道を探るグループを組織、リーダーとしての活動を行っている。
そして紫穂もそのメンバー、担当は政府からの情報の入手。
極秘扱いの情報にも手を出している以上、それは明白なスパイ行為。戦時体制の今、それは発覚、即、処刑もありうる重大犯罪だ。
「謝る必要はないわ。”出戻り”で動けない私ができる唯一の仕事なんだから」
彼女の表向きの仕事はB.A.B.E.L本部にあっての情報解析。
一見、適材適所だが、本当のところはその方が監視が容易だということ。P.A.N.D.R.Aの情報を収集のための偽りの裏切りという事にはなっているが、一度はP.A.N.D.R.Aに属したエスパーに対する政府の目は冷たく厳しい。
「‥‥ そう言ってもらえれば助かる」なおも言葉が重い皆本。
心に澱んでいるのは、彼女が情報収集に当たって合法・非合法とかいう以前に人が人として在るのに必要な良心とか倫理を一切顧みない手段−肉体的拷問や薬物など−を採っているという噂‥‥
いや、正確には、そういう手段で集められた情報で自分たちが支えられている現実に負け、当人にコトの真偽を問う事すら避けている自分の不甲斐なさ。
自分自身を嗤うとことさら平板な口調で
「頼んでおいた報告は? 上層部は今回の作戦をどう利用しようって考えている?」
「予想していた通りの事。せっかく捕捉した”女王”と”女神”を逃すわけにはいかないって。核反応抑止能力者がいても使える新開発の触媒式融合弾を(薫の)位置が確認され次第発射される事に決まったわ。もちろんそこに皆本さんが居てもね」
「そうか」と一言。味方の”裏切り”には皆本は特段驚きもしない。
管理官を失い組織のリーダーになって以来、この程度でガタつく神経はとうに摩滅している。
「まっ、予想通りって事はありがたいな。澪を通じてリークしておいた情報が生きるから爆弾は何とかできるはずだ」
「それにしてもノーマルの考える事は凄いわねぇ 多くは避難しているとはいえ、まだ万以上のノーマルがこの街にいるのにメガトン級の爆弾を使うって決めたんだから。この発想が浮かび実行するところにノーマルのしぶとさの秘密があるんでしょうね」
「この場合はノーマルというよりは権力亡者たちという括りにして欲しいな」
皆本は『僕もノーマルだ』と苦い笑いを浮かべる。
「それだけ連中も追い詰められているって事さ! 連中、判っているんだよ、この争いがどう転ぼうとも着く先にある世界に自分たちの出番がない事を」
「だったらとっとと首でも縊(く)くれば良いものを往生際だけは悪いんだから! どう? いっそのコト、私たちでそいつらを一掃しちゃえば。連中がしてきたコトの責任から言えば楽に死なせる事になるのは気に入らないけど‥‥ って、これは良識ある人間としては言い過ぎかしら?」
決して自分は”連中”を許してはいないと紫穂。
「確かに、しかしアレを見た君たちにはそれを言う権利はあると思っている」
皆本は暗い顔でそうとだけ答える。
「あらら、いつの間にか話が辛気くさくなっちゃって。せっかく薫と葵が戻ってくるおめでたい日なのに」
紫穂はそう言うと全身につけた装身具‥‥ の形をしたリミッターを手際よく外し、デスクの上に置いていく。
すべて合わせれば五十を数えるそれがあって初めて彼女は他者から受け入れられる。
もっとも、無秩序に数を増やすほど相互の干渉により周波数の空白帯は増え、能力の行使がやり易くなる事を大半の者は知らない。
「ちょっと待っててね。これだけ付けるとどうしたって肩が凝るのよねぇ 私って只でさえ肩が凝る体形だから」
その『たわわ』としか形容のしようがない胸を揺する紫穂に皆本は困惑の咳払いで視線を逸らす。
なにがしか和らぐ空気。
「それで薫ちゃんの”歓迎”準備はどう? けっこうキツイって聞いたんだけど」
「そこは大丈夫、みんなの協力で何とか間に合ったよ」
困難を乗り越えた者だけが持てる誇りを込めて答える皆本。
情報を操作し薫を誘い出す一方、利用されているフリをして必要な機材とマンパワーを引き出したのだから当然といえる。
「でも本当にやれるの? 計画の要は超能力を無力化することだけど、薫ちゃん相手じゃECMを飽和状態にしたって気休め程度なのよ」
「そこは最初から計算に入っているよ」
そう前置きをした皆本はデスクのノートパソコン−ECM制御システムの端末−に視線を向ける。
「これには薫の周波数特性を考慮した専用プログラムが入っていて、ほぼ短い時間だが100%彼女の”力”を無効にできる。領域変調に対する安全係数も1.2、取ってあるから必要な時間程度は保ちこたえられるはずだ」
「さすがIQ200の天才! 抜かりはないってところね」
褒めるというよりは茶化すようなトーンの紫穂、それをそのままに
「それにしても、よりにもよって罠を”あの”ビルに仕掛けるなんて趣味が悪いんじゃない」
強調された『あの』の言葉に皆本は視線を窓の外に向ける。
そこに見えるのは崩壊した超高層ビル。下から1/3ほどが完全に潰れ、残る2/3ほどがその瓦礫の上に乗っかった形になっている。
この建築工学上あり得ない崩壊をもたらしたテロの実行犯が薫。それまで関係者の間で囁かれいただけのクィーン・オブ・カタストロフィ(破壊の女王)の通り名が、このテロにより一躍知られるようになった。
そうした意味で特別な建物ではあるが、皆本にとってはもう一つ重大な意味がある。
この建物こそ十年前、初めて見せられた”予知”が示した場所なのだ。”予知”が現実になった時、薫はそこで命を終えるに‥‥
‘絶対にそうはさせるか!’と揺れ始めた心を鎮め何事もないように
「仕方がないさ。必要な条件を揃えるとあそこが一番なんだ」
「判っていても追い込まれる、超度7の予知の面目躍如ってところかしら」
‥‥ さりげなく投下された”爆弾”に皆本は蒼白になる。
伊号中尉の”予知”については、決定的な部分を隠してきた‥‥ つもりだったが、どうやら、とうに目の前の女性の知るところであったらしい。でなければ今の台詞が出るはずがない。
「そういうコト! カビの生えたプロテクトが何時までも通用するはずないでしょ」
紫穂は凄みのある笑みで薄紫色に光を放つ掌をかざす。
「だから来たんだな?」
「ええ。今日の起こる”はず”の事はチルドレンの一人として見届けなきゃならないもの。例え、皆本さんが望まなくてもね」
やや遠くを見るような感じの紫穂。
「これでも、このシーンを招かないように私なりに頑張ったんだけどね。けっこう裏目に出たりして‥‥ 思いあまって”予知”の本当を話すことすら考えたわ」
「が、話さなかった」
「そう、皆本さんと同じ理由で! 結局は手遅れだったって事。まだ、それをせずに変えられると思っている内に裏切りでしょ。あのコ、あの瞬間に覚悟を決めたのよ、皆本さんを裏切った贖罪は自分の死しかないって。あの後”予知”の話をしたって、自分の希望が叶えられるんだって喜ぶのがオチ、変える方向には働かないわ」
そこで一つため息をつくと
「ホント、観測者効果ですら折り込み済みなんだから伊号おじいちゃんの”力”は大したものよ」
どちらかといえば物ぐさな自分が能力に磨きを掛け開花させたのも、伊号の予知に勝ちたかったからだ。
「気持ちは解った。だからこそ、ここを離れてくれないか? 上手くいったら最優先で連絡を入れる。君まで危険に身を晒す必要はないだろう」
「爆弾の事ね。口にしたほどの自信はないんでしょう?」
「自信はあるが100%じゃない」皆本は注意深い言い方で答えを濁す。
「最悪の場合、君だけでも生きていて欲しいというのが僕の望みだ」
「ずいぶんと手前勝手な望みね!」
「どうしてだ? 君に生きて欲しいって思う事が間違っているとは思えないんだが」
「あ〜あ〜 薫ちゃんを逃がした時から分かっていたんだけど、皆本さんって人の心の有り様が本当に分かっていないんだから」
紫穂は芝居じみた感じで腰に手を当て嘆いてみせる。
「ここに爆弾が落ちるって事はどういう事? 薫ちゃんに皆本さん、それに葵ちゃんも死ぬって事でしょ。あと、それは阻止に失敗したって事だから、澪やセンセイ、紅葉さん、みんな死んじゃってるってコトじゃない。なのに、自分だけは生き残って‥‥ ったく! こんなロクでもない世界に一人残される身になってちょうだい!!」
普段、冷静という以上に醒めた態度で仲間に対しても一線を引く女性の叩きつけるような最後の言葉に皆本は目をしばたかせる。
一方、言い終え『しまった!』と顔を歪める紫穂。場違いに明るい声で
「あははは 今のは忘れて! 皆本さんが本気で心配してくれているのは良く分かっているから」
「こっちこそ済まない。君が気持ちを考えると無理な話だったかもしれない」
超度7−”測定不能”という尺度すら十分ではないほどに発達した彼女たちの超能力。薫や葵に取りそれはまさしくエスパーの救世主たる証なのだが、紫穂の場合、そのニュアンスはいささか(以上に)異なる。
エスパーが幾ら自らを新しい”種”であると豪語しても、人の”業”から抜け出せているわけではない。それぞれが当たり前に秘密、隠し事を持つ中、それを白日の下に晒せる”力”は決して側(かたわら)にあって欲しいものではない。
再度、B.A.B.E.Lに戻ったのも(そして薫と葵がそれを黙認したのも)、そうしたエスパーたちの恐れと『同朋』という建前からそれを隠そうとする偽善に嫌気がさしたからとのこと。曰く、『ノーマルが反射的に手を引っ込めるのは嘲笑で忘れられるがエスパーが反射的に手を引っ込めるのは忘れられない』という事だ。
そういう訳で、彼女が現在進行形で心を許している者の数は手の指で足りるほど。そしてその過半はさっき上げた名前に入っている。
後方に下がる選択肢がないのは、ある意味、当然かもしれない。
「そういうコト。私を助けたいって思うのなら絶対に成功させて! 今日についてはそれくらいのプレッシャーがある方が上手く行くんじゃない」
「分かった! ここで大人しく結果を待つっていう約束ができるならな」
「交渉成立ね。それと心配しないで。約束した以上は二人の場に顔を出すなんて無粋なマネはしないから」
そう悪戯っぽく微笑む紫穂。その目の奧に潜む冷ややかなで暗い炎に皆本は気づかない。
「ところで、薫が来るまでまだ少し時間はあるわね。その間、どうする?」
とさりげなく皆本の後ろに回ると背中に被さるように体を添える、いや押しつける。
ぴくりと強ばる皆本。あわてて立ち上がり
「少し仮眠を取ってくる。準備に四十八時間、目を開けっぱなしだったからな。それとその間、君はここで機材の見張りをしてくれるとありがたいんだが」
「誰も来るはずのない来ないここで”店番”?! それよりもどう? せっかく良いオンナが側にいるんだから、もっと有意義な時間の使い方があるんじゃない」
紫穂は潤んだ目で皆本の目を見る。手はさりげなくドレスの肩ひもに掛かり降ろそうとしている。
強ばった皆本の顔がさらに引きつり、死神の鎌を首筋に当てられたとしてもありえないほど真っ青になる。その死神に追い立てられるような早口で
「冗談はそこまで! それじゃ、ここを頼んだ! 誰かが接近したらすぐに起こしてくれ!」
とまくし立てると追い立てられるように部屋を出る。
「ふん! 冗談じゃないって知っているくせに」と口を尖らせる紫穂。
それにしても今のアプローチで逃げる強靱な精神力には尊敬を覚える。たいていの男なら体が触れた瞬間に発情した獣よろしく押し倒そうとしているはずなのに。
もっとも、そうした行動に出られる理由がもう一つある事を”知って”いる。
そう、彼の心にはすでに一人の女性−薫が”棲み”つき他者を拒絶しているから。
もちろん、彼の根幹をなす優しさから他の女性をないがしろにするということなない。しかし、同じく根幹をなす不器用さと頑固さからその場を他の女性に与えるという事は絶対にしない。
「そういうのまで透視(み)えてしまうって、こうなると呪いよね、葵ちゃん」
紫穂はこの場にいないもう一人の親友−指導者としての責任に押し潰されかけている親友を以前に変わらぬ誠実さで支えている親友の名前を出して嘆く。
彼女の場合、愛した人の心の内を気づいてはいても、本当のところは解らないと自分自身を納得させ、三人が揃って傍らにあった時代と同じに振る舞っている。
突き放して言ってしまえば、それは現実逃避でしかないが、コト、ここに至るとそういう欺瞞ができるのがうらやましい。
ふっ 皮肉と自嘲に満ちた笑みを口元に。
それが何だというのだ、今はもう進むしかない事は痛いほど判っている。
しばらくは超能力により周辺のスキャンを行うが、予想通り、近辺に人の気配はなく、各種警戒センサー、防衛システムも”生きて”いるので何者かが割り込んでくる懸念もまったくない。
それから超感覚の対象を隣の部屋に移し、そこも予想通りである事を確認。
ここまで状況に僅かな”揺れ”もないのだが、それについては何の感慨も浮かばない。
ふう 一つ息を吐くとポーチからあれこれ取り出し軽く化粧直し。
最後をリップで〆るとパソコンへ。
聞いたようにそれは対薫用ECMの中枢であることを確認。装身具の一つを取りキーボードへ載せる。
「あら、眠れないみたいね?」
最低限度の光量しかない部屋に入った紫穂は皆本にそう声を掛ける。
「ああ無理みたいだ」と皆本は寝床に使っているマットレスから身を起こす。
傍に座る紫穂を咎めるでもなく受け入れる。
「けっこう湿っているし埃っぽいわね。皆本さんなら、こういうとこでも塵一つないほど清潔にしているって思ってたんだけど」
「四十八時間、ほったらかしだから仕方がないさ」
『時間があれば』と生真面目に応える皆本。さらに肩を寄せようとする紫穂に今度は腕を回し引き寄せる。
「今度は逃げないの?」
「今更、追い掛けっこもないし、さすがに失礼だろ。でも、『ここまで、ここを越えず』だ。妥協したんだから、そっちも守ってくれよ」
「いいわ。妥協には妥協ってコトで」と紫穂は力を抜き体を寄りかからせる。
‘暖かい‥‥’
客観的に言ってしまえば、肌の温もりなど、当人が高熱を発していない限りさほど変わるものではない。しかし、今感じているそれは、自分にとっては何物にも代え難い安らぎを与えてくれる。
何年か前まではこうした事は日常茶飯事だったいう記憶が懐かしくも辛い。
そして続く心地よい沈黙の時。
「ところで今日の事だけど、本当に予知を、未来を変えられるって思ってる? 場所選びもそうだけど、どちらかといえば予知が実現する方へ方へ事態が動いているように見えるんだけど、錯覚じゃないわよね?」
体を心持ち離した紫穂は横にいる皆本を見る事なしに切り出す。
「自分の決断や行動が”予知”を創り出すって悪夢は飽きるほど見たよ。しかし経過が判らない以上、自分が正しいと思う事、できる事をしていくしか方法はないって今はもう割り切っている。それに、あのシーンを変える事は自体は心配していない、切り札はあるからね」
「へぇ〜 そういうのがあるんだ? 良ければ聞かせてちょうだい」
「大したものじゃなけど、何があっても引き金を引かないって決意が切り札さ! あのシーンはそれで起こらないはずだ」
「あはっ 自分でも信じていない事を言わないで!」
くだらないジョークを聞かされたと手を振る紫穂。皆本の方に向き直ると強化セラミックを思わせる硬質な冷たさで
「いくら撃たないって決意があったて同じ。あの場面でエスパーハンターのトリガーを引くのは薫なんだから。もう皆本さんだってその事には気づいてるんでしょ」
『やめろ! 薫!』皆本の脳裏にクライマックスがフラッシュバックする。
伊号中尉に予知を見せられてしばらく、この叫びを薫の攻撃に対してのものと解釈し、であれば自分の手に”切り札”はあると楽観していた面もあった。
しかし、ここに来て紫穂の示した解釈−薫の自殺−こそが正しいのではないかという疑念が高まり、今ではそれは確信に達している。
というのも、それを裏付けるような情報が幾つものルート(中にはP.A.N.D.R.A幹部からと思われるものすらある)から届いているから。
曰わく
P.A.N.D.R.Aの主導権はノーマルとの和平を捨てない薫からノーマルの完全殲滅を目指す過激派に移行、戦いの拡大が避けられない情勢に薫は未来への希望が見いだせなくなっている。
曰わく
そうした背景の元、止めようもなく激化する戦いにより(エスパー、ノーマルを問わず)拡大する被害を己の力のなさと考え自らを責め苛む日々が続いている。
曰く
そんな弱気を見せ始めた薫を戦いへの裏切り者と断じ処断しようとする動きが顕在化しつつある。などなど
それらの心労は彼女を追いつめ、いつ死という逃避に走ってもおかしくないとのコト。
ある意味、極秘であろうP.A.N.D.R.Aの内幕までも伝わってくるコト自体、状況が切迫を如実に物語っている(実際、彼女が死への逃避を考えているという情報の匿名提供者からは『何をしてもええから、薫を止めたって』とのメッセージが添えられていた)。
「これも承知でしょうけど、薫が皆本さんの誘い出されているように見えるのは今回の事が自分の心残り−つまりがアノ台詞−を皆本さんに伝える最後の機会と思っているから。そこまで思い詰めた彼女の前にしたら皆本さんの”切り札”なんか問題外。まず間違いなく、サイコキネシスでマリオネットよろしく”茶番”を演じさせられるコトになるでしょうね」
‥‥ 沈黙が紫穂の予想の正しさを雄弁に肯定する。
そう、こちらの意思など関係なく”予知”は着々と現実化に向かっている。
「ったく」軽く舌を打つ紫穂。
「自殺したきゃ今すぐにでも頸動脈を引きちぎれば良いのに、自分の気持ちだけは伝えたいだなんて贅沢言って往生際が悪いんだから。だいたい、当人はそれで気が済むから良いでしょうけど、言われた皆本さんの気持ちはどうなるの? 当人がここにいたら『皆本さんを泣かすじゃないわよ!』って横っ面の一つも張ってやりたいところだわ」
淡々とした口調ながらも最大の親友の糾弾を始めたのに皆本は目を丸くする。
結果的に属するところは異なったとはいえ、何よりも薫が大切と言って憚らなかったはずだ。
「皆本さんも皆本さん。そんな自殺願望しかない女なんか、勝手に首をくくらせておけばいいのに助けようと苦労のしっぱなし。その上、もしも上手くいかなければ身を投げ出すつもりなんだから」
「それにも気づいて‥‥」皆本はまるで心臓にナイフをえぐり込まれたような顔をする。
「本当の切り札は薫より先に自分のメッセージを伝えエスパーハンターで自分のこめかみを撃つ事でしょ。いくら薫ちゃんがバカでも皆本さんに『死ぬな』といって死なれたら死ぬわけにはいかないもの。ホント、二人とも自分が死ぬ事でケリをつけようってんだから不器用っていうのか、似たもの同士っていうのか‥‥」
そこで言葉が途切れると、表情に怒りが弾け
「いい加減にして、二人とも!! 薫にせよ、皆本さんにせよ、自分たちがやろうってしていることが、どれだけ身勝手なものか考えたコト、ある?!」
「『身勝手』って‥‥」
「そう『身勝手』! 他に言い様がある?! 二人とも自分の理想と現実のギャップが埋まらないからといって一人で”さよなら”! 当人は自分の”世界”が完結して満足でしょうけど、残された相手は?! 振り回された周りは?! 舐めるのもいい加減にして!! 自分のためだけに世界はあるんじゃないのよ、この自己ちゅーバカップル!!」
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」苦悩が答えがない問いを発する。
「別に、思った通りにすれば良いんじゃない」
言い尽くしたのか紫穂は憑きモノが落ちたようにあっさりと答える。
「この件で私がいくら言っても二人とも考えは変わんないのは”知って”いるわ。だから止めもしないし何も言わない。もう二人の身勝手さに振り回されるのはご免なのよね」
「済まない、こんな二人で。君にも葵にも迷惑を掛ける」心から頭を下げる皆本。
「本当にそう思っている?」と言葉尻を捉える紫穂。
その意図を計りかねるという感じの皆本を後目に
「なら、謝罪の証としてキスして。我が儘への償いとして決して高いとは思わないけど」
いったんは躊躇う皆本、さすがにこのままで済ます事はできないと思ったのか、寄せてきた体に向き直ると両肩を持つ。
「本当にいいのか? 形だけのコトに意味があるって思え‥‥」
紫穂は皆本の唇に指を当て言葉を封じる。
「今更だけど、皆本さんってホント、オンナの何たるかが分かっていないわね」
「済まない‥‥ 今日は何か謝ってばかりだ」
「そういう素直なところは好きよ、根っこの頑なさは『玉に瑕』だけど」
「済まない」とまた謝罪が出てしまい皆本は苦笑。
やや不器用ながらも誠実に体を引き寄せ唇を近づける。あくまでも軽く触れ合うだけだけという感じで唇が触れた瞬間、紫穂は思いっ切り皆本の頭を引き寄せその柔らかい唇で唇を奪う。
「おい! 少しばかりつけ込み過ぎじゃないのか」
軽く咎めるように微笑もうとした皆本の表情から力が失われる。その脱力は瞬く間に全身の力へ及び座っている事すらできなくなる。
その変調を驚くでもなく紫穂は倒れようとする彼の体を支え寝かせる。
表情は結果の分かり切った実験を見る科学者のように無機的だ。ハンカチで唇をぬぐうと
「しばらくは、手や足に力が入らないけど心配ないわ。薬の量は正確に調整しているから薫ちゃんが来る頃には完全に回復するはずよ」
う‥‥ う‥‥ 唇がわずかに震える皆本だが、うめきに似た音しかもたらさない。
「ああ、『どうしてこんなマネをするのか』って? 気にしないで。薫ちゃんや皆本さんに見習って私も自分がやりたいと思った事をやっているだけだから」
紫穂は先に変わらない(無機的な)トーンで答えると薬指の指輪を示す。
それは何度かリサイズしているが紛れもなく皆本から初めてプレゼントされたブースター付きリミッター。思うところの違いにより、薫や葵はもう身につけていないが、自分は頑なにはめ続けてきたもの。
「制御装置の上に超小型爆弾を置いてきたわ。で、これはその起爆装置になっているの」
ぼんやりとしていた皆本の目にこれまでにないほどの激しい感情が宿り体がぴくりと動く。
一瞬、飛びかかられるのではないかと体を強ばらせる紫穂。投与した薬の量に間違いはなく、それ以上の動きはない。
「‥‥それじゃ」と紫穂は何の躊躇いもなく起爆インパルスを発振する。
ずん! 小さいが重い音が部屋に届く。
「これでチェックメイト。まだ、行かないという選択肢は残っているように見えるけど、それはないわよね。今の薫の場合、出会えないコトが死に走る十分な理由になるもの。愛する女性にそんな淋しい死に方をさせる皆本さんじゃないでしょ」
あえて追い詰める未来図を描く紫穂。
それに反応し、目の前で動けない男の心に走る絶望とそれを作り出した相手に向けられる憎悪を味わう。これほどまでの感情は高超度サイコメトラーにとってはありふれた興奮剤など足下に及ばないほどの刺激だ。
‘今、直接、手を触れてたら卒倒するでしょうね’と心でつぶやく。
その思いつきを試してみたいという誘惑を断ち切り、レアメタル結晶糸で編んだ絶縁手袋をはめ着衣を脱がせ始める。
脱力した体は重く、多少、手こずるが、それが一段落すると、今度は芝居がかった所作で自分のドレスを足下に脱ぎ捨てる。
その下には何もつけておらず、並の男なら見るだけで心臓が喉元までせり上げようかという裸体が惜しげもなく顕わになる。
「今さらだけど”初物”じゃないから。でも、ある程度経験を積んでいる方が”美味しい”っていうでしょ。それに、その分は、これまでに習った色んなやり方でフォローするつもりだし。期待してくれていいわよ」
照れ隠しと判る三流エロ小説ばりの薄っぺらい台詞を口にする自分に苦笑を向ける紫穂。
やはり心に決めた相手となれば緊張はまったく別物らしい。
妙に面白がる”自分”を心の脇へ追いやり体を添える。頭を抱き上げると心ゆくままに深いキス。
そして‥‥
‥‥ 心地よい気怠さの中に広がる苦味が紫穂の意識を覚醒させる。
少しずつ動きを取り戻しつつある男の体から心惜しげに己を離すと簡易シャワーが設けられているバスルームに向かう。
このままでも良いと思う気持ちもあるが、さすがに埃っぽくなった体のままというのも気乗りがしない。
あるだけの水を使い体を洗い髪の毛を梳く。ほぼ、それらが終わったところで人の気配。
肌を通じ透視(よ)める狂気とも取れる殺意に”予知”に狂いが生じていない事を確認する。
どのような状況下でも聖人君子に振る舞う男だが、ここに至るまで薫のことをあきらめていない事で明らかなように、その底にある感情の量はサイキックエネルギーに換算すれば優に超度7に達する。
そして、自分が演じた裏切りとそれによる絶望は、その感情を行動−裏切り者への死の制裁−に転じさせるのに十分なはずだ。
そう、自分が”知った”未来によれば、数秒後、最悪の裏切りにより全てが台無しとなった皆本が自分に向けてエスパー・ハンターの引き金を引く。
自分がB.A.B.E.Lを裏切ったのは薫がB.A.B.E.Lを裏切ったから、それ以上の理由は何もない。
確かに、薫によって示されたアレは衝撃的ではあり、葵の裏切りはそれに拠るところが大きい。しかしサイコメトラーの自分にとっては『それがどうした!』の範疇の事。ノーマルがそれを為したのは単に自分たちが優位であったからに過ぎない。今度の戦争によりエスパーがノーマルより優位に立てばエスパーがノーマルに同じ愚行を繰り返すだけ(事実、その兆候は過激派の作戦行動に現れており、それが薫を苦しめる大きな要因になっている)の陳腐な代物だ。
だからP.A.N.D.R.Aに入ってからも自分の行動原理はひたすら彼女のために行動する事。例え、それが当人が絶対に認めないような”汚れ”た事であっても。
なのに薫はそれに手ひどい”裏切り”で応えた。
ここでいう”裏切り”とは皆本の事。
少なくともP.A.N.D.R.Aの指導者になった時点、遅くとも自分たちを裏切らせた時点で薫は皆本と決別‥‥ いや、あえて露骨に言えば皆本を殺し後顧の憂い断たなければならなかったはずだし、それが自分たちに皆本を裏切らせた事への最低限の贖罪のはず。
それがあろうことか‥‥
薫はB.A.B.E.Lを未だに皆本に心を残し、次の瞬間、絶望のあまり愛する人が自ら命を絶つような状況で愛の告白をしようと考えているのは裏切りでなく何であろう。
それでも、薫のために自分にできる事はと考えた結果が再度の寝返り。
前提として、皆本が理解しているようにP.A.N.D.R.A、あるいはエスパーに失望したのも確かだが、薫ができないのなら自分が皆本を殺す事でいっさいの未練を断とうと思ったから。
ちなみに、皆本殺害計画自体はあっさりと頓挫。薫と同じくらい自分も皆本を愛しているという単純な事実の前にしてはどうしようもない。あと、皆本が死ねばかえってその存在が薫の中で絶対化するのも癪(しゃく)だという思いも断念した理由だが。
そんな中、皆本が薫の身柄を確保するために(事実上、最後の)勝負に出るつもりだと知る事を知らされる。
エスパーの救世主たる立場を捨てられない薫の心境を思えば、身柄を押さえたところで何の解決にもならないのに、と未だ事の本質を判っていない皆本の計画を冷笑しつつも、事の成否を”知ろうと”(皆本に隠れ)計画書を全能力を使って透視。
結果、ここまでの展開と寸部違わないビジョンを得る。
それを得た時のリアクションは今も良く覚えている。
思わず吹き出し大笑い。なぜならそのビジョンでの振る舞いに自分が望む全てがあったから。
これなら薫と皆本に対する”ささやかな”復讐を遂げられるし自分の心の隙間も埋められる。そしてこれが一番大切な事だが、薫はその恋がもっともが美しい形で成就し皆本も‥‥
‘まあ、ここに来ちゃうとそれもどうでもいい事だけどね’
自分の行動を省みかけた紫穂はすでに投げてしまった”賽”の目に思いをはせるバカバカしさに気づき考えるのを止める。自分の”ターン”は残すところわずか、雑念はいらない。
そして姿を見せる皆本。
なお、麻痺が抜けきっていないのか苦しげな息の元、銃口をこちらに向ける。
引き金に掛けた指に力を入るのを紫穂は全身で感知、再び高まった満足感が体を熱く満たす。
一瞬の後、その熱を上回る激しい熱を肌で感じた。
掌に発砲の事実を示す温もりを感じつつエスパーハンターを降ろす皆本。
崩れ落ちた女性の晴れ晴れとした表情にそれまで自分を支配していた激情が嘘のように消える。変わって生まれるのは不思議なまでに穏やかな心。
今の行動で自分を捕らえていた”鎖”−チルドレンの命を最優先としなければならないという思い、いや呪縛−が断ち切られたせいに違いない。
「君らしくもない冴えないやり方だがメッセージは受け取ったよ。心配するな、君に託された薫は必ず”救って”やるから」
そう言い残した皆本は部屋を後にした。
皆本は予知で示されたその位置に立った。
目の前にはクィーン・オブ・カタストロフィこと明石薫。その立ち位置も表情もこれまた予知で示された通り。
(何度も悪夢で見てはいるが)その虚無的でどこか悟ったような表情を目の当たりにし彼女がここに来るまでに起こった事を知った事を理解する。彼女たちの超心理ベースの紐帯を考えれば十分にあり得る話だ。
なら余計な話は必要はない。二人の事を心から想い、身をもってそれを示した女性のためにすべきことは決まっている。
「動くな! ”クィーン・オブ・カタストロフィ”‥‥ いや明石薫!!」
ふっ かすかにしかし楽しそうに笑う薫。
「熱線銃でこの距離なら… 確実に殺(や)れるね」
とそれが決められた台詞であるかのように返す。
そして寸分違わない台詞のやり取り。十年来、このやり取りを見せ苦しませてくれた老兵へのせめてもの当てつけだ。
「愛してる」と最後の言葉が紡がれる。
その言葉と同時に動くエスパー・ハンターのトリガー。放たれた集束熱線は薫を貫き体を宙に舞わせる。
満足そうな笑み湛えあたかも時間の進み方が遅くなったかのようにゆっくりと落ちる薫の体。それをあらゆる感情が中和し合ったような無表情で見届ける皆本。
ひゅ ぱっ 正面にある意味おなじみの音。
皆本はあたかもそこにいたかのように現れた黒髪の女性−葵の気丈な視線を真っ向から受け
「二人とも僕が手に掛けた。復讐したいというのなら抵抗はしない。まあ、わざわざ手を汚さなくともここに僕を放置すればそれで済む。阻止指令は取り消しておいたから、おっつけここに核ミサイルが降ってくる」
「アホ言いなや! ウチは皆本はんにそんな楽な途を取らせるつもりはあらへん。それが一番の復讐やろ」
葵は抱いていた紫穂の遺体を薫の傍らに降ろすと手厳しく応える。
「だろうな」と軽く微笑む皆本。
それに触発されたのか葵も心からの笑みを口元に添え
「紫穂もそやけど、薫、満足そうな顔やなぁ 最後まで、自分の”手”でトリガーを引くのは嫌がっとったから。皆本はん、嫌な思いをさせてしもてすまんかったわ」
「礼は紫穂に言ってくれ。彼女のおかげでこうして”予知”も覆すことができたんだから」
と皆本。トリガーを引いたのは自分の意志だし愛する女性を葬ったのにもかかわらず生き続けようの決意もあるから。
「ふん、何でこの腹黒女に感謝せなあかんのや!」不満そうに葵は鼻を鳴らす。
「ええ(良い)とこは持っていくし勝ち逃げかますし、ホンマ、根性、ババ色やで」
「オイオイ、何て事を言うんだ」
「かめへん、かめへん、これくらい言わんと堪えんやっちゃ(ヤツや)。それに、今は笑ってそれを許せる心境やし。何ちゅーても、生き残ったのはウチ、こういう勝負は最後に笑ったモンが勝ちと相場が決まっとる‥‥ うっ、うっ‥‥ これが最良の結末やって‥‥ 喜ばなって思っているのに、涙があふれて止まらへん」
途中から生じた嗚咽が号泣に決壊しようとしている葵をやさしく皆本は抱き寄せる。
「さっ、ここを去ろう。泣くのは他でもできる」
「そやな」葵はうつむいた顔を毅然と上げると涙を押さえ込む。
「紫穂、跡形もなく自分を消したいというんが薫の希望やから、ここに残しとくで。まっ、不足があったらウチが死んでから文句を言いきぃ まあ、ウチはあんたらの分だけ長生きするつもりやから百年は先の事やけど」
と言い残すと皆本に顔を向け
「皆本はん期待してるで。吹っ切った天才がどんな風にエスパーとノーマルを和解させるか」
「ああ、任してくれ! ”どんな”策(て)を使っても実現してやる。それが残された僕たちの務めだからな」
「ほな、ウチらも脱出しよか。未来へ向かってな」言葉と同時に消える二人。
入れ替わるように閃光が辺りを包み、一切を焼き払った。
どちらかが種として絶滅するまで終わらないとされたエスパーとノーマルの戦争も終わる時が来た。その結末はたいていの戦争がそうであるように『たったそれだけの答えを得るのにそれほどの犠牲が必要だったのか?』というお決まりのものであったが平和は平和に違いない。
歴史家の中には、ノーマルとエスパーが破滅の淵で踏み止まったのは双方の勢力を決して諦める事なく仲介した第三勢力があったからだと指摘する者もがいるが証拠は何もない。
ただ言えるのは、そんな歴史のどこを探してもP.A.N.D.R.Aの野上葵とB.A.B.E.Lの皆本光一の最後については何も伝えられていないという事。
二人の消息はようとして知られていない。
Please don't use this texts&images without permission of よりみち.