「――歯ブラシにコップに、その他諸々っと……足りない物は全部買ったよな」
左手に大きな買い物袋を下げ、右手の指を折りながら横島は確かめる。
その隣を歩くのは、スレンダーなボブカットの少女、ルシオラ。
頭にひょっこり伸びる触角を除けば、普通の人間と何ら変わりなく、誰も彼女が人類に敵対した魔族の幹部だったとは思わないだろう。
南極でアシュタロスが核ミサイルによって滅び、平和が訪れた――そんなある日の出来事。
「ごめんねヨコシマ。せっかくのお休みなのに、買い物に付き合ってもらっちゃって」
「気にすんなよ。別に予定もなかったし、これもデートだと思えばさ、楽しいだろ」
横島は美神除霊事務所に間借りすることになったルシオラの、日用品を色々と買いに行っていた。費用は事務所に暮らすことを強く奨めた令子が出したので、横島とルシオラは気兼ねすることなく買い物をし、二人の時間を楽しむことが出来た。
「ふふ……そうね。私もね、一緒にいられてホッとしてるの」
「へ、なんで?」
「今までいろんな事を聞かれて、知らない人とばかり会ってたし、なかなか落ち着けなかったから。仕方ないことだけど、気は休まらなかったわ」
「そうだな……でもま、これからはのんびりできるさ。世の中は平和になったんだしなっ」
「ねえヨコシマ」
「ん?」
「せっかくだし、もうちょっと二人で歩いていたいな」
「よ、よし。じゃあ遠回りでもするか」
ルシオラは少しはにかみながら、横島の左腕に自分の右腕を絡める。
少し驚いたが、横島はさりげなく荷物を持ち替えた。
もちろん、ルシオラがくっつきやすいように。
こんな二人の姿は、誰が何と言おうとカップルである。
(ああ……今までは眺めて悔しがる側だったのが、俺もついに悔しがられる側へ。コレを至福と言わずして何と言おうかっ!)
左腕には彼女の体温と、ほのかな膨らみの感触。
あったかくてやーらかくて、これが欲しかったんやと望んだ物が、今ここに。
心の中でガッツポーズ、表情はすっかりデレデレになった横島は、この世の春を存分に満喫していた。
――だが、しかし。
そもそもモテ無い(本人談)ことが、アイデンティティである横島がモテるという、一種の歪みが宇宙の因果律を狂わせ――るなんて事はないにせよ、良いことばかりは長く続かなかったりするのも世の常。
突然空模様が怪しくなり、あっと思ったときには土砂降りの雨が、二人の上に落ちてきた。さっきまではカラッと晴れていたこともあり、傘など持っているはずもない二人は、すっかりびしょ濡れになりながら雨の中を走った。
「わわ、なんで急にこんな降るんだ」
「どこか雨宿り出来る場所探しましょ。このままじゃ風邪引いちゃうわ」
ルシオラの手を引いたまま横島は走り、ふと気付く。
「……よく考えたら、俺のアパートがすぐそこじゃねーか」
遠回りしたのが幸いし、横島達はアパートのすぐ傍まで来ていた。
ひどいどしゃ降りに是も非もなく、二人は部屋に駆け込んだ。
「うひーっ、パンツまでずぶ濡れだあ」
「私も……乾かさないと、こんな格好じゃ事務所まで帰れないわね」
「乾かすったって、ここじゃ着替えも――」
「あら、びしょびしょのままでいろって言うの?」
「いや、そうじゃないけどさ。脱いだ後どうするんだよ」
「……」
「……」
ルシオラが赤くなってうつむくので、横島もつられて赤くなる。
それが何を意味しているかは、ルシオラとて承知の上ということだ。
「恥ずかしいに決まってるでしょ。でも」
顔を真っ赤にしながら、それでもルシオラは、
「見られても……いいかなって。一度は決心したんだし、ね」
「ル、ルシオラ――!」
頭の中は臨界点を突破。
夢に見た甘いシチュエーションとほとばしる煩悩が、横島の理性を粉砕した。
「――はっ!?」
目が覚めると、大の字になって寝転がっていた。
身体の上には白いシーツが一枚かかっていて、その下はすっぽんぽんである。
(えーっと、あれ? 記憶が……)
思い出そうとすると何故か頭が痛い。主に後頭部。
むくりと起き上がると、隣には同じシーツで身体を隠したルシオラが、微笑んでいた。
「おはよう、目が覚めた?」
ごくり、と唾を飲む。
ルシオラも、シーツの下には何も身に付けていないのが分かる。
身体のラインがはっきり解る布地に、煩悩が急速に刺激されるのを横島は感じた。
「えっと、これってどういう状況?」
マヌケなことを聞いていると自分でも思うのだが、憶えていないのだから仕方がない。
「見たとおり……かな」
「見た通り、って言われても」
若い男と女が、ひとつ屋根の下ですっぽんぽん。
導き出される結論は、おのずとひとつに絞られるのが普通だろう。
「あのさ、そのー。俺、よく憶えてないんだよ」
おそるおそる横島は言う。
ここまで発展しておいて何を言うのかと怒られそうで怖かったのだが、
「そんな……勇気を出したのに、ひどいわ!」
案の定、ルシオラはよよよ、と泣き崩れる始末。
地雷を踏んだとあたふたする横島を見て、ルシオラはプッと吹き出して笑った。
「冗談よ、じょ・う・だ・ん」
「……心臓に悪いっつーの」
「あはは、ごめんね。本当は、何もなかったの」
ルシオラによると――煩悩極まった横島はルシオラに飛びかかって押し倒そうとしたのだが、勢い余って足が滑り、派手に転んで後頭部を打って気絶してしまったのだという。ルシオラは横島の服を脱がせ、自分も服を脱いで、こうして乾くのを待っていたのであった。
「そっか、なんか残念なよーな、ホッとしたよーな」
とはいえ、二人っきりで裸、布一枚な状況に変わりはない。
一度気絶して冷静さを取り戻した横島は、これからどうしたものかと頭を悩ませていた。
「……へっくしょん!」
やはり肌寒い。シーツ一枚ではなかなか温かくはなれないものだ。
それはルシオラも同じではないのかと思ったが、この状況でどうやって下心無しの気持ちを伝えればいいのか、皆目見当も付かない。
(違うんや、確かにちょっとそう言う気持ちもあるけど、いやらしい気持ちじゃないんやッ!)
一人焦れていると、ふいに。
ルシオラが身体を預けるように、もたれてきた。
「ル、ルシオラ?」
「こうすれば寒くないでしょ」
「えっ、あ、ああ」
「あったかいね……」
そう呟くルシオラの肩は小さい。
こんな小さな体で、命を賭けて自分を思ってくれたのかと思うと、彼女が愛おしくてたまらない。
横島はそっと、腕を彼女の肩に回す。
「こうすれば、もっと温かいだろ?」
「うん」
結ばれれば、死ぬ。
それを承知で自分を思ってくれた彼女に、何を返せるだろうか。
いま自分に出来ることと言えば、ルシオラを離さないことだけ。
抱きしめた。強く、強く。
ふたつの影が重なる。
確かなことはただひとつ。
熱いほどの、互いの温もりだけ。
ルシオラが事務所に戻ったのは、翌日のこと。
雨は止み、空には美しい虹が橋を架けていた。
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