4374

妄想暴走おキヌのたくらみ

視界はシャワーの湯気に霞んでいた。
艶やかな黒髪を今まさに洗おうかとしていたおキヌは、窓の外に感じた気配と視線によって動きを止めた。
激しい動揺と混乱。
そしてそこから一瞬の後に回復したおキヌの心は少しの怒りとたくさんの戸惑い。
それとほん〜の少しの喜び、とも取れる期待感が混在する無秩序状態となっていた。
そこは旧渋沢邸、現美神令子除霊事務所のバスルーム。
時は所員総掛かりの仕事を終えたある春の夕刻。
普段は所長である美神より先に浴室を使うことなどめったにないおキヌではあるが今は夕食の支度時間。
仕事終わりのホコリっぽい格好のままでは支障があるだろうという皆のはからいで一番湯を頂くことになった。
そのめったにない状況が勘違いを生んで今の事態を招いたのだろうか。
あるいはおキヌだとわかったうえでの行動なのであろうか。
換気のため少しだけ開かれている窓の外にはおキヌがよく知る、しかしおキヌ自身に向くことはめったにない煩悩の気配が確かにあった。
この建物はそれ自体が人工幽霊一号というある意味万全のセキュリティーシステムである。
その人工幽霊一号が警報を発しないということはつまり窓の外の煩悩発信源は内部の人間ということになる。
そんなことを抜きにしても美神事務所のバスルームは地上○階。
高さにすれば十数メートルにはなろう。
そんな場所の外壁に現われるような人物。
おキヌにはひとりしか思いつくことができない。
(よ、横島さん!?)
先ほど感じた怒りは覗きという行為に対する生理的な嫌悪。
戸惑いは単純に始めて体験することに対する驚き。
期待感は自分が彼にとってそういう対象になったのかという充足感。
しかし戸惑いの中には、彼が今バスルームに居るのが自分ではなく他の人物だと思っているのではないかという不安も含まれていた。
おキヌは謙虚な娘ではあるが決して自分を過小に評価しているわけではない。
自分の顔の造形は絶世、とはもちろん行かないものの美人の範疇には入るであろうということを理解している。
しかしこと体形ということになるといささか心元ない、と彼女は思っていた。
世間一般から見たならば彼女は顔も身体も性格も充分過ぎる程に美少女の基準を満たしている。
だが彼女が基準としているのは横島忠夫という名のさえない煩悩青年の嗜好であるのだ。
彼の過去の言動や行動から彼が女性の体形に求めているは俗にいうぼんきゅっぼん。
例を挙げるなら所長の美神令子や呪術師の小笠原エミのような 白人モデル裸足! の体形だ。
もしかしたら横島は、バスルームにいるのが美神だと思って行為に及んでいるのではないのだろうか。
「きょ、今日は疲れたなー。」
おキヌは唐突に顔を上げるとやや裏返った声を張りあげた。
独り言にしてはどう考えても大き過ぎるその声。
もし横島が勘違いでそこにいるのであれば今の声で間違いに気づくだろうと考えてのものだった。
( ! )
神経を研ぎ澄ましていたおキヌには、窓の外の気配が動揺の波動を発したことが確かに感じ取れた。
「……………。」
ヒャクメの心眼を一時的に授けられてからこっち。
透視や千里眼はさすがに会得できなかったが、気配を読むことに関しては格段の進歩を遂げたおキヌ。
息を殺して外の気配の反応を待った。
(/////////)
外の気配は動かない。
むしろおキヌが独り言を発したことによって、自分の存在が気づかれていないのだという安心すら得たようであった。
つまりそれは。
(美神さんと間違えているわけじゃない。わたしだってわかってるんだ…)
おキヌは顔がほころびそうになるのを堪えていた。
普通に考えたならばいくら相手が思い人とはいえ同意無しで入浴を覗かれるなど女性として苦痛以外のなにものでもない筈である。
しかし少々普通ではない生い立ちと境遇と経験と人間関係、その他もろもろの事柄がおキヌの感性をいささか普通ではないものにしていた。
今おキヌの心にあるのは彼の行為に対する怒りと嫌悪と蔑み。
されどそれより遥かに大きな割合を占めていたのは自分は彼の守備範囲に入ったのだという優越感にも似た歓喜の感情であった。
(え、ででもどうしよう?!)
不意に心に冷水がかかる。
自分は今、ここからどういう行動をとればいいのだろうか?
覗かれていることがわかっている以上このまま何食わぬ顔で裸身をさらし続けるほどおキヌには露出の気はない。
かといって気づいているということに気づかれたならばこれからの横島との関係がギクシャクしてしまうかもしれない。
やはり押さえるポイントがどこかずれている葛藤がおキヌの心を駆け巡る。
そうしてオーバーフロー気味に疾走したおキヌの思考は、突飛な結論を弾き出した。
横島はあれでいて責任感の強い男である。
自分ことおキヌは天然系ではあるが古風な娘という定評がある。
もし横島が自分の裸を直目撃し、そのことに自分が気がついているという状況を作り出せたなら。
横島は責任を取ってくれる、つまるところ正式な結婚を前提とした付き合いに発展するのではないか。
そして周囲も、自分の事を気遣ってしぶしぶながらそのことを容認してくれるのではないか。
おキヌらしからぬ弱さを武器とした卑怯な方法ではあるが、暴走する恋乙女の行動は止まらない。
(いざ! 参る!)
意を決したおキヌはすこぶる付ともいえる棒読み口調で少し大きく呟いた。
「湯気で何も見えないわ。そうだ窓を開けて空気を入れ替えましょう。」
台詞が終わるそれより早くおキヌはガラリと窓を開けた。
勢いと暴走がもたらした彼女としての大決心が揺るがぬうちに、そして人外の俊敏性を持つ彼が己の視界から逃げ切ることを許さぬように。
「「あ?!」」
おキヌの視線と窓の外に潜んで(?)いた人物の視線がぶつかった。
おキヌの裸体は真正面からしっかりとその人物の瞳に捕らえられていた。
おキヌの計画は実らないことが確定した。
おキヌはとても優しい、それでいて地獄の底から聞こえるような響きの声で呟いた。
「そんなところでなにやってるのかしら?」
「な、なにって…」
煩悩の発信源は怒気に当てられ石化した。
そこに居たのは横島ではなかった。
居たのは美神事務所の勝手に居候。
絶滅危惧種のれじゅ妖精、鈴女であった。
「な・に・を、やっているの?」
「えっと…その…」
散飛の途中で窓が開いていたからちょっと覗いただけよ、同姓なんだから別に問題はないでしょ。
あらかじめそういう言い訳を用意していた鈴女であったが湧き上がる不穏な空気を察して口ごもる。
いけない、ちょっとした目の保養のつもりがなに? 生命の危機?
「わたしのドキドキを、決心を、計画を、イメージを……」
「ひっ!」
羽ばたく鈴女。
少しだけ遅い。
「返してよ〜!!!」
理不尽あたっく炸裂。

その後しばらくおキヌは羞恥心と自己嫌悪に苛まれ。
鈴女はミニミニミイラと化していたそうな。

「あれ? 今おキヌちゃんの叫び声聴こえなかったっスか?」
「そんな事いって覗きにいこうっていうんじゃないでしょうね? 黙って座ってなさい。」
「いや〜美神さんならともかくおキヌちゃんにそんなことしたらホントの悪も「黙れ!」ほぐぅ?!」
オフィスではいつものやり取りが展開されていた。

おしまい
お久しぶりです。
憶えておいででしょうか、山神です。
前作をお読み下さったみなさまありがとうございます。
コメントを下さったみなさまとてもありがとうございます&返しを怠り申し訳ございません。
今回はもしコメントがいただけたならばがんばってお返事したいと思います。
お読みいただければ幸いです。

[mente]

作品の感想を投稿、閲覧する -> [reply]