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美神令子の溜息

「ねえ、散歩いかない?」
「んぁ?」
「だから、散歩。行かない?」

まどろみを打ち消す様な澄んだ声。女性の声だから何とか反応出来たが、これが野郎の野太い声だったら間違いなく無視していた。それ程に俺は心地よい眠りについてた訳だ。だからさ、つい“散歩”というキーワードで、反射的に弟子の名前が出て来たのは仕方ないと思うんだよ。まじで。

「シロー。また今度なぁ」

ひゅぼう、めらめら。

誰だ、誰だ、誰だー。
シロのベッドで燃える俺、放火だーい好き、タマモマーン。

「タマモ!逝くぞ、オカルト忍法“火の狐”だ!!」

途端、爆発的に燃え上がる俺の体。ご丁寧に炎の形は九尾の狐を模している。腕を上げたな、タマモっ。

「狐色にしてやるぜ!!」

狐の炎を身に纏い、いざ突貫。シロのベッドから飛び上がり、野獣の様に眼前のタマモに飛び掛る。もはや、狐火の温度は中級霊なら一発浄火、上級霊ですら迂闊に飛び込めんレベルに達している。正に必殺。というか、完全自爆。煽るんじゃ、無かったぜっ。

涙すら蒸発する激温の炎は、飛びつかれたタマモにすら引火している。ふふふ、自身の体すら犠牲にするオカルト忍者を舐めるなよ。

五秒経過。抱き締められたタマモは少し驚いた顔をしている。

「……………」(だらだらだらだら)
「……………」

十秒経過。攻撃を強めようと、より一層抱く力を強くしてみる。

「……………」(ジュージュージュージュー)
「……………」

三十秒経過。炎のせいで空気が薄い。喘ぎタマモの肩に顔を乗せた。

「……………」(轟、轟、轟、轟)
「……………」

一分経過。俺の顔は真っ赤だ。タマモの顔も赤い。そりゃ、俺の視界全体が真っ赤だからね。

「あのー、タマモさん。熱くないんですか?」
「熱いというより、あったかいわ」

OK。俺の決死の攻撃は全く敵に通じてないようだ。思考を整理して、答えを導こう。これが、弱者と呼ばれる人間が、強者たる上位存在に打ち勝ってきた技法なのだから。

ぐりん、とりあえず首を後ろに回してシロのベッドを見る。シーツと布団に激しいしわがより、今まで人が眠ってましたといわんばかり。焦げ後、特になし。俺の服はというと、ちょっと焦げ臭いが燃えていない。タマモは、炎何それみたいな気配。もともとこいつの術だしな。

ようは、俺以外狐火の被害を受けていないのだ。いくらタマモといえど、狐火という能力だけじゃここまで精密な攻撃は出来無い筈。しかし、この燃える感覚は実に慣れ親しんでいる訳で。という事は、あれだ。ずばり、俺の脳裏に描き出された答えは、どんっ。

「自分に幻術をかけ、対象物以外に狐火の効果を出さない様にしてるんだな」
「正解。流石に“火の狐”モードになったら完全な制御が出来なくて、あんたの服に被害が出てるけどね」

通常の炎とは燃える仕組みが違う、念力発火能力を上手く利用した手だと思う。本気で腕を上げたなタマモ。

ともかく、俺のした事まるで無意味じゃん。幻術ならと甘い期待を抱いてはいたのだが、念力発火能力を一身に受け続けてきた“高性能実験受身型丁稚”たる俺は、既に目隠ししてても、ひのめちゃんが出した炎とタマモが出した炎を比べる事が出来る。因みに小竜姫様の炎も判ったり。つまり、横島忠夫に関していえば、幻術の炎は効かないのだ。流石、リアルの炎は熱いね。

「うぁっっちー!!」

ごろごろごろ、がん。ごろごろごろ、がん。以下三回程リピート、転がり壁にぶつかり続けます。ぶっちゃけ、念力の炎に通常消化はあまり効かないんだけどやらないよかマシ。ビバ!レッツ、ローリング。

ごろごろごろ、がん。ごろごろごろ、がん。ごろごろごろ、ぶす。……………ぶす?YES!BUSU!

ちなみに擬音としては、何かを突き刺す、突き刺した際に使う事が多いこの擬音。当然、壁にぶつかる時の音では決して無いわけで。音のした方を見れば、何故か槍が床から生えてるわけで。俺の脇腹付近から槍が「こんにちは」とか言ってるわけで。はっきりいうと掠ったというより、抉ったっぽい傷がわき腹に出来てる訳だったり。

だらだらだら。透明な液体が体全体。赤い液体が脇腹から。タマモを見る。やっちゃた感丸出しで、黙祷のポーズ。後で見てろよ。

静まり返った屋根裏部屋の床から、ずぶりと槍が引き抜かれた。赤く濡れた槍の穂先が「バイバイ」と少し残念そうに去っていく。どうやら、直撃したかったらしい。流石お化け屋敷の槍、侮れねえ。事実、床に空いた穴は絶賛再生中だしな。

ともかく、ふーと息を吐き床に改めて寝転んだ。必然階下の音が聞こえやすくなる。んで、後悔した。

「ちっ、外したか」

ずばり、美神さんの声でした。

「あんたもかいっ!!」

とりあえず、叫んどきました。流石、お化け屋敷の所長、とんでもねえ。



「タマモ、包帯取ってくれ」
「はいはい」

シャツを脱ぎ、ポケットから出した手製呪符で床に広がった血液を吸収させる。タマモは多少文句ありげな言い方だったが、あれで義理堅い奴なのできちんと持ってきてくれるだろう。

脇腹、普通に五センチ程パックリ開いた切り傷は、間違いなく救急車レベルだと思うが、これ位でいちいち呼んでたら面倒くさくて仕方ない。この傷どうされました?ははは、所長に刺されました。パトカー来るっつうの。因みに止血は筋肉と霊力でしました。猿の爺に最初に褒められたのが止血の上手さってどうだろう。

「あちゃー、もろいってるわね」

救急セットを持ってきたタマモが、しげしげと傷口を見ながら言う。それは自体は別に見慣れた行為だから良いのだが、キャミソールにホットパンツという服装が拙い。床に胡坐をかいている俺の脇腹に、タマモが顔を近付けるという事は、つまりあれだ。見えるんだよ!色々と!ああ、高校生並みに育ったタマモがにくい。

「美神さんの攻撃には、何故か俺の勘も働かなくてなあ。つうか、お前も直ぐ狐火を出すのはやめい」
「別にいいじゃない。私とひのめのお陰で、霊的な炎はもとより全般的に耐性が出来てるんだから」
「開き直んじゃねえよ。そもそも、ぽんぽん人を燃やしてたら、いつか取り返しのつかんことになるだろが」
「大丈夫よ。横島以外燃やしてないから」
「や、それ大丈夫違うっっ!」

タマモの呆れた反論に言葉を返そうとすると、突然傷口に生暖かいモノが当たった。傷口という敏感な箇所に奇襲である、言葉尻が跳ねたのも仕方ない事だろう。余りにも突然の事に、救急セットから取り出した包帯が俺の手から転げ落ち、床に白いラインを引いていく。屈んで取ろうとするも、脇腹に顔を当てているタマモの存在にそれは出来なかった。

「……お、い。タマモ、お前何やってんだ」
「…ん、む。何って、ヒーリングじゃない判ってんでしょ」

傷口を舌先で舐めながら上目遣いでタマモは言う。言葉を言った後もタマモはその行為を止めようとはしなかった。その、手を当てるとは明らかに違う舐めるという感触はいっそ暴力的でさえあり、俺の意識を攪拌させるには充分すぎる。否応無く速くなる心臓の鼓動。懸命に懸命に時に優しくタマモは俺の傷口に舌を這わていく。何時もの勝気な態度からはかけ離れた今の姿。何より、九つに纏められた髪から見える、背中と尻に流れるラインがなんともいやらしい。呼吸が荒立ち、どうしようもなく興奮する。

「む、ン、……ちゅ、はぁ、んん、は」

ぴちゃぴちゃと、唾液と舌の絡む音だけが部屋に響く。そのはしたない声に二人だけの空間という事が嫌でも実感された。時間が麻痺し、この瞬間だけ引き延ばされた様な虚脱感。視覚の感覚さえも崩れ、俺の視線はずっと前からタマモしか映していない。長い金髪に見え隠れする頬に潤んだ瞳。舌先が傷口を舐め、時に唇を這わせていく。それはあくまでも優しく、とろけるような柔らかさ。敏感な部位だからこそ、タマモの軟らかさがダイレクトに伝わってくる。

「ふ、あ……はっあ、……ちゅ、ふ」
「ちゅ、んん、あ。……ふ、ちゅ、んん」

紅く、熱く、甘い。タマモの深紅の瞳には、そんな感情が垣間見える。その色はタマモの口にまで及び、血で引かれた紅は例えようもなく淫靡に見えた。反射的に視線を逸らす。これ以上見ていると自分が無くなりそうだから。それでも、俺の視線はタマモの肢体を撫でていた。タマモの女を見たいと体が叫んでいた。

金を溶かしたような髪。その隙間から覗くほっそりとした首。筋のない肩から伸びるしなやかな腕。薄絹一枚で遮られる背中は白磁の様なきらめきで、その全てが極上。そしてなによりも、ホットパンツに隠された臀部は、間違いなく女のそれだった。

ごくりと、生唾を飲み込む音が聞こえた。恥ずかしい位に大きく響いたそれは、完全にタマモを女として見た証。瞳が情欲に濡れていくのが判る。このまま、タマモの顔を上げさせ乱雑でもいいから抱きしめたい。その瞳を覗き込み、彼女の唇を奪いたい。もはや、ヒーリングだという自制は、唯の言い訳でしかなかった。そろりと、右手が勝手に動く。まるで誘われるように、落下するように、右手はタマモの頭に向かっていく。

いよいよ、俺の手は金色の髪に触れた。

「………ぁ」

正直、後悔した。
顔を上げたタマモの顔はうっすらと上気していて、潤んだ瞳が俺を見詰めたから。もう、本当にどうしようも無かった。衝動的にタマモの頭を引き寄せ、左手でタマモの腰を引き上げる。突然の事で驚いたのだろう、体を硬くしたがそれも一瞬。タマモは直ぐに俺の正面に来た。

目線が絡みあう。しかし交錯した視線は直ぐに外れた。タマモが俯いたのだ。上気した頬を隠すように、血で引かれた紅が恥ずかしいというように、タマモは体を縮こまらせた。何を今更。もう、俺は止まれないところまで来ている。そのブレーキを壊したのは、他ならぬタマモだろう。何時もは子供子供と馬鹿にしていたが、その実俺が馬鹿だっただけだ。もう、タマモは女だった。

両手を肩に乗せる。掌にびくりと強張った感触が伝わった。しかし、やはりそれも数瞬の事、タマモはゆっくりとだが顔を上げてくれた。二人の間に残ったのは決意と覚悟。もう、誤魔化すのは止めにしよう。今度こそ視線が合わさった。

やがて、タマモは観念したように眼を瞑った。



にやりと笑う。タマモも覚悟を決めたようだし、遠慮はいらんだろう。俺はタマモの肩を精一杯引っ張ると、勢いそのままに、強烈な頭突きをくらわせた。

「いっったああ!!」
「男心惑わす悪女には、煩罰が下るのじゃ!!」

俺の頭突きを受け、ごろごろと無様に転がる九尾の狐。ざまあみろってんだ。俺みたいなもてない君を誑かそうとした罪は、睡眠阻害よりも重い。これに懲りたらもう二度とはするまい。しかし、先程の俺のように転がるタマモは、覚悟していた割に随分痛そうだ。むう、強すぎたか。やがて、痛みが治まったのだろう、タマモはバネでも付いているのか弾かれたように起き上がった。

「横島っっ!!何すんのよ!!」

涙目で抗議してくるが、今の俺にはそんなもん効かん。それに、額に出来たこぶが笑いを誘って、誘惑どころの話ではない。にやけている俺が心底気に食わないのか、タマモは墨色の泣きそうな瞳で睨んでくるが当然無視。

「はっ!魅了の魔眼使って人を陥れようとした奴が、文句言うな」
「え゛」

ぎくりと、あからさまに表情を硬くした妖狐が一匹。もしや、気付いてないとでも思っていたのだろうか。

「瞳を紅くしてりゃ、いくら俺でも気付くっつうの。魅了の魔眼を覚えたのはいいが、実戦にはまだ早かったみたいだな」

いや、瞳の色で気付かなければ本気でやばかった。何と言っても、気付いた後も思考が流されるという極悪使用である。多分。ともかく、あのままでは、まじにくらいそうだったので、頭突きに移行した訳だ。

「お兄さんは悲しいよー。タマモちゃんがこんな悪さするなんて。ああ、嘆かわしい」
「う、ん」

つんつんと額のこぶを人差し指で突付く。タマモもわるいと思っているのだろう、可愛らしい拗ねた表情で大人しくしている。本当、いつもこうだったら可愛い可愛い妹分なんだろうが、もしそうなったらタマモじゃねえか。

一通り突付いた後、脱いでいたシャツを着る。傷は、まがりなりにもヒーリングをしてもらったのだ、俺の霊力と合わせて完治していた。ベッド脇に放置したジャケットを取る為にタマモから離れる。すると、驚いた事に何ともしおらしい声が聞こえてきた。

「あの、さ。横島。その、やっぱり怒ってる?」

正直、笑いをこらえるのに必死だった。あのタマモが、両手を前にして先程と同じように縮こまってるのだ。噴出しなかったのを誉めて欲しいくらいである。そのままの態勢で、ちらりと下にしていた目線を上に向けるタマモ。その墨色の澄んだ瞳は何とも不安そうである。それで、今度こそ俺は笑ってしまった。

「何で笑うのよ」
「そりゃあ、おかしいからだろ。額にこぶをつけて縮こまってりゃあ、誰でも笑うぞ」

はっと、タマモは額に手を当てると何度か額をこする。特にふくらみは無いのにだ。それで、先程から笑いっぱなしの俺を見て、タマモは何時ものように眼を吊り上げた。うむ、タマモだ。

「こぶなんて無いじゃない。妖狐を騙すなんて酷いわよ」
「嘘はついてねえよ。さっきまではあったんだ。ま、ヒーリングのお返しってことで」

俺の言葉の裏に気付いたのだろう、タマモは何も言えず悔しさでぷるぷる震えるばかり。さっきのつんつんにはヒーリングの効果があり、妖狐のポテンシャルと合わさって、額のこぶはすっかり完治していたのだ。

さて、これ以上いじめて騒ぐと、また槍が生えてくるからこの辺にしときますか。

「ほれ、散歩いくんだろ。美神さんに怒られんように窓から出るぞ」

手にしたジャケットをタマモに放り投げ、さっさと屋根裏部屋の窓を開け放つ。窓から風が入り、心地よい空気が頬を撫でた。太陽は高く、空は快晴、空気も良好。正に絶好の散歩日和だ。それなのに、後ろを見ると初めに誘ったタマモが呆然としていた。

「何してんだよ。赤飯も買いに行くんだからな。おキヌちゃんが帰ってくるまでに戻るぞ」
「えっ、ちょっ。赤飯て何よ」

若干慌てながらジャケットを着て、隣まで走ってくる妹分兼同僚の女性。眼を合わせてにやりと笑う。

「お前の悪女記念だよ」

窓枠に足をかけ、そのまま、一緒になって窓から飛び出した。

うん、いい天気だ。





オカルトGメンにて
「タマモちゃん、上手くやってるかしら」
「何をでござるか?」
「ん、ちょっとね。魔眼を教えたのよ。シロちゃんも覚える?」
「いや、拙者は遠慮するでござる。何と言うか拙者には合わない気がするでござる」
「そうね。タマモちゃんにはタマモちゃんにしか無い魅力。シロちゃんにはシロちゃんにしか無い魅力がある。シロちゃんが魔眼使いっていうのは、きっと似合わないわ」
「はい。拙者は、先生を超える霊波刀使いになれればいいんでござるよ」
「横島君も大変ね。さて、シロちゃんあと少し頑張りましょう。早く帰って貴方の師匠と会わなきゃね」
「そうでござる。たっぷり、散歩に連れて行って貰うでござるよ」
どうも、九十九です。
まず最初に、タイトルから美神さんものを期待された方はすみません。完全に彼女は裏方に回っています。この話は「美神の策略」の裏になるので、興味のある方はこちらを見られて下さい。
単体だけでは繋がらない所もある話でしたが、楽しんで頂ければ幸いです。
どうも九十九でした。

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