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天神山

昔々、京と言う所に
高島という一人の陰陽師が住んでいました…


「はぁー…どこかに良い女は落ちてねぇかな」

桜散る暖かな昼下がり、俺は誰に言うでもなく小さなため息を付いて歩いていた。

…まさか、人攫いとかそんな意味で受け取ってないよな?
落ちてる、というのは他の男の物になってない女は居ないか。という意味なんだぞ。
俺もそろそろいい歳。女房の一人でも欲しいと、縁を求めこうやって歩いているというわけだ。

「何を不埒な事を言いながら歩いているんだ、高島。暫く不味い飯でも食べたいかね」
「うっせぇよ、西郷」

俺の呟きを額面通りに取って…いや、それをネタに話しかけてきたという所か。
非常に不本意ながら、『友』と呼んでいる西郷が俺に話しかけて来た。
俺と同じ陰陽道の服を着込んでいるのに、何故にここまで雰囲気が違うのだろうか。

俺の恨みがましい視線を何処吹く風と受け流し、西郷は不敵な笑みを浮かべていた。
あー、やっぱコイツ苦手だ。


−−−−−
GS美神短編「天神山」
−−−−−


「高島、お前もそろそろいい歳だろう。いい加減女遊びはやめて妻でも娶ったらどうだ、この私の様に」
「へぇへぇ。良い嫁さんで羨ましゅうございますね、と」

コイツはコイツなりに俺の事を心配しているのかもしれないが、それは大きなお世話というものである。
そもそもこの西郷の妻であるキヌは、この京でも一二位を争うほどの器量良し。
しかも美人と来ている。愛嬌があり、笑む表情はまるで野に咲く花のようだ。

「大丈夫ですよ〜。高島さんも、きっと良い奥さんに巡り合えますから」

そう良いながらキヌは、西郷に寄り添いながら『ふよふよ』と浮いていた。

そう、浮いていた。


実は、キヌは幽霊なのだ。
西郷の妻であるが、俺らを含む陰陽一派や僧一派、後はごく一部の者にしか姿を見ることの出来ない朧な存在である。
だがそんな現状すら消し飛んでしまうほどに仲睦まじい夫婦。

こんな良い女なら、幽霊でも構わない。
そんなため息交じりの愚痴を零す同僚も少なくない。


「高島、俺の愛妻(まなづま)に手を出したら…幾らお前でもただでは置かんぞ?」
「出せるものならとっくに出してるっての」

陰陽という仕事柄、様々な魑魅魍魎と戦っている。
無論その中には幽霊の類も居る。
それに、自慢ではないが俺は陰陽一派の中でも上位に居る。

だが、そんな俺でもキヌに触る事は出来なかった。
いや、触れられるのは西郷だけなのだ。

霊に触れ、会話すると言われる者達ですら触れる事は適わず
一時期は、西郷の作り出した幻像ではないかとまで言われた程である。

だがキヌは西郷家の家事一般全てを請け負い、昼はこうやって共に歩き
夜は…いや、このあたりは無粋というものか。

それらキヌの取る行動全てが、彼女は現実に存在すると言わしめていた。


「横島、一つ提案なのだが…お前、人外を娶っては見ないか?」
「人外…っつーと、おキヌちゃんみたいな霊や妖(あやかし)の物か…ふむ」

確かに、妖が人の姿を取った時、非常に綺麗どころが多いのは確かである。
その中には、人以上に器量良しが居ても可笑しくは無い話であろう。

現に、キヌがそうなのだから。


「女癖の悪いお前のことだ。どうせ人の中でお前と夫婦(めおと)になりたいと思う者は居らんだろう」
「うぐ…否定できないのが辛いな」

それからニ三言話して居たはずだが、俺の意識は妻にする相手についての事で一杯になっており
気付いた時には西郷達は既に居なくなっていた。

どうも考え事をすると周囲が見え辛くなる。
それを知っている西郷は、さして気にせずに立ち去ったのだろう。


「人外の嫁…か」

そうなると、それなりに良い女が欲しい。
候補に挙がるとすれば…

「明神山に住まうと言う、竜の姫君か…結構転婆な所があるらしいが…ん?」

ふと耳を澄ませば、目の先の林で何やら騒々しい音がしていた。
気配から察するに、人一人と…獣だろう。
恐らくは、獣を取って食おうとしているのだろうが…こうやって気付いたのも何かの縁かと
俺はゆっくり、足を林へと進めていた。


「よう、雪乃丞。その獣どうするんだ?」
「『よう、雪乃丞』じゃねぇっ! なに本名で呼んでんだよ横島!! 俺は『雪乃進(ゆきのしん)』だっ!」

何を怒鳴っているのかは理解し難いところもあるが、恐らく腹が減っているのだろう。
俺は確りと『雪乃進』と呼んだはずなのだが。

雪乃進に捕まっていたのは、一匹の狐だった。
それも大人の狐ではない。幼いわけではないようだが…


「餓鬼の狐…それも雌となれば肉も柔らかいからな。皮は剥いで鞣(なめ)せば良い金に…うわっちぁぁっ!! おい燃やすなっ! 熱いだろうが! 芝居なんだから本気に取…だぁっちぃぃぃっ!!」

雪乃進の手の中で『がたがた』と震え、小さく縮こまっている狐とふと目が合ってしまう。
意思のある瞳。微かに感じる妖気。

つまり、この狐は妖孤なのだろう。


「いやそれ無理があるだろうっ!っつか助けろよ横島!」
「さっきから台本に無い台詞を喋ってんじゃねぇっ!」

…あの、続けていいですか、横島さん?
『おー、殴り飛ばして気絶しちまったけど良いだろ。序に雪乃丞の台詞も頼むな、ピート』

…こほん。

見れば意外に愛嬌のある顔をしている。
妖孤ならば人にもなれるだろう。
まさに思い立ったが吉日とばかりに、俺は雪乃進に商談を持ちかけていた。

『はぁ? この狐を逃がせって?』
「有体(ありてい)に言えばそうなるな。どうせ市に売っても銅貨5枚にもならないだろうしな」

そう言って懐を探り、取り出すは…銅貨2枚。

『って5枚すら無ぇじゃねえかっ!』
「い、いやー…昨日冥子ちゃんと朝方まで楽しんでいたからなぁ…ってそこ、意味ありげに頬染めないでっ! 美神さんもそんな怖い顔で袖から出ようとせんといてーっ!?」

…本当に最後までやれるんでしょうか。
っと、こほん。


「肉を捌き、皮を鞣す手間を考えればこんな物だろう。どうするんだ」
『う…む…し、仕方ねぇ。どうせもう逃げているしな』

そう…俺達が喋っている隙を付いて、狐は林の中へと走り去っていたのだ。
…すいませんタマモさん、横島さんに抱きついてないで袖へ行って下さい。本当、お願いしますから。

『じゃあ、この二枚は貰っていくぞ』
「へぇへぇ。またな、雪乃進」

雪乃進は俺の手から銅貨をひったくる様に奪い取ると、上機嫌に町へと戻って行った。
俺も戻るのだが…まだやる事が一つ。

「おーい、狐。もう捕まんなよー。餌が欲しかったらウチに来い。飯なら食わせてやるから。場所は陰陽寮の角の二件目だからなー」

妖孤といえば妖の中でも上位に位置する。そして、上位の妖となれば義理堅いのが常だ。
恐らくは、命を助けた礼にと家を訪れてくるだろう。
その時に『妻になれ』と言えば良い話である。


さて、その夜…

「とんとんとん。このお家は高島様のお家でございますか」
「ん、誰だ?」

戸口から聞こえる、愛らしくも美しい声。
まさに人為らざる者の魅惑的な声である。
俗世の言い方をすれば『当たり』だったわけだ。


「私の名は『葛の葉』。貴方様にお礼…」
「あぁ、昼間の狐だな。うん、愛(う)い愛い。ささ、ずずいと奥へ」

人と妖は交わざるもの。人は妖と恐れるからだ。
だが俺は陰陽師であるし、そもそもこの狐を助けたのは嫁に娶るつもりだったのだ。
俺は葛の葉の手を取り、奥の居間へと案内していく。

なんと細く艶やかな金色(こんじき)の髪だろうか。
なんと小さく、愛らしく、柔らかい手だろうか。
なんと…美しい顔だろうか。

俺は一目でこの葛の葉を嫁にしようと決意していた。
だが、葛の葉の方は気が気ではなかったのだろう。
あっさりと正体を暴いてしまわれ、無防備に居間に連れて行かれているのだ。
葛の葉の表情が少し陰り、青ざめているのが横目にもわかっていた。

「あの、横島様…私は一体どうな…あっ…や…ご無体はお止め下さ…」

もしかすると、俺はこの葛の葉に魅了されていたのかもしれない。
だがそれでも構わなかった。

堪らなく、葛の葉が愛(いとお)しいのだ。

俺は閨(ねや)の準備をする暇すら勿体無いとばかりに、葛の葉の身体を強く抱き寄せる。
やはり恥かしいのだろうか。途端に葛の葉の頬が朱に染まり、微かな抵抗とばかりに俺の胸を押してくる。

だが、その抵抗は儚いものだった。
妖が本気を出すなら、人である俺など一瞬で吹っ飛ばせるだろう。
だが葛の葉はそれをせず、顔を背(そむ)けてはいるものの
葛の葉の小さな身体は俺の腕の中に居た。

微かに感じる震え。
それは何を意味するのか。それは俺には判らない。

「あっ…」

背けた顔に手を沿え、俺の方を向かせる。
大して力は入れていない。本当にかるく手を添えただけだ。

それだけで、葛の葉の瞳は俺を捕らえていた。

動機が高鳴る。
数多の女を抱いても、ここまで高鳴る事は無かったというのに。


「俺の…妻になってくれ、葛の葉」
「うん、横島…」

そうして、俺と葛の葉はこの日から夫婦になったのだ。





人と妖は交わざるもの。
だが、そんな言葉を踏襲するかのように
俺と葛の葉は中睦まじく

「ちょっと、ベッドシーンが無いってどういう事よ! 夫婦なんでしょっ! 良いじゃない。皆の前で私と横し…むぐぐっ!!」

…なか…むつまじく…暮らしていた。はぁ…


何時しか陰陽寮の中では、霊の西郷と妖の高島と…まぁ不本意ながら呼ばれるようになっていた。
特に西郷の所のキヌと違って、一般人にも見える葛の葉。
それも極上の美しさを持っているとすれば、噂が立たぬ方がおかしいという所か。

一月、二月と続く愛しい妻、葛の葉との生活。
まさに順風満帆と言って過言ではない日々。


だが、そんな日々も些細な事で崩れる事になるとは…今の俺には知る由もなかった。


「高島、藤原の者がお前を呼んでいるみたいだぞ」
「藤原?…藤原に知り合いなんて…あー、礼香ちゃんかな」

夏も終わり、秋も深まるとある日に
突然俺は藤原家に呼ばれる事となったのだ。

軽い口で西郷に返事はするものの、この京の街で『藤原』の名を知らない者は居ない。
それだけ発言力の強い家なのだ。
天皇家膝元の陰陽師とはいえ、藤原家が否を唱えれば
俺の首など、まるで今まさに落ちようとする枯葉と同じ運命を辿る事に為るだろう。


「陰陽師、高島。ご用命により馳せ参じました」
「いらっしゃい、高島君。ずいぶんと有名になったみたいね」

俺の家の数十倍はあるだろう屋敷の奥に通され、そこで待っていたのは…
藤原家の分家に居ながらも、強い力を持つ藤原の懐刀。

藤原礼香(ふじわらのれいか)だった。

「お久しぶりでございます、礼香様」
「まぁ、随分と他人行儀ね。桜咲く良き時に、閨で私に愛を紡いだ者と同一とは思えないわ」

平伏しながら盗み見るのに気付いているのか、『くすくす』と笑む礼香の表情は柔らかい。
だが目はとても鋭く、視線で人が殺せるとしたら俺は一体何度殺されているだろうか。
そう思えてしまい、背筋が少し寒くなってしまう。

「貴方を呼んだ事とは別だけど…一つ聞きたい事があるのよ」
「聞きたい事…で、ございますか」

頭の中で色んなことが巡る巡る巡る。
葛の葉の事か、とも思ったが…一部の陰陽師以外には『ただの人』にしか見えない葛の葉の事が
藤原家に知られるはずが…

「高島君、貴方…狐を飼っているでしょう? ここまで獣の臭いが届いて、臭くて仕様がないのよ」
「は…」

平伏する俺の顔から、冷や汗が『だらだら』と流れてくる。
まさか知られているとは思いも寄らなかったからだ。
声が出ない。息が詰まる。
どう返す? どう切り抜ける?
恐らく今まで生きて生きた中で、一番頭を使っているだろう。

「まぁ、貴方が手塩に掛けて飼っているのだからそれなりに愛嬌があるのでしょう。確りと清潔に保つのであれば不問にいたします」
「へ…?」

今何と言った?不問?
この女…いやいや、礼香は俺が妖孤を連れ込んでいる事を知っていながら不問にすると言ったのか。
緊張は取れないものの、俺は小さくため息を付いた。
少なくとも、葛の葉の命が狙われる事は無いという事なのだから。

「それは良いわ。で、本題なのだけど…高島君、貴方『一人身』よね?『妻を娶らず』に居るのは寂しいでしょう」

なるほど。そう俺は嘆息した。
『飼う』事は認めても『娶る』事は認めないという事だ。

「だから、ね。私の良夫(おっと)となりなさい、高島君」
「っ!」

そうきたか。
確かに礼香は京一番と呼ばれるほどの美しさを持っている。
だが、それを補って余りあるほどの強烈な性格に、縁談が纏まらない事で有名なのだ。

顔が良いから、と一度は閨を共にしたのだが
何故か俺は、それ以後彼女に気に入られていたようだ。

それで合点がいく。
恐らく最初の視線のキツさは…俺が葛の葉を娶った事に対する嫉妬なのだろう。

「断らないわよね、『一人身』なのだし。私は貴方の事気に入ってるのよ? 『些細な事』で貴方を失いたくないの」

まるで冷気を纏った鎖で縛られているような感覚だった。
俺は、礼香に大して愛は無い。
俺は葛の葉一筋なのだ。
だが、些細な事…か。葛の葉の命が惜しくば夫となれと…暗に脅迫しているわけである。



だったらどうすればいい。
話が終わり屋敷を出た俺は、全力で家へと走っていた。
考えは纏まらない。だが、葛の葉の元に戻らねばと思い…


「葛の葉!」

家に戻って開口一番に葛の葉を呼ぶが返事が無い。
いや、何時もであれば俺の足音に気付いた葛の葉が玄関で待っているのだが…


「こっ…これは…」

玄関を上がり居間へといけば、畳の上に一通の文(ふみ)が置いてあった。
そこは…初めて俺と葛の葉が結ばれた場所。

その文には、短い一言だけが書かれていた。


──恋しくば 訪ね来てみよ 南なる 天神山の 森の中まで──


勘の良い葛の葉は、藤原の屋敷で何があったのか気付いたのだろう。
私が居ては高島様の迷惑になる…と。一人で天神山の森へと行ってしまったのか。

だが、簡単に別れてしまうほどに浅い想いだったのか。

否、断じて否だ。
葛の葉の想いが…この文から感じ取れる。
強い、俺への想いが。
だが…俺にはもう、どうする事も出来ない。

「葛の葉…お前と過ごした日々…永久に忘…ごはぁっ!?」
「勝手に過去の女にしないで、追いかけてきなさいよ横島!」

あぁっ!よ、横島さんの最後の台詞が…
あ、ダメですタマモさん! みんな見てるんですから、横島さんの服を脱がしたら…
って、雪乃丞さんなんで魔操術使って…あぁっ!!
美神さん、早くみんなを止め…って何で神通根振りかざしてるんですかっ!?

か、神よ…これはボクの試練なのでしょうか…
と、とりあえず幕です! シロさん、幕を下ろしてください!

やっぱりこのメンバーでまともに出来るはずがなかったんだ…あ、はは…はぁ…
落語にある「天神山」というお話を、劇をしている感じに書いてみましたゆめりあんでござります。
そのまま使っても面白くないからと、時代を京にしたり台詞を読まずに暴れる人が居たり…

落語は面白いのですよ。
一度、聞かれてはどーでしょうか。お勧めなのですよ。

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