「おーい厄珍、商品取りにきたぞー」
「良く来たアル、ボウズ。そこにもう準備してるある」
「おう、すまねーな」
「全部で10億するアル。落とすの良くないね」
「……相変わらず非常識だな」
それでもいくらか感覚が麻痺してしまったのか、以前ほどに緊張はせず風呂敷を受け取り、俺はぐるり店内を見渡す。オカルトグッズを扱うせいか、厄珍堂はあまり健全とは言い難い雰囲気を放つ。
不気味な呪い人形・ヤモリなどの燻製・破魔札・見鬼君などが所狭しと並び、洋の東西を問わず手広い品揃えは、実の所結構な引き合いがGSからあると聞く。さすがに美神さんが仕入れ先に指定するだけはあるってことだろう。
「最近はあんまり変な物は仕入れてないのか? 結構まともな物ばっかじゃねーか」
「ふっふっふ、そう思うアルか。まだまだ甘いアルね、ボウズ」
「なんだ?」
厄珍が懐からさっと取り出したそれは、風薬の箱ほどの大きさ。とたん、俺はくるりきびすを返す。
「それじゃーな」
「ちょ、ちょっと待つアル! 試したくないあるかっ!!」
「いらねーよ! 今まで散々ひどい目に遭わされてりゃあ、さすがに俺だって学習するってーの。霊薬みたいなのにロクな思い出がないんだ」
手を振り払いさっさと帰ろうとすると、引き留めようとした厄珍が言った。
「それが飲むだけで異性に惚れられる、最強の惚れ薬でもあるか?」
〜指チュパ!〜
「さてさて・・・。飲んでみたは良いが、さっぱりそんな効果なさそうだな」
帰り道、商店街を歩きつつ薬の効果に首をひねる。
【飲んだだけで異性にもてる】
厄珍の話であれば、もう効果が出てきてもおかしくはない。このご時世に珍しく、いつも賑わっている商店街は、夕暮れ時には女子高生も割合多く通る。それだけではなく、近所の若妻やらお姉さんも頻繁に見かける。だけども彼女たちは俺のそばを素通りするだけで、振り向きもしない。全く、また騙されたのか。
俺って進歩せんなあちくしょー。なんかとってもどちくしょー!!!!!!!!!!!」
「ママ、あの人なにか叫んでるよ?」
「男の子にはああいう時期があるものなのよ。やりたい盛りって悲しいのね」
ほおっておいて上げなさい、と生暖かい目で親子が通り過ぎていく。心なし周囲の人との距離が遠い。
「……たく。今度、厄珍の野郎に文句言ってやっか」
「横島さん!」
「ま、タダだから良いけど……」
「もう、横島さんってばー!」
「て、え? うわ、おキヌちゃん?!」
声に振り返れば、学校帰りのおキヌちゃんがいた。走ってきたのだろうか、ちょっと息が上がっている。鞄を両手で前に持って、こっちを見てた。
「事務所に行く途中ですか? 」
「え、ああうん! そうそう、道具を買いに行った帰りなんだ。うん。えと、おキヌちゃんは学校帰り?」
「見ての通りです。冷蔵庫の中身が寂しくなってきたので、ついでに買い足しておこうと思って」
「そっか」
今日は野菜が安かったらしくて、おキヌちゃんはお目当ての店に入っては次々買い物袋に投げ込んでいく。
「あ、安ーい」
おキヌちゃんはお買い得品を見つけては弾んだ声をあげる。そんな調子で肉屋とか魚屋とか行くたびに、おキヌちゃんには負けてあげるよ、とおやじさん達から声がかかる。幽霊時代からの馴染みの商店街、それも当たり前か。ツケで物買えたくらいだもんな、幽霊だったのに。
「ごめんなさい、荷物が増えちゃって」
「いや、全然。もっと持とうか? 」
「いえ、もう買う予定もないですから。事務所に戻りましょ」
「そうしようか」
「はい」
「ごめんなさいね、便利使いしちゃって」
「いいよいいよ、俺でよければいくらでも」
ありがとうございます。そう返事をしたおキヌちゃんは、さらさらした髪をかきあげた。垣間見えたうなじにどぎまぎしてしまって、おキヌちゃんが気づいたのかこちらに視線を寄越す。
「どうしました?」
「いや、なんでも」
内心で胸をなで下ろしつつ、アーケードを抜けて、事務所に向かう。道すがら献立の話をしているウチに、俺は惚れ薬の事なんか、もうすっかり忘れてた。
☆☆☆
「痛っ」
「大丈夫ですか、横島さん」
キッチンに、おキヌちゃんの声が響いた。今日の除霊は深夜に及ぶだろうからって、おキヌちゃんと一緒に慣れない包丁を使って弁当の用意をしてたせいか、指を切ってしまった。白いまな板の上に赤い血がじんわり広がりのびていく。
おキヌちゃんはすぐに手を取り、指を流水に当ててペーパータオルで水気を拭き取る。だけど、意外に傷が深かったのか血の収まる気配はない。
「絆創膏は今きらしちゃってますし・・・…」
「いいよいいよ、紙まいとくから」
「そういう訳にはいかないですよ。……そうだ。じゃあヒーリングしておきますね。ちょっとは違うでしょうから」
「えっ」
言うが早いか、おキヌちゃんは指をさっと手に取り、口元に運ぶ。わずかに空けた隙間から、そっと指を招き入れる。
「……んっ」
指先を湿らそうと、指をアマガミし口に含む。横に長く入った傷を、舌と唇で挟み込むようにして包み込む。程なく、傷の周りからは血糊も無くなり綺麗になっていた。
「どうですか? 横島さん。痛くありませんか」
「痛くはないけど。……あ、ちょっと待っておキヌちゃん! 」
しまった。やばい、やばいってこの状況。さっき厄珍が言ってたじゃないか!
『今までの惚れ薬は相手に飲ませるのが難しいという欠点があったアルが、これなら問題なしアル!』
『厄珍の言う事はあてにならんしなあ。でもまあ今は文珠もあるし、解毒くらいなら出来るか。じゃあバイト代くれたら飲んでやるよ。どうせモニター試験も兼ねてんだろ?』
『ちぃ、小僧の癖に勘が鋭いアルね。しかたない。じゃあなんぼか払うからさっさと飲むアル』
『へーへー、これで良いんか?』
『この惚れ薬は血液を通して体から媚薬を放散させるから、相手にのませる必要ないアルね』
『……目の付け所がいいじゃねーか』
『でも、間違っても血液自体を飲ませたりしたら駄目アルね。そうすると大変な事になるアル』
そりゃそうだよ、媚薬の原液みてえなもんなんだから。早く指離さないと、っておキヌちゃんちょっと待った。なにしてんのさ。
「どうしました、横島さん……? 血がまだ、ほら……」
一旦離そうとしたのに、おキヌちゃんはとろんとした上気した目で再びヒーリングを始める。
どうする。
どうする。
どうしようって、どうしようもないんだけど。
えーとえーとえーと、てか俺どうしたらいいんだ?! おキヌちゃんにセクハラしたら、完全に悪者じゃねーか俺っ!!
☆☆☆☆☆
結局、硬直した体と頭ではどうにもならず、黙って見つめてしまっていた。怪我を心配する言葉とは裏腹に、指先からの感覚は、治療と言うにはおキヌちゃんが過剰なほど深く舌を絡ませる様子を絶えず伝え、背筋にゾクリとした電気が通るような感覚を走らせる。
チュプ……チュ、チュ……ツプ……。
唾液が絡まる音が、周りの静けさを一層際だたせる。
「ん、ふ……」
気のせいか、おキヌちゃんの頬は高潮して赤くなっている。媚薬が一層効き始めたのだろう、指を吸ったまま離さない。
「おキヌちゃん。もう、いいよ……」
「ん……ふ」
間を見計らって声をかけたのだが、おキヌちゃんは聞こえているのか、それとも聞こえないふりをしているのか、穏やかな動きで指をしゃぶり続ける。両手と口で包まれた右手を口から引き抜こうと、腕に力を込める。でも、引き抜く際に怪我をした部分に舌があたり、半端なところで腕が止まった。おキヌちゃんの口元は半開きになり、唾液でぬらぬらした口元に、俺は視線を奪われる。唇のつややかさ、血色の良さ、歯の白さがやけに艶めかしい。
「ふふ……」
どうしたんですか、とばかりにおキヌちゃんは止まった俺の手をゆっくりと自分の手で引き抜く。窓から差し込む光に溶けて、指がきらきらとして光る。
「……じゃ、これで」
とまどいを隠せない俺は、動きが止まったのを幸いとばかりに階下に降りようとした。が、おキヌちゃんは俺の手のひらを自分の頬にあて、その上から自分の手を重ねた。人差し指には唾液がついたままだがそれも気にせず、ゆっくりと上下にさする。首を少し傾け、ほっそりと目を開けて、その動きを見守っている。俺の手には、おキヌちゃんの頬と手のひらと、そしてしとやかな黒髪がささと触れて、絶えない。
「駄目ですよ、横島さん。怪我は、ちゃんと治さないと……」
傷はすっかりふさがったように見えるけど、それでもおキヌちゃんは手を離さない。調理台の上に放りっぱなしの材料を横目に、ここがどこかも忘れてしまったように、その場から動かない。普段なら見え無いほこりが光に照らされて舞って、そしてどこかへと飛びさっていく。
「治さないと、駄目……」
おキヌちゃんは手のひらを顔の正面に持ってきたかと思うと、右手で支え、下から上へと手の平を舐めあげる。指の谷間に舌先を落とし、そして人差し指と中指の側面に這わせる。時折止まり、舌の腹や先で左右、円を描いて動く。おキヌちゃんの鼻に当たった指先に、暖かい息が当たる。
俺の右手におキヌちゃんが左手で手首から先をゆっくりと何度もさする動きに合わせるように、深い感覚が何度も走る。
「おキヌちゃん……」
駄目だ、もうアカン。こらアカン。
俺はとうとう、自身の意志で指を下げる。柔らかい唇、そしてその中に触れようと、不意に湿った、暖かい舌に指が触れる。導かれる様に指を口に滑り込ませ、舌の上でいくばくか動き、指を吸わせようとした、その時。
ピィィィー。
やかんが、湯が沸いたと大きな声で知らせてきた。瞬間はっとして、お互いをしばらく見つめあう。
「え、あれ? あの、わ、わ、私っ?!」
顔から火が噴く、ってのはこういう事を言うんだろう。驚いた顔から一転、泣き出しそうな顔をして、背を向け賭けだそうとしたおキヌちゃんを、俺はしっかり捕まえた。先ほどの火照りをいくらか残したまま、おキヌちゃんを強引にこちらへ向き直させる。口元からうなじへと、そしてあごの下を指先で捕まえて、ついには小さな顔を上げさせて。
今度は、指だけでなく。唇と唇が、そっと触れ合った。
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