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卒業



 六道女学園を卒業する。正直なところ、そのこと自体にあまり実感はなかった。ただ卒業を迎えてしまえば毎日眠い目をこすりながら満員電車に乗ってこの学校に来ることも、着丈が合わなくなってきていたこの制服に袖を通すこともなくなるんだと、ただ薄ぼんやり思っていただけだった。
 それより、私は【別れる】事にどこか怯えていたかもしれない。なぜって、いつもいつも別れは悲しい物だったから。孤児になったとき、人身御供になったとき、いつだったか横島さんが外国に行く話が出たとき、そして同窓の級友達と。訪れる大事な人との別れは、何度繰り返しても慣れる物ではなかった。慣れてしまえる物ではなかった。
 だから私は、決めていた。今まで笑えなかった分、今度の別れはきっと笑顔で、と。ハレの門出には笑っていたい。そう決めていた。
 なのに、だのに。


「……もう、ずるいです。泣かないって決めてたのに、こんな」


 桜が私たちを包んでくれていた。暖かい陽射しと穏やかな風が見慣れたの校門を瞬間綺麗に飾り立て、世界の密度がぎゅっと濃くなって、目に映る大事な大事な人たちと一緒に心から、祝ってくれていた。





〜卒業〜





 生き返ってからの日々は騒がしく慌ただしく、新鮮で、いろんな苦労もしたけれど、本当に楽しかった。六道女学園に入学したのもつかの間、気づけばもう卒業式を迎えているのがなによりの証拠。
 一言でくくり切れない、あまりにもたくさんの出来事があった。弓さんや魔理さんをはじめ、出会えた友人達との思い出は溢れてこぼれてしまいそうで、そうならないようしっかり抱き留めていたいと、改めて講堂を見て自分で自分を抱きしめた。
 入場を待っている皆、それぞれに想いはせているのだろう。一人一人のささやきが一つになって辺りを覆って、でもそれはとても心地よい騒がしさで。つと私は上を向いて耳を澄まし、背筋をピンと伸ばした。あの青い高い空にも、昔の私ならきっと手が届いていた。
 死んでもいず、生きてもいなかったあの時。どこまでもいけて、どこにもいけなかったあの時。つい癖で通り抜けをしようとして何度も事務所のドアに額をぶつけていたのが、遠い昔の様に思えてならない。あれだけ長い長い時を一人で過ごし、そして私は確かに今をみんなと生きてここにいる。
 他の人にはわからないかもしれない、でもそれはきっと、ほとんど目眩のするような幸せ。嬉しさのあまり、幸福と不幸の区別がつかないくらいに。冬、友達と手を繋ぐ暖かさ。秋、料理にちょっと失敗しても嬉しそうに食べてもらえる歓び。夏、どこまでもまっすぐな道を汗だくで走るきつさ。春、怒られながらも初めての仕事を学んでいく楽しさ。この世界の異邦人だった私を拒絶せず受けいれてくれた全てに。みんなに。
 心からの感謝を捧げたかった。


 ふと古びたスピーカーから、かすかなノイズが流れた。講堂の入り口を見れば壇上に来賓方が着席しはじめ、2年生の司会がマイクを整えている。慌ただしさを増していくのに反比例して、会場は楚々と静けさを取り戻していく。いよいよ始まってしまうんだ。そんな、高揚した寂寥感は一種よそよそしさとなって、整列した皆を押し黙らせていった。
 お互い目を合わせて、軽く苦笑いして、そして居住まいを正して。照明が一層明るくなっていく。スピーカーから、ぽんぽんとマイクを確かめる音が聞こえた。私はつい、マイクの不調を願った。だけどあっけないほどに簡単に、マイクを通し声が響き渡った。会場に緊張が走り、一瞬だけ間が空いた。この場にいる全ての人が注目したせいだろうか、戸惑いを払うように咳払いをした後、司会者のよく通る静かな声が開会を告げた。
 流れる祝辞と音楽に身を任せ、私は両目を閉じゆっくり息をついた。
 ありがとう。
 誰に呟いたでもない。皆と一緒に拍手で迎えられ粛々と始まった式に、私の言葉はすぐ飲み込まれていった。
 開式の辞、国歌斉唱と続き、程なく卒業証書の授与が行われた。事前の練習とは異なり、驚くほど緊張して胸が詰まり、手にはじっとり汗をかいていた。足は震え、からからに喉が渇く。祝福を送ってくれているに違いない会場の皆の視線すら不安に思え始めたとき、私の名前が呼ばれた。


 ああ、どうしよう。とうとう呼ばれてしまった。壇上で笑顔と共にゆったり証書を携えている理事長の視線すら避けてしまっていると−−−後ろから柔らかく、トンと背中を押してくれた人がいた。魔理さん、そして弓さん。ほら、と微笑む二人。私は胸に手を当て大きく息をはきだして、二人の手を両手で包んで、それからわずかばかりの、でもとても堅い階段を登り、理事長に礼をした。

 氷室キヌ、本学を無事卒業したことを証明いたします。……おめでとう、頑張って。

 理事長の激励に頑張りますと精一杯の笑顔で答え、一瞬だけ魔理さんに視線を送り、流れに沿い席に戻った。壇上から降りる感触は不思議なほど足に軽く、椅子に座った体はふわふわ落ち着かなかった。
 魔理さんも弓さんもすぐ戻ってきて、同じようになぜか座り心地の変わった椅子を確かめるように二度三度体を動かして、また壇上に視線を戻した。登壇したみんなの証書授与が行われていき、式は滞りなく進んでいった。


 そうそう。
 意外と言っては失礼かもしれないけれど、魔理さんの名前が皆勤賞で読み上げられたときには、みんなして目を白黒させていた。当人はとても不本意そうだったけれど、そこは後で謝っておくことにした。
 祝辞と挨拶が続く。在校生代表の送辞が終わった後、名前の呼ばれた弓さんがいつにも増して凛々しく返事をし、最前列から皆を代表して答辞を送った。でも意外なことに、弓さんはいくらか迷った後、用意していた答辞をそそくさたたんでしまった。マイクの前で押し黙りうつむく弓さんに、会場から訝しげな声が上がり始めたとき、改めて弓さんは顔を上げ、良くとおる声で答辞を述べていった。


 それは出合ったときからは想像もつかない −立派に卒業生代表を務める弓さんの− 学園生活への感謝の気持ちを紡いだ言葉。この場での礼を逸しない、でも心からの。弓さんだけの言葉だった。歯を食いしばっているのは自分だけではないと気づかせてくれた友人達がいる、と私たちを振り返り。背中を預けられるパートナーを見つけ、と穏やかにまぶたを閉じ。この学校で出会え経験した全てが、跡継ぎでしかなかった私に、はっきりGSの道を進みたいと感じさせてくれたと家族席を見やり。
 最後にありがとうございました、と深々皆に頭を下げ。笑顔でピースサインを出した弓さんの答辞は、割れんばかりの拍手で終わった。
 仰げば尊しも、六道の校歌も、皆ぐじゃぐじゃで満足に歌うことも出来なかったけれど、きっと一生忘れることは無いだろうと。願ったとおりに笑顔で締めくくれるだろうと、私は緩やかに歌い流れる音楽と心地よい疲れを感じていた。
 そして先ほどの答辞にも負けない拍手と蛍の光を背に、私たちは講堂を後にした。出口のドアを過ぎたら、次々みんな駆けだしていく。校庭まで走って、桜の下でお別れを言い合うのが六道女学園卒業式の恒例行事らしくて、私たちも例に漏れず、魔理さん弓さんと一緒に証書を落とさないようしっかり抱え大きな声で笑い、息を切らしながら満開の校庭に駆け込んで、私は目を見張った。


 どうしてって、級友達と同じように、それ以上になじみ深い人たちが−−−
 石神様や浮遊霊のみんな。式場では姿の無かったエミさん、タイガーさん、ドクターカオス、マリア、厄珍さん、西条さん、ピートさん。不思議な縁で出合った仲間達が、極楽愚連隊のみんなが私を待っていてくれたから。事務所に帰って来た時みたいに、勢揃いして。
 そして、マリアが指で背後を指し示す。その先には、さっきの私みたいに横島さん、早苗お姉ちゃん達氷室の家族、神父さんが思い思いに駆けつけてきてくれていた。ついさっきまで来賓席にいたのに、美神さんや冥子さんまでも。
 口々に、おめでとうって。
 みんなの言葉が溢れて聞き取れないくらいに、本当にたくさんの気持ちをもらった。このままここで宴会だなんて誰かが叫んで、さすがに冥子さんがぐずりながら止めに入って、周りはもっと慌てて冥子さんをなだめてて。伝次郎さんが歌おうとすれば、また誰かが吹っ飛ばして。
 早苗お姉ちゃんは横島さんと意地の張り合いッこしてたと思えば、その横で同じように美神さんとエミさんが視線を闘わせあって。みんなみんな、賑やかに騒がしく卒業を祝ってくれて、突然私は理解した。
 私を見守ってくれている人たちの思いも、ちゃんとずっと続いている。これから先、私はこの人達と、級友達と、未だ見ぬ人たちと、ここで、この世界で生きていくんだって。生きていけるんだって。
 そう分かったら、分かってしまったから。
 あれほど決めていたのに、とても自然に、とめどなく。頬をつぅと涙が伝って落ちていった。


「……もう、ずるいです。泣かないって決めてたのに、こんな」



 証書を持つ手に力が籠もる。火照った頬をさます様に風が通り抜けて、桜を舞上げた。青い空から降り注ぐ花びらは、日のきらめきを受けあでやかに白く輝いて、私たちみんなを包み込む。世界の密度がぎゅっと濃くなって、私の大事な人たちと一緒に心から、卒業を祝ってくれていた。
 それは幸せな別れ。新しい出会いへと続く、尊くて忘れがたい別れ。だからこそ私は、言わずにはいられなかった。何度でも、言いたかった。
 


 みんなありがとう−−−って。






読者の皆様には楽しんでいただけましたでしょうか。
久々にほのぼの書きましたが、やっぱり自分はこういうのを読むのも書くのも好きだと再確認いたしました。
これからも時間が許す限り、書いていきたいと思います。

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