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ネトラレ 3

美神除霊事務所の正月休みは、世間一般と比べて、わりと長い。
毎年十二月になると、まさに師走のごとく、次から次へと除霊作業の依頼が舞い込み、今日は東へ、明日は西へ、の大騒ぎとなる。
時には、予約のブッキングもしかねないくらいに忙しいその様相は、ちょうど年末特番の収録に追われる、売れっ子芸能人の姿によく似ていた。

だが、大晦日が過ぎて年が改まってしまうと、嵐が過ぎ去ったかのような、潮が引いたかのような静けさとなる。
この業界に詳しくない人から見れば、年始という、普段とは違う風習や行事が続く時期は、さぞや掻き入れ時だろうに、と思うかもしれない。あるいは大名商売、と眉をひそめる人もいるやもしれぬ。
けれども、彼らGSたちに依頼する側の立場に立ってみると、それは至極当然の成り行きでもあるのだった。

そもそも、除霊などという出来事は、その本質を問うまでもなく、忌の範疇に属する事柄だ。
死んだ人や動物が祟る、何らかの霊障が差し障るなど、ハレの日である正月に相応しいものではない。
それがため、今の今まではなにかと躊躇してきたが、元旦という、新たな年の門出を迎える前に、ようやく踏ん切りがつくというものだった。
特に、美神除霊事務所が数多く受注するような、大きな企業や組織との取引となれば、決裁を上げるにせよ、承認するにせよ、どうしても年末での案件が多くなるのは致し方ない。
近頃では、二十四時間三百六十五日、元旦から営業しているようなところも増えてきたため、その境界線はあやふやとなりつつはあるが、それでも同じ頼むなら年内に、となるのが人の心持ちと言うものだ。
年末にスポット枠で大量に流れる住居用洗剤のCMではないが、今年の穢れは今年のうちに、というわけだ。

ぽつぽつと仕事らしきものが舞い込み出すのは、旧正月が近づいてくる頃で、まれに地方の旧家などから、それらしい話を聞かされたりもする。
けれども、そういう家は大抵が長い付き合いのある除霊師や陰陽師がいるのが普通で、あまり新参の者が歓迎されるはずもなく、よほどのことがなければ令子は断わるのが常だった。

「だって、面倒じゃない。わざわざ遠くから来てやってるってのに、やれ格式がどうの、しきたりがどうのって、うるさいったらありゃしない」

そのくせ払いが渋いときてるんだから、とまでは言わなかったが、長い付き合いのキヌには口にしなくともよくわかっていた。
ともあれ、例年だいたい松の内まではだらだらと休み、明けても事務所は開店休業状態で、取りたてて急ぐ出来事も入りはしない。
さすがに正月三が日くらいは事務所に勢揃いし、年始の挨拶やらなにやらで過ごしていたが、それが過ぎてしまえば、用もないのに詰めている必要もない。
令子が同業者のエミと冥子を誘って、ちょっとした仕事を兼ねた小旅行に出かけたのを機に、忠夫のアパートに泊まり込むことにした。
年の初めも兼ねて、忠夫とふたり水入らずで暮れる夜を、そんな心積もりでいたというのに、あえなく邪魔が入るとは思わなかった。
慌しく令子を送り出すや否やに、前もって準備しておいたバッグを肩に出かけようとした矢先、のそのそと起き出してきた二人に見つかってしまい、そのまま一緒に連れ立って来る羽目になってしまう。
まだ年若いタマモやシロには、そんなつもりは毛頭ないのだろうけれど、ついつい邪推して不機嫌になってしまうのを、なんとか隠し続けるのが大変だった。

「……おキヌちゃん、もうちょっと強くして」

「えっと……このくらい?」

「……あ、うん。そのくらい」

主のいない部屋でコタツにあたり、ファンヒーターを一人占めしているタマモが、それでもなお寒そうな声で返事をする。
ドテラを着込み、コタツに深々と潜るその様は、さながら妖怪・コタツムリとでもいったところで、とても傾国の怪物と恐れられた金毛白面九尾の狐の生まれ変わりとは思えない。

「やっぱり、風邪を引いたんじゃないの、タマモちゃん?」

「か弱いニンゲンなんかじゃないんだから、私が風邪なんか引くはずないわよ」

「だって……」

「だ、大丈夫、たまたま今日がちょっと寒すぎるだけだから――くしゅん!」

可愛らしいくしゃみを漏らしながら強がりを言っているが、風のない今日は昨日よりも暖かいぐらいで、キヌにとっては部屋の中は暑すぎるくらいだ。
ちょうど令子たちが旅しているであろう、日本海からの荒波が吹き寄せる地ならばいざ知らず、東京の二十三区内では雪も降りはしない。
それなのに、寒い、寒いとこぼしてはコタツ布団を手繰り寄せ、ティッシュペーパーで鼻をかむタマモの姿を見れば、どうしたって風邪を引いているとしか思えなかった。

「やっぱり、暖かい事務所に帰ったほうがいいんじゃない?」

あたら百年の恋も冷めそうなタマモの有様に、キヌは心配そうに、そして本当のところは、別の意図を隠して声を掛ける。

「大丈夫だって。こんなのなんて、ちょっと寝てれば直るんだから……」

「あら、やっぱり風邪なんじゃない」

「違うってばー!」

キヌの気持ちを知ってか知らずか、タマモは執拗に帰るのを拒み、一層コタツの中に潜ってしまう。これでは、ちょっとやそっとでは出て来そうにない。
実際、床から壁を伝って上がってくる冷気に震え、窓から吹き込む隙間風にひやりとするのはタマモだけではない。
打ちっぱなしのコンクリートに申し訳程度の断熱シートを敷き、これまた薄っぺらい紛い物の畳を敷いただけの部屋は、慣れたつもりのキヌにも心寒い。
仮に、住むだけならば他に探し出すのが難しいくらいの安普請よりも、重厚な造りの事務所にいるほうが数倍も快適なのは間違いない。
それでもなお、キヌもタマモも、今は散歩と称して出かけているシロも、こんな部屋に足繁く通ってくるのは、忠夫が住んでいるからに他ならない。
もしも、忠夫が住んでいなかったとしたら、ここには近寄ることさえもしなかったに違いない。
その目当ての忠夫と言えば、今はシロにせがまれて散歩に出かけている始末だから、やるせない。

「あーあ、早く引っ越さないかなぁ」

コタツから首だけ出したタマモが、窓を見上げて言ったが、あまりキレイでない窓ガラスは室内の熱気に曇り、外の様子は何も見えない。
何も映らないガラスの向こうに、タマモは思いを走らせる。

「ね、今度のマンションって、すっごく大きいんでしょ?」

白く曇るだけの窓から首を反し、タマモがキヌに話しかける。
同じ話題は、何度も何度も繰り返しているというのに、タマモの目はより一層熱っぽくなっている。
その目が少しばかり、とろん、としているのは、多分に風邪のせいだけだろうと思う。

「お部屋もたくさんあって、ダイニングも広くって、あと、バルコニーもあって……」

「でも、まだ、どうなるか決まったわけじゃないし」

「絶対キマリよ!」

ほんの少し肩を出して、タマモが力説する。
今、忠夫のところに持ち込まれている案件の一つに、この部屋の日当たりを悪くした張本人である、例の高層マンションの除霊があった。
なんでも、再開発に伴う大規模マンションを建設したはいいが、その設計と地脈、方角などが微妙に作用し、中規模な霊障を呼び込んでしまったらしい。
また、この辺りは、戦国時代の初期に勢力を誇った豊島氏の所領があった土地でもあり、文明九年(一四七七年)には、太田道灌率いる扇谷上杉軍との間に起きた『江古田・沼袋合戦』によって、一族の大多数が討ち死にを遂げている。
本来ならば、そうようなことを事前に考慮してGSとも協議するのだが、主な発注元が外資系であったこともあり、そういった方面への検討を疎かにしてしまったのが顛末のようだ。
しかし、建設途中ならばいざ知らず、ほぼ完成間近となってしまっては打てる手立てはほとんどなく、一度壊して造り直すのでなければ、月に一度の対処療法をし続けるより他はない。
すっかり困ってしまった業者が、ICPOのツテを頼って紹介されたのが、忠夫だったというわけだ。

「文珠を使って簡単に直し続けるのなんて、ヨコシマにしかできないんだから!」

自分のことでもないくせに、何故かタマモが、そしてシロが得意になって胸を張る。
些か微苦笑を禁じえないキヌだったが、その気持ちは十二分によく判る。
地脈のズレを微妙に修正し、結界の穴をこまめに塞ぐのならば、それほどレベルの高くないGSにでも難しくはないだろう。
けれども、それを日常的に続けることができるのは、事象を操る文珠を駆使し、地脈を司る竜神族が一柱・小竜姫とも縁の深い忠夫を置いて他にない。

しかし、これから何年も、何十年も霊的な補修作業を依頼し続けるのは、コスト的に負担が大きすぎる。
どちらかといえば忠夫は、自分の能力の相対的価値をよく理解しておらず、彼の請け負う除霊料は破格と言っても良いくらいに安い。
それでもなお、バブル崩壊後の不動産業界の厳しい経営環境を鑑みると、その負担は如何ともし難いものがあった。
とはいえ、霊障が続くままでは分譲することもままならず、このままにしておけば日一日ごとに、莫大な損失が積み重なっていくのは明白だった。
万策尽きて困り果てた担当者が、最後の案とばかりに持ちかけたのが、恒久的な除霊料を免除するかわりに最上階の一室を無償で提供する、というものだった。
要は、現物支給の形での変則的な依頼なのだが、この話に乗り気なのが当の忠夫ではなく、ここにいるタマモやシロ、そして意外なことに令子のほうなのが不思議だった。

「まず、ここが私の部屋でしょ。で、こっちがシロの部屋、それからここがおキヌちゃんの部屋で……」

不動産業者から貰ったパンフレットを眺めつつ、タマモが「取らぬ狐の皮算用」に勤しみだす。
実際、先方から提示された物件は、なるほどたしかに大きなものではあったが、さすがに何部屋も有り余るほどには至らない。
そもそも"Mansion"と言えば、英國の、あえて”英國”と表記するが、ヴィクトリア朝時代に象徴されるような貴族の大邸宅を示すが、残念ながら現代の日本では名ばかりのものに過ぎず、せいぜいが"Flats"どまりがいいところだった。
若い夫婦に子供が二人、あとはちょっとした部屋を一つか二つは置けそうだが、あいにくとタマモにもシロにも血縁関係などなく、子供部屋を割り当てる義理もない。
だいいち、二十歳そこらで高級マンションに住み、若い女と二人も三人も一緒に暮らすなど、いったいどんな安手のメロドラマだというのか。さすがにハーレクインでも、そこまで現実離れはしていない。
しかし、堂々巡りで、いつまでも続きそうなタマモの妄念、そしてキヌの疑念は、不意に鳴り出した電話の呼び出し音によって中断させられることとなった。


プルルル  プルルル――


わざわざ呼び出すまでもないくらいの狭い部屋に、初期設定のままの電子音が響き渡る。
しかし、キヌもタマモも受話器には手を伸ばそうともせず、じっと赤く光るLEDランプの点滅を見つめていた。
彼女たちがこの部屋によく出入りしていることは、別に秘密でもなんでもなく、ちょっと親しい仲の間柄には周知の事実になっていた。
それでも、いつ何時に誰からか、たとえば忠夫の実家などからの電話に不用意に出てしまえば、ややこしい話にもなりかねない。
あるいは、踏ん切りのつかない事態を進展させるにはちょうどいいのかもしれないが、そこのところは二人ともわきまえているつもりだった。

やがて、きっかり5回鳴った後、ごく僅かにトーンが変わり、内蔵されたメモリが決まりきったメッセージを流す。
あちらこちらでよく耳にする、けれども一度も会ったことも、見たこともない女性の声が、忠夫の不在を告げた。

『ただいま、留守に、しております。発信音の、後に、お名前、と、メッセージを、どうぞ――』

音節毎に途切れる特徴的なしゃべり方は、知り合いの人造人間にとても良く似ていたが、キヌはその声を聞くのがあまり好きではなかった。
その言葉は実に丁寧で、およそ非の打ち所のないものだったが、どうしても他人行儀の冷たさを覚えずには入られない。
どちらかと言えばつっけんどんな、要点を簡潔に述べるだけの彼女のほうが、よほど人間としての温かみを感じさせてくれるのが、なんとも言えない世の欺瞞と皮肉に満ちていた。
そんなキヌの気持ちを知ってか知らずか、これまた愛想のない、ぶっきらぼうなしゃべりがスピーカーの向こうから聞こえてくる。

『おう、俺だ。この前ちょいとめずらしいヤツに会ってよ、せっかくだから一緒にめしでも食おうってんだ。よかったら電話をくれ。じゃあな』

名乗りもしない相手が言うだけ言うと、プツリ、と一瞬だけ音が若干大きくなって切れた。
忠夫の親友にしてライバルを高言する伊達雪之丞らしい、判る相手にしか伝わらない電話だった。
キヌは、彼の言う”めずらしいヤツ”が誰なのか少し気になったが、それ以上にタマモが興味を引かされたのが、通話が切れてもなお赤く光る、LEDランプの点滅だった。
他にも録音されたメッセージがあることを示す点滅に誘われ、コタツから身を乗り出したタマモが、そろそろと手を伸ばす。
伸ばされた手は、その仕草を見たキヌの言葉で、ぴしゃりと叩かれる。

「ダメよ、タマモちゃん。勝手にいじったりしちゃ」

「大丈夫よ、わかりっこないから」

「ダメだって、ば」

「おキヌちゃんだって興味あるでしょ?」

無意識のうちに語調を弱めたのを見透かされてか、共犯者を誘うタマモの目に、抗うのを躊躇ってしまった。
結果、この躊躇いがキヌには取り返しのつかない、そして、タマモにはそれほどでもない傷を生じさせることとなるのだが、このときにはまだ、それを見極める覚悟が出来ていなかった。

「いい? それじゃ、まずは――」

妙に慣れた手つきでボタンをいくつか操作すると、容量のさほど大きくないメモリに収められた定型のフォーマットが読み上げられる。
非人間的な抑揚で録音された日時を告げられ、最初のメッセージが再生される。

『――小竜姫です。昨日お帰りになられたときに、服をお忘れでしたので預かっています。今度来るときにお返ししますね。それでは、失礼します』

聞き様によっては、愛人かなにかからの電話にも聞こえなくない内容だが、相手が小竜姫となれば、そんな下世話な話ではない。
奇縁によって、妙神山門下のような位置にいる忠夫は、修行と称してあの山を登ることがある。
幽霊だった頃の不確かな記憶でしかないが、あそこの修行場では俗界の衣服を着替えるのが決まりだったような気がする。
忠夫がこの前に妙神山に登った頃、しばらくは天気の移り変わりが激しく、春を過ぎて初夏を迎えたかのような陽気になったかと思うと、次の日には一変して凍てつくような寒さに震えることもしばしばあった。
おそらく、そんな日に上着かなにかを着るのを忘れて、そのまま帰ってきてしまったのだろう。
初めて出会った頃とは、比べ物にならないくらいに強くなったというのに、どこかこうして間の抜けたところがあるのが、やっぱり忠夫の忠夫たる所以だった。

それにしても、とキヌは思う。
小竜姫自身が謙遜してよく言う、ただの管理人風情だとしても、竜神族の末席に籍を置く彼女の言葉は、ある意味神託にも等しく、こう易々と声を聞かせてよい類のものではない。
端から見ていても、初詣にでも行く程度の気負いしか持たない忠夫の様子に、どうにもそのへんの感覚が狂うのだが、妙神山というのは、本来は世界でも有数の霊格を誇る霊山のひとつのはずだ。
まかり間違っても、大都市のターミナル駅から直通の私鉄とケーブルカーで行く、高尾山や高野山に日帰りで登るのとは訳が違う。
それがこうして、少し親しい友人にでも話しかけるかのように電話をしてくる間柄というのは、聞くべき人が聞けば、腰を抜かして肝を潰すほどに驚嘆するに違いない。
まだ物の道理もわからないタマモなどは、服を忘れるなんてマヌケね、などと呑気なことを口にしているが、忠夫という存在の大きさを、改めて思い知らされてしまった気がする。
世界でも稀有なネクロマンサーのひとり、という自負は少なからずあるにせよ、所詮は霊を操るだけの能力しかない自分が、はたして忠夫と釣り合っていけるのか、そんな疑念が浮かび上がっては消えた。

「うーん、大しておもしろくないわね。じゃ、次ね」

キヌの気持ちなど意に介しようともせず、少々不満そうなタマモが、何がしかのドラマ、正確にはトラブルを期待して再生ボタンを押す。
カチッ、という接続音が大げさにスピーカーから聞こえ、二件目の日時を告げる。

『私だ。今度の訓練の件だが、お前の希望通りに進めてみようと思う。こちらはいつでも構わないので連絡をくれ。よろしく――こ、これでいいのか?』

またも名乗りもしない相手だが、さっきの雪之丞とは違い、今度は努めて冷徹に絞ろうとしている女性の声だった。
わりと年上の女性とも接することの多い忠夫であったが、このように話す相手となると一人しかいない。
魔界第二軍の特殊部隊に所属するワルキューレ大尉は、人間界において情報収集を主とする任務についているはずだが、今一つ機器の操作に精通していない様子で、録音を保存させるキーがわからなくて困っているらしい。
傍らの助けを求めている相手は、情報士官として務める弟のジークフリート少尉か、はたまた妹分のような存在のパピリオか。
普段は冷静で、謹厳な態度を崩さない彼女が、こうして漏れ聞かせる無防備な素顔の一端が、キヌにとっては意外な驚きでもあり、収穫でもあった。
ありえないこととは思うが、もしもこの先、この百戦錬磨の軍人に立ち向かうことになるとすれば、手持ちのカードは少しでも多いほうがいい。

それにしても、小竜姫との修行だけでは飽き足らず、ワルキューレとの訓練まで密かに行っているとは知らなかった。
ついぞこの前まで、情けないぐらいの少年でしかなかった彼の、この変わり様はどうだ。
先程と同じく、またも不吉な疑念が鎌首をもたげ始めるのを感じた。

「はいはい、次、次」

「あ……」

朧に遠ざかる忠夫の背中に手を伸ばす間もなく、タマモの白く細い指が、メモリのインデックスをスキップさせる。
受話器を乗せたままのスピーカーから、偽者のマリアが、録音された日時を告げるのを聞いて、キヌは嫌な予感を感じた。

『――日、午前、三時、二十、七分、のメッセージ、です』

午前三時という、相手の家の電話に掛けるには甚だ不適当な、非常識と謗られても不思議ではない時間のメッセージが残されている。
つまり、忠夫にとっては迷惑などではなく、むしろ、わざわざ取っておきたいと思わせるメッセージだということだ。
そして、その理由をキヌは直ぐに思い知らされることとなる。

『よ、横島クン? こんな時間にゴメンね。あ、あのね……今日は、……その、……んんっと、……あ、ありがとね。じゃ、おやすみなさい』

三度名乗りもしない相手だが、今度は最後まで聞くまでもなく、始めの呼びかけだけで誰の声だか理解出来た。
だけど、慣れぬ電話に戸惑いながら、どこか甘えているようにも聞こえるそのしゃべり方は、ついぞ今までキヌが耳にしたことのないものだった。

「ふうん、美神さんもこんな声出すときもあるんだ。なんかちょっとフクザツぅ」

ね、おキヌちゃん、とタマモが軽く相槌を求めてくるが、キヌには返す言葉が見つからない。
そんなキヌの様子など意に解することもなく、タマモはさも面白そうにリピートのボタンを押した。

「美神さんも、普段からこんな感じでいればカワイイのにね」

どこがそんなにツボに入ったのか、タマモは二度、三度と繰り返し再生しては、自身の保護者への勝手な批評を垂れ流す。
けれども、その批評のほとんどがキヌの耳から耳へと通り抜けてしまうだけだった。

マリアが告げる日にちが合っているのだとすれば、それはちょうど、あのオフィスビルでの急ぎの除霊仕事が入った日、正確には仕事を終えた次の日のことだった。
あの日、予想していたように早く終わってしまった除霊の後、実地検分も兼ねて、連絡のつかなかった忠夫が来るのを現場で待っていた令子だが、結局その日は朝まで帰ってこなかった。
散々待たされた挙句に会えず仕舞いに終わり、まっすぐ帰るのもしゃくだから近くのバーでひとりで飲んできた、とか言いながら、逃げるようにして寝室に潜り込んでいったのを覚えている。
さらに、昼過ぎにのこのこと顔を出した忠夫を捕まえて、アンタのせいでひどい目にあった、とか言いながら、やつあたりに近いいつものようなやり取りを、いつものように事務所で繰り広げなかっただろうか。
キヌはてっきり、その言葉通りの成り行き通りなんだろうと、今の今まで疑いもしないでいたが、この電話の令子が、実はそうではなかったんだと舌を出して告白しているのだった。


   許せない――


なおもメッセージを再生して遊ぶタマモを無理矢理退かし、消去のボタンをはっきりと押した。
確認を求めるマリアの声にも構わず、小竜姫やワルキューレもろとも、令子の痕跡を跡形もなく消し去ってしまう。

「ちょっと! おキヌちゃん、どうしちゃったのよ? それ勝手に消しちゃったらマズくない?」

手荒に押しのけられたことにも少々腹を立てながら、キヌの突然の大胆な行動に戸惑い、タマモが抗議の声を上げた。
けれども、横から覗き込んだ途端に、その声は小さくなっていく。

「……何? なんでおキヌちゃん、泣いているの……?」

あるいは、自分が想像しているようなことはなかったのかもしれない。
令子の言うように、もの静かなバーか何処かでグラスを傾け、他愛のない話をしていただけかもしれない。
けれども、二人はキヌは何も話さなかったし、ふたり揃って口裏を合わせ、臆面もなくあんな茶番までしてみせた。
そして、そんな茶番で騙せるんだと自分は思われていたし、実際に騙されていた。
悔しくて、情けなくて、嗚咽も漏らせない涙が、電話機のボタンを汚していくばかりだった。
【絹には月見草がよく似合ふ】赤蛇です。
こんなご時世なのにというべきか、ご時世だからこそなのか、やたらと忙しくてコメントをつけるのもままなりませんが、他の方の魅力的な投稿作品のすきまに紛れて『ネトラレ3』をお送り致します。
話的には2時間ドラマの初めの30分あたりが過ぎたところでしょうか。
はたして次の話がいつ書き上がるか定かではありませんが、よろしくお願いいたします。

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