東京都某所。
自分でもどこか解らないまま、葵はとあるマンションの屋上に膝を抱えて座っていた。
怒りに身を任せ、ただがむしゃらにテレポートした結果が、これだった。
ひたすらに、思いを断ち切るように、長い距離を一編に、しかもとてつもない回数で往復を繰り返していたのだ。
葵自身もどこに行ったか覚えていない。それ程まで気が高ぶり、一種の暴走状態に陥ったようだった。
結局、限界を超えると言っても過言ではない“がむしゃらテレポート”により、急激に力、体力を消耗し、動けなくなり今に至る。
疲れてくるに従い、不思議と頭に冷静が戻ってきた。本当に、少しずつだったけど。
そんな葵が、今いる場所を東京都内だと推測したのは、疲れ始めてようやく視界に入った赤いタワーのおかげだった。
(薫のバカ薫のバカ薫のバカ薫のバカ……………………)
光速に匹敵する速さで移動していた時からずっと呟いていた言葉を、今は狂ったおもちゃの様に内心繰り返していた。
理由は、勿論自分が頑張って手に入れた限定チョコレートケーキを薫に食べられた挙げ句、更に謝られるどころか激しい口喧嘩に発展、言われたくない一言を言われたからだ。
薫の顔は二度と見たくない!そう、言わんばかりに、葵はテレポートを始めた。
最初は、薫の顔を見るのが嫌で嫌でただ離れたくて、ひたすら移動を続けた。
だが、気付けばヤケクソで、理由も考えずにひたすら移動を繰り返していた。
(今…………何時頃なんやろ?)
葵は疲れ果てた表情をそのまま真上に向ける。視界に入って来るのは、黒い雨雲だけ。見ていてもただ不安が募るだけなので、葵は再びぐったりとうなだれた。
「これから、どないしよう……………」
体の疲れが取れるまで、恐らく小一時間はかかる。
「………………寒い」
冷たい北風が、容赦なく葵に吹き付ける。殆どとっさに飛び出したので、上着を着ていない。
葵はなんとか立ち上がると、風を凌ぐために屋内に入ろうと、屋上出入り口のドアノブに手をかける。
が、
「あれっ……………?開かへんやん!?」
ドアノブを回そうとするが、途中で止まってしまう。鍵が掛かっているようだ。
「……………………………」
葵は、その場にうずくまった。膝を抱え、スカートに顔をうずめ、丸くなる。
これが、日本最強を誇る超度7のエスパー、ザ・チルドレンの1人の姿だとは、誰も思わないだろう。
しかし、これが今現在、ただの少女となった野上葵の出来る、全てである。
20分程経った頃。
超能力は回復してきたが、葵の体は限界に近づいていた。
体が寒さに震え、しかしそれ以上はどこも動かせはしなかった。
名犬と共に教会で眠くなった少年よろしく、葵が必死に衰弱による睡魔と戦っていた時だった。
そらから、雫が落ちてきた。
それは、すぐに大量の仲間を引き連れ次と落下してくる。
「あかん……………………」
葵は渾身の力を使って、ドアの内側へとテレポートした。
外から、激しい雨の音が聴こえる。
葵は1人、閑散としたビルの階段を降りていた。
空気も壁も、何もかもがひんやりと冷たい。外に比べれば大した事ではないが、それでも、弱った体から容赦なく熱を奪う。
目眩がする。朦朧とした意識の中、葵はぶれる視界でビルを観察する。
人の気配はおろか、ネズミ一匹いないようだ。今の葵に出来る事はただフラフラ階段を下りるだけで、空間認識すらまともに出来ないそんな状態でも、「存在」を感じなかった。
それだけの静寂が、ここにはあった。
壁はひび割れている場所が幾つかあり、窓ガラスは割れて飛び散り、窓には代わりに板があてがわれていた。
(廃ビル……………なんやろか)
人の気配がしない所から、ほぼ間違いないだろう。
震える足と手を頼りに、葵は1人、階段を下っていく。
本来なら、テレポートは使えるのでそれで脱出出来たはずだが、体の疲れと外の大雨が、それを許さない。
超能力は使えても、コントロールが出来ないだろうし、何よりこの大雨じゃまともにテレポートも出来ない。
やがて、入り口であろうドアが見えた。ガラスのドアを押し、葵は外に出た。
冷たい雨が叩きつけ、風がそれを後押しする。メガネに雫がつき、視界の邪魔になる。
「こんなん………………いらんわ」
濡れる度に拭く気力もないし、服もあっという間にびしょ濡れだった。
葵はメガネを外し投げ捨て、張り付く服を鬱陶しいそうに正しながら、薄暗い道を進む。
どうやら路地裏だったらしく、人通りも皆無に近い道を、フラフラのまま歩く。
「ウチ……………凄い惨めやんか…………………」
自分に言い聞かせるように、口から言葉を零す。もはや意識は遠退きかけ、瞳に光が宿っていない。
そんな満身創痍な葵が、路地を出て見つけたものは。
見慣れた、バベルの塔だった。
不幸中の幸い?奇跡的?偶然?
色々口にしたかったが、総括して葵はこう呟いた。
「よか………っ、た…………………」
自動ドアを越え、雨水を滴らせ、
ゆっくりと目を閉じ、
葵は、冷たいエントランスの床に倒れこんだ。
バベル職員、特務エスパーチーム、ザ・チルドレンの現場運用主任である皆本光一は、仕事中に入った緊急の呼び出しで医療室に向かった。
「賢木!葵は!?」
皆本は部屋に入るなり、信頼できる親友、賢木修二の名を呼んだ。
「静かに。今はぐっすり寝てるよ」
賢木は皆本に言った。医者の一言は、緊急であればあるほど安心感をもたらす。
皆本は、ベッドで寝息をたてている葵を見て、安堵の溜め息を吐く。取り敢えず一安心だ。
「インフルエンザだな。発見したダブルフェイスの2人によると、びしょ濡れの葵ちゃんが入ってきたや否や、バッタリ倒れたらしい」
「そうか……………大丈夫なのか?」
インフルエンザと聞いて不安にならない訳もなく、皆本は不安げに賢木に訊く。
「今は薬を飲んでるから大丈夫だ。熱は、さっきは40度近くまであったが、今は38度台だ」
ほっ、と胸を撫で下ろす。
「ただ、高熱のせいで体の各部が軋むような痛みが奔るだろう。ま、これはどうしようもないから、愛を込めて優しく撫でてやれ」
端から聞けば楽々誤解が出来る表現を混ぜる必要はないだろうが、皆本は取り敢えず苦笑しながら頷いた。
「体が衰弱しきってて、かなり危なかったが、今は大丈夫だ。ただ、普通の人より治るのは遅いだろうな」
「そうか」
「今日は葵ちゃんはこのまま寝かせてやれ。連れて帰るのは明日以降にしろよ」
「分かった。………で、悪いんだが………………」
皆本が申し訳なさそうに口ごもる。賢木はすぐに察して、微笑みながら言った。
「解ったよ。不安なんだろ?薫ちゃん達はオレが面倒見とくから、お前はここに残っておけ」
「……………ありがとう」
こういう時、親友はいいな、と改めて思うものだ。
「うっ………………」
葵は目を開けた。暗い部屋の中を、何かの光が照らしている。
「ここは……………っつ!?」
起き上がろうとしたが、左腕の痛みに邪魔された。
骨が軋むような痛みに、顔を歪める。
「お、葵、目が覚めたか」
目を細めると、光の中に皆本の姿を確認できた。良く見れば、光は皆本のパソコンからのものだった。
「みな………もとは、ん?」
「無理するな。取り敢えず横になれ」
皆本に促され、葵は起き上がるのを中断し、頭を枕に乗せる。
「ウチは………一体?」
「インフルエンザだ。賢木に薬を出してもらったから、心配しなくていいよ」
「ん……………………」
皆本が優しい表情で、優しく葵の頭を撫でる。思わず恥ずかしがり、布団に顔をうずめる。
「一体、何があったんだ?葵、詳しく話してくれないか?」
皆本の問い掛けに、葵は素直に応じた。
「実は…………………」
「と、言うわけなんだけど」
コーヒーを飲み、ほぉ、と賢木は頷いた。話が分かった、というサインである。
無論、話と言うのは薫と葵の喧嘩の事だ。話したのは、お休みと言いながら、5分後には平然とダイニングに入ってきた紫穂である。
今、2人はソファに並んで座っている。紫穂がパジャマなのと、時間が原因が、今の2人はかなりいい感じに見えるが、話しているのはかなり重い話である。
「で、紫穂ちゃんはどうしたいんだ?」
賢木は、本当に発育いいなこのやろう、とか思いながら、視線を紫穂の一部に向けつつ訊いた。
「私は……それは当然、2人に仲直りして欲しいわよ。2人が喧嘩してる所なんて見たくないし、任務にだって影響が……………って、どこ見てるのよ」
紫穂は賢木の視線に気付き、一部を腕で庇うように隠す。距離がかなり近いので、たださり気なく見てるだけでもやらしい目つきに見える。
「別に…………ただ、そう思ってるだけじゃダメだ。考えたり思ったりするのは誰にでも出来るが、行動に移せなきゃ意味がない」
「解ってるわよ!」
「いや、解ってない」
「どうして断言出来るのよ!?透視だってしてないでしょ!?」
「そこは、ほら、やっぱり大人だから」
「理由になってない!」
むっ、となって反論する紫穂が可愛いとか思ってるのはきっと歳のせいだ、なんて思いながら、賢木は溜め息を吐いた後、言った。
「今のお前は、何もしてない。何をすればいいか、なんて理由は無しにして、だ」
紫穂は黙っている。
「でも、2人には仲直りしてもらいたい。なら、黙って見ていればいい」
「でもそれは…………」
「何もしないのとは別だぜ。下手に何かするより、全然効果的だ」
賢木は紫穂の反論を遮るように言った。
「ただ、見てればいい。当人が困っているなら、助けてやればいい。喧嘩は当人達で解決するのがベストだ」
それに、と賢木は続けた。
「ザ・チルドレンはお前が透視をしなくても、互いに何を考えてるかが解るくらい、仲が良いんだろ?」
「…………うん。そうよね」
紫穂は、微笑みながら言った。
「ありがとう。私が心配して、解決するわけじゃないものね」
そんな2人の話を聞いている少女がいた。
2人は敢えて、気づかぬふりをした。
葵が再び目を覚ましたのは、夕暮れ時の午後4時だった。夕日が窓から射し込んでいる。
見回して、ここが自宅…………皆本宅だと解る。
「体の痛みが…………あまりない」
全くと言うわけではないが、立ち上がるには問題なかった。
空腹感と吐き気の奇妙なコンビネーションを覚えつつ、葵はダイニングへ向かう。
「あ…………………」
そこにいたのは、薫だった。てっきり皆本かと思っていたのだが。
「薫……………」
何で、と葵が続ける前に、薫が葵をギュッと抱きしめた。
「ごめん…………ごめんね葵…………………」
「……………薫」
自分を抱える腕から、押し付けられる顔から、その頬を伝う涙から。
葵は、薫が本気で自分を心配して、凄く反省している事を悟った。
「あ、ごめん。急に。具合は平気?」
「あ、うん。大分ようなった」
「そっか……………良かった。それで、食欲とかは?」
「うーん…………微妙なんや。お腹が空いてるんは確かなんやけど、吐き気もある…………みたいな」
「それなら、取り敢えず飲み物、かな。ちょっと部屋で待ってて」
葵がベッドで横になりながら待っていると、薫が湯気を放つカップを持ってきた。
「はい、お待たせ」
と、薫から手渡されたカップの中には、ホットミルクが入っていた。
「ホットミルク。皆本に美味しい作り方教えてもらったんだ。暖まるよ」
「…………薫、学校は?」
カップに口をつける前に、葵は溜めていた疑問をぶつけた。
「休んだよ」
「もしかして、ウチの看病の為に?」
葵が訊くと、薫は頷いた。
「私のせいなんだよね。私が葵のケーキ食べて、あまつさえあんな酷い事言って……………」
俯いた薫を葵はただ見つめた。
「本当にごめん。ちゃんとケーキは返す。けど、今はそれで勘弁してくれないかな」
「………………美味しい」
葵は、口に含んだ途端に、思わずそう言った。
「本当!?良かった…………今は、本当にそれで…………」
「許すに決まってるやん。それに、あんまりしおらしいのも薫らしくなくて嫌やしな」
2人して、笑う。
当たり前の事なのに、今まで日常的にしてきた事なのに、葵には凄く懐かしくて、暖かく感じた。
このホットミルクの味は、あのケーキのそれにも負けない物に違いない。
葵は、甘いミルクを味わいながら、親友との会話を楽しんだ。
それが、ホットミルクの力なのか、はたまたザ・チルドレンの仲の良さなのかは、解らないが。
Please don't use this texts&images without permission of 桜咲火雛.