真冬の冷たい空気を切り裂く真っ赤なオープンカー。
そのハンドルを握る女は、美しさと獰猛さが融合した車に相応しい乗り手といえた。
長い髪をなびかせた悩ましげなボディ。
今となっては時代錯誤の感もあるバブリーな美女。
そんな女の助手席に相応しいとは思えない、Gジャン姿の男が寒さに口元を強張らせながらポツリとつぶやく。
「やっぱ、納得いかないスよね・・・・・・」
「し、仕方ないじゃない。ポルシェの調子が悪いんだから! 横島クンには荷物持ちしてもらわないと・・・・・・」
バブリーな美女―――美神令子は、不服そうに呟いた男に言い訳めいた説明を口にした。
意外なことに彼女は助手席に座るパッと見さえない男―――横島忠夫になんらかの後ろめたさを感じているらしい。
おキヌ、シロ、タマモを事務所に残し、美神は今回の依頼を横島と2人でこなすつもりだった。
「いや、急に仕事に駆り出されたのはどうでもいいッスよ。どうせ、今年のバレンタインは土曜日で学校も無いですし・・・・・・」
「へえ。学校に行けば貰えるみたいな言い方じゃない」
「う゛っ!!」
冬の空気よりも冷たい美神の視線に、一瞬表情を凍らせる横島。
しかし、先ほど口にした納得いかないことと関係するのか、彼は大きな声で不満を口にしていた。
「そう! それっスよ!! 折角霊力を磨いてこんな力や、こんな技覚えて、GS資格まで取ったのに何で俺、ずーっと情けない丁稚のままなんですか!? もう少し評価されてモテてもいいやないっスかっ!!」
助手席に座った横島の右手に眩い霊力の剣が出現する。
そして、彼の左手には小ぶりな球状の物体が握られていた。
「仕方ないじゃない・・・・・・関連商品が売れなかったんだから。みんなその後のアンタの成長なんて知らないわよ! 廉価版の売り上げに期待したら? ひょっとしたら後輩たちの後に二期が・・・・・・」
「それはない。それは無いッス。美神さん・・・・・・」
メタすぎる美神の発言に、横島の両目からはらはらと血の涙が滴り落ちた。
―――― そのうち何とかなるだろう ――――
「あー、もう、泣かないの! 霊力ばっか成長して中身は相変わらずなんだから・・・・・・で、なんで急にそんなこと言い出したのよ!?」
えぐえぐと泣きながら、盛んにモテ無いキャラにバレンタインシーズンは辛いと訴える横島に、美神は呆れたような顔をする。
いつにも増して彼は切羽詰まった心境で、バレンタインを迎えているらしい。
嗚咽混じりに語られた、昨晩国際便で届いた百合子からの小包にバレンタインチョコが入っていたという説明に、美神の呆れ顔がますます深まった。
思春期のまっただ中、唯一のチョコが母親からのものと言うのはなかなかに痛い経験なのだろう。
今頃百合子は、少しでも傷を軽くしようとチョコを求め奔走する息子を想像し、人の悪い笑顔を浮かべているに違いない。
美神はかって手玉にとられそうになった、百合子のしたたかな笑みを思い出していた。
「ったく、年頃の男の子ってくだらないことに・・・・・・」
美神は路肩にコブラを停めると、チラと側らに置いたハンドバックに視線を落とす。
いつもは荷物を全て横島に任せ手ぶらで除霊現場に赴く彼女だったが、今日は珍しくハンドバックを車内に持ち込んでいた。
「ねー、そんなにチョコが欲し・・・・・・キャッ!」
助手席に視線を向けた美神の目の前には、大写しになったタコ口の横島の顔。
完全に不意をつかれた彼女は、顔を真っ赤に紅潮させながらいつもより多めに折檻を行う。
「しっ、仕方ないんやーッ! これには深い訳が・・・・・・」
「アンタねッ! 一体、どんな理由があったら、チョコの話題から急にソッチに行くのよっ!!」
「だって、絶対にマダだと思ってたアイツが経験者だったんスよ! 造物主的には年上といつの間にかというのがリアルなようですし・・・・・・」
「やかましい! これ以上メタネタ禁止っ!!」
更に顔を赤らめた美神は折檻の手を休めようとしない。
ざわざわと周囲を取り巻き始めた通行人にようやく我に返った美神は、ジロリと一瞥で野次馬の包囲に穴を開けるとアクセルを踏み猛スピードでコブラを発進させた。
「あーもう! アンタのおかげで余計な恥をかいちゃったじゃない!!」
「美神さんが悪いんやー。人の気も知らんと・・・・・・」
「えっ!?」
横島の言葉に息を飲む美神。
彼女の脳裏には先ほど横島が口にした、
年上といつの間にかという言葉がフィードバックしていた。
「チョコくらいくれてもいいやないですかっ! 減るモンじゃなし!!」
「・・・・・・
絶対に御免よ!」
美神は1音ずつ区切るように吐き捨て、不機嫌そうにアクセルを踏み込む。
車線変更を繰り返し数台をごぼう抜きにしてから大きな溜息を一つつくと、彼女はようやくもとの美神に戻っていた。
「だいたい、確実に減るのよ!
他人にモノあげるなんかチ□ルチョコ一個だって御免だわ!!」
「ちぇっ・・・・・・でも、まあ、もの凄く美神さんらしいというか」
「なんかムカつくけどまあいいわ・・・・・・そろそろ現場が見えてきたし。横島クン! 気を緩めるんじゃないわよ!」
眼前には警察によって封鎖された橋。
その上には背中に籠を背負った、弁慶風の風貌の霊体が仁王立ちしていた。
「な、なんすかアリャ?」
「数日前からこの辺の橋の上に現れてるらしいわ。バレンタインチョコを狩るんですって・・・・・・名前はアルファベットで二文字らしいわよ」
「うわ・・・・・・それはまた」
「なによ! アンタも似たようなモンじゃない・・・・・・」
「違いますよ! 俺は・・・・・・」
呆れたような美神の言葉に咄嗟に出た反論は、封鎖した警察官に道を空けさせた美神の背に空しくはじき返される。
神通棍を勇ましく装備した彼女は、目の前の敵に全神経を集中している。
背負った籠に狩り盗ったチョコを満載させた弁慶風の悪霊は、アレな行動からは想像できない程の凄まじい霊圧を生じさせていた。
「くれぬなら 奪ってしまえ チョコレート・・・・・・」
手に持った錫杖をドスンと打ち鳴らすとU・・・悪霊は、美神に向かい左手を差し出す。
どうやら彼はこの橋の通行料として通りがかる女性から、バレンタインチョコを徴収しているらしい。
ごく一部で知られる
無理チョコというヤツだった。
「この世にどんな未練があって迷っているのかは知らないけれど、ちょっと悪さが過ぎたみたいね・・・・・・」
「いや、思いっきりわかりやすい未練だと・・・・・・ぐはっ!」
最早お馴染みとなっている除霊前の口上に茶々を入れられ、美神は横島の鳩尾にひじ鉄を叩き込む。
彼女なりの精神集中でもあるその台詞は、形式美以上の役割を持っていた。
美神は残りの口上を吐き捨て、上段から一気に悪霊に斬りかかる。
「このゴーストスイーパー美神令子が・・・・・・極楽に行かせてあげるわっ!」
「バレンタイン 俺なら消すね 暦からッ!」
跳躍と同時に見舞われた斬撃を、悪霊は下段から打ち上げた錫杖で易々と打ち払う。
その一撃に込められた怨念はどれ程のものなのか、軽々と吹き飛ばされ橋の欄干に激突しそうになる美神。
しかし致命的な速度で欄干に激突しそうになった彼女の体は、素早く割り込んだ横島の腕にしっかりと抱き止められていた。
最初に出会ったとき劣情から美神に抱きついた少年は、いつしか彼女を庇える男に成長していた。
「クッ・・・・・・強い」
「美神さん、正攻法じゃ無理ッスよ! アイツの怨念、無茶苦茶強いじゃないですか!!」
「うるさい! 早く離しなさい横島クン!!」
「嫌です!」
目の前で横島に抱きあげられた美神の姿に、悪霊の怨念が一層高まる。
滅茶苦茶に錫杖を振り回し二人に襲いかかる悪霊。
周囲に多大な被害を生じさせつつ、横島は美神を抱き抱えたまま紙一重で悪霊の攻撃をかわし続けた。
「(模)の文珠で弱点を
透視もうとしたんですが、アイツ、チョコを1000個集めれば満足するみたいですよ」
「だから何なのよっ! いいから離してッ!!」
顔を赤らめ身をよじる美神。
そんな彼女の表情を固まらせたのは、続いて語られた横島からの提案だった。
「アイツは既に999個集めてます。最後の1個を美神さんが渡せば穏便に・・・・・・」
「
絶対に御免よ・・・・・・」
この日2回目の台詞。
しかし、その中に先ほどは含まれていなかった掛け値無しの不機嫌さを感じ、横島は美神の怒りが臨界点を迎えていることを理解する。
「本気で怒らないと離してくれないのかしら?」
既に美神は本気で怒っていた。
横島はすぐに彼女を解放すると、空いた手に霊力の盾を展開する。
こうなった美神が誰にも止められないことを、横島は長年のパートナー暮らしで骨の髄まで叩き込まれていた。
「製菓会社の策略に踊らされ、右往左往したあげくの悪行。アナタ、そんなチョコで本当に満足?」
怒りが霊力を底上げし、美神の神通棍が鞭状に変化する。
目の前から叩きつけられる悪霊の怨念と美神の霊力がぶつかり合い、周囲の空気がバチバチと放電したようにはじけた。
「義理人情 チョコなら何でも 構わない・・・・・・」
「処置無しね・・・・・・
女の好意が欲しかったら、常日頃から努力していい男になりなさい! それに、アタシの好意はそんなに安くないのよっ!!」
美神はそう叫ぶと、防御を全く考えない渾身の一撃を悪霊に叩き込む。
彼女に叩き込まれる筈だった一撃が、阿吽の呼吸で割り込んだ横島によって受け止められるのが最初からわかっていたかのように。
悪霊が発する断末魔の叫びと共に周囲に放出する夥しい霊気。
炸裂した霊気によってドロドロに溶けたチョコだけを残し、バレンタインの悪霊は跡形もなく消え去っていた。
「ったく、毎度毎度、盾になるコッチの身にもなってくださいよ・・・・・・」
除霊現場からの帰り道。
コブラの助手席で手のひらをふーふーと吹きながら、横島は赤く腫れ上がったその部分を涙目で見つめる。
霊力の盾を展開してもなお、先ほど受け止めた悪霊の攻撃はかなりの衝撃だったらしい。
美神令子最強の盾と揶揄とも羨望ともつかない二つ名が定着しつつある横島は、今ひとつパッとしない己の立ち位置に不満たらたらだった。
「んー。いいじゃない別に」
ハンドルを握る美神は何処か上機嫌だった。
横島は帰り際に依頼主より受け取った小切手が、彼女の機嫌を直したと思っている。
「それだけアンタが成長したってことなんだから!」
「常日頃から努力してますから・・・・・・さっきのヤツとは違って」
いじけたように口をとがらした横島に美神は気まずげに笑う。
悪霊にチョコを差し出せと言った彼の言動に、つい怒りを露わにしてしまったのは気恥ずかしい記憶だった。
「あー、もう、いじけないの! アンタが頑張っているのは近くで見ている女なら気づくから、最後まで格好つけていなさいって!!」
「んじゃ、チョコくださいよ。何だかんだで俺の頑張り一番近くで見てるの美神さんなんだから・・・・・・」
「え・・・・・・」
しつこくチョコを要求する横島に、先ほど聞いた焦り以外のものを感じ美神は言葉に詰まる。
横目で確認した彼の顔はいつになく真剣だった。
「この車に初めて乗った日、美神さん、俺にも縁を感じたって言ってましたよね? あん時はただの妄想だったけど、俺・・・・・・」
「横島クン・・・・・・」
決して自分で強くなったと言わない横島に美神の胸が締め付けられる。
直接言葉にすることは無いが、彼は少しずつ前に進んでいるらしい。
結果的に横島の行動を後押しした百合子のチョコに、美神は尊敬にも近い感情を抱いていた。
―――始まらなかった物語をやり直すのには丁度いい頃合いなのかも知れない
側らに置いたハンドバックに意識を向けた美神に呼応するように、コブラは次第にエンジン音を弱め速度を落としていく。
そして・・・・・・
プスン!
まるであの時の再現のようにエンジンを停止したコブラに、2人は顔を見合わせた。
冬の町並みをのろのろと進むコブラ。
その運転席から何処か楽しげな美神の声が響く。
「ほら! 横島クン、スピードが落ちたわよ!」
彼女の声は助手席から降り、コブラを押している横島に向けられている。
無論その行動は彼の自発的意志によるものではなかった。
「だーッ! 何でガス欠のツケを俺が払わにゃならんのですかッ!? 出がけに給油を忘れた美神さんの責任でしょ! JAF呼んで下さいよJAF!!」
「嫌よ勿体ない! 一番近くで見ててあげるから、もう少し先にあるガソリンスタンドまで頑張んなさい!」
「ダメ、もう限界です。寒いしお腹空いたし、何かカロリーを・・・・・・」
ズルズルとその場に崩れ落ちる横島。
そんな芝居がかった彼の姿に、美神は呆れ顔を浮かべつつも出発前に持ち込んだポットの存在を思い出す。
冬場の休憩用に、彼女は温かい飲み物を用意する習慣があった。
「カロリーねえ・・・・・・そういえばポットに温かくって甘い飲み物を入れてきたっけ?」
「それっス! 美神さん! ソレください!! いやーこういう寒い日には温かくって甘い飲み物が・・・・・・」
シャカシャカと運転席ににじり寄った横島は、半ばひったくるように美神の手からポットを受け取ると、付属のコップに注いだ乳褐色の液体にニンマリ笑顔を浮かべる。
期待に満ちた彼の表情が一変したのは、ゴクリとコップを傾けてから数秒後のことだった。
「・・・・・・・・・・・・って何スかコレはっ! ただのミルクティーじゃ無いッスかっ!! ツンデレの美神さんならここは当然、ホットチョコレートでしょッ!!」
「そんな昭和の匂いがするベタな真似を誰がするかッ!!」
逆ギレ気味に見舞われる美神の一撃。
ツンデレという部分はとりあえずスルーらしかった。
「ホラ、カロリーは補給できたでしょ! 早く押しなさい!!」
「嫌ッス! チョコ頂戴、頂戴、頂戴、頂戴、ちょうだぁぁぁぁ―――いッ!!」
「しつけの悪い幼稚園児かアンタはっ!!」
道端にジタバタと転がり、おがーがーんと泣き叫ぶ横島に美神は咄嗟にツッコミを入れる。
しかし、いつものように折檻に移行しないのは、彼女なりに何か思うところがあるらしい。
美神は子供のおねだりに根負けした母親のような溜息を一つつくと、運転席からハンドバックを持ち出し近くのコンビニへと歩いていく。
数分後、無言で差し出されたコンビニ袋をがさがさと開いた横島は、子供の様な満面の笑顔を浮かべるのだった。
「うわっ! 感激ッス! ありがとうございます美神さん!!」
「ったく、さっきの悪霊より始末が悪い。ここで全部食べて証拠隠滅して・・・・・・」
美神はむず痒そうな奇妙な表情で頭を掻きつつ、チョコをパクつき始めた横島に悪態をつこうとする。
その悪態が必要ないほどのペースで、横島は瞬く間にチョコを消費しつくそうとしていた。
「・・・・・・どうやら証拠隠滅の心配はなさそうね。アンタ、そんなにチョコが食べたかったの?」
「いや、美神さん! マジでこのチョコ、メチャクチャ美味いっすよ! コンビニでこんな美味いチョコが売っているなんて・・・・・・明治? それとも森永? 何処のメーカーだろう? 見たこと無いロゴっスね。えーっと、GOD・・・・・・」
「へ、へえ! コンビニのオリジナルブランドも捨てたもんじゃないのね。私も一個貰おうかしら!」
「ああっ! 最後の一個をッ!!」
美神は横島の手から箱ごと最後の一個を奪い取ると、素早く口に放り込みクシャクシャと空箱を近くのゴミ箱へと放り込む。
口の中でとろけたチョコは確かに頬がゆるむほどの美味だった。
「さあ、もう燃料補給は十分でしょ! 次はこの子にも燃料をあげないと・・・・・・行くわよ、横島クン!!」
運転席に乗り込んだ美神は、横島に背を向けたまま再び出発の合図を発する。
横島はそんな彼女の仕草に口元を緩ませると、調子っ外れな歌を口ずさみながら近くのガソリンスタンドへとコブラを押していく。
冬の寒風が吹きすさぶ街中を、コブラはノロノロと進んでいった。
「んじゃ、いっちょぶわーっと行きましょうか! チョコのなーい奴は俺んとこに来ーい♪」
「何よ!? その変な歌」
「ははっ、まあ、景気づけと言いましょうか・・・・・・俺も無いけど心配すーるーなー♪」
「失礼ね! 今、ちゃんとあげたでしょ!」
「いや、元々がこういう歌詞なんですよ! それにもう証拠隠滅して無くなっちゃいましたし・・・・・・」
まだチョコを欲しがっていそうな横島に美神は思わず天を仰いた。
冬晴れの青い空に浮かんだ白い雲を見上げると、チョコ一つに右往左往した一日が急に馬鹿らしく感じられてくる。
彼女は肩の力を抜くと、苦笑混じりにいつものような悪態をついた。
「まあ、さっきのは単に燃料補給だしね・・・・・・だけど、よく考えたらアンタ、事務所に帰ったらおキヌちゃんやシロから貰えるでしょ! 昨日、二人とも気合い入れて手作りチョコ作ってたんだから。ホワイトデー大変なんじゃない!?」
「一番大変そうなのはゴディバへのお返しなんスけどね」
「え・・・・・・」
不意打ちのように発されたチョコのブランド名に言葉につまる美神。
その意味を悟った彼女の顔は、みるみるコブラと同じ色に色づいていく。
ゆっくりと前に進む二人の頭上には冬晴れの青い空に白い雲。
無言で俯く美神を他所に、真っ赤なコブラを押す横島の歌声がその空へと吸い込まれていった。
―――― そのうち何とかなるだろう ――――
終
Please don't use this texts&images without permission of UG.