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ALIVE 3







ALIVE 3







夢の余韻に悪酔いしながらもルシオラは着々と出勤の準備を進めた。
顔を洗い、髪型を整え、化粧をのせる。
手馴れているのか支度はあっという間に終わった。
そこには誰もが美人というだろう女の姿があった。
ただやや目のあたりの薄いクマは隠せていなかった。

悪夢の所為なのか・・・仕事の所為なのか・・・もしくは両方か。

ルシオラが現在勤めてる仕事場は・・・病院だった。
それなりに名のある病院であり、そこで外科医という形で迎えられている。

そういった形になったのはそれなりの経緯がある。



ルシオラは既に魔族というカテゴリーから抜け出している。
つまり肉体、細胞、戸籍ともに正真正銘の人間だ。
8年前生えてた触角も今はもう無い。
霊力も腕力も人並みまで落ちてるし、空を飛ぶ事もできなくなってる。

ここに至るまでの経過は当然色々とあった。






















結局ルシオラは醜い自分、世知辛い現実を突きつけられても生きる事を選択した。
人間社会に紛れる事を覚悟したのだ。

・・・覚悟というにはやや語弊があるかもしれない。
ただ時間の激流に抗う術を持たずに流されているだけなのかもしれない。

それでも生きる事を選択したのだ。
それは自分にとってプラスになっているのか、それともマイナスになっているのか
今のルシオラにはわからなかった。

そしてその道は皮肉にも妹達とは正反対の道を行く事になった。

ベスパは魔族の軍隊に所属し、パピリオは妙神山で神々と共存する。
環境やこれからの生活は変わるものの、人外達と共存していくというのは
今までと変わりない。いわば同じ穴のムジナというもので
価値観や常識の論理を変える必要は無い。
軍隊での適正もベスパの能力なら何も問題は無い。

パピリオは神族達と共存しなければいけないので常識面では不安はあるだろうが
元々小学生と同程度の精神年齢なので、自分の価値観が揺さぶられても素直に受け入れやすい。
それに食い扶持は始めから保証されている。
また周りには人格者も多く、良い環境で健やかに教育されるだろう。


しかしルシオラは違う。
今まで生活してきた場所とは全く違う環境で生き抜かなければいけない。
価値観や理念といった精神面はもちろん金銭、食生活、住居といった
物質面(こちらの方が当面の問題ではある)
でも様々な問題があり、苦労するというのは火を見るより明らかだった。

しかも自分一人の力でそれらをやり遂げなければいけなかった。

『もう姉と妹、二人に会う事もないだろう。』
ルシオラはそんな事を密かに覚悟した。


何かと縁のあった美神令子に頼めば受け入れてくれるだろう。
横島忠夫と最も親しかったといっていい人物の頼みを断る筈がない。
氷室キヌも良くしてくれるだろう。
しかし横島忠夫がいないあの場所に自分が居座る意味はあるのだろうか?
ルシオラはそう思えてしょうがなかった。
ましてや多少は自分も横島忠夫が死んだ原因を担っているのだ。
もちろんあの二人はそれを責めたりなんかしないだろう。

だが心の深い部分では傷口があるのはどうしても否めない。
当然だ。愛や恋だのといった感情を二人が横島忠夫に対して
持っていたのかは確証は持てないものの少なからずそれらに近い好意はあっただろう。
そんな大切な人がいなくなったのだ、どうしてもある種の気まずさは互いに感じてしまうだろう。
もちろんルシオラにそれを責める権利なんかないし、彼女自身それを責める気など毛頭なかった。
口外しようとすら思っていない。

ただ互いに傷口を広げるような無粋な真似をする必要性は無いと思ったのだ。
だから美神令子の元へは行かなかった。


それだけの話だ。



1人で人間社会で生きていくのは色々と制約があった。
大戦の最中、ルシオラは全国ネットで顔を出している。
アシュタロスの部下という名目でだ。
そのままの顔で人間社会に紛れ込んだらパニックになりかねない。
まだまだこの事件の傷は少しも癒えてないし、そこに至るまでは当分かかる。
死傷者も多く、いくらアシュタロスを倒した張本人とはいえ元部下という
肩書きは一方的な被害者に過ぎない一般市民には受け入れれるはずも無い。
そういった事情により、まずは顔の整形手術を受ける事を義務付けられた。
ルシオラもこれには賛成だった。
もはや彼女は争ったり、いがみあったりする事にはウンザリしていた。
少しでもトラブルが回避されるならそれに越した事は無い。

最も今の医療技術では顔を大幅に変えるなんていうのは無理だ。
せいぜい似ているけどまあ別人だな、と思えるぐらいのレベルだ。
それでも充分事足りるからルシオラは特に不満は無かった。

さらに肉体も戸籍も人間と同じものになる事も取り決めの一つだ。
人間に紛れるというのは自分の生まれは関係なく人間になると言ってもいい事だ。
いや、ならなくてはいけないと言う事だ。
人が何人も死ぬような霊波を飛ばせたり、空を飛べたりする必要はない。
肉体の手術、及び触覚の排除も命じられた。
そうすれば必然的に寿命も人間の平均寿命と同程度に落とされた。
はっきり何歳で死ぬなんてわかりはしなかったが、勝手にルシオラは80前後だろう
と想像していた。
ちなみにこの時点では肉体と精神の折り合いを考えたところ18歳ということにされた。

特にこの制約もルシオラにとって問題はなかった。
もはや彼女には相手を傷つける力など必要なかった。
本当にその力を使って守りたかったものはもう既に無いのだから。
今となってはこんなものは忌々しいだけだった。

知識と記憶は奪われなかった。
ルシオラの知識には強力な兵器の知識も当然あるのだが、人間の科学力また
人間界にある物質では実現させるのは不可能なので特に問題なしと判断されたのだ。
記憶も同様に判断された。

ただ霊力や腕力が一般の人間と変わらないレベルまで
落ちたルシオラを利用する神族、魔族はいる可能性がある。
彼女はそれが少し不安だったし、政府もそれを若干不安視した。
だが結局はそういう事は神族、魔族のトップが管轄する問題だ。
それに霊力も波長も今までとは別人といっていいほど変わる。
そこに気づける者はいないと判断されたのでルシオラも素直にそれに従う事にした。



ルシオラは知識はともかく記憶だけは奪わせるつもりはなかった。
自分では出来のいい生き方ををしているだなんて思ってはいないが、
それでもそれを勝手に奪われるのはたまらなかった。
なんだかんだであの出来事はルシオラの人格のほとんどを形成しているのだ。
たとえ悲しかろうと短かろうと、ここだけは誰にもいじらせるつもりはなかった。
その想いは杞憂に終わったので内心ホッとしていた。


戸籍、住宅地なども政府が与えてくれた。
ルシオラなんていうカタカナを使い、しかも苗字が無い名の日本人は当然いない。
そこで彼女には戸田久美子という名が与えられた。


これには少し不満があった。
なんせ今までずっとルシオラと呼ばれていたのだ。
慣れ親しんできたものをいきなり手放すのも惜しい。
戸田だなんていきなりいわれても反応できる自信がなかった。
とはいえこんな事で逆らって自分の立場を悪くするのも馬鹿げているとすぐに思考を切り替えた。
これも人間社会でうまく生きていく為だ・・・ルシオラいや戸田久美子はそう割り切ることにした。
この感情の抑制はかなり苦労するなとルシオラは一人ごちた。
魔族だった頃は思いついたら一直線に行動していた。
それはかなりの力があると自負していた事の裏づけであり、その頃は大抵の事は
思い通りになるとすら思ってた。
だがこれからはそんな力はないし、分をわきまえた考えも身につけなければいけない。
最も世の中が思い通りにならないなんて事は魔族の時に皮肉にも嫌という程思い知らされたのだが。
そしてこれから先、自分はどれだけ物事を割り切らなければいけないのだろうか・・・
どれだけ越えられない壁にぶつかるのだろうか・・・
ふっとそんな思いたちが頭をよぎった。

住宅地は埼玉県草加市のとあるアパートを与えられた。
これには特に不満はなかった。
戸田久美子からすれば東京以外ならどこでも良かった。
東京は悲しい思い出が多すぎたからである。

これらの費用は全て政府とゴーストスイーパー協会が負担してくれる事になっている。
一応、戸田久美子は世界を救ったメンバーの一人だ。
これぐらいの報酬は妥当な判断だった。
別に元アシュタロスの部下だからっといって報酬のレベルが低いなどどいう事はない。
他のメンバーもレベルは似たようなものだった。
もちろんそういった内容はシークレットとして扱われた。あくまで政府とゴーストスイパー
協会のトップは大戦の被害を大してこうむってないからこういった冷静な判断と処置が下せるのだ。
直接的な被害にあっている一般市民にこの処置が知れたら暴動がおきかねない。
そういった理由もあり表向きでは戸田久美子いやルシオラは即刻に死刑にするという事にした。
裁判もしないで死刑というのは日本では強引過ぎるかつ不自然な判決で怪しむマスコミも当然いた。
そういった情報はゴシップ誌や低俗な週刊誌に流されるものだが、
所詮少数派であり年月が経つにつれ消えていくのが自然であった。
なお、一般市民は誰が直接アシュタロスに手をかけたか等ということは知らないので
こんな無茶な設定の報道もかなり功を奏した。
こんな後日談もあり、これの他にも普通に生活してる人間が知らない戦争の後始末が色々あった。


この他にある程度の生活資金が渡された。それ以上の支援は無かった。
この先は正真正銘自分一人で生きていかなければいけないのだ。

辛くとも誰かにに寄り添ったり支えられたりする事はできないし、今まで縁のなかった
労働にも手をださないといけない。
それはルシオラだった時には考えた事も無い事ばかりだった。


ルシオラという名から戸田久美子へ変わった事。
それは単に名前が変わったという訳ではない。


一人前の大人として認められたという事だ。
例え戸田久美子にその覚悟があろうがなかろうが、そしてまだそれになるだけの
資格があろうがなかろうが、これからはお構いなしに世間は彼女を大人扱いしてくるのだ。

常識面や仕事面でも当然周りはある程度の事は『知っているもの』という事を前提に
接してくる。
それはまだ人間としてのアイディンティティを持ってない
戸田久美子にしてみれば厳しいものがあった。
かといって自分が元魔族だなんて口にしたら、それこそ狂人扱いされ下手すれば
それだけでドロップアウトだ。
社会との折り合いもうまくいかなくなる。

他にも体質、食べ物の問題もあった。
砂糖だけの生活なんてしたらすぐに体が壊れてしまう。
敬遠してきた固形物にも手を出さないといけない。

体も今までとは違い遥かにヤワな作りになっている。
前の体と同じような動作をしたら命に関わる。
今まで縁のなかった疫病も顔を出してくるだろう。

それらの事を踏まえ、そして自分一人の頭で考え、自分一人の手で感じて、
自分一人の目で見ていかなければいけないのだ。
戸田久美子はその事に大きなプレッシャーを感じていた。



もはやこの時点では横島忠夫の事を思う余裕は無かった。
それほど今現在はしなくてはいけない事が多いのだ。
それも迅速に対処しなければ時間の流れに置いていかれ、どんどん落ちこぼれてしまう。
そこそこの生活資金をもらっているとはいえ、到底一生を賄える程の額ではない。


戸田久美子に必要とされているものは敵を倒す力でもなく、ましてや横島忠夫にもらった
愛でもない。
この先生きていける分の金とそれを安定して生み出せる職である。
途方も無く現実的で夢がないなと戸田久美子は毒づいた。
しかしそういった考えこそがこれから先で必要となっていくのだ。
夢や理想の類を考える時間は彼女にはないのだから。
その覚悟を彼女は決めた。





戸田久美子はふとほんの昔のことを想った。
覚悟を決めたことでほんの僅か過去を顧みる余裕が生まれた。
もし彼が生きていたら自分はどういった道を進みどういった境遇に立たされていたのだろうか?
そして今自分が歩こうとしている道は自分に何をもたらすのだろうか?と。
考えたところで答えは出ないのは承知の上だ、しかしそれでも考えずにはいられなかった。
そしてしばらく考え1つ分かった事は、どんな道に進んでもそれなりの苦難はあるという事だ。

そう横島忠夫と歩む道も今とは違う苦労で苛まれるかもしれないのだ。
ドラマチックな恋愛も年月が経てば過去のものでしかなくなる。
長年付き添えば彼の嫌な面も見えてくるだろうし、二人ともまだ若いのだ。
月日が経つにつれパートナーに求める理想は高くなってくるし、
また色々な異性とも出会うだろう。
日常のふとした出来事で価値観も変わってくる。
冷静に考えれば一生あの熱い関係がそのまま続くとは到底思えないのだ。
そこまで考えて彼女はそこで止めた。
結局どの道を選べば正解なんてのは誰にもわからない。
それは進んでみて初めてわかる事だ。
そして振り返る事はできても戻る事はできない。

既に彼女はとある1つの道の1歩を踏んだばかりだ。


「賽は投げられた・・・か」
彼女はそう言い、数多の問題と闘う覚悟を決めた。













その後、戸田久美子は医学の専門学校に通学した。
政府がでっちあげた経歴のおかげで入学は特に滞りなく終了した。
遂にこれからは正真正銘、自分の力のみでこれからはやっていかなければならない。
なぜ医学の道を選んだかというと、それが金になり、不況にも強い
という事を彼女は知っていたからだ。
魔族の知識の名残がある為に人間界のレベルの学問なら難なく理解できる。
それなら手っ取り早く金になり安定性が高い職業を選んだ。

アルバイトで地道に金を稼ぎ、家では人間界での常識、嗜好を学び、
学校では医学、といっても彼女からすれば人間と魔族の体の作りが違うという程度であり、
技術や知識では特に学ぶものはなかった。

成績優秀であり性格は真面目、顔も美形という事で当然周囲の男性は彼女に
好意を持つ事も少なくなかった。
しかしルシオラにはやらなければいけない事が多く
またそれは男女交際よりも優先させなければいけない事であった。
時にはまだうまい交わし方を知らず波風が立つこともあったが
時間が経つにつれ人との上手な付き合い方、悪くいえば「事なかれ主義」を貫く事を覚えた。
そのおかげでそれほど障害のない学生生活を送った。


彼女が学校に通ってから半年後に妖狐の雌の子供が捕獲され処分されたという
彼女のすむ世界とは何も関係ない場所でこんなニュースが話題を呼んだ時期もあった。



3年で学校を修了とし、とある有名な病院に研修医として迎えられた。
そこで彼女は知識と技術を存分に振るい、すぐに出世街道に乗る事に成功した。
外科方面の道に進み、難しい手術を数多く成功させてきた。


彼女の望む安定した生活を手に入れたのだ。


そしてそんな戸田久美子の生活もさらに5年が過ぎた。







とりあえず3話まで投稿させて頂きました。
7〜8話で終了予定です。

ここまで拙作に目を通して頂いた方は本当にありがとうございます。

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