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ALIVE 2







ALIVE 2







「正直私はあの子が死んだなんて今でも信じられないんですよ。」
たばこを吸い終え、それを路上に投げ捨て横島百合子が沈黙を破った。
ルシオラは吸い殻をポイ捨てした事に少し、そうほんの少しだけ憤りを覚えた。
そしてこの人とは相性が悪そうだな、なんて事を薄々感づいてきた。

「あの子はどんな時でも常に元気でしてね。本当に元気じゃない日なんて
 思い出せないぐらいに元気でした。・・・元気というよりは血の気が多いって
 言ったほうがいいのかもしれませんが。」
小さくも大きくもない声で淡々と語り始める。
ルシオラはただただ静かに耳を傾けていた。
正直なところルシオラは横島忠夫の過去は聞きたくなかった。
彼が生きていてさえいればこんな話も微笑ましく聞けたのだろう。
しかし今となってはそんな他愛の無い話でも聞くのは悲しかったのだ。

そんなルシオラの様子に気づく事無く横島百合子は話を続ける。

「そのせいでえらく手を焼いた事もしょっちゅうでした。
 本気で折檻をしても全然懲りないし、半端じゃない悪ガキっぷりで、
 その上、体も精神もえらく頑丈で殺しても死なないわねって
 半分本気でそんな馬鹿な事を思っちゃった事もあるぐらいでした。」

『でも、そういう子のが人一倍可愛いんですよね。』とルシオラは
言おうと思ったが、今はそういう雰囲気では無いのでその言葉は飲み込んだ。

「ゴーストスイーパーなんて危険な仕事をしてても、死ぬなんて事は
 想像すらできなかった。全部これは忠夫が仕組んだ悪質な冗談でまた私達の前に
 ひょっこり姿を現すんじゃないか・・・なんて考えてるんです。」

「・・・親のあなたからしてみればそう思いたくなるのもわかりますが・・・ヨコシマが
 逝ってしまったのはもうどうしようもない現実です。」
ルシオラだって横島百合子の言うように実は横島忠夫はまだ生きていると思いたかった。
そう思いたい気持ちもよくわかる。
だがルシオラは横島忠夫が消えるのを目の当たりにしてしまったのだ。
というよりも自分が消えてしまった原因を担っているのだ。
そんな風に思える筈もなかった。
何をしようが彼は戻ってこないという現実を真摯に受け止めざるを得なかった。
そして未だに・・・と言っても『未だに』なんていうのはあくまでルシオラの感覚
に過ぎないのだけど、ともかくそれを引きずっている事が気に喰わなかった。

「ええ、わかってます。そんなのは冴えない現実逃避だって事も。
 人間ってのは弱い生き物なんですよ。」

「・・・そういうもんですか。」
明らかにその言葉には怒気が含まれていた。
『弱い』という事を免罪符にしているような感じがした。

しかし横島百合子は臆する事無く話を続ける。
「そういうもんですよ。あなたは人間じゃないからわからない
 かもしれませんが。」
その言い方にルシオラはさらに腹が立った。
挑発されてるような気さえした。

「そんな事はないです。ただいくら悲しくても現実は
 受け入れないといけないと思っているだけです。」
恋人であった自分がそういう覚悟があるのに何故親である
この人はそれをしないのだろう? そんなエゴともいえる感情が
彼女を支配していた。

「・・・やっぱりあなたは私達人間とは違うのね。
 人間はそんなに簡単に割り切る事はできないわ。」
横島百合子は敬語を使うのをやめていた。
その真意はわからない。
ただルシオラの顔がみるみると変化していった。
その顔は激しく歪んでいて、色も赤くなってきている。

「別に私だって割り切ってるわけじゃあありません!
 苦渋の思いでやっと捻り出した答えなんです!」
ルシオラは遂に声を荒げてしまった。
横島百合子も大事な一人息子を失っているのだ。
悲しい気持ちは自分と同じだ。
だから穏便に、そして無難に済まそうと思っていたが、
とうとう自分を抑えられなくなった。

いくら魔族といえど、いくら知識が豊富だろうと
所詮、彼女の精神年齢と経験なんてたかがしれてる。
それ故に簡単に理性のタガなんて外れてしまう。

「ごめんなさい。怒らせるつもりは無かったのよ。」
そう言って軽く頭を下げた。
ただそれは明らかに本心から出た行為ではなかった。
横島百合子も目の前の青臭い小娘に少しだけ腹が立っていた。
ただそんな子供相手にはっきり見て取れる様な
挑発をするのは明らかに大人気なかった、とすぐに反省した。
だから形だけでも謝ったのだ。

「お互いに大事な人を失っては冷静になんてなれないものね。
 ふふ、おかしなもんだわ。鉄の女、グレートマザー。
 その他にも色々と大袈裟な通り名で呼ばれてきたけど、
 所詮私も只の一介の弱い女でしかないわね。」
やや自嘲気味にそう言い放った。
さらに言葉は繋ぐ。穏やかに、緩やかに、そして憂いを容赦なく
含んだ声で。

「何をどう考えたら、あの子がまだ生きてるなんて思えるのかしらね。
 本当は・・・本当はわかっているはずなのに・・・弱い私が生んだ
 歪んだ妄想ね。でもね、これだけはわかって欲しい。」
下を向きながら話していた百合子が不意にルシオラの方を向いた。
いや、ルシオラの目を見ていると言った方が正確か。

「現実を受け入れるなんて事は口で言うほど簡単なものではないのよ。忠夫が死んだ
のは紛れも無い現実。そして死人は決して生き返らない。だからそこから目を離すな。
これからの為に。死んだ人の為に・・・いいわねそんなチャチな正義感に酔える人は。」
話している最中も全くルシオラの目から離さなかった。

「・・・」
そんな横島百合子にルシオラは不思議な、そして今まで経験した事の無い恐怖に襲われた。
足先から頭のてっぺん隅々まで寒さで麻痺するような感覚。
魔神と呼ばれる生みの親に本気で逆らった時も、ましてや本当に処分されそうに
なった時もこんな感覚には襲われなかった。
横島忠夫が死の瀬戸際にいる時ですらこんな恐怖は抱かなかった。

彼女は生きている時間こそ短いものの、それなりにいわば『修羅場』といえる
場面は何度も乗り越えていると自負している。
最もその『修羅場』は彼女の姉妹や横島忠夫が共にあったからこそ越えれたという
事実には気づいていないのだけれど。

そんな彼女がたった1人、しかも取り立てて霊力なんか感じられない女性に
怯えている。
自分の方が腕力も霊力も圧倒的に上だというのは分かっている筈なのに。

「あなたももう薄々感づいてるんじゃない? 自分のやっている事に意味なんて無い事を。
 それを知ってしまうのが怖くて、適当な大義名分を掲げて誤魔化している事を。」

ルシオラが得体の知れない感情に戸惑っている間も、横島百合子は構わず言葉を口にする。

「そ、そんな事!・・・」
無いとははっきり言い切れない自分がそこにはいた。

横島忠夫の死を受け入れて、現実ときっちり向き合って生きると決めた。
横島忠夫の想いも胸にしまって生きると決めた。
しかしそんな想いに一体なんの意味があるのだろうか?
それをしたからといって誰かが報われたりするのだろうか? 救われるのだろうか?
仮に報われたり救われたりしたところで自分はそれを望んでいるのだろうか?

『私が死んだって結局何一つ解決されない。だから生きる。』
『ヨコシマの分も自分が生きる。』

ついさっきまではそう思っていた。

だが逆にルシオラが生きる事を選択したからっといって解決される事も何一つ無いのだ。
いや元々解決すべき事など始めからなかった。
ルシオラの心の影にそんな思いがどんより浮かんだ。
ましてや、横島忠夫の分も生きるというのはどういう事なんだろうか?
それは一体どうやればできるのだろうか?
実はルシオラ自身それが理解できていなかった。
最もそんなものが理解できる者など皆無だろう。
それはルシオラの意味の無い責任感から勝手に出ただけの産物に過ぎないのだから。
               
そして横島百合子のおかげで・・・いやせいでその事実にはっきりと気づいてしまった。
もはや横島忠夫が死んだ時点でルシオラの生死に意味なんか何も存在しないのだ。
いや誰が死のうが生き残ろうが世界は少しも傾かない。傾いたとしてもまたすぐに
元に戻るのだ。アシュタロスが勝ち魔族の世界が来てもそれは人間から魔族に生態系が
変わるだけでまたそこからそれなりの社会が作られていくだけの話なのだ。
1人の人間の生死が世界に影響を与えるなんて事は有り得ないのだ。

「忠夫の意志とは無関係にこの出来事、そして忠夫自身美化されていくでしょうね。
 『愛する人と世界を守って満足して逝った』なんて生きている人達からは言われ続ける
 のよ。そういう事にした方が自分たちに都合がいいから、そうでもしないとやり場の無い
 悲しみと怒りに苦しむから。そうこうしてる内に月日は過ぎていき忘れ去られていくのよ。」
畳み掛けるように横島百合子は毒を吐いた。
しかしその表情は悲しみに満ちていた。
彼女も正にやり場の無い悲しみと怒りに苦しんでいたのだ。
今のルシオラにはそんな事に気づく余裕はないが。

勝手に美しき思い出にされるのはルシオラも確かに嫌悪感を覚える事だ。
だが忘れてしまうなんて言い切れるほど自分は非情ではないつもりだ。
ルシオラにしてみれば彼の死はインパクトがありすぎた。
いくら年月が経とうと忘れることなんかできそうもない。
そもそもそんな事を忘れてしまうなんてあまりにも酷すぎるのではないか?
そんなことを悶々と考えているがそれに気づいたのか気づいていないのか
まだ会話を続ける横島百合子。

「納得できないって顔しているわね。でもそれは決して間違いじゃないのよ。
 正しくもないけどね。そう結局の所忠夫の死んだ事で後悔しようが忘れようが
 それは生きる上での一つの出来事でしかないのよ。」
不満そうなのを見透かされ、何故かあやすような口調で語られた。
「くっ・・・だけど。」
理屈ではルシオラもなんとなくわかっていた。
例えいくら綺麗事を並べても過去の事はどんなものであれ、既に終わってしまった事なのだ。


ルシオラは生きているのだ。
そして横島忠夫は死んだのだ。
どうあがいたって生きた者が死んだ人間の事にいつまでもとらわれるているなんて事はできない。
この先、生きていれば時間が経てば、その間にもまた色々な出来事にめぐり逢うだろう。
そうすれば少しずつ過去の出来事は色褪せていく。嫌でも忘却の彼方に飛ばされる。
それはむしろ自然の摂理だ。

それはわかる。
だけど・・・例えそうだとしても、この人は何故そこまで言い切るのだろう?
とルシオラは疑問に思った。
自分の息子が死んだのにこの薄情さは一体なんなんだろうか?
例え内心はそう思っていても口に出していい類の言葉では無い。
また怒りがこみあげてきた。

「・・・あなたは悲しくないんですか?一人息子が死んだというのに!」
まだ頭の痺れは消えてなかったが、それでもここは怒りの方が勝った。

「あなたのいう事は確かに事実かもしれませんけど、でも母親であるあなたに
 そんな風に言われたら・・・! ヨコシマだって!! 
 心の中で生き続けるってぐらいは言ってあげるべきだと思います!!」
感情的になりながらもこんなセリフを吐いてしまう自分に内心嫌気がさした。

『ヨコシマだって!!』一体なんだというのか。
『心の中で生き続ける』それは一体どんな妄執なのか。
既に結論が出ているように、横島忠夫は既に存在してないのだ。
その死をどんなに綺麗に扱われようが、軽く扱われようが何一つ変わる事なんかない。

死後の世界でこの場面を覗いている横島忠夫が怒ったり、喜んだりする事なんか
有り得ないのだ。
ましてやこの現世は愚か、ルシオラが言った心の中にだって存在してない。
そんなものは横島忠夫なのではなく、ルシオラの弱い心が生み出した自分自身に過ぎない。

死んだ人間が許されているのはただ一つ。土に変わる事だけだ。




-ああ、私も結局は弱い人間と同じか-



化けの皮を1枚剥がせばルシオラも結局は横島忠夫の死を受け入れる事なんかできていなかった。
ただそんな振りをしてそこから目をそらしていただけに過ぎなかった。
それを完全に知ってしまったルシオラは怒りも痺れも消えうせていた。
表情や体に力が入ってないというのは誰の目から見ても明らかだった。

それを知ってかまた横島百合子が口を開いた。
「その様子だとわかったみたいね。・・・でも慰めてるわけじゃないけど
 私だって・・・誰だって似たようなものよ。」
そう言い彼女はふうっとひとつ大きな溜息をついた。
寒さのせいかその溜息は白くはっきりと見て取れた。

「なにやってるのかしらね・・・私は。本当はこんな会話がしたかったわけ
 じゃないのに・・・」
その言葉にルシオラは顔を上げた。
横島百合子は既にルシオラに背を向けている状態だった。
そしてルシオラに

「もう私は行くわ。結構な時間を使っちゃたしね。再三、失礼な態度をとってごめんなさい。
 でもあなたに対しては色々複雑な思いがありすぎてね。世界を救った1人であるあなたに
 こんな事いう事自体お門違いなのはわかってるわ。」
ルシオラは彼女の言いたい事がなんとなくわかった。横島忠夫と恋人であった自分。
そして世界を救うのに一番貢献した人物でもある。しかしその反面、横島忠夫が死ぬ原因と
最も深く関わりあっており、さらに消滅させたのも自分だ。
こんな人物にどう接すればいいのかなんてルシオラ自身にもわからなかった。
横島百合子も例外なくそうだった。


「これからのあなたの人生は苦難の連続でしょうね。それでもあなたには生きていて欲しいわね。
 信じられないかもしれなけど本心よ。」
と初めて優しい声色で言った。それはさながら娘を心配する母親のようだった。
それがルシオラにとって彼女の最後の言葉となった。



横島百合子はルシオラの方を振り向くことなくそのまま横島大樹が
いると思われる方へ向かっていた。















ゆっくりとルシオラの目から彼女は小さくなっていき
その姿はやがてルシオラの視界から見えなくなった。


















案の定、横島百合子が歩いた先には当然の様に横島大樹がいた。

「・・・その様子だと覗き見してたわね。昔から言ってるけど
 覗きはあまりいい趣味とはいえないわよ。」
ときつい一言をいきなり浴びせた。
ただ言葉の棘とは裏腹に声には怒りや呆れの感情は全く込められてなかった。

「ふふ、そうだな。」
横島大樹もそれをわかってるのか軽い笑顔と短い相槌で返した。

その微笑みを彼女も微笑みで返した。
そして静寂。










「あんな事いった私を軽蔑する?」
わずかな沈黙の後、唐突に横島百合子が切り出した。
静寂はごく短い時間の筈だったが、不思議と横島大樹には
それが永遠とも思えるような感覚だった。
そして彼女の問いに答えた。

「別に。お前の言ってることも1つの真実だしさ。
 何が正しいかなんてとても俺には決めれやしないさ。
 ただ今後ルシオラさんはどう生きるのかが少し気になるけどな。」
そういいながら横島大樹は煙草を手にした。
火をつけ口にそれを味わう。若干その煙草で場の緊張が解けた気がした。
その台詞は紛れも無く本音だった。
ルシオラの進む道は到底、彼の想像に及ぶものではなかった。
だからこそ気になるのだが。


「お前も吸う?」
煙草の箱を横島百合子に向け、尋ねた。
「いいわ。さっき吸ったしね。それにあんたのは重すぎるから。」
「そうか。せっかくの禁煙もこれでオシャカか。」
それだけ言ってまた彼は煙草を吸った。



























「ねぇ。」
今度は長い静寂。
そしてまたも横島百合子から話を切り出した。
その声は小さく消え入ってしまいそうだった。

「なんだ?」
聞き返したものの、おおよそ妻がいう台詞は予想できた。
「やっぱり忠夫は・・・もうどこにもいないのよね?」
ああやっぱりな・・・そう思いながらも

「そうだな。」
とその言葉をだけを返した。
いや相槌を打つぐらいの事しか彼にはできなかった。

それを聞いた横島百合子の目は涙が溜まっていた。
「ううっ・・・」
そして横島百合子は夫に体を預けて・・・












泣いた。




横島忠夫の為に。



横島忠夫の為に涙を流さなかったルシオラ。
横島忠夫の為に涙を流した横島百合子。


どちらが人としてあるべき姿なのか・・・横島大樹にはわからなかった。







吸っていたたばこを投げ捨て、横島大樹は横島百合子の体を強く抱きしめた。
それぐらいしか彼に出来る事がなかったから。

「結局人が死んだ時に、人ができるなんて事は涙を流してやるぐらいの事しかできない
 んだよな。人間は無力だよな。どうしようもないぐらいにな。」
と小声で呟いた。
その呟きは泣きじゃくっている横島百合子には聞こえなかった。
聞かせるつもりもなかった。





相も変わらずは空は青かった。
雲ひとつ無く太陽は眩しく日差しを照らしている。






「普通こんな時は雨の1つでも降らすべきだと思うんだがな。」
またも力無い声でそんな事をぼやいた。










それはとある冬の出来事だった。











 
2話目です。

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