3300

車のいろは空のいろ2


『・・・ありがとう』
 ・・・待ってくれ!待って・・・






「はっ」
「・・・目、覚めた?」
「ここは・・・」
「首都高」
「え?もう?なんで・・・てか俺・・・」
 首都高速、湾岸線を疾駆するコブラの助手席から、横島は空を見上げた。オレンジから紫まで、グラデーションの夕映えが空一面を染めている。
「げー今何時や。あの俺・・・どのくらい寝てました?」
「3時間くらいかな」
「俺たしか六道女学院で・・・あれ?事務所はまだ・・・」
「もう寄ってきたわ。荷物は積み替え済み」
「えっ?うぎゃ。すいません」
 横島はあわてて身を起こした。と、体にかかっていた毛布が落ちた。拾い上げようとして、しっかりシートベルトが掛かっていることに気づく。
「・・・・・・」
 それにちらと目を走らせ、ハンドルを切りつつ、美神は言った。
「まあ、別にいいんだけどねどこでも。もともと仮眠とってもらうつもりだったから」
「・・・・・・」
「昨日の見張り・・・徹夜でしょあんた。だからこの仕事の前に、事務所で2〜3時間休んでもらうつもりだったんだけど・・・」
「・・・・・・」
「あんた起きないから。そのまま車で寝てもらったのよ」
「・・・そうですか・・・すんません」
 恐縮しつつ、横島は毛布を拾い上げた。これは美神が掛けてくれたんだろうか。
(なんかえー匂いがするし)
 毛布をたたんでいると、たたんでいるそのへんで、ぐぎゅるるる、という音がした。
「・・・・・・」
「お腹すいたの?」
「・・・そうみたいです」
「そこの袋。水筒と軽食があるわ」
「これですか。あ、ほんとだ。真空パック・・・ハンバーガー・・・?」
「それじゃない!それは食べ物じゃないわ!・・・いや食べ物だけどなんていうか・・・。だからそっちじゃなくて、もうひとつの・・・赤い袋の方」
「こっちスか。水筒入ってる。あとアルミ箔・・・おにぎりか?」
「それそれ。それあんたの分。・・・首都高荒らしは、出るとしても完全に日が沈んでからになるはずだから」
「・・・・・・」
「今のうちに腹ごしらえすませといて」
「わかりました」
「あと、ボックスにウエットティッシュあるわ。顔ふいたら?」
「え?あ、はい」
 ・・・・・・・・・。
 なんか・・・。
(なんか今日・・・妙に優しいな美神さん)
 横島は首をかしげた。荷物運びサボって寝こけてしまったというのに、なんでこんなに優しいんだろう?
 頬に手をやる。あーたしかに拭いた方がいいな。べとべとだ。よだれたらして寝てたらしく、頬もあごも濡れている。Gジャンの襟までなんか濡れて・・・。
 頬が・・・濡れて・・・。
 ・・・・・・・・・。
「・・・美神さん」
「ん?」
「俺、なんか言ってました?」
「なんかって?」
「寝言とか。・・・なんか言ってましたか?」
「んー別に」
 ・・・・・・。
「・・・そすか」
 水筒のふたを開け、それをコップにして熱いウーロン茶を啜る。啜りながら、ウエットティッシュで顔を拭く。おにぎり3つ食べ終わると人心地がつき、ふうと息を吐いて、シートにもたれた。
「・・・・・・」
 見あげれば瞳に、遮るもののない空が映る。黄金に縁取られた雲が天空を覆い、太陽は最後の光を、惜しみなく世界へ注いでいる。コブラの車体は鏡になって、光と影の・・・空の饗宴を映している。
(・・・火事)
 燃えあがる赤い・・・だかその太陽の力も、いつか尽きる。太陽の手が届かなくなった場所へ、闇は滲んで溶け始めるのだ。青から黒へ、深まる闇の深淵に、やがて星は光りだすだろう。
 蛍火のように。
「美神さん・・・」
 夕映えを見上げたまま、横島はつぶやいた。
「何」
「お願いがあるんですけど」
「・・・何の?」
「俺・・・もうずっと長いこと考えてた・・・」
「・・・何を?」
「でも今日という今日はほんと・・・決心したっていうか・・・」
「・・・何て?」
「・・・美神さんも・・・きっとわかってると思いますけど・・・」
「・・・何がよ」
「俺もう耐えられないって言うか、限界で・・・」
「何で?」
「何でって・・・わかるでしょ・・・?」
「だから何なのよ?」
「この車です!何とかして下さい!!」
 横島は叫んだ。
「毎回毎回トランクで移動とか!んなマンガみたいなことやらせんで下さい!」
「・・・・・・・・・・・・・」
「移動だけで疲れ果てます!!あんな狭いとこ!」
「・・・・・・」
「おキヌちゃんが生き返ってからこっち、ずっとそうじゃないですか!いったい何を考えて・・・」
「・・・定員2人なんだからしょうがないでしょ。あんたおキヌちゃんをトランクに乗せろってゆーの?」
「んなこと言ってません!そうじゃなくて、もっとフツーの!定員の多い車に買い換えてくださいと、ゆーとるんです!」
「・・・・・・」
「だいたい・・・」
 横島は問いただした。
「なんでコブラなんスか?美神さん」
「・・・・・・」
「この車・・・狭いし、トランクも小さいし・・・美神さん道具使いのくせに・・・」
「・・・・・・」
「雨降ったらどうしようもないし、根本的な問題として定員数が・・・」
「最初は足りてたわ」
「そら最初は。2人だったし・・・3人になっても、おキヌちゃん幽霊でしたからねー。でもウチもう5人所帯ですよ?」
「・・・まあそうね。でもなんとか全員乗ろうと思えば乗れちゃうのよね。だから・・・」
「乗れるってこないだの温泉旅行の時とかですか?『1.運転席:美神さん。 2.助手席:おキヌちゃん。 3.助手席の足元:シロ(イヌ形態)。 4.おキヌちゃんの膝の上:タマモ(キツネ形態)。 5.トランク:俺』っていうあの配置?」
「うん」
「あれは無理です!!特に5番が無理!!動物および従業員虐待!!」
「そうねえ。あれはシロにも不評だったわ。狭すぎるって」
「先に俺に同情してください。・・・炎天下に山道3時間も閉じ込めやがって・・・死んだらどーすんスか!?」
「あんたに限ってその心配はないと思うけど・・・」
「とにかく」
 横島はかぶせて言った。どの点から見てもマトモな提案をしているという確信が、背を押して説得を続けさせる。
「車は必要です。不自由してんの俺だけじゃないでしょ。車一台くらい・・・美神さん、大金持ちじゃないスか。なんとかしてくださいよ」
「んー・・・そうね・・・だけど・・・」
 美神の歯切れの悪さに、横島は不審をおぼえた。
美神はケチだが・・・そりゃものすごくドケチだが、仕事に必要な費用を惜しむ人間ではない。決断も早いのが常だ。車一台くらいならどんな高級車だって買えないはずはないし、だいたい安い中古車でも全く構わないのに・・・。なのに何を、そんなに悩んでるんだろう。
 美神が尋ねた。
「横島クン、この車、嫌い?」
「・・・は?」



「この車、嫌?」
「・・・え?あの・・・」
「コブラ。好きじゃないの?」
「えーっと、いや、好きとか嫌いとか・・・そういう問題じゃ・・・」
「・・・・・・」
 美神はバックミラーにちらと視線を走らせて、また前に戻した。
「この車は・・・もともと唐巣先生のものだったのよ」
「ああ・・・そうでしたね・・・こないだ神父がそんなことを」
「でさ、ウチのママと親父の・・・縁結びって言うか、そういう因縁の車じゃない?これ。なんで、いろいろあって・・・ママがあとで、先生からこの車を買い取ることになってさ・・・」
「・・・・・・」
「先生はそのお金で、自分の教会を建てたんだって。ママはそのあとずっと仕事で、この車を使ってて」
「・・・・・・」
「私も昔、ママに聞いたことがあるのよ。どうしてわざわざ屋根のない車に乗ってるのって。ママはこの車はゲンがいいからって。ゲンを担ぐのもGSの仕事のうちよって」
「・・・・・・」
「あなたが大きくなって、自分の仕事を始めたら、就職祝いにこの車をあげるわって、笑ってた」
「・・・それで、GS開業時に、この車もらったんですか」
「ううん。譲られたのは・・・中学の時」
 あ。
「まだ免許も持ってなかったけどね。当然」
 ・・・・・・。
「私、形見だと思ってさ・・・まあそれはウソだったわけだけど、そんなこんなで、私もちょっと、ゲンをかついでるわけよ。この車。あんたは・・・あんまり気に入らないのかもしれないけど・・・」
「・・・・・・」
「いろいろ不便なことはわかってるんだけど、思い出もあるし・・・」
 美神は何かを思い出したように、小さく微笑った。
「似てるって言われたこともあるしね」
「似てるって・・・何が?」
 コブラと・・・美神さんか。どこが?
(ハデでパワフルでイケイケで、後ろに来られると思わずあやまりたくなるとゆーか、いいから先に行ってくださいって道を譲りたくなるところとかが?)
「ゴージャスでパワフルでグラマラスで・・・でもなんかどっか、基本のとこで、可愛いところが、似てるって」
・・・・・・・・・。
(くそ・・・)
 誰が言ったんですか、なんて聞くまでもない。美神に向かって・・・こんな歯の浮くようなセリフを言う奴は、知ってる限り一人しか。
(西条だな・・・)
 セリフの内容にはほぼ同意、であるところがますます腹立ちを加速させる。あんの野郎。
「だから、私はこの車を売る気はな・・・」
「別に、」
「・・・え?」
「別に、売れなんて言ってませんよ。2台目を買ってくれって言ってるだけで」
答えた横島の声が、かなり投げやりに不機嫌だったので、美神は瞬きした。そして言い足した。
「それは・・・あんたが卒業して、運転免許を取った時にって、思ってたのよ」
「えっ!」
「確かにウチ、大所帯になったしね。2台目は少し大きめの車を買おうかなって。二手に分かれて仕事する時にもいるし・・・。2台目はたぶん横島クンがメインで運転することになるから、車種の意見なんかも聞こうかなって」
 驚いて見つめる横島に、美神は前方を向いたまま、肩をすくめた。
「卒業したら。聞こうと思ってたのよ」
「それじゃ遅いです!」
 横島は語気強く言った。
「卒業したら免許とか、俺、考えてないです。そんなんじゃぜんぜん遅いですよ」
「・・・・・・」
 美神は沈黙した。横島は気がつかなかったのだ。西条効果で、自分の声がまだかなり不機嫌に荒れていたこと、驚いたために声が大きくなったこと、言下に「遅い」と言い、それが「無駄」の意味に聞こえたこと・・・それらがあいまって、自分の返答が、彼女の耳には、きっぱりした拒絶として聞こえたことに。



「そっ、か」
 ややあって、美神はうなずいた。
「まーあんたがそのつもりなら、しょうがないわよね」
「・・・・・・」
「んー。いやー、あんたに・・・他にあてがあるとは、思ってなかったけど、あるならそりゃ、うん。めでたいことだわ」
「・・・・・・」
「こっちはちょっと予定が変わるけど、ま、まあ後一年はあるんだし?」
「・・・・・・」
「あー、あれ?そっか。卒業前に辞めちゃう気なら、なるべく早く言ってよね。けっこうあてにしてるから、あんまり急に抜けられると、こっちも困・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください美神さん!」
 横島はあわてて遮った。
「なんで。どうしてそーなるんスか!」
「・・・・・・」
「やめてください。なんで。追い出さないで下さいよ!」
「・・・は?ああ。そんな心配しなくても。いくらなんでも、空手で追い出したりはしないわよ」
「・・・・・・」
「退職金くらい出すわ。どこ行くんだか知らないけど・・・次の準備になるくらいは・・・」
「たっ、退職金?!退職金って何?」
「退職金というのは、退職に際して支払われるお金のことよ。何よ。私が退職金出すって言うのが、そんなに意外?」
「そっそっ、そりゃもちろん意外ですが、問題はそこじゃなくってですね・・・」
「どこよ。あんた私のこと何だと思ってんの?従業員の給金ですら絞れるだけ絞る、鬼の守銭奴だとでも?」
 もちろんそう思っているが、そう正直に答えるとますます事態がややこしくなる。横島は別の反応をした。
「美神さん頼んますっ。首にしないでっ」
 助手席に正座して、がばと手をつく。
「お願いですっ。追い出さんといて下さいっ」
「・・・・・・・・・・・・」
「首とか・・・勘弁してください。ガッコあるうちはともかく・・・そのあと一人で、無職で俺どーしろと・・・?」
「・・・・・・・」
「お、俺、ほかにあてもないし、特技もないしっ。追い出されたらどーしていーのかわかりません。ここに置いて下さい。頼んますっ」
 意地っ張りの美神が。解雇の方向で決断してしまったらコトだ。誤解は今、今すぐ解いておかないと・・・
 頭をシートにこすり付ける横島を見やって、美神は眉を寄せた。
「・・・あんたほんとにあてがないの?」
「はい」
「卒業後の予定とか・・・計画があったりとかは・・・」
「しません。ぜんぜん」
「ここを出て将来どうするとか、そういうヴィジョンが、」
「まったく。一ミリグラムもありません。卒業後のこととか、将来とかは・・・いい加減な妄想はともかく、具体的なプランなんぞは、今の今まで考えたこともありません!」
「・・・いばって言うな」
 あきれ気味につぶやく美神に、横島は顔をあげた。
「ていうかですね、俺は、ここに・・・」
「・・・・・・」
「今と同じ・・・いるつもりで・・・だから・・・お願いします・・・雇用けーぞくをっ・・・」
「・・・いいけど」
 美神はふうと息を吐き、そして思い出したように、首をかしげて問いただした。
「じゃ、なに。あんた、運転免許、取るの嫌なの」
 あーやっと話がここまで戻ってきた。横島は、安堵やら、疲労感やらで脱力しそうになりながら、説明した。
「そーじゃなくてですね。『卒業してから』免許を取る、つもりはない、って言ったんですよ」
「・・・・・・」
「俺・・・免許はもう在学中に取っちまう予定です。ほら、俺、誕生日6月じゃないですか。18になったら早々に取るつもりで・・・」
「・・・・・・」
「この仕事・・・車使えないと不便だな、ってずっと思ってたんですよ。俺もう運転はできますけど、まさか都内を無免で走るわけにはいかんでしょ。だから・・・4輪も2輪も、18になったら即取ろうって。それだけはもう前から決めてたんです」
「ふーん」
 ヘッドライトのスイッチを入れ、左車線のタクシーを追い越しつつ、美神は答えた。
「なんだ。考えてんじゃないの。プラン」
「は?あーいや。このくらいは」
「で、費用は?教習所代はあんの?」
「へ?あー。いや、それはまだ・・・これから・・・貯める予定で・・・」
「貯まるの?」
「えーまー計算では。・・・食費をぎりぎりにきりつめて、書籍代も削れば・・・なんとか」
「書籍代ってエロ本とDVD?」
「・・・・・・・・・」
「削れんの?計画の初手からつまづいてない?それ」
「・・・どーゆー意味っスか」
 美神はサイドミラーに目をやり、車線を左に変更した。
「やっぱりあんたね。プランが穴だらけだわ」
「・・・う」
 横島は言い返せず、言葉につまったが、次の瞬間態度を切り替え、揉み手の姿勢になって運転席に向き直った。
「そこなんですけどね美神さん、どんなプランでも、予算でワクが決るんです。収入の問題なんっスよ収入の」
「・・・はあ」
「というわけで、ここはひとつ、アシスタントのスキル向上のためにボーナスを・・・」
「・・・・・・」
「だめ?あーじゃー、ここで発想を変えてみる、そうたとえば雇用者負担で教習所に通わせてくれるとか。必要経費ということで、どーんと一発」
「甘えんじゃないわよ」
「・・・言うと思いました」
「自力でやんなさい。でなきゃあんたのためにならないわ。決してお金が惜しいわけじゃないのよ?」
 ウソをつけ。惜しいくせに。横島は心で毒づいた。まあいい。最初から期待なんかしていなかった。それに・・・確かにこの件は、自力でやるべきだという気持ちが、自分の中にもある。
「わかりましたよ・・・自力で取ってみせます」
「・・・・・・」
「何月になるかわからんけど・・・7月・・・8月・・・うー」
 収入と貯金可能額を指折り計算し始める横島を見て、美神の唇にかすかな微笑みがのぼったが、前方のトラックのブレーキランプが急に近くなったので、表情を戻して速度を落とした。
「美神さん」
「ん?」
「2台目の件ですけど」
「うん」
「俺が免許をとるまで待ってたら、その俺が先に疲労で死んでしまうかもしれませんので、その前に買うこと考えてくれませんか」
「・・・わかったわよ」
「あと、もし免許が取れたらですね」
 横島は言った。
「この車貸してくれませんか」
「これ?」
「はい。このコブラ。俺・・・これが一番運転しなれてるんです。免許取ったら、いっちばん最初に、都内をドライブしてみたいんですけど、これが一番慣れてるから」
「・・・・・・」
「この車で走ってみたいんです。貸してもらえませんか」
「いいわよ」
「ありがとうございます。で、そん時」
 横島は出来るだけ普通の声で言った。
「美神さん、ナビやってくれませんか」
「・・・・・・」
「助手席で。初ドライブ、つき合って欲しいんですけど」 



 動悸を抑えて。横島は返事を待つ。返って来た返事は、
「なんで?」
 だった。なんでって。なんでと来たか。うーん。うーん。
「俺も・・・ゲンをかつぎたいです」
「・・・・・・」
「俺もGSだし。この車は・・・幸運の車でしょ。そんで美神さんは、俺が知ってる中で、いちばん強運な人だから、あやかりたいです」
 幸運の青い鳥ならぬ青い車に、強運の女(ラッキーガール)。とっさにでっちあげた理屈だが、口にしたあとで、けっこう本音のような気もしてきた。
 隣の美神の、表情はうかがい知れない。横島は前を向いたままで、横に向き直る勇気は持たなかった。続く数秒を息を止めて待つ。
「いいわよ」
 おっしゃーーーーーーっっっ!!!
「ありがとうございます」
 なるべく普通に礼を言う。そして心で叫ぶのだ。
(よっしゃーーーっ!!やったでええっ!これでまた一歩野望に近づいた!!」
「・・・・・・」
(鉄の城壁も敵じゃない!アリの穴でも穴は穴!ガードが解けたら一直線、これはもー、いくところまでいくしか!!」
 声に出てんのよ声に。美神は思ったが、ツッこむのはやめておいた。ここは高速道路だ。ドツキ漫才をするには場所が悪い。事故でも起こしたら大変だし・・・
 プルルルルッ
「はい」
 無粋に鳴り出した携帯を、横島は取り上げた。
「美神除霊事務所です・・・」
横島の相手は警察のようだ。二言、三言、言葉を交わすうち、声が緊張していくのがわかる。そのやりとりを聞いている美神の目も、鋭いものになってゆく。目標の車種と位置を復唱して、横島は携帯を閉じた。
「美神さん」
「出たわね首都高荒らし」
 美神は不敵に笑った。
「追うわよ!横島クン、見鬼君の用意を!」



「ぎゃーはははははははっっ!!!」
「あれか・・・」
 時速180キロで車の間を左右に縫う、危険きわまるドライブを10分ほど続けた後、コブラは目標を前方に見出した。
 双眼鏡で確認する。奇声をあげて騒ぐ男女5人を乗せたオープンカーは、新型・大人気の高級車種だ。運転手の男がオーナーだそうだが、こいつを含め、乗っている人間はみな若く、十代にしか見えない。
「金持ちのボンボンかよ・・・えー車乗っとんなー」
貧乏人として正しい反感を覚え、横島は舌打ちした。双眼鏡を下ろして美神に尋ねる。
「どーします。あれ。車に憑いてるんですよね」
「そ。通称『ブレーキブレーカー』。暴走車の幽霊よ」
 アクセルを踏みながら、美神はうなずいた。
「無茶な運転をする高級車に取り憑くの。2ヶ月前に首都高に現れて、もう20件も事故を起こしてるわ」
「・・・・・・」
「こいつに憑かれた車のハンドルを握ってると、精神状態がおかしくなってくるわけよ。際限のないスピード狂になって、どんどんアクセルを踏み込む」
「・・・・・・」
「どんどんスピードが上がって・・・最高時速が出たところで、そいつ・・・『ブレーキブレーカー』は満足して、その車を見捨てて逃げるのね。我に返った運転手は、速度を落とそうとするんだけど・・・」
「・・・・・・」
「車はもう、ブレーキが壊れてるわけ。いくら踏んでも止まらない」
「・・・怖いッスね」
 決して逃げられない。その時の運転手の心理が、リアルに想像できて恐ろしい。
「運転手はパニックを起こして、大事故になるわ。いくらいい車でも、あいつにとり憑かれた時点で、走る棺桶も同然よ。横島クン、準備して」
「は、はい。ボウガンとお札はここに」
「それだけじゃ足りないわ。その袋」
「え?あ、さっきの?・・・真空パックのハンバーガー以外、何も入ってませんが」
「食べなさい。あ、その前に、きっちりシートベルトをしとくのよ」
「・・・へ?」
「言ったでしょ。あの車はもうブレーキが壊れてる。ただ除霊しただけじゃ、事故は防げないわ」
「そらそうかもですが・・・」
「だからあんたが止めなさい。あの車。ボウガンが命中したら、すぐあっちへ行って」
「はぁ?」
「運転は出来んでしょ。吸引はここから私がやるわ。そしたらこっちはすぐ離脱する」
 美神はハンドルを切って左右の車を抜き去りつつ、命じた。
「あんたはあの車に移って、あのボンボンがパニックを起こす前に運転を交代して、車を止めなさい!!」
「えええーー!!」
 横島は叫んだ。
「んな無茶な!双方時速200キロで走ってるのに、飛び移れっていうんですか?!」
「そうよ。簡単でしょ」
「できるかあああっっ!!120パーセント確実に死ぬわあああっ!!」
「バカ!誰が生身で行けと言った!だからそれ食べろって言ってんのよ!」
「へ?・・・え・・・と」
「厄珍堂謹製・チーズあんシメサババーガー、そこにあんでしょ?!幽体離脱して、あっちの運転手に憑依しろ、って言ってるの!!」
 チーズあんシメサババーガーとは、某貧乏神の発明品で、そのあまりのまずさに魂も抜けるという、GS御用達の幽体離脱用アイテムである。横島は青くなった。
「俺他人に憑依したことなんかないっスよ?!」
「・・・そーだったっけ」
「いろいろこー・・・とり憑かれた経験なら山ほどありますけど?とり憑いた経験なんかありません!」
「ぶっつけ本番ね・・・まあしょうがないわ」
 しょうがないってアータ。
「あの車に追いついたら、ボウガンで車体を撃って、『ブレーキブレーカー』を足止めする。ついでに運転手にも霊波をぶつけて気絶させる。・・・相手に意識があると憑依しづらいからね。横島クンはすぐ幽体離脱して、気絶した運転手に憑依。私はコブラで併走しながらお札で『ブレーキブレーカー』を吸引し、除霊が終わったら速度を落として直ちにその場を離れる」
「・・・・・・」
「あとはボンボンに憑依した横島クンが、なんとかあの車を止めてくれれば、一件落着」
「ちょっと待ってください・・・」
 横島は額に手をあてた。
「あの車、ブレーキ壊れてるんですよね」
「ええ」
「どーやって止めろと?!!」
「サイドブレーキは生きてるらしいのよ・・・あとは壁をこするなり、ぶつけるなり、なんとか自損で済ませて。間違っても対向車にぶつけんじゃないわよ」
「ちょっと・・・美神さん・・・それ、死ねってことですか」
「バカね。あんたは安全よ。体はこっちにあるんだから、たとえ車が爆発炎上したとしても、霊体で戻ってくればいいだけだわ」
「あっそーか」
横島はぽむと手を叩いた。
「そっかー。なるほどー、安全なんだ・・・」
「まー、他人の体でも、大ケガしたり、『断末魔の痛み』とか経験すると、霊的なダメージをこうむる可能性もあるんだけどね。それで半年寝込んだり、廃人になっちゃったGSもいるし」
「危険じゃないスか!」
「平気平気v あんたそういうの慣れてるし。軽い軽いv」
「あんた・・・あいかわらず俺の命をとも思っとらんでしょ・・・」
「・・・ま、どうしても無理だと思ったら、大ケガする前に離脱しなさい。・・・横島クン」
 美神は口調をあらためた。
「あなた、道具は持ってける?お札とか」
「え?いや・・・」
 横島は首を振った。
「無理です。俺はおキヌちゃんじゃない。霊体の時は、よっぽど気合入れないと物なんか触れないし、道具を操るとか無理ですよ」
「・・・まあそうよね。文珠は?」
「それは問題ありません。これは俺の霊力で出来てるから」
「今いくつ使える?」
「・・・昨日使っちまったからなあ・・・2つっスかね」
「じゃあそれで頼むわ。事故はどのみち避けられないと思うから、できるだけ小さな事故にして。その時、できればあの子たちを、」
 美神は、十数台向こうにまで近づいたオープンカーと、その上で騒ぐ少年少女たちを見やった。
「助けてやって」
「・・・・・・」
「全員が無理なら、一人でも二人でも。・・・2つじゃ厳しいかもしれないけど・・・」
 その言葉を聞いて、急に身が引き締まるのを覚えた横島は、顔をあげた。
「いえ・・・」
 真剣な表情になって、前方のオープンカーを見る。
・・・茶髪のボンボンと、その横のサーファーギャル、中学生にしか見えない少女二人組、スキンヘッドの男・・・
 5人と、車と、2つの文珠の可能性を頭の中でイメージし、シミュレートする。
 そしてうなずいた。
「全員助けます」
「そ」
 美神は肩をすくめ、一瞬、空を仰いだ。街灯りにけむる空にも、星は瞬いて見つめている。
 ・・・いつでも、見つめている。
 美神は前方に目を戻した。
「じゃ、そゆことで。・・・他に質問は!?」
「ありませんっ」
「行くわよ!」
「イエッサー!!」
 青いボディに。流れるイルミネーションは加速する。獲物を追うシェルビー・コブラは、奔流と化した街の灯と、善良なドライバーたちの悲鳴と怒号の中を、蛇行して爆走を開始した。







「ミッション3」2回目の投稿です。前作の続きになります。

コブラの設定、原作と矛盾してないかどうか、いまいち自信がありません。
2台目の件も・・・穴があるような気が・・・。27巻「紙の砦」で、横島がコブラのトランクから這い出して「車買い換えてくれ」って文句を言うコマがあり、このSSはここから思いついたのですが、今回また原作を読み直して、38巻「もしも星が神ならば」に、ちゃんと2台目の車が出てくることに気づきました(やっぱりオープンカー・・・無知なので車種わかりません。ポルシェ?)。なので時期的には、この直前くらい、ということにしておいて下さい・・・

読んでくださった方、ありがとうございます。
ご意見ご感想、設定の矛盾や車への勘違いに対するつっこみ、何でも、一言でも、言って頂けると嬉しいです。

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