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おもかげ

 ふん、ふふふふふふふん♪

 鼻唄が聴こえる。

 コトコトコトコト

 鍋が煮える音が聞こえる。

 トントントン

 まな板と包丁が織り成す2ビートがきこえる。

 コタツの上には蜜柑が小山となり、それと同じだけの大きさの鏡餅が肩を並べている。

 テレビでは他愛も無い、もう幾度聞いたか判らない新年の明けた事を告げる文句が謳われ、

 俺はただぼんやりと時間の流れに身を任せている。

 あぁ、あったけぇなぁ

 日中とは言え外は相変わらずの寒さが続き、家の中とて決して暖かいと言える温度では無いが、気付いたらそう、呟いていた。

 いや、呟いた事すら意識に無い。

 ただ無意識に、そうである事を望んだのか、そうであって欲しいと信じているからこその呟きだったかもしれない。

 つ、と台所に目を向ければ、料理をこさえている後姿が見える。

 逆光であるのか、丁度顔の辺りに光が射していて、その表情は見えない。

 ただ、鼻唄を歌いながら、重箱に料理を詰め、餅が焦げすぎる事の無いように、コンロの上に敷いた網を時折気にしている。

 すると視線に気付いたのか、鼻唄を止め、こちらを振り向いた。

 相変わらず光が射して顔が判別できないが、柔らかく微笑んでいる事だけが、何故か判った。

 もう少し待っててね

 そう、聴こえた気がした。

 俺はまどろみの中で、何か返事をし、静かに目を瞑った。







「おー、寒ぃ」

山間の寺院が視界に入って来た時、雪之丞はぶるっと一つ身震いをした。
初詣等というイベントはそれこそ10年以上縁が無かったが、嫁の実家が寺とあってはそうも言っていられない。
ただ、嫁の実家に参るだけなら大した手間でも無いが、酒の席でうっかり口を滑らせたのは後悔してもしきれない。

「あー、ったく。しかし何年振りだ、ここ来ンの」

「いい機会じゃありませんの。こちらのご住職とも連絡は取っていないんでしょう」

流石に山道を歩かなくてはならない為、振袖姿では無く、動きやすい格好をしたかおりが小言を言う。

連絡なんて取るわけ無ぇだろ、とは思っても口には出さない。
自分は云わば裏切り者のようなものだ。
それにおそらく、もうあの寺には誰もいないだろう。
メドーサに石にされた会長が、無事元の姿に戻れた後、白龍会を解散し、自らもGSを引退して隠居したという話は風の噂に聞いていた。
それにしたってもう随分昔の話だ。

「ケッ、俺にだってなぁ、色々あんだよ」

そういった細かい事を説明するのが面倒くさく、ざっくりと一括りにしてしまう。

「はいはい。わかりました」

そしてそれを軽く受け流すかおりの息の良さが、夫婦仲の秘訣かもしれない。

その後は黙々と山道を歩き、寺の門に差し掛かった辺りで、雪之丞は自分の勘がほぼ間違い無いであろう事を確信した。
門扉は開け放たれ、いや半分は転がり、朽ち果てている。
辛うじて残っている『白龍寺』の看板も、文字通り傾いてしまっている。
隙間から見える庭も雑草が生え放題になっており、手入れどころかこれでは参拝客もいなくなって久しいであろう。

「ふん、ま、一応な」

雪之丞は看板を真っ直ぐに掛け直し、門扉をくぐった。
そのまま本堂へ向かい、一瞬迷った後、土足で上がりこんだ。

「ちょっと、あなた」

かおりが口を挟むがお構いなしに本尊を目指す。
本尊が座している部屋は当時は道場も兼ねていた為、無闇に広い。

(あの頃はあの頃で、楽しかったのかも、な)

まだメドーサがこの寺に現れる前、白龍会が最も栄えていた時代が胸裏に甦る。
勘九郎が一番強く、次いで自分がトップの座を狙い、陰念が俺の後ろにいた。

(そういやあの野郎、くくッ)

陰念の顔が浮かんだ瞬間、陰念が会長の孫娘を狙っていたのを思い出す。
チンピラみたいな風貌の癖にそういう所はシャイで、よく勘九郎にからかわれていた。

(結局、ヤツの想いは通じたのか…… ふ、いや、ありえねぇか)

そういえば彼女はかおりに少しだけ似ていたな。
そんな思い出に浸りながら本尊を前にする。
やはり荒れ果て、手入れをする者がいなくなって久しい事を実感する。
それでも一応、目を瞑り、手を合わせる。

「……いくぜ」

数秒か十数秒か、とにかく手を合わせに来るという目的は達し、帰る意思を結局土足で付いて来た伴侶に伝える。

「えぇ。 ……あら」

どうした、と視線で尋ねる雪之丞にかおりは離れを指差す。

「あそこ、なんだか人がいるような、少なくとも最近までいた風じゃありません」

言われて目を向けると確かに荒れ果てた敷地の中で、辛うじてだが人のいた気配がある。
壁の補修に当てた板はまだ他の箇所に比べれば新しい風に見えるし、窓には申し訳程度だがカーテンがかけてある。
しかしそうは言ってもあくまで他の場所と比べたら、の話だ。荒れ放題に違いは無い。

(あそこは……彼女が住んでた所だったか)

先程の回想の中に出て来た、かおりに少しだけ似た、少女の姿を再び思い出す。
生きていればもう少女とは言えない歳なのだが、如何せん当時の姿しか思い出せない。
雪之丞も彼女には恩がある。
そもそも男所帯の白龍会でまともに家事ができるのが彼女だけだったのが原因だが、掃除洗濯炊事等など、一手に引き受けていた。
容姿もすらっとした細身の体に、長い黒髪が艶やかで、溌剌とした娘だった。
当然人気もあり、彼女を狙う人間は結構な数がいたが、陰念が睨みを利かせていた。
何だかんだ言って陰念が当時のナンバー3で、上の二人は彼女にそんな気が無かった事もあり、
そして陰念が積極的なアプローチを掛けられなかった事で均衡が保たれていたのだ。

「覗いてみるか」

そんな彼女がもし、無いとは思うがまだあそこにいるなら、挨拶の一つもするのは吝かではない。
逆に不届き者が住み着いているとなれば、追い払うつもりだった。
近づくにつれ、人間がいた形跡が強まる。

タンタンタン

一応戸をノックしてみる。
返事が無い事を確認し、今度は声をかける。

「おい、誰かいるか」

返す返事は無い。
かおりと顔を見合わせた後、躊躇い無く戸を開いた。
そして確信する。
誰かがいる。
決して自分で消している訳ではない、消え入りそうな気配と、人の匂い。
何より判りやすいのは、廊下に埃が積もっていない場所、つまり人が歩いた跡がある。
何やら嫌な予感が沸々と沸いて来るのを感じながら、ゆっくりと歩を進める。
手洗い場、風呂場。手前の部屋から順に戸を開け、居間に相当する部屋に踏み入れた瞬間。

「きゃっ」

「おい、お前、陰念か!?」

目に飛び込んできたのは、変わり果てた姿となった陰念だった。
自分とそう変わらない歳であったはずの陰念は、見るからに老いさらばえた姿で、座卓に突っ伏していた。
魔装術が暴走した後遺症か、体が所々人間ではありえない形をしているが、間違いなく陰念その人だった。

「まだ、息がありますわっ」

臆することなく首筋の脈を取り、口元に耳を近づけたかおりが雪之丞に助けを求める。
しかしどうする事もできないように見えた。
今まさに命の炎が燃え尽きようとしているのが、医者でなくとも分かる。

「あなたっ、お友達なんでしょう!?」

陰念の肩を支えながら、はっきりとしない態度の雪之丞にかおりは憤りをぶつける。
尚も何か言おうとした、その時。

「……」

陰念が喋った、気がした。
かおりもそれに気付いたらしく、はっと口をつぐみ、陰念を見守る。
すると、座卓につっぷしたまま、ゆっくりと目を開け、焦点の定まらない視線でかおりを見た。

「―――」

かおりが声をかけようとした瞬間、また陰念がかすれた声で、何かを口にした。
かおりには何を言ったか分からなかったようだが、雪之丞には分かった。
あの、会長の孫娘の名前だ。

(この、ばっかやろう。今際の際に辿り着いたのがこの寺で、最後の最後でそれかよ)

しかし思えば無理も無い。
白龍会の門徒は親の顔も知らない者が多かった。
当然身寄りなんてものは無く、頼れるものは自分自身のみ。
そんな人間が全てを失ったら何処へ行けばいいのか。
自然とこの寺へと戻ってきてしまったのだろう。誰もいないと分かっていながら。
そして今、もう意識も殆ど残っていない状態で、彼女の面影があるかおりを、彼女だと認識したのだろう。
だとすれば、せめてもの手向けをしてやるのが、嘗て同じ釜の飯を喰った仲というものだろうか。

「かおり、そいつの名前は陰念だ。今、お前がそいつにしてやれるのは――――」







 再び目を開けた時、コタツの上には雑煮の入ったお椀と、御節の重箱が所狭しと並べられていて、

 俺の向かいには、彼女が座っていて。

 しかし、俺の目は半分眠っているかのように霞んでいて、

 こんなにも近くにいるのに、彼女の姿が、顔が、はっきりしない。

 そんな俺に構わず、彼女は雑煮のお椀を俺に差し出してきた。

 あぁ、味噌の効いた、懐かしい匂い。何年振りだろうか。

 そう言えば、ここは……

 俺が何か、記憶の扉を開きかけた瞬間、不意に部屋の景色が変わりだした。

 いや、薄れていった。

 おい、やめてくれよ、ここは、この部屋は、こいつは―――

 どうしようもない不安と焦燥感に取り付かれ、正体を無くした俺に構うこと等無く、

 辺りは白く、どうしようも無く白く染まっていき、

 俺の意識も同時に溶けて、

 最後に見えたのは、





 彼女の泣いたような、いや、間違いなく笑っている顔だった。



こんばんは。或いはこんにちは。或いは初めまして。
高森遊佐でございます。
正月ネタを投稿するにはかなりギリギリですが、まだ3が日のロスタイムという事で一つ・・・。
正月ネタじゃないですけどね。
お楽しみ頂けれましたらば幸いです。

それでは、またお逢いしましょう。

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