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ネトラレ 2

召集が掛かって駆けつけたわりに、除霊の仕事はそう大したものではなかった。
ごく小規模な霊団には人を襲う意志も能力もなく、人的被害はおろか物的被害でさえありそうにない。
この程度であれば差し迫った危機など考え難く、わざわざ急ぎ働きを受ける令子の意図がキヌにはわからなかった。
もちろん、霊障という不確かなものと対峙する以上、その対象を見くびることは厳に慎まなければならず、速やかに処置を行うことが求められることは重々承知しているつもりだ。
それにしても、この程度の相手に囮役のシロとタマモ、浄化役の自分に加え、令子がとどめの一撃を加えるなど、過剰戦力にも程があるのではないだろうか。
さらには、別の現場を終わらせ次第、忠夫まで応援に呼ぶとのことであるが、どう控えめに見ても彼が駆けつける前に事が終わってしまいそうな勢いだった。

「これで、極楽に行かせてあげるわっ!!」

令子が嬉々として神通棍を頭上に掲げ、一気呵成の勢いで霊団に振り下ろす。
キヌの調伏によって昇天する寸前だった霊団には、その攻撃に耐えうる力などなく、哀れな断末魔を上げて霧散して果てた。
目の前で見せつけられたその光景に、キヌの胸中にやりきれない思いが去来する。
令子のような生きている人間にはどうということはないのだろうが、自らが幽霊として長らく過ごしてきたキヌにとって、その無念の思いは他人事とは思えなかった。

「やれやれ、やっと片付いたわ」

「さすが美神どのでござるな」

「相変わらず容赦ないわね」

口調とは裏腹に、さほど疲れた様子も見せない令子のそばに、役目を終えたシロとタマモが歩み寄ってくる。
二人の身体能力からすれば児戯にも等しい働きだったろうに、口々にお腹が空いたといっては早く帰ることを懇願する。
犬神たちの願いに根負けしたかのように令子は肩を緩め、キヌのほうへと振り返る。

「意外に早く片付いたし、このコたちもうるさいからさっさと帰るとしましょうか、おキヌちゃん」

「あ、はい、そうですね。でも、横島さんはどうしますか?」

ちょうど今こちらに向かっている最中の忠夫を気にし、キヌは確認の意味も含めて問いかける。
今夜、忠夫が一人で行っている現場からここまでは事務所と逆の方向で、わざわざこちらに来るのを待っていても時間の無駄になってしまう。
せっかく仕事が早く終わったのだから、出来れば久々に会って、冬の長い夜をじっくりと楽しみたい。

「……そうね。じゃ、おキヌちゃん、横島クンに電話して。こっちはもう終わったから来なくていいって」

「はい、わかりました」

少し気になる令子の返事を待たず、キヌはポケットから携帯電話を取り出して忠夫にダイヤルしようとする。
いつものくせで着信履歴から探そうとして手間取り、結局アドレス帖を呼び出してコールするはめになった。
けれども、プップッ、と探信する音の後に聞こえてくるのは、忠夫のではない女性の声だった。

『お掛けになりました電話は電波の届かない場所に居られるか、電源が入っていないため――』

念のために一度通話を切り、もう一度コールし直すが、返ってくる声は同じだった。

「変ですねえ、掛かりませんよ」

「また? あのバカ、なにやってるのよ」

「何かあったんでしょうか?」

このところ、なにかとすれ違いが多くて直接話す機会が少なかったけれども、そのときでも留守番電話にだけはなっていたはずだった。
今日行っている除霊現場は電波の届かない地下街などではなく、免許のない忠夫は車を運転するわけもない。
まして、電車に乗ったからといってわざわざ電源を切るような、殊勝な心がけの持ち主でもなかった。
考えられるとすれば、忠夫が自ら電源を切っているか、あるいは切らざるを得ない状況にいるか、だった。
ありもしない不安が、すっ、とキヌの顔に浮かぶ。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。たぶん、充電するのを忘れたまま出てっちゃったんじゃない? まったく、世話が焼けるったらありゃしないわ」

「でも……」

「おキヌちゃんは心配性ねえ」

令子は全然気にする素振りを見せないが、キヌはなにやら落ちつかないものを感じていた。
それは、危険とか不安とかいうものではなく、なにかこう、忠夫が離れていってしまうような、そんな気がするのだ。
しかし、自他共に認める超一流の霊能者である令子も、人知を超えた感覚を擁するシロやタマモも何も騒いでいないのであれば、只の思い過ごしと言われても返す言葉がない。

「ま、いいわ。それじゃ、私は検分も兼ねてここで横島クンが来るのを待っているから、おキヌちゃんたちは先に帰っていてちょうだい」

「そんな……悪いですよ」

「いいの、いいの。今日のは大した事なかったし、こんなとこに三人も四人も居てもしょうがないでしょう? それに、あのコたちがうるさくってしょうがないんだから」

令子はそう言って、外の方を指し示す。
表の道路に面したエントランスには、早く帰りたくてしかたがないといった感じで、シロとタマモがなにやら話しながらこちらの方をじっと眺めていた。
その様子は、二人に言ったらへそを曲げるに違いないが、お店から出てくる飼い主を待つ犬のようにも見えた。

「……わかりました。それじゃ、先に戻ってますね」

「頼むわね。もし、横島クンから電話があったら知らせてちょうだい。入れ替わりになっても嫌だもんね」

「はい」

「じゃ、よろしく」

そう言うと令子は踵を返し、先程済ませた除霊の場所へと足を向ける。
人気のないオフィスビルのロビーに、乱れのないヒールの冷たい残響音が遠ざかっていく。
キヌはほんの少しの間、暗がりに隠れていく令子の姿を見つめていたが、背後から掛けられた声に無理やり振り向かされた。

「おキヌどのー! 早く帰りましょうぞー!」

「もうお腹ペコペコー!」

「はいはい」

ゴハンをねだる犬神たちの、容赦のない声に引きずられ、キヌは暗いロビーに背を向け、外に出る。
そのとき、ドアのガラスに映る半透明の令子が、メモを片手にどこか知らない番号に電話していることに、ついに気がつかなかった。





手が離せないときに限って、電話が鳴る。
昨日に比べて五度も暖かいという昼下がり、ベランダに立つキヌは洗濯物を干す手を止めて振り返る。

「シロちゃん、は、いないの?」

やんわりとした小春日和の光に包まれたリビングには人気はなく、ついさっきまで一緒にお昼を食べていたはずのシロもタマモの姿も見当たらない。

「変ねえ。出かけたはずないのに」

気まぐれなタマモはともかく、シロがなんの断わりもなくいなくなることなどめったにない。
キヌは腑に落ちぬ思いに首を傾げるも、見知らぬ電話の相手はそんなことを意に介さない。
諦めきれずに鳴り続ける呼び出し音に、早く、早くと急かされるのだった。

「大変お待たせいたしました、美神除霊事務所にございます」

痺れを切らせているであろう相手に対し、謝罪の意をこめてキヌが受話器を取る。
しかし、身構えていた苛立ちの声も、安堵して懇願する哀れな声もない。
左の耳に聞こえてくるのは、かさかさとした乾いた音だけだった。
やっぱり間に合わなかったか、そう思って受話器を置こうとして耳から離そうとした間際、奥から微かな声がした。

『――アンタ』

年上の女性を思わせる、落ち着きのある静かな声はどこかで聞いたことがある声だったが、キヌにはそれが誰だか思い出せなかった。
もしかして、この声の主がここ最近続いていた無言電話の相手かと思うと、心が逸って問い質したくなるが、ぐっと息を呑んで堪えた。

「もしもし? どちらさまですか?」

努めて自然に話し掛けたつもりだが、その返答はすぐには返ってこない。
およそ十秒ほどの間を置いて、ノイズが収まるのを待って、巣穴の辺りを確かめる獣のような慎重さで、そろり、そろりと声を出す。

『――アタシは、』

「おキヌどのーーっ!」

「ちょっとシロ、待ちなさいってば!」

だが、獲物がその顔先を覗かせて射程距離に入りかけた途端、けたたましい足音と共にシロとタマモが駆け下りてくるのが聞こえた。
その途端、一瞬気を取られてしまったキヌの耳の奥に、ちっ、という舌打ちを残して電話が切れた。

「もしもしっ? もしもしっ?」

無駄だとは知りながらも呼びかけるキヌが受話器を置くのと同時に、シロが、続けてタマモがリビングに飛び込んできた。

「おキヌどの、その電話――」

なにやら期待に胸弾ませてやってきたシロだが、電話を切るキヌの様子を目にすると、たちまちの内に、しゅん、となる。

「そんなに慌ててどうしたの、シロちゃん? それにタマモちゃんも?」

「――あ、いや、今の電話、もしかして先生ではござらぬか?」

「ううん、違うけど」

「そうでござるか……」

「だから言ったじゃない、ヨコシマからの電話なんかじゃないって」

「なんで、そんなことがお主にわかるのでござる? 音が違うわけでもござらぬのに」

「私にはわかるんだもーん」

「だから、なんで!」

「ふふん、それはね――」

髪一房ぶんだけ背の低いタマモが、いかにも得意そうに平らな胸を張って断言した。

「女のカンよ!」

「拙者だって女でござるっ!」

突然にやってきて、自分の周りでやいの、やいのと騒がしい二人にあっけに取られながらも、キヌははっと気を取り戻す。
いつものじゃれ合いで、およそ喧嘩とは言えないやり取りだったが、このままではなにが起きているのかわけがわからない。

「ちょ、ちょっと待って。どうしたっていうの、一体? 横島さんがどうしたの?」

皆目判らぬままにキヌが仲裁に入ると、二人は言い争っていたのが嘘のようにぴたり、と止め、キヌのほうを向き直ってにんまりと笑う。

「拙者たちはねー、これからねー」

「ヨコシマとデートなの」

ねー、と声を合わせて唱和する二人だが、とっさのことにキヌの頭にはすぐには伝わらなかった。

「あー、そうなんだ。横島さんとデートね、って、えええっ!?」

何の臆面もなく、さらりと告白された出来事に、キヌは我知らず素っ頓狂な声を上げる。
けれども、二人は悪びれることもなく、顔を赤らめることもせず、ただ楽しいことを待つ子供のようにはしゃいでいた。

「ど、ど、ど、どういうこと? 横島さんとデートって」

予想もしなかった二人の爆弾発言に、聞かされたキヌのほうがうろたえてしまう。
付き合っているはずの自分に何の断りもなく、いや、あらかじめ断わられても困ってしまうが、いずれにしても自分というものがありながら、他の女の子とデートをするなんて。
ましてや、年端も行かぬこんなコドモたち、しかも二人ともだと思うと、動揺するなと言うほうが無理だった。
確かに忠夫は二人によく懐かれていたし、昔から妖怪などにも妙に好かれやすいところがあった。
だからといって、わざわざこんなコドモに手を出さなくてもよいではないか。

いや、実は忠夫は一部で噂されているように本当はロリコンで、自分と付き合っているのはカモフラージュのためだけなのではないか。
この二人、いや三人で、まだ自分も試したことのないような、あんなことやこんなことまでしちゃっているのではないだろうか。
空想と現実、女性週刊誌とレディースコミックの一瞬の隙間が、キヌの頭の中でせめぎ合って、ぐるぐると回っている。
だがそれも、浮かれたタマモの声によって連れ戻された。

「今日は何を食べさせてくれるのかなー」

「えっ」

「こないだはお主のリスエストに応えて豆腐料理だったではござらぬか。今日は拙者の番で肉、肉料理でござるよ、きっと」

「えー、お肉ぅー?」

「嫌なら食べなければよいではないか。だいたい、そんなこと言って一番食べるのはお主のほうではござらぬか」

「そ、そんなことないもんっ!」

シロに冷やかされ、少し顔を赤くしたタマモがぷい、と横を向く。
ようやく再起動を果たしたキヌは、その会話の途切れた間を挟んで話のしっぽを掴む。

「ちょっと待って二人とも。横島さんとデートって、もしかして、ご飯食べに行くことなの?」

「そうよ」

「そうでござるよ」

何を判りきったことを、と言いたげな二人の顔を見て、キヌの身体から力が抜けていく。

「昨日の仕事で頑張ったごほうびに、なんかおいしいもの食べに連れてってくれるんだって」

「前にも何回かおごってもらったこともあるでござるよ」

「なあんだ、そういうことだったの」

すっかり腰が砕けてしまったキヌは、へなへなとリビングのソファにへたり込む。
どこかのレストランかなにかで食事をして、お酒を飲んで、というのはデートコースの定番中の定番だが、この二人の様子を見てると、どうも違うらしい。
どちらかといえば、近所のファミリーレストランに子供たちを連れていくような、普段着でのおでかけの気分だった。

だけど、忠夫がこの二人と一緒に外で食事をしているなど、初めて聞いた。
別にやましいことはないのだろうけれども、そのことを自分に話してくれなかったという事実は残る。
すっかりうろたえて赤面してしまった自分を助けるためにも、どこに行っているのか白状させなければならない。
しかし、またも間を読まずに鳴り出した電話の光に妨げられた。

「はい、もしもしっ!」

LEDランプが点いて呼び出し音が鳴るか鳴らないかのうちに、見るも鮮やかな素早い動きで受話器を取り上げる。
弾み上がった声から察するに、お目当ての相手からの電話だったのだろう。
なるほど、確かにするどいカンだなあ、とキヌは見当違いの感心をしていた。

「うん、わかった! じゃ、すぐ行くね」

タマモらしい簡潔な会話で電話を切ると、そわそわしていたシロにすぐに出かけることを告げる。
準備、といっても大して着飾りも化粧も必要としない二人にとっては、すぐに、とはまさに今すぐのことだ。
飛び込んできたのと同じような騒がしさで引いていく二人だったが、ドアのところで、つとタマモが振り向いた。

「そういえばおキヌちゃん、さっきの電話って誰だったの?」

嵐のようなけたたましさに、そんな電話を受けたこともすっかり忘れていたキヌだったが、言われて初めてようやくに思い出す。だけど、そのことを正直に離すのは躊躇われた。
あの二人には忠夫からの電話、それに引き換え、自分のところに掛かってきたは、誰だかもわからない女からのいたずら電話。
その違いが、何故だか急に口惜しく思えて仕方がなかったからだ。

「あ、うん、大したことじゃなかったの。ただの仕事の電話」

「あ、そうなんだ」

まだ何か聞きたそうな素振りを見せるタマモだったが、これ以上聞かれても答えようもないし、答えたくない。
ほんの一呼吸の間が嫌らしく纏わり付いてこようと這い上がってくるが、先に玄関に行っていたシロの声がそれを妨げた。

「もう、そんなに急かさなくったっていいじゃない。じゃ、おキヌちゃん、私もシロも今晩のご飯はいらないから」

「二人とも気をつけてね。横島さんにもよろしく」

「うん。それじゃ、行ってきまーす!」

そう言うが早いか、まさに脱兎の如く、というよりも脱狐の如くタマモが階段を駆け下りていく。
玄関の外で待ちくたびれていたらしいシロと、なにやらまた言い争っている声が開け放たれた窓を通じて聞こえてくるが、キヌはもうそれを気にしようともしない。
昨日の除霊よりも強く感じる疲れに身を任せ、ついぞしたことなどないのだが、だらしなくごろん、とソファに横になる。
冷たい空気が這い寄ってくる、空けっぱなしの窓のそばには、まだ干す途中の洗濯物が籠に入ったまま放置されているが、もうそんなことはどうでもよかった。
【たわしコロッケはお好きですか?】赤蛇です。
閲覧数が伸びているので妙な心配をしたりしてますが、2009年最初の投稿『ネトラレ2』をお送り致します。
正月早々、こんなのを書いているかと思うと自分の頭を疑いたくなりますが、今さらもう手遅れですかw
それにしましても、やっぱり私は意気地なしというか、甘ちゃんだなあとつくづく思います。
もっとガッツリいけないものか、反省することしきりですね。

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