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覚悟

「ふぅ。やっぱ温泉は気持ちいいわねー」
「本当に……心地よくてふわふわしちゃいますね」
「また魂抜けたらイヤよ?」
「んもう。そこまで私もぼけぼけじゃないですよーだ」

 寒い北海道でのお仕事も終わり、私と美神さんは冷えた体を温泉で暖めていた。ほとんど温泉に入りたい、という美神さんのわがままで受けた依頼でもあり、早々に終わらせて旅館に移動したのだ。

「除霊が簡単なのは最初から分かってたしね。ま、たまの息抜きもいいでしょ」
「こんな息抜きでしたら、いつでも大歓迎です」

 肩までじんわりお湯につかり、ほうと答えた。顔の冷たさとの落差は、とても不思議な感じがする。露天風呂は岬の先にあった。海のさざめきが間近に聞こえ、空は雲一つ無く澄み渡って満月が夜空を明るく冷やしていた。

「ね、おキヌちゃん」
「はい?」

 美神さんが雪の積もった縁の置き石に腕をかけ、ゆったり頭を乗せた。

「私たちが出会ってから、もう何年くらい経つんだっけ」
「どうしたんですか? ずいぶん突然ですね」
「もう、茶化さないの」
「……7年くらいでしょうか?」

 指折り数え答えた。私たちが社会人として独り立ちしてからもう何年か経っているけれど、出会ったのはそれ以前、まだ幽霊だった頃の事。まだ横島さんは本当の荷物持ちに過ぎなくて、私の日給は30円だった。

「そっか、もうそんなに経つっけ」
「あっという間でしたね」
「シロが来て、アシュタロスの事件があって、ママが帰ってきて、ひのめが生まれて、タマモも居着いて……」
「たくさんのことがありましたよね」

 当たり前でいつまでも同じだと思えた日常はにわかに近すぎ見落としてしまいがちで、でも幼木が成木になるように年輪を重ねながら少しずつ確かに変わっていた。

「……おかげで退屈しなかったけど、この温泉みたいに居心地よくて、いつの間にか怖くなっちゃってたのね、変えるのが。放っておいたって変わっていくのにね」
「……?」

 美神さん、いったい何を言いたいんだろう。座り直してのぞいた肩を、ちらつき始めた雪が撫でてひやり冷たく溶けていく。

「だからね。私、賭けをしてみたの。踏ん切りつけたくて、ね」
「踏ん切り、ですか?」

 即断即決、思いついたら即行動で現世利益最優先な美神さんがずいぶん焦れったいな。でもそれきり美神さんは黙り込んでしまって、感じた違和感を抱えたまま、当て所なくぼんやり湯気に混じる雪を見つめていた。

「そ。横島君、のこと」
「……です、か」

 聞いて、妙に安心もしたし、鼓動が早くなるのもわかった。やっぱり、この人は美神さんだ。

「あなたやシロが、横島君に好意を持ってるのは知ってたわ。だけど、自分はどうするのかって考えて、決めあぐねてた……どうにもね。で、あたしには、そういう形が必要みたいなの」
「それを何で私に?」

 口に出して気づく。美神さんがわざわざ私に直接伝える必要がある、これはそういう『踏ん切り』なのだ。私を見つめる美神さんの目はいつになく艶っぽく潤んで、思わず引き込まれてしまう。きっと、温泉だけのせいじゃない。

「……そう言えば、横島さんは疲れたから寝る、っておっしゃってましたけど。もったいないですよね」

 話題を逸らすつもりで、私はすぐに失敗したのを理解した。美神さんは苦笑いをし、湯船の中に体を深くつからせる。はぁ、とはき出した息が淡く白く消えていく。

「馬鹿ねおキヌちゃん、あいつがホントに寝てるわけないでしょ」
「……やっぱりそうでしょうか」
「そうに決まってるでしょ。あいつが荷物持ち程度で疲れるもんですか」
「かも」
「性懲りもなくのぞきにくるんでしょ。来ても返り討ちだけどね」
「そんなまた物騒な……」
「……ま、今回はそう簡単に諦めてもらっても困るんだけど」

 なんでですか、と。分かりかけた問いかけに、それは起こった。とても大きな爆発音、伝わる振動に湯面がさざ波立つ。わずか遠くに光った爆炎は月の光と違って本来の暖かさに色づいている。

「え、え、えっ」
「さ、あいつは突破してこれるかしらね?」

 次々響く爆発音と立ちこめる煙。夜空にとけ込み切れなかった分が海に向かって溢れ漏れ出している。露天から見下ろした私の背筋を、紛れもない冷や汗が伝う。

「ちょっと美神さん、どれだけの罠しかけたんですかっ?!」
「ツテを頼って世界最高の傭兵団に依頼してみたの。普通の人間なら突破不可能なトラップを、ってね。あ、地元に迷惑料は支払い済みだから、多少の事は気にしなくて良いわ」
「全然多少じゃないんですけどっ?! うわまた光ったー!」
「このあたしが参戦するんですもの。これくらいのどでかい花火は必要でしょう?」
「もう! それにしたってやり過ぎですっ!!」

 この人の意地っ張りは並じゃない。知っていたと思っていたけど、まだまだ理解が足りなかったのだとため息をついた。同じく、この人の横島さんへの想いの強さも初めて分かった気がした。

「シロも連れてきても良かったんだけど、いると助けに走りそうだし。なによりまず、おキヌちゃんに伝えるべきだと思ったし、ね」

 笑みを湛えた美神さんは、必ず横島さんがたどり着くと信じ切っている様子だった。眼下の惨状を、まるでいたずらっ子のように可笑しく見つめている。いつかの貧乏神のときみたいに。

「もしたどり着いたなら……もう容赦しないからね」

 私と横島さんへの言葉。美神さん自身の覚悟。前に進む想いの強さと厳しさなのかもしれない。

「いやでもこれはやり過ぎです、ってちょっとよこしまさはーんっ?! 死んじゃ駄目ー!!」

 続けざまに起きる爆発、闇に走る赤い光。轟音に紛れ絶対に突破しちゃるーと聞こえた気がした。いつしかこの関係に決着がつくのだとしても、呆れ半分、怒り半分。ちょびっとの羨望と嫉妬が混じって、でも白旗を揚げるつもりは私にも全く無かった。
 
−−−雇い主で、長い友人で、お姉さんで、昔なじみで、そしてライバル。

 私たちの間に、一つ新しいものが加わっただけの話。この先どうなるかは私たちだけの楽しみ、と言い切るには私もまだドキマギしているけれど。思い切り闘い合って、決着をつければいいんだと妙に晴れ晴れした気持ちになったのも正直な気持ち。
 そう思えたのが、とても嬉しかった。きっと美神さんも、同じ気持ちだったんだろう。月明かりと爆音の中で、晴れ晴れと笑っていた。
こんにちは、とーりです。
久方ぶりの投稿はまた掌編となりましたが、いかがでしたでしょーか。
極力短い小品をと思って書いたので食い足りない部分もあるかもしれませんが、読者様に楽しんでもらえれば幸いです。
ではではー。

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