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チーズバーガーひとつ、オニオンぬきで

「なんか食いに行くか」

たまの休みの日にヒマを持て余したりすると、ときどきそんなことを言われて連れ出されるときがあった。
どうしてそうなるのか、それはおかしいぐらいに唐突で、天気が悪くて部屋の中で寝そべっているときに、キャットフードのCMを見たときだったり、あるいは気晴らしの散歩に出かけようとした矢先の出来事だったりした。
そんなとき、自分の意見を求められることはない。
「あのさ」という前置きも、「行かないか」という打診もなく、いつも勝手に決めて行動してしまう。
あの頃は、それが当たり前と思っていたし、それで充分に満足していたのだった。

ふたりで出かけるといっても、あの頃の自分たちにはおしゃれな店や高級な店などにはとんと縁がなく、身の丈にも合っていなかった。
あの後も続けている仕事のおかげで、今ではそういった場所に顔を出すのも苦ではなくなったけれど、過ぎ去った気楽な楽しさはあまりない。
それは近所の行き付けのとんこつラーメン屋だったり、お互いの途中にある、大盛りで有名な定食屋だったりしたけれど、中でもお気に入りだったのは、自分の居候先と仕事場を兼ねた事務所から少し離れたところにある、一軒のハンバーガーショップだった。

そこは、どこの駅前にもあるようなファストフードのチェーン店ではなく、少し色調のぼやけたカラー映像に映る、古き良き時代をイメージしたオールドアメリカンな雰囲気のお店だった。
大通りからほんの少し奥まったところにある、横板張りとレンガ積みを組み合わせた外観が、その時代には生きたことのない自分たちでも郷愁に誘う。
場所が場所だけに駐車場に割くスペースなどないが、すぐ隣に高いテイル・フィンを付けたビュイックが停まっていると言われても、あの頃の自分たちなら信じたに違いない。
この店に来たきっかけがなんだったのか、今ではもう、すっかり思い出せなくなってしまった。
ふたりで近所を散歩していた昼間のことだったか、それとも意外に早くはけた仕事の帰りだったか。
いずれにしても、自分がドアノブに手を掛けたのではないことは確かだった。

白く大きな観音開きのドアを引くと、からんからん、とベルが鳴る。
ここら辺りでは夏になると、風鈴の澄んだ高い音が多くなるが、それとは違う、鋳物で造られた金属のやや重い音。
ここで使われる前はきっと、オクラホマかどこかの牧場で使われていたに違いない、カウベルの音を後から聞くのが好きだった。
ドアを開けたすぐ前がレジカウンターで、店名を赤い刺繍で縫い付けた黒いポロシャツを着た女の子がいつも笑顔で立っていた。

「ご注文は何になさいますか」

どこの店でも耳にする、ありふれたお決まりの台詞だが、不思議とここで聞かされると何故か心が和む。
そして、ここで頼むメニューもいつも決まっていた。
決まりきった注文を頼むたびに、照れくさそうな顔をしていたのが、今となってはものすごく懐かしい。

「ええと、チーズバーガーふたつ、オニオンぬきで」

「おひとつでよろしいですか?」

「いいや……ふたつともお願いします」

この店は東京のど真ん中という立地のおかげか、外国人の客も多く、品数の多いメニューには日本語と英語が併記されている。
そのメニューには”ダブル”だの”スペシャル”だのといった、なんとも気になる名前が連なっているが、他のどれひとつとして頼んだことはなかった。
少々情けない話ではあるが、プレーンなハンバーガーでも千円近くする値段に気後れしてしまい、ついぞ頼まず仕舞いにまったというのが本当のところだろう。
けれども、厚い鉄板で焼かれるビーフ・パティが乗ったハンバーガーは堂々たる大きさで、まさにかぶりつくというのが相応しい美味しさだった。
だから、まだ若い身空にはそれくらいが丁度よく、いつか他のも食べてみればいいと思っていた。
そう、本当にいつかふたりで食べに来ればいい、そう信じて疑わなかったのだ。










「ご注文は何になさいますか」

早めに終わった仕事の帰り、ふと思い立ってこの店に寄ってみた。
自分の手でドアを開けて入ってみると、変わりのない黒いポロシャツを着た男性が笑顔で立っていた。
メニューを選ぶフリをして店内や厨房に目を走らせるが、あの女の子はどこにもいない。

「チーズバーガーひとつ、オニオンぬきで」

人影のまばらな時間、空いている席はいくらでもあるが、なんとなくテーブル席をやめてカウンターに座る。
今までに幾度となく通ってきた店だというのに、そこからの景色は違う場所のようにみえた。
丸い小さなテーブルを挟んだ向こう、大きな窓のそばのテーブルが、今ではどうしようもなく遠かった。
お昼を食べつつ、つらつらと書いていると、何故か脈絡のないシーンが浮かんできます。
なにと言うほどのものでもありませんが、たまにはこんな小品もいかがかと。

来年は作風を変えてみたいなぁ、と夢想しつつ。
みなさま、よいお年を!

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