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戦い

 戦いとは、生きる上で何よりも重要な『見返り』を与えてくれる。
 勿論、人によってその意味は異なるだろうし、戦い自体を忌避する人もいる。
 だからと言って、戦いそのものがなくなるわけではないし、付随してくる『見返り』というものを否定できるわけではない。
 『見返り』は、成果や、褒賞と言ってもいいかもしれない。だが、所詮は文字面だけの違いでしかない。
 得られるものは常に変化することは無いのだ。
 そういったことも含めて、真剣な眼差しで対峙する二人に、戦い、その『見返り』こそ至上とするという意味では、とても似通っていた。
 戦いの先にある、至上にして究極の『見返り』を求め続けているという点で。

 「雪之丞……こいつだけは、譲れないな」

 「へっ……ゾクゾクするぜ、横島。そんな顔したお前とヤリ合うなんて、何時振りだろうな」

 何時もの格好――赤いバンダナに、ジーパンとジージャンというスタイルの横島に、普段のおちゃらけた雰囲気は無い。
 そこにあるのは、何時ぞやの大戦の折に見せた、悲壮な、絶対的な決意だけだ。既にハンズ・オブ・グローリーと文珠を取り出し、何時でも相手に飛びかかれるようになっている。
 対する雪之丞は、こちらも臨戦態勢。
 禍々しい霊力の鎧――魔装術を発動させ、瞳は獲物を狩る狼のように爛々と輝いている。
 普段でさえ切れ長の三白眼は、雪之丞にとって何よりも心踊る闘いを前にして、さらに凶悪に見開かれていた。

 「当たり前だ、誰が好き好んでお前となんて戦うか、このバトルジャンキー。でもな、これは、こいつだけは、絶対譲れないんだよ」

 「いいぜ、かかって来な。俺だって、こんな機会は願ってもねぇ、ママに感謝したいくらいだぜ」

 先に仕掛けたのは、横島。

 「――先手必勝ォ!」

 それに対するは、雪之丞。

 「――喰らうか!」

 ここは、横島忠夫の文珠によって作られた擬似空間。
 二人を邪魔するものは何も無い。例えるならば、妙神山の修行場、或いは愛子の中とでも思えばいいかもしれない。
 唯一違うことといえば、その空間には何も存在しなかった。
 白一色の、何も無い空間。
 そこで今、全てをかけた漢同士の闘いが始まった。


 開始早々に文珠を投げ付けた横島は舌打ちをした。
 自分の行動が読まれていたのか、雪乃丞は上に跳び上がり文珠を回避したのだ。
 視線の先には、何時もより憎たらしい笑みを浮かべた雪之丞。
 
 「へっ、残念だったなぁ! お前の戦術はお見通しなんだよ!」

 「クッソー! あれさえ当たっていればそれで片が付いたっちゅーのに――」

 横島が文珠に込めた文字は、『解』。もし雪乃丞に当たっていれば、文字通り魔装術を強制的に『解』除させることが出来ただろう。
 生身の状態でサイキック・ソーサーやハンズ・オブ・グローリーをまともに喰らえば大怪我は避けられないのだが、横島にとって男がいくら傷付こうがそんなことは知ったことではない。
 横島にとって男何ていうものはそこらにいる蝿以下である。
 横島が投げ付けた文珠を改めて見て、頭の後に汗を掻きながら雪乃丞が半眼で横島を睨み付ける。

 「相も変わらず卑怯くせぇ能力だな……」
 
 「アホー! 勝てればいいんじゃ、勝てれば! 第一、お前とまともにヤリ合ったら大怪我するじゃねぇか!」

 「へへへ……ならお望み通り大怪我させてやるよ。死ぬんじゃねぇぞ!」

 開口一閃、雪之丞は時分が最も得意とする霊波砲を連射する。

 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラァー!」

 霊波砲、特にもその速射性は横島が常につるんでいる四人――横島、ピート、タイガー、雪之丞――の中では雪之丞がピカ一だ。もしかしたら、プロのGSを含めても適う者は極少数かもしれない。
 そこまでの能力を何故持ち得たかは、雪之丞の戦い方に表れているかもしれない。雪之丞は魔装術を纏おうが生身だろうが、その戦い方は直線的だ。
 霊波砲による攻撃と、直接打撃。トリッキーな戦い方を得意とする横島、ヴァンパイアの力と聖なる力を併用するピート、精神感応能力に長けたタイガーとは異なり、ひどく無骨で派生形が無い。
 そこにあるのは絶対的な自分への信頼と、拳を交えてこそ漢の戦いだという矜持である。
 もしかしたら、拳を交えるからには正々堂々正面から、という今は絶滅したに等しい古い漢の精神を持つ雪之丞の性格ゆえに、この戦闘形態が確立したのかもしれない。 
 
 「でえぇーい!? 死ぬ、死んでしまう!」

 雪之丞とは対照的にトリッキーな戦い方をする横島は、必死になって霊波砲を防いでいた。そこには開戦当初のシリアスな雰囲気など微塵も無い。
 顔中から汁という汁を噴出しながら、的確に霊波砲をサイキック・ソーサーで防いでいる横島を見て、雪之丞は口角を吊り上げる。
 強くなってやがる、知らずその言葉が口をついていた。
 最初に出会ったときから只者じゃないと思っていたが、やっぱり自分の眼に狂いは無かったと、雪之丞は背筋を這い上がる興奮に体を震わせた。
 何時も何時も適当に戦っているように見えて、横島の眼は正確だ。的確に敵の急所を突き、攻撃を防ぐ。
 ――こんな奴とダチやれて、戦える何ていうのは、俺は誰よりも贅沢だな。
 雪之丞は意図的に霊波砲の広角を下げ、横島の丁度真正面、足元狙うように、今までより一層力を込めた一撃を放つ。
 
 「オワー!?」

 突然の爆煙に、横島は自分の顔を覆った。
 視界はゼロ。今まで前方に捉えていた雪乃丞の姿など跡形も無い。
 クソッタレ、と横島はポケットから文珠を取り出す。
 残量は後二つ。それまでに勝負をつけなければ、自分に勝機は無い。
 雪之丞との純粋な戦闘能力の差を横島は的確に計っていた。
 どう転んでも、文珠が尽きた場合ではそれを覆すことの難しい。何せ、文珠が無い場合、横島自身の攻撃手段は二つしかない。
 サイキック・ソーサーとハンズ・オブ・グローリーである。サイキック・猫騙しというのもあるが、これは実質攻撃力はゼロであるから、専ら目潰し、退却用に使っていた。
 何より、横島は生身。雪之丞の攻撃をそう何発も喰らうことは許されない。対して、雪之丞には攻防の要魔装術がある。
 相手の霊力が尽きるまで逃げ続ければいいだろうが、そうしているうちに『見返り』はなくなっているかもしれない。
 そう考えれば、横島は短期決戦を挑むより他は無いのである。
 ――俺だって、お前の手は読めてんだよ。
 握り締めた文珠に込められた文字は『盾』。サイキック・ソーサーの二倍はあろうかという面積の盾が横島の左腕に展開する。
 刹那、激しい衝撃が横島を襲う。
 そこには、爆煙の中を一直線に突き抜けてきた雪之丞の拳が、盾に阻まれていた。

 「――読んでやがったか」

 「当たり前じゃ! こちとら年中美神さんと一緒に除霊しとるんや、正攻法の攻撃なんて欠伸が出るわい!」

 横島の言葉に、雪之丞は再び口角を上げた。
 ぐっと、殴りつけた拳に力を込める。

 「いいぜ……なら、我慢比べだ。俺の攻撃、お前の防禦、どっちが先に音を上げるか、試してみるか!」

 げげ、と横島が声を出すまもなく、雪之丞は盾に向かって自分の拳を繰り出す。
 ただ殴るだけではない、拳には霊力を込め、横島が逃げ出さないように常に双眸は正面を向いたままだ。
 あまりにその圧力が強すぎるのか、横島はただ盾を構え続けることしか出来ない。

 「オラオラオラオラオラオラオラオラオラァー!」

 雪之丞は先程の連続霊波砲のように、間断なくその拳を盾に叩きつける。

 文珠は一見万能の霊能だ。
 攻撃、防禦、回復、遣い手の想像力が逞しければコンクリートを『柔』らかくすることだって出来る。
 然し、それは絶対ではない。
 当然、文珠に込められた霊力以上の事はできないのだ。
 過去に、横島は魔族を文珠で『凍』らせた事があるが、相手の力が強すぎ、一切ダメージを与えることが出来なかった。
 また、『防』の文珠で敵の攻撃を受け止めても、許容量以上の負荷を受ければ文珠は粉々に砕け散ってしまう。 
 勿論、蘇生不可能な対象に対して『蘇』れと文珠を使用したところで、その効果は表れない。
 文珠は万能のように思えて、その実ひどく脆い一面を抱えた霊能でもあった。
 であるから、如何なる攻撃をも防ぐ『盾』をイメージした所で、負荷が許容量を超えれば――。

 「げ!」

 横島は掌の中に嫌な感触を感じ、声を上げた。
 雪之丞が盾に拳を殴りつける度に、その轟音に遮られて聞こえるはずの無い音が聞こえる。
 ――あ、アカン! 割れてまう!?
 人より思ったことが顔に出やすい横島である。
 当然、その焦りは顔に出ていた。

 「……これで『あれ』は俺のもんだな。くたばりやがれ!」

 「こ、こなくそ!」

 「オラァ!」

 雪之丞がありったけの力を込めて盾を殴りつける。
 拳が当たるのと同時に、文珠が粉々に砕け散った。
 その時、ニヤリと横島が笑った。悪巧みが成功した時のガキ大将のような顔だった。
 ――いよし! 大漁!
 雪之丞の攻撃で盾が割れた瞬間、横島は上体を反らしながら、まるで拝むように手を合わせた。
 瞬間、雪之丞の視界を真白な閃光が襲う。
 横島の技の一つ、サイキック・猫騙しである。

 「ぐっ! こ、この野郎!」

 視界を奪われながらも、雪之丞は果敢に拳を振るった。
 ここまで追い詰めて、追い詰められて、この久しくなかった楽しい戦いがまだ終わって欲しくはなった。
 しかし、視界を奪われながら拳は、当然のように空を切った。
 同時に、その崩れた体に衝撃が走る。
 徐々に明らかになる視界の中で、雪之丞は自分の鳩尾に横島の拳が入っていることを認識した。
 目の前で、横島が笑っている。

 「じゃあな、雪之丞。暫くおねんねしてろ――文珠!」

 横島が押し付けた文珠は一つ。
 込められていた文字は『寝』。
 徐々に暗くなっていく意識の中、雪之丞は三度口角を吊り上げた。
 ――やっぱ、まだ届かねぇか。
 倒れこんだその寝顔は、普段の彼を知っている人間なら誰もが驚くほど、穏やかだった。


 「ふふふ……ハッハッハッハ……ヨッシャー! これで『あれ』はワイのもんやー!」
 横島は高笑いをしながら右腕を天に振り上げた。
 握られているのは文珠。
 込められた文字は『戻』である。この空間は横島の文珠で作り出したものであるから暫く経てば消えるのだが、今は何よりも時間が惜しい横島だった。
 ぐふふ、と邪悪な笑いを浮かべながら横島は光に包まれる。
 すぐに、目の前には見慣れた光景が飛び込んできた。
 横島のアパートである。
 「ふふふ……『あれ』だけは、絶対誰にもやらんぞ。ワイの為にくれたんや。わいが食わんで誰が食う!」
 依然邪悪な笑みを浮かべたまま、横島はスキップしながら階段を上り、扉を開ける。
 「今戻ったぞー! ワイの可愛い前沢――ぎゅ……う?」


 横島と雪之丞の対決を遡ること、二時間前。
 この日も横島は美神の元で除霊作業に勤しんでいた。
 だが、その日の除霊は何時もと違っていた。
 タマモもシロも、おキヌちゃんはおろか美神さんもいない。横島一人だけでの除霊作業だったのである。
 そう、ここ最近、それほど難易度の高い除霊でなければ、美神は横島一人に除霊作業をさせていたのだ。
 横島の経験値のアップと、早く一人前になれという師匠である美神の発破である。
 依然、自給は三百円を下回ってはいたが。

 「これで――ラスト!」
 
 横島のハンズ・オブ・グローリーが最後の一体となった下級霊を切り裂く。
 場所は再開発の進む郊外の工場跡地だった。取り壊して住宅地に変えようとの計画が持ち上がったが、霊団を封じていたらしい地蔵を移設した所から問題が発生。
 下級霊が三十体ほど地蔵の下から噴出して、その除霊依頼が美神の所へと回ってきたのだった。
 依頼料は少ないのだが、横島に経験を積ませるため二つ返事でOKしたのだ。
 
 「ゼー……ゼー……や、やっと帰れる」
 
 横島は荒い息を吐きながら帰路についた。
 途端に、腹が鳴る。
 横島は虚ろな瞳で昼のの出来事を思い出した。
 既に日常になっているピートからの弁当強奪に失敗したのである。

 「……今日は昼飯食ってなかったからなぁ……」

 バイト料のこともあって、横島の食生活は消して豊かとはいえない。
 そんな中にあってのご馳走は、給料日の日にだけ行う卵を落とした即席麺に、ピートに渡される女生徒からの手作り弁当、美神の所で随伴に預かるおキヌの手料理だけである。
 しかも、タマモやシロにたかられる事も多いため、最近の横島はすっかり痩せこけていた。
 
 「うう……何でこんなにひもじいんや――日本は飽食の国と違うんかー! ギヴミータンパク質ー!」

 いきなり涙を流しながら奇声を上げる横島が警官に追われながら事務所へと辿りついたのは、何時もの事だった。


 ただ、そんな横島を神は見捨てていなかった。
 横島が事務所で見たものは、普段のようなキツメの表情をした美神ではなく、どこか優しげな表情を浮かべた美神だった。
 心なしか、一緒に横島を出迎えたおキヌ、タマモも慈しむような視線を向けている。シロだけはどこかむくれていたが。

 「横島クン、お疲れ様。ちゃんと除霊できた?」

 「え、ええ……バッチリっすけど……」

 突然の事態に、え? え? と、横島の頭の上にはクエスチョンマークが大量に踊っていた。
 当然のことながら、横島には何が起きているのか理解できない。
 というより、美神の機嫌が良かったことを思い返せば、大口の除霊依頼を受けたことぐらいしか思いつかないのだ。
 ――まさか……駆り出されるんか?
 横島は未だに五月蝿く鳴く腹を押さえながらこの先のことを想像した。
 このまま除霊に直行。ポカをしてどつかれる。夕飯抜き。今日は絶食。
 ――そ、そんなん嫌やー! ワイの夕飯を返せー!
 勿論声には出さなかった。少しは学習するのである。
 そんな妄想で半ば白くなりかけている横島に美神が声をかける。

 「実はね〜、さっきの依頼主からこれもどうぞって頂いたんだけど……正直私は食べ飽きてるし、最近は横島クンも頑張ってるから、貴方にあげようかと思って」

 そういって美神が取り出したのは、高級そうな桐の箱だった。
 何が起こっているのか分からない横島にも、その桐の箱に貼り付けられたラベルだけは読み取れた。
 そこにはこう記されていたのである。
 『前沢牛』と。
 あまり詳しくない人のためにも簡単に説明すれば、松坂牛や飛騨牛にも劣らない日本のブランド牛である。
 
 「っこ、こっ、こっ、こっ、こっ、こっ、おっ、おっ、おっ、おっ、おっ?」

 意味の分からないことを言いながら、箱と己を交互に指差している横島を見て、美神は頬を緩めた。
 何だかんだ言いながら、横島はよくやっているのである。
 それに対してのご褒美位やってもいいだろう。
 それに――憎からず想っている男が涙を流しながら喜んでいる姿は、どこか心地よかった。

 「み、美っ神さ〜ん!」

 「抱きつくなー!」

 
 事務所からの帰り道、横島は我が子を抱くように桐の箱を抱きしめていた。
 その顔は原形を留めないほどに緩みきっている。
 美神にしばかれた後、ずるいでござると飛び掛ってきたシロによって所々に噛み跡は残っているが、それも今の横島にとっては些細なことだ。

 「肉……肉や……しかもブランド牛……ふふふ、こいつめ、こいつめ!」

 ニヤニヤしながら桐の箱に頬擦りする様は不気味だが、幸い周囲に警官の姿はなかった。
 代わりに、道往く人が横島から眼を背けてはいたのだが。
 ――美神さんがこんなに優しいなんて……こ、これはもしや、俺に対して心を開いたということか!?
 取り留めの無い妄想を抱きながら、横島は自分のアパートの前まで辿り着いていた。

 「どうやって食べようか……やはりオーソドックスに焼肉……嫌、すき焼きも捨てがたい――いっそのことしゃぶしゃぶにしてしまうのも」

 くだらない事を呟きながら階段を昇ると、自室の前に誰かの影があった。
 もしや、シロが先回りを、と警戒したのだが、その姿を確認して、横島はふっと肩から力を抜いた。
 そこにいたのは、横島の友人。
 ピート、タイガー、愛子――そして、タイガーに担がれている伊達雪之丞その人であった。
 いち早く横島を見つけた愛子が声をかける。

 「あ、横島くん! 何だかこの人、横島くんに会いに学校まで来たんだけど、倒れちゃって」

 「ワッシがここまで運んだんですジャー」

 「……まあ、雪之丞のことですから空腹で倒れただけですけどね――ここに来るまでにも、何度か鳴ってましたから」

 いつもの横島なら何だかんだ言いながらこの友人達を招き入れただろう。
 だが、この時の横島は違っていた。
 目の前にいるのは、自分の獲物を狙う狡猾な獣達である。
 ――俺と同じ赤貧のタイガーに、腹を空かせた雪之丞……危険すぎる!
 スパコンよりも早く計算を終了させると、横島は大事そうに抱きかかえていた桐の箱をササッと背中に隠した。
 無論、ばれない訳が無い。
 その動作を見ていた愛子が半眼で横島を睨み付けた。

 「……横島くん、今、何を隠したの?」

 「何を言ってんだ、愛子。俺が隠し事をするわけ無いじゃないか」

 平静を装う横島だが、その額には滝のような汗が浮かんでいる。
 口笛を吹いたりしてる辺りが余計にその不審さを際立たせていた。
 愛子の目がスゥッと細くなる。
 
 「……きっと、何時もの様に青春に相応しくないものだわ――ピートくん!」

 「え?」

 愛子の声に、横島も反応する。

 「させるか! ピート、愛子を取り押さえるんだ!」

 「へ?」

 「何をやってるの、ピートくん! 横島くんが隠したものを取り上げるのよ!」 

 「え、いや、でも」

 「ピート、お前は何時から愛子の手先に成り下がったんだ! 友情よりも女を取るのか、この薄情もの!」

 「ピートくん、友人を悪の道から校正させるのも友情よ!」

 「……悪の道?」

 「騙されるな、ピート! 本当に悪いのは、俺達の友情を切り裂こうとしている愛子の方だ!」

 「いいえ、ピートくん、横島くんの言葉に騙されちゃ駄目! 横島くんに正しい道を歩ませるのよ!」

 「――正しい道」

 うげ、と横島が声を上げる。
 悪の道〜とか言う当たりから、ピートの様子がおかしいのに気がついたのである。
 しかも、何やら意を決した表情で自分を見つめている。
 ピートは、ヴァンパイア・ハーフでありながら唐巣神父に弟子入りするなど、正義感の強い男なのである。

 「横島さん……スミマセン!」

 「う、裏切り者〜!」


 愛子は大きな溜息を吐いた。
 場所は移って、横島の汚い自室である。
 目の前には高級そうな桐の箱と、土下座している横島の姿がある。
 因みに、ピートはそんな二人を部屋の隅でじっと見詰めていた。雪之丞とタイガーは主に箱の方を見つめている。

 「……何で隠そうとしたの?」

 愛子の言葉に、チラッと横島は雪之丞、タイガーに視線を向ける。
 サッと視線を逸らす二人。
 それを見逃す愛子ではない。
 もう一度、大きな溜息を吐く。

 「横島くん……少しは信用してあげなさいよ。何も取り上げに来たわけじゃないんだから」

 それに、と今度は雪乃丞とタイガーに言葉を向ける。

 「貴方達も、さっきからモノ欲しそうな視線を向けるんじゃありません! 横島くんが普段から苦労してるの、知らないわけじゃないでしょう?」

 う、と声に詰まるのは赤貧二人。
 とは言え、普段から食うのに苦労している二人である。愛子の大岡裁きを期待してか、その瞳はまだ希望を捨てていない。
 どうにかこの肉を守ってくれと、真剣な瞳で見詰める横島。
 その視線に困ってしまうのは愛子の方だった。
 妥当に考えればこれは横島のものだから横島が食べるべきなのだが。
 ちらりと、赤貧二人組に視線を向ける。
 雪之丞については詳しくは分からないが、同じクラスのタイガーの窮状については、横島と同じ位よく知っている。
 そういった経緯があるため、無碍に出来ないのだ。
 ――何か良い案は無いかしら……。
 暫く思案顔だった愛子だが、ポンと手を叩いた。

 「こうしましょう、私が明日から横島くんのお弁当を作ってくるから――今日は皆ですき焼き」

 決して、愛子もブランド牛を食べてみたいとの欲望から生まれた判決ではない。


 グツグツと如何にも美味そうな匂いを部屋中に撒き散らしながら、すき焼きはいい塩梅で煮えていた。
 我先にと突っ込まれる箸が狙っているのは、勿論前沢牛である。

 「うう〜……ワイの肉が〜」

 「横島くん、いいじゃない。皆ですき焼きをつつくのも青春よ? ……それに、明日からは私がお弁当作って来るんだし、ね?」

 お弁当の辺りで頬を染めた愛子だが、よほど肉に執着があったのだろう。
 当の横島は愛子をちらりとも見ていなかった。その視線は皆でつついているすき焼きに注がれている。
 明日の飯より今の飯である。

 「あ、あの〜……その弁当、ワッシの分は――」

 「……タイガーくんは、ドカベンがあるからなしよ」

 「……タイガー、僕のでよかったらおかずを分けてあげるよ」

 隅の方でタイガーとピートが熱い抱擁を交わしていた。
 雪之丞は黙々とすき焼きを詰め込むだけである。


 宴も収束に向かう頃、ガチリ、と硬質な音が室内に響き渡る。
 すき焼きも既に具は殆ど残っておらず、後は汁と肉の最後の一切れを残すのみである。
 愛子やピート達は既に箸を置いている。
 今最後の一切れを巡って対峙しているのは、二匹の獣であった。
 ぶつけ合っているのは、互いの箸。
 飛び散らしているのは、戦いの火花。

 「……よう、たかり野郎が最後の一切れを食べるなんて、そんなことは無いよな?」

 「へっ……飯は戦場だぜ、横島。まさかお前ともあろう者が、忘れたわけじゃねえよな?」

 睨みあう事、暫し。

 「上等だ雪之丞! 表出んかい!」

 「望む所だ! 叩きのめしてやるよ!」

 こうして、漢二人の壮絶な戦いが始まったのである――。







 「うう……ワイの肉……前沢牛……肉なんて、食うの久しぶりやったのに……」

 「よ、横島くん、大丈夫よ、明日のお弁当うーんと豪華にするから元気出して、ね?」

 「そうですよ、横島さん! ほ、ほら、残り汁でうどんでも煮ましょう!」

 その日、横島の背中は煤けていた。
 戦いは、何時も空しいのである。


 「しょうがなかったんジャー! ワッシは、ワッシは――うおおお〜ん!」

 下手人が出所したのは、三日後のことだった。
どうも、高寺です。
どうにも、上手く描けている自信がありません(汗
やっぱり、もう少し幸福分が少ないほうが良かった気がしないでもない気が……。
ちなみに、作中の前沢牛は、地元名産でもあるのに食べたことがありません。
ブルジョワなんて、ブルジョワなんて――。

ええ、まあ、また次回作でお会いしましょう。
ではでは。

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