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旅人帰る 2

 おキヌは横島を見つめて――首を横に振った。
「――いいえ」
「彼女じゃない?」
「ええ。違います」
「…なんだ。そっか」
 横島はがっくりと力の抜けた体で、ははと笑った。
「やっぱり…ね。都合がよすぎると思ったんだ。君みたいにかわいい子が」
「……」
「そんなはずないって。やっぱりそうだったか」
「…つきあったことはありません。ただの片思い」
「そうだよね。それならわかるよ……」
「……」
「…なんだかなー。西条さんもなんであんなこと」横島は下をむいてぶつぶつとつぶやいた。「…勘違いなのか冗談なのか…混乱するよなぁ」
「……」
「…ごめんねおキヌちゃん。僕、てっきり」
「横島さん」
 おキヌは横島の言葉にかぶせるように、唐突に言った。
「美神さんのことどう思いますか」
「え…?美神さん?」
「はい」


「えーっと」
 横島は一瞬考える。
「凄い美人だよね。あの人」
「はい」
「きびきびしてて、やること早いし」
「…」
「頭もいい人だと思う。けど…」
「けど?」
「いきなり人を電気椅子にかけるなんて……普通じゃないよね?」
「……」
「普通じゃないって僕にもわかるよ。いつもああなの?あの人」
「いえ…普段はそんなこと…でも普段からそうかも…」
「ピートにね、…ピートって僕のクラスメートなんだけど、知ってる?おキヌちゃん」
「はい」
「そっか。そのピートに少し、美神さんのことを聞いたんだ。ピートは『美神さんは、あなたの雇い主で師匠ですよ』『凄い人です。素晴らしく才能のあるGSです』『弟子の横島さんのこと、とてもかわいがってました。指導は厳しかったけど…』って…」
「……」
「すごーくほめてて、へえーと思ったんだけど…今考えると、なんかところどころ歯切れが悪かったんだよね…。『指導ってどんな?』って聞いても教えてくれなかったし…」
 横島は首をかしげた。
「思うんだけど、ピートって、人の悪口言えないタイプなんじゃないかな。気が優しくて…。誰のことも悪く言わずに、褒めるんだ。だから美神さんのことも…」
「ピートさんの言うとおりだと思います」
「え…」
「美神さんは」
 おキヌは息を吸い込んだ。


「横島さんのこと、ほんとにすごく…一生懸命……今回だって、横島さんが宇宙船から出て行方不明って聞いた時、すごく、すごく心配したんですよ。何も、ひとことも言わなかったけど、あの顔を見れば誰だって…」
「……」
「こないだ美神さんと横島さんとマリア、3人で月へ行ったんです。任務は無事終わったけど、帰るとき敵に攻撃されて、横島さん、宇宙船を守るために船外へ出たんです。おぼえてないですか?」
「…憶えてない」
「マリアも横島さんを助けるために、外へ出たって。一人で帰ってきた美神さんの顔、見てられませんでした。私、必死に祈りました。横島さんが無事ですように、どうか無事ですように、そうでないと…」
「……」
「そうでないと…」
 おキヌはうつむき、ぎゅっと目をつぶって息をととのえ、顔をあげた。
「おぼえてないですか?」
「……」
 横島は首を振った。
「ごめん」
「……マリアのこともおぼえてない?横島さんが助かったの、マリアが庇ったおかげなんですよ」
「憶えてない。何も」
 横島はうつむいた。


「僕が憶えてるのは…」
「……」
「病院の天井と、窓。窓が明るかった。白衣の人たちが、『外傷はそれほど』『脳波も正常です』とかいろいろ言ってて、でも僕、まだ頭回ってなくて、全然現実感なくて、ぜんぶが水の膜の向こうにあるように遠くて」
「……」
「そうこうするうちに、君が病室に飛び込んできたんだ。『横島さん横島さん』って泣くから、ああ僕はそういう名前なんだって。『戻ってきてくれて嬉しいです』っていうから、戻ってきたんだなって。『無事でよかった…!』ってぎゅーってされたから、そうか無事でよかったって……君の声と体温がリアルに近くて、やっとまわりの世界に、現実感が戻ってきて…僕はここにいる、よくわからないけど、とりあえずここにいていいみたいだ、って…」
「……」
「そう思ったんだけど」
 横島は目を伏せた。
「違ったみたいだね」
「……横島さん」
「君が…」
 横島は目を閉じた。
「君が待ってたのは僕じゃなかった」


「君は…君は…今でも待ってる」
「……」
「僕じゃない。美神さんも同じだ。あの人、」
 横島は顔をあげた。
「あの人も待ってる。僕が掃除をしてると、僕を見てる。背中に視線を感じるんだよ。でも振り向くと、もう見てない。美神さんはほかの仕事をしてる。だけど窓をふいたり、雑巾をしぼったりしてると、またこっちを見てる」
「…」
「ずっと見てる。そいつが…横島が帰ってくるのを待ってるんだ」
「横島さん…」
「僕…」
 横島は首を振った。
「僕は何もできない。掃除や荷物運びくらいしか。…横島はけっこう腕の立つGSだったんだろ?…でもこのまま記憶がもどらなかったら」
 淋しく笑う。
「僕、追い出されちゃうのかな」
「そんなことありませんよ!」
 おキヌは両こぶしをにぎった。
「美神さんはそんなことしません。荷物持ちしかできなくても…。だって横島さん、ずっとそうだった。私も…私だってほとんど何もできなかったけど、日給30円でずっとここにおいてくれました。美神さんはきっと待ってくれます。私だって、私だって全部忘れてしまったこともあった。でも思い出したんです。だって私たちいつも一緒に…」
「日給30円って。そんなバカな話あるわけないだろ」
 横島はおキヌの話をさえぎった。
「頼むから、これ以上混乱させないで。ほんとのことだけを話してよ」
「何言ってるんです。本当ですよ」
「日給30円じゃ食費も出ないじゃない。そんなバカなこと」
「食べ物なんかいりません。私幽霊だったから」
「からかうのもいいかげんにしてくれ!」
 横島は叫んだ。
「何が幽霊だ。君足があるじゃないか!手も…!」
 両手首をつかみ、ひきよせる。
「どうしてそんな嘘をつくんだ!何の理由で…!」
「嘘なんかじゃありません!!」
 手首をつかまれたまま、おキヌは言い返した。
「私は幽霊だった!どうして忘れるの?!よりによって横島さんが…!」
「幽霊にどうして体があるんだよ!」
「あなたがくれたんじゃないですか!!」
 横島は目を見開いた。おキヌは言いつのる。
「体も命も!あなたがくれたんですよ?!あなたと美神さんが」
「……」
「どうして忘れるの…」
 おキヌの瞳が揺れる。
 揺れる瞳に、横島の顔が、小さく映る。
 顔は何も言わない。見つめても見つめても、言葉に詰まったまま、悲しく困惑したままだ。
「……」
 おキヌは睫をふせ、うつむいた。横島はおキヌの手を離した。


「私…私ね」
 長い沈黙の後、うつむいたまま、おキヌは口を開いた。
「ほんとは今回の仕事、ご一緒したかったんです。お二人といっしょに行きたかった。月に」
「……」
「宇宙はいぜん一度行ったことあるんですよ。幽体離脱した横島さんと一緒に、人工衛星にとりついた妖怪を払いに行ったの。二人で…青から濃紺にかわる空をどこまでも昇って…太陽風の下に、地球を見たわ」
「……」
「…おぼえてないですよね。でも私、今回は…月へは行けなかったんです。行きましょうかって言ったんだけど。美神さん、『おキヌちゃんは今回は留守番よ』って。『危険すぎるから』って言って」
「…」
「そのかわりに、嫌がる横島さんを、無理やりひっぱって行きました。横島さんがあんまり怖がるから、最後にはしばき倒して、気絶してる間にカオスさんに頼んで宇宙服着せてたみたいです。私は、美神さんってほんとーに横島さんを頼りにしてるんだなあって…それに比べて私は、役立たずだなーって…」
「……」
「幽霊だったときよりも、役立たずかもって思いました。…体があるのって気持ちいいけど、不便なこともありますよね。重すぎて飛べないし、壁抜けもできないし、わりとすぐケガしちゃって、そうするとすごく痛いし」
 おキヌは横島を見た。
「……」
「幽霊の時は、何も怖くなかった。横島さんにくっついて、どこへでも行けた。美神さんも『来るな』とは言わなかった」
「……」
「何も失くすものなかったから、怖くなかった。でも今は違います。この体が」
「……」
「体があるから。体って壊れやすいから。気をつけて動かないといけないんです。そうでないと他の人にまで迷惑がかかるわ。…仕事の時、正直それでお二人の足を引っ張ってるような気がして、辛くなることがあります。私どんくさいし、美神さんも横島さんも、今までと違って、私を守るのにいつも神経の何パーセントかを使ってる感じなんだもの」
「……」
 横島はまじまじとおキヌの顔を見つめた。
 その視線の強さに、おキヌは戸惑ったような顔になったが、言葉を待ってそのまま瞳を見つめ返す。
 横島は深呼吸を一つして、肩を落とした。


「幽霊だったって…ほんとなんだ…」
「そうですよ。さっき話したじゃないですか。山で地縛されてたのを、美神さんがワンダーホーゲルさんと入れ替えたんです」
 何をいまさら、という口調でおキヌが答える。横島は言葉を継いだ。
「…それで、幽霊としてここにきて、あとから体を手に入れて生き返ったの?」
「そうです。…美神さんと、横島さんのおかげ。お二人にもらいました」
「それは、僕が君の父親で、美神さんが母親だっていう意味?」
 おキヌはコケた。
「どうしてそうなるんですか?!」
「だって…今の話…そういう風に聞こえたんだけど」
「耳がおかしいんじゃないですか?どうしたらそんなとっぴな結論になるんです?」
「とっぴかな。そりゃ年齢はあわなそうだけど…まあオカルトがらみだし、体が1年で成長したとか、そんなんかなと」
「そんなんじゃありません。私は300年前に生まれた娘で、山に棲む妖怪を封じるために人柱になったんだけど、体は氷漬けで保存されていたので、それを美神さんと横島さんが解放してくれて、生き返った、ということです。わからないんですか?!」
「…そんなとっぴな結論、思いつかないよ」横島はぶつぶつとつぶやいた。「僕の想像力にも限界というものが」
「…とにかくそうやって生き返って、またお二人とGSのお仕事をすることになったんです。でも」
 おキヌはうつむいた。
「幽霊の時よりも役にたたない、足手まといじゃないのかな、って思うことが多いの」
「……」
「特にやっぱり、横島さんの負担が増えてる気がして。私…」
「……」
「……足手まといになりたくない、役に立ちたいって思うのに、いつも…今も、今だって、横島さん最後まで戦って、記憶までなくしたのに、私何も」
「……」
「…何もできない。困らせるばかりで。今も、いつも、横島さん一人が矢面に立って、ケガして…、私守られるばかりで、足手まといに…」
「…足手まといなんて」
 横島は口を挟んだ。
「そんなことはなかったと思うよ」
「どうしてですか?」
「…僕が横島だったら、そうは思わなかったと思う」
「あなた横島さんですよ。…でも憶えてないのに、どうしてそう思うの?」
「だって…だって君かわいいもの」
「…怒りますよ。なんの関係があるんですか」
「いや、えーっとね」
 横島はあわてて手を振り、考えつつ答えた。
「僕らは仲間だったんだろう?悪霊退治の仕事で、チームを組んでた、そうだろ?」
「ええ」
「何人か仲間がいれば、全員が同じ能力ってことはない。例えば体力なら体力で、うんと強い奴と、ちょい弱い奴と、その真ん中ぐらいの奴と…って出てくるのは普通のことだよね」
「…そうですね」
「で、どのチームでも、強めの奴が、ちょい弱い奴を守ったり、フォローしたりするのは、当たり前のことだと思うんだ。君が多少どんくさいとしても…」
「悪かったですねっ!」
「じ、自分で言ったんじゃないか。でね、僕が…横島が君をフォローする力を持ってたとして、そうするのが嫌だったはずがないって思うんだよ。君みたいな子を…」
「……」
「守れる力があるなら、それだけで嬉しかったんじゃないかな…」
「……」
「でね、君が、多少どん…、いや、多少トロ…、えーっと、とにかく、なんだ、多少運動神経に難があるんだとしてもさ、そういうのとはぜんぜん別方向の、霊能っていうか、君にしかない特技があるわけだろ?」
「……」
「何だっけ、ネクロマンサーの笛?とあとヒーリングだよね。笛のことはよくわからないけど…」
「……」
「ヒーリングが出来るなら…僕もずいぶん助けられたんじゃない?」
「そんなこと…ないですよ…私の力…あんまり強くないし…」
 横島は右ひじの包帯を解きはじめた。
「…このへん…さ、けっこう痛みがしつこくて、うずく感じなんだけど」
「……」
「ってて。…お願い…できないかな」
おキヌは無言で横島の顔を見た。横島は瞬きし、おそるおそる尋ねた。
「えと…。だめかな?」
 おキヌは目を閉じて、両の手のひらを向かい合わせにした。指を丸く曲げ、手の中に空間を作る。
「うわ…」
 その空間の中に、霊波の光が生まれる。それがとても明るく見えて、二人はもう部屋が暗くなりかけていたことに気がついた。
 絨毯の残照もすでにない。窓格子には、紫の黄昏が区切られている。夕闇に沈みかける部屋のなか、シルエットの少女がシルエットの少年に近づいて、彼のひじに灯をかざした。


 ポウッ
「…どうですか?」
「おーっ、けっこう利く、利く…!」
 霊波の光は、ふつう通常人にはそれと気づかないくらい淡いものだ。
 だが今それは、二人の間で焚き火のように明るかった。腕をまくった横島は、火に照らされる自分のひじを見、真剣な表情でそこへ手をかざしているおキヌを見た。白く照り映える横顔の、唇が動いて言葉を紡ぐ。
「いつかも、こうやって」
「……」
「横島さんに手をかざしてた」
「……」
「仕事で…森の中のお屋敷で…敵の罠にかかって、地下室に落とされたの。真っ暗で何も見えなかった。私は足をくじいてて、横島さんが神通棍を添え木に、手当してくれたわ。横島さんは、ひじをすりむいたって言って、私がヒーリングを…」
「助けてくれたんだ…」
「助けられたの私ですよ」
「おキヌちゃんがいてくれてよかった」
 おキヌは目を上げた。横島が微笑む。
「ありがとう。もうあんまり痛くない」
「……」
「ひじだけじゃなくて。何か気持ちが落ち着いて……軽くなった」
「……」
「横島もきっと、そうだったと思う。その時だけじゃない、きっとずっと助けられた。横島は戻ってくるよ。そいつは君に借りが…」
「……」
「借りが山ほどあるみたいだから。返しにくるさ。そしたら…」
「…」
「そしたら僕は消えるけど…」
 横島は目を伏せた。
「僕の分は横島にツケといて」
「……」
「遠慮なく取り立てていいから」
 顔をあげて、横島は微笑んだ。
「おキヌちゃんがいてよかった」
「……」
 おキヌは無言で一歩踏み出すと、彼に抱きついた。

全3話中の第2話です。次回で終わります。
・・・ほとんど動かず、ずーっと会話してるお話になりました。

ギャグのつもりだったのですが、読み返すと自分で思ってたより
シリアス色強めな気が・・・
・・・笑える話が書きたいな、と思って書いてます。
どっか一箇所でも、笑っていただければ幸いです。

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