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死んでも確実に生きられます(前編)

  
 貧乏人は麦を食え。
 それは、俺が生まれる遥か昔に、一人の政治家が発した言葉。
 俺にとっては、歴史の教科書でしか縁がないような言葉だ。
 だが、貧乏人が金持ちと違うものを口にするというのは、いつの時代でも行われていることなのだと思う。

「ますます世知辛い時代になっていくよな……」

 テレビのニュースを見ながら、そんな言葉が、俺の口からもれる。

「『貧乏人は毒を食え』って時代だな」

 連日のように報道される、食品への有害物質混入問題。
 もちろん例外だってあるだろうが、基本的には、原材料を安く仕上げようとして胡散臭いものを利用したせいだと思う。
 そして、結果的に市場に出回った『安価な食品』が行き着く先は……。
 そう考えると、貧乏人ほど危険なものを口にすることになる。
 最近のニュースで出てくる有害物質の中には、即効性の毒素ではなく蓄積こそが危険な物質もあるのだから、こんなものを食べ続けていたら、貧乏人は長生き出来ないさ。

「いや……
 長生き出来ないくらいで
 ちょうどいいのかもしれないな」

 景気の悪化というニュースは昔からあったような気もするが、いつのまにか、それも世界規模になってしまった。
 世界恐慌なんて単語も、それこそ歴史の教科書でしか縁がなかったはずなのに、最近では普通に耳にするようになってきたんだ。

「もう……世も末だ……」

 暦の上での世紀末は既に終わっているのに、まるで、少し遅れて『世紀末』がやってきたような感じ。
 そう、世紀末なんだ。
 ちょっと前に世界を揺るがした大事件だって、まさに世紀末を匂わせる雰囲気だったんだから。
 誰もが知っている、例の核ジャック事件。
 アシュタロス大戦とかアシュタロス戦役とも呼ばれる、あの大事件。
 もちろん、誰もが『世紀末』を感じ取っていたわけではない。『アシュタロス大戦』なんて、なんだかゲームか何かのような名前だが、それこそ大衆の反応をよく示していたのだ。他人事のようにニュースを見ていた連中が多かったわけで、当時は、俺もその一人だった。
 だが。

『実際には、
 かなり危うい戦いだったらしい』
『世界が滅亡するか否かは、
 一人の少年の選択次第だったらしい』

 そんなウワサを、後になってから、俺はインターネットで見つけてしまった。
 昔で言えば『アングラ』と言われるような、いかがわしいサイトだ。ただでさえネットの世界には嘘かもしれない情報が溢れているわけだが、俺は、そのウワサを嘘とは思わなかった。

 そして。
 こうしてオカルト関連のサイトに出入りするうちに。
 俺は、この世知辛い時代を生き抜くための、究極の裏技を夢想するようになっていた。

「健康上の問題も、経済上の問題も。
 今の『肉体』さえ捨ててしまえば
 ……もう心配する必要はない」

 つまり、『魂』だけで――『幽霊』として――生きていけばいいのだ!

 しかし、もちろん、これは現実的には不可能な策。
 あくまでも、一つの夢物語にすぎない。
 そう思って、意識の奥底にしまいこんだのだったが……。




    死んでも確実に生きられます(前編)
    
    ―― ある研究者の独白 ――




 俺は、しがない研究者だ。
 いわゆる分子生物学者というやつだ。
 ……といっても『分子生物学』という用語自体、非常に意味が広いし、でも素人には全くわけがわからない言葉だろう。
 生物の色々な現象を、分子レベルで理解することを試みる。この説明も『分子レベル』という言葉が難しいだろうが、ようするにDNAやタンパク質といった『生物のパーツ』に着目して、生命現象の謎を解いていく学問だ。
 『生物のパーツ』の正体が判明して、そのメカニズムも明らかになれば、もはや生物も工業機械のようなもの。機械を工場で量産するように、生物だって自在に作り出せるわけだ。
 いや、別に『無から生命を生み出す』ことを目標とした学問ではないのだが、まあ、そういう目標を持っている人だって、きっと存在していることだろう。
 幅広い分野なのだ。マクロの視点ではなくミクロな立場から生物の研究をしていたら、たいていは分子生物学の範疇に含まれたり、関わったりしてしまうくらいだから。

 ともかく。
 俺も分子生物学の手法を使って研究しているから、一応は、分子生物学者だ。専門はウイルスだからウイルス学者だと言いたいところだが、ウイルスにこだわっていたら、職が見つからない。
 うん、世間では『研究者』を『すごい人』とか『えらい人』とか思っているかもしれないが、実際には、明日の仕事にも困るような人々がたくさんいる業界なのだ。
 
 少し話が逸れるかもしれないが、俺が通った中学・高校は六年一貫の男子校だった。
 女子との関わりという点で、俺の学友たちは二つのタイプに大別できた。
 一つは、積極的によその女子校などに遊びに行き、異性の友人やカノジョをドンドン作り上げるタイプ。
 もう一つは、わざわざ学外に目を向けず、普通にクラスメートと遊ぶだけだから、異性の友人などいないタイプ。
 俺自身は、明らかに後者だった。

 そして。
 大学の研究室で過ごしてみると、研究者というものも、人付き合いの点で二つに大別できる気がしたのだ。
 一つは、研究だけでなく、人間関係を構築するのも上手なタイプ。こういう人々は、他の大学や研究機関の同業者とも巧みに付き合い、共同研究のためのコネなどもドンドン広がっていく。
 もう一つは、どうも対人関係が上手くなさそうなタイプ。会社勤めなんて出来そうにないから就職せず、修士課程へ、そして博士課程へと進むうちに、最終的に『研究者』になってしまう。

 この分類でいくと、俺は……。
 たぶん後者なのだろう。
 大学に入って以降、人並みに恋愛もしたが、いつも長続きしない。昔は『初めてつきあう人とずっとつきあって、将来はゴールイン』なんて女みたいな夢も描いていたが、現実は、そう甘くなかった。
 多過ぎもしないが、少なくもない人数との恋愛を経て。
 いつしか、一人でいることの方を好むようになってしまっていた。

 こういう『後者』の研究者は、次の仕事を探すためのコネも作りにくくて、『明日の仕事にも困るような人々』になっていくわけだ。
 そもそも日本には研究職が少なく、ようやく仕事にありつけても、三年とか五年とかを限度とした契約が多い。最近では大学の教員でさえ任期制になってきた。
 しかも、年限は日本だけの話ではない。外国のほうが仕事の口は多いが、そっちも、別の意味で年限がある。いわゆる『ビザ』というやつだ。

 俺も外国に四年いて、二つのラボを渡り歩いたが、それ以上次のラボを探せなかったのは、ビザがネックになったからだった。最大延長しても五年が限度のビザだったので、あと一年しか働けないという状態では、なかなか雇ってもらえなかったのだ。
 帰国して、なんとか新しい職に就くことは出来たものの……。


___________


「えっ……!?」

 俺の新しい職場は、小さな研究機関。その一室、アポトーシスについて調べているラボだった。

 アポトーシス。
 普通の人々は言葉すら聞いたことがないかもしれないが、分子生物学は誰もが知っている。
 専門家の間で一時期すごく流行ったし、当時は、なぜか一般のロボットアニメにすら、その用語が出てきたくらいだった。
 アポトーシスとは、細胞の死に方の一形態。『死』というと不吉なイメージがあるかもしれないが、アポトーシスは、むしろ『生』のための『死』。
 『プログラムされた細胞死』とも呼ばれるように。生体の成長過程で不要になった器官――よく例に挙げられるのがオタマジャクシのしっぽ――が消失するのは、アポトーシスである。
 また、『細胞の自殺』とも呼ばれるように。生体内で異常が起こった細胞が他に影響しないように自ら死んでいくのも、アポトーシスである。

「……ウイルス関連の仕事じゃないんですか?」

 ウイルス感染で細胞がやられるのも、一部はアポトーシスである。ウイルスに感染した細胞も、『生体内で異常が起こった細胞』とみなされるのだ。生体側から見れば、サッサと『感染した細胞だけ』を殺してしまえば、ウイルス増殖を抑えることが出来るわけだ。
 もちろん、ウイルスにとっては、自分が子孫を増やす前に『感染した細胞』を取り除かれては困るから、なんとかアポトーシスから逃れたい。そのために策を弄するウイルスもいるのだった。
 一方、これは実は、生体側にとっても諸刃の剣。感染した細胞を殺してしまうということは、感染細胞が多い場合には、生体のダメージにも成り得るからだ。

 そんなわけで、ウイルス感染によって引き起こされるアポトーシスというのは、ウイルス学者の目から見ても興味深い現象だった。
 てっきり、俺は、その方面の仕事を任されるのかと思ったのだが……。

「うん。
 ウイルスによるアポトーシスって、
 うちのラボでも以前には扱ってたけどね。
 もうやってないんだよ。
 去年や今年出した論文も、
 少し昔のデータをかき集めて、
 ようやく形にしただけなのさ」

 葉巻をくわえながら、ハハハと笑うボス。
 他よりも独創的な研究をしているからこそ、古いデータも色褪せない。そう主張したいらしい。

「……研究費の都合でね。
 うちも新しい分野に
 首を突っ込むことになったんだ。
 それで新しく君を雇ったわけだよ。
 ……どうせ実験手法は同じだから、
 別にウイルスじゃなくても大丈夫だろ?」

 と言いながら、彼は、机の引き出しから書類を出した。
 これが、俺のこれからの研究のための資料。
 その最初のページに記された言葉を見て。
 俺は、思わず叫んでしまった。

「れっ、霊能遺伝子!?」


___________


 霊能遺伝子群。
 その言葉自体は、俺も知っている。
 霊能力の高い人々の間で、特異的に活性化されている遺伝子群があるらしい。最近それが明らかとなり、マスコミでも大きなニュースとして取り上げられたくらいだった。
 あくまでも『霊能力の高い人々の間で特異的に活性化されている』遺伝子群であり、『霊能力の高い人々だけが持っている』わけではない。
 誰もが持っているが普通の人々の体内では眠っている、そんな遺伝子なのだ。
 この『誰もが持っている』という点を、マスコミは特に強調していた。

 なお、霊能力に関する遺伝子群ということで、日本では霊能遺伝子群と名付けられたが、英語では Ghost Sweeper Genes(GSG)と呼ばれている。『霊能力の高い人々』の代表例がゴーストスイーパー(GS)だということなのだろう。
 そして、この『Ghost Sweeper Genes』という英語名こそが、世間を騒がせることになったのだった。
 つまり、

『この遺伝子の謎が解き明かされたら、
 誰もがGSのようになれるんじゃないか?』

 という期待感を、マスコミが煽ったのだ。
 そのため、霊能遺伝子群をテーマにすれば、研究資金を獲得しやすいらしいのだが……。


___________


「……ホットな領域だよ、これは」

 葉巻に火をつけながら、ボスが続ける。

「しかも霊能遺伝子群は、どうやら
 アポトーシスにも関係するらしい。
 ……となると、うちとしても
 放っておくわけにはいかなくてね」

 話を聞きながら、俺は、パラパラと資料をめくった。
 その中には、研究費申請の書類もある。引用されている論文のタイトルを眺めていくと、確かに、霊能遺伝子がアポトーシスを引き起こすという報告がチラホラ出始めているらしい。

「……というわけで、君の研究テーマは
 『霊能遺伝子とアポトーシスの関わりについて』だ」

 いや、それ、今さらやっても手遅れだろ。
 すでに幾つか論文が出ているなら、それをやっていたグループは、今頃もっと先へ進んでいるはずだ。論文発表というのは最終的な形だから、当然まとめあげるまでに時間がかかるわけで、ひとつの論文を仕上げながら、普通は次の研究に取りかかっているものなのだ。

「まあ、安心したまえ。
 しょせん他のグループは
 アポトーシスの専門家ではない。
 うちのラボのノウハウを使えば、
 彼らとは違った研究もできるはずさ」

 俺の表情を読み取って、そんな気休めを言うボス。
 彼はさらに続けたが、むしろ、それこそが『気休め』ではなく『真のアドバンテージ』だった。

「……しかも、これまでの報告は
 ヒトの遺伝子を使ったものだろ?
 うちはマウスのホモログで
 動物実験もやるつもりだ」
「えっ!?」

 当たり前だが、霊能遺伝子群は、ヒトから見つかっている。
 マスコミもそう報道していたし、俺の知るかぎり、専門の論文報告でも、そうなっているはずだ。
 だが、ボスが言うには、似たような遺伝子が動物の脳内にもあるのだそうだ。

「霊能遺伝子関連は
 マスコミでも騒がれるから、
 専門家は慎重になっているんだ。
 だから、まだ論文になっていないし、
 学会発表すらされていないけどね。
 でも、一部の研究者は、非公式だけど
 『Ghost Sweeper Gene Homologues』
 という言葉も既に使っているよ」

 人間でいうところの霊能遺伝子群に相当するものが、他の動物にも存在する。
 そうハッキリと同定されて正式発表されるまでは、まだまだ二、三年はかかりそうだった。
 その『第一発見者』の手柄を争うグループもあるようだが、ボスの意図は、それとは違う。

「……それが同定されたら、
 研究人口もドッと増えるだろうねえ。
 なにしろ、動物実験も容易になるからね」

 ボスの考えは明白だった。
 霊能遺伝子ホモログを使う研究は、ヒト霊能遺伝子を使う以上に『ホットな領域』になるはずだ。だが、『ホット』になってからそこへ参入するのでは、もう遅いのだ。
 だから、『ホット』になると予想されるなら、今から始めておくべきなのだ。そうすれば、霊能遺伝子ホモログが正式に同定されてすぐに、こちらはそれを使った論文を発表できるだろう。
 ヒト霊能遺伝子の研究では少し乗り遅れた感があるが、同じ轍は二度と踏みたくない。そんな思惑が、ボスの言葉には滲み出ていた。


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 こうした経緯で。
 俺は、霊能遺伝子に関する研究を始めた。
 霊能遺伝子群というのは、『霊能力の高い人々の間で特異的に活性化されている遺伝子』の総称だから、実は、色々な遺伝子が含まれている。その中でも、多くの研究者が注目しているのが、九番目に報告された遺伝子――GSG9――だ。
 どうやら、これが霊力上昇に関与しているらしいと考えられており、それ故に、このGSG9に関する研究が進んでいるのだった。

「なるほど……」

 そして、アポトーシスとの関連についても、GSG9での報告があった。
 ヒト由来の培養細胞――ビンやシャーレの中で飼育できる細胞――にGSG9を過剰に導入すると、アポトーシスを起こすというのだ。特に、この現象は神経系の細胞で顕著に見られるとのこと。

「まずは……マウスの遺伝子で
 同じことが起こるかどうか、
 ……その確認からだな」

 マウスの霊能遺伝子ホモログが、本当にヒト霊能遺伝子に相当するならば。
 マウス神経系培養細胞にマウス霊能遺伝子ホモログを導入すれば、同じ現象が観察される確率が高い。
 もちろん、マウスとヒトとで『霊能』というもの自体が全く違えば、霊能遺伝子ホモログであっても別の挙動を示す可能性はある。だが、その場合は、マウスをモデル系として霊能遺伝子の研究をすること自体、成立しなくなるわけだ。ヒトもマウスも同様であるという前提でこそ、『モデル系』として使えるわけだから。
 その意味で、これは単なる後追い実験ではなく、大事な第一歩だった。


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 培養細胞に、本来持っていない遺伝子を導入することは、簡単である。
 培養細胞に、本来持っている遺伝子をさらに過剰に導入することも、簡単である。
 必要な試薬さえあれば、誰でも出来ることだ。

「まずは……順調な滑り出しだな」

 マウスGSG9をマウス神経系細胞に導入すると、アポトーシスを引き起こした。しかも、導入する遺伝子量と、アポトーシスで死んでいく細胞の数には、相関性があった。
 さらに。

「……経路も完全に
 ヒトの場合と同じというわけか」

 ひとくちに『アポトーシス』と言っても、いくつものシグナル伝達経路がある。
 『シグナル伝達経路』という言葉はわかりにくいかもしれないが、ドミノ倒しのようなものを想像してもらえばいい。
 生物の体内のイベントは、全て、小さなイベントの積み重ねなのだ。
 一つのドミノが倒れることが、次のドミノを倒すように。
 次々と『シグナル』(信号)が『伝達』する(伝わっていく)ことで、全ての現象が進行していくのだ。
 『いくつものシグナル伝達経路』ということは、このドミノのルートが複数あるということ。それは開始点が複数あるという意味でもあるし、ルートが途中で複数に分岐するという意味でもある。
 アポトーシスの経路は、カスパーゼという酵素が関係するルートと関係しないルートとに大別できるわけだが、GSG9によるアポトーシスは前者のグループだと判明したのだった。その中でも、カスパーゼ8を経てカスパーゼ3が関与するルートである。
 こうした細かい経路のチェックには専用の試薬が必要であり、ちょっと実験するだけのために購入するにしては高価なのだが、幸い、ここはアポトーシスのラボ。皆が頻繁に使用しており、フリーザーに常備されていたので、気兼ねなく使うことが出来た。

「でも……なんだか不思議だな」

 俺の頭の中に浮かぶ小さな疑問。
 なぜGSG9はアポトーシスを引き起こすのか?
 実験データ自体は、あくまでも "How?"(いかに?)を示すものであって、その "Why?"(なぜ?)を語るものではない。実験データからの解釈こそが、"Why?"(なぜ?)を説明するのだ。

「『霊能遺伝子が霊力をアップさせる』
 ……うん、それは理屈に合ってる。
 でも……。
 『霊能遺伝子がアポトーシスを誘導する』
 って、なんか変じゃないか?
 これだと……
 『霊力アップしたら脳細胞が死ぬ』
 ってことになるぞ!?」

 霊能遺伝子によるアポトーシスを最初に報告したグループは、その論文の中で、『霊能力を駆使することが脳や神経への負担になるのかもしれない』と解釈していた。
 その後の論文でも度々この説が引用されていたが、俺は、何か別の理由があるような気がしてならなかった。
 そして、研究を続けるうちに。
 俺は、手がかりを見出したのだった。


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「そうか、この遺伝子こそが……!」

 霊能遺伝子の側からではなく。
 カスパーゼ8及びカスパーゼ3を介するアポトーシスに着目することで。
 俺は、別の霊能遺伝子も全く同じアポトーシスに関係するという事実をつきとめた。ただし、アポトーシスを引き起こす方向性ではなく、アポトーシスを抑制する方向に働くのだ。
 それは、ヒトのGSG3に相当する遺伝子だった。
 
「そういうメカニズムだったのか……」

 GSG3は、霊能遺伝子群の中でも、あまり研究が進んでいない遺伝子である。
 どうやら霊力を下げる方向性で機能すると言われており、それが示唆された時点で、研究する者がドッと減ったのだ。
 霊能力が高い人々の中で活発な遺伝子なのに、逆に下げる方向。それは不思議であり、ある意味興味深いのだが、『霊力を下げる』方向では研究費が稼げないのだった。

「GSG3は、霊力が高すぎる人の
 アポトーシスを抑えるためのもの……」

 霊力低下遺伝子というだけでは理屈に合わないGSG3だったが、こうしてGSG9とセットで考えれば、矛盾もしないわけだ。

「……いわゆる霊能力者は、
 GSG9によって霊力が上昇している。
 しかしGSG9には、
 脳細胞を殺すという副作用もあるので、
 それを抑えるために、
 GSG9とは全く逆の効果の遺伝子
 ……つまりGSG3も活性化されているわけだ」

 その両者のバランスが、正常に霊能力を発揮する上で大切なのだろう。
 しかし……。
 ここで、最初の疑問が蘇る。
 なぜ、GSG9には『脳細胞を殺す』働きがあるのだろうか?
 なぜ、そんな『副作用』を保持してしまったのだろうか?


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「これだ!」

 その答は、思いもよらぬところから降ってきた。
 自分自身の実験データからではなく。
 他人の論文報告からでもなく。
 研究の息抜きでやっていたインターネット、俺が時々出入りしていたアングラなサイトに、最後のヒントが転がっていたのだった。

「魂の焼きつき現象……」

 幽霊というのは、普通は死んだ人間の魂が残ったものだが、それとは別に擬似的な幽霊が出来ることもあるのだという。
 テレビの画面に同じ映像を長時間映し続けると『焼きつき』が起こるように。
 空間に魂の残像が焼きつけられて、それが幽霊となるのだそうだ。
 もちろん、そんな現象は頻繁には起こらない。その人物やその場の属性が霊的に強力じゃないといけなくて……。

「そうだよ、『霊的に強力』なんだよ!
 それが『幽霊』には必要なんだよ!
 なんで気づかなかったんだ、
 こんな簡単なことに……。
 ハッハッハ!!」

 誰もいない深夜のラボで。
 俺は、一人で声を出して笑っていた。

「答は……最初から
 そこに、ぶら下がってたんだ……」


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 霊能力という言葉に『霊』という文字が含まれているように。
 GSのGが『ゴースト』を意味しているように。
 これらは、当然ながら『幽霊』と関連した言葉。
 幽霊は『死』後の存在であるし、アポトーシスも細胞『死』であるし、その二つは関係している。それを、今さらながらに再認識したのだった。

 そこから、俺の思考は飛躍する。

 霊能力って……もしかすると『幽霊』と戦う力じゃなくて、『幽霊』になるための力なんじゃないだろうか?

 つまり。

 生物は、進化の過程で、死んでも魂を残す策を――幽霊として現世に留まる術を――獲得してきたのだ。
 生き続けたら次世代の邪魔になるが、『幽霊』として残るのであれば、意識や知識だけを残すことになるから、食物連鎖などからも外れるわけだ。生物界全体にも負担にならないだろう。
 これは、未練や怨念から作られる悪霊とは全く違う。むしろ、肉体を捨てて精神生命体になるようなものだ。

 そのための能力こそが『霊能力』なんじゃなかろうか?

 そんなことを思いついたのだった。
 こう考えると、霊能力の高い人が『死』に近いのだって、理屈に合う。それは副作用などではなく、それこそがGSG9の本来の機能だったのだ。
 ただし、あまり若くして死ぬのも生物種としては不都合だから、それを抑える遺伝子GSG3も用意されている……。


___________


「何をバカなことを言ってるのかね?」

 ラボのミーティングにて。
 最初は、皆に笑われてしまった。
 だから、俺には、自分の新説を支持する実験データが必要だった。
 そして俺は、ある動物実験を提案する。
 俺のボスは、一通り聞いてくれた上で、再び口を開いた。

「まあ……君の説が正しいとしたら
 それは確かに面白い論文になるだろう。
 だが……その研究が何かの役に立つのか?
 それで研究資金を獲得できるのか?」

 『研究資金』にこだわるのは、サイエンスを追究する者の言葉ではない。しかし実際問題、ラボの長としては、仕方ないのだろう。
 それを理解した上で、俺は、ポツリと答えた。

「……新しい安楽死です」

 皆の笑い声が消える。

「死んで幽霊になるメカニズムが
 科学的に明らかになって、
 誰もが『確実に』幽霊になれる時代が来たら……
 それは素晴らしい『安楽死』だと思いませんか?」

 きっと俺の表情は、マッドサイエンティストのそれだったんだろう。
 同僚の多くは、ひいてしまっていた。
 だが、一部の者たちは、ちょっと心惹かれたようだった。
 そして……幸運なことに、ボスも後者に含まれていた。

「それは……面白い話だな」

 ニヤリと笑うボスの顔には、打算の色が浮かんでいた。
 『安楽死』というテーマで研究費を出してくれそうなところを、いくつか思いついたのだろう。
 そんな研究に金を出すような機関は、ロクでもないところに違いない。これから研究をしていこうとする俺自身が、それを理解していた。


___________


 幽霊になるかどうかを調べるには、動物実験が必要だ。
 いくらなんでも、培養細胞に『魂』は残っていないだろうから。
 もしも培養細胞に魂が残っているなら、今頃、世界中の分子生物学者が祟られて呪い殺されていることだろう。

 ともかく。
 俺たちはヒトのGSGではなくマウスのGSGホモログで実験していたから、動物実験の系に移行することも簡単だった。
 手始めにマウスGSG9ホモログのみ、あるいはマウスGSG3ホモログのみで実験することも可能だったが、

「二つを組み合わせることが大切なんです!」

 と俺が強硬に主張したので、その方向で実験していくことになった。
 GSG9を活性化させると共に、逆方向のGSG3を抑える。
 つまり、GSG9遺伝子を外から過剰に送り込み、同時に、GSG3を抑制するような干渉因子も導入するのだ。
 遺伝子抑制に関しては、昔ならば遺伝子欠損マウスを作成する必要があったかもしれないが、最近ではRNAiといって、成熟したマウスや培養細胞に加えられる干渉方法が開発されている。目的の遺伝子を効率よく抑制できる干渉性RNAを、作成可能なのだ。
 また、遺伝子や干渉因子を脳細胞へ運んでいく方法に関しても、技術はドンドン進歩しているのだった。

「……これだ!」

 最初は、エレクトロポレーションを検討してみた。
 漢字では電気穿孔法と記されるように、電気で刺激して細胞の外膜に一時的な穴を空ける方法だ。だが、これには特別な装置が必要であり、また、培養細胞には適用しやすいが、動物個体レベルでは、なかなか難しい。外科手術っぽい操作も嫌だったし、胎児の段階で先に処理するのが普通らしいから、アッサリ却下。
 次に、ウイルスベクターを利用することも考えた。
 ウイルスを遺伝子の運び屋(ベクター)として使う方法である。しかし市販されている既存のウイルスベクターは、特別に脳へ向かう類のウイルスではない。ウイルスベクターとして確立されていないウイルスを使うとなると、それは、ウイルスベクターをゼロから構築することになってしまい、とんでもない大仕事となる。それに、これを使っても、脳へ注射する必要が出てくるのだ。
 そこで俺たちが着目したのが、ごく最近報告された手法だった。やはりウイルスの性質を利用しているのだが、ウイルス全体を利用するわけではない。
 神経細胞を好むウイルスの外側のパーツ。その一部を人工的に合成し、そこに目的の遺伝子などを付着させるのだという。そうすると、静脈注射でも、ちゃんと脳まで運ばれていくようになるそうだ。
 組み換えウイルスそのものを作るわけではないので、これならば、そう難しくはないはずだった。

「よかった……」

 そして。
 必要な器具や試薬を揃えた俺は、GSG9を活性化してGSG3を抑制する因子の作成に取りかかった。
 人工的に合成したパーツをアダプターとして、そこに、マウスGSG9ホモログの遺伝子そのものと、マウスGSG3ホモログに対する干渉性RNAとをくっつけて……。
 まずは、出来上がった『GSG9活性化プラスGSG3抑制因子』を神経系培養細胞でテスト。
想定したとおりに、遺伝子発現量の変化が確認された。
 いよいよ、動物実験のスタートである。


___________


 ……というわけで、今。
 俺は、動物実験室に来ていた。
 
『キーッ!?』

 よく鳴くネズミたちだ。
 彼らは、五つのカゴに、それぞれ十匹ずつ入れられていた。
 左から1、3、5番目のカゴはコントロール。生理食塩水のみを注射したマウスである。
 2番目のグループのうち半分は、同じく生理食塩水。だが、残り半分には、GSG9活性化プラスGSG3抑制因子を接種してあった。
 4番目のグループは、十匹全てに因子を注射してある。
 こうした処置は、この実験の第一段階として、既に一時間前に済ませてあった。

「ちゃんと機能しているな……」

 カゴをチェックする俺。
 今回のカゴは特別な材質――霊気を通さないと言われている物質――で覆ってあり、それぞれに一つずつ霊体検知器がついてる。これで数値を測定するのだ。
 ボスは「霊体検知器なんて胡散臭い」と渋ったが、この手の研究には不可欠だと説得して、購入にこぎ着けた。感度の良いものは高価なので手が出なかったが、俺の目的には、むしろ鈍感なくらいでいい。
 理屈では霊気を通さないはずのカゴだが、それでも、隣の霊気を検出してしまうことを恐れたのだ。感度が悪ければ、その心配も低い。
 しかも、わざわざ両隣をネガティブコントロールで挟む形にすることで、隣からの漏れの有無もチェックしている。このために、本来ならば一つで良いはずのコントロールグループを三つも用意したのだ。

「まず、今の数値は……」

 それぞれの価は、34、33、36、32、35。平均すると、34だ。単位は俺にもわからない――いわゆる『マイト』でもないらしい――が、そんなことは、どうでもいい。

「では……」

 俺は、カゴの中のネズミたちを実験台の上へと連れ出し、それぞれに処置をする。
 この段階での処置は、致死性薬物の接種。脳細胞のアポトーシスを促す薬――霊能遺伝子とは無関係のもの――を注射し、ネズミたちを殺すのだ。
 もちろん、わざわざ今日殺さなくても、GSG9を活性化しGSG3を抑制しているのだから、いずれは脳細胞がやられて死に至るはずだった。しかし、それでは霊能遺伝子の直接の影響で幽霊となるのか、あるいは単に死んだせいで幽霊になるのか、判別できない。だから、霊能遺伝子を操作していないマウスも同様の条件で殺して、比較する。
 ……それが、表向きの理由だった。

「あとは……結果を待つだけ」

 ネズミたちをカゴに戻して。
 三十分もしないうちに、全てのネズミが死に絶えた。
 そして、検知器の数値を記録する。

「36、1205、34、2409、35……!」

 成功だ。
 コントロールは、実験前のバックグラウンド程度。
 半分の霊能遺伝子を操作したグループでは、バックグラウンドの平均値をひくと1171。
 そして、全部に処理したグループでは、2375という価だった。2375/1171=2.028...だから、ちょうど二倍と言ってもよかろう。
 霊能遺伝子を操作されずに死んでも霊体は検出されないが、されてから死ぬと、その個体数に応じて霊体が検出されたわけだ。
 つまり……GSG9を活性化しGSG3を抑制することによって、幽霊となったのだ!


___________


「成功したようだな」

 俺の背後から声をかける大男。

「GSである俺には……
 幽霊となったネズミたちが
 ハッキリと見えるぞ!」

 それは、マウスの幽霊を処理するために雇っておいたGS。
 実験が成功した場合に備えて、こういう人物が必要だったのだ。

「10%だ。
 しょせんネズミごとき、
 10%の力で相手してやろう!
 ……せめてもの情けだ」

 彼は、マウスのカゴに向かって歩み寄る。
 しかし。

 プスッ!

 彼の背中に、麻酔薬が注射された。
 もちろん、その犯人は俺だ。
 俺は、意識を失って倒れた大男に向かって、言葉を吐き捨てた。

「バーカ。
 おまえみたいな三流の
 新米GSを雇ったのには、
 ちゃんと理由があるんだよ!」

 経費削減。
 ボスにはそう説明していたが、真の理由は別にあったのだ。
 なまじ腕が立つGSではなく、こうやって失敗するくらいの奴がよかったのだ。

「ネズミたちを祓われたら困るんでな。
 こいつらは……
 これから俺の部下になるんだから!」

 他にも、ボスには敢えて話さなかったことは、いくつかある。
 例えば、わざわざ今日マウスを殺す理由。
 さきほどの『表向きの理由』も嘘ではないが、大切なのは、霊能遺伝子の操作をした後あまり時間をおかずに幽霊になるということだった。遺伝子操作後、何日も何十日もかかるようでは不都合なのだ。
 また、霊能遺伝子操作の方法選択にも、秘密の理由があった。
 外科手術っぽい操作だったり、胎児の段階での処理が必要だったり、脳内接種だったり。それでは……自分に処置できないからだ!

「ククク……」

 俺は、新たな注射器を取り出した。
 中に入っているのは、GSG9を活性化しGSG3を抑制する因子。ただし今度は、マウスに対するものではなく、ヒトに対するものだ。

「今日の実験は、ある意味、
 予備実験のようなものに過ぎない」

 俺は、自分に向かって、確認するようにつぶやいた。
 ああ、そうさ。
 これから、また新たに多くのマウスを購入して、色々な条件で研究を進めていくはずだ。もっと細部を煮詰めていくはずだ。
 しかし……それをやるのは、もう俺じゃない。
 本来ならば俺がやるべきだが、俺がいなくたって、別の誰かが引き継いでくれるだろう。

「これは……
 一つの人生の終わりであると同時に、
 新たな永遠の人生の始まりでもある……」

 既に俺は、自分の説が正しいと確信していた。
 だから。

「『生』のための『死』。
 まさにアポトーシスじゃないか!」

 そう叫んで。
 俺は、自分で自分に注射した。
 俺の中にもあるはずの……GSG9を強制的に活性化し、GSG3を徹底的に抑えるために。
 この肉体を捨てて、魂だけで――幽霊として――生きていくために。




(中編に続く)
   
 この物語はフィクションです。
 霊能遺伝子群が発見されたという報告はありませんし、また、霊能遺伝子群の略称表記が万一実在の遺伝子名と重なるとしても、実在する遺伝子や化合物などとは一切関係ありません。
 なお、今回は物語全体を三つに区切りました。この続きは明日投稿します。中編からは語り手も変わりますが、中編及び後編も、よろしくお願いします。

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