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旅人帰る 1

「横島さん!!」
 病室に飛び込んだおキヌは、横島の姿を認めるなり、彼に抱きついた。
「よかった、もう会えないかと…!」
 泣きやまないおキヌに、横島はなんと答えていいかわからないようだ。とまどったように視線を泳がせ、手のやり場に困り、口の中でもごもごと、「泣かないで」を繰り返している。
「ようやく機嫌がなおったようじゃな」
 二人のかたわらで安堵の表情を浮かべている美神に、カオスが話しかけた。美神がそれに対して何か言い返す。「で、ほれ、和やかな雰囲気でギャラを…」「ギャラならもう払ったでしょ」なにやら騒ぎ始めたカオスを、現代医学の使徒、白井医師が病室の外へと追い立てた。「協力と戦果に感謝する」「また会おう」「ありがとう、美神さん、横島さん」「神族、魔族は、あなたがたに感謝します…」そういい残して、魔族の兄弟と、二人の神族の姿も、病室からかき消える。
「………」
 静かになった病室には、美神、おキヌ、横島の3人だけが残った。
「よかったですね。横島さん」
 微笑むおキヌには答えず、横島は呆然と、魔族たちが消えていった中空を見つめている。
「変な…」
 病院着で立ちすくむ横島は、首を傾げつつ呟いた。
「…変な人たちですね。手品師…ですか?」
 …様子がおかしい。おキヌはようやく、横島の異変に気づいた。
「何を…言ってるんです?」不安のために早口になる。「あの人たちは――」
「僕はいったい、誰なんでしょうか?」
 問いかける横島は、途方にくれたような笑顔で、おキヌと美神を交互に見やった。そのまなざしは掛け値なし、全く知らない人を見る時の、それだった。


「記憶喪失〜〜〜?!」
 白井医院の診察室に、美神とおキヌ、二人の声がこだまする。
「記憶喪失ってあの、長期連載マンガにはつきものの、自分やほかの登場人物のことは全部忘れるけど、一般常識とか知識とかはそのまま覚えてる、っていう、あの都合のいいアレ?」
「…現代医学的にその説明はどうかと思うが…かんたんに言えばまあその通りだ」
 美神の端的な理解に、白井医師が汗を拭きつつうなずく。
「よ、横島さんが記憶喪失…」
 おキヌは呆然とつぶやく。
「どうしよう。どうしたらいいんでしょう。どうやったら治るんですか」
「まあ、あまり無理をしないことだな」
 白井医師が白衣の襟を正しながら言った。
「ほんとうのところの原因は不明だが、心身への過度なストレスが引き金になったことは確かだろう。静かな環境において、心をゆっくりと休ませ、いたわることだな。ケガそのものはかるい打ち身が数箇所、軽症だ。心配ない」
「軽症なの。熱圏の宇宙船からぶち落ちたのに丈夫な奴ね。まあいいわ。じゃあ、つれて帰ってもいいんですね。もとのように学校へ行ったり、バイトをやったりしても…」
「…入院してても仕方がないからな。そうするしかなかろう。ただしあくまでもゆっくり、じょじょに、元の環境に慣れるようにしてやりたまえ。くれぐれも心身に負担をかけすぎんようにな…」


「んぎゃああああああっ?!!!!!」
 電気椅子に拘束された横島が叫ぶ。
 10秒たっぷり叫ばせておいて、美神はリモコンのスイッチを切った。
「ね、いいアイディアでしょ?『1.エロ本を見る』『2.反応する』そこへすかさずこうやって『3.電流を流す』と」
 しゅうしゅう、と蒸気をあげ、ぐったりしてる横島の前で、美神はあっけらかんと笑った。
「これをしばらく続ければ、あんたもすぐに衝動の抑制を学習できると思うの」
「僕はケダモノですかっ?!」
 あちこち焦げた横島が抗議する。
「そんなことしなくたって、僕だって理性くらいありますよっ!!」
「え…。あ…。あ、そう?」
 前はなかったんだけどなー。そう思いつつ、美神は彼の生真面目な勢いに押され、うなずいた。
「なんだってゆーんですか…」
 拘束をはずしながら、横島は立ち上がる。
 目を上げた表情はもう、静かなものに戻っていた。
「掃除の続き、やっときます」
「え?今日はもういいわよ」
「…事務所の部屋割とか、モノの場所を覚えるのも兼ねてるんです」
 横島は向き直った。
「やらせて…もらえないでしょうか?」
「そりゃかまわないけど…あんた昨日退院したばかりなんだし…」
「……」
 横島は雑巾のはいったバケツに手をかけ、横顔で言った。
「僕の両親、日本にいないんでしょう?」
「ええ。二人とも海外に…」
「学校でいろいろ聞きました。お金もほとんど送ってこないって。…僕、当分ここにお世話にならなきゃならないから」
 バケツを持ち上げる。
「仕事、いそいで覚えます」美神を見つめる。問いかけようとする表情がすこし不安げだ。「…ここにおいてもらえますか」
「そりゃー。もちろん…」
「ありがとうございます」
 ぺこり、と頭を下げ、バケツをかかえて、横島は出て行った。残された美神とおキヌは、顔を見合わせた。


「美神さん…このままでいいんでしょうか」
 横島が去った部屋で、テーブルにティーセットのトレイをおきながら、おキヌが口を開く。
「これじゃ横島さんが帰ってきたことにならないですよ」
 おキヌはティーカップに紅茶を注ごうとして、手を止めた。
「私…なんかいやだ…」
「なんで?」
 美神は読んでいた雑誌から目をあげた。
「まじめだし、理性的だし。私は元の横島クンよりいいと思うんだけど」
「でもなんか、火が消えたみたいじゃないですか…!前はもっとこー…」
「あれのほうがどーかしてたのよっ!!あんた、女性としてあんなセクハラ、放っといていいの?!」
 今までの横島の行状を走馬灯にして、美神が言い返す。おキヌはうつむいた。
「でも…」
「ま、元気のない横島クンがつまんないのは認めるけどさ――」
 美神は人差し指を眉間に当てた。
「横島クンを飼い馴らすなら、今しかないのよ!」
 自分に言い聞かせるように言う。おキヌはそんな美神を見やり、そしてまた視線を落とした。
「それはそーかもしれないけど、でも…」
 おキヌは小さな声で、けれどきっぱりと言った。
「私――横島さんは横島さんだから好きなんだもん……!」
 美神は目を上げた。
「バカでもスケベでも、――やっぱり元の横島さんが…」
「……」
 美神は今度は言い返さない。ただ黙って、自分でカップを手に取った。


 とんとん。
「横島さん」
 呼びかけて、おキヌは事務所最上階のその部屋のドアを開けた。
 部屋には西日が満ちていた。窓の桟を拭いていた横島が、逆光のなか振り向く。
「…おキヌ…ちゃん」
「ごせいが出ますね」
「いえどうもいたしまして…って」
 横島はまばたきした。
「君、なんだか古風な言い方するね」
「よく言われます。むかし人間なんです。私」
 工具箱を提げて、袴姿の少女は微笑んだ。横島も微笑み返し――それから憂いがちに視線を落とした。
「こんなに…日本語は全部わかるのに…」
 窓枠を拭きながらつぶやく。
「どうして自分のことは思い出せないんだろう」
 手を止めて目を上げる。
「君のことも」
「……」
「今日、学校でいろいろあったんだけど」
 横島は再び窓枠を拭き始めた。
「結局なんにもわからないんだ。横島ってどんな奴だったの、って聞いても、返ってくる答えがみんなバラバラで。『まじめに勉強する奴だった』っていうのはいいとしても、『俺の舎弟だった』とか『俺に借金がある』とかっていう人もいるし、『更衣室をのぞいたりしない人だった』っていうのはまあ…あたりまえだとしても、『私と結婚してました』とかいう人もいて、もう何を信じたらいいのか全然分からない」
「ふふふ…」
「思うんだけど…」
 横島はおキヌの顔を見た。
「横島って、すごくあつかましい、図々しい奴だった?」
「……」
「それでみんな、からかうのかと思って。なんかタフな奴だった?僕と違って」
「そうですね…」
 おキヌは答えた。
「元気で、丈夫な人でした。竜が踏んでも壊れない、って感じの」
「……」
「明るくてあけすけで。そばにいると、こう、小さなことで悩んでるのがバカバカしくなってくるの」
「ふうん」
「だから、今ここにいる横島さんが、こう、まじめで線の細そうな人なのがすごく不思議なんです。記憶がないだけじゃなくて…」
「性格が違う?」
「ええまあ」
「そう…」
 横島はすこし淋しげに微笑んだ。
「君の事だけでも…思い出せればいいんだけどな…」
「……」
 おキヌは持ってきた工具箱をテーブルの上に置いた。


「君の事を教えてよ。この除霊事務所で、バイトの同僚なんだよね。君」
「そうです。学校に行きながらここで、GSの見習いをやってるの。横島さんも同じ。横島さん、もうかなり腕の立つGSなんですよ」
「へー…」
「はじめて会った時、横島さん、ただの荷物持ちでした。…今も荷物持ちだけど。いろいろ失敗しては美神さんにしばかれて…今もそうだけど。女の人には見境がなくて…きっと一生そうだけど。えーっととにかくこの頃は、以前に比べていろいろすごく成長して、私、まぶしいくらいだったんですよ」
「…そうは聞こえなかったけど。まあいいや、えーっと、じゃあさ、君のことを教えてよ。僕のことじゃなくてさ」
「私もGS目指してるんだけど、横島さんに比べたら、まだぜんぜん。特技はね、笛と、あとヒーリングが少し」
「ヒーリング!心霊治療ができるんだ…すごいね…」
「すごくないですよ。TVのGSドラマみたいなの期待しないで下さいね。みるみる傷が治ったりとか、あんなのは無理。あんまり強くないです。私の力」
「それにしたってすごいよ。あと笛って何?」
「ネクロマンサーの笛。霊を操るの」
「吹くんだ?」
「吹くの。弱点は、相手が強すぎると息継ぎの時間が取れなくて、酸欠で倒れてしまうこと」
 横島は笑い出した。
「面白いね」
「面白くないですよ。以前もそれで、試合に負けちゃったんです」
「試合?」
「そう。女子高霊能科のクラス対抗試合」
 おキヌはなつかしげな目になった。
「横島さんも応援に来てくれたんですよ」
「僕も?」
「女子高の控え室まで、激励に来てくれるつもりだった…みたいなんですけど本人は。なんかシャワー室にいたんでひっぱたきました。…懐かしいな」
「そ、そう。…しょうがないやつだね」
「『覗』の文珠持ってたの。せっかくのすごい力、こんなことに使うなんてほんと許せないと思ったんだけど…おかげで魔理さんの心が見れて、みんな仲良くなれたから、結果オーライです」
 おキヌはふふふ、と笑った。
「横島さんといるとね、いつも結果はオーライなの」
「…『覗』…。文珠ね…美神さんにも聞いたけど…」
「そう。ね、右手出して下さい」
 横島は言われるまま右手を差し出した。
「あ、ひじ、まだ包帯取れてないんですね」
「うん。でもたいしたケガじゃないんだ。病院が念のため巻いてくれただけ」
「そうですか…。横島さん、横島さんの手はね、『ハンズ・オブ・グローリー』なんですよ」
「ハン…。何?」
「ハンズオブグローリー。栄光の手、っていう意味。横島さんが自分でそう名づけたの。私その時そこにいて『大げさな名前だなあ』と思ったんだけど…」
「……」
「今はそうは思いません」
「……」
「私、強いゴーストスイーパーを何人も知ってます。でも横島さんは特別。横島さんはね、私が知ってる中で、2番めにすごい人だわ」
「……」
 横島は、おキヌに手を取られたまま目を伏せた。
「君のことを話してよ」
 つぶやく頬がわずかに赤い。
「何も知らないから、教えてよ。君と初めて会ったのっていつ?このバイトを始めてからなの?」
「横島さんと初めて会ったのは…」
 おキヌの目に、遠い空と、雪をかぶった山脈の影が揺れた。


「初めて会ったのは…山の上です」
「山…」
「美神さんが、除霊の仕事で、ウチの田舎へ来たんです。横島さんはその助手で、大荷物しょってて山道の途中で酸欠で倒れたんです」
「酸欠で…。それで君が介抱してくれたの?}
「いいえ。私はそれを見て、この人に死んでいただこう、この人なら私と地縛を変わってくれるに違いないと思って、よく落石が落ちてくる崖の下にご案内したんです。なのに横島さんたら動物的なカンで岩をよけるから…」
「……」
「これはもー、実力で死んでいただくしかないと思って、雪山をうろついてる横島さんをつけて、石で殴りました。そしたら横島さん、錯乱して雪の中に私を押し倒したんです。びっくりしてたら、もう一人、山男さんの幽霊が出てきて、横島さんに抱きついたんです。その人、元ワンダーホーゲル部で、どうも横島さんと、男の友情であたためあう約束ができてたみたいなんですね」
「…………」
「私はこのスキにと思って、ダッシュで逃げました。横島さんは信じられないスピードで追ってきました。その後ろから、ワンダーホーゲルの人が追いかけてきて、もうむちゃくちゃだったんだけど、みんなで雪の中走ってるうちに、露天風呂に飛び込んじゃって」
「……」
「そこに美神さんがいたんです。入浴中だったから、とうぜん裸で、だもんで横島さんは一瞬で目標を私から美神さんに切り替えて、飛びつきました。『裸体のねーちゃん!!!がおーっ!もらったーっ!!』って。ケダモノそのものの動きでした。美神さんはその横島さんを手刀一発でお湯に沈めたんですよ。私を背中にかばって…」
「……」
「いま思い出しても惚れ惚れします。私は『なんてかっこいい女の人なんだろう、この人にだったら一生憑いて、いえ付いていってもいい』と…」
「……」
「その後4人で話し合って、私とワンダーホーゲルさんは、地縛を入れ替わることになりました。ワンダーホーゲルさんは山男なんで、満足して山の神になったみたいです。私は地縛が解けたので成仏しようとしたんだけど、成仏の仕方がわからなくて…。途方にくれてたら、美神さんが『成仏するにはお払いをするしかないけど、料金を払わなきゃお払いはできない。あんた、料金分ウチで働きなさい』って。『日給はフンパツして30円!』って助け舟を出してくれたんです!私は、『やりますっ!!』って即答しました」
 おキヌは顔をあげてにっこりした。
「それが、出会いです」
「……」
「私たち、3人で山をおりました。それからずっと一緒です」
「……」
「私が生き返ったりとか、途中少しいろいろあったけど、きっとこれからもずっと…」
「……」
「…横島さん?」


 横島は複雑きわまる顔をしていた。形容しがたい表情だが、あえていうなら自嘲に近い。
「どうしたんですか、横島さん」
「君まで僕をからかうの?」
「え…」
「僕、まじめに聞いたんだよ」
 横島はとられていた手をひいた。
「横島さん…」
 傷ついたようなおキヌの表情を見て、横島は一瞬ひるんだが、そのまま手を引いて、目をそらした。
「ごめん、今は笑う余裕ない」
「……」
「からかうなら明日にして。準備してくるから」
「そんな…。私、からかってなんか」
「今の話が、からかいでなくてなんなんだよ」
「……」
「山男の幽霊って、日給30円って…」
 横島は目を閉じた。数回深呼吸をすると、大きく息を吐き出す。
「横島って奴は、よっぽど冗談が好きな奴だったんだろうけど」
「……」
「だからみんな、僕に冗談ばっか言うんだろうけど。僕、どこで笑っていいのかわからないよ。過去のこと、何も分からないんだから」
「……」
「なのに…」
 やりきれなげににつぶやき、おキヌの方を見る。が、
「……」
 横島を見つめ返すおキヌの目には、涙がたまっていた。横島は言葉につまり、そして視線をそらした。
「…ごめん」
「……」
「ごめん。……君はきっと…僕が記憶を…いろいろ思い出せるように、話してくれてるんだよね」
「……」
「君の話冗談だろうけど、それでもなんとなくわかる。横島って…きっと物怖じしなくて明るくて、元気のあまってる奴だったんだね」
 ふっと体の力を抜き、
「…僕と違って」
 横島は上を向き、壁にもたれた。
「……」
 おキヌもおそるおそるその隣にゆき、壁にもたれる。
「……」
「……」
 長い沈黙の後、横島が口を開いた。
「おキヌちゃん」
「なんでしょう」
「まじめに聞くから、まじめに答えてくれる?」
「ええ」
「僕らがつき合ってたってほんと?」
「……」
「美神さんの彼氏が…西条さんが言ってた。君が僕の恋人だったって。…ほんとなの?」

原作スキマ妄想第三弾です。
今までにまして妄想率高めです。いろいろ何か間違えてます。

※おキヌちゃんの性格が変です。
※横島がパチもんです。
※美神は容赦がありません(これは原作通りか?)。

何回か続く予定です。
ご意見、ご感想お待ちしております。

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