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風が吹く丘

 喉元に刃を立てると、肛門まで一気に切り裂く。
 中から内臓を取り出し流水で綺麗に洗い流すと、水を張った鍋の中に入れた。
 鱗を剥がし、エラと内臓を取り出してもまだこの魚は鍋の中で泳いでいた。

「まだ生きているぜ」
「湯が沸けば黙る。早く次のをやれ、メシが遅くなるぞ」

 かなり薄い白髪頭の老人にそういわれて、俺は次の魚も同じように捌いた。

「これ、なんて魚だ?」
「ここいらではアラカブ(カサゴ)といってる魚だ」
「美味いのか?」
「食ってから決めるんだな」

 老人はそういいながら、ガタついた入り口を開けると外へとでていった。

 


 事務所で依頼された仕事は、ウチとしてはそう難しい仕事ではなかった。
 昔沈んだ漁船の乗組員の幽霊、それの除霊であった。資料を漁ると実質的な被害は無し、遺族会が成仏させて欲しいという依頼であった。
 こういう仕事は漁協や海上保安庁、県のお偉いさんからの依頼のはずであるが、そうではなかった。
 遺族会からの依頼であったため予算も少ないために……というのが本当の理由なのだが、たまには一人旅もやってみたいという狙いもあったため俺一人で出向いた仕事であった。
 沈んだ場所に数人の男たちが立ったまま、じっと海岸線を眺めていた。ただそれだけのことである。一点を眺めていた。俺は男たちに頷いて酒を振舞うと、文珠で成仏させた。
 一番高くついた経費は、交通費という仕事であった。
 そして仕事の仕上げのために、この老人の家を訪れているのである。
 尋ねると、老人は俺を家に上げメシを作れと命じた。
 もっとも、車が故障して困っているから泊めてくれといったのだから仕方ないことだったのかもしれない。
 老人は筏に魚を活けておりそこから数匹の魚をもってくると、魚の捌き方を俺に教えた。それに従って捌いただけである。料理なんてものは独身時代でも滅多にやったことはなかったが、どうにかなるものであった。



 五匹ほどアラカブを捌き鍋に入れると、老人が戻ってきた。まだ土がついたネギを手にしていた。

「できたか?」
「こんなもんでいいか?」

 鍋のふたを開けて見せると、老人は中を確認した。腹をみせて浮かんでいるもの、泳いでいるもの、じっとして生きているのか死んでいるのか分からないもの、いろいろといた。

「初めてにしては上手いじゃねぇか」

 老人が口の端を緩めると俺はふたをして火をつけた。

「この魚はなんていうんだ?」

 最初に捌いて冷蔵庫で寝かせてある魚を取り出した。

「そいつはチン(チヌ)っていうんだ。黒鯛って名前の方が知れてるが、ここいらじゃクロってのは黒魚(グレ)のことをいうんだ」

 魚のことをいわれてもあまりピンとはこない。食う事が専門の俺としてはあまり気にしたことがないからだ。

「なんで昆布巻かせたんだ?」

 三枚に下ろして出汁昆布で挟んだ身をまな板の上に乗せた。老人は鍋の方をじっと見ていた。

「チンは底モノでな、身がドロ食ってるから臭みがあるんだよ。昆布に臭みを取らせて、昆布の出汁を染みこませてんだよ。あまり長い時間寝かせると、昆布の味がキツくなる」

 視線は鍋に向いたままであった。
 水を弾く音がした。鍋の方を見ると、まだ生きていたアラカブが熱さに耐えかねたのか跳ねたようだ。

「地獄の釜みたいな料理だな」
「アラカブはみそ汁が一番美味いんだよ。殺して捨てるワケじゃねぇ、頭から尻尾まで出汁がでて全部食うんだ。食う分だけを殺しているんだから罰はあたらねぇよ」

 湯が跳ねるのも気にもとめずに老人はじっと鍋を見ていた。
 三枚に下ろしてある魚は刺身にした。さすがに形はかなり不揃いであった。
 鍋はアラカブの身が煮えると味噌を入れ、持ってきたネギを大量に入れた。
 お椀などという上品なものはなかった。どんぶりにアラカブを二匹ずつ入れみそ汁をよそった。ちゃぶ台にならべると、老人はじっと窓の外を見ていた。

「チンは余ったら、醤油と酒それに炒ったゴマをかけて浸けて寝かせて茶漬けにして食うとイケるぞ」
「鯛茶ってヤツか?」
「鯛なんて格好だけだ。茶漬けはチンかイッサキ(イサキ)が美味い」

 みそ汁を啜りながら老人は呟いた。

「カサゴっていったよな、俺がみたやつはまだデカかったな」
「そりゃあ沖アラってやつだ、デカいが大味で美味くねぇ。アラカブは小せぇが瀬のもんが美味ぇんだ」

 みそ汁を啜った。確かに美味い。東京では食えない味であった。











 メシの代わりに酒をついだ。地の酒らしく、知らない名だった。

「お前、どこから来たんだ?」
「東京さ」

 なにをしに来たとは聞かなかった。

「女房はいるのか?」
「ああ、一人だけな」
「何人もいてたまるか」
「4、5人欲しかったんだが、宣言した瞬間に仲間内から殺されかけた」
「当たり前だ。そういうのはこっそりやらねぇとな」

 老人が顔に皺を入れて笑った。

「子供は?」
「上が女で、下が男だ」
「一男一女か、今どきにしちゃ上等だろ」
「まぁな」

 老人のコップに酒を注ぐと、自分のコップにも酒を足した。煙草を咥えると、老人が指を二本こっちに向けた。差し出すと黄ばんだ歯を見せながら頭を数回下げた。

「じいさん身内は?」
「ガキは街に行ったままだ、正月も盆も帰ってこねぇな。ガキ連れて帰ると高くつくとよ」

 口を尖らせながら煙草を吸うと、紫煙は真上へと上っていった。
 煙草を灰皿に置き、刺身に箸をつけた。

「しかし、これ美味いな」
「美味いさ、都会じゃ食えねぇからな。獲れてから何日も経ったものを高い金払って食うなんて、よっぽど金が余ってるんだろうな」
「まぁ金に困ったのは見習いのときくらいだったからな」
「命削って金稼いで楽しいのか?」

 コップに口をつけ老人の方を見ると、切っ先から立ち上る紫煙は揺らいでいなかった。

「あんたら漁師も似たようなもんだろ、床板一枚下は地獄だって」
「古い言葉を知ってるじゃねぇか」

 老人は口元を緩めると、煙草を置きコップに口をつけた。

「なぁ……この魚、あいつらを食ってたか?」
「いや、何も感じない」
「そうか……あいつらを食った魚はもういねぇのかな」
「どうだろうな。少なくともあんたの知り合いはもうなにも恨んじゃいなかったよ」

 乗組員が見ていた場所はこの家であった。彼らはこの老人のことを気にしていたのだ。

「俺はよ、協会の馬鹿野郎が自分の金惜しさにあいつらの船を引き上げなかったのが許せねぇんだ」

 シケのために漁船が沈み、やっかいな場所に引っかかった。引き上げは可能だったが、特殊なチームでないと引き上げが難しいために、当時の協会長が引き上げを断念したと当時の新聞に載っていた。
 その協会長はこの地区では名士であり、この地区で彼に逆らうを生活することが困難であった。現在その男は県のお偉いさんである、そのため除霊費用は公的な所から出ずに遺族会からでていたのだ。

「あいつらを食った魚が、何も知らねぇ奴の口に入るなんてとんでもねぇ話だ。あいつらは、あいつらは……」

 コップを持つ手が震えていた。
 灰皿の置いていた煙草が燃え尽きていた。新しい煙草を咥えるとそれに火をつけた。ゆっくりと紫煙を吐き出すと、紫煙が隙間風に揺れながら消えていった。




 酒に酔ったせいなのか泣き言をいっていた老人だが、次第にそれは昔話へと変わり亡くなった仲間の楽しい思い出話になっていた。
 話は尽きることなく続いたが、口数は減り曖昧な返事へと変わったかと思うと船を漕ぎ出していた。

「じいさん、夜も更けた、そろそろ寝たらどうだ?」

 陽に焼けているのか酒に酔っているのか、赤黒い顔はあまり判別が効かなかった。

「お?……おう。悪かったな、愚痴ばっかり吐いちまってよ」
「美味いメシの代金にしては、安すぎるさ」

 奥の部屋に敷いてある布団に寝かせると、俺は電気を消した。

「あいつらは……あいつらはなんか言ってたか?」

 消え入るような声が聞こえた。

「あんたのことを心配していたぜ。俺たちは大丈夫だからって」
「そうか……」
「もう、寝なよ。俺みたいなのが来て疲れたろ」
「いや、久しぶりに楽しかったよ」
「そいつは光栄だな」

 老人からの返事はなかった。
 俺はコートを手にすると、ガタついた扉を開け外にでた。海からの風が刺すように冷たかった。
 煙草を咥え、風を遮りながら火をつけた。紫煙が海風ですぐに消されていく。近くに停めていた車に乗り込みキーを回した。ライトをつけ車の向きを変えると、ミラーで家の方に目を向けた。
 壊れかけたあばら家は、人がいなくなって数年が経過しているようであった。仕事がようやく終えたのを確認すると、車を走らせた。
 海側でなく山側が白くなり始めていた。風は強いが今日はいい天気になりそうだ。

「土産は茶漬けにするか……」

 老人が教えてくれた料理をカミサンと子供たちへの土産にしようと思いつくと、俺はアクセルを踏み込んだ。




 ―――END―――
遅れること二時間半!
三十分で書き終えるはずが、三時間かかっちゃった♪
すでにロスタイムじゃねぇなwww

ほとんど即興ですのでミスがあるかと思いますが、その辺は大目に見てくださるよう御願い奉ります。

ちなみに主人公は30代の横島君です。(文中で一箇所だけ文珠使ってますw)

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