in the flower of life
***
「最近任命されたっていう特務エスパー二人組の話、知ってるか?」
「んー……さぁ?」
任務の報告を終えた特務エスパーチーム『ザ・ハウンド』――宿木明と犬神初音は、B.A.B.E.L.構内を歩いていた。
最近聞いた噂話を初音にふってみたが、反応は鈍い。返答もあくびまじりである。
しかし、その大して興味もなさそうな素振りにもかまわず、明は話を続けた。
「能力は限定的らしいけどそのぶん強力で、管理官からも直々に目をかけてもらってるっていう話だ」
「ふーん。気になるの?」
「気になるっていうか……」
明はしばしどう返事をしたものか思案した。
気にならない、といえば嘘になる。
そうでなければ、そもそもこの話題を持ち出さない。
「いや、俺と年も近いっていうしさ。それに男二人のチームは珍しいだろ?」
「そっか、後輩が出来て嬉しいんだ?」
「そ、そこまでは……」
言葉を濁したまま、明確な否定はしなかった。
『ザ・チルドレン』は年少だが特務エスパーとしては先輩である。それに女の子だ。
自分たちの主任は女性だし、以前お世話になった皆本主任も、少しばかり年が離れている。何より立場が違う。
(もっとこう、気軽に話せる相手が欲しいっていうのは、事実だよ)
できれば性別は同じ相手で。
気の置けないクラスメートや、部活のチームメイトのような。
自分のパートナーに不満があるわけではないが――と、明は隣を歩く初音を見やる。
すると、初音は突然立ち止まった。
革靴の底がひとつ、リノリウム張りの廊下を叩く。
表情は先ほどまでの緩みきった眠そうな態度から一変し、緊張感を漂わせるものになっている。
「明。そこを曲がったところで、皆本と知らない奴らが話してる」
つきあたりの角を見つめながら、初音が呟いた。
「もしかして、話をすればなんとやらっていう……」
「その可能性は高い。ずいぶん若いオスの匂いだ」
「オスって……」
一応ツッコミながらも、明の胸はわずかに高鳴った。
噂によれば、その二人組は『ザ・チルドレン』の護衛・サポートとして正式に採用されたらしい。
ということは、皆本主任と共にいる可能性も非常に高いだろう。
――もしそこに、噂の特務エスパーたちがいたら、どう挨拶しよう?
皆本主任から紹介してもらえる可能性もある。
「と、とにかく、行ってみよう!」
ひとつ呼吸をおいて、初音に声をかけると足早に角を曲がる。
期待通り、そこには皆本主任と見慣れない二人の少年たちがいた。
「あの――」
明は声をかけようと駆け寄り、
「皆本おにいさんっ! おにいさんと呼ばせて下さいっ!!」
その言葉に、
「新参者の分際でなにアニキ呼ばわりしてんだ――――ッ!?」
「明――ッ!?」
反射的に、初対面の少年たちの頭をはたき倒していた。
***
「気をとり直して――こちらが、先日特務エスパーとして採用された、バレットとティム・トイだ」
「バレット特務技官であります! 『ザ・チルドレン』の護衛担当として正式に登用されました!」
皆本に紹介を受けた、背筋をぴんとのばした黒髪の少年――バレットが、敬礼の姿勢をとって一歩前へ進み出た。
「俺はティム・トイ。バレットは『鉛』、俺は『オモチャ』をコントロールできる合成能力者っす」
バレットの挨拶の後で、もう一人の銀髪を逆立てた少年――ティム・トイも進み出る。
「……つか、頭痛いんすけど」
「二人ともごめん」
明は素直に謝った。
――バレットとティムは揃いのレザージャケットを着用していた。
だが、着こなし方や雰囲気はまるで異なっている
かつての陸軍のような話し方をするバレットは襟を一番上まで留め、生真面目そうな印象を受ける。
対して、ティムは開けた襟元からチョーカーと赤いインナーをのぞかせ、快活そうな空気をまとっていた。
皆本はバレットたちと『ザ・ハウンド』のちょうど中間に立つと、今度は明たちの紹介を始めた。
「この子は犬神初音くん。簡単に言えば、姿を狼をはじめとした動物に変えることができる合成能力者だ。
念力による鎧や催眠能力による外見の変化だけでなく、身体能力も一時的に動物並みに高められる――」
「えぇッ!?」
突然、目を見開いたティムが声をあげた。
「そ、それ、ケモっ娘ってやつっすか!? 耳や尻尾が生えちゃったり!?」
「……髪が耳みたいに見えることはあるかもね」
皆本は、興奮したティムに(慣れているのか)落ち着いた様子で説明を続けた。
話題の中心でありながら蚊帳の外でもある初音は、すでに半眼になっている。
「やっぱりー、俺的には耳四つは邪道っていうかー」
「やはり獣耳の場合、人間耳は隠れた方が良いと思われます」
よくは分からないが、こだわりがあるらしい。
バレットがごく自然に話に割り込んできたが、皆本はこれも慣れた様子で、今度は聞き流した。
「この子は、宿木明くん。
精神感応の変形発動により、動物の身体を操ることが出来る」
明はバレットたちに向かい、軽く会釈した。
「ども。よろしくお願いします」
初音もそれに倣って頭を下げる。
「よろしく、バレティム――」
「って、俺らの名前をそうやって略さないで下さいッ!」
「安易な略称は誤解を招くのであります! しかもその場合、名前の順番というのは大きな意味があって――」
「あーもー、話が進まんッ!!」
皆本が『ハウンド』の前では珍しく、声を荒らげた。
「こいつらの言ってること、意味分からん」
「……そのへんはスルーしてくれ」
初音の言葉に皆本はこっそりとため息をついていた。
彼に会うのは久しぶりだったが、相変わらずエスパーたちの扱いには苦労しているらしい。
「話を続けるけど――この二人が、特務エスパーチーム、『ザ・ハウンド』だ。君たちの先輩だな」
そう言うと、皆本は明の肩に手を乗せてきた。今度は明たちに向かって話しかける。
「明くんたちも――そう、特に明くん。
彼らが、僕たち大人に言いにくいことも、同じエスパーで年の近い明くんになら相談しやすいと思うんだ。
だから、ぜひ仲良くしてやってくれないか」
(皆本さんが――俺に、頼みごとを――?)
明ははっととして、皆本を見上げた。
「チルドレンの担当主任として採用試験には僕も立ち会わせてもらってるんだ。
彼らは優秀だし任務に対しても真面目だ。その結果としてあの子たちの信頼も得ている。
ただ、趣味がちょっと、まあ、アレで……君たちも接し方にとまどうかもしれないけど……」
肩から、乗せられた手の暖かさを感じる。わずかな手の重みから、信頼の気持ちを感じる。
「あの……明くん?」
(皆本さんが――頼ってくれている――俺を!)
明は皆本をしばらく見つめていたが――静かにバレットたちに向き直ると、言った。
「今度ウチ来る!? むしろ泊まってく!?」
「「早ッ!?」」
「「もうお泊りフラグ!?」」
ツッコミは4人ほぼ同時だった。
***
見上げた時計は、もうすぐ指定の時刻を指そうとしている。
あの二人――特にバレットの生真面目そうな雰囲気から考えて、彼らは緊急の徴収でもない限り、定刻どおりにやってくるだろう。
数日前、自宅へ遊びに来るようにとの約束をとりつけた。
この急展開に皆本はとても驚いていたが、彼らが犬神・宿木邸に来訪することについては反対しなかった。
明が信用しているのはそこだった。
(あの皆本主任が登用を認めたんだ)
それだけで信用に足る人物だといえる。
ただの採用試験とは違う。チルドレンの護衛という仕事を任されている二人組だ。
『ザ・ハウンド』が単独任務に就くことは、実はあまり多くはない。
ハウンドの名が示すとおり追跡・探索に特化したチームのため、他の部隊と協力して出動することの方が多かった。
『サ・チルドレン』とも何度となく共同で任務をこなしている。
これから先、あの二人とも同じ特務エスパーとして共に働くことがあるだろう。
その前に、これから共に戦うエスパーとして交を結ぶことは意義がある。
皆本もそう考えたからこそ、明たちに彼らを紹介したのだろう。
それにしたってこの週末すぐに――というのはいささか強引すぎたかもしれないが、こういうのは早いに越したことはないと明は考えた。
数日前の邂逅を思い返していると、手の動きが止まっていた。
明はひとり苦笑をもらし、包丁を置くと、すでに盛り付けの終わった夕飯の数々を改めて見直した。
肉団子の甘酢ソースがけ、豚肉と筍の野菜炒め、牛肉と春野菜のグリル、シーフードサラダ。
台所だけでなく家全体がこれらの芳しい香りで満ちているようだ。
初音には(料理中は邪魔になることが多いので)洗濯物の取りこみや掃除を頼んでいる。それも間もなく終わるだろう。
炊飯器を見やれば、問題なくタイマーが表示されていた。
指定時刻ぴったりに炊き上がるよう予約してある。
メニューには野菜と白身魚のフリットを追加する予定だが、これは彼らが来てから油へ放りこもう。
初音が台所へひょいと顔を出してきた。
そして当然のように肉団子を口の中へ放り込む。
「こら、まだ食うな。もうすぐだから」
指についたソースを舐めとりつつ初音が言う。
「あいつらはまだ?」
「一応、17時の約束なんだけど」
二人一緒に時計を見上げた。まだあと5分ある。
「今日、すごいご馳走だね」
「お客さんが来るからな」
初音が彼らのぶんまで食べてしまうことも考え、いつもより特に肉を増量している。
(それでもまあ、初音がいることを差し引いてもかなりの量だよ)
途中で足りなくなってしまうことはないようにと思ったが、少なくともその心配はなさそうだ。
もちろん、初音がいる限り余らせて腐らせてしまうということにもならない。
「家に誰か泊まりに来るなんて、初めてだもんね」
「……あぁ」
何の物音もしなかったはずだが、突然初音は首を玄関の方向へ向けた。
「来た!」
そう言って台所を飛び出していく。いや、その前に肉団子をもう一つ失敬していくのが見えた。
「あっ、お前また!」
明の諌める声にかぶさるように、来客を告げるインターホンの音が響いた。
***
「バレット、ティム・トイ、以上二名到着であります!」
「ちぃーっす」
玄関で出迎えた二人は数日前に見た時と同じ、揃いの制服を着用していた。
それぞれ一泊ぶんの荷物と、バレットは紙袋を、ティムは果物の入った籠を携えている。
「ん、よく来た」
初音は家の主のように(実際そうなのだが)、鷹揚にうなづいた。
しかし彼女がひたすら注視しているのは果物籠である。
「とりあえず、上がって」
「はっ、失礼いたします!」
「お邪魔しまーす!」
明が促すと、靴を脱いだティムがまず果物籠を差し出してきた。
「えーと……つまらないものですが!」
受け取った籠の中には10個ほどの果物がかごの中におさまり、ピンクのリボンまでかけられている。
贈り物用なのだろう、形も色つやも良いものだった。
実をいえば、その気遣いが少し意外だった。
数日前。
彼らと別れた後、明と初音はもう少し詳しく二人の話を聞かせてもらっていたのだが――
――少し常識を知らないところがある。
――でも、どうか気を悪くしないでほしい。
――人とのつながり方を、彼らは今まさに学んでいるところだから。
皆本はそう言っていたが、突飛な行動をとる相手と――そしてそれに対するフォローには慣れている。
(そんな常識外れとは思わないけどな)
挨拶はしっかりしているし。
まあ、たしかにアニメや漫画が絡むと暴走するようであったが。
「ありがとう。気をつかわせちゃって悪いな」
「……実は、皆本主任にアドバイスもらったんすけどね」
どうやら皆本の方でも、この二人と明たちがうまくいくよう気をまわしていたらしい。
ティムは視線を外し、少しきまり悪そうに肩をすくめた。
「こういう時どうすればいいのか分かんなくて、皆本主任に相談したんすよ。
そしたら手ぶらはまずいからとりあえず食べ物持ってけって言われて。
ケーキやお菓子ッスか?って聞いたんですけど、そういうのの食べすぎは良くない、糖分は天然のものからとった方が良いって……
それで、果物を選んだんすけど……でも、考えたら、ちょっとお見舞いみたいだったかも……」
話終えたティムは視線だけ動かして、こちらの様子をうかがってきた。
「いや、嬉しい。つまらなくない。すごくつまってる」
初音が真顔でつぶやくと、ティムは幾分恥ずかしそうに微笑み返してきた。
「なら、良かったっす」
明も思わず笑みをもらすと、今度はバレットが茶色の紙袋を差し出してきた。
よく見るとクラフト紙に丸い絵が描いてある。猫――いや、虎?
紙袋を受け取った初音は、怪訝な表情を見せていた。
「これは……?」
「『ぜったい! チルチル』既刊ぶん、20冊であります!」
「…………」
こちらは、予想していた。
それなりに重そうな紙袋の中身を、初音は複雑な表情で見つめている。
「あ、ありがと……読んだらなるべく早く返すな」
「いえ、自分は他にも持っておりますので!」
「それ布教用っすから。他に、自分で読む用・保存用・もう一つ保存用、いくつかあるんで大丈夫っす」
買いすぎだろ。
そう明は思ったが、声には出さなかった。とにかくこれは、貸し出し専用らしい。
「えーと、それじゃ夕飯の準備はほとんど出来てるんだけど……」
「さっきから良い匂いしてますもんね! じゃー、俺らも手伝」
「ところで。実はうちの倉庫に古い人形があって、もしかしたら戦前の」
「マジっすか!?」
ティムは(アニメの話をしている時と同じくらい)目を輝かせて明を見上げてくる。
皆本の話によれば、ティムは能力のキーワードが『オモチャ』というだけでなく、純粋にオモチャそのものが好きなのだという。
最新の可動式プラモデルから、アンティーク、プレミアものの古い玩具まで。
「でも、ちょっと壊れちゃってるみたいでさ」
「あ、良ければ俺、直しますよ! 見せて下さい!」
「それなら、夕飯までもう少し時間あるから……初音、ティムを案内してやってくれ」
「わかった」
「じゃ、倉庫行ってくるっす!」
初音は紙袋を持ったまま、ティムは自分の荷物をバレットに押しつける。
「本当に日本家屋って感じっすね! マックロクロスケいねーかなー」
「とりあえず、トトロはいない」
もの珍しそうにきょろきょろ見回しているティムを促し、初音たちは廊下を歩いて行った。
「夕飯の準備が出来たら、呼びに行くからなー!」
二人の背中に呼びかける。振り返った初音に、先ほど持ち出した魚肉ソーセージの箱を投げつけた。
受け取った初音の顔には「早くね!」と書いてあった。
***
「ティムは、良かったのでありますか」
持参した荷物を置いたあと、バレットは手伝いを申し出た。
油の温度を下げすぎないよう注意しつつ、明は野菜や白身魚を放り込む。
「大したことは出来ないかとは思いますが、何か手伝いをした方が良かったのでは」
「気にしなくていいよ」
そう、こちらが仕組んだのだから。
「ティムには、メシの前に初音をここから引き離してもらおうと思ってさ」
だからわざと人形の話を持ち出したのだ、と説明した。
初音のつまみ食いで先に料理がなくなってしまうという話を、バレットは冗談と受け止めたようであったが。
「ティムはオモチャのこととなると見境がなくなるのであります。
――しかし、倉庫に戦前の銃やそのほかにも銃が眠っていたとしたら、その時はきっと自分も」
「ないから。銃刀法違反だから」
明は、先ほど受け取った果物籠に手をのばす。
リンゴ、マンゴー、キウイ、プリンスメロンなどなど――それらの中から、まず艶やかなリンゴを取り出した。
「せっかくだから、さっきの果物をデザートに出そうか」
「よろしければ自分がむきます」
「そう?」
果物ナイフを取り出そうとすると、バレットはかぶりをふった。
「いえ、持ち歩いております」
「は?」
明が聞き返すより早く、バレットはどこからか大ぶりのナイフを取り出す。
さっと水道水と洗剤で洗い流すと慣れた様子で芯をとり、皮をむき始めた。
「……何か?」
「う、上手いんだな、皮むき」
「……B.A.B.E.Lに来る前に働いていた病院で、見舞いの果物の皮をむいてやることがありましたので……」
体でリンゴを隠すようにして、少し赤くなったバレットは再び皮むきをはじめる。
――リンゴは、うさぎリンゴにされていた。
***
山盛りのフリットを揚げ終わった頃。
初音たちを呼び戻して、久しぶりの――二人きりではない夕食になった。
初音はいつも以上に良く食べ、育ち盛りの二人も何度も皿に料理を盛っていた。
皆の腹具合を見て、最後に出そうと思っていたリゾットも見事完食。
うさぎリンゴをはじめとした果物をデザートに頂き、多すぎたかのように思えた料理のほとんどが4人の胃袋に収められた。
順番に風呂へ入り、布団を3枚敷き終わった頃には、時刻は既に23時を過ぎていた。
「本当にご馳走様でした」
「マジでメシ美味かったっすよ! やっぱ病院でのメシとは違いますねー」
「自分は初音どのが腹ペコ属性だったことが意外でありました」
敷いた布団に倒れこんだ明に、二人(まだ元気だ)が声をかけてくる。
属性って何だと思ったが、延々説明を受ける気力がなかったのでそれはそのまま聞き流した。
二人は風呂上りに同じデザインで色違いのTシャツへ着替えていた。
彼らは寝巻き代わりのTシャツまで揃いのものを持っているらしい。
ただ、先ほどまで着ていた服と違い、B.A.B.E.L.のロゴではなく女の子の絵がプリントされていたが。
「じゃあ、明日は朝飯できたら適当に起こすから……」
少々食べ過ぎたせいで苦しかった腹も、ようやく落ち着いた。
今日は食料の買出しや料理の下ごしらえにずいぶん時間を費やした。
先ほどまでは疲れなど感じなかったが、風呂に入って緊張の糸が切れたのか、ひどく眠たい。
明は布団に入ろうとしたが、バレットとティムは神妙な面持ちでこちらを見つめたままで、眠ろうとする素振りを見せない。
それどころかなぜか正座までしている。
「どうかした?」
突然黙りこんだ二人に問いかけると、彼らはお互いの顔を見てひとつうなづき、意を決したように話し始めた。
「泊めてもらってるのにこんなこと悪いなと思ってはいるんすけど…」
「どうしても諦められないのであります」
「え、何……?」
若干引き気味の明を正面から見据え、
「今晩『ぜったい!チルチル』見てもいいでありますか!?」
「今晩『ぜったい!チルチル』見てもいいっすか!?」
二人は同時に言った。
「今晩て、何時?」
「深夜28時であります」
「遅っ! いやむしろ早っ!? それ午前4時じゃねーか!」
(アニメってそんな時間にやってるものなのか?
女の子が魔法で変身して戦うなんて話をなんでそんな時間にやる必要があるんだ?)
二人がやたら持ち出す『チルチル』とやらは一体何なのだろうか。
困惑する明に向かい、二人は頭を下げる。
「スンマセン、お願いします! 先週のヒキから、これからどうなるのか気になってもー」
「録画は?」
「むろん準備万端であります! ぬかりなし!」
もし録画しているなら見る必要ないのではという意味で明は聞いたのだが、それはそれ、これはこれというものらしい。
録画して繰り返し見られる安心、生で最新の放送を見る興奮。これらはきっと別物なのだ。
彼らのこの一生懸命さが、はっきりいえば明には理解不能だった。
だが。
「いいよ、毎週楽しみにしてるんだろ」
明がそう言うと、二人は顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 起こさないよう静かに――」
「じゃ、俺も5分前に起こして」
明がさっさと布団をかぶってしまったあとで、
「「……え?」」
少年たちの困惑の呟きは、やはり同時に聞こえてきた。
***
(……ここまで付き合うなんて、早まったかな)
熱中してアニメ番組を観ているバレットとティムの横で、二人との温度差を感じながら明もテレビを見ていた。
時刻は深夜28時。というか早朝4時。
外はまだ薄暗いが、このアニメが終わる頃には陽が昇るだろう。
彼らを招待した身として、また、家を預かるものとして、好きなようにやってくれ俺は寝てるからとは言えなかった――だけではない。
なにせ時間が時間だ。無理に付き合わなくても許されるだろう。
深夜に家中をうろつかれるのは困ると断ることもできた。
それなのにわざわざ付き合った理由は、ごく単純なことだ。
(ようするに、気になったんだよな)
『チルチル』とは何なのか。
二人の話によれば、このアニメは5シリーズ目になるらしい。
明も名前くらいは聞いたことがあった。大きめの書店で宣伝ポスターが貼られているのを見たこともある。
この子がチルチル、この子は主人公のライバル、と最初こそ二人は明にいろいろ説明していたのだが、次第に口数も少なくなっていき今は完全にアニメしか目に入っていない。
画面には、全体的に丸いフォルムのピンク髪の少女が映っている。
この子が主人公のチルチルらしい。
チルチルはハートに似た形の派手なステッキを振り回すと、呪文のようなものを唱えた。
すると挿入歌が流れ始め、それに合わせるようにチルチルの様子が変化していった。
チルチルは一瞬裸になり体が七色に光ったかと思うと、くるくる回りながら(そしてパンツを見せながら)ピンク色のメイド服を身にまとっていく。
≪♪かなりキてるーむーてきのパワー≫
(かなりキてる……)
明はちらと隣の二人を見やった。
彼らは一見無表情ともいえる顔をしているが、よく見れば顔をわずかに紅潮させながら真剣に見入っているのが分かる。瞬きすら惜しむように。
今、明がテレビ画面ではなく二人を見ていることに気付く素振りもない。
変身しおわったチルチルの足元には青い髪の少女――名前は先ほど教えてもらったが忘れてしまった――が、傷ついて膝をついている。
何度か立ち上がろうとしていたが、そんな力はもう残っていないようだ。
正直に言えば、明にとっては、やたら何かの弾みでパンツを見せるだけのアニメだった。
(でもきっと、それだけじゃないはずなんだ)
そうでなければ5回もアニメ化されないだろう。
そうでなければこの二人がここまではまらないだろう。
しかし、その理由が明には分からない。
分かっているのは、この主人公の名前と簡単なプロフィールくらいだ。
チルチルという女の子がなぜ戦おうとするのか――
チルチルと、チルチルが必死に守ろうとするもう一人の少女が、今までどんな風に過ごしてきたのかすら――知らないのだから。
そのことが、口惜しかった。
もちろん、今日初めて視聴した(それもストーリーの途中から)明に分かるはずがないのだが。
「ぜったい! 負けない!」
テレビ画面の中で、青い髪の少女をかばうようにして立ったチルチルが凛として言い放った。
大きな緑色の瞳がアップになったところで、エンディング曲が流れ始める。
エンディング、続けて携帯ゲーム・DVD・劇場版のなどのCMが流れてる間も、二人は無言のまま画面を凝視している。
明もまだ声をかけづらく、二人は映画館でも絶対最後まで席を立たないタイプだなと思った。
「次回『ぜったい!チルチル』ぜったい見てね☆」
そして次回予告の最後、チルチルがウィンクした瞬間。
「「萌え〜〜〜〜!!!!」」
「!?」
二つの萌える魂が、爆発した。
今まで抑えこんでいた溶岩が勢いよく噴火したかのように、二人は喋りまくる。
「変身モーション新しくなってたな!」
「動きが一部変更追加されて決めポーズも少し変わってた!」
「でもまだ途中っぽくね? 作画作業終わらなかったのかも」
「今クール中には終わるといいな」
「あのな」
「今日の作画監督って誰だっけ? テロップ見落とした」
「西尾だ。アニメージョのイラストも描いていた」
「初音が起きちまうと面倒だから」
「つーか新衣装やばくない!? すげーかわいくない!?」
「かわいいよチルチルかわいいよ……!」
「地上に舞い降りた最後の天使」
「むしろ俺の天使」
「むしろ俺の嫁」
「もーちょっと静かに」
「このシリーズが終わったら、俺、チルチルと結婚するんだ……」
「ていうかもう結婚しました(脳内で)」
「おいー」
脳がどうかしてしまった二人に、制止の声はまったく届かない。
近所迷惑にもなるし、別の部屋でまだ初音が寝ているのだ。
明はなんとか二人を落ち着かせようと口を開き――
「静かにしろッ!」
そう叫んだのは――明ではなかった。
パァンと破裂音にも近い高らかな音をたてて、扉が開け放たれた。
突然の音に驚き三人が振り返ると、そこには予想通りの人物がいた。
「オマエら……何時だと思ってる……」
予想以上の姿で。
そこにいたのは、目を光らせ牙を剥き出しにしている、巨大な狼である。
牙の間から、喉の奥から――あるいは腹の底から、低いうなり声が響いている。
(ステータス状態:怒り・空腹・寝起き――)
明は顔を引きつらせながら初音の様子を観察した。
(こちらのコマンド選択は……いのちをだいじに……)
「オマエら、うるさいッ!!」
初音が叫び、一気に襲いかかる。
「かなりキてる!?」(怒り的な意味で)
バレットが叫び、避ける。
「無敵のパワー!?」
ティムも叫び、逃げる。
「あーもう! 初音、落ち着け!」
明は呼びかけると、初音の気を逸らせるための食料はないか部屋を見渡した。
「いやそこは『マジでいいカンジ』で続けて下さいよ」
「これのどこがいい感じだッ!?」
明もついに絶叫した。
荒ぶる獣は、再びこちらへと飛びかかってきた――
***
「よーしよーし、まだ朝早いからなー、もう少し寝てようなー」
ティムとバレットが逃げ回っている間に、明が鷹に取りに行かせたソーセージを食わせるという連係プレーにより、なだめすかされた初音は咀嚼しながら再び寝室へと戻って行った。
「かわいいだけじゃ駄目……それがケモっ娘……」
「そうだな……ワイルドさを失ってはいけないな……」
「……だから何の話?」
『ケモっ娘』の洗礼を受けた二人は遠い目をしている。
逃げ惑ったためか髪は乱れ、どことなくやつれて見えた。
明は窓際に寄るとカーテンを勢いよくひっぱった。
ざぁっと気持ちのいい音を立てて、隙間から漏れていた朝の光が一気に入りこむ。
ついでに窓も開けると、少し冷たいが静謐な空気が部屋を満たした。
『チルチル』が終わった頃に昇った太陽は、今ではすっかり空全体を明るくしていた。
「どうする? 今日は休日だし、まだ寝ててもいいよ」
二人に問いかけると、ティムはバレットへ視線を投げた。
「バレットは『いつもの』行くのか?」
「ああ」
「今日くらいサボっちまえばいいのに」
「そうはいかない」
「あ、そ」
「……いつもの?」
会話の意味が分からず、明が割りこむとバレットが口を開いた。
「自分はほぼ毎日、朝は走りこみに行くなどトレーニングしております」
「ティムも?」
「俺は寝てますよ」
「自分はSPとして、能力だけでなく体術も必要ですので」
バレットはいつものように、淡々と話し続ける。
「自分の『鉛』を操る能力は、とても殺傷能力の高いものであります。
しかし、だからこそそれに頼りきって逃げないように、自分自身も鍛えなければならないのです。
我々の目的は、敵を殲滅するのではなく、あくまで『チルドレン』を守ることでありますから」
『
銃弾』の名を冠する少年はいつもの淡々とした口調のまま――
アニメの話をする時と同じくらいの真摯さを秘めた瞳で、自身の任務を語った。
「そーそー。不審者がいたとしても、基本は生け捕りっすからね」
バレットの言葉を、ティムが軽い調子で続けた。
――何故この二人が皆本に認められ、「チルドレン」の信頼も得たのか。
明は、この時改めて分かったような気がした。
「なあ、早く。行くなら行こうぜ。」
バレットの腕を引っ張りながら、ティムは立ち上がった。
そのまま思い切り伸びをすると、上げた腕を頭に回す。
「今日は俺も付き合うよ。目ぇ冴えちゃったしさ」
「走れるのか?」
「……馬鹿にしすぎだよ」
バレットの揶揄に頬を膨らませる。
「明さんはどうします? もし良ければ一緒に……」
「いや、俺はいいよ。初音が起きてきて家に誰もいなかったら、また怒るだろうから」
「あ、そっか。そうっすね」
明はなんとはなしに、先ほど初音の現れたドアを見やる。
もちろん、そこに狼の姿はない。今頃は二度寝の真っ最中だろう。
「――さっきのはさ。寝起きってのもあったと思うけど、自分だけ仲間はずれにされて面白くなかったんだよ」
二人は顔を見合わせた。困ったように、ばつの悪そうな顔をする。
「これに関しては俺も共犯だからさ。起こすわけにもいかなかったし、仕方ねーよ。
……じゃ、俺はもう少し寝てるから行ってきなよ」
明が促すと、二人は会釈して部屋を出て行った。それを見届けて、明はその場にごろりと横になる。
ここでは少し寒いが、わざわざ部屋に戻って寝なおすのも――と思っているうちに、バレットが再び戻ってきた。
驚いて体を起こす。
「……明どの」
「え、何? タオル貸した方がいいか?」
ティムも何事かとドアから顔をのぞかせている。
「自分たちのこと――皆本主任より頼まれた時。快く引き受けて頂き、ありがとうございました」
「…………」
「……そーいうのは、最後別れる時に言うもんじゃね?」
「あっ……そうか」
呆れた様子のティムに、バレットはきまり悪そうに顔を赤くした。
でも言いたい時に言った方が……などと、もごもご口の中で呟いている。
――最初は、彼のことを生真面目で固そうだと思っていたけれど。
今なら、実は表情豊かで、顔に出やすいタイプだということを知っている。
バレットの様子に明は吹き出しかけたが、笑ってはいけないと思い、なんとかこらえた。
「バレット、ティム」
代わりに、呼びかける。
「俺さ、皆本さんに『仲良くしてやってくれ』って言われたのは事実だけど。
その前から、お前らの噂聞いた時から、友達になってみたいって思ってたよ」
明の言葉に、二人はやや照れくさそうに微笑んだ。
それを見て、明もこらえていた笑みをもらす。
「じゃあ、行ってきます! 俺も行かないと、バレットが道に迷って戻ってこられなくなるかもしれないんで」
「……馬鹿にしすぎだろう」
「あ、タオルは持ってきてますんで大丈夫っすからー!」
今度こそ、彼らはばたばたと部屋を出て行った。
「だから初音が起きるってのに……」
そして、明も再びその場へ横になる。
見上げる視界には、先ほど開けた窓が見える。
その先には、青い空と、刷毛ではいたような白く薄い雲が見える。
――今日は良い天気になりそうだった。
玄関の戸が開く音がして、起き上がり窓から外を見れば、駆け出していく二人の――頼もしい後輩たちの背中が見えた。
チルチルの描かれたTシャツをはためかせ、『KANARI☆KITERU』とロゴの入ったハンドタオルを首にかけた二人の背中が――
(……やっぱりタオル貸せば良かった……あとTシャツも……)
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「何か用事あるの?」
「休みなんだしもう少しゆっくりしていけばいいのに」
そう言ったが、午後からB.A.B.E.L.本部に呼び出されているのだと二人は首を横に振った。
「今度は俺らんとこ来て下さいよ! 遊ぶものいっぱいありますから!」
「……部屋、片付けておきますので」
玄関で見送る明と初音に向かい、二人は頭を下げた。
「「どうもお世話になりました」」
明たちが同じように頭を下げると、顔を上げたバレットとティムが一瞬視線を交わす。
「それでなんすけど、明さん、初音さん」
「実は、来月――」
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「明、今読んでる巻、まだ?」
「もうちょっと」
「いつになったら表紙の青い髪の子出てくるんだろ」
「この巻で出てくる」
「ホント?」
「わ、まだ見るなよ。最初から読んだ方がいいって」
「……ねぇ、まだ?」
「もーちょっとで読み終わるから」
「…………」
「…………」
「初音、まさか明がこれ読むとは思わなかったよ」
「……んー……いや意外と、一気に読むと面白いよ。それに、」
明はバレットに借りた『チルチル』の単行本を、初音に差し出した。
「あいつらと一緒に行く前に、予習しておいた方がいいと思ってさ」
漫画を受け取ると、初音も笑顔でうなづいた。
そしてまた二人は、黙々と続きを読み始めた。
「……明、腹減った」
「え? ……あぁッ!?」
そして、読み終わる頃には時刻はもはや夕方近く。
青く晴れていた空は、すでにその色を変え始めていた。
計20冊の漫画は、二つの山となって重ねてある。
そのすぐ脇に、ピンクの髪をした少女がステッキを構えるイラストのチラシも置いてあった。
――今度は劇場でご奉仕します! 魔法メイド少女 ぜったい!チルチル THE MOVIE――
終わり
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