命とは何だろう?
未だにハッキリと定まっていない定義。
言葉だけ並べれば、
「生物として自己を維持・増殖・外界と隔離し、自己複製を繰り返し、かつ変化しうる存在」
とでも言えばいいのか。
では、擬似的に自我を持った精巧なロボットには命が無いといえるのか?
愛玩犬の形をしたペットロボットを作り物だと割り切れるのか?
人工知能を獲得し、人間と会話できるコンピューターは生きているとはいえないか?
長い間付き合ってきたロボットが壊れたら悲しくはないか?
ペットロボットがいなくなったら寂しくはないか?
人工知能が破壊されたら泣きたくはならないか?
命とは、観測者が“それ”を自己に定義づけた時に初めて生まれるものだ。
人の意識にその存在が植えつけられて初めてそれは生きているといえるのだ。
人の意識とはつまり記憶の塊。
認識し、記憶し、言葉を交わし、絆を深めることで、生命として輝きをはなつ。
記憶の中からいなくなるのは「存在の否定」。死と同義だ。
忘れられるのは恐怖。
忘却を恐れるのは、死を恐れる人間の本能。
覚えていて欲しい。
忘れないでいて欲しい。
それは、生きとし生けるもの全ての願いである。
「覚えていてやる。絶対、忘れてやるもんか。」
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消えない絆、消せない想い(後編)
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「あの親子に、これ以上かかわるな」
目の前の男はそう言った。
賢木は、その言葉が意味するところがよくわからなかった。
なぜここで政府が絡んでくる?
知らぬ間に、踏まなくてもいい虎の尾を踏んでしまったのか?
だが、あの事件を水に流すと言ってる割には、交換条件として成り立っていない。
ヤツは、“話を聞いてくれればいい”と言った。そんな取引がこの世のどこにあろうか。
「アリー達が、あんたらとどういう関係だ?」
「それについては答えられない。」
「キャリーを追っていたのと同じってことは・・・・つまり、超能力関連か?」
「・・・・・・」
男はその質問に沈黙で答えた。
無言の時が数秒間流れた後、男達が動き出した。
「ではこれで失礼するとしよう。・・・・忠告はしたからな。」
「言うこと聞かなかったらどうなる? 俺は意外と忘れっぽいからな」
「おとなしく従った方が良い。それがキミのためでもある。」
そういって部屋から3人の黒服は去っていった。
* * * * * * * * *
「で? それでどうなったの?」
皆本家のリビングでは、皆本の他、薫、葵、紫穂の全員が賢木の話に耳を傾けていた。
知らぬ間にずいぶんと時間が経っていた。あれだけあった食事も、話の間にすっかり平らげてしまい、皆本が既に食器を片付け始めていた。
賢木の話に特に興味を示したのは薫だった。彼女は男性以上にかわいい女の子が大好きだ。あの賢木が見惚れるくらいだから、相当なものだろう。想像だけがもわもわと膨らんでいるようだ。
「別に? それだけ。そこでおしまい。」
「??」
薫の期待に反して、あっさりとした賢木の回答。3人とも、賢木の言葉の意味がわからないらしい。
「どういうこと?」
「どうって・・・・そのままさ。 やつらは帰っていって、その日以来、アリー達は姿を見せなくなった。」
「え?えっ?? なんで? どーして?」
「さぁ? 今でもそこら辺はよくわからないな。 政府関連の特別な子供だったのかも。お前らみたいに。」
なんとも歯切れの悪い賢木の返答。
3人は肩透かしを食らったような気分だった。
「えーーー!? なんだよそれぇ」
「つまらんなぁ。オチとしては3点や。」
どうやら10点満点中3点らしい。今の話では赤点のようだ。
賢木はその声に反応して3人の方を見た。
そこにいたのは薫と葵だけ。1人足りない。
嫌な予感がして、反対側を振り向いた。
案の定、そこには紫穂がいた。
そして、これまた案の定、賢木の肩を触って、透視を始めていた。
普段なら瞬間的に彼女の手を払いのけるところだ。だが賢木は触られるがままにしておいた。
別にどうでも良いと思ったのか、それとも彼女ならわかってくれると思ったのか。
賢木自身よくわからなかった。
だが、このままでいいという確信はあった。
同じサイコメトラー同士、心の線引きはわきまえている。
しかも彼女はレベル7。読まなくて良い幸せを、たぶん、自分より心得ている。
賢木が見ていると、紫穂がフッと顔を上げて賢木を見上げた。
賢木と目が合う紫穂。彼女の瞳には困惑の光が浮かんでいた。
苦しいような、切ないような、やりきれないような、なんとも形容しがたい光。
賢木は目で何か合図を送った。その間、およそ2〜3秒。
賢木の陰に隠れてしまっているため、そのやり取りは薫と葵からは見ることが出来なかった。
2人が動かないので、葵が2人の様子をのぞこうとしたそのとき、紫穂が声をあげた。
「・・・ふーん。どうやらホントみたいね。ここから先は何にも無いわ。」
「こらこら、人の思考を勝手に読むなよ。」
賢木が紫穂を諌める。
だが怒っているわけでもなさそうだ。どうやら本当に何も無いらしい。
「つまんなーーい。風呂でもはいろっと。」
「ホンマ、ホンマ。0点や0点。」
とうとう落第してしまった。
納得いかない結末に、ブーブーと文句を言いながら2人はバスルームへ去っていった。
少し遅れて、紫穂が2人の後を追った。
リビングのドアから出て行く際、賢木を振り返った。
彼女は怒っているような、泣いているような、どちらともつかない表情をしている。
紫穂と目が合った賢木は、右目だけウインクして答えた。
それを見た彼女は、軽いため息を吐いて、あきらめたような表情で、リビングから出て行った。
「賢木・・・・・」
3人娘が去った後、皆本が賢木に声をかける。
友人の心の内を知っているからこそ、あの子達には見せられないことがあるのだ。
「さて・・・と、ここからは大人の時間だ。一杯つきあえよ、皆本。」
* * * * * * * * *
午後11:30。
リビングには賢木と皆本がテーブルを挟んで向かい合って座っていた。他の3人はもう寝てしまったようだ。
テーブルの上にはチェス盤が置かれていた。開始から1時間は経過したはずだが、駒があまり動いていなかった。
あくまで、会話するうえでの舞台装置の一つのようだ。
2人は先ほどから、賢木が持ってきた日本酒をちびちびと飲みながら会話していた。
これまでのこと、今日あったこと、仕事のこと、果ては女の子の趣味にいたるまで、取り留めのない話をしていたが、2人が同時にグラスに口をつけた時、ふと、会話が途切れた。
曖昧な沈黙が流れる。
皆本はそれに耐え切れずに、目の前のポーンを前進させた。
カチャカチャと駒を動かす音が静かなリビングに響いた。
「そういやあ、あんときも今ぐらいの季節だったなぁ」
おもむろに賢木が口を開いた。口調は普段と変わらないが、目線は向かいに座っている皆本のそのまた向こう、壁を突き抜けた空の向こうを見ているようだ。
「賢木・・・・思い出さなくていいこともあるんだぞ。」
賢木は皆本の顔を見る。心配症な友人の顔がそこにあった。
「ん〜? あぁ・・・いやいや、勘違いするなよ皆本。
別に思い出したんじゃない・・・・忘れていないだけさ。」
「・・・・・・」
「約束だからな、アイツと俺との。 絶対忘れねぇよ。」
* * * * * * * * *
「や〜♪かわいい!」
黒服の男達がやって来たその翌日、賢木はアリーを皆本とキャロラインに紹介した。
最初は2人とも賢木と同じ反応をしたが、キャロラインがすぐに歓声をあげた。
「触っていい?」と言いながら、キャロラインはアリーが了解する間もなく、髪の毛からほっぺたから身体をペタペタと触りまくり、最後には軽く抱き着いた。
「あ・・・あの・・・・・えっと・・・・・」
あまりに突然のスキンシップにアリーが固まった。
身体は硬直し、顔も赤い。肌が白いので、余計に赤く見えた。
「コラコラコラ! アリーが固まってるだろが!」
「いーじゃない、もうちょっと触らせてよ。 ねー、アリーちゃん♪」
「え・・・えと・・・・・はい」
しばらくされるがままのアリー。
散々触りまくって、満足したのか、キャロラインは急にアリーの肩をガシッと掴み、真剣な表情をアリーに向けた。
「アリーちゃん。この人に何かイケナイいたずらをされそうになったらすぐに私に言ってね。
どこでも駆け付けるから!」
「何を言ってんだオマエは! そんなのナイナイな〜い!」
「あ・・・そういえば、最近私を見る目が怪しいかも」
「賢木、おまえ・・・・」
「ばっ!・・・おまえもテキトーなこと言うな!」
アリーは、いたずらが見つかった子供のようにペロっと舌を出した。賢木があせった顔をするのが楽しいようだ。
「あっ、そうだ! この前行けなかったクレープ屋さん、今日行こうよ!」
突然思い付いたようにアリーが言った。
そういえばそんな約束をしたようなしてないような。
「あれ?今日だったか?」
「ううん。違うけど。でも今食べたいの!」
彼女は時々、急にこういうわがままを言う。子供らしい行動と言えばそれまでだが、正直、めんどくさい時もある。だがそれを拒否すると、機嫌が急降下し、一切口を聞いてくれなくなる。結局、賢木に拒否権などありはしなかった。
「へーへー。んじゃあ行きましょうか?お嬢さま」
「うむ、早く連れていっておくれ」
いつもこんな感じなのだろう。2人の手慣れたやり取りに皆本はつい笑ってしまった。
「ははは・・・・じゃあ僕らはレポート書かなくちゃいけないからこれで」
「またね、アリーちゃん」
「あ、うん。またね。」
皆本とキャロラインは右手を上げて、バイバイと言いながら去っていった。
「ほらっ、早く行こ!」
賢木の袖を引っ張りながら皆本達とは反対側に行くアリー。
賢木自身、こんなやり取りを楽しく感じていた。
* * * * * * * * *
「う〜ん、幸せだぁ」
「・・・・・・」
「あ、こっちもおいし〜」
「いや・・・・・あのな」
「あ〜ん、こっちも捨て難いな〜」
「ちょっと・・・・・一言いいか?」
「もぐもぐ・・・・ング・・・・・ふぅ。 え? 何?」
「・・・・・・太るぞ」
2人はストリートの一角に駐車している、大型ワゴンを改造したいわゆる移動式クレープ屋の前にいた。
ここにたどりつくやいなや、アリーは、チョコバナナとイチゴショートと、マロン、チョコアーモンド、チョコストロベリーの、計5品を注文した。
ハッキリ言って、見ているこっちが胸焼けしそうな感じだが、彼女は既に3枚をいともたやすく平らげていた。
あの細い体のいったいどこに入るのか。もしかしたら小型ブラックホールでも飼っているのかもしれない。
「ちょっと!レディーにそれはないでしょ!? 単に育ち盛りなの!」
「じゃあ太ってる人はみんな育ち盛りだな」
「ふーんだ!シュージにはこの幸せがわかんないんだもんね。残念、残念。」
「いやあ、わからないっつーか、わかりたくないっつーか・・・・」
賢木が呆れて見ている中、とうとう最後の5枚目までキレイに平らげたアリーは、「満足満足」と、実に幸せそうな顔をしていた。
「しっかし、こんなんで幸せを感じるなんて、お手軽だなおまえは」
「うーん、ちょっと違うわね。」
「??」
「幸せはね、どこにでも転がってるの。 だから、どんなに小さい幸せでも、それを見つけたら、
全力で楽しむの。それが私の人生哲学よ。」
えっへん!とアリーは胸を張った。
鼻の頭についた生クリームのことは黙っておこう。
「んで、それでさ、えと・・・・そんなこと言ってから、アレなんだけど・・・・」
今の今まで幸せそうな顔をしていたアリーの調子が、そこでなぜか急にトーンダウンした。
「ん?」
「んと・・・・ここにきて、急に不幸せな話題でアレなんだけどさ・・・・・」
「え? なんだよ?」
「わ・・・私がもし、引越しとかして・・・その、いなくなったりしたら・・・・どう思う?」
「どっか引っ越すのか?」
「だから、もしも! もしもよ。」
「うーん、そうだなぁ・・・・そりゃさびしいけど、やむをえない事情じゃあ仕方が無いよな。
そん時は、送別会を盛大にパーっとやって、気持ちよく見送ってやるよ。
引越し先に着いたら連絡もらえれば、またいつでも話できるだろ?
メールでも、携帯でも。会おうと思ったら、世界の果てでも飛んでいってやるよ。」
賢木は笑いながらそう言った。世界の果てとは大げさな表現だが、賢木なら本当に来そうだ。
その言葉に、アリーは笑顔で答えた。
そして、テーブルの上に散乱していた包み紙を捨て、アリーは立ち上がった。
「今日はありがと。じゃ、帰るね。」
「あ・・・ああ」
突然のトーン変調に、なんとなくあっけに取られて、賢木はボーっとしてしまっていた。
そんな中、アリーは満面の笑顔を向けて
「さようなら」
そう言って、去っていった。
それ以来、アリーは賢木の前から姿を消した。
* * * * * * * * *
アリーが去ってから3週間が経過した。
賢木はいつものベンチに毎日通っているが、アリーの姿は見当たらない。
いつものクレープ屋にも、アイスクリーム屋にもいない。
やはり、彼女の言うとおり引っ越したのだろうか。
しかし、自分に何の連絡もなく急に引っ越すとは考えられない。
頭の中に、なぜかあの男の言葉がよぎる。
(あの親子に、これ以上かかわるな)
賢木は猛烈に嫌な予感を覚えた。
心の奥底から、黒い何かが一気に吹き出て全身を包むような不吉な感覚。
言葉では言い表せない、未来の感触。
それは、自分がエスパーだから感じることなのかもしれない。
だが、この予感はいままで外れたことがない。
そして今、賢木は皆本を連れて、アリーの家に向かっていた。
彼女の家にいったことは無いが、おおよその住所は聞いていた。
近くの住人に話を聞くと、皆、ルイスとアリーの親子のことを知っていた。
あの目立つ風貌は、近所でも評判らしい。
教えられるままに、2人は彼女達の家の前に立っていた。
いわゆる一軒家の標準的な分譲住宅だった。
家の明かりは消えている。少なくとも外から見た限りでは。
まずはインターホンを押す。
・・・・返事が無い。
続いてノックを繰り返す。
・・・・やはり返事が無い。
ためしに、ドアノブをひねる。
ガチャリ・・・
ドアが開いた。
賢木は振り返って、皆本を見た。
数秒の逡巡の後、2人は頷きあい、家の中に入った。
入ってすぐの正面は短い通路になっていて、その先はリビングルームだった。
リビングルームの右手奥はキッチンのようだ。
左手奥のドアは閉まっている。おそらく書斎か寝室だろう。
家に入ってはみたものの、人の気配が全く無い。
しかし、家財道具がそのままなので、引っ越したわけでもなさそうだ。
「賢木、僕はもうちょっと周りを見てくるから、キミは家の中を頼む。」
家の気配を察知してか、皆本はそう言って外へ出て行った。
皆本に言われるまでもなく、この家にはいない気がする。
いや、人の気配よりももっと、なにか違和感を感じる。
なんだろう・・・・・
目の前にあるのはごく普通の調度品だ。
部屋をぐるっと見渡すと、液晶テレビ、本棚、写真、カーテン、スライド式のガラス戸、食器棚、
写真、ライトスタンド、写真、テーブル、写真・・・・・
やたらと写真が多いなと思った。
コメリカ人は自立心がとても強く、個人主義なところがある反面、自分の家族をとても大事にする。
だから、家の中に家族の写真を飾るのはごくごく一般的な行為だ。
だから賢木もそれほど不思議には思わなかった。
本棚や壁、テーブルの脇に、ルイスとアリーの写真がかけてある。
写真の中のアリーは楽しそうに笑っている。その脇に見える男は、おそらく父親だろうか。
・・・・・・写真?
そうだ!
たしかにルイスとアリーと父親の写真がいっぱい飾ってある。
でも、あの子は今いくつだ?
どうみても13〜4歳くらいだろう。ジュニアハイスクールに行っててもおかしくないと思う。
だが、どの写真の彼女を見ても、今よりずっと小さい頃のばかりだ。おそらく10歳にも満たないだろう。
今の彼女の写真がどこにも無い。
明らかに不自然だ。
なぜだろう?
その理由を考えようと、賢木は頭を回転させ始めた。
思考に集中し、何気なく近くの壁に寄りかかり、手を触れた。
その時、かすかだが、人の思考が流れ込んできた。
賢木は、バッと身体を起こし、思考の元を目で追った。
どうやら、リビングルームの左手奥のドアの向こうからのようだ。
ドアの前に駆けつけ、強引にドアを開けた。
そこには、目を瞑って、横になったアリーがいた。
賢木はアリーのもとへ駆け寄った。
すぐに鼻と口、そして脈を診る。
呼吸はしているし、脈もある。
最悪の事態になっていなかったようで、とりあえずホッとした。
賢木が見ている中、アリーがうっすらと目を開けた。
「あ・・・・来ちゃったんだ。」
いつもとは違う、弱々しい口調だった。
「あ、ああ。全然姿を見せなくなったから、心配になってさ。
どうしたんだ? また風邪か?」
賢木は、熱を測ろうと、アリーの額に手を添えた。
「うーん、熱はそんなにな・・・・・・・・!!!!」
言いかけた言葉をそのままに、賢木の手は固まってしまった。
そして、ゆっくりとアリーの顔に視線を向ける。
「えへへ・・・・バレちゃったね」
「アリー・・・・お前は・・・・」
「うん、そうなの」
アリーは、これまで見たことの無いような、儚げな笑顔をみせた。
「わたし、もう死んでるの」
* * * * * * * * *
「私の身体は、ママの身体なの」
そう言う彼女の目は、もう届かない何かを追っているような、遠くをみつめる目をしていた。
「本当の私は、もうとっくに死んでいるの。
パパと一緒に、交通事故で死んでいるんだって。
それを間近で見たママが、ショックで寝込んでしまって・・・・・
多分その時だと思う。
ママの心の傷に私という人格が産まれたのは。」
「つまり、キミのママは不活性のエスパーだった。」
「うん。私が産まれた時に、眠ってた催眠能力が発動したんだと思う。
私が起きている間は、それのおかげで、見た目もママの記憶している私になっているの。
ううん、今はママの記憶よりずっと大きくなった私かな。」
それは、おそらく生きていたら今そのくらいの年代だ、という母親の願いをそのまま投影した姿だろう。
「そこにね、政府の超能力研究部門が目をつけてきたの。
私達のような症例はすっごく珍しいんですって。
だから、生活保護を与えるかわりに、経過観察を申し出てきたの。
私達は特に何もすることはなく、ただ定期的に検査を受けるだけだったけど。」
話しながら、アリーの目の光がだんだんと弱くなっていく。
賢木は声をかけようとしたが、アリーが片手を賢木の目の前にかざして、「まだ大丈夫」とアピールした。
「これまでは、全く問題なかったわ。経過も順調で、私もママも一つの身体に仲良く住み分けていた。
2人同時に起きることはできないから、日記で話し合ったりしてた。
シュージのこともよく話してたよ。 ママのことナンパしそうだったことも。」
アリーはクスクスと笑った。
いや、笑ったつもりだったが、賢木から見たら弱々しく微笑んだだけだった。
「でも最近、なぜか私の存在が不安定になってきた。
私の意識が起きている時間がどんどん少なくなってきて、脳の中で私のいる場所がなくなってきたの。
検査してる人たちは、原因を突き止めようと必死だったけど・・・・・
私にはなんとなくわかってた。」
アリーは大きく深呼吸を一つした。
「私は、ママの心の傷に生きているの。私自身がママの傷。
だから、癒されれば消えてしまう一時的な存在なの。
普通は、そんなに簡単に癒されたりしないんだけど・・・・
でもわたしは、癒された。毎日がとっても楽しかった。 あなたに会ってから。」
あの男の言葉がまた思い出された。
「かかわるな」とはそういうことか。
賢木がかかわることで、アリーの存在が希薄になっていたのだ。
だが、ここまで関わってしまった以上、賢木を強制的に排除したら、その場合の反動が読めないから。
だから、「話を聞くだけでいい」んだ。
自然と別れることになれば、影響も最小限に留められるとヤツらは踏んだんだ。
よく考えれば、兆候はいくらでもあった。
小さな幸せを存分に楽しみ、おいしいものは食べられるだけその場で食べる。
まるで生き急いでるように見えたその行動は、自分がもうすぐ消えてしまうことを知っていたからではないか。
「まさか・・・・俺の・・・・せいで・・・・」
「ううん。そんな風に思わないで。わたし・・・・幸せだったよ。
私が生きていたのは、本当に短い間だったけど、でも・・・とっても・・・楽しかった。」
「アリー・・・・・」
賢木は右手をギュウっと爪が食い込むほど握り締めた。
優秀すぎるその頭脳が、彼女を救う手立てがないことをわからせてしまっていた。
なぜ自分にはこの少女を救うことが出来ないのか。
これだけ医学が発達してるのに、なんで女の子一人助けることができないんだ。
俺が学んできたこの技術は、いったいなんだったんだ。
天才ともてはやされて、いい気になって、俺ができないことは無いなんて言って・・・・
どうしようもない大馬鹿野郎だ。
まるで、見えない糸でつるされて、憐れに踊らされているピエロだ。
何がサイコメトラーだ!
彼女の心の悲鳴すら感じ取ることができないじゃないか!
「ねぇ・・・いいかな?」
顔を伏せて、肩を震わせている賢木を見て、アリーが声をかける。
賢木は顔を上げてアリーを見た。 おそらく、とんでもなく情けない顔をしているだろう。
いつもナンパをするときの甘いマスクになっている自信がない。
「お願いが・・・・あるんだ」
「あ・・・あぁ。なんでも言ってくれ」
「私のこと、忘れないで。ずっと、ずっと覚えていてね。
シュージが覚えている限り、私は生きているから。
シュージの心の中に生きているから。 ・・・・あなたが私の生きた証になるから。」
アリーは弱々しく笑いながら、賢木の顔にそっと手を触れた。
胸の奥がチリチリと痛む。
喉が焼けるように熱い。
心が爆発しそうだ。
まともな顔をしているか、全く自信がない。
だが、これだけはハッキリ言ってやる。
それが、俺が、俺だけがしてやれることだ。
「ああ、覚えていてやる。絶対、忘れてやるもんか。 だれに頼まれたって忘れないからな」
そう言って笑い返した。
うまく笑顔になっているかあやしかった。
それを見たアリーは、微笑み返して、そのまま目を閉じた。
次の瞬間、手足が徐々に伸び、顔つきも鼻が高く面長に変化しだした。
そのまま、ものの数秒で、その姿が身長160cm程度の大人の身体に変わった。
ルイスの姿に戻ったのだ。
賢木が見ている中、ルイスは目を開けた。
「あ・・・サカキ・・・さん」
「リデルさん・・・・アリーは・・・・」
「えぇ、いってしまったみたいね・・・・」
ルイスは虚ろになった目を虚空に向けていた。
魂を感じない瞳。 無表情という名の表情。
失った現実を思考することを拒否しているように見えた。
「・・・・リデルさん、俺は・・・・」
「何も言わないで。 あの子は言ってたでしょ?幸せだったって。 私もあなたに感謝してるわ。」
「・・・・・・」
「ありがとう、サカキさん。 あの子を看取ってくれて。
・・・・・でも、わかっていても、覚悟していても、やっぱり辛いものね。
自分の娘を・・・・2回も・・・・なくす・・・・なん・・・て・・・」
ルイスの最後は声にならなかった。
そのまま賢木に抱きつき、彼女は大声をあげて泣いた。
泣いて、泣いて、泣きはらした。
泣くことで全ての悲しみが涙と共に流れ落ちてしまうと信じているかのように。
* * * * * * * * *
賢木は自分のアパートに戻っていた。
どこをどう歩いて戻ってきたのか記憶に無い。
気が付いたら、ここにいた。
ドアを開け、部屋に入る。
明かりを付ける。
そのまま部屋に入り、入口から見て真正面の壁の前に立つ。
アパートは鉄筋コンクリート製なので、建物自体は相当頑丈なはずだ。
賢木はおもむろに、素手で壁を思いっきり殴った。
当然、壁はビクともしない。
それにかまわず、再び壁を殴る。
何度も
何度も
何度も
手の皮が破れ、肉が裂け、血がにじみ、飛び散っても殴るのをやめなかった。
壁紙には、殴った血の跡が無数にできていた。
もう痛みも何も感じない。
心も身体も、何もかも、もうどうでもいい。
こんな役立たずの身体なんか、全部持っていってしまえ。
「賢木!!」
さらに一撃を加えようとしたとき、賢木の身体が固まった。
皆本に後ろから羽交い絞めにされたのだ。
「もうやめろ! 手がこわれるぞ!!」
「いいんだよ! こわれても!」
賢木は皆本に向き直り、血だらけの両手で、皆本の襟首をつかみ、ひねり上げた。
「こんな・・・・こんな手で・・・・何を、誰を助けられるってんだ。
何が医者だ! 何がサイコメトラーだ!」
「賢木・・・・・」
「・・くしょう・・・・ちくしょう・・・・ちくしょう・・・・」
賢木は、そのまま力なく皆本の胸に頭を預け
「うああああああああああああああ!!!!」
心の底の痛みを吐き出した。
* * * * * * * * *
「実家に戻られるんですか。」
「ええ。もうここにいる必要もありませんし。」
賢木は実家に戻るというルイスを見送りに、空港に来ていた。
監視が解かれた今、ここにいる必要がなくなったようだ。
だがそれ以上に、アリーを思い出すのがつらいのだろう。
「リデルさん・・・俺は、約束しました。」
「え?」
「アイツを、アリーを忘れないって。」
「・・・・」
「覚えていることが、忘れないことが、アリーの生きた証になるから。
だから、俺が生きている限り、アリーは生きているんです。」
「・・・・ありがとう。 あの子は幸せね。想い人にそこまで言わせるんだから。」
「?」
「あの子、あなたのことが大好きだって。年が離れてるけど好きになってしまったって。
ママどうしようって・・・・そんなことが日記に書いてましたわ。」
その様子が可笑しかったのか、クスっと笑った。ルイス自身、あれ以来はじめて見せた微笑みだった。
「そうね、あなたの言うとおりだわ。思い出すことは辛いことばかりじゃない。
忘れないことが大事なのね。
私も忘れないでいるわ。あの子のために、精一杯生きて、生きて、生きつづけます。」
2人は握手を交わし、笑顔のまま別れた。
* * * * * * * * *
「その後、彼女から連絡はあったのか?」
「ああ、今でもたまにメールが来るぜ。 実家の方で再婚したらしい。」
昔話から戻ってきた賢木と皆本。
相変わらずチェスの駒は進まず、手元の日本酒だけが消費されていた。
時計を見ると、深夜1:00。
予想以上に長居してしまった。
「さっ・・・て、明日も仕事だし、とっとと帰るわ。」
軽く伸びをして、賢木は立ち上がった。
今日はいつもより飲みすぎた。タクシーで帰ろう。
リビングを出て、通路を歩き、1つ目のドアの前で止まった。
そして、なんとなくそのドアに手をあてる。
ドアの向こうには、涙目でジッと黙っている女の子が3人いるようだ。
「やれやれ、やっぱりな」
だれにも聞こえないような独り言を発し、賢木は玄関を出た。
空を見上げると、満天の星。
今日はスモッグが薄く、いつもより星がきれいに見える。
賢木は右手を空に掲げた。
もうほとんど残っていないが、手の関節にうっすらと傷跡が見える。
この手でどれだけの命が救えるのか。
あの時救えなかった命は、今だったら救えるだろうか。
答えの無い問いを空に投げかけて、一人ため息を吐く。
やっぱり今日は歩いて帰ろう。
夜の散歩もたまにはいいもんだ。
楽しかった思い出を反芻しながら、賢木はゆっくりと夜道を歩いていった。
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