4063

【後夜祭】One Step Beyond

 ───さあ、一歩前に踏み出そう。

  One Step Beyond

 夏がやって来た。梅雨が明け、太陽のまぶしく輝く暑い季節。
「おキヌちゃーん」
 私を呼ぶ声がする。真っ昼間の、日差しが一番きつい時間帯。コンビニでアイスを買って、事務所へ帰る途中、私は横島さんと偶然会った。
「いやー、今日も暑いねえ」
「どうしたんですか? 制服なんて着込んで」
「……見て、分からない?」 
 苦笑いしながら、横島さんは聞き返してくる。私の学校も、横島さんの学校もとっくの昔に夏休みに入ってて、部活に入ってない限り、学校に行く用もないはずだけれど。そうなると他には……。
「ああ。補習、ですか」
「そっ。その帰り」
「また危なかったんですか……出席日数」
「ははは……」
 また笑ってごまかす。横島さん、留年しなければ良いんだけど。
「おキヌちゃんは?」
「私、ですか。暑いからアイス買おうと思って。それでみんなの分も」
 私はビニール袋に入ったアイスを見せる。なるほどと、横島さんは頷いた。
「それにしても、おキヌちゃん……」
「はい?」
「夏はいつも、そんな格好してるんだ」
「あっ……」



 無地のキャミソールにホットパンツなんてラフな服装だった私。髪もうっとおしいので束ねて、ポニーテイルにしていた。おかげで首まわりは涼しいけれど、そういう問題じゃない。近所だからって、油断してた。こんなところで知り合い、ましてや横島さんに会うなんて。咄嗟に胸元と股下を隠したけど、あんまり意味はなかった。見られたくない格好を、よりにもよって、横島さんに見られてる。恥ずかしい……。
「いやあ、おキヌちゃんがそういう服、着てるのはなんか新鮮だなあ」
「そう、ですか?」
「普段、丈の長い服、着てる印象があるから。なおさら、ね」
 と言いつつ、横島さんの視線は上から下へと私を眺めていた。それもなんかやらしい。いやまあ、確かに私がこういう格好でいるのがいけないんだけど。だけど、なんか嬉しいかも。ふふっ。
「ところでアイス、大丈夫?」
「あっ、いけない」
 すっかりアイスのことを忘れてた。こんな炎天下にいたら、溶けちゃう。
「横島さん、事務所に行きますか?」
「そうだなあ……休みだけど、一応顔出しに行こっかな」
「じゃ、一緒に行きましょうか」
 私はぐいっと横島さんの腕を腋の下に絡めて、抱きつくように引き寄せた。ちょっと大胆かな?
「えっ」
「アイス、あるんですから。ほら、急がないと」
「あ、ああ。うん」
 私たちは事務所方面に歩き出した。でも横島さんの反応が妙にぎこちない。ちょっとびっくりしてるのかしら。私がこんなことするなんて思ってなかったからかな? 離れた方がいいのかなあ。でも腕組みなんて初めてしたから、もう少しだけくっついていようっと。
 そうしてしばらく歩いていると、横島さんがどきまぎした様子で私に話しかけてきた。
「おキヌちゃん……その、なんというか」
「どうしたんですか?」
 私は覗き込むように、横島さんの表情を窺う。すると横島さんの目線が急に泳いだ。変な横島さん。少しにやついている? なんだろう。不思議に思いながら、横島さんの顔をじっと見ているとちらちらと私の方に視線が突き刺さる。特に鎖骨の下、胸辺りに。ああ、そういう事ですか……。
「横島さん?」
 私はにっこり睨んで、腕を離した。すると横島さんの表情が凍り付き、頬から冷や汗が流れ落ちる。
「い、いや、何も見てないよ? おキヌちゃんの谷間、あ、いや。決して、目のやり場に困ったとか、柔らかい胸が腕に当たって、気持ち良かったとかそういうのじゃないからっ!」
「……それにしては、嬉しそうですよね」
 横島さんが動揺するのがはっきりと分かった。ぎくり、という音が聞こえてきそうくらい。それでその後のしどろもどろな言い訳を見てて、私はどうしようもなくおかしくなって、笑いそうになるのを必死で堪えた。なんだか横島さんがひどく可愛らしく見えてきて、胸がくすぐったくなってくる。背中にぞわっとが走り、顔は火照りそうなくらい熱く。愛おしくてたまらない。もっと悪戯したくなってきちゃう。
「そんなにおっぱい、気になりましたか?」
「……いや、ついその」
「なら、見せてあげましょうか」
「ははは……って、ええっ?」
 急に顔をこちらに向け、目を丸くした横島さん。驚いてるけど、物凄く期待してるみたい。ふふっ、私の手の上で横島さんを転がしてる気分。よーし。
「ま、じ、で?」
「美神さんほどじゃないですけど、私もそこそこあるんですよ?」
 私は胸を強調して見せた。すると横島さんが息を呑んだ。頬を汗が一筋、つうと流れていく。迫真の表情で、私の胸を凝視する姿が妙に微笑ましく感じられた。でも、そう簡単には問屋が卸さないんですから。
「なーんて、冗談ですよ。信じちゃいましたか?」
 あっ。言った途端、横島さん、がっかりした。肩を落として、そ、そうだよねと空笑いしながら、頭を掻いている。もう、そういう顔されたら余計、意識しちゃうじゃないですか……! いやだ、また顔が熱くなってきちゃう。だめっ。
 頭の中のことを振り払い、私は間髪入れず、横島さんの前を先んじて進んだ。
「さあ、早く行きましょう。事務所まで競争です!」
「あっちょっと待って、おキヌちゃん……」
 事務所方面に向かって、駆け出した。横島さんが後を追ってくる。捕まらないように全速力で逃げる、逃げる、逃げる。息を切らせながら、一気に事務所の玄関の前まで。私は扉に寄りかかって、はぁはぁと息を吐いた。間髪入れず、横島さんがやって来る。同じく息を切らせ、膝に手をつけて、立ち尽くす。
「急に走り出すなんて」
「だって、アイス……溶けちゃいますし」
「それはっ、そうだけどさ」
 夏の日差しが思ったよりも厳しい。私たちの皮膚から、汗がじわりと噴き出してくる。そのせいで服が張り付いてきて、感触が気持ち悪い。私は指でつまむとぱたぱた扇いだ。すると玉の汗が首筋を伝って、流れ落ちてくる。それが胸の谷間に入って、気持ち悪さが増した。ああん、もう。
「と、とりあえずさ。中に入ろうよ……早くクーラーに当たりたいから」
 横島さんも暑い、暑いと手団扇しながら、こちらに近づく。私はドアノブを捻り、横島さんを中へ引き入れて、後に続いた。外と打って変わって、クーラーの涼しい風が体中を吹き抜けてくる。
「今、帰りましたー」
 大広間に入ると、美神さんがくつろいでいた。
「おかえりなさい。あら、横島クン」
「どもっ、邪魔します」
「補習の帰り? あんたも大変ねえ」
「ええ、こってりと絞られてきました……なので美神さんの膝で一休みさせ」
 有無を言わさぬ美神さんのパンチが綺麗に顔へ決まり、横島さんはのた打ち回った。相変わらずというか自業自得というか。ちょっとむっとしちゃいます、さっき私には照れてたくせに。
「アイス、買って来ました。食べますか?」
 買ってきたのは、箱入りアイスキャンデーミルク味。
「んー、今はいいわ」
「それじゃ、冷蔵庫に入れておきますね。横島さん、ひとつどうですか?」
「ああ、食べる食べる。ありがと、おキヌちゃん」
 そう言って、横島さんは箱から一本取り出した。さすがに走ってきた後ですものね。
 残りは台所の冷蔵庫の引き出しへ。でも放り込む前に、私も箱から一本、抜き出した。袋を破ると、アイスは少し溶けている。雫がこぼれてきたので、私は慌ててそれを舌で舐め取った。
「ととと……」
 ぺろりと真っ白なアイスを一舐めしてから、口へと咥える。
 このアイスのひんやりとした食感は真夏には堪らない。
 舐めながら、さっきいた部屋へと戻ると、横島さんと美神さんが談笑していた。
「そんなもんだって。女だってたまには面倒くさがるわよ。いつもおめかしして出かけるわけでもなし」
「そうですかあ? いやまあ、いけないってワケじゃないですけど。なんだか複雑だなあ……」
「何の話ですか?」
「こいつが今日のおキヌちゃんの服装見て、夏は開放的ですねえって、鼻の下伸ばしてたから、諭してた所」
「えっ? 美神さん……」
 待って下さいっ。じゃあ、暑い日はいつもこんな格好なの、喋っちゃったんですか? ええと、どうしよう……。だって、連日の猛暑でとても我慢できなかったし、夏なんか近所歩き回る分には知り合いなんかに会うこともないだろうからって、特に着替えもせずについつい……。
「大丈夫よ、ちゃんとフォローしておいたから」
「どういうフォローですかっ」
「んー、誰だって楽な格好したいわよねってことをね。だっておキヌちゃん、最近ずっとラフな格好じゃない?」
「ええっ、マジっすかそれ!?」
「そうよ。まともに服着てるの、仕事のときくらいかしらねえ?」
 ああああ……なにも横島さんの前で言わなくても。美神さん、恨みますよ? 横島さんは横島さんで目の色輝かせて、こっちを見てるし。もう、そんな目で見ないでくださいっ。横島さんの視線をかわしつつ、私はまたアイスを口に寄せる。赤らめる顔をごまかして、急に高鳴り出す心臓の鼓動を落ち着かせながら。恥ずかしさから、目を伏せて、アイスの棒をじっと掴んで、時をやり過ごした。
「おキヌちゃん」
「ふぁい?」
 美神さんに呼ばれて、アイス咥えたまま返事してしまう。
「口元、垂れてるわよ?」
 自分の口端を指差して教えてくれる美神さん。一体何のことだろう、と思ったけれど。すぐに分かった。たらりと、溶けたアイスが唇からこぼれている。それが顎を伝って、ぽたりと鎖骨に落ちた。同時に食べかけのアイスが床に落ちてしまった。
「やんっ」
 思わず声を出すと、まただらりと口の中に溜まっていたアイスの液体がこぼれる。私は急いで口を手で塞ぎ、喉を鳴らして溶けたアイスを飲み込んだ。
「横島クン、そこの手拭き取って」
「…………」
「横島クン?」
「へっ? あ、ああ、はいっ。どうぞ」
「おキヌちゃん、ほらこれで……」
「あ、ひゃい。ありがとうございます」
 湿った布巾を受け取り、口まわりと鎖骨にこぼれた白い液体を拭き取った。落としたアイスは美神さんが拾って捨ててくれた。ちょっともったいない。
「どうしたの? ぼーっとしてたけど」
 横島さんのこと、意識しすぎて見ないようにしてた。だから、アイスずっと舐めていたんだけどそれでもやっぱり気になって。頭がいっぱいになって、我慢できなくて、食べることも忘れてぼーっとしてた。でも、そんなことを言えるわけがないじゃないですか。
「いえ、なんでもないんですっ!」
 力いっぱい声を上げるしかなかった。私ったら、何をむきになってるんだろ。
「そ、そう? なんともなければいいんだけど……おキヌちゃん、ちょっと顔も赤いわよ。熱でもあるの?」
 まさか。そう言われて、すぐ手を頬に持っていって、確かめた。熱っぽさはあんまり感じられない。
「本当に大丈夫? 薬でも飲む?」
 美神さんは心配そうにこちらを見ている。ごめんなさい。熱でも風邪でもないんです、私。顔が真っ赤になってる本当の理由なんて言ったら、恥ずかしくて死んじゃいそうです……! なにかいい理由は……そうだ!
「ほら。さ、さっき、横島さんと競争でここまで走ってきましたからっ! だから暑くて暑くて……ね、横島さん?」
「あ、ああ……そうだね……」
「……横島さん?」
 なんだかさっきから様子がおかしい。返事はうわの空。なんだかちょっと辛そうな表情。でも、顔は笑ってる。変な横島さん。
「どうしたんですか?」
「い、いや別に。ナンデモナイヨ?」
 さっき、外で腕を組んだ時より、もっとぎこちない仕草でもじもじしてる。椅子に座った状態でも見て分かる位、前かがみで腰が引けていた。
「でも。どう見ても、大丈夫じゃなさそうなんですけど」
「……サイッテー」
「えっ?」
 今、美神さんがぽつりとなにか言ったみたい。なんて言ったかは聞き取れなかったけど。すると美神さんも急に顔を赤くしだして、知らないとそっぽ向いてしまった。一体、なんなんだろう。
「おキヌちゃん、俺の事は真面目に気にしなくていいよ?」
「なに言ってるんです。そんな顔してる横島さんを黙ってみてろって言うんですか?」
「いや、そうじゃなくて」
「ダメですよ、なんかの病気だったらどうするんですか」
 私は横島さんに近づいて、顔を覗き込んだ。
「ちょっ、おキヌちゃん……勘弁して」
 さらに顔が険しくなる横島さん。物凄く苦しそう。早く何とかしないと。
「だめ、もう我慢できない……ごめん、おキヌちゃん」
「え? え?」
 ちょっと横島さん? なんだか顔から理性が消えて……。
「う、腕、掴まないでください……!」
 と、私が頼んでも横島さんは全然聞いてくれない。だんだん横島さんの力が強くなって、私に覆い被さってくる。ま、待ってください……! いくらなんでも心の準備が……。
「えー、お楽しみのところ、申し訳ないんだけど横島クン、いいかしら?」
 と、すんでのところで美神さんが横島さんを止めてくれた。
「バナナ、食べたいんだけど。食べさせてくれる?」
 それを聞いて、横島さんの動きが固まった。私から腕を離すと、ゆっくりと美神さんの方へ顔を振り向き、重々しく答えた。
「……もちろん喜んで。ただし条件が一つ」
「言ってみて」
「俺も食べたいものがあるんですけど」
「なにかしら?」
 じりじりとにじみ寄る二人。しかし美神さんは笑顔を絶やさず、目が妖しく微笑む横島さんを睨んだ。そして、横島さんは絶叫しながら飛びかかる。
「アワビの串焼きいいいいい!」
「死ねっ、このクズ♪」
「ぶへっ!?」
 瞬間、美神さんのハイヒールが横島さんの顔にめり込んで、押し出された。バックスピンキックっていうんでしょうか。きつい一撃を浴びた後、横島さんはゆっくりと仰向けになって倒れこんだ。
「横島さん、横島さん?」
 身を揺さぶっても起きてこない。気を失ったみたい。
「ったく。ホントどうしようもない」
 美神さんは大きくため息と突いて頭を掻く。
「おキヌちゃんも気をつけなさいよ? このバカ、女には見境がないんだから」
「は、はい……」
 私は驚きのあまり、心臓がバクバクと高鳴り、収まりがつかないでいた。なんて不思議な気分だろう。横島さんの力がこもった時、怖さを感じた。けれど同時に横島さんを受け入れていた。この気持ちは一体。私は気絶する横島さんを見た。すると胸がきゅっと締め付けられ、甘やかな気分に陥る。このたまらない感覚を味わいながら、私は横島さんが起きるのを待つのだった。
 

   ◇


 とくん、とくんと鳴り響く鼓動が私を甘く熟させる。
 祭囃子の音が遠く鳴り響いていた。たん、たん、たたんと太鼓の弾む音。ぴいひゃらと笛を吹く音。
 私はそれらを耳にしながら、浴室のシャワーの蛇口を捻った。裸の私は降り注ぐ熱湯を浴び、汗を洗い流す。濡れた髪をかきあげ、うなじに湯を当てる。
「ン……」
 背中を流して、上半身。胸の周りを中心に、ざざっと流して下半身に続いてゆく。
 次第に濃い湯気が浴室に立ち込めてきた。シャンプー、リンス、トリートメント、ボディソープ。
泡立てて、全身を包み込んだ。髪を丹念に洗い流し、身体も同様、白い泡で綺麗にする。
 鏡に映る自分の姿。いつも見ている美神さんのスタイルと見比べると、ため息をついてしまう。胸一つとっても、自分のと敵わない差というかなんというか。って、なに、おっぱい持ち上げながら、やってるんだろう……。比べたって仕方ないの事だけれども。やっぱり羨ましい。
「横島さん、やっぱり美神さんみたいな人がいいのかなあ……」
 そんなことはない、と思いたい。いや、絶対そうだ。じゃなければ、数日前、あんな事は起きなかった。あの後、横島さん、必死で謝ってた。私だからって事もあったんだろうけども。美神さんだったら、蹴られる以上にギタギタにされているところだろうし。
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、何でも言うこと聞きますから』
『それ、本当ですか?』
『へっ?』
 でもね、横島さん。私だって美神さんと同じ女ですからね? 私だから許してくれると思ったら、大間違いです。
『今度、弓さんと一文字さんとでお祭行くことになってるんですけど、行きたいですか?』
『い、行く行く! もちろん行く!』
『じゃあ、横島さんのおごりってことでいいですね?』
『……マジ?』
『言うこと何でも聞くって行ったのはどこの誰ですか? 私の薄着姿見て、我慢できなかった罰です♪』
 それを聞いた横島さんの顔、青ざめてたなあ。ちょっと言い過ぎちゃったかも。
 私はシャワーの蛇口を閉めて、浴室を出た。ふかふかのバスタオルで濡れた身体をよく拭き、洗面所のドライヤーを持ち出して、髪を乾かした。目盛りを最大にした、ドライヤーの熱風は私の髪を大きく旗めかす。櫛で髪を梳き、止め具で髪を束ねた。
「さてと……」
 今日はその祭りの日。私はいつになく気合を入れて、意気込む。
「それじゃ、行ってきますねー」
 瑠璃色の浴衣を着込んで、いざ待ち合わせの場所へ。
 外に出ると、むせ返るような濃い湿気と生暖かさを肌に感じた。空はどんよりと曇っている。大丈夫かなあ、天気。ちょっと心配。私は足に履いた下駄をからんころん鳴らしながら、事務所を後にした。
 着くと横島さんはとっくに来ていて、待っている。
「お待たせしました、横島さん」
 俺も今、来たばっかだからと横島さん。
「蒸し暑いですねえ、それにしても」
「ん、俺はまだ半袖だからいいけど、おキヌちゃんの方こそ大丈夫?」
 浴衣姿をじっと眺めてから、Tシャツの首元を扇いで、私に聞いてきた。
「大丈夫ですよ、浴衣って結構、風通しが良いんです」
「ああ、そうなんだ」
 私はくるりと一回りして、浴衣を見せる。するとボディソープの香りが、鼻に入ってきた。まだ残っていたみたい。横島さんにも嗅がれた……かな?
「それはそうとお祭り、始まってるみたいですね。早く行きましょう?」
「あれ、弓さんたち、待ってなくていいの」
「ごめんなさい、嘘つきました」
「……えっ?」
「弓さんたちは来ないんです。今日は私たち、二人だけなんですよ」
 横島さんは面食らった顔をして驚いている。
 妙に戸惑った表情だった。私が嘘ついたのがそんなに意外だったのかしら。
「私だけじゃ不満ですか?」
 と、覗き込んで聞いてみる。横島さんは首を振った。
「そんなことは、ないけどさ」
「ならいいじゃないですか。今日はたっぷりおごってもらいますからね?」
 祭囃子がさっきよりも近くに聞こえた。人々の流れがそれの鳴り響く方へと向かっている。祭りの夜がいよいよ幕を開くのだ。
「さあ、行きましょう」 
 そして、私たちも人波の中へと入っていく。。
 通りの両端に吊るされた、祭り提灯の光に気付く時には、日はとっぷり沈み、賑やかな夜が繰り広げられる。
 屋台が立ち並び、辺り一面、人だらけ。今日のみ車両通行止めとなった道路を、老若男女問わず練り歩いていた。じゅわわと焼きそばを焼く鉄板。パンパンと打ち鳴らされる水ヨーヨー。氷かきのけたたましい機械音で作られるかき氷。糸のように紡がれて、作られるふわふわの綿菓子。子供たちはお面をかぶって、金魚すくい、型抜き、くじ引き。そして元気良く走り抜けてゆく。
「子供たち、まるでシロちゃんみたい」
「そうだなあ。あいつがここに来てたら、わーきゃー力いっぱい騒いで、大変な事になりそうだ」
「連れて来なくて良かった?」
「……シロには内緒ってことで」
「ふふっ、言いませんよ」
 今日のこの蒸し暑さを吹き飛ばすかのように、人々が賑わい、渦巻いている。私たちは活気に溢れた雑踏の中を歩く。真っ暗になった空、でも祭りの中はとてもきらびやかに明かりが灯っている。屋台の照明がまぶしく輝くのと同時に、祭提灯の穏やかな光がぼんやりと連なり、まるで星が落ちてきたみたい。
 向こうからわっしょい、わっしょい、とお神輿がやって来た。法被を着た男の人たちが力一杯、声を出して、担ぎ上げる。金色の装飾が施された鳳凰がてっぺんに乗り、上下を移動する。他の町内から神輿もやって来ると、もう一方の神輿とせめぎ合いして、お互いどちらも譲らない。
「間近で見ると、迫力ありますねえ」
「女神輿はどこかに出てるかな……」
 この人は……。
「あ、ああっいや、いなせなオネーサンの胸揺れをばっちりとこの目に焼き付けけけけけけ!?」
 しゃくに障るので、耳を思い切りつねってやった。
「横島さん、怒りますよ?」
「あだだだだだ……!」
「ったく、さっさと行きますからね」
 耳を掴んで、横島さんを強引に引きずって行く。
「ごめん、ごめんって!! お願いだから、耳から手ぇ放して!」
「知りません!」
「ホント頼むから! 耳、千切れそうだって!」
「……っもう」
 放すと、横島さん、耳を撫でてほっとしていた。そんなに痛かったのかなあ。でも……。
「あー、痛かった。おキヌちゃん、強くつねり過ぎだよ」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「いや、だって……」
「だってもこうもありません、私は美神さんじゃないんですから!」
 そう、私は美神さんではない。あんなにきつくどついたり、殴ったりなんて出来るわけないじゃないですか。なのに横島さんは普段と変わらない。誰にだって変わらない振る舞いをする。だからそれが心苦しい。私は……、私はあなたの近くにいるだけでこんなにどきどきしてるんですよ。早く気付いてください。横島さん……。
 頬にぽつっとなにか落ちてきた。涙、じゃない。
「ん?」
 私は空を見上げた。空は真っ暗で何も見えない。するとまたぽつり。水が額に当たった。
「雨、かしら……」
 ぽつ、ぽつ、とだんだん勢いが出てくる。
 それは一瞬の出来事だった。
 まばらに降っていた雨が急に堰を切ったように大降りに変わる。ざっ、と轟音を鳴らし、大粒の雨粒が強く叩きつけられた。突然の事態に周りの人たちもあわてて四方に散ってゆく。もちろん私たちも。
「おキヌちゃん、こっちだ」
「は、はいっ」
 私の腕を引っ張って、横島さんが走り出す。走る歩幅が私と合わなくて、何度も下駄がかたっかたっとスタッカートして跳ねる。それでも必死に、私は合わせた。大きなシャワーの水流を浴びているかのような土砂降りの中を、私たちは駆け抜けていった。
 雨宿りする場所がなくて、近くの大きな公園までやって来ていた。
「あそこだ、あそこに入ろう」
「ええ」
 ちょっと暗がりの草むらの中に隠れている屋根付きの休憩所があった。私たちはそこへ急いで駆け込んで、ようやく雨をしのぐことが出来た。
「ったく、いきなりだな」
「横島さん、びしょびしょですよ」
「おキヌちゃんだって、びしょ濡れじゃない」
 明かりがないのでお互いの顔も薄ぼんやりとしか見えなかったけれど、なんだか笑ってしまう。この雨の中を走ってきたんだから、どっちもびしょ濡れなのは当たり前なのに。
「しかし、このままじゃ風邪引きそうだ……」
「そう、ですね……ちょっと寒くなってきました」
「ちょっと後ろ向いてて。一回、上脱いで絞るから」
「あ、はい」
 言われるがままに、私は横島さんに背を向けた。絞った後、ばさばさとTシャツを大きく上下に乾かす音が聞こえる。雨音はさっきよりかは勢いが弱くなってきていた。ここには私たち以外に誰もいなかった。だから二つの音以外は何一つ聞こえなかった。この雨のせいでさっきまで聞こえていた、賑やかな祭の音は跡形もなく消え去っていた。静かな公園に、私たちは佇んでいた。
「っくしゅん!」
「大丈夫、おキヌちゃん?」
「え、ええ……」
 思わず出たくしゃみ。
「俺、このままこっち向いているからさ。おキヌちゃんも浴衣、絞ったら?」
「そう、したいのは山々なんですけども」
「なにか問題でも?」
「えっと」
 どうしよう。どうしようどうしよう。
「いえ、浴衣しか着てないから脱ぐのはちょっと」
「ああ……ごめん。袖とかだったら脱がなくても出来るんじゃ?」
「そうですね、じゃあちょっと」
 私は袖をぎゅっと手で掴んで、絞った。水はちょっとしか落ちてこなかったけど、やっぱりそれだけ濡れているということが分かる。足元の方も裾を上げて、軽く絞った。ぽたぽたと水が地面に落ちて滲む。
「浴衣、身体に張り付いちゃって、少し気持ち悪いですね……すぐに乾くとは思うんですが」
 襟を少しはだけて、風が入るようにした。しっとり濡れた浴衣が肌から離れて、ちょっと解放感が合った。
「もう少しで止みそう、かな……」
「通り雨だったみたいですね」
 雨はぱらぱらと降り続けていた。
「これ以上、濡れるのもヤだから止むまで待ってみるか」
「くしゅっ」
 またくしゃみが出た。
「……寒くなってきましたね」
「体が冷えちゃってるんだ。何か暖めるものがあれば良いんだけど、ここは公園だし」
「あるじゃないですか」
「えっ?」
 私は髪止めを外して、溜まっていた雫を払うと、そのまま横島さんに抱きついた。
「暖めてください、私を」
「お、おキヌちゃん、いきなり……! てか、なんか柔らかいものが当たってるんだけどっ」
「ああ。浴衣の下、何もつけてませんから」
「……は?」
「さっき言ったじゃないですか。浴衣『しか』着てないって」
 そう、私は浴衣しか着ていなかった。胸はどきどきしながら、横島さんの顔を見上げた。びっくりしたような、戸惑ったような表情をしている。
「聞いたけど、まさか」
「ほら……見えますか?」
 襟を広げて、中を横島さんに見えるようにした。なにもつけていない、素肌の乳房を見せる。
「み、見えないって! 暗くて」
 咄嗟に横島さんは顔を逸らした。もうっ、意気地なし。
「へ、変だよ、おキヌちゃんっ! おキヌちゃんがこんなことするなんて」
「そうですか? でも横島さんだって、いつも美神さんにセクハラしようとするじゃないですか」
「いやまあ」
 苦笑いをする横島さん。
「だから、私が横島さん、イジめても何の問題もないですよね」
「おキヌちゃん、冗談になってないって、それ……」
「そうですか?」
 私はにんまりと笑う。横島さんはひどく困ってる。それが私は妙に楽しい。
「……触ってもいいんですよ?」
 横島さんの耳元で囁いた。
「触りたく、ないんですか……」
 ふぅっと息を首筋に吹きかける。ごくり、と横島さんは喉を鳴らした。
「いいの、おキヌちゃん……知らないよ?」
「なにがですか……横島さんだって知らないくせに」
「な、なんだって?」
「美神さんと同じ『女』なんですよ、私……」
 横島さんの手がぴくり、と動く。そしてじりじりと私の身体に指先が近づいてくる。ああ、ついに私も……。いよいよ手が浴衣の中に入り込もうとした瞬間、急にピュウウウッという音が大きく鳴った。
「な、何の音ですか?」
「あれだ」
 向こうで誰かが花火をしてる。
「雨、止んでますね」
 いつの間にか雨は通り過ぎていったらしく、遠くで誰かのやっている花火の色が見え隠れした。
「向こうのやつらの、ロケット花火かな……」
 横島さんは憮然とした表情で、遠くを見ていた。
 怒っているのかな……。
「横島さん?」
「おキヌちゃん……か、帰ろう、か」
 ああ。私は目を覆った。横島さんの顔は風船がしぼんだように、がっくりと来ていたのだ。暗がりの公園だけど、人目についたら不味いという常識判断が横島さんの煩悩に勝ったのか。涙を滲ませながら悔しそうな形相で、私の身から腕を離した。
「え、ええ……そうですね」
 気まずそうに私も答えた。線香花火の火がぽとりと落ちたような雰囲気だった。
「くっそー、あの花火の連中、いい所を……」
 横島さんはぶつぶつ悔しがっている。空は雲が晴れて、蒼い夜空が見えていた。月が鈍く黄色く光っている。そして私たちはゆっくりと休憩所から歩き出した。
 私は。私は、歩き出そうとした。けれど、足が言う事を聞かない。
「おキヌちゃん?」
「……しなくていいんですか?」
「無理だよ。俺だって悔しいけど……」
「我慢できないんです、私。だから、だから……」
 横島さん。いつかは誰かとこういうことをする日がきっとあるんですよ。
 それがもし、私じゃなくても……いいえ。私であって欲しいから。
 だから。
「今は、ここまでさせてください……」
「んっ」
 横島さんの首に腕を絡め、唇を奪った。長く、長く、息の続く限り長く。そろっと舌を横島さんの口の中に絡め、吸った。
「ぷはぁっ」
 長い沈黙の後、お互い口を離した一瞬、糸を引いた。
「凄いキス、しちゃいましたね……」
 私は口を押さえて、顔の体温が上がるのを感じた。横島さんも顔がすごく真っ赤になっている。
「う、うん……つか、おキヌちゃん。大胆すぎるって」
「でも、続きしたくなりましたか?」
 と、小首を傾げて、尋ねてみたら横島さん、少したじろいから頷いた。
「それじゃあ、また今度ですね。美神さんには内緒ですよ?」
 横島さんの鼻をつん、と人差し指で小突いて、約束した。
 その日、私たちは手を繋いで歩いて帰った。
 雨が降ったことなんか嘘のような、綺麗な月の浮かぶ夜空。
 これも一つの夏の思い出。
 え、この後、私たちがどうなったかって?
 それは私たちだけの秘密です……。


 終わり
えらく久々に投稿させていただきます。お久しぶりです。
さて、ぶっちゃけてしまいますと。
なぜ【後夜祭】かといいますと夏企画の締め切りに間に合わなかったからですorz
なもんで、遅れてしまいましたけど、まだ終わってねえ! ということで【後夜祭】ですw

あと本作品につきまして少し説明を。
今回、コラボっぽいことをしてみようということで、ちくわぶさんと打ち合わせをして書かせていただきました。
ですので、ちくわぶさんの夏企画一発目の投稿「夏色」とシチュエーション、題材等が同じものとなっています。
物語のリンク、ということはないのですが両方を読んでいただいて展開など、ちくわぶさんとの違いを楽しんでいただければ、幸いです。
それと今回、はっかい。さんのイラストもあわせて掲載させていただきました。

 http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gazou/ecobbs.cgi?topic=0120 ←リンクはこちら

ちなみにこのイラストの元ネタは本作品なのですが、私が遅筆なせいで夏企画に参加できないという事態になってしまい、ご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びさせていただきます。
ちょっと本末転倒な事になってしまいましたが、投稿できたので良しとしましょうw

タイトルはイギリスの2トーン(スカ)の代表的バンドの一つ、マッドネスの曲から拝借。
しかし、書く時、聞いていたのはZAZEN BOYSでしたw
そんなおかげで作品の内容が影響されちゃっているようにも思えますが、気にしないでください。

とまあ、長くなりましたが、ここまで読んでいただけてありがとうございました。
いつになるかは分かりませんがまた次回。
では。


[mente]

作品の感想を投稿、閲覧する -> [reply]