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【夏企画】延長の夏 机の夏




みゃぁ、と足下で猫の鳴き声がした。



それより少し離れた所からは、絶え間なく波の音が響いている。
耳を澄ませれば、じりじりと真夏の太陽に焼き付けられる浜辺の音さえも聞えてきそうだ。
事実、陽光に曝された白浜は目に痛いほどに眩しく輝いている。
その輝きは、同時に砂がその内へと秘めた熱さの表れでもあった。
あたかも炎で熱された鉄板の如く、静かに内で燃え盛っているに違いない。

だが、そんな浜辺をあっさりと素足で歩く少女が一人。
熱さを感じていないのか、彼女の顔に我慢するような様子は無い。
そんな少しばかり変わった少女は、見た目からして個性的を極めていた。
よっこらしょ、と言わんばかりに机を背負っている彼女が普通であるわけがない。
いやむしろ砂浜がどうとかよりも、その机こそが違和感の塊である。
長く伸ばした黒髪にセーラー服。少女自身の外見はごくごく普通。
行商のように紐で背負った机ばかりが、彼女を常識の世界から逸脱させている。
何より不思議なのは、机と共に在るその姿が妙なまでに一体感を醸し出していることだった。
もっとも、そんな少女を見ているのは傍らを歩く猫と、後は頭上を飛ぶ鳥くらいしか居ないのだが。

浜辺に少女以外の人影は無かった。
砂浜に残るのは、一人と一匹の足跡。
不意に足を止めた少女は、微かに目を細めて海の方を見やる。
視界を埋めるのは水平線で断たれた世界。海と空とを隔てる境界。
漣と共に海原は波を浜辺へと伝え、空には存在を酷く主張する白雲が。
加速的に過去へと変わり続ける今に対して、少女は胡乱な目眩を覚える。
どうやら強過ぎる夏の光は、夜の闇などよりも風景を覆い隠すのに適しているようだ。
世界の輪郭を際立たせながら、あらゆるものをモノクロームの思い出へと変えて行く。
眼前に広がる海と空の青さも、目を眩ませる白浜と入道雲の輝きも。
この、むせ返るような熱気でさえ例外ではなく。
そんな世界を前にして、彼女は夏を振り返る。



みゃぁ、と。
足下で、また猫が鳴いた。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




まず思い浮かんだのは、眼前に広がる海にも関わらず山での一時。
印象に残る何事が起きたわけでもなく、単純に今に最も近い記憶であるからだろう。
珍しくも一人、学校から遠く離れた山へと出かけたのは
夏休み中に経験した諸々のことから、旅心が沸いたのかもしれなかった。
しかし



「・・・・・・・電車に乗る時は大変だったわ」



苦い表情で一人ごちる。
乗車の際、机の脚が角が当たること当たること。
背負っているため、視界が効かないのが痛かった。
そして、そんな自分へと集まる視線も別な意味で痛かった。
満員電車は流石に避けたとはいえ、ご迷惑をお掛けしました同乗した方々。

そんな感じで途中途中では、電車のドアという強敵に立ち向かわなければならなかったが
目的地である山に付いてからは、そこまで困る事も無かった。
木にぶつける事もたまにあったがそれはそれ。動物や虫の視線ならまだマシと思える。
時たま、ナイス極まるタイミングで地元の人が通りがかり
芸人でも見詰める視線を飛ばされた時には、正直穴掘って埋めたくなったけれど。自分を。

斯様な珍事はさておいて。
実際に、山中へと一歩足を踏み入れてみると
山と町とは、見えない境界で隔てられていると実感すること頻りだった。
昔と比べ、近代では随分と山からも自然が失われつつあると聞くが
中々どうして、雑霊の数も町中の比では無いし、妖怪にあう頻度も数多かった。
ただ、それは随分と広くをうろつき回ったせいであるかもしれない。
山、と一言で済ませてしまっているが、行った場所は何も一つきりではない。
時間と体力、こつこつ貯めたお金の限りに、様々な所へと行ってみた。
目的は特定の山に行くことではなく、あくまで気ままな旅であるからして。





ある山では、イノシシの夫婦に会った。
といっても夫婦というのは、こちらの勝手な想像で
ただ寄り添っていたからそう見えただけなのかもしれない。
でも、互いに感じられる雰囲気を思い返してみると
やはり夫婦ではないか、という結論に辿り着いてしまうのだが。
まるで人語を解しているかのような振る舞いも見せてもいたから
あるいは妖怪、変化の類だったのかと今にして思う。




山の中で竹とんぼを飛ばす少年を見かけたこともあった。
出会った際、酷く驚いていた姿は微笑ましくさえ感じられた。
人間ではないことを説明したところ、どうにか警戒を解いてくれたようだった。
机を介して消えたり現れたりする様を見せてみたのが、功を相したらしい。
人間のお兄ちゃんに貰ったという竹とんぼも、近くで見せてくれた。
話を聞いた限りでは、とても格好よくて優しくて目標の人物なのだそうだ。
話半分に聞いたとしても随分といい人間のようで、世の中もまだまだ捨てたもんじゃない。
もっとも少年の母が現れた時には、また一悶着はあったのだけれど。
また、背負っている机について尋ねられた時には少々困った。
ナウなヤングに馬鹿うけなファッションだと誤魔化しておいたが
全く疑問を抱かれずに、キラキラとした瞳で信じられた時には心が痛みもした。
近くか遠くかの将来、どうか真実を知ったとしても強く生きて欲しい。




歩き歩いて、人狼の里にも辿り着いたりしたこともあった。
周囲を囲まれて刀を突きつけられた時には、死を覚悟したりしなかったり。
駄目元、涙目で許しをこうてみたら、逆に何故だか土下座されたけれど。
後になって知った話では、横島やシロの名前を出したのが良かったそうだ。
また人狼族は女性が極端に少ないため、種族レベルでフェミニストを目指しているらしい。
他にも、ある人狼にはセーラー服姿を誉められたものだ。自嘲しろ長老。
よって、刀で私を脅したことは反省するに足る愚行だったらしいが
他人事ながら、それでいいのか武士、と思わないでもない。
しかし、それはそれ、これはこれ。
脅されるより、歓迎された方がいいのは言うまでも無いわけで。
お詫びも含めて歓待されてからは、代わりにシロの様子などを話し伝えた。
この夏、海に行った事なども交えての近況報告。知っている限りの全て。
誰もが耳を欹てている様子は、彼女が皆に愛されてることを示しているようだった。
あと、人狼の里からの帰り際には天狗にも会ったけれど、こちらは本当に会っただけ。
私の姿を見るや否や、天狗は風のように消え去った。というか逃げ去った。
セーラー服など修行の妨げの最たるものー、とか言い残して。
どんだけ妖怪に愛されてるんだろうセーラー服。





一つ、不思議なことには、ある山で出会ったとある少女。
出会ったというよりは、こちらが見つけたという方が正しいか。
手づかみで魚を捕まえてるワイルドさは、妖怪にも負けないくらい。
しかし妖気などは感じなかったから、人間ではあったのだと思う。
驚いた猫の尻尾のような髪からも、彼女の快活さが表れていた。
しっかりと魚を胸に抱え込んで、昼ごはんゲットだぜー、と笑う姿は実に逞しい。
明、あきらー、と誰かの名前なのだろう。繰り返し、少女が呼んでいる。
言葉は悪いが、その様は褒めて貰いたがっているペットの姿にも見えた。
ふと、彼女が声をかけた方に目を向けてみる。
しかし、向けた視線の先には誰も居らず、ただ木々が生えているばかり。
反射的に、顔を元に戻して少女が居たところへ視線を飛ばすも
予想通りというか、其処にもまた誰も居らず、ただ川のせせらぎばかりが残されていた。
狐狸の類に化かされたか、生者と幽霊とを見間違えたか。
しかし、狐狸というには悪戯心を感じず、また幽霊とは思えないほどの存在感も在った。
山と町とは境界に隔てられている。山は一つの異界である。
ならば、山の中で境界がほころびたのかもしれない。
ほんの少しだけ、何処かの何時かと繋がっていたのかもしれない。
現実的ではない、論理性も無い、空想じみた結論。
でも不思議を不思議として残すため、根拠も無くそう考えることにした。










「色々、在ったなぁ」



後半はこうして、随分と色々な所に赴いた夏だったけれど
逃げるようでも在ったそれは、焦燥感に駆られての事だったように思う。
そんな焦りが浮かび上がってきたのは夏も半ばを過ぎた、あの祭りの頃。



「お祭り、楽しかったなー・・・・・・」



ーーーーーーーーーーーーーーー







突き抜けるような青空を仰いで、夜空に咲く花火を幻視する。
閉じた瞼の裏に映るのは、皆で見上げた花火。








出店が向かい合う通り、犇めき合う人々の隙間を泳ぐように抜けて行く。
浴衣に身を包んだ少女達は普段とはまた違う魅力を発揮しており
そんな中では、何時もと変わらないセーラー服の自分を後悔したりもした。
でも、奇遇にも自分と同じ様にセーラー服姿も少女も居て



『さーさー、いらはいいらはい!
 安い美味い早いの三拍子! この夏、これを食わにゃ損をする!
 話題のチーズ餡シメサババーガーメガマックバージョンが今なら何と一万円ぽっきり!!!』

『高ぇよ馬鹿野郎!!!』



その少女に憑いている貧乏神が商売やってたりもした。
値段設定をミスったのか、お客様に骨をぽっきり折られそうな目にあってたけれど。
少女の方にせめて励ましの声だけでも、と思って話し掛けてみたのだが
慣れてますから、と寂しくも力強く微笑まれた時には妖怪の目にも涙。
曇りの無い彼女の笑顔は、まるで夏に咲く向日葵のようだった。





彼女らと別れてから、待ち合わせの場所へと向かう。
花火までは少し時間が在ったけれど、少なからずの人が既に集まっている。
辺りは活気に満ちて、同時に祭囃子の音が風情を醸し出していた。
この雰囲気に、この夜風に懐かしさを覚えるのは何故だろう。
去年にも一昨年にも、同じ様に繰り返されてきたお祭りだからだろうか。
祭りそのものが重ねた年月が、心に懐旧を呼び起こしているのかもしれない。
小さな違いはあるにせよ、きっと来年にも今と同じ様な光景が見られるのだろう。
数々の出店、色取り取りの浴衣、空を浮遊するくらげ・・・・・・・・・くらげ?
視界の端に飛び込んできた違和感に、意識の全てを向ける。
こちらの存在を気付かせないため、辛うじて顔そのものを向けることは自制した。
そこに居たのは、何だか凸凹の集団。性別も、年齢も、果ては種族でさえも。



『あーやっぱ、視界が高いっていいよなー!
 背伸びとかしなくていい身長ってサイコー!』

『カナ? それって遠回しにカナタのことをチビって言ってないカナ?』

『遠回しでもなんでも在りませんし
 何より、事実そのものですわカナタ様』



どちらかといえば強面な方であろう顔立ちを
弾けんばかりの笑みで緩ませきっている青年を見た時
とりあえず可哀想な人なのかな、というのが最初に抱いた感想だった。
見た目に寄らずプレイボーイなのか、彼の傍には何人もの浴衣姿の女性がいた。
両手に花どころか、その様子は花束を抱えているようなものだ。
だが、この辺りの人にとっては見慣れた光景なのか、特に騒がれる様子も無い。
順応力が高いのか、諦めという言葉の貴さをしっているのか、目を反らしているだけなのか。
とはいえ顧みれば、人のことを言えた義理でもない。何せ、愛子の外見は怪奇机女。
ずっと背負い続けている机は、それなりに人ごみの中で存在感を主張していた。
よし見なかったことにしよう、と心に決めて、そそくさとその場を離れようとして



『けっ! 複数女連れたぁいいご身分やのー!
 羨ましない、羨ましくなんかないぞー!
 俺だってなぁ、仕事場じゃ女に囲まれとるんやからなー!
 そらちょっと盾にされたり人身御供扱いされたりと、立場的には底辺だが!
 ・・・・・・チクショー何だかとってもチクショ―!!!』

『ぐおっ!? む、胸が急に苦しく!!?』



待ち合わせていた人物の一人の声が聞えて更に回れ右。
予想通りと言おうか、藁人形片手にに暴走気味の横島へと冷却材代わりの右フック一閃。机で。
おほほほ、と誤魔化せてない誤魔化し笑いを残しつつ、彼の襟首を掴んでそそくさと立ち去った。
周囲から集まる視線は、先程までくらげ達へと向けていたものと同じ色を帯びていたりいなかったり。
因果応報、自業自得といった言葉が脳裏を駆け巡るが無視する。自分のためにも。



『くっ・・・・・・俺が志半ばにここで倒れようとも
 何時か第二、第三のもてない男が立ち上がるであろう』

『自重しなさい』








程なくして、待ち合わせの約束をしていた皆が集まった。
中でも、タイガーが彼女連れなのには心底驚かされたものだ。
彼女を肩に乗せて仲の良さを見せ付けつつも、はにかんでいる二人の姿に
再度横島が藁人形を取り出しかけたので強制的に自重させた。
他にも、横島の友人である雪之丞という人がカップルで来ていた。
話に聞けば、その相手はおキヌちゃんのクラスメートらしくて更にびっくり。
自分の知らないところでも、色んな絆で繋がっていることが
愛子には面白く、そして嬉しくも感じられた。
なお、ピートは顔を出すと同時に褐色の肌の風に攫われて何処かへと消えた。
ドップラー効果を靡かせながら消えて行くバイクを、見送ることしか出来なかった皆をどうか許して欲しい。

着付けに時間がかかったのか、最後に、おキヌ、シロ、タマモの事務所メンバーがやって来た。
自分以外の女性陣は浴衣姿だったので、愛子は再びプチへこみ状態となりかけたが
横島が普段着だったので、これはこれでと乙女な心が複雑な心境に。
さて、早速出店めぐりでもしようかという段になってふと気づく。美神さんは?
何気なく放たれたその問いに、三人は何処か言い辛そうにして
結局、代表としておキヌが口にしたことには



『えっと・・・・・・人ごみは疲れるからヤダって家で休んでます』



それを聞いて目を丸くしてから、彼女らしいと皆で笑いあった。
年寄り臭いと思ったのは、そのうちの何人だろうか。
笑いながら歩みだした彼らの頭上、空で刹那の花が新しく咲いた。












追憶にかけていた時は一瞬か、それとも数分に及んでいたのか。
目を細めて、愛子は空を仰ぎ見る。星の代わり、白い雲が浮かぶ蒼天。
賑やかな出店の様子は次第に輪郭を失い、過去った時間の記憶へと変じ
耳を澄ましても祭囃子は聞える事無く、ただ漣が浜辺には満ちている。
俯きかけた顔を、何かに抗うようにして空へと向けた。
その眩しさに、愛子は再び目を細める。けれど、目を反らす事は無く。
澄み渡る空の青さと、その中で浮かぶ雲の白さは
夏休み中、窓越しに教室から見上げた色に似ていた。



ーーーーーーーーーーーーーーー







『うっだぁぁぁぁぁぁ、やる気ねえええええ』

『はいはい、自分で言わない。
 これが終わったら次、英語ね』



長期休暇とは、学生であれば誰もが心浮き立たせるものである。
だがそれが補習で潰れるとあれば、心躍るわけもなく
机に突っ伏すようにして、横島は不満を隠そうともしていなかった。
机から上半身を生やすようにした格好の愛子は、そんな彼の情けない様子を窘めていた。



『あいきゃんとすぴぃくいんぐりっしゅ。
 って痛ぇっ!? 何故殴る!』

『何故殴られないと思うの?』

『・・・・・・あの、目付き怖いッスよ愛子さん』



愛子の役割は、主に監視役である。
名誉の為に言っておくと、教師達が手を抜いているわけではない。
担当の教師が少し席を外したりしなければならない時
ここぞとばかりに、横島がサボろうとするのを防ぐためだ。
なお、これはあくまで愛子から言い出したことである。
何故自分からそんなことを言い出したのか、詳しく述べるのは野暮だろう。



『なぁ、愛子。お前には見えないか?
 窓の外に広がる自由が、夏という名に彩られた解放感が!』

『はいはい、見えない見えない。さ、教科書開いてー』



外では青空の下、蝉が頑張って夏を歌っている。
開け放たれた窓から聞える声は、確かに心を浮き立たせるものが在るが
だからといって、正直にそれを伝えて横島を調子付かせるつもりは無かった。



『横島君だって解ってるんでしょ?
 ちゃんと勉強しなきゃ、もう後が無いって。
 あ、それもいいかも。留年って青春の一部よね』

『青春時代でしか味わえん暗黒だろが!
 俺は同学年に先輩とかさん付けだとか、果ては長老とか呼ばれる気はねぇっ!』



具体的なビジョンが見えてしまったのか、慌てた様子で教科書を開く横島。
ため息と苦笑を漏らして、愛子も横島から視線を外して英文の群れへと落とす。



『はーい、りぴぃとあふたみー。
 でぃすいずあぺん』

『待てや』



半眼でちょっと待ったコールをかける横島。
めっちゃ日本語発音なのが不満だったのか。
しかし、愛子も英語は得意な方でもないので大目に見てほしいところだが。



『どうしたの横島君? ひょっとして難しかった?
 さすがにこれ以上落とせと言われると、ちょっと』

『逆じゃい! 何ぼなんでも舐め過ぎだろが!』

『・・・・・・・ふーん。
 それじゃ、そんなやる気に満ち溢れる横島君には
 教科書のココからココまでを和訳して貰おうかしら。制限時間1分』

『すんません、無理ッス』



あっさりと横島降伏。人間、できることとできないことがある。
単にからかっていただけなのか、愛子もごめんごめんと軽く謝ってから
時折無駄口を挟みつつも、ちゃんとした勉強を続行した。
何が解らないのか、横島自身が把握できてないところなどは
その周辺の知識も合わせて、愛子からも根気良く問い掛けてみる。
解らない事を解るようにするのは、何時の世も難しいものである。



『英語なんざ嫌いだー。
 俺は生粋の日本人なんやー』

『そうなの。ゴメンね、気付かなくって。
 そんなに国語の勉強がしたかっただなんて』

『日本語って難しいなぁオイ!!!』

『あ、現代文じゃなくて古文だった? それとも漢文?』

『問題点はそこじゃねぇ!!!
 もっと視野をオープンに、俺の世界を広く見てあげて!』

『そうね、数学も物理も生物も歴史もあったわ』

『発言内容の根幹は全て無視ですか、この一人上手めが!』

『それは貴方でしょ』



ずびし、と言葉のツッコミに目潰しを添えて。こうかはばつぐんだ。
のた打ち回る横島に流し目をくれて、大儀そうに愛子は言う。



『ね、横島君。
 ほんっとーーーーーに、留年する気無いの?
 さっきから貴方の様子見てると、将来に流行りそうなツンデレにしか見えないんだけど。
 ほら、素直になれなくてついつい心にも無いこと言っちゃうっていう』

『あるわけねーだろ!
 つーか、留年なんぞしようもんならおふくろに抹殺されるわ!
 あと、そーいうのはたぶんツンデレとは呼ばん!』



改めて、姿勢を正して教科書に向き直る横島。
集中力は持続しないが、留年したくないというのは本音だった。
そんな横島の様子を見て、愛子は何処か作り物めいた笑みを浮かべる。



『そっか、そうだよね』




ん、と疑問符を浮かべて顔をあげる横島だったが
彼が見たのは悪戯っぽい微笑みの愛子。その微笑、一言で表すならばサド。



『それじゃ、沢山お勉強しないとねー。
 今日だけでもノルマが、ほらこんなに』

『・・・・・・・お手柔らかにお願いしまッス』



ぐたりとくず折れる横島。彼の後頭部を笑って見下ろす愛子。
視線を窓の方へと向けてみれば、色鮮やかな空が広がっている。
存在という輪郭のはっきりとした陽射と蝉の鳴き声とが、何故か今この時は相応しく思えた。









「補習授業はちょっと大変だったかな。
 横島君たら、結局最後までやる気無いんだから」



まったくもぅ、と言いつつ、口元は緩んで力の抜けた笑みの形を。
大変だったというのは本音だった。何せ、本人にまるでやる気がなかったのだから。
ただ、大変だったことも含めて大事な思い出でもあった。
それは学校で一緒に居られた、二人で過ごした時間だったから。

愛子は海原をじっと見詰めた。
足元の猫も、真似するように海を見る。
心を飛ばす先は、最後にして、最初の記憶。


過ごした時間をを一つ一つ思い返した今

目の前に広がる、夏の始まりへと辿り着く。







ーーーーーーーーーーーーーーー





「海は・・・・・・凄かったわね。
 みんながみんな、好き勝手するから大騒ぎで」



絶えること無き潮騒が、少女の耳を擽る。
心の奥から浮かんでくるフレーズがあった。



海は広いよ大きいよ、波が高くて彼沈む



とりあえず少女は頭を抱えた。
記憶と感情とが、どこかで混線したようだ。










夏休みが始まってすぐの事。
おキヌの通う六道女学院では、夏恒例の臨界実習が行われていた。
そして何故だか、其処には机を背負った愛子が居たりする。



『私、参上!』

『落ち着け愛子』



スクール水着で仁王立ちの女子高生というのは、風情があるのかどうか。
とはいえ、珍しい光景ではある。その姿も含めて。



『何してるでちゅか?
 折角、海に来てるんだから遊ばないと損でちゅよ』



そして、愛子以外にもこの場には珍しいと言える者が一人。
随分とタイミングも良く、横島達の元へと遊びに来ていたパピリオである。
あくまでも天の采配であり、決してご都合主義などとは言わないで頂きたい。



『あのー、すみません。
 負けた立場の僕たちが言うのも何なのですが
 流石に今年はチートじゃないんでしょうかー』

『ごめんなさいね〜』



臨界実習は昨夜から今朝にかけてのことだったが
既に、浜辺は平穏なものであった。雑霊一匹さえ居はしない。
今年は海坊主に加えて、何処から調達したのか幽霊潜水艦まで出張ってきたのだが
それも文珠で水中行動を可としたパピリオの敵ではなかった。
というか、反則過ぎてメロウが抗議してるくらいである。
生徒達が何もしなかったわけではなく、ちゃんと除霊作業は行っている。
それでも、パピリオが潜水艦を撃沈した功績は大きかったわけだが。おまけに海坊主とどっかの将校幽霊も。
なお、愛子が一緒に来ているのは報酬の前払いである。
詳しく述べればこの夏、愛子は補習授業における家庭教師を務めることを条件に
横島に海にでも連れて行ってくれることをお願いしたのだった。
まさか、六道女学院の臨界実習に連れて来られるのは予想の範囲外だったが
それでも、海を前にするともやもやも吹き飛んでしまう。さすがに海のバヤカローとまでは叫ばないが。
そんな愛子にパピリオは不思議そうな視線を飛ばした。



『何で机なんか背負ってるんでちゅか?
 変だから止めた方がいいでちゅよ』

『へ、変っ!?
 ・・・・・・あ、あのね、パピリオちゃん?
 人の外見的特徴をとやかく言うのは良くないことよ』

『別に外見じゃないでちゅよ。
 机背負って歩くのが変って言ってるだけでちゅ』



無邪気な瞳と言葉にトドメをさされて、燃え尽きる愛子。
素直さと無邪気さを込めた台詞は、本音なだけに始末に悪い。
何故愛子が落ち込んでるのか解らず、ハテナマークを頭上に浮かべるパピリオに
外からナインテールちっくな嘲りの声がかけられる。誰の声かは言わずもがな。



『お子様に何言ったって駄目よ。
 場の空気読むってことが出来ないんだから、ガキは』

『・・・・・・・ケダモノ風情がよくいいまちたね。
 寄生虫は大丈夫なんでちゅか? こっちには感染さないで下ちゃいね』



仁王立ちで睨みつけ合うパピリオとタマモ。
何故此処まで仲が悪いのかと言えば、出会いが悪かったとしか言いようが無い。
事務所での初対面時には、ここまで仲は拗れていなかった。
初めて見た狐が珍しかったのか、好奇心の宿る瞳でパピリオはタマモを見詰めていた。
少なくとも好意を向けられるのは、タマモの方としても吝かではない。
そしてパピリオは満面に笑みを浮かべて、手のひらを上にして右手を差し出した。
一応記しておこう。パピリオに悪気は無かったのだ。ちっとも。







『お手!』








こうして出会ってから数分と経たぬうちに、タマモとパピリオとの仲は崩壊した。
それが今でも続いているわけである。悪化しているとも言う。



『『フン!!!』』



鼻を鳴らして、二人揃ってそっぽを向く。
息の合った動きは、逆に仲がいいんじゃないかとさえ思わされる。
そんな彼女らの傍には打ちひしがれる愛子がおり
また、その後ろを浮き輪をつけたシロが横島の首を引っ張って通り過ぎていった。



『さぁさぁ、先生! さっそく遊ぶでござるよー!
 まずは海中散歩を一時間ほどノンストップで!!!』

『死ぬわボケェェェェェェッ!!!』



ドナドナが聞えたとしても気にしないで頂きたい。
この後、パピリオとタマモとの間では波乗り勝負が開かれた。ゲストにはシロと横島。
しかし難易度を高めるためとはいえ、アイスを食べながらボードに乗るのは如何なものか。
ちなみにパピリオと横島は早々に海に沈み、現在、波乗りジョニーなのはシロとタマモ。
あ、シロが落ちた。きっと頭が痛かったのだろう。カキ氷系のアイスをがっつけば誰でもそうなる。
勝ち誇るタマモ、そして彼女も程なく足を滑らせて海中へと没した。
そんな彼女らの姿を見詰めて愛子が一言。



『――――――無様ね』

『・・・・・あらゆる意味で似合いませんね、その台詞』

『ほっといておキヌちゃん』









そんなわけで、遊びである。
浜辺の遊びと言えば、定番は西瓜割りだ。
続けてと言おうか、彼女らはそれを楽しんでいた。
西瓜の横、砂に埋められた横島の頭があるのはお約束である。



『ちょっと待てやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!
 何故俺はこんな拷問プレイに興じているのか誰か一行で説明プリーズ!』

『六道の女子高生を盗撮しようとしてた罰』

『説明ありがとう愛子! だが嬉しくねぇ!!!』



叫ぶ横島と西瓜との隙間に、唸りをあげてバットが叩き込まれる。
それは不満が駄々漏れの横島を黙らせるには充分な迫力だった。
目隠しを取りながら、美神は舌打ちと共にこぼす。



『ちっ、外しちゃったわね』

『み、美神さん? それはどちらに向けておっしゃられた言葉なのでせう?』

『やーね、横島君たら。
 これは西瓜割りなのよ? 西瓜を外したに決まってるじゃない』

『そ、そーですよね! 西瓜ッスよねー!
 うわはははははは!!!』

『よいしょっと』

『何故に西瓜との距離を近くー!!?』



首と表情で抗議を示す横島だったが、誰も止めてはくれなかった。
事務所唯一のストッパーたるおキヌは、にこやかな笑みを浮かべてゴーサイン。何をした横島。
次の順番はシロであった。鼻息も荒く、彼女は高らかに宣言する。



『安心してくだされ先生!!!
 拙者が一刀のもとに西瓜を割って、先生を救い出して見せるでござる!』



目隠しをしてぐーるぐると回り終えるや否や
咆哮一声、バットを掲げて駆け出すシロ。
そんなやる気いっぱいのシロの背後
離れた所から、タマモがやる気なさげに呼びかけた。



『シロー、西瓜を砕いたら砂だらけで食べられなくなっちゃうわよー』



シロの超感覚はその忠告を明確に捉え、咄嗟に寸前で振りぬくバットの方向転換。
直後、頭が砕けるような快音が浜辺に響く。比喩ではなく文字通り。
『計画通り』と新世界の支配者ばりな笑みをタマモが浮かべ
慌てたおキヌと愛子が、昏倒した横島に駆け寄っていった。











「・・・・・・・・・・楽しかった、な」



弛まぬ潮騒が、愛子に過去の情景を届けてきた。
既に其処には無い光景に目を細める。
たくさんの友達と笑いあい、遊びあった海の思い出。

でも、今の彼女は一人だった。
砂浜に座り込んだ愛子は、抱え込んだ膝の間に顔を埋める。
足元に居る猫も、真似をするかのように傍でころりと丸まった。





ーーーーーーーーーーーーーーー





何時の間にか閉じていた瞳を開くと、再び海の光景が飛び込んでくる。
過去は何処にも無く、其処にはただ現実だけが広がっていた。

太陽は既に水平線に近く、世界は次第に暗がりを帯びて行く。
そんな中で、机を背負った少女はまだ浜辺に居た。
今日は8月31日、夏休みの最終日。
しゃがみ込んだ彼女、愛子は唇だけで呟きながら足元の砂を弄りだす。
陰鬱なオーラを纏ったその姿は、もう色々と末期だった。



「・・・・・・引き篭もりって青春かしら、どうかしら」










言葉にすれば、別に大した事ではない。
夏休みの最終日である8月31日。
目前に控えた休みの終わりに向けた対抗策として
愛子は自分の本体でもある机に引き篭もったのである。
ただの現実逃避だろ、とは言う無かれ。
愛子の机の中は時空間をある程度自由に操作できる。
即ち外の世界と比較すれば、今この時は時間が止まっているに等しいのである。
つまり、これはただの現実逃避ではなく、凄い現実逃避なのだった。
駄目度が更に跳ね上がった気がしないでもないが、気付かないのが優しさ。

体感時間としては、愛子は既に数日分はこの空間内で過ごしていた。
何をしていたかと言えば、全く何もせずにうじうじしてただけだったりするが。

楽しい夏だった。それは本当にそう思う。
思い出に残る時間だった。忘れる事なんて出来はしない。
そう――――――最後の、夏休みだった。










今年、横島達は学校を卒業する。








楽しい時間が楽しいほどに、過ぎていってしまうことを惜しく感じる。
未来に控えた別れを知るからこそ、留められない今という時を悔しく感じる。
かつてのように自分の中へと皆を閉じ込めてしまえば、思い出を永遠にできるだろうか?
変な事を考えてしまい、愛子は自分がちょっとだけ嫌になった。
それを止めたからこそ今この時があるのだ。
立ち止まったままでは、この場所には辿り着けなかった。

もう一度、空を眺める。猫もまた彼女の視線を追う。
仰ぐ空は遥か高く、けれど何処にも続くことの無い偽り。
次いで、海を眺める。再び、猫が首を元へと戻す。
眺める海は何処までも広く、けれど過去に見るだけの幻。

皆と過ごした時間は楽しかった? 楽しかった。
彼と過ごした時間は嬉しかった? 嬉しかった。
こうして思い返せるのは、何もかも掛け替えの無い時間で。
その輝きを失わせないために、今の自分ができるたった一つのこと。
だから、そう。思い出は、足を止めさせる重石なんかじゃないから。



「・・・・・・よしっ!」



指先で、まなじりに滲んだ涙の欠片を拭い
掛け声と共に自分の頬を両側から叩く。
軽い痛みが意識を覚まさせ、愛子は元気よく立ち上がった。

猫の鳴き声が、空から聞えた。
激しい夏の陽射に備え、細めた目で青空を仰ぐとまた鳴き声。
気付けば、空は茜色。橙に染まる雲の狭間、鳥の形をした陰影が見える。
視線を落とせば、足下に居た筈の猫は何処にも居なくなっていた。
鳴き声が遠くへと飛んで行く。此処ではない、遠くへと飛び去って行く。





日が暮れる。夏休みが終わる。
愛子は目を反らさずに、じっと夕暮れの空を見詰めていた。





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新学期初日。



おおよそ一月ぶりに、教室にはざわめきで満ちている。
海に行ったのか、はたまた山か。黒々と日焼けしたクラスメート。
対照的に休み前と変わらないのは、休み中を勉強で潰したのか。
それぞれ、思い思いに夏を過ごしたのだろう。
時には愚痴を交えつつも、一月ぶりに会う級友との親交を深めていた。

そんな教室の中、机に腰掛けた一人の少女がいる。
彼女は楽しかった夏の思い出を、友人と語り合っていた。
語り尽くぬほどに濃密で、決して忘れ得ない夏休みの思い出を。
ちょうどその時、教室へと入ってくる顔がある。
彼の姿を認めて、少女が浮かべていた笑みが一段と増した。
胸に宿る夏の太陽にも負けない、大きな笑顔を少女は浮かべる。
それは一つの宣戦布告。これからの、限りある時間に対しての。
今も色褪せぬ思い出に負けないくらい、未来を輝かせるために。




「おはよう、横島君!!!」


豪です。本作は昨年の夏企画で投稿しようとしてて間に合わなかった作品だったり。
色々と画像掲示板からネタをお借りしておりますが
昨年の企画で投稿された絵なので、リンクは自重しております。
拙作にて興味を抱かれましたら、是非、画像掲示板の方もご覧下さい。

今年の夏ももうすぐ終わりの時を迎えます。
過ぎ行く季節を惜しむばかりではなく
これから歩む未来にも想いを馳せたいものです。難しいですけどね

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