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【夏企画】南の島へ行きましょう

 暦の上では夏は終わった。
 とはいえ、暦が“秋”になったとはいえ、夏の暑さは一日やそこらでそうそう変わるものでもない。

 夏の名残というべきうだるような暑さは少年の若い身体から汗という形で容赦なく活力を奪い去り、身体を支えるだけの力すらも喪わせる。

 窓際の卓にぐったりとうつ伏せになり、今日の暑さをやり過ごそうと試みる。
 望んでいた風は入ってこなかったが、代わりに入って来たものがあった。

 栗色の長い髪を持つ、彼より幾らか年上の女性は、満面に笑みを湛えて一言。
「さぁ、行きますわよ?」

「ヤです」
 暑さによってであろう、虚ろな目をしたままではあるがきっぱりと跳ねつける。

 この人がこの笑顔を見せて近寄ってきたら、絶対ろくな事が起こらない―― その事は、彼女の元に引き取られて以来の経験で既に知り尽くしていた。
 だからこその拒否だった。
「あら?姉の言うことに逆らっていいと思って?」
「あだだだだだだだだだ!痛い、痛いですッ!止めてくださいお姉様ッ!!」
 だが、彼がどう頑張ろうとも、そもそも彼に拒否権など存在しないという、すっかり失念していた事実を彼―― 兵部京介は、“姉”こと蕾見不二子の腕によって頭を容赦なく絞め上げられる痛みによって思い出していた。


 【南の島へ行きましょう】


「ひどいや不二子さん」
 涙ぐみながら不平を漏らす兵部少年に、不二子は鈴のような笑いで返す。

「あーら、折角可愛い弟に息抜きを提供しようという心優しいあたくしに何か不満でも?」
「主に待遇面」
 しれっと返された返答に対して、さらにジト目で見上げて返す兵部少年。
 まぁ、その身体は鋼鉄製の鎖によってしっかりと簀巻きに巻き上げられ、無骨な唸りを上げる床に転がされているのだから、不満も無理もないことではある。

「でも、こーでもしないと逃げちゃうじゃない」
「やっぱり逃げたくなるような事をするつもりじゃない……ですか」
 反論を試みてはみるが、眼光に晒されて急激に発言が気弱になる。

 潜在する力ではまだしも、現時点ではただでさえ力で上をいかれている上、蕾見家に引き取られてからの数年で確立された力関係もあるのだ。口ではなんと言えども、実際に逆らう事などは出来ようはずもない。
 第一、下手に逆らったら逆らったで女物の服に着せ替えられたりムかれたりといった、『あーんなこと』やら『こーんなこと』やらという、主に精神的にキツい“お仕置き”を喰らってしまうのだ。
 大人しく従った方が、今は無難―― その事を理解した上での発言の下方修正だった。

「まぁそれはそれとして、逃げられたら困るのよ。逢わせたい友達がいるっていうのに」
 やる事は否定する事なく、しかし、他にも目的があるからこそこうして強引に連れ出したのだ、ということを主張する不二子に対し、怪訝な貌で訊ねる。
「…………友…達?」

「そうよ、友達。逢ったら絶対に驚くわよ?
 で、驚いた末に『僕が悪うございました、お姉様。これからはお姉様の仰る事を全て信じ、弟としてお姉様のために誠心誠意尽くさせて頂きます』なんて言うに決まってるわよ〜!」
「や、それは絶対ありません、お姉様」
 不吉かつ不穏当な言動を繰り広げる不二子に対して、微妙に下手になりながら兵部少年は否定するのであった。


 * * *


「――『ここで待ってればいい』って言われてもなぁ……」
 輸送機から降ろされて待つこと暫し、兵部少年は手持ち無沙汰気味に頭を掻きながら海を眺めていた。

 その生まれ持った能力が故に親元から引き離されて以来、彼に“友達”と呼べるような存在はあまりに少なかった。
 だからこそ、口ではどう言おうとも、『新しい友達と引き逢わせる』という不二子の言葉には胸を躍らされていたことも事実ではある。

 しかし、こうして待つ時間は様々な不安を引き起こす。

 ―― 不二子さんみたいな人だったらどうしよう?
 ―― 不二子さんと同類だったらどうしよう?
 ―― というか、こうして紹介しようとしている、ということは、不二子さんの友達でもある、という事なんだから―――― 。

 脱兎。

 想像の末、怖い考えになってしまったようである。

 だが―― 。

『待チタマエ―― 兵部京介クン』

 その声に、思わず振り返る。



 誰もいない。

 いや、よく考えてみたら、そもそもそれが『声』だったのかも疑わしい。

 
 声ならぬ声に名前を呼びかけられた事実に、戦慄が冷たく背筋を伝う。

 しかし、背を凍らせた戦慄は即座に融けた。

 幼いとはいえ、彼もまた陸軍超能部隊の一員である。
 恐怖を飼いならし、己が身、そして能力を武器にする訓練は既にその身に染み付いていた。

 思考を、訓練された肉体に預け渡す。
 五感のうち、視覚を切り捨て、その分聴覚と嗅覚に比重を置く。

 波とは別種の水音が聞こえた。 

「……そこッ!!」
 だが、彼の生み出した力の波は、虚しく水面を抉るだけ。
 
『ヤレヤレ…超能部隊ノ秘蔵ッ子ハ、思ッタヨリモ乱暴ダナ?
 ソコニ撃チ込ム、ト知ッテナケレバ危ナカッタゾ』
 溜息混じりの『声』が聞こえる。

 敵国の超能力者だろうか―― その正体は判らないが、その『声』には視覚はおろか、聴覚すらも役に立たないことだけは理解出来た―― となれば、やり方を変えるのみ。

 感覚を研ぎ澄まし、声ならぬ声、姿なき影を捉えるために拡げる感知の網―― それが、兵部京介という超能力者に潜在する複合能力者としての資質の片鱗であることは、彼も知らぬことではある。

 しかし、それを見計らったかのように、緊迫感に凍りついた空気を弛緩させる声が響く。

「はいはい。そこまで!伊号もあたくしの大事なおも……弟をからかわないの!」
「今オモチャ言おうとしたッ!絶対オモチャって言おうとしたッ?!」
 そこまで叫び、違和感に気付く。

 “イゴウ”という、人のものとしてはあまりに無機質な響き。

 波は立つものの、人の気配のない水面へと向けた目線。

 それらを行う不二子の言動は、あまりにも不自然であった。

 水面が静かに浮き上がり「紹介するわ」一つの影が波間に顔を出す。
「あたくしの友達で……ただ一頭の超能力イルカ―― 伊−九号よ」
 
『少シ悪戯ガ過ギタヨウダナ。勘弁シテクレ、兵部クン』

 スパイホッピングで顔を出したイルカに、兵部少年は驚きの表情を見せる。

 ただし、その驚きの大半は「どう?驚いたでしょう?」満面の笑みでほくそ笑む不二子に向けて。
「あ……うん。確かに驚いたよ、不二子さん。
 ―― イルカが友達だなんて……やっぱり人間の友達、いなかったんだね」
「そっちが先かーッ?!」
 同情の涙を流す兵部少年に、不二子の万力の鉄拳が、飛んだ。


 * * *


「で、さっきから気にはなっていたんですけど―― その水着は一体何なのでしょうか、お姉様?」
 何かを後ろ手に隠していた不二子へと訊ねる。
 水着の上に軍の制服を羽織った不二子の手には、一着の水着。

 ただし、不二子の豊満な肢体を覆うものと同じもの。

「あーら、決まってるじゃない。京介くんに着てもらいたいから持って来たに決まってるじゃない?」

 脱兎。

 『決まってる』の時点で判断を下し、宙を駆ける兵部少年。

 だが、改めて言おう。

 潜在する力は兎に角、現時点での二人の力量差は、大きいのだ。

 瞬間移動能力で引き寄せた兵部少年の頭を胸の谷間に抱きかかえ、天性の女王は無邪気な笑顔で宣告する。
「逃げたわね―― そんなに厭なのでしたら、選ばせてあげますわ?
 という訳で、この水着かのどちらか、好きなほうを選びなさい?」
「何その二択ッ?!」
「いいじゃない、減るモンじゃなし」
「減るからッ!!僕の自尊心が無制限に減るからッ!!」


『言ウベキデハ、ナイノダロウナ』
 実際はどうあれ、見た目にはじゃれ合うようにしか見えない二人の様に、伊号は一頭ひとりごちる。

 彼の見た一つの啓示ヴィジョンは、あまりに重く、厳しいもの。

 仲の良い二人の運命を別つ、避けえぬ時の流れを知らせることで、この輝かしい“今”を歪めてしまうことは、彼とて本意ではない。



「―― もう、お嫁に行けない」
「大丈夫大丈夫!何ならあたくしがもらってあげますわよ?」
 南の島の楽園に寂しく響くむせび泣きを、太平楽な笑い声が掻き消した。



 時は1943年8月―― 鉄火の歯車が生み出す時の流れは、容赦なく彼らを呑み込もうとしていた。
 という訳で、今年五本目の夏企画です(笑)。
 6巻の在りし日の三人(二人&一頭)の姿からイメージしてみたのですが、お気に召しましたら、幸いです

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