―― 各地ともに降水確率は30%となっております。ただし、南の海上から湿った空気が流れ込むことで、俄か雨、落雷、突風の恐れがあります。気象庁では土砂災害、河川の増水、高波、床下浸水などに注意を呼びかけています―― それでは、2時の時報です。
ラジオから流れるその声に引き寄せられるように、晴れ渡った空が、俄かに掻き曇りだしたかと思うと、程なくして、雷鳴を連れてやって来た大粒の雨が温まりきったアスファルトを叩く。
大粒の雨垂れは時を経るたびにその数を増し、やがて、
鈍色に天地を繋ぐ無数の鎖となった。
【
Squall】
<SIDE:A>
「ち……降り出しやがったか」
「困りましたわね……傘なんて持ってきていないのに」
その言葉を受け、視線を巡らせた後に「しゃーねぇな……走るぜ!」指し示した先には、さながら傘のようにその枝を広げているケヤキの大木。
駆け足で天然の天蓋にその二人―― 雪之丞と弓は駆け込む。
「これでもか…って位に降りますわね」
「まったくだ……折角日本に帰ってきたのに、これじゃあっちと同じくらいだな」
“天水桶を引っくり返したかのような”―― そう呼ぶに相応しい勢いの雨に苦虫を噛み潰した風情で呟く雪之丞に、弓は訊ねる。
「そう言えば、この間はタイで、その前はインドでしたわよね?
その前はエジプトだったし―― どうして修行するのは日本では駄目ですの?日本でも、妙神山のように修行にはもってこいの場所があるのではありません?」
「―― インドの前はリビアだよ。
第一、小竜姫に言われてんだよ。『これ以上妙神山で修行しても、得るものはもう少ない。魔装術自体は妙神山の修行で完成してるからこそ、完成しきれていない素の“俺”を鍛えるためには、妙神山の疑似空間で邪魔無く手軽に鍛えようとするよりも、多少効率が悪かろうとも、“邪魔も入る実戦”で鍛え上げた方がいい―― なるだけ、自分の足で世界中を回った上で』ってな。
それに、よ……俺にも判るんだ。薄皮一枚ずつぐらいでも、修行して、戦って、世界を駆け回ってる事で確実に強くなってるって実感がな」
その貌に張り付くのは、狂気にも似た笑み。
弓にも、雪之丞がこういう男なのだというのは判ってはいた。
だが、判ってはいてもなお、あくまで修行一途に物事を考え、昨日よりも今、今よりも明日―― と常に満足する事なく、貪欲に強さを追い求める雪之丞が、憎らしくも感じる。
もっと一緒にいたい、ずっと二人でいたい―― その想いが届かぬかのように振る舞われ、憤りを感じた事は一度や二度ではない。
だが――――
「強くならなきゃ―― 前に魔族のチビにやられた時みたいに、いざって時にお前を守る事も出来やしねぇ……あんな思いは、二度とゴメンだからな」
その根底にぶっきらぼうな優しさがあることもまた、弓は知っている。
だからこそ、時にぶつかり合いながらも、ともにありたい、と思うのだ。
横顔を見つめるその目の前に、「―― ほらよ」肩に引っ掛けていたジャケットが差し出される。
「折角逢いに行ってくれてるってのに、風邪引かせちゃママに申し訳がたたねぇ」
言い訳じみた理由をつけて手渡される黒いジャケットは、意外に肩幅が広く感じた。
「雨……止みませんわね」
だが、言葉とは裏腹に、暫らくは雨に止んで欲しくはなかった。
果たしてその願いを聞き入れたのか―― 野暮な太陽の出番を遮るかのように、雨はその勢いを衰えさせる気配を見せなかった。
<SIDE:B>
誰もいない海!
邪魔する者は誰もいない―――― まさに二人だけのプライベートビーチ!
なのに―― 隣の大男のテンションが低いことに、魔理は不満の表情を見せる。
「なんだよ、テンションひっくいよなぁ!?」
頬を膨らませる魔理の視線の先には、馬鹿デカいトランクスを穿き、右手にはスイカとバットの入ったビニール袋、そして左手にはこれまた馬鹿デカいビーチパラソルを手に持ったタイガー。
「そりゃあ低くもなるんジャー!ワッシ達が海に来たと同時にここまで降るなんて、誰かの陰謀としか言いようがないんジャー!」
ぎく。
もとい、失礼な。
「でもどーせ海に入って濡れるんだからいーじゃん!」
そう返す魔理の肢体を包む水着は、和を意識した絵柄のワンピース。
松。
桐。
月。
桜。
雨。
はっきり言ってしまえば、五光。
セレクト渋すぎです、姐さん。
しかし、その答えを聞いたタイガーは「海を甘く見ちゃ駄目なんジャー!」魔理のお気楽な発言とは対照的な強い口調。
「ワッシや横島サンも何度こんな日に海に放り込まれて死にそうな目にあったことか―― しかも、命からがら帰ってきたワッシらに対する第一声が『このドジ!このドジ!』って……ウオォーン!」
説得の言葉には、リアクション芸人もかくやという実体験、と言うあまりに重い説得力があった。
だが、折角目の前の魔理の水着姿で現実逃避出来ていたというのに、その魔理の言葉によって『決して真似しないで下さい』というテロップが出るであろう日常を思い出したのであろう―― 何やら、踏み込んでしまってはいけない領域に突入してしまったようでもある。
トラウマを刺激してしまい、悪いと思ったのだろう。もしくは、いい歳した大の男が本気で涙流している姿が痛ましいと思ったのだろう。
「悪かった。ホント悪かったから」
言いつつ、ビーチパラソルの影に寄り添う。
隣の大男の体温の高さで、雨に打たれたことで意外と自分の身体が冷えていた、という事実に気付く。
―― 心配、してくれたんだな。
薄く笑みを漏らし、さらに身体を寄せる。
「ま、こうしてるのも悪くないかもね」
パラソルを叩く雨音は、呟きを掻き消すほどに大きかった。
<SIDE:C>
「はぁ―――― 助かったぁっ!
手伝ってくれてありがとうね、タマモちゃん!」
窓の外では、降り始めたばかりの大粒の雨と足元から響く雷鳴の織り成すジャム・セッション。
あと一分でも遅れていたら、また、一人だけなら取り込めなかったであろう大量の洗濯物の半分を手に安堵の溜息を漏らすおキヌに対し、「まぁ、別にいいんだけどね」タマモはやや素っ気ない返事で返す。
「それにしても、なんで降るかも知れないって判ってたのに屋上で干したりするの?
TVでも、乾燥機付きの洗濯機が大人気って言ってるし、言ってくれればわたしだって狐火使って乾かすくらいはしてもいいのに―― 」
人間観察、という名目で美神事務所に転がり込んでからどれくらいの刻が経ったのだろうか?
現代の人間を見てきて、利便を追求し、手間暇を出来るだけ省く事で快適な生活を営んでいる、ということはタマモにも理解出来てはいた。
夏は涼しく、冬は暖かい冷暖房完備の住居も、三分あればお揚げが入ったうどんを楽しむ事が出来る食生活も、今となっては肩までズブズブに浸かってしまってとてもではないが抜けられない。
だが、今のおキヌのように、人間には時々無駄と判ってるにも関わらず、あえて無駄な行動を取っている、としか思えない節もある。
手間や面倒、リスクを徹底的に削ぎ落とし、時に反則じみた文明の利器を使う事によって効率よく除霊を行う美神という実例が近くにあるだけに、おキヌがよく見せる無駄をあえて残す、という行為がひどく間尺に合わないような気がしてならないのだ。
だからこその問いであった。
その問いに、洗濯物を抱えておキヌが応える。
「うふふ……そうは言うけど、これだけはどんなに便利になっても譲れないこだわりって言うか、何て言うか―― 無駄も楽しむ、って言えばいいのかな?」
「無駄も……楽しむ?」
「そうね。確かに乾燥機を使えば便利だし、雨でも関係なく洗濯出来るかも知れないけど、やっぱり洗濯物はお日様の下で乾かした方が乾き方も、香りもなんだか違う気がするものだしね」
「……そんなものなの?」
言って、洗濯物に軽く鼻を押し当て、匂いを吸い込んでみる。
確かに違うような気もするが、気のせいのようにも感じる。
「…………どうだろ?よく判んないわ」
「まぁ、こればかりは人それぞれだから、ね。
でも、やっぱりちょっと面倒でもひと手間があるのとないのとじゃ違うものなのよ。今使ってるお出汁があるでしょ?あれも、美神さんが作ってたものなのよ―― “やっぱり出汁は粉末じゃ駄目よね”って言ってね」
意外だった。
合理性の塊とも言える美神にも、そういった無駄を受け入れるだけのこだわりが備わっているのだと知り、やはり人間というものが判らなくなる。
だが、だからこそ、もっと知りたくなる気持ちが芽生えている。
「ただいま戻ったでござるよー!」
「ひー、さっきまで晴れてたと思ったのに、何だよこの天気はーっ!?」
「おかえりなさい、横島さん、シロちゃん。ちょっと遅くなったけど、ご飯にしますからねー。
タマモちゃん、悪いけど美神さんを起こしてくれるかな?」
散歩帰りに雨に襲われたのであろう、ずぶ濡れになった二人に手早く畳んだバスタオルを手渡しながら、きびきびと指示を出すおキヌの背中に、執務机に着いたまま仮眠を取る美神に、その“知りたい”という気持ちは強まっていく。
「―― 起きて、お寝坊さん」
そして、瞬間移動でも使ったのだろうか、と思わせる異常な素早さで眠りに着いた美神の唇を奪おうとする横島にも。
「ナニをやっとるか貴様ーッ!!!」
「サイコキノッ!!」
先程まで眠っていたとは思えない身ごなしで膝蹴りを叩き込む美神と、鼻面に膝蹴りを喰らって珍妙な叫びを上げてKOされる横島を見て、「アンタ達見てると、ホント飽きないわ」タマモは呟く。
タマモの人間観察は、まだ終わりそうになかった。
* * *
「それにしても、ホンット異常な降り方よねー!
これだけ降ってちゃやる気も起きないし、別に今すぐって依頼でもないから、今日はキャンセルしようかしら?」
昼食に供された冷やしうどんを
啜り終えた美神は、窓の外を見やって呟く。
「また美神さんは……」
“アンタはどこのカメ●メハ大王だ”という思いからだろう、異口同音の言葉を発する横島とおキヌ。
だが、二人の言葉を意に介することなく依頼主へとキャンセルの電話をかけ終えた美神は改めて思い知ることになった。
降り続く雨も、いつしか上がる、ということを。
通り雨は過ぎ去り。
山でも。
海でも。
そして、『我が家』でも。
―― 先程までの大雨が嘘のように晴れ渡る。
「えっと……どうします?」
おずおずと尋ねる横島に、天を睨み付けていた美神は痛恨を悟られぬような力強い口調で返す。
「一度キャンセルしたからには、『やっぱり今日やります』なんて言える訳ないでしょうがッ!!
今日は休みったら休み!どうしても仕事したいんだったら、夕方にでもそこの神社で民俗学の実地研修でもしときなさいッ!!」
顔を見合わせ、苦笑する四人。
美神の言う近所の神社では、夏祭りの準備が着々と進んでいる事を知っていたからこその、苦笑であった。
青空の向こうには、夏の証である入道雲が突き出している。
夏の太陽が沈むには、もう少しだけ刻が必要であった。
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