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【夏企画】 あの虹の向こうに

 新しい指揮官、小鹿圭子とのトラブルも丸く収まり、目下のところ宿木明の悩みは、ほぼ解消されたと言っていい。相変わらず初音はよく食べるし振り回されもするが、悩みの種が減ったことで、以前より彼女に怒りを向ける事も少なくなった。その結果、明と初音の関係にも微妙な変化が訪れていたのだが、それをすぐに自覚できるほど彼らは大人でもなかった。




 〜あの虹の向こうに〜




「おいしそう」
「だーかーらー、陳列された肉に食欲を抱くなって」
「だって、おいしそう」
「あのな。いくらお前でも、生肉食って食あたり起こしたらどうするんだ」

 ショッピングカートに牛肉、豚肉、鶏肉といった肉各種(モツ、レバー、ハラミ含む)を放り込み、明は初音の腕を引いて野菜が並べられているコーナーへ向かう。

「初音あっちのがいい」
「野菜も食わなきゃ肌が荒れるぞ。それでもいいのかよ」
「でも、やっぱり肉が」
「いつも食べやすいように料理してるだろ。もしかして、分かってなかったとか?」
「そうだったんだ」
「……はあ。まあいいや、ちゃんと食ってればいいんだから」

 がっくりと嘆息しつつ、キャベツやタマネギを選んでいる明の後ろで、初音が呟く。

「……明ってさ」
「何か言ったか?」
「んーん、何でもない。それよりさ、早く決めて帰ろうよ。ゴハン、ゴハン!」
「ああっ、待て待て、まだ他にも買う物があるんだってば」

 振り返って見た初音の顔はいつも通りで。
 シャツの裾を引っ張られながら、ゴールデンなタレやら塩コショウなどの調味料をカートに入れ、明は会計に向かう。
 食材の合計は、普通の主婦が見たら飛び上がりそうな値段に達していたが、バベルの支援を受けられる今となっては、もはや敵ではない。バベルのマークが眩しいカードで会計を済ませ、大きな袋をぶら下げて明と初音は家路に向かう。




 明たちの家では、小鹿がバーベキューの準備をしている。以前にも親睦を深めようと、同じイベントを行おうとしたのだが、その時は初音が『ウマソウ一号』『ウマソウ二号』なるふくよかで肉付きの良い友達――食材にするつもりだったのか――を連れてきたため、和気あいあいどころか、常にハラハラしっぱなしという結果に終わってしまった。なので、今回はその仕切り直しの意味も込めて、もう一度バーベキューをしようという事になったのである。

「ゴハンっ、ゴハンっ」

 上機嫌に鼻歌を歌う初音の後ろ姿を眺めながら、明は口元に笑みを浮かべる。思えば今まで、初音の食事を作る時には「なんで自分だけが」とため息ばかりついていた気がする。それも少ない予算でやりくりせねばならないのに、初音の食欲は増すばかり。思わずきつい口調で怒鳴っていたことも、一度や二度じゃない。

(初音だって、悪気があったわけじゃないんだよな)

 特務エスパーとして選ばれるまではずいぶん苦労もしたが、全部が全部悪いことばかりでもなかった。小鹿と初音が和解したとき、親子のように抱き合って眠る二人の姿を見て、明は初音を取られたような気がして悔しかった。
 ――そう、悔しかったのだ。

(なんだかんだで……好きなんだろうな。あいつの面倒見るのが)

 夏の青空を見上げれば、太陽は頭の真上に昇ってギラつき、入道雲が巨大なソフトクリームのようにそびえ立っている。その脇をすり抜けるようにして、ひこうき雲がどこまでも伸びていた。

「ねえ明」

 視線を戻すと、初音が振り返って訊ねてきた。

「明はなにか欲しいもの、ある?」
「って急に言われてもなぁ……うーん」
「初音が持ってこられるかな」
「お、なんだ、なんか俺にくれるのか?」
「でも、あんまり高いと初音のこづかいじゃ買えないかも……」

 ちょっと残念そうに、初音はうつむく。
 そんな彼女の頭をくしゃっと撫でて、明は笑う。

「慌てなくてもいいよ、待っててやるからさ」

 初音は不満そうにしていたが、明はそれだけで満足だった。今まで面倒を見るばかりだった彼女が、多少なりとも感謝の気持ちを示してくれたのだ。それも直接に。
 ずしりと重かった袋もいつの間にか軽く、二人の家はもう目の前だった。




 山ほど買い込んだ食材はあっという間に無くなり、腹一杯食べて満足な初音は、縁側で大の字になって満面の笑みを浮かべている。

「初音ちゃんも喜んでくれて、本当に良かったわ」

 後かたづけをしながら、エプロン姿の小鹿が嬉しそうに言った。少し頼りないお姉さんという感じの女性だが、今まで一人で初音の面倒を見てきた明とって、彼女の存在は心強いものだった。人手としても、精神的にも。

「こんな風に楽しくメシが食えたのは久しぶりですよ。ありがとうございます小鹿主任」
「ううん。明くんこそ、びっくりするくらい料理が上手なんだもの」
「あはは、初音の面倒見るとなれば、嫌でも憶えますよ」

 雑談混じりに片づけは進む。
 最後にグリルの金網を外そうとしたとき、明の頬に冷たい雫が当たる。空を見上げると、重い黒雲が家の上空に覆い被さり、不機嫌な色に染まっていく。急いでグリル本体を倉庫にしまい、縁側に駆け込むのとほぼ同時に、空は一気に泣き出した。

「ふう、あぶねえ。しかしこの雨、家の回りだけ降ってるな」
「向こうは晴れてるね、明」
「天気雨ってやつさ。ま、じきに止むだろ」

 雨の勢いは激しく、互いの声さえ聞き取りにくい。じっと雨が弱まるのを待っていると、明と初音の後ろから小鹿がやってきて、遠くの空を指した。

「ほら見て、虹が綺麗よ」
「ああ、こういう時は出やすくなるんですよね、確か」
「おっきな虹だね」
「お母さんがよく話してくれたっけ……虹の宝物の話」
「宝物?」

 小首を傾げ、初音が訊く。

「そうよ。虹の根本には金銀財宝の宝物が眠ってて、それが七色の光を出してるんだって」
「ふーん……」

 初音は小鹿の話を真剣に聞いた後、明の方を向いて、

「明、宝物あったら嬉しい?」
「あ? ああ、そりゃ嬉しいけど」
「じゃあ初音、持ってくる」
「は?」

 言うやいなや初音は家を飛び出し、土砂降りの雨の中を傘も差さず走っていってしまった。明はただ、ポカンとするばかりである。

「ったく、あいつはなに考えてるんだ」
「やっぱり初音ちゃん、明くんのことになると一生懸命なのね」
「一生懸命……初音がですか?」
「初音ちゃんね、明くんと一緒にいるときが一番いい笑顔するのよ。バベルの訓練で私と二人だけでいるときと、全然違うんだから」
「そ、そうなんですか」
「最近ね、初音ちゃんがよく言うの。明くんが前より優しくなってくれて嬉しいって」
「なっ……」
「いつも迷惑ばっかりかけてたから、なにか喜んでもらえることがしたいって話してくれたわ」
「あ、あいつ……なんでそんなこと」

 明は真っ赤になって目を逸らす。
 自分の知らないところで、初音がそんな風に喋っていたのかと思うと、嬉しさを通り越して照れくさい。おまけにその相手が自分たちの指揮官だから尚更である。

「と、とにかく俺、初音探してきます。小鹿主任は待っててください」

 恥ずかしさを誤魔化すように言い、明は傘を持って初音の後を追いかけた。




 近所の野球グラウンドで初音を見つけたときには、雨はすっかり上がっていて、ずぶ濡れの彼女は空をじっと見上げたまま黙っていた。

「初音、帰るぞ」
「追いつけなかった」
「初音?」
「追いかけたけど、虹の根本が逃げちゃう。明、いつも私の知らないところで、私のこと気にしてくれてるから……お返ししたかったのに」

 山吹色の髪から伝い落ちた雫が、初音の頬を濡らす。

「……もういいんだ。ありがとな、初音」

 明は初音の手を取り、雨上がりの地面を踏みしめながら来た道を引き返す。
 家に帰ると小鹿の姿はなく、テーブルの上に二人分の着替えとタオルが置いてあり、その上に明宛のメモが添えられていた。

『おじゃま虫は先に帰りマス。二人とも風邪を引かないように、すぐシャワーを浴びること』

 メモには女性らしい丸みのある文字で、そう書かれている。明は苦笑しつつ、初音にシャワーを浴びてくるように言った。

「――だからなんで、お前は俺の着替えを着るんだよ」

 明の白いシャツにパンツ一枚という、どうにも目のやり場に困る初音の格好に明は嘆息する。といっても、彼女が風呂上がりにこんな格好でうろつくのは珍しい事ではなく、以前は明もさほど気にはしていなかったのだが、最近ではシャツ越しに見える発展途上の膨らみだとか、丸みを帯びてきた身体のラインだとか、思春期の少年としては色々気になって仕方がない。
 ソーダのアイス棒をくわえ、扇風機で火照った体を冷やす初音は、くるりと顔だけ振り向かせて、

「ん? 明も……やる?」


                   



 と、大きな瞳で見つめてきた。

「バカ、やるわけないだろ。それよりちゃんと答えろって」
「明と一緒がいいの。今日は特に」

 初音は時々こうして明の真似をしたがる事がある。明と同じような服を着たりすることで、距離を近く感じていたいという現れなのかも知れない。
 そのせいなのか――明には分からなかったのだが。
 目の前にいる犬神初音という少女は、手のかかる妹――あるいはケモノ――ではなく、一人の愛おしい女の子に見えた。

(まいったな……完全に俺の負けだよ)

 心の中で一人ごちると共に、明の脳裏に閃きが訪れる。

「なあ初音」
「ん、なに?」
「俺さ、欲しい物を思いついたんだけど。今度買いに行かないか」
「明も一緒に行くの?」
「ああ、初音にも選んでもらったほうがいいからな」
「うん、わかった。一緒にいこ!」

 もっと女の子らしい服のひとつも着せてやりたいから。
 そしたら初音はどんな顔をするだろう?
 少し火照った顔を悟られないようにしながら、明は思う。
 あの虹の向こうに眠っていたものは、きっとこの気持ちだったのだと――
 
サスケさんの初音イラストがあまりにも可愛らしかったので、つい勢い余って書いてしまいました。例によって一晩で書いたので粗いところがあるかも知れませんが、なにか指摘等ありましたらお願いします。
個人的にはザ・ハウンド好きとして胸を張れるSSが書けたような気がいたします。
ではでは、皆様よろしくお願いします。

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