5446

【夏企画】夏の熱い想い

「じゃあ明石さん、またねー」
「うん、じゃあねー」

夏休み真っ盛りのある日。特に目的も無く外を歩いていた明石薫は、涼みに立ち寄ったカフェで、友人の花井ちさとと東野将にバッタリと出会った。本人たちは頑なに否定していたが、どうやらデート中だったところに邪魔をしたみたいだ。
散々2人を冷やかした後、早々に別れた薫は、夕方までどのように時間をつぶそうか考えながら歩いていた。
昔は特に何も感じていなかった今日という日。好きか嫌いかと聞かれれば、多分「嫌い」と答えていただろう。でも今は胸を張って「好き」といえる。自分が一歩大人に近づくのを実感できるから。大好きなあの人にまた一歩近づけるから。

「今年は何をお願いしよう。もう少し女っぽいものでもねだってみようかな?」

7月30日。明石薫14回目の誕生日だった。


──────────────────────
       夏の熱い想い
──────────────────────


今日はパーティの準備をするから夕方まで時間をつぶしてくれと、半ば強制的に家を追い出された薫。準備をしているのは、同じチルドレンのメンバーである葵と紫穂、家事能力に長けた末摘花枝、歳の近いバベルの同僚の宿木明と梅枝ナオミである。家の主である皆本光一はというと、今日に限って外せない会議があるとかで準備には参加していなかったが、賢木と一緒に夜には戻るとのことだった。
去年は皆本をデートにつきあわせた。あの時買ってもらったのは何だったか忘れてしまったが、とにかく理由をつけていろんな物を買ってもらった。特別何か欲しかったわけではなく、デートを続ける口実としていくつものお店に立ち寄った。
隣を歩いているだけで楽しかった。腕を組むだけで幸せだった。だから、特にあてもなくぶらついている今も、デートのことを色々考えられて、とても有意義なのだ。

「今年はアレして、ココ行って、アソコのアレ見て・・・あ、さすがにちょっとマズいか。じゃあ、アソコのアレを・・・」

薫の妄想は膨らむ一方だった。夏の日差しを浴びながら、汗を滴らせながら、ニヤニヤと緩みまくった顔で歩く彼女の周囲には誰も人が近寄らなかった。


* * * * * * * * * * *

『おめでとー!!』
「うん、ありがとう。みんな。」

夕方になって家に帰ると、既にパーティーの用意が出来ていた。時間的には少し早いが先に始めてしまおうと薫が言い出したので、後から来た初音も交えて、パーティーがスタートした。
まずは定番のハッピーバースデーソングを歌い、バースデーケーキのロウソクの火を吹き消した。ナオミがケーキを切り分け、薫の目の前に置いた。さあケーキを食べようと、テーブルの中心にあるフォークに目をやると、そのとき視界に入った初音の皿がすでに空っぽになっているのに気づいた。初音の顔に目を向けると、口のまわりに生クリームをつけてニコニコしているのが見えた。ついでに、隣で明が頭を抱えているのも一緒に見えた。
初音らしいなと軽く笑いながら、フォークを取り、自分の分のケーキを食べ始めた。右に目を向けると、葵と紫穂とナオミが談笑しながら、葵とナオミはサラダを、紫穂は肉料理を口にしていた。紫穂は野菜が苦手だと言っているが、それであのスタイルは到底信じられないと薫は思う。何をどうしているかは親友の自分にも教えてくれないのだ。

(葵も少し見習わないとね。特に胸まわり・・・・)

左に目を向けると、花枝が空いたお皿を次々と脇に寄せて、溜まったらキッチンに運んでいくといった動作を繰り返しているのが見えた。そのテンポがあまりに速いので、どうしたのだろう?と思ったが、すぐ隣で初音が肉を食べまくっているのが見えて、なるほどな、と納得した。その更に隣で、明が何か言ってるのが見えたが、初音の顔がとても幸せそうに見えたので、薫は明に心の中で合掌した。

(今日はもうダメだよ、明)

今の薫はとても楽しかった。自分が生まれた日を祝ってくれる人がこんなにもいる。自分の誕生日でみんなが楽しく過ごしてくれている。それは言葉に出来ない嬉しさだった。
昔、今よりもっと子供だった頃、バベルの庇護の下から抜け出そうと画策したことがあった。自分たちを道具としてしか見ていなかった大人たち。実験動物と同じ扱いを受けていた自分たち。それに嫌気が差して、抜け出そうと足掻いていた。でも今は、それが成功しなくて本当に良かったと思っている。今の気持ちがそれを証明していた。そして、その大事な今をくれた彼が帰ってくれば、もう何も言うことはないのだ。

(早く帰って来いよ、皆本・・・)


* * * * * * * * * * *

時刻は午後7:00を過ぎた。玄関がガチャリと開く音が聞こえた。

「やっと帰ってきたか! 遅いぞ、皆本〜!」

薫はリビングのソファでくつろぎながら玄関の方に向かって、大きめの声で皆本を呼んだ。ちなみに今リビングにいるのは、薫と葵と紫穂の3人である。明と初音は、初音が早々に満腹になって「もう眠い」と言い出したので明が連れて帰った。花枝も、病院へ戻らないといけないと言って、そのすぐ後に帰っていった。ナオミは、明日は早朝から大学のサークルがあると言って帰った。今はピークを過ぎて少しマッタリとした状況だった。
やっと帰ってきたかと、待ちくたびれた表情でリビングのドアに目を向けると、そこからでてきたのは、

「賢木センセイに・・・・朧さん?」

賢木と一緒に現れたのは、皆本ではなく朧だった。2人とも、仕事を早めに切り上げて駆けつけてくれたようだ。

「あれ?皆本は?」

てっきり賢木と一緒に帰ってくるものとばかり思っていた。確かに朧が来てくれたことはとても嬉しいが、肝心の人物がいないので、なんだか肩透かしを食った気分だった。

「あ〜、皆本な。ゴメン、なんかまだ終わらないって言うから、置いてきちまったよ。」
「すぐに行くって言ってたわ。あと1時間もかからないんじゃないかしら?」

賢木と朧がそろって答えた。なんとなく違和感を感じた気がしたが、過剰な期待をしていた反動だろうと思い、あまり気にしないことにした。

「さーて、ここにいない奴は置いといて! 今日は良いモンもって来たぜ。あの、1日限定30個のプレミアムスイーツだ。苦労したんだぜぇ、これ」

そう言って賢木は、日本一おいしいという噂のスイーツを取り出した。先ほどまで、肉だの魚だのケーキだのを食べていた3人だったが、「甘いものは別腹!」と、先ほどまでのマッタリムードから一変、再び目を光らせた。
パーティーの第2弾がスタートした。


* * * * * * * * * * *

「・・・・んでな?そこにアノ娘がいたわけよ」
「それって、センセイが昔フッた女なんでしょ?」
「バッ!・・・・違うわ! 俺はそんなヒドいフリ方しないぜ」
「いやー、怪しいわぁ。センセは、ウチから見ても女難の相が出まくりやもん」
「見えるんかおまえは!」
「賢木先生・・・・・いいかげん、もう少し抑えたらどうですか?」

しばらくして、楽しいトークモードになった。主に賢木が女性陣にいじられる格好で場が盛り上がっていた。賢木が突っ込まれるたびに、彼自身墓穴を掘り、その滑稽さで皆が笑う。薫には、賢木がわざとそうしているようにも見えた。

その場は盛り上がった。みんなが楽しそうに過ごしている。
でも・・・・肝心のアイツがいない。
薫は、顔は笑いながらも、心が少しずつ冷えていってるのを感じていた。
壁掛け時計が午後9:00の時報を鳴らすのが聞こえた。

「ねぇ、いくらなんでも遅すぎない?皆本さん」
「そやな。ちょっと遅いよなぁ」

紫穂と葵が唐突にそう言った。
もちろん薫も同じ疑問を持っていた。口に出さなかったのは、皆本が帰ってこないという現実を認めたくなかっただけだ。

「あ〜、そういや遅いなぁ。 ま、もうちょっとで帰ってくるだろ。大丈夫、大丈夫。」

賢木は、3人を安心させるようにそう言った。だが、

「?・・・・『大丈夫』って・・・・どういうこと?先生。何が大丈夫なの?」

とたんに紫穂が賢木を睨みつけるような目つきになる。
その言葉に、彼は自分が重大なミスを犯してしまったことに気づいた。

「え!? なんだよ、オイ。そんなの、言葉に意味なんて無いって、全然。なんでもないって!」
「だから、何が『なんでもない』のよ?・・・・・・先生、何か知ってるんでしょ!!」
「せやせや!キリキリ吐かんかい!!」

ズイっと、紫穂と葵が賢木に詰め寄る。賢木の背中に大量の冷や汗が流れる。朧はその隣で、ハァー、とため息をついていた。
(やっぱりこういうのってダメね、男の人って)

賢木は言おうかどうしようか、迷っていた。口止めされていることをむざむざと話すわけにはいかない。
どう誤魔化そうかと必死で考えをめぐらせていたときに、ふと薫に目を向けた。
彼女の表情はひどく不安げで、今にもどこかに行ってしまいそうな危うさを持っていた。
今まで見たことも無い彼女の表情が見えて、彼は腹を決めた。そして心の中で友人に詫びた。
(許せよ、皆本)





観念した賢木は、まず3人を落ち着かせ、席に着いた。
そして、渋々といった感じで、重い口を開いた。

「まず最初に言っておくが、これは俺たち大人の問題なんだ。お前たちの気に病むことじゃない。」

賢木が何を話そうとしているのかよくわからなかったが、とにかく最後まで聞こうと思い、3人とも黙って頷いた。

「前に、葵ちゃんが実家に帰る、帰らないとかってことがあったよな? 年頃の女の子だから両親の元に返すべきだって。まあ結局は、元の鞘に納まったわけだけど。
で、今になってそのことを持ち出して、また親元に返せってわめき始めた教育省のオバハンが出てきたんだよ。」

言いながら、賢木はうんざりとした表情をしていた。

「だから今、皆本はお前たちが離れ離れにならないよう、直談判に行ってるわけさ。局長と管理官も一緒にな。そういった頭の固いやつらを説得するには、あいつ自身が出向いて誠意を見せないとダメだからな。
だから、その問題が片付くまであいつは帰ってくるわけにはいかないんだ。あいつはお前たちのために、そして自分のために今も戦ってるんだよ。」

どこにでも自分の考えを曲げない人間がいる。自分の常識が全てだという人間が世の中を動かす地位にいることも往々にしてあるのだ。そういった人間に、こちらの意思を理解してもらうのは並大抵のことではない。だが皆本は、チルドレンの3人のためにそれをやろうとしているのだ。彼自身の進退をかけて。
賢木は3人に説明をしながら、皆本のそういう強さに対して、友人ながらも改めて尊敬の念を覚えていた。

「そっか・・・・皆本さん・・・」
「やっぱ皆本はんや。そんなことだろうと思ってたわ。」

葵と紫穂の表情に笑顔が戻る。今日という日をないがしろにしているのではなく、むしろ自分たちのために頑張ってくれているということが、すごく嬉しかった。

「・・・・・・」
だが他の2人に比べて、薫の表情は硬いままだった。不安がぬぐいきれないといった顔だ。
賢木はそれを敏感に感じ取り、すかさずフォローする。

「心配ないさ。相手だって人間だ。あいつのことを知れば、きっとわかってくれるよ。」
「・・・・・うん・・・それはそうだと思うんだけど・・・・」

相変わらず薫の表情は暗い。
たしかに皆本の真面目さ、誠実さを知れば、誤解されるようなことは起こらないと、わかってくれるかもしれない。皆本のことだから、わたしたちのために、自分を犠牲にしてまでも頑張ってくれるのだろう。わたしたちの絆を守るために。
でも、彼とわたしたち、いや、彼とわたしのことはどう思っているんだろう。
わたしたち3人の絆はどんなに離れても決して途切れないという自信がある。だが、彼はわたしとの絆をどう思っているんだろう。わたしたち3人が無事でも、彼がいなければ意味がないのだ。

「・・・・皆本は・・・・皆本も、離れたりしないよね、先生?」

自分の不安な気持ちをそのまま口にする薫。声がいくらか震えているのが自分でもわかった。賢木には、その気持ちが十分過ぎるほど伝わってきていた。

「ああ。だから言ってるだろ?『自分のためにも』って。」

そういいながら賢木は手に持ったワイングラスを口にあて、わずかばかり残っていたワインを一気に飲み干した。
“これこそ、本当に口止めされてたんだけどな。”そう前置きをしてから、

「あいつはおまえたちと離れたくないんだよ。」

そう言った。

えっ!? と、驚きの表情を見せる3人。密かに期待はしていたが、でもまさかと思っていた答えだ。

「前にポロっとこぼしてたんだけどな、お前たちが大人になって、自分で自分の道を決められるようになるまで、ずっと一緒にいるって、そう言ってたんだ。」

“恋愛感情とは少し違うと思うけどな”という言葉を、賢木はグッと飲み込んだ。その方がこの場では正解だと思ったからだ。

薫は今の賢木の言葉から、皆本の暖かい気持ちを感じた。
大事にしてくれているのはわかっていた。包まれるような優しさも。でもそれがどんな種類のものなのか? 彼は親切だから、ただその延長で優しくしてくれているのではないか? 彼自身の性格がそうさせているだけではないのか? たまに不安になる自分がいる。そんなハズはないと頭ではわかっているのだが、感情がそれを否定していた。最近ではそんな不安定な心が薫を支配していたのだ。
だが、皆本は「離れたくない」と思ってる。それに「ずっと一緒にいる」とも。薫にとってはこの上ない喜びだ。彼との心の結びつきを感じ、不安な気持ちが一気に取り払われていく。嬉しい気持ちがどんどん溢れてくる。顔には次第に笑みがこぼれてくるのを自覚していた。

「・・・そっか・・・皆本のヤツ・・・・」

気がつくと、嬉しさを隠し切れないといった笑顔をしていた。こんなに感情の浮き沈みを自覚したのは初めてだった。
その様子を見ていた葵と紫穂は、お互い顔を見合わせて、笑顔で頷きあった。皆本のことはともかく、大事な親友が笑ってくれて、自分たちも嬉しかった。


「・・・・よーし!そしたら、皆本が帰ってくるまでぇ・・・朧さん! 一緒にお風呂はいろぉ!!」

突然ハイテンションになって動き出す薫。いつもの自分を取り戻して、はしゃぎだした。やっぱりわたしはこうでなくちゃ、といわんばかりだ。

「ちょっ!! どうしてそうなるのよ!!」
「まぁまぁ、女同士なんだから。硬いこと言わないで、ね?」
「まぁ、ええんちゃう?薫も昔ほど無茶言ったりせえへんと思うし」
「お゛――!いいねぇ! ぢゃ、俺も・・・・」
「センセイ・・・・・死にたい?」

いつもの明るさを取り戻した面々。皆本がいないその部屋は、遅くまで明かりが消えなかった。



* * * * * * * * * * *

午後11:30。
皆本家の玄関のドアが静かに開いた。顔を出したのは、この家の主、皆本光一。ようやくの帰宅である。

夏の夜特有のムシムシとした空気とは対照的に、室内はヒンヤリとしていた。不快な暑さから開放されて、皆本はホッと一息ついた。
だが、何とか今日中に帰ってこれたことに安堵はしたものの、パーティーで一緒に祝ってあげられなかったことに、皆本はとても申し訳なく思っていた。
その気持ちが行動に現れていたのであろう。自分の家にもかかわらず、静かに扉を閉め、足音を立てず静かに家に入っていった。

玄関の扉を開けると、電気がついたままだった。つきっぱなしのTVでは、CMが流れている。ソファには葵と紫穂が寝ていた。テーブルに目を向けると、薫が突っ伏して寝ている。そのすぐ脇にはショートケーキが一切れあった。おそらく自分用のケーキだろう。
皆本は薫の近くまで寄って、軽く頭をなでた

「・・・・ゴメンな、薫。約束したのに一緒にいられなくて。・・・誕生日おめでとう。」

そう言って、手荷物を床に置いた。

「・・・・待ちくたびれたんだぞ」

突如、彼の目線の下から、恨めしそうな声が聞こえてきた。
驚いて目を向けると、薫がジト目で皆本を見据えていた。どうやら最初から起きていたようだ。

「あ、あぁ、ゴメンな」
「・・・・ゴメンじゃすまない」

“あたしは今とっても機嫌が悪い”という態度で、薫はそっぽを向いた。
本当は、賢木に話を聞いたときから、不安な気持ちも、怒る気持ちも失せていたのだが、自分を不安にさせたこの男を、少しでも困らせてやりたいと、薫は女の芝居を演じていた。
成功しているかどうかはわからないが、多少なりとも効果はあるみたいだ。

「わかった。じゃあ今日と明日はなんでも言うこと聞くから。」
「・・・・・ホントーに?何でも聞いてくれるの?」
「あぁ、なんでも。 今度こそ約束守らせてくれ。」

薫の心はグラッと揺れた。“皆本に何でも言うことを聞いてもらう”。これほど甘美な響きがあるだろうか。思わず笑みがこぼれそうになったが、必死の思いで怒った顔を演出し続けた。
実際、怒っている気持ちもなくはないのだ。

薫が皆本の顔を見据えていると、皆本は手に持っていた大きめのビニール袋をテーブルの上に置いた。ゴツン、と重そうな音がした。
なんだろう?と思って見ていると、皆本がビニール袋を上から下に引きずりおろした。中からは、背の高い花が出てきた。先ほどの重そうな音はどうやら鉢植えの音のようだ。
直径20cmほどの大きな花が、1つの茎に3〜5輪ついていて、花びらがとても鮮やかな黄色い色をしていた。まるで太陽のような明るい色だ。

「ジャーマンアイリスっていうんだ。綺麗だろ。埋め合わせにはならないだろうけど、今日のところはこれを贈るよ。お姫さま。」

そう言って薫の前に鉢植えを置いた。確かに綺麗な花だった。見ていると心が安らぐような、不思議な感覚を覚えた。
しかし、皆本から花をもらったのは初めてだ。たしかに嬉しいことは嬉しいが、なぜ花なんだろう?
薫は皆本の行動がいまいちよくわからなかったが、とりあえず芝居を続行することにした。

「・・・・花なんかで誤魔化されないよ。」

皆本は薫の不機嫌そうな言葉を聞いて、苦笑しながら言った。

「このアイリスの花言葉は、・・・・『あなたを大切にします』・・・っていうんだ。」

そして、少し照れくさそうに、皆本は頭の後ろをポリポリとかいた。
「これからも、よろしくな」
そういって笑った。

「!!!・・・・み、皆本・・・」
薫は首から上が急速に赤くなっていくのを感じた。さっきまで何か文句を言おうとしていた気持ちが無くなっていく。
その代わりに、彼の言葉が薫の胸の奥にじわじわと広がってきた。決して悪くない、むしろ身を任せたい心地よさが全身を包む。
そして、近くにある彼の手をキュッと握り、自分の方へ引き寄せる。

「・・・・・ずるい」

薫はにやけだしそうな自分を必死で抑えてそう言った。

「え?」
「ずるいよ、皆本。これじゃあ・・・・・怒れないじゃん」

赤い顔で彼を睨む・・・・いや、本人は睨んでいるつもりだが、どう見ても熱を帯びた目で見つめていると言った方が正しい。

これ以上女の芝居をするのは不可能だった。薫は椅子から立ち上がり、そのまま皆本に抱きついた。抱きつかれた皆本は少しうろたえたが、すぐに落ち着いて、薫の頭を優しくなでた。

本当にこの男はずるい。わたしの心に入り込んで、捕らえる術を心得ている。こんなの、かなうはずがない。

「待ってたんだゾ・・・みんなで・・・・待ってたんだからな・・・・」
「あぁわかってるよ。ゴメンな」

彼の声が優しく響く。もう不安はどこにもなかった。

(・・・・どうしよう・・・・皆本のこと・・・・もっと、好きになっちゃった・・・・どうしよう・・・・)

今、薫の心のほとんど全てを皆本が占めていた。先ほどは怒っているフリをしていたが、今ではそんな芝居すら無理だとわかってしまった。
どうしたら、こんな彼に怒ったりなんてできるものか。
薫には思いつかなかったし、思いつきたくもなかった。

夏の日差しにやられたように、頭がボゥっとしていた。
この心地よさにずっと身をゆだねていたいと思った。
今日は人生最高の誕生日だ。 
今日という日を「大好き」だと、今こそ薫は胸を張って言える。そう思った。





───────────────────────────
「薫、今回は我慢したけど、次はウチやからな。」
「そうそう。その次がわたし。ちゃんと協力してね。」

次の日。
朝起きたら、開口一番、葵と紫穂が薫に釘を刺しにきた。
あの、皆本とのラブシーン(と、薫は思っている)の時に、2人はバッチリ起きていたのだ。ただ、薫の誕生日だからと思い、あの場は我慢していたが、本当なら飛び起きて思いっきり邪魔したい気分だったのだ。
だから、自分の誕生日には、同じようなシチュエーションになるよう協力しろ・・・というわけである。

うん、うんと、起き抜けのボーっとした頭で頷く薫。
だが、それが後に新たな女の戦いを生み出すことになるのだが、それはまた別のお話。
薫の誕生日が7/30ってだけで、夏っぽいのはほんの少しです。
これって夏企画になるんでしょうか? ならなかったらごめんなさい。


それと、アイリスは春から初夏にかけての花です。ビミョーに季節がずれてますね。

・・・・・でも、いつかやりたかったんです、この花言葉ネタ。

「夏だー!」っていう感じじゃないですけど、ご容赦くださいませ。m(_ _)m

[mente]

作品の感想を投稿、閲覧する -> [reply]