─────────────────────────────
断ち切れない絆
─────────────────────────────
特に大きな事件もない、いつもの昼休み。
皆本光一は、バベル内の食堂に足を踏み入れた。
バベルの食堂は、料理の質が高く、しかも安いと評判で、バベルの職員だけでなく、他の省庁の公務員もよく食べにきていた。
皆本はメニューを眺めながら、昨日は任務中でジャンクフードくらいしか食べられなかったけど今日はちゃんとした昼飯が食えるな、などとぼんやりと考えていた。
1〜2分程度メニューを眺めてから、素材と栄養価と値段を考えて、今日はサバ味噌煮定食にしようなどと結論付けたとき、ふと、見知った人物が目に入った。
「やあ、明くん。キミもお昼かい?」
「あ・・・・皆本さん」
宿木明。チルドレンたちと同じ、特務エスパーである。
明も同じようにメニューを眺めていたが、どこか心ここにあらずといった感じで、ボーッとしているように見えた。今さっき明に気づいた皆本も、明のそんな様子がなんとなく気になった。
「何か、考えごとかい?」
「い・・・いいえ、そういうわけじゃないんですけど・・・・」
そういって、明はまた黙ってしまった。どうみても悩みがあるようにしか見えない。
彼が悩むとしたら、十中八九、彼のパートナーの犬神初音に関することだろう。また彼女が何か問題を起こしたのだろうか。
しかし、兄妹のように育った彼らにとっては、ケンカもコミュニケーションのひとつだろうし、もし何か重大なことが起こっていたら、ここで悠長に昼飯も食べてられないだろう。そう思った皆本は、あまり深く問いたださず、すぐにその話題を切り上げた。
「とにかく、お昼食べようか」
そういって、皆本はサバ味噌煮定食を、明はカレーライスをお盆に乗せて、一緒の席についた。
「・・・・皆本さん」
「ん?」
目の前のカレーライスを2口ほど食べてから、明は皆本に声をかけた。
「皆本さんとチルドレンの3人って、いつも仲がいいですよね」
「え? うーん・・・まあ、うまくはやってるよ」
「そう・・・そうですよね、うん」
そういって、また無言になる明。先ほどから、どうも様子がおかしい。
明はもともと落ち着いた性格なので、チルドレンのようにはしゃいだりするようなことはないが、それを差し引いても、なんとなく元気がないように見える。それに今の質問も、世間話にしてはいまいち要領を得ない。
「どうしたんだい? 小鹿さんとうまくいってないのかな?」
最近、彼の身の回りで起きた変化といえばそれだろう。指揮官がついたことで、人間関係に変化が訪れれば、おのずと日常にも影響してくる。他に理由が思いつかない皆本としては、当然の質問だった。
「いや、そんなことないですよ。小鹿さんはとても良い人です。最近は初音もずいぶんなついてますし・・・」
「にしては、なんだか元気がないね」
「うーん・・・・確かにうまくいってるんですけど・・・・なんとなく、ホントなんとなくなんですけど・・・・なんていうか、何か物足りないっていうか・・・・いや、確かにチームとしてうまくいきそうな感じになっては来てるんですけどね。 すいません、なんかうまく言えてないですね。」
なるほど、そういうことか。今の明の言葉で合点がいった。
つまり、今まで初音の面倒を見てきた明としては、自分の負担が減って少し楽になった反面、自分以外のだれかになついていることに寂しさを感じている。そんな自分の気持ちをうまく処理できていないのだ。
「・・・・初音くんとキミは、いつもベストパートナーだよ。」
「え?」
皆本は唐突にそう言った。
いきなり何を言うのかと明は思ったが、それが自分では気付いていない気持ちに対する答えであることになんとなく気付いた。
「初音くんが色々な人とコミュニケーションを取れるようになれば、たしかにそれは彼女のためになることだよ。でも、だからといって、彼女がキミのことを忘れると思うかい?」
「・・・・いえ」
「どれだけ人間関係が広がっても、大切なものは忘れられないものさ。兄妹のように育った君たちなら特にね。」
「・・・・・・」
皆本の言いたいことはわかる。初音が自分を頼ってくれていることもわかってる。認めたくはないけれども、今のこの気持ちは、単なるヤキモチだ。それも“なんとなく面白くない”という程度の気持ち。実際、明は最初から気づいていた。気づいていないフリをして目をそむけていただけだ。
そう言われて、明は改めて皆本を見直した。
他人に本心を指摘されると普通は気分が悪くなるものだ。しかし、皆本のように遠まわしに気づかされるとそんな気にもならないし、逆に素直に聞けてしまう。そういった、人に対する何気ない気遣いや優しさが、皆本の人間性であり、明が尊敬する部分なのだ。
「さ、早いところ食べようか」
「あ、はい。そうですね。」
明はなんとなく心のモヤモヤが少し晴れたような気がした。
もしかしたら悩みなんてものは、人に話したら大抵のことは解決するものなのかもしれない。そんな風にも感じた。
****************
その夜。犬神家(兼、宿木家)
“大切なものは忘れられないものさ”
皆本の言葉が頭に響く。
そうだ。俺は俺で、初音は初音。友達が出来て、仲良くなって、それが普通なんだ。それで俺たちが何か変わるなんてことはないんだから。むしろ喜ぶべきことじゃないか。
心の中では、まだ若干わだかまりが燻っていたが、それを理屈で強引にねじ伏せた。悩んでいたところでしょうがない。なるようになるし、なるようにしかならないのだ。
「初音ぇー、ご飯だぞー」
いつものように、初音を呼ぶ。おさんどんは自分の役目だ。
ニオイに釣られて初音が食卓に下りてくる。
そして、目の前のご飯に目を輝かせる。
そう、これもいつもの風景だ。
「いただきます」
明がそう言って、夕飯に手をつけようとした。
・・・・しかし、初音は目の前の食事をジッと眺めているだけだった。
「どうした? 初音」
初音が食事に手をつけない。まさか、何か材料が痛んでいたのだろうか。
初音は、その能力から他人よりも五感が秀でているので、その嗅覚で何かを察知したのかもしれない。
初音がジッと食事を眺めて約1分。今度は明に顔を向けて、そのまま明の顔をジッと見た。
「な・・・・なんだよ・・・」
初音の行動がまるでわからない。
たしかに彼女は、半分野生で動いている面があるので、突発的な行動に出ることもある。でもそれは、明にとってはいつものことだし、行動理由も大体は理解できるものだった。
だが、食事に手をつけないなんてことは、今まで一度もなかった。
あきらかにいつもの初音じゃない。
たっぷり3分ほど見つめあっただろうか。唐突に初音が口を開いた。
「あきら・・・・・いつも、ありがとう。」
そう言って、ペコリとお辞儀をした。
「・・・・・・・へ?」
またしても理解不能な行動を取る初音。食事の前に、いただきますよりも前に、“ありがとう”?
明はますます混乱した。
「ど・・・・どうしたんだよ、初音?」
初音はきょとんとした顔をして、ちょっと考えて、それから話し出した。
「えと・・・いつも世話になってる明には、たまにはお礼とか、自分の気持ちとか、素直に言った方がいいって。だから、ありがとって。」
なるほど。どうやら小鹿主任にそのようなことを言われたらしい。
いや、もっと言うと皆本が始めに口ぞえしたのかもしれない。
とにかく、やっと初音の行動の意味を理解した明は、何とか平静をとりもどし、夕食を再開した。
「あ・・・あぁ、どういたしまして。それより、ほら。早く食わないと冷めちゃうぞ。」
そう言ってお椀を手に持ち、味噌汁をすすった。
そうか。初音も他人の言うことを素直に聞くようになったか。何より食い気優先の、あの初音が。成長したなぁ、うんうん。
と、明が心の中で喜びの涙を流していた時だった。
「わたし、明のことスキだよ」
「ブハァッ!!!!!!!!」
明は口に含んだ味噌汁を盛大に吹き出した。
「明、もったいない」
言った本人は、のほほんとした表情だ。
「ちょっ!・・ゲホッゲホッ・・・・おま!・・・ナニ言って!・・・ゴホゴホッ」
予期しなかった突然の告白。平静を取り戻した頭が、再び混乱の渦に巻き込まれた。
ななな、なんだよオイ今のは! この場面でそう言うか!? そういうことなのか!?
いいい、いやいや、まてまて。あいつは“自分の気持ちに素直に”とか言ってたぞ。つまりアレだ。親とか、兄妹とか、そういう身内に対しての言葉だ。
そうだそうだ。嫌いだったら一緒に生活なんてできないからな! なんだ、そういうことだよ。あーびっくりした。
断じてちがうよな? あのー、ほら。恋人に対するアレじゃないよな? そうだそうだ!
混乱する明の頭の中では、猛烈な勢いで理論武装が施されていた。理解不能の後に突然の不意打ち。このパニック状態から、何とか立ち直るためには、自分で自分にしっかりするよう言い聞かせなければならないのだ。
「あ・・・・アハハハハ・・・・そっ、そうか・・・あ、ありがとな。」
なんとか気持ちを立て直した明には、そう言うのが精一杯だった。そして、その場を誤魔化すように食事を再開した。
「明・・・今日、一緒に寝る?」
「ブホァッ!!!!!!」
今度は、口の中に入れていたきんぴらごぼうを吹き出した。
「明、もったいない」
今度こそ、明の頭はパニックになった。
一緒に寝るということは、つまり“そういうこと”か!?
違う!違うぞ! これはアレだ! 子供が夜に眠れなくて母親を求めるような、ああいうヤツだ!
そんな、ドラマで見るような、男と女のそういうのじゃなくて! 親のぬくもりに抱かれたいっていうアレだよな!「バ○ァリンの半分は優しさでできています」そういうやつだよな!そうそう!
・・・・いや、でも、寝るってことは、アレだよな?一緒の布団で寝るってことだよな。俺らの歳で寝るってことは・・・・えっ? あれ? どういうことだ?
今度の攻撃は中々立て直せなかった。
混乱した心のまま、初音を見ると、なんとなく熱を帯びた目で見つめている・・・・・ように見える。そしていつもよりかわいく・・・・・・見える気がする。
やばい・・・・俺・・・・どうなるんだろ・・・・・・・・・
・
・
・
・
・
・
・
・
どうもならなかった。
夕食が終わり、風呂から上がった初音は、明の布団の近くに自分の布団を寄せて、早々に眠ってしまったのだった。明が部屋に入ったときには、既に、くぅくぅと寝息を立てていた。
ハハハ・・・・そうだよな。そういうオチだよな、やっぱり・・・・・・ナニを期待してたんだろ、俺。
安心した反面、どこかガックリときた明。顔には目の幅の涙が流れていた。
先ほどの精神的な攻防が、ただの考えすぎに終わったことを感じ、余計に疲労感が襲ってきた。こういうときはさっさと寝るに限ると、明も初音の隣の布団に入り、その場はすぐに眠りについたのだった。
やっぱ、俺たちはいつもこんな感じだよ。うん。
2時間後。
初音は明に正面から抱きついて、その胸元に顔をうずめながら寝ていた。
その顔はこの世の幸せを目一杯堪能しているような、満面の笑顔だった。
「えへへへ・・・あきらぁ・・・・好きぃ・・・・ぐぅぐぅ・・・・・」
Please don't use this texts&images without permission of てりやき.