午後のひととき(2)
コツ、コツ
ドア越しにする丁寧なノックの音に須磨はディスプレイの時刻表示に目を移す。当人の性格を表すように時間ぴったりの訪問だ。
返事を待っているらしく動かないドアに向かって
「どうぞ」と呼びかける。
それに応え開く扉。七割の緊張感と三割の警戒感を纏った訪問者が入ってくる。
「ようこそ”宮崎”主任、待っていたわ」
‘合っているのは『み』だけか!’と皆本。
正式な書類も回っているはずなのに未だに名前を覚えていない事に『ムッ!』するが、ここまでくるとある種のユーモアかもしれないと思い返し、
「こちらこそ、忙しい時間を割いていただきありがとうございます」
と訂正なしで挨拶を済ます。
その取りようによっては挑発的な態度に須磨の眉がぴくりと動くが、それ以上のリアクションは見せず、
「前任者が後任者に仕事の引き継ぎをするのは当然。余計な気遣いは無用よ。それに運用主任を辞めた今、バベルですることはないしね」
‘そういえば、須磨主任って教育省からの出向だったんだよな’
今更ではあるが、皆本は彼女がバベルにあっては部外者であったことを思い出す。
ちなみにここに来る前、挨拶回りで幾つかの課を回ったが、今回の人事−目の前の女性の解任(建前としては辞任だが)−について、バベルの職員はおおむね歓迎している事が感じ取れた。
もっとも、その好意的な空気は、チルドレンと総称される猛獣扱いされてきた少女たちを思ってのことではなく、目の前の女性が任務を優先するあまり他の部署の都合など一切頓着しなかった事への不満・反発の裏返しだったりする。
その点、まったく意味が違うとはいえ、好かれていないと言う一点において少女たちとこの女性は同類項なのかもしれない。
そこまで考えた時、ふと、任務を途中で退く事にどういう思いがあるのだろうかと考えるがすぐに頭から追い出す。
後任が尋ねるべき事ではないし、そういう質問を一番嫌うだろう事は(接した時間はわずかだが)承知している。
「で、いつまでぼーっと立っているつもり?」と須磨の手厳しい指摘。
時間にすればコンマ秒以下だろうがまじまじと見られた事に不愉快さを感じたようだ。
「あっ! どうも済みません」皆本はあわてて勧められた椅子に腰を下ろす。
「後はアクセスコードの変更だけね」
バベルのメインコンピューターにあってチルドレン関連のデーターにアクセスする画面を表示した須磨は『適当にどうぞ』と端末前の椅子を明け渡す。
入れ替わった皆本は変更のために必要なパスワードが入力されていない事に気づいた。
「済みません、パスワードを入れてもらえませんか」
「ああ、忘れていたわ」素でそうだったらしい須磨は面倒くさげに、
「じゃ、パスワードを言うから入力して」
「でも、自分のパスワードを人に教えるって拙いでしょう。譲りますから打ち込んでください」
「必要ないわ。使っているのはチルドレン用に考えたもので、今後、使うつもりはないから」
須磨はそこで一呼吸間を開けると、
「いい、パスワードはS、H‥‥」
『L、O、M、O』と皆本は言われた文字を打ち込み、アクセスコードを自分のパスワードに変更する。
「このパスワードですが、この綴り、旧約聖書の出てくる人ですよね」
たしかSHLOMO−ソロモンは旧約聖書における智恵の王で動物と意志の疎通ができたと言われている。
もし、それを踏まえたパスワードとすれば、あの少女たちとの意志の疎通を望んでいた事に‥‥
「あなたにはどうでもいい事でしょ」答える義務はないと須磨。
そこで『忘れていた』と机に投げ出されていたファイルを取り上げる。
「これもあの子たちのデーター、渡しておくわ」
「どうしてこれだけ別に?」
それなりの量のレポート用紙が綴じられたファイルに皆本は戸惑う。
「私的なメモとか覚え書きみたいなものばかりだから。目を通して必要ないって思ったら廃棄してちょうだい」
「では少し拝見します」と皆本。
前振りからして期待薄だが、わざわざ用意してくれたものを無碍にも扱えないというところ。
儀礼として数ページを繰って終わるつもりだったが、読み進めるうちに感嘆が心を占めるようになる。
というのも、そのトラウマもあって子供に対しては力で押さえ込むだけの人物と思っていたのが、そうではない事が読み取れるから。
日常の振る舞いから少女一人一人についてその資質や内面、その関係性を鋭く分析、評価が行われている。よほど熱心に日頃の目配りができていないとこれだけのものは書けないだろう。
さらに、驚かされるのは、そうした個性を持つ少女たちから見て、自分やり方がどういう影響を与えるのかを客観的に分析、批判している点。
そこには先にも触れたような強引さや独善性はまったく感じられない。
‘しかし‥‥’と感嘆した分だけある種の腹立たしさも生まれる。今更だとは思うが、
「こんな風にあの子たちが傷つき苦悩していることを知っていながら、どうしてあんな‥‥ 首輪や電撃、仲間を人質にするようなやり方を? それが正しくない事だって分かってやっていたとしか思えませんが?!」
「世の中には解っていて間違った選択をしなければならないことはままあるってこと。まぁ、エリートコースのど真ん中を走っているあなたには解らない事だけど」
『エリートコース云々』には反論したいところの皆本だが、今はこの有能で状況も理解していた女性がなぜ間違った選択をしたかが気に掛かる。
‘そういえば、以前‥‥’と医務課で耳にした噂を思い出す。
それによると、強大な超能力を持つ一方で指示に従わない少女たちに業を煮やし、超能力を外科的な処置により永久に除去してしまう計画が進んでいたとか。
仮にそれが事実だとして、計画以上に話が進まなかったのは、目の前の女性は曲がりなりにも少女たちをコントロールできたからだろう、そう、あの首輪、電撃、さらには人質を使って。
「ひょっよして、その間違った選択は、あの子たちがコントロールできることを早急に示す必要があったからなんですか?」
「何、それ!?」須磨は珍しく意表を突かれたという顔をする。
「『間違った』っと言ったのは結果的にってこと。さすがに自分たちを死んだ事にして逃げようとするまで追い詰めたんだから成功とは言えないでしょう。付け加えれば、私自身、あの選択は今でも間違っているとは思わないから。だから、それについてあなたにもクソガキどもにも弁解するつもりもないわ」
相変わらずの強気一辺倒の台詞だが、質問自体には応えていない事に気づく皆本。
一瞬の狼狽が自分の推測を裏付けている気がする。
「何?! その含み笑いは。コメリカ生活で礼儀ってものを忘れたのかしら?」
「いえ、何でもありません」皆本は否定はしてみせるが表情はそのままに、
「あの子たちってけっこう幸せ者だったんだなって思って。すぐ身近に親身に自分たちの未来を考えてくれた人がいたんですから」
「誰が!! あのクソガキどもを親身になんか‥‥」
そこまで口にしたところで『はっ!』とする須磨。これでは逆に『親身』に考えたと肯定しているようなものだ。
答えは受け取りましたと皆本小さくうなずく。
「僕もあなたが引き受けた状況では緊急避難として似たような事を選択したかもしれません。でも、それをくぐり抜けてからも同じやり方というのはどうなんでしょうか?」
「適当なところで真っ当な扱いをすれば、ってこと? あそこまでした以上、それを同じ人間がひっくり返すのは大人への不審を助長するだけよ。真っ当に扱うのは後任がすればいい事。何も一人の主任で全てを解決しなければならないってことではないでしょう」
理屈に叶った話だと思わざるを得ない皆本。しかし”美味しい”ところを譲ってもらう形に、
「そうだ! あの子たちに自分たちの今があるのはあなたのおかげだって事を話しておきます。でないと、あの子たちは自分が誰によって救われたかを知らないままって事になってしまいますから」
「余計なことね! 今、そんな話をしたって誰の得にもならないわ」
須磨は如何にもバカな提案だと鼻で笑う。
「そんなことはないでしょう! もう役目は終わったんだし何も好んで敵役を‥‥」
そこで反論が途切れる皆本。
身を乗り出した須磨がネクタイを引っ張り首を締め上げたから。
「いい、一度しか言わないから良く聞きなさい! 今のあの子たちは、私から救ってくれたという点で、あなたを、ほんの少しでしょうけど信用する気になっている。そんなあなたが敵(かたき)をフォローするような事を一言でも言ってご覧なさい、一瞬でその信用が消し飛んでしまうわ。そこから信用を回復するのにどれほど時間が掛かると思うの? いくらさっきの話が立ち消えたと言っても、チルドレンに後はないのに変わりはないのよ」
「でも‥‥」
さらに締まるネクタイ。
「ごちゃごちゃ言うんじゃない! あなたの仕事は何?!」
「あ‥‥ あの少女たちを‥‥ 立派に成長させることです」
「その通り! けれど、それが並大抵じゃないことはもう承知しているはず。だったら、利用できる状況があればそれをとことん利用する事。それが行いとして正しいかどうかは二の次、三の次よ! もし青臭い倫理観でそれができないっていうのなら、即刻、辞表を出しなさい。そうすれば、最低、あなたが不幸にならずに済むわ!」
一気に捲し立てられた皆本は何度か顎を引く事で判断を受け入れた事を示す。
むろん、同意しかねる点はあるが、正論が多いのは間違いないし、何より頸動脈を締め上げられ頭に酸素が回らなくなってきた以上それしか選択肢はない。
『それでいい』と須磨は手を離す。まとわりつく犬を追い払うように手を振ると、
「余計な話で長くなったけど、もう引き渡すものはないし帰っていいわよ」
「解りました」皆本はネクタイを緩めると立ち上がり一礼。ドアを開けたところで、
「そうそう。さっきの話、仰るように、今は伏せておく方が良いというのは同意します。しかし、将来、あの子たちが正しく育ち、他の人の言葉を素直に受け取入れ、好意に対しては感謝を伝えられるようになったら話すのはかまいませんね? あの子たちには真実を知る権利がありますから」
ふう〜 須磨は軽く息を吐く。
正しいことは行いますと気負いもなく言い切る青年にさじを投げたと表情が語る。
「あなたって見た目は頼りないけど、ひょっとすると私以上に頑固なのかも‥‥ こういうのが主任になったチルドレンに同情したくなってきたわ」
「今の言葉、褒められたものと取っておきます」
「まっ、あのクソガキどもに関して、『素直』とか『感謝』とか前提条件段階で真夏に雪が降るほどのあり得ない話だけど、そうなったらご随意に。アテにしないで待っているわ、皆本クン」
正しい名前を呼ばれ、一瞬、きょとんとした青年に『行って良い』と再度の合図。
座ったままで見送った彼女の口元には微笑みが浮かんでいた。
プレコグを持たない彼女は知らない。
数年を経て、超度7の超能力が生み出した光景−真夏に降る雪の下、三人の少女が決まり悪そうではあっても確かな感謝の気持ちを自分に表す光景を目の当たりにする事を。
Please don't use this texts&images without permission of よりみち.