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うっかりヒャクメの大冒険 第六話「うっかり王、誕生!」

  
 霊動実験室。
 それは一種の仮想空間である。
 ここでは、記録された魔物や妖怪の霊波動を再現してシミュレートすることが出来るのだ。
 現在この部屋で戦闘訓練を受けているのは、女神ヒャクメ。
 トレーニング相手はキャメランである。オリジナルでも五千マイトの強敵だが、シミュレーション調整で数倍にパワーアップしていた。
 当然、ヒャクメ二人がかりでも歯が立たない。さっきまでは、ただ逃げまわるばかりだったのだが……。

『見える! 見えるのねーっ!』

 合体して『うっかり王』となった今、もはやキャメランなど敵ではなかった。

『サイコメトリックぅう……メガトンパーンチ!』

 ヒャクメの一撃が、キャメランを粉砕する!




    第六話 うっかり王、誕生!




 話は少し――いや、かなり遡る。
 もともと、霊動実験室でトレーニングを行っていたのは、美神であった。

「うぐッ……!?」

 シミュレーションで作られたハーピーによって、一方的に痛めつけられる美神。

「立ちなさい令子!!
 まだ相手は30鬼目よ!!」
「そ……そんなこと言ったって
 体がもう……!!」

 コントロールルームからガラス越しに美智恵が激励するが、美神は倒れたままだった。半分に折れた神通棍を杖にしても、起き上がることすら出来なかったのだ。

「限界を超えられないのは
 おまえの中に甘えが残っているからよ!
 まずはそれを消して上げるわ……!!」

 コントロールパネルのスイッチの一つに、美智恵の指先が触れる。
 同時に、ハーピーの目が機械的に光り、美神への攻撃が激化した。

『そろそろ限界なのね……』
『美神さん、もうすぐ意識も失うわ』

 美智恵の横では、二人のヒャクメが訓練を見守っていた。
 危険がないかどうか、『目』を使ってチェックしているのである。
 オブザーバー役は本来一人で十分なはずだが、わざわざ二人でやっているというのも、ヒャクメが周囲からあまり信用されていない証かもしれない。
 
「……ここまでですね」

 ハーッと溜め息をつきながら、美智恵がプログラムを緊急停止させた。実験室の中の美神は、すでにピクリとも動かない。
 そんな娘の姿を黙って見つめる美智恵に、二人のヒャクメが声をかけた。

『隊長さん……いくらなんでもムチャですよ?』
『シゴけばパワーがつくってものじゃないのね。
 私たちにも事情は理解できますが……』

 その言葉にハッとする美智恵。
 ヒャクメを振り返った彼女の目には、優しい色が浮かんでいた。美智恵は、美神には冷酷な態度を示しているものの、実際には、娘の身を案じる一人の母親なのだ。
 
「ヒャクメ様に隠しごとはできませんわね……」

 美智恵は、霊動実験室での百人抜きを美神に命じており、一ヶ月経っても出来なければ殺すとまで宣言している。
 だが、その裏には、美神を追いつめることでブチ切れさせてパワーアップさせようという狙いがあった。アシュタロスに対抗できる策をGS本部へ提出しない限り、美神は、上からの命令で暗殺されてしまうからである。
 アシュタロス側にも一年という時間の制約がある以上、美神が死ねばエネルギー結晶は行方不明になり、問題は解決する。それが上層部の思惑だったのだ。

『ごめんなさい、私たちが不甲斐ないばかりに……』
『せめて戦士タイプの神魔が
 残ってたらよかったんですけど……』

 ヒャクメたちは、軽く頭を下げる。
 地上で活動できる神魔族は、もはやヒャクメ二人のみ。しかも霊界と切り離されている以上、彼女たちだって、いつまで活動できるか分からなかった。
 人間たちに全て任せなければいけないという状況を、神族としては情けなく思うのだ。

「そんな、神さまに頭を下げられても……。
 私たち人間だって、いつもいつも
 神頼みというわけにはいきませんから」

 と強がってみせる美智恵だったが、心の中では、神さまどころがワラにでも縋りたいくらいだ。そして、そんな彼女の心境は、もちろんヒャクメたちにはお見通しだった。
 こうして三人がしんみりとした場に、西条が駆け込んでくる。

「な……!!
 令子ちゃん大丈夫なんですか!?」
「西条クン!
 立ち入り禁止と命じたはずですよ?」

 彼は美神の様子が心配で、ここへ来てしまったのだろう。気持ちは理解できるが、それでも美智恵は、冷ややかな視線を西条へと向ける。

「しかし先生……」
「……いいでしょう。
 命令違反、今回だけは見逃します。
 ところで……」

 西条は、結晶を探すアシュタロスの配下と一戦交えて、対策本部へ帰ってきたところだった。
 ただし、『アシュタロスの配下』と言っても、敵側で指揮をとっていたのは横島である。もちろん横島は人類を裏切ったわけではなく、みんなのためにスパイ活動を行っているだけだった。
 通信鬼を通して美智恵から正式に任命された諜報任務であり、最近では前よりも頻繁に連絡を取り合っていた。だから、今回の襲撃も、言わば出来レースである。西条は、危なげなくヒーロー役をこなしてきたのだ。さらに、

「横島クンに例の物は……?」
「はい!
 本人に気づかれないように、発信機を……」

 西条は、美智恵からの密命も無事に果たしていた。

「よろしい!
 15分後に作戦行動を開始します!
 ただちにヘリポートに集合!
 これから……
 私の戦い方を見せましょう」

 わざと西条に背中を向ける美智恵。

(なんだ、この雰囲気は……?
 先生はいつからこんな冷たい目に……!?)

 と、西条がいぶかしむ。
 彼の横では、美智恵の心を覗いたヒャクメ二人が、コッソリと苦笑していた。

(クスクス。
 そういうことなんですね?)
(隊長さん、了解です。
 私たちに……まかせてなのねー!)

 指揮官である美智恵が自ら最前線に立つ、重要な戦い。美智恵は、そこでヒャクメにも働いてもらうつもりだったのだ。
 二人になったからこそ出来る仕事である。だが、これが本来の歴史をどのように変えてしまうのか、美智恵もヒャクメたちも、もちろん知らなかった。


___________


「お……!
 あんなところに……」

 空に浮かぶ移動妖塞『逆天号』。
 連れて行ったモンスターを西条に倒された――倒させた――横島は、そこに一人で帰還する。

「ただいま!」
『危険物感知せず!
 ドアロック解除!』

 自動応答メッセージを聞きながら、横島は考えてしまう。
 すでに横島は、アシュタロス配下の魔族三姉妹や、彼女たちの上司である土偶羅魔具羅から、かなり気に入られていた。それでも、

(なんだかんだ言ってもまだ
 信用されてないんだよな。
 船の居所は俺に教えず自動誘導だし、
 ボディーチェックしないと
 入れてもらえないし……)

 というのが現状だったのだ。
 そして、彼の後ろにベスパとルシオラがヌッと現れる。

『これか!!』
『やっぱり……』
「わっ!?
 な、なんスか!?」

 突然他人に背後に立たれたら、スナイパーでなくても良い気はしない。
 特に横島の場合、仲良くなったとはいえ二人は敵であり、彼は敵のど真ん中でスパイ活動を行っているのだ。横島は思いっきり慌ててしまったが、

『発信機さ!
 あんた、つけられたのよ。
 外見てみな!』
「え……」

 ベスパは冷静に対応する。
 彼女たちと共にブリッジへ移動し、下の様子を見てみると……。


___________


 青く輝く海原を、巨大とは言えない程度の波を蹴立てて進む、一隻の空母。
 アメリカ海軍ニミッツ級、CVN-99、USSインクレーダブルである。

『空母だろーが核ミサイルだろーが
 我々には傷ひとつつけられんわい!』
『……でもおかしいわ。
 飛行機がいないし……
 それにあの魔法陣は何?』

 艦長席でふんぞりかえる土偶羅魔具羅とは対照的に、ルシオラが警戒を示す。甲板に描かれた巨大な魔法陣を、不審に思ったのである。
 このメンバーの中では彼女が科学士官の立場なだけに、当然の対応であった。

『フン!!
 この実力差に多少の小細工、
 どーだというのだ!?
 断末魔砲発射用意!!』

 火力の差で解決しようとした土偶羅魔具羅だったが、空母から投げかけられた声に、その手を止める。

「アシュタロス一味に告げる!
 無駄な抵抗はやめてすみやかに降伏しなさい!!」


___________


「コラーッ!!
 おばはんーっ!!
 全部俺の関係者やないかっ!?
 何考えとるんじゃーっ!!」

 空母の上にズラリと並んだメンバーを見て、横島が泣き叫んだ。実は彼らは偽物なのだが、横島はそれを知らないのだ。

『……てことは』
『もしかして人質?』
『なんという卑怯なことを!!』

 と魔族たちにも言われてしまうような、美智恵の作戦であった。

『うわははははっ。
 でも気にせず主砲発……』
「どちくしょおおおーっ!!」

 攻撃態勢に入った土偶羅魔具羅を見て、ブリッジから走り去る横島。

『ポ、ポチッ!?』
『あー』
『土偶羅様ひっどーい!』

 パピリオ・ベスパ・ルシオラも、横島の肩を持つ。

『なぜじゃっ!?
 ポチの身内がどーなろーと
 我々の知ったこっちゃないだろう!?』
『ポチは私のペットでちゅよ!?
 ……てことは仲間でちゅ!!』
『部下の気持ちを切り捨てる上司か……』
『なに!?
 わしだけワルモノ!?』

 妹二人が土偶羅魔具羅を責め続ける横で、ルシオラは、

(それに……
 あの魔法陣の女、どこかで……)

 美智恵に見覚えを感じて、考え込んでいた。
 しかし……。
 手遅れになる前に正体に気づくことは、出来ないのであった。


___________


『……悪かったな。
 向こうの出方がわかるまで
 手は出さんから心配するな!』

 パピリオが呼び戻してきた横島に、土偶羅魔具羅が声をかけた。

『気にしなくていいよ』
『別におまえのためだけってわけでもないから』

 魔族姉妹からも優しい言葉をもらい、ホロリと来てしまう。

(な……なんなの、これは!?
 こいつらの方が味方よりあったかい……!?)

 横島は、今までトイレに隠れて、西条にコッソリ連絡を入れていたのだ。
 しかし、美智恵と共に空母に乗ってきているくせに、西条は作戦の詳細を知らない。それに、横島にとって一番頼りになるはずの美神は、訓練でダメージを受けて同行していない。
 そうした話を聞かされた直後なだけに、敵の思いやりが、いっそう身に染みるのだった。
 だが、そんな人情ドラマは長くは続かない。

『飛行物体多数接近!!』


___________


『な……煙幕!?』
『あれだけの飛行機を
 煙幕を張るためだけに……!?』
『ただの煙じゃないわ!!
 霊波を帯びてる!!
 視界ゼロよ!!』

 ビューアーを覗き込んでいた科学士官ルシオラが顔色を変えた。
 しかし、艦長は、まだまだ余裕タップリである。

『何かの罠にはちがいないが……
 視界を奪ってどうする?
 我々の優位は変わらんぞ』

 そう言いながら、お茶をすすっているくらいだ。
 上司に恵まれない環境のようだが、それでもルシオラは、文句も言わずどこにも電話もせず、必死に働いていた。

『正面に我々と同じ大きさの飛行物体!!』

 利かなくなったレーダーの中から、かろうじて読み取れる情報を拾い出すのだ。

『高エネルギー反応!!
 撃ってくるわ!!』

 ドッ!!

 かすっただけで、艦全体が大きく揺れた。

『応戦しろッ!!
 こっちも撃て!!』


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「煙幕で空が暗く……!」

 空母に乗っているおキヌは、心配そうに空を見上げていた。
 今の彼女は、オカルトGメンの制服を着ている。最初に袖を通した時には、自分も女性捜査官になったという実感がありワクワクしたものだが、もはやそのような高揚感はなかった。
 
『大丈夫なのね』

 二人のヒャクメのうちの一人――通称『しっかりヒャクメ』――が、おキヌの肩にソッと手をのせる。彼女の不安を感じ取ったからだった。

「で……でも、あれには横島さんが……」

 おキヌがそう言っている間にも、目の前の海に、敵戦艦の破片が落下する。それは、そら全体が落ちてきたかと錯覚するくらいの轟音を伴っていた。

『敵に大打撃を与えてますね……。
 撃破できるかも!』
「……え?」

 もうひとりのヒャクメ――通称『うっかりヒャクメ』――の発言は、おキヌの心配を増長させる。
 しかし、ヒャクメたちは、慌てて二人がかりでフォローするのであった。

『あ……!
 でも安心していいのね。
 横島さんに危険はないから』
『そのための私たちなのね!
 そろそろ準備しましょうか……』


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『ポチ、お願い! 早くして!
 あ、そこはダメよ。
 ちがうわ、その横よ!!』
「ここっスか……!?」
『……あ、いいわ。
 そうそう、そのまま……』

 ルシオラと横島は、逆天号の修理を試みていた。
 足場の不安定な外壁での作業であり、本来ならば戦闘中にするような行為ではない。しかし、敵戦艦との撃ち合いで異空間潜航装置がやられた以上、仕方がなかったのだ。

『予備回線だけでも応急修理して、
 煙幕の中から逃げなくちゃ……!』

 必死に修復するルシオラの傍らでは、横島が、別の意味で必死だった。

(俺だけこいつらと心中して、
 めでたしめでたしなんて認めん!!
 なんとかしなくちゃ……!!
 スキをみて脱出じゃ!!)

 このままでは、この艦ごと撃墜されてしまう。
 横島は、それを心配していたのだ。

(首輪がついてる今なら、ここから飛べるはず……)

 と、逃げ出す手段を具体的に検討していた時。
 逆天号の正面に、再び、謎の敵戦艦が出現した。
 そこから強烈なビームが発射される!


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 ブリッジの面々も頑張っていた。しかし、敵の主砲は、こちらの断末魔砲と同じ威力をほこっているのだ。異界へ潜航できない現状では、とるべき手段は一つしかない。

『真正面でちゅ!!』
『緊急回避!!』

 懸命な操艦で直撃だけは避けることが出来たが、それが精一杯だった。外の二人に気を配る余裕まではなかったのである。


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 突然、逆天号が大きく揺れる。

『あっ、しまっ……!!』

 ルシオラの手が、壁面から離れた。その身がフワリと空へ浮く。
 飛行能力を持つ彼女であったが、今は自由に動くことが出来なかった。科学知識に明るいルシオラなだけに、原因もハッキリ理解している。
 背後を走る強力なエネルギー波のためなのだ。
 だから、この先に待っている事態も正しく認識していた。

(吸いこまれる……!!)

 ルシオラは並の魔族ではないが、それでも、逆天号の主砲レベルのビームに飲み込まれたら一瞬で消滅してしまう。
 これで終わりなのだ。
 彼女は、そう悟っていた。


___________


 ガッ!

 そんなルシオラの足首を力強く掴むもの。それは……。

『ポチ……!?』

 横島の左手だった。

「あっ」

 ハッとする横島。
 
「し……しまった!!
 何やってんだ、俺は!?
 せっかくのチャンスなのに!?
 つ、つい反射的に……」

 しかも彼の悪いクセで、思考を口に出してしまっているのだ。

「今からでも遅くはない!!
 手を離せば……」

 横島の言葉は、ルシオラの耳にハッキリと伝わっていた。
 今、彼女の命は、文字どおり横島の手に委ねられているのだ。
 横島の顔を見つめるルシオラ。
 ルシオラの足首に視線を向け続ける横島。
 思い詰めた表情をする二人の間で、長くて短い一瞬の時が流れる。
 そして……。

「くそ……!!」

 横島の口から、新たな言葉が漏れた。


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『おまえ……もしかしてバカなの?』

 座り込んだルシオラは、命の恩人に対して、そんな言葉をぶつけてしまった。
 まだ船の外にいる二人であるが、ルシオラは、今までよりも安全な場所に腰を下ろしている。そして、横島は、艦内に体の半分を埋もれさせるような姿勢だった。

「……」

 うつむいたままの横島は、言葉を返すことが出来ない。

『一瞬迷ったんでしょ!?
 なのになんで……』

 そこまで言われて、ようやく口を開いた。

「夕焼け……好きだって、言ったろ」
『え』
「一緒に見ちまったから……
 あれが最後じゃ、悲しいよ」


___________


『おまえ……』

 驚いてしまうルシオラ。
 横島の口から出てきたのは、ルシオラの予想だにしない言葉だったからだ。
 確かに、ルシオラは、横島と一緒に夕焼けを見たことがある。

   『ちょっといいながめでしょ?』
   「へええ……!
    ちょうど陽が沈むとこっスね……!」
   『昼と夜の一瞬のすきま……!
    短時間しか見れないから、
    よけい美しいのね』

 そんな会話を交わした後、自分たちの寿命が一年しかないことまで話してしまった。だから、ルシオラが夕焼けに重ねているイメージまで、横島には伝わったに違いない。
 あの場で見た景色も、そして、そこで行われた心のやりとりも……。当事者たちは気づいていないが、第三者から見れば少しロマンチックだった。
 しかし。
 それは、恋人同士の逢瀬どころか、友達以上恋人未満のデートでさえ、なかった。
 いや、仲間や味方ですらない二人だったのだ。
 ルシオラは、

   『私はまだ
    おまえを信用したわけじゃないけど……』

 と明言したくらいである。
 それなのに……。

(あんなささいなことが気になって、
 敵を見殺しにできないほど
 ひっかかるなんて……)

 横島は、まだ下を向いたままだ。
 それでもルシオラには、今まで見えていなかった彼の一面が、見えてきたのだった。


___________


 だが、ここは戦場である。
 男女の間に甘い時間が流れる余裕なんて、誰も与えてくれなかった。

『ウッギャーッ』

 逆天号の断末魔砲が唸る。
 やられてばかりというわけにはいかず、こちらからも反撃したのである。
 今までの攻撃は、敵艦に大きなダメージを与えることはなかったが、今回は違った。
 側面に直撃して、羽根のようなパーツが壊れ落ちる。

「ああッ!!
 そ……そーか!!
 そーゆーことだったのか!!」

 主砲発射と同時に顔を上げていた横島は、敵戦艦のシルエットと被害状況から、今、真実を悟ったのだった。


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『えっ……何!?
 「そーゆーこと」って、どーゆーこと!?』
「ブリッジで話します!
 土偶羅様にも説明しないと……」

 先に艦内に戻る横島。
 ルシオラも、続いて中に入った。
 しかし……。

『……ポチ?
 どこ行っちゃったのーっ!?』

 ほんの一瞬の差だったのだ。
 それなのに、横島は姿を消していた。
 中に入る代わりに外へ出たのか、落ちてしまったのかと周囲を見渡すが、それでも見つからない。そもそも、そんなはずはないのだ。
 確かに、自分の目の前で、横島は艦内に飛び込んだはずだった。

『それこそ……どーゆーこと!?』

 そして、横島が消失した今頃になって。
 ルシオラは、ようやく気付くのだった。さきほどの彼の言葉――「一緒に見ちまったから……あれが最後じゃ、悲しいよ」――は、「もう一度一緒に見よう」という意味にも解釈できる、ということに。

『ポチーッ!!』

 ルシオラの絶叫が響き渡る。


___________


 艦内に足を踏み入れた瞬間。
 横島は、背筋がゾクッとした。

(なんだ……?
 これが以前に美神さんが言ってた、
 霊能力者のカンってやつか?)

 そんな思考がまとまる前に。
 後ろからのびてきた女の手が、横島の左腕をガシッと掴んだ。
 
(……!)

 しかし、若い女の手ではない。
 いや、人間のものですらなかった。
 直感的にそう悟った横島だったが、

(もしかして……
 ルシオラ……か?)

 確認しようと振り返った時には……。
 すでに、周囲の光景は全く変わっていた。


___________


「あれ……?
 ここは……下の空母の上か!?」

 逆天号の中にいたはずなのに、いつのまにか横島は、USSインクレーダブルの甲板に立っていたのだ。

「よく生きて戻ってきたな。
 てっきり死んだものだと思っていたよ」

 西条の憎まれ口が――本心かどうか定かではない言葉が――、横島を出迎える。
 
『私が助け出したのねー!』

 という声は、横島の左側から聞こえてきた。
 彼の腕を握って、ここまで一緒に転移してきた女神。『しっかりヒャクメ』である。

『それが出来るようになったのも
 ……私のおかげなのねー!』

 西条の横に立つヒャクメ――こちらは『うっかりヒャクメ』――が、誇らしげに語った。
 
「えっ?
 ……どーなってるんだ!?」

 横島は、まだ混乱している。
 だが、今の彼に必要なのは事情説明ではなかった。仲間の温かい出迎えのほうが、心に直接響くのだ。

「横島さん……!
 よかった、もう会えないかと……!!」
「おキヌちゃん……」

 胸に飛び込んできたおキヌを、横島が受け止める。
 無事な帰還を喜び、おキヌは涙を流していた。

『……前にもあったのね、こんな光景』

 とつぶやく『しっかりヒャクメ』。
 彼女が思い出しているのは、横島が月から生還した時、つまり生身での大気圏突入という偉業を成し遂げた時のことだ。
 『しっかりヒャクメ』だけではない。西条も『うっかりヒャクメ』も、それぞれの思いを込めて、ヒシッと抱き合う男女を見守っていた。


___________


 アシュタロスの妨害霊波で神族の力は制限されており、ヒャクメの力も衰えている。そのため、逆天号でペットとして捕われていた際も、空間転移して脱出することなど出来なかったのだ。
 しかし、今では事情が変化していた。もう一人のヒャクメが来たおかげで、二人分の神通力を合わせることが可能となったからだ。
 これが、歴史を大きく変化させる。
 空母の上から遠視で横島の様子を覗けるようになったから、彼が美智恵のトリックに気付いたことも、ヒャクメには察知できた。
 だから、それが魔族三姉妹に伝わる前に、逆天号へと空間転移して横島を救い出すことも出来たのだ。
 そして。
 逆天号から横島が消えたことで、美智恵の作戦のカラクリに気付く者もいなくなったので……。


___________


『大変なのよーっ!』

 泣き叫びながら、ルシオラがブリッジに駆け込む。

『言われんでも
 わかっておるわい!
 ……まわりを見てみいッ!』

 振り返りもせずに、土偶羅魔具羅が叫び返す。
 彼の言うとおり、スクリーンやコンソールなど様々なところから火が噴き出ている状態だった。
 だが、ルシオラにとっては、ブリッジの惨状よりも重要なことがある。

『……そうじゃないの。
 ポチが消えちゃったのよ!』
『ポチが消えた……?
 逃げ出したのか、あいつ!?』
『ポチが逃げちゃうなんて……。
 連れ戻すでちゅ!』

 オロオロするルシオラ。
 脱走と決めつけるベスパ。
 ワーッと泣きわめくパピリオ。
 そんな三姉妹を土偶羅魔具羅が一喝する。

『そんなヒマないわい。
 それどころじゃないからな!』

 土偶羅魔具羅とて、ポチのことは嫌いではなかった。しかし、物事には優先順位というものがある。
 こちらと対等の火力をもつ敵戦艦と戦っている状況では、ポチに構ってなどいられないのだ。

『「それどころじゃない」ですって……!?
 戦闘が始まってもお茶飲んでた
 チン○口に言われる筋合いはないわ!』
『チ……チン○!?』
『それに……ポチは大切だわ!
 敵のトリックに彼は気が付いたらしいの。
 ……でも突然消えちゃったのよ!』

 ルシオラは少し冷静さを欠いていた。
 彼女の説明では、ベスパのポチ逃亡説の信憑性を高めることにもなるのだが、その点に思い至らないくらいだ。
 また、本来ならばルシオラも美智恵の正体に気付くはずだったのだが、こんなルシオラでは、もはや、それも有り得なかったのである。


___________


 そして、ルシオラたちが言い合っている間にも、敵艦からの砲撃は続いていた。

 ズガアン!

 敵の主砲が再び直撃する。

『ねえさん!
 土偶羅様の言うとおりだよ。
 ポチのことは後回しだ、今は……』
『いや、もう遅い』

 ルシオラに対するベスパの言葉を、土偶羅魔具羅が遮った。

『むこうにもダメージを与えたが、
 こっちも同じくらい喰らってしまったわい。
 この艦は……もうもたん!』

 外見はともかくとして、土偶羅魔具羅は、高い演算能力を持つ兵鬼である。冷静に現状を計算すると、もはや策は一つしかなかった。

『総員退艦じゃ!
 アシュ様が眠る心臓部が無事なうちに
 カプセルユニットとして射出するから、
 おまえたちは警護にあたれ!』
『……!!』
『明日のために今日の屈辱に耐えるのだ。
 それが男だ……!』

 と告げた土偶羅魔具羅に、

『あたしたちは女だよ!』
『こんなときだけ名艦長ぶるんじゃないでちゅ!』

 ベスパとパピリオがツッコミを入れる。
 だが、それにも構わず、土偶羅魔具羅は言葉を続けた。

『悔しいだろうが……異議があるなら、
 この戦い終了後アシュ様に申し立てい!
 ……って、あれ!?』

 自分ではカッコ良く言い切ったつもりだが、彼が語り終える前に、すでに三姉妹はブリッジをあとにしていた。

『こら、わしをおいていくな!
 わしが指揮官だぞい!』


___________


 こうして、ルシオラたちは逆天号を放棄することになった。
 なお、長い戦いの間に、太陽も西に傾き始めていた。
 今、逆天号が夕陽の海に沈む。

「……」

 逆天号の最期を、空母の甲板から見届ける横島。
 彼の隣には、おキヌがピタリと寄り添っていた。


___________


 おキヌや美神たちは、最近、自分の家に帰っていない。それぞれ部屋をあてがわれて、都庁地下のアシュタロス対策本部に寝泊まりしていた。
 スパイ活動から戻った横島も、同様である。
 横島に割り当てられた部屋の前に、今、おキヌが一人、立ちつくしていた。少しの間ジッとしていたが、やがて、スーッと一呼吸してからドアをノックする。

 トントン。

「横島さん。
 私ですけど……入っていいんですか?」


___________


「まだ掃除の必要はなさそうですね」

 それが、部屋に迎え入れられたおキヌの第一声だった。

「……あ、おキヌちゃん。
 そのためにわざわざ?」
「いえ、そういうわけじゃないです……」

 いつもの横島のアパートとは違う、殺風景な雰囲気。
 それを会話のとっかかりにしただけであり、他意はなかった。

「私、別に横島さんの家政婦じゃないですから」
「ああ、ゴメン。
 俺もそんな意味では……」
「わかってます、横島さん。
 ……冗談ですよ、もう」

 軽く笑ってみせるおキヌ。
 横島も笑顔で対応するのだが、その表情に落ちている小さな影を、おキヌは見逃さなかった。
 これこそ、おキヌの来訪の目的なのだ。

「ところで……横島さん、大丈夫ですか?」
「えっ!?」
「みんなが戦勝に浮かれていた時、
 横島さんの態度がおかしかったような気がして……」

 世界中の霊的拠点を破壊したと言われる逆天号を、人類の機転で撃沈したのだ。
 今、オカルトGメン本部は喜びに包まれていた。
 もちろん、アシュタロスそのものが残っている以上、まだ問題は解決していない。だが、それでも節目となる勝利は過大に盛り上がってしまうのが、人間のサガである。
 そんな中、おキヌは、横島が少し沈み込んでいることに気付いていた。それは、空母の上で逆天号の終焉を見守った時から、ずっと続いていたのだ。

「やっぱり……
 しばらくむこうで暮らしたから
 横島さんとしては複雑なんですよね?」

 おキヌは、もう一歩だけ横島に近づいて、そして、励ますようにソッと手を握った。

「ああ……。
 あいつらだって……根は悪いやつらじゃないからな」

 そして横島は語り出す。
 僅か一年という寿命に設定された三姉妹の話を。
 短い命だからこそ、それぞれ精一杯生きているのだということを。

「『命なんかなんとも思ってねえ化け物』……。
 『あの手でいつでも俺をブッ殺せるんだ』……。
 最初はそう思ってたんだ。
 でも、握った手は小さくてやわらかくて……」

 そこまで聞いたおキヌは、自分の手にギュッと力をこめる。
 おキヌの両手の中で、横島の右手がピクリと反応した。

「横島さんらしいですね」

 クスリと笑うおキヌ。
 自称モテない男である横島だが、実際には多くの女性から好意を寄せられているし、肉体的にも、女性とのスキンシップの機会に恵まれているのだ。
 おキヌは、現代――自分が生まれた時代よりも遥かに未来――の知識を、テレビや雑誌などから積極的に吸収しており、だから、世の中には異性と手をつないだこともない若者だっているのだと理解していた。
 だが、『モテない』と思いこんでいる横島に、わざわざ真実を指摘することもない。

「モノノケとも仲良くなっちゃう人ですもんね。
 横島さん……やさしいから」


___________


(え?)

 おキヌの言葉に含意を感じて、横島は顔を上げた。
 ふと見ると、いつのまにか、おキヌはうつむいていた。彼女の視線は、彼女の両手――横島の右手を包む手――に向けられている。

(『モノノケとも仲良く』……か)

 確かに、これまでの除霊仕事の中で、本来は敵であるはずの女性型魔物から好かれることは何度もあった。
 ほのかな好意というだけでなく、キスをされたこともある。もっとアダルトな展開になりそうなことだってあった。

(そうだよな。
 そもそもおキヌちゃんだって……)

 もともとは、おキヌも横島を殺そうとしていたくらいだ。言わば『悪い』幽霊だったのだ。だが、すぐに仲間になってしまったから、元・悪霊というイメージは全くない。
 そして『良い』幽霊となったおキヌは、横島を慕い、横島に尽くし……。

「幽霊だった頃は……
 おキヌちゃんも、その一人だったな」

 と口から出てしまった言葉を受けて、おキヌもポソッとつぶやく。

「人間になってからもですよ」

___________


 幽霊だった頃だけではない。人間になってからも、おキヌの横島への気持ちは変わっていないのだ。
 しかし、おキヌは、今この場で自分の気持ちをぶつけるつもりなんてなかった。だから、自分の発言の意味に気付き、ハッとして顔を上げる。

「あ……。
 私……何言ってるんだろ」

 おキヌは、顔が熱くなるのを感じて、視線を逸らした。実は、横を向いたことで、紅潮した頬を横島に見せつける向きになったのだが、その点には思い至らなかった。

___________


 おキヌを見ているうちに、横島も赤くなってきた。

(そういえば……)

 横島は思い出してしまったのだ。
 おキヌが人間になって、記憶を取り戻して、戻ってきた直後。
 最初の除霊仕事の中で。
 二人きりになった際に、『大好き』と告白されているのだ。あの『大好き』が友愛の意味を超えていることは、横島にも明白だった。
 当時は正直すぎる発言で返したために、混ぜっ返したような形になってしまったが……。

(おキヌちゃんって……俺のことを……?)

 今、横島は、目の前の少女から目が離せなくなっていた。
 頬に入った赤みは、女性をより色っぽく見せることにつながり、男の本能を刺激する。
 ましてや、横島は、今まで魔族たちの世界にいたのだ。横島自身に分け隔ての意識はないとはいえ、やはり『魔族』と『人間』とは違う。『人間』の女性と二人きりで時間を過ごすのは、久しぶりの経験だった。

(おキヌちゃんって……
 ただ『いいコ』なだけじゃなくて
 こんなに色っぽかったのか……!)

 手を握り合ったまま、黙ってしまう二人。
 窓から差し込む夕陽が、二人をいっそう赤く染め上げるのだった。


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 バタン!
 
 勢い良くドアが開いて、ムードが一変する。
 ヒャクメ二人が飛び込んできたのだ。

『ラブシーンはそこまでなのねー』
『隊長さんが呼んでるのねー』


___________


「ひーッ!!」

 横島は、雪女から逃げまわっていた。
 
「なんだ、こいつら!?
 強ええっ!!
 弱点も攻撃パターンも、
 最初に会ったときと変わってる!?」

 ここは霊動実験室。
 本来は美神のトレーニングに使われている場所だが、訓練でダメージを受けた美神は、今、医務室で休んでいた。その空いた時間を利用して、美智恵が、横島をここへ放り込んだのである。

「このままじゃ死ぬ……。
 そろそろ停めてーッ!!」

 と叫ぶ横島は、すでに半分くらい凍らされていた。


___________


「横島さん……がんばって下さい!」

 おキヌは、コントロールルームから声援を送っていた。
 近くには美智恵やヒャクメ二人も立っているが、彼女たちは、黙って冷静に眺めている。

「……やっぱり、この程度ね」

 小さくつぶやきながら、美智恵が、プログラムを強制終了させた。
 カウンターに表示されたスコアは13鬼。
 ルシオラという恋人を得た横島ではなく、おキヌとちょっとイイ雰囲気になった程度の横島なのだ。
 恋人のために自発的にトレーニングに励む横島ではなく、美智恵の命令に従って始めた横島なのだ。
 そんな彼には、これが限界だった。

「横島さん、大丈夫かな……」
「でも……これならいけるわ」

 心配そうなおキヌとは対照的に、美智恵は目を輝かせていた。
 美智恵の言葉に好奇心をくすぐられ、ヒャクメ二人が、彼女の心を覗き込む。

『……隊長さん、本気ですか?』
『とんでもない反則ワザなのね』

 思わせぶりな発言を聞いて、おキヌも興味を示した。

「なんのことですか?」
「……横島クンの文珠よ。
 まだまだ半人前だけど、
 でも彼だけに可能な技があるのです」

 美智恵は、おキヌの質問に答える。
 彼女に対して説明できないようでは、上層部に理解させることも無理だと思ったからだ。

「霊力の完全同期連係。
 ……早い話が合体技ね」

 すでに美神令子は限界までパワーアップしているが、それでもアシュタロスたちには歯が立たない。
 霊波の質を変えることも困難であり、そこで考えついたのが、他人のパワーを美神に上乗せすることだった。
 波長がシンクロして共鳴すれば、理論的には相乗効果で数十〜数千倍のパワーが獲得できるはずなのだ。

『私たちが二人分の神通力あわせたこと……』
『それがヒントになったのね』

 と、ヒャクメ二人が口を挟む。
 だが、これでは、なぜ横島が必要なのかという説明にはならない。だから、美智恵は話を続けた。

「波長が完全に同期すれば、その効果は絶大。
 ただし、人間である以上わずかなブレは不可避ですが……。
 横島クンならば、文珠を使って
 力の方向を完全にコントロールすることができます!」

 本当は、合体する二人の力が同格でなければ、最良の効果は得られない。その意味では、今の横島では、まだまだ不十分だ。
 それでも、ベストではないがベターな効果を発揮できる程度には、横島は成長している。今のシミュレーション訓練を見て、美智恵は、そう判断したのだった。

「わかったかしら、おキヌちゃん?」
「あの……」

 確認の意味で問う美智恵だったが、おキヌは、頬に指をあてて首を傾げている。
 美智恵は一瞬、この説明では通じなかったのかとも思ったが、そうではなかった。

「『人間である以上わずかなブレは不可避』……。
 そう言いましたよね?
 じゃあ人間でなければ、同期合体は簡単なんですか?」

 と言いながら、おキヌは、視線をヒャクメ二人に向けた。


___________


『無理なのねー!
 私たちは戦闘要員じゃないから』
『霊力そのものは人間より大きいけど、
 でも……無理なのねー!』

 ヒャクメ二人が、大きく手を振って否定する。二人は、今度はおキヌの思考を読んだから、彼女が言わんとするところがハッキリ分かったのだった。
 そして、この対応を見て、美智恵も理解した。
 おキヌが思いついたこと、それは、二人のヒャクメを合体させることなのだ!

「どうして気づかなかったのかしら!!
 ヒャクメ様なら……」

 自問自答する美智恵。
 妨害霊波で抑えられているとはいえ、まだまだヒャクメのパワーは、人間よりは大きいはず。しかも、この二人ならば、霊波の質も波長も全く同じなのだ!
 人間の同期合体で数十〜数千倍のパワーだというなら、ヒャクメ二人の合体では数百〜数万倍、いや、数億倍も夢ではないかもしれない。

「決まりですね……」
『えっ!?』
『そんな……』

 美智恵は、二人のヒャクメに向かって、ニッコリと笑いかけた。

「今後ヒャクメ様には、
 それを想定した訓練を受けてもらいます」


___________


 そして、今。
 訓練指揮官としてモニターを見ているのは、眼鏡をかけた西条。その横にいるおキヌは、オペレーター役をしている。
 ガラス一枚を隔てた霊動実験室では、

『ひえーっ、死んじゃう……』
『神殺しなのね〜!』

 ヒャクメ二人が、情けない声を上げていた。

「これでは訓練になりません。
 ちゃんと戦ってください……!」

 逃げまわるばかりのヒャクメたちに、西条が命令する。彼は、美智恵の代理をしっかりこなそうと頑張っていたのだ。別に目が悪いわけではないのに美智恵の眼鏡を――度の弱い眼鏡を――借りているのも、『美智恵役』という意識の表れであった。
 現在、美智恵はベッドにふせっている。少し前に敵が本部まで乗り込んできた際に、毒を受けてしまったからだ。
 霊的拠点が全て破壊された後だったので、たとえ逆天号が沈んでも、歴史の趨勢に大きな影響はなかったらしい。
 だから、アシュタロスが美神を南極まで招待するというイベントは、本来の歴史どおりに発生していた。

「この辺りの事情は……
 詳しく説明する必要もないですよね?」
「おキヌちゃん。
 誰に向かってしゃべってるんだい?」

 ともかく。
 南極決戦の準備が整うまでに、ヒャクメを戦士に仕立てあげる必要があるのだ。
 だから……。

『助けてなのね〜!』
『緊急停止お願い〜!』

 ヒャクメ二人が泣きわめいても、西条もおキヌも突き放すしかなかった。
 いや、そもそもヒャクメの訓練の際には、緊急停止スイッチという仕様は設定されていなかったのだ。そのかわりに、別の機構が組み込まれている。

「……そろそろ限界なのでは」
「そうだな……」

 おキヌが西条を見上げ、西条も頷いた。
 そして、彼は合図の言葉を口にする。

「うっかり合体……承認!」
「はい!」

 おキヌがスイッチを押すと、ヒャクメのもとへ文珠が送り込まれる。
 神族であるから波長をあわせる必要はないのだが、それでも、文珠を介して合体するのだ。最初、文珠なしで合体しようとしたら失敗したからである。
 そして、美神と横島の『同期合体』と区別するために、ヒャクメたちの合体は『うっかり合体』と呼ばれることになっていた。


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『合、』
『体!』

 送り込まれた文珠を二人で握りしめると、ヒャクメたちの全身の『目』が輝き始めた。
 外に露出している『目』だけではない。衣服の下に隠された『目』からも、光が発せられる。
 無数の光の糸が二人を結びつけて、その体を包み込んだ。
 さながら、光の繭であった。その輝きが収まったとき、中から現れた姿は……。


___________


「……ヒャクメ様ですね」
「ああ。ヒャクメ様だ」

 合体したヒャクメの外見は、普通のヒャクメだった。
 いつものヒャクメと全く変わりがない。もしかすると『目』の数が増えているのかもしれないが、外から見える範囲内では同じ数である。
 合体前は二人いたのに、一人逃げ出して消えてしまった。そう見えてしまうくらいだった。
 しかし。
 ヒャクメ当人の気持ちは、全く異なっていた。
 さきほどまでの慌てぶりが嘘のようだ。

『西条さん、ダメなのね。
 せっかくヤサ男が眼鏡かけて指揮官やってるんだから
 「承認」よりも「解禁」と言うべきなのね!』

 と、わけのわからぬダメ出しをするくらい、余裕があったのだ。


___________


『見える! 見えるのねーっ!
 サイコメトリックぅう……メガトンパーンチ!』

 シミュレーションのキャメランを、ヒャクメは、あっというまに倒してしまう。

「すごいです!
 ……すごいパワーです!」

 コントロールルームで見ていたおキヌは、手を叩いて無邪気に喜んでいる。
 一方、その横に立つ西条は、おキヌとは違う視点から観察していた。

「いや、パワーじゃない」

 西条は、モニターに映し出されたデータをチェックする。
 ヒャクメは、キャメランの霊的中枢をピンポイントで攻撃していたのだ。

(強敵と戦う時は……
 ヨリシロと魔力の源を切り離せばいい!)

 西条の頭の中で、かつて美智恵から教わった言葉が蘇っていた。
 それを踏まえた上で、西条は、合体したヒャクメの強さを理解したのである。

「ヒャクメ様は、弱点を見抜いたんだ。
 もちろんパワーもアップしているが……
 『見る』力そのものが、アップしてるんだ!」

 これこそ、ヒャクメとヒャクメが合体した恩恵なのだ。ただの神族ではなく、『目』が優れた神さまだからこそ……!
 そんな興奮に水を差すかのように、おキヌがポツリとつぶやく。

「『うっかり合体』だから……
 『うっかり王』と御呼びすべきでしょうか?」
「名称なんてどうでもいいんだよ、おキヌちゃん。
 それより……」

 一瞬の間を置いた後、西条は、大きな声で言い切った。

「これが勝利の鍵だッ!!」


___________
___________


 そして……。
 こうしてヒャクメが活躍し始めた時代よりも、少し過去の時代。
 そこでも、今、一つの仕事が終わりを迎えていた。

『両方船が動けなくなって五分と五分だ!!
 決着つけちゃる!!
 素手でこい、素手で!!』
「おおっ、やらいでかっ!!」

 幽霊と人間が殴り合うという幕切れ。
 横島の記憶どおりの結末である。

『いいんですか、
 あの二人あのままで……?』
「ははは……。
 もう幽霊潜水艦はどこにも行けないからな。
 これでいいんだよ、おキヌちゃん」

 横島は、おキヌに笑いかける。
 沈むはずの巡視船が一隻助かり、それ以外は『逆行』前と同じだったのだ。これならば大成功である。

「それじゃ帰ろうか。
 また運んでもらわないといけないけど……」
『はい、がんばります!』

 殴り合う二人を残したまま、横島とおキヌは、ソッと飛び去った。


___________


「……おかえり」
「あれ、美神さん?」

 事務所へ戻った二人を出迎えた美神は、いつも以上に真面目な表情をしていた。
 横島はその違和感に気づいたが、おキヌは、ただキョトンとしている。
 だが、特に美神が説明しようともしないので、横島も敢えて聞かない。ただ淡々と、今日の仕事の報告をするのだった。

「横島クンもおキヌちゃんも、ごくろうさま。
 ……もう今日は帰っていいわ」

 横島の話を聞き終わった美神は、サッサと彼らを帰らせようとする。
 そして、二人の顔を見比べながら、言葉を続けた。

「今晩はゆっくり休みなさいね。
 ……明日は大仕事だから」
「えっ!?」

 横島も美神も『逆行』してきた者たちだ。詳細を覚えているわけではないが、いつ大事件が起こったのかという程度は、記憶していた。
 だから、横島にはピンときたのだ。美神の言う『大仕事』とは、本来この時期に起こる除霊仕事のことではない。
 それは……。

「横島クン……あんた、
 こういうことにはニブくないのね」

 横島の表情が変わったのを見て、苦笑する美神。
 だが、すぐに真剣な顔に戻って、大事なことを告げるのだった。

「そう……準備は整ったわ。
 明日いよいよ死津喪比女を倒しに行くわよ!」



(第七話に続く)
 
 こんにちは。
 第三話以降、月曜投稿が続いていたので、今回もそうしました。今回の文量は、この作品の今までの一話あたりと比べると倍くらいになってしまいましたが、これでも皆様が読みにくくないことを願っています(昔はもっと長いのを平然と投稿していましたが、最近は「私のようなクセのある文章・作風では、長すぎると読み辛いだろう」と心配しています)。
 そして、ルシオラファンの皆様へ謝罪です。ごめんなさい。ヒャクメ様が活躍したことで、『もっとおまえの心に』イベントが消滅してしまいました。
 私自身ルシオラ(および他のヒロイン候補)は嫌いではないですし、連載当時に読んだ中で一番印象に残っているのも東京タワーの夕陽シーンです(ちなみに二番目はタマモの遊園地デート。もしかすると当時の私はおキヌファンではなかったかもしれません・笑)。しかし、いざ長編SSを書こうとして大まかな展開を構想し、それに沿って書き進めていくと……。なぜかルシオラが不遇な目にあうケースが多いような気がします。今回もルシオラが可哀想でしたが、この先の展開で「ああ、これならば、第六話のような内容も仕方ないな」と思っていただけることを願っています。
 なお、今回、開始当初から書きたかった『ヒャクメの合体』に、ようやく辿り着きました。でも、この作品で私が書きたいことは、まだまだ幾つかあります。これからも、よろしくお願いします。

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