宣戦布告オホーツク海気団
午前中は時折青い空をのぞかせていたのだが、夕方には雲は低く重くたちこめ、ついに我慢しきれなかったのか雨は降り出してしまった。
どうせ近くだから、すぐ終わるから、買い物の邪魔だから、大丈夫いま降ってないから!
――そう楽天的に考え、傘を持たずに買出しに来たものの。
スーパーの自動ドアをくぐる前に足は止まってしまう。自身の判断力の甘さに明は肩を落とした。
傘を今から戻って買うか、途中でコンビニに寄って買うか。
……あの、足元見やがって、ビニールですぐ折れるくせにいやに高い傘を?
いや、大した雨じゃない。我慢しよう。それに全く雨がしのげないわけではないのだから。
明は肩がけの鞄から地味な黒い折りたたみ傘を取り出す。念のため、折り畳み傘はこの時期必ず持ち歩いていた。
同じように大きい袋を提げ、ぼんやりと空を見上げている初音に声をかける。
「仕方ない、傘一本しかないけど帰るぞ」
夏の夕立のような激しさはないものの、雨は確実に降り続いている。
細かい雨はすぐに風に揺らされ、傘を差しているにも関わらず腕や脚を無遠慮に濡らしていった。
明の右手には傘。左手にはおまけでもらったエコバッグ。中には卵や果物など「繊細な」食べ物が入っている。
右側を歩くのは初音。彼女は右手に色違いのエコバッグを持っている。中には肉や特売のアイスが入っている。
傘は少しばかり右に傾いている。
「今日は晴れると思ったのに、今週ずっと雨だね」
「ずっと洗濯もできてないしな……」
「そろそろ着ていける服がない」
「部屋干しか……アレどうやったって匂うんだよなぁ……」
「……明のジャケットも洗うの?」
「えっ!? くさい!?」
驚いて身を引き、傘を持っていた手ごと鼻先に寄せる。
「そうじゃなくて、明、袖とかずいぶんもう濡れてるから」
「たしかに濡れたままにしておくのは悪いけど――初音?」
傘を動かしたすきに、彼女は傘から飛び出した。
「初音、傘いいや。濡れるの嫌いじゃないし」
すぐに傘を初音の頭の上へ差し出すが、彼女は首を振ってまた一歩後ろへ跳んでしまう。
「家までもうすぐなんだから、狭くても我慢しろ。風邪ひくぞ」
「今日は暑いから大丈夫! 先に帰ってる!」
「あ! おい、待てって!」
明の制止の声も聞かず、初音は身を翻し小走りで駆け出してしまう。
二つに結ばれた揺れる金髪を見送り、明はわずかな時間立ち尽くした。
「まったく――」
呆れたようにひとり呟いて、邪魔な黒い傘を下ろした。
軽く傘をふると、飛沫が斜めの放物線を水溜りに描いた。
雨はあっという間に明を濡らす。元々濡れていた長袖は不快なほど肌にはりつき、体温を奪っていく。
湿度100パーセント、気温は高いが雨はやはり冷たい。
「――しょうがないバカだな」
折れた様子のない傘を差そうともせずただぶら下げ、片手に大荷物を抱えて、この雨の中哀れなほど濡れている。
こんな自分は他人から見てどう映るだろう? ほら、目が合った。訝しげな顔をされた。
明は雨を吸って落ちてきた前髪をかきあげ、ため息一つ、走り出した。初音を追いかけて全力疾走する。
――だから何だ。堂々と胸をはってやればいい。
信号待ちをしている初音にはすぐに追いついた。隣に立つずぶぬれの男に目を見開いて驚いている。
さっきまで湿気をすってふわふわに広がっていた髪の毛は、すっかり濡れそぼっていた。
自分と同じように顔に張り付いている彼女の髪を、雨が目に入らないようかきあげる。
「傘差さなくていいの? 明まで濡れなくていいのに」
「いいよ、別に。どうせもう濡れちまったし」
「そっか。……ごめんね」
苦笑を返す。
「雨くらい大したことじゃねーよ。風呂入って洗って乾かせばいいだけだ」
掴んだむき出しの初音の腕は、思ったとおり冷たかった。だが、すぐに手の平へ温かさが伝わってくる。
「ほら、青になったらまた走るぞ!」
とはいえ、食料だけは守らないと。
卵をつぶさない程度に、アイスが溶けない速さで。
明は器用に水溜りを避け、初音は泥はねを全く気にせず、生ぬるい雨の中を駆け出した。
終わり
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