・・・・それは、夢か、現か、幻か
周りの景色がぼやけて見える。はたして自分は今どこにいるのか。
いままで、どこで何をしていたのか。記憶が全然はっきりしない。
体の感覚がおかしい。体全体がゆらゆらと揺れているようだ。
いや、ひざと背中に何か感じる。暖かい何かが。
徐々に意識が、先ほどよりは幾分はっきりとしてくると、それが人の腕だとわかってきた。
どうやら、だれかに抱きかかえられているみたいだ。
「大丈夫か?」
声のした方、腕の先にある顔を見上げる。
「すまない。もっと早くリミッターをつけられれば、暴走は回避できたのに」
顔はよく見えなかった。しかし申し訳なさそうな声が聞こえる。それだけでわかった。
聞き間違うはずが無い。“彼”の声だ。
「人助けとはいえ、いつも危険な任務につかせている。だからこそいつも目を離しちゃいけないのに・・・」
自分の不甲斐なさを、起こってしまった事を悔いている、悲痛な声。聞いているだけで、胸が締め付けられる。
「な、何言ってるんだよ。暴走するかどうかなんて、そんなの誰にもわかるわけないじゃん。皆本はいっつも私達のためにがんばってくれてるじゃん!」
「薫・・・・」
いつもは恥ずかしくて、面と向かって言えないような励ましのセリフが、すらすらと出た。さっきから本当におかしい。どんどん気持ちが素直になってくる。薫は、気恥ずかしいような、それでいて心地良いような不思議な感覚に陥っていた。
「ま、まあ暴走は止まったんだし、皆本もあたしもみんな無事なんだから。よかったじゃん。」
そう言ってハタと思い返した。自分の親友、葵と紫穂はどこに行ったんだろう。
気配を感じない。いや、葵と紫穂だけではない。他の誰もいないような、世界に皆本と自分の2人だけしかいないような、そんな感覚だ。これは自分がおかしいのか、それともそういう異常な空間なのか。
「暴走が収まったのは、君が頑張ってくれたからだよ。僕はその手助けをしただけにすぎない。」
なおも、申し訳なさそうな彼の声。彼に抱きかかえられて、彼のぬくもりを感じていると、そんな違和感もどんどん薄れていく。
「いつも本当に良く頑張ってくれてる。ありがとう。そろそろ、ご褒美をあげなくちゃね。」
「え?」
予想もしない展開になってきた。ご褒美とはなんだろう。新しいローラースニーカーでも買ってくれるのだろうか。薫がなんだかよくわからない顔で皆本を見ると、彼は薫の目をジッ・・・と見つめていた。
「え?・・・え?・・・・・えっ!?」
なんだろう。ますます良くわからない。でも彼が自分を真剣に見つめている。すごく恥ずかしい。でも、すごく嬉しい。これは“そういうこと”なのだろうか。いつもガキと言われてあしらわれていたけど、本当はちゃんとわかってくれていた、そういうことなんだろうか。
彼の顔が近づいてきた。自然に目を閉じる。あぁ、やっぱりそうだ。自分の気持ちをちゃんとわかってくれているんだ。自分はこんなにもあなたのことを、心からあなたのことを・・・・・・
「・・・・37度6分。」
明石薫が目を覚ましたのは、午後1時を回ったところだった。
調子に乗ってクーラーをつけっぱなしで薄着のまま寝てしまったのが災いしたらしい。
案の定、風邪をひいてしまった。葵と紫穂に風邪がうつるといけないので、薫は皆本のベッドに移された。
皆本のベッドを使うことに2人は異議を申し立てたが、薫があまりに辛そうだったので渋々承諾し、
薫はベッドに、皆本はリビングのソファで寝たのだ。
「どうだ?少しは楽になったか? といっても、まだ熱は下がっていないみたいだけど。」
横を見ると心配そうな皆本の顔があった。やっぱり先ほどのは夢じゃなかったのか?
「皆本・・・・」
熱っぽい目で──本当に熱があるのだが──皆本の目を見つめる薫。
「・・・・キスは?」
「は?」
いきなりわけのわからない返事が返ってきて、皆本の頭に「?」マークが浮かんだ。
「・・・あたしは・・・・もう・・・いつでも、いいからさ・・・」
そういって、赤い顔で──本当は熱がある顔だが──目を閉じる薫。よく見ると、あごを上にあげて、唇を少し突き出しているように見える。
薫は心臓をドキドキさせながら、来るべき時を待っていた・・・・が、
「な〜に、寝言を言ってるんだおまえは」
ペシッと、額を軽く叩かれた。
「え?・・・あ・・・・アレ?」
予想外の答え。
おかげで数秒ほど混乱した。が、次第に意識がはっきりしてきた。
それと同時に、今のおかれている状況を思い出してきた。自分は、風邪をひいて学校を休んだのだ。
薫は激しくガッカリした。夢にまでみた決定的瞬間が──というか本当に夢だが──目前に迫っていたのに。
「なんだよ〜、もうちょっとだったのにっ! もうちょっとで皆本があたしに・・・」
最後の方は小声になっていたが、それを聞いただけで、皆本には何のことか大体の見当がついた。
「何を無責任な夢見てるんだ、おまえは」
何かにつけて抱きついてせまってくる、いつもの行為。子供らしい行為というか、セクハラというか。薫に関して言うと後者の意味合いが強い気がするが、夢の内容はそんなところだろう。
「あとちょっとでお粥ができるから、ちょっと待ってろよ」
呆れながらそう言ってキッチンに行こうと立ち上がった皆本だが、
「・・・・・続き」
「ん?」
か細い声が下から聞こえてきた。
「・・・キスの続き。皆本が邪魔したんだから、皆本が責任とって“して”くれよ。」
「何の責任だ、何の。」
皆本にとっては単なる言いがかりである。夢を見るのは勝手だが「夢の責任をとれ」とは、思ってもみなかった。
「いいから、静かに寝てろよ。風邪には寝てるのが一番いいんだ。」
「ちぇー、ケチッ! いーじゃん、少しくらい」
ブーブーと恨み言を言う薫を無視してキッチンへと消える皆本。
いなくなるまでその後姿を見たあと、薫は「はぁ〜」と、ため息をついた。
「あ〜あ、ホント、惜しかったな〜」
本気で悔しがる薫。さっきまではかなりマジモードだったのだ。
普段は皆本に甘えたり、からかったり、その反応を見るのが楽しくてしょうがない薫。こんな能力があるために、面と向かって話してくれる人が今までいなかった中、彼だけは、自分のことをまず第一に考えてくれる。
悪いことをしたら叱ってくれるし、良いことをしたら褒めてくれるし、弱っていたら助けてくれる。そんな当たり前のことをしてくれる、優しい彼。自分に安心をくれる彼。自他共に認める、自分の大好きな彼。そんな彼だから、もっと甘えたい、もっと一緒にいてほしいのだ。
「よーし、できたぞー」
皆本はお粥を土鍋ごと持って来た。ベッドの傍の床に鍋敷きを敷いて、土鍋を置き、茶碗にお粥をよそう。そして、その茶碗とレンゲを薫に渡そうとした。
「食べさせて」
「はい?」
「食べさせてくんなきゃ、食べない」
顔をあさっての方向に向ける薫。
「おまえな〜、お粥くらい一人で食えるだろう」
なんとなくそんなことを言い出すだろうと想像はしていた皆本。成長してきたとはいえ、まだまだワガママ女王様なのだ。
「・・・・・・・」
いつまでも、向こうを見続ける薫。
(まったく、どうしたらいいんだよ・・・)
と、頭に手を当てて困り果てた皆本。
だが、振り向く時に一瞬見えた寂しげな目、ぎゅっと布団を握り締めている手元を見て、ふと気がついた。
風邪をひいて体が弱っている時は、だれしも甘えたいものだ。助けてくれる人にはすがっていたい。特に、幼少期にあまり愛された記憶がない彼女らは、人一倍愛情に飢えている。心細いときは、誰かそばにいるべきなのだ。そしてここには自分しかいない。だったら自分がその誰かにならなければならないのではないか。
(ったく、しょうがないな)
皆本は心の中の葛藤を、ぐっと奥にしまいこんだ。
「わかったよ、薫。」
「え?」
「食べさせてやるから、こっち向いて」
「・・・・いいの?」
「お前が言い出したんじゃないか。なんだ、イヤなのか?」
ぶんぶんぶん!と、取れんばかりに首を横に振る薫。まさかと思ったが、本当にしてくれるとは思っていなかった。
お粥をレンゲによそい、「フーッ、フーッ」と息で表面を冷ます皆本。薫は、彼の手元、口元、そこから出る吐息、彼の一挙手一投足をジッと見つめていた。先ほどブーブー言っていた時とはうって変わって、心臓がドキドキしてきた。期待と恥ずかしさと嬉しさが、徐々に頭の中を支配していく。彼の吐息が、まるで熱を帯びた自分の体を冷ましてくれているように錯覚してくる。
「ほら、あーんして」
言われるまま口を開ける薫。お粥が口の中に入り、薄い塩とかつおダシのきいた味が口の中に広がる。皆本が作ってくれた、皆本が冷ましてくれた、皆本が食べさせてくれたお粥。それを今自分が食べている。その行為が、薫の胸の中をじんわりと暖かくさせる。彼の優しさを、暖かさを感じる。
「うん、おいしい。」
風邪をひいていると、味覚は鈍くなっている。しかし、薫は今まで食べたものの中で一番おいしく感じた。それは心からの言葉だった。
「うん。ほら、次もあーんして」
「あーん」
それは土鍋の中が空になるまで続いた。食事だけでこんなに幸せを感じたのは薫にとって生まれて初めてだった。
「さあ、風邪薬も飲んだし、あとは寝るだけだ。静かにしてば、明日には治ってるよ」
そう言って、皆本はリビングへと戻ろうと、立ち上がった。
お粥を食べた後、少し話し込んでいたら夕方になってしまっていた。そろそろ残りの2人が帰ってくる。彼女らの夕飯の支度をしなければいけない。彼は献立を考えながら部屋を出て行った。
皆本の言うとおり、早く寝ようと、薫は布団を被った。 そのとき、
「あ・・・・」
熱が下がって、体の感覚が少し戻っていたため、最初に布団に入ったときには気づかなかったことに気づいた。
「皆本の・・・・・においだ・・・・」
それは安心をくれるにおい、嬉しさをくれるにおい、ドキドキをくれるにおい・・・
・・・・あたしの・・・大好きなにおい・・・・
皆本のにおいが薫の頭の芯を痺れさせる。正常な感覚を麻痺させる。皆本のことしか考えられなくなる。
自分の中心が皆本だけになってしまう。薫にとっての優しい麻薬。さっき収まった心臓が、またもやドキドキしてくる。でもこれは嬉しいドキドキだ。そうだとわかる。
(さっきの夢も、このにおいのせいだね)
薫の想いと、嗅覚から感じるにおいが、あの夢を薫に見せていたんだとわかった。
でも、そんな理屈はどうでも良かった。まるで皆本に抱きしめられているような、ぬくもりに満ちた感覚に薫は身をゆだねた。
(今度も皆本の夢が見れますように)
皆本の暖かさを感じながら、薫は眠りに落ちていった。
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薫が眠りについて数時間。
はてさて、今度の夢では“成功”したのだろうか。
「えへへ・・・・皆本ぉ・・・もっとぉ・・・」
幸せそうなその寝顔が、その結果を物語っていた。
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午後7時。皆本家のリビング。
エプロンをした大人の男性が1人。小学生くらいの女の子が2人。
夕飯時なので、テーブルの上には色々なおかず。ご飯も味噌汁も人数分。
・・・・でも、箸は一膳のみ。
まぁ、薫にした看病の一部始終を葵と紫穂に白状させられた結果、こういうことになったようだ。
「「あーん」」
2人がそろって口を開ける。
「はぁ〜〜・・・」
がっくりと肩を落とす皆本。己の昼間の行為を激しく後悔していた。
そうやって、その日の夜はふけていった・・・・
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