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蘇える金毛 第7話

 ベランダに出て、タバコを吸った。
 風がでている。紫煙は風に流され、すぐに姿を消した。

「びぇーーーーーっくしょん!!!」
「風邪でござるか?」

 鼻を押さえながら、タマモは部屋に入った。

「いつまで経っても治らないのよね」

 テーブルの上にあるティッシュを取ると、鼻をかんだ。色気の欠片もなかった。

「あんた新聞、取ってないのね」

 えらく整理された部屋を見渡した。

「新聞どころかテレビも見ないでござるよ」
「一日なにやってんのよ」
「別に……」

 昔しか知らないタマモからすれば、信じられない答えだった。一時もじっとしていられない、騒がしいと喧嘩をしていたシロはいないのだ。

「まぁいいわ」
「なにがいいでござるか?」

 目の前に右手を差し出すと、指を鳴らした。シロの意識が遠退き、床にぺたんと座りこんだ。

「この前の件、聞きだしてくれた?」
「しゃちょうはわからなかったでござる……あのおとこはこうざに1おく4せんまん、ふどうさんで3おくをかくしているでござる」
「専務は?」
「5つのこうざに7おく、ふどうさんで4おく、かぶで3おくでござった」

 タマモは何かを考えるように顎に手を当てた。

「相原は分かる?」
「なまえはきいたことはあるでござる」
「相原の子飼いの男が、会社にちょっかいだしてくるわ。トラブルがないか聞きだして」
「わかったでござる」
「聞き出したらすぐに連絡して。平出に気づかれないようにね」

 同じように右手で指を鳴らそうとしたが、その手を下ろした。

「あんた……平出に“願い”を叶えてもらってるんですって? あんたの願いってなんなの?」
「……あのおとこにたのんだせっしゃのねがいは……」
「願いは?」
「じむしょでござる」
「事務所ぉ?」
「みかみじょれいじむしょでござる」
「あの事務所、とうに転売されたはずでしょ? あれがどうかしたの?」

 事務所はあの事故の後、受け継ぐものがいなかった。美神令子の持ち物であったが、血縁である美智恵やひのめは同時に亡くなり、父である公彦は、葬儀の後全てを捨て去り南米に移住してしまった。
 未成年扱いの二人に管理できるワケもなく、二人は学生寮へと移った。残された二人のために仲間のGSが維持してきたが、例の一件でGSたちの力は衰退し、事務所は宙に浮いた形となった。それを手に入れたのが、紅藤であった。

「じむしょはうられてないでござる……せっしゃがあのおとこのものになるじょうけんで、じむしょはそのままのじょうたいにしてあるでござる」

 タマモは自分の耳を疑った。
 今、自分は何を聞いたのだ?
 こいつは今、何を言った?

 大きく呼吸をすると、ベランダに出た。
 背中を向けたまま、指を鳴らした。

「ん? タマモ??」

 辺りを見回し、ベランダにいるタマモを見つけた。

「なにやってるでござるか?」
「今日は帰るわ、急用ができた……」

 返事を聞かずに、ベランダから飛び降りた。シロの声が聞こえたが、雑音にしか聞こえなかった。












 地階にあった飲み屋を改造した住まいは、陽の光りが入ることはない。
 テレビだけがつけてあった。観ているわけではない。雪之丞とかおりの事件が流れていた。強請り専門の夫婦が、暴力団系とのトラブルを起こしたのであろうと報じている。
 テレビの灯りを照明に、タマモは文楽人形を手に舞っていた。
 完全に扱えているいるわけではない。ただ動かしているだけであった。
 顔の仕掛けを繰り返し動かし、女の面と狐面を交互に変えていた。

「覚悟の上ののたれ死にに、過去の傀儡か……とんだお笑いだわ」

 文楽人形の手を動かし顔に持っていくと、泣くしぐさをつくった。

「私はあいつらとは違う……のたれ死にも傀儡も御免よ」

 人形から手を抜くと、支えを失った人形はそのまま床へと落ち、自力では立つことができず崩れていく。じっとそれを見つめると、口の端を歪につり上げた。

「さて、私も動くか……」

 テレビを消そうとリモコンを手にした。なにかが落ちる音がした。壁にかけていた能面が落ちていた。文楽人形と同じ頃に買った若女面である。テレビの灯りが、能面に表情をつけた。まるで笑っているようであった。




 繁華街に向かった。ネオンがギラつく店へと入る。
 入口で止められた。ここは男が遊ぶ店で、女が客としてくることは皆無である。二、三言話すと、派手なベストを着た男は奥に下がった。数分もしないうちに男は戻り、タマモを奥へと連れて行った。

「久しぶりアルね、なにか注文アルか?」
「今日は頼みごとをしにきたのよ」

 オカルトグッズ販売業だった厄珍は、現在は需要の無い商売はやめ、企業家として成功していた。もちろん普通の企業ではない。人外専門の水商売やピンク産業であった。人々は人外を差別しても、未知なるものの興味までは消せなかったようだ。人外の街娼が後を絶たないのもそのためであろう。

「面倒ごとは御免アルよ。こんなあんちゃんみたいになりたくないアルからね」

 そういいながら、両目を指でつり上がらせた。GSたちの訃報には慣れきっているのであろう。なんの感慨も無さそうだった。

「なに、簡単なことよ。2年前にここで働いていたことにして欲しいのよ」

 ポケットから万札を数枚取り出すと、目の前にちらつかせた。

「了解アルね。私に任せるアルよ」

 タマモの手から金を奪うと、数えだした。

「いかにも胡散臭い奴じゃなくて、お堅い奴が来るか電話すると思うわ。頼むわね」
「刑事じゃないみたいね。仕事アルか?」

 タマモが睨みつけると、厄珍は金を懐にしまった。

「受け取ったからには頼まれたことはやるよ」
「頼んだわよ」

 ドアを開けた。

「そういえば、あの坊ズの犯人を神父が躍起になって追ってるアルよ。時間の問題アルな、東日本最大の総会屋を敵に回したアルから」
「そう……」

 顔を向けないままドアを閉めると店を後にした。



 NSXをビルの前に止めると、携帯電話を取り出した。シロからメールが入っていた。メールを開けると、やはり会社でトラブルが発生したようである。予想通りの展開にタマモは表情を変えなかった。メールを削除すると、番号を非表示にしてダイヤルする。呼出し音が響くとすぐに相手がでた。

『唐巣経済研究所!』

 ほとんど脅しているような声であった。

「唐巣先生はご在宅かしら」
『先生は今、取り込み中です。おたくのお名前は』
「タマモと言えば分かりますわ。そこにいるんでしょ、神父は」
『なんだと? 神父だぁ?』

 相手の声が聞こえなくなり、いろいろな声が混じっている。唐巣の声も入っていた。

『タマモ君? 今、どうしてる、どこにいるんだ?』
「落ち着いてよ神父、急に切りはしないわ。いったいどうしたのよ、随分と殺気だってるわね」
『雪之丞君とかおり君のことは知っているかい?』
「ええ、ニュースで見たわ」
『今の僕の力があれば犯人を割り出すのも時間の問題だ、ただでは済まさないよ』
「それなんだけど……やめてくれないかしら」

 一瞬の間の後に、怒鳴るような声が響いた。

『断るっ!いくらタマモ君の願いとはいえ、それだけは聞き入れられないよ』
「神父。五月蠅い……耳が痛いわ」
『す、すまん。ついカっとなって』
「神父、雪之丞の死に顔みた?」
『い、いや、まだだ。司法解剖からまだ帰ってきていない』
「私見たわよ……満足ってワケじゃないけど、普通の顔してたわよ。体中穴だらけにされたのにさ」
『……そんな顔をしていたかい、彼は』
「ええ。アイツのことだから、神父にもいったんじゃない? 最後の仕事くらい自分でやるって」
『ああ』
「最後の仕事でしくじった……しくじったらこういう運命になる。あいつはそれを受け入れただけよ」

 のたれ死にという言葉が喉まで出掛かったが、あえてそれは飲み込んだ。唐巣の声が聞こえなくなった。周りの喧騒は続いていた。

『まったく、僕の見込んだ人というのは心配ばかりかけてくれるよ、君も含めてね。おかげで僕の額はかなり広がってしまったよ』
「そんなに広がったの?」
『あぁ、君に会わない間にまた広がったよ』
「……神父、ちょっと窓の外見てみてよ」
『はぁ?窓の外かね』

 タマモはウィンドーを開けると、顔を覗かせた。

「白い車、下に停まってるでしょ」
『タ、タマモ君』
「あ、ほんとだ。かなり薄くなったわね」

 そういって笑いながら車の中に戻った。

『ま、待ちたまえ、すぐ下にいくから』
「いいわよ。いずれ会うことになると思うわ、神父が今の仕事を続けているならね」

 そういいながらタマモは車を走らせ、電話を切った。唐巣は走り去るNSXの後ろ姿をずっと追い続けていた。


















 「ぶぇ〜〜〜〜〜〜っくっしょん!!!お使いいってきます」

 くしゃみと言葉を同時に出しながら、タマモは総務部を出ていった。お使いといっても郵便局に行くだけで五分もすれば用は片付いた。
 公園に寄り、携帯電話を取り出した。非表示にして電話をかける。咳払いをすると、相手が出た。

『はい、総務』
「総務さんですかぁ〜〜〜。ねぇさんいるぅ〜〜〜〜〜?」

 相原の声を確認すると、甘ったるい声をあげた。

『あ〜もしもし、失礼ですがちゃんとしたお名前をお聞かせ願いませんか』
「あ〜そっかぁ〜、え〜〜〜〜っとぉ確かぁ〜〜〜、そこでわぁ〜大塚広子って名乗っているはずですぅ〜〜〜〜」
『は? 大塚ですか?』

 声が遠くなる。お使いにでていますという先輩社員の声が聞こえた。

『大塚は今、外出しておりますが』
「え〜〜〜〜!困っちゃうぅ〜〜〜〜〜。ねぇさんじゃないとたいへんなことになっちゃうのぉ〜』
『伝言は受け付けておきますので、よろしければお名前と電話番号を』
「え〜〜〜〜〜あたしぃ〜〜まほぉ〜〜〜。野良だからぁ〜〜〜電話ないよ〜〜〜〜」
『……失礼ですが、うちの大塚とはどのようなご関係で』
「え〜〜〜、ねぇさんはねぇさんよ〜〜〜。新宿の楽園ってお店で働いててぇ〜、そのときに同じ野良だからってぇ〜、世話してもらったのぉ〜〜〜。お店でぇ〜ヤクザが暴れてもぉ、ねぇさんがおっぱらってくれたのよぉ〜〜、ねぇさんつよいのよぉ〜〜〜」

 相原の声が止まった。どうやら受話器に手を当てているようだ。しばらくすると、受話器から手が離れた。

『分かりました。大塚には電話があったことを伝えておきます』
「おねがいしますぅ〜〜〜〜〜」

 そういうと電話を切った。口元を緩めると、視線の痛さに気がついた。周りのOLやサラリーマンが変な目でこちらを見ているのだ。
 タマモは咳払いをしてベンチから立ち上がると、顔を少し赤らめながらその場から立ち去った。


 会社に戻るが相原はすでにいなかった。先輩社員がタマモに電話があったことを伝えるが、相原からの伝言ではなかった。タマモの行き先を聞かれたから覚えていた、その程度のことであった。その後、相原は戻ってきたがタマモには何も言ってこなかった。
 翌日、タマモが出社すると相原に呼び出された。呼び出された場所は、入社式などの式典が行われる講堂であった。
 相原に先導され、壇上の中央に一つだけ置いてあるパイプイスに座らされた。壇上の蛍光灯が消え辺りが真っ暗になった。

「な、なんなんですか? 部長? 相原部長!」

 パニックを演出してみせるが、感覚が鋭く夜目が利くタマモには何をやっているかは丸分かりであった。幕の向こう側の中段くらいに三人の男が座った。相原が後からかけつけ座った。
 講堂の電気が消え、幕が開いた。制御室、人がいる。こっちを見ている。ライトを当てるつもりであろうことが予想され、タマモはそれに備えた。
 スポットライトがほとんど正面の位置からタマモに当てられた。眩しそうに手で遮る。

「いや、なんなの?」

 我ながら上手い演技だ……と自画自賛した。

「こちらを向きたまえ、大塚君」

 近くのスピーカーから音が聞こえるが、生の声も聞き取れた。相原の声だ。
 
「部長? こっちってどっちですか?」

 声はスピーカーからステレオで聞こえる。音のする方を向けと言われてもどちらを向いていいか分からなかいのは当然であろう。先ほど居場所を確認してはいるのだが、大塚広子らしく恍けてみせた。

「ライトの方だ。ライトの方を向きたまえ」

 ライトの方を向き、眩しそうに顔を背けた。

「部長、これってパワハラですか? パワハラなら訴えますよ」
「訴えられて困るのは君の方じゃないのかね」
「ほえ?」

 声が変わった。平出の声だ。気づかれないように鼻を動かすと、桃源郷中毒患者の臭いが漂っていた。

「君は人外だそうだね。しかも鑑札もついていない」
「な、誰がそんなことを? わ、私は人間ですよ!」
「恍けなくともいい、調べはついているんだよ。君はこの会社に勤める前に、新宿の人外パブで働いていたそうだね。源氏名はマモンといったそうだね」

―――な、なによ、マモンって!! あのバカ厄珍、もっとマシな名前思いつかなかったの!―――

 奥歯を噛み締め恥かしさに耐えた。だがむしろ変な芝居をするより効果があったようだ。

「そう焦らなくてもいい。相原君、大塚君の勤務評定は?」
「は。たまに先ほどのように恍けた口調で反論しますが、真面目にこなしております。仕事も出来まして、かなりの仕事を任されております。処罰などは一切ございません」
「そうか……大塚君、君はこのままこの会社で働きたいかね?」

 光りを手で覆い顔を上げた。緩んだ口元を手の影で隠すのは忘れなかった。

「はい。お願いします! 私はここを首になると、戸籍を買ったお金を払えません。もう二度とあんな生活に戻りたくはないんです。なんでもやりますから、この会社に置いてください」
「本当になんでもやれるのかね?」
「はい。私を置いてくださるのなら」

 外松が喰いついてきた。

「君は人外パブにいるとき、店でのトラブルの処理を任されいて、たまに手荒なこともやっていたそうだね」
「は、はい。多少ですが……」
「今回は、この会社のトラブルの処理をしてもらいたい」
「紅藤のトラブル……ですか?」
「うむ。会社の極秘資料を盗まれて、それをネタに脅されているのだよ」
「脅迫ですか? それってどんな資料なんです?」
「君が知る必要はない。君にやってもらいたいのは、資料の奪還だ」
「奪還って……警察に届けたらいいんじゃ」
「外部に漏れたらマズいのだよ。会社の浮沈に関わっていることなのでね。もしそうなったら、女性社員は最初にリストラ対象になるだろう」
「えーーーーーーーーーーーー!!」

 ワザとらしく驚いてみせた。その手の話は、先輩社員と常に話していることなのだ。

「と、ところで奪還といわれましたけど、どうやって?」
「手段は君に任せる。そしてもう一つ、こちらが重要だ」
「なんですか?」
「関わっている相手側の人間を始末してもらいたい」
「始末って、外国にでも売るんですか?」

 言葉の意味は分かっている。だがある言葉を引き出したいのだ。

「処分してもらいたいということだ」
「首ってことですか?」
「殺すということだよ」

 待っていた言葉をようやく引き出した。笑いを噛み殺し、演技に集中する。

「こ、殺すんですか? い、嫌ですよ。私はしがないキツネ憑きの女ですよ、そんな人殺しなんて」
 
 ライトから顔を背け、イスから立ち上がろうとした。

「さっき君は、なんでもやるといったじゃないか」
「そりゃあいいましたけど、人殺しは……」
「出来ないのなら、君を解雇した後に警察に届けるまでだ。哀れだろうね、野良の最後は」
「ちょ、ちょっと待ってください……やります。やらせてください」
「やってくれるかね」
「はい。やらせていただきます」

 イスに座り直し、綺麗に足を揃えた。

「この仕事が成功したあかつきには、君には社長の秘書に入ってもらう。社長の秘書を半年やってもらい、その後秘書課課長、その翌年には取締役……報酬は重役のイスだ」

 タマモは顔を隠さずに、中段に並んでいる重役の方を向いた。

「失礼ですが、ワタクシ人外で戸籍を手に入れる前は、かなり騙されてきました。言葉だけでなく文章で示してもらえますか?」
「わかっているよ……相原君」

 外松に言われ、相原が舞台の袖に入っていった。袖から出て、タマモの方に歩いてくると手には表彰に使う盆を持っていた。その上に、書類と38口径のリヴォルバーが乗っていた。

「取りたまえ。我々の署名捺印がされた正式な誓約書だ」

 手に妖力を集め、書類と拳銃を浮かせた。見た目では手にとったように見える。書類を手にすると、中を確認した。

「了承しました」

 再び正面を向くと、スポットが消え講堂の照明がつけられた。
 相原を除く三人の重役が中央に座っている。平出、外松、そして社長の真友であった。

「では、成功を祈っているよ」

 真友が最後に口を開くと、三人は立ち上がった。















 この仕事のため、会社を早引きさせてもらったのはいいが時間が余っていた。
 陰念の潜伏場所はすでに調べがついているのだが、時間がまだ早い。派手なことになりそうだったので、陽が高いうちは動く気はなかった。
 街をうろついた。まだ午後になったばかりということもあり、珍しく表街の方をうろつく。時間潰しに適当に歩いた。
 どれくらい歩いただろう。ふと見ると、国立劇場の前に来ていた。演目を見ると、人形浄瑠璃をやっていた。切符を買い、中へと入る。
 中央の端の方に座ると、舞台を眺めた。この演目は以前、関西の方で観た事があった。演目は『絵本増補玉藻前曦袂(あさひのたもと)』であった。
 現代で使われている言葉と微妙に違う言葉が使われている。あまり意味を把握できないが、どんな事かは人形の動きを見て理解できる。
 転生前の自分のことであるが、生憎と記憶などは無い。無表情のまま顎に手を添え、じっと観ていた。
 これは史実ではない。人間が演劇として、話として盛り上がるように作り変えられた話である。それはちゃんと理解している。前回、一緒に見たかおりが懇切丁寧に説明してくれたからだ。
 自分の左隣を見た。次いで右隣。数席が空いて知らない人が座っている。自分の知っている人はいなかった。
 クライマックスになり、女面から狐面に早代わりした人形が暴れ回る。そして……
 タマモは舞台が終わる前に立ち上がると、表に出た。暗い舞台と違い、外はまだ明るかった。眩しそうに眉を顰めると渋谷の街を歩いた。





 郊外の廃墟と化した屋敷で男の怒鳴り声が響いた。

「金はどうしたんだよ! 裏切ろうって気か?」
「ふざけるんじゃねぇ! 行くとこ行ったっていいんだぜ」

 右手を縛り上げ、左手に携帯を持ち陰念は叫んでいる。

「今日までに3億用意しろ! こっちは怪我人が三人もでてるんだぞ」

 電話を切ると、床に叩きつけた。電池が飛び、部品が散らばった。陰念はソファーに倒れこみ、右手を押さえながら唸り続けた。目の下のクマがヒドく、目はかなり充血していた。

「周りは静かだというのに、うっさい男ねぇ」

 屋敷の庭に潜入していたタマモは、灯りの漏れた窓を見上げながら呟いた。
 周りに注意を払う。犯行を記録されていないか、用心のためだ。人の気配はなかった。

「私だったら、録画してそれを首輪にするんだけどなぁ……まぁ所詮は豚の火遊びか、ローストビーフになるんじゃないわよ。私に渡すもの渡す前にわね」

 へらず口を叩きながら、屋敷内に侵入した。
 予想したより、人数が少なかった。どうやら陰念が右手を失ったために、逃げ出した奴もいるらしい。
 1階に三人いた。見張りが一人、あとの二人は酒でも飲んでくつろいでいる。わざと音を立て、見張りの男の気を引いた。様子を見に近づいてくる。暗がりから喉元にナイフを突き刺した。こちらに向けて倒れこもうとしたが、それを支えると酒盛りをしている場所へと押し出した。

「おい、どうした?」

 グラス片手に男が言うが、ほろ酔いの目にタマモの姿は映らなかった。
 ソファーで寝ている男の喉元にナイフを突き刺すと、もう一人にはボーガンを向け引き金を引いた。空気の漏れる音だけが聞こえる。ナイフとボーガンをそのままにして、匂いを嗅いだ。

「違うか……」

 呟きながら二階へと向かう。

(二人寝て、一人が見張り……もう一人は……と)

 鼻と耳をレーダーのように使い、中の様子を探るとタマモは部屋の中に踏み込んだ。
 見張りの男の股間を蹴り上げ、妖気で手にもったようにみせた銃をもう一人に向けた。

「そこまでだ。動くなよ女」

 公園で聞いた声の男。陰念であった。両手を軽く上げる。

「銃を放れ」

 言われるままに銃を放った。匂いを嗅いだ。鼻の動きが止まる。匂いの先は、陰念が持っていた銃であった。

「誰だ、お前? 紅藤に雇われて殺しにきたのか?」
「こ、殺しって、私はただ相原に頼まれてやってきた探偵よ」
「おい、外見てこい」

 男は蹴られた股間を押さえながら、タマモが放った銃を拾うとゆっくりと部屋をでて下へと向かった。

「お前、金は持ってきたのか?」
「金って、取引きの? とりあえず手付けは持ってきたわ」
「いくらだ?」
「5千万」
「ふざけるな!」

 こちらに向けていた銃が震えた。

「ふざけてないわよ。私が預かったのはその額なんだから、私に言われても知らないわよ」
「よーし、分かった。あいつらが本気になるようにしてやる」

 顔を歪め笑ってみせるが、痛さのせいなのか怒りのせいなのか、顔がピクピクと痙攣していた。

「お前を殺して、犯して、会社の前にでも放ればあいつらも気が変るだろうぜ」
「ちょ、ちょっと待ったぁ〜〜〜〜!」

 両手を上げたまま、タマモは陰念から数歩後ろに下がった。

「わ、私にそんなことしたって、あいつらが引き下がるワケないじゃない。私、しがない雇われ探偵よ」
「そんな事、関係あるかよ! 怨むんなら、あいつらを怨むんだな」

 悲鳴が聞こえた。下に降りた男が階段を駆け上がってきている。

「どうした?」
「い、陰念さん! 下の階にいたもの、全員死んでます」
「なにーー!?」

 一瞬、タマモから目を離した。振り向くとその場にタマモはいなかった。

「ほら、こっちよ。のろま」

 下から声が聞こえた。足を払われた。バランスを崩し、手をついた。だが無い方の手だった。包帯が巻いてある手を床につくと、喉が張り裂けんばかりの悲鳴をあげた。
 タマモは廊下に出た。下から上がってきた男が、銃を向けた。大人しく両手を上げ、部屋の中へと戻された。
 陰念は右手を押さえもがいていたが、部屋に戻ってきたタマモに気づき銃を向けた。

「どけ! 俺が殺る!!」

 はっきりとは聞こえなかったが、そう言ったように聞こえた。震えながら立ち上がると、タマモに銃を向けた。男がタマモの側を離れた。

「このウスノロ。ちゃんと狙いなさいよ」

 陰念の方を振り向き、笑ってみせた。震える手が狙いをつけた。タマモが移動した。引き金を絞る。唸り声。

「陰念さん……い、痛ぇよ」

 タマモの移動先にいた男の腹に弾丸は当たっていた。

「あらら〜、仲間撃っちゃうなんてヒドい所長ね」

 真横で声が聞こえた。慌てて振り向く。いない。下を向いた。ここにもいない。

「同じことやるワケないでしょ。ばっかじゃないの?」

 真上から声が聞こえると、銃を叩き落された。そして傷口への蹴り。陰念は床に転がりまわり、叫びだした。
 ポケットから革の手袋を取り出した。両手にそれをはめると、陰念が落とした銃を拾い上げた。
 撃たれた男の側に行った。腹を押さえもがいていた。

「はいは〜い。お膳立てやったんだから、ちゃんと仕事してね♪」

 男の頭に蹴りを入れると、銃をもった手を陰念の方に向けた。

「や、やめろ!」
「はい、うるさい」

 陰念の銃を頭に向けると、引き金を引いた。男の手から力が抜け、全身が痙攣している。

「ちょうどいいわね、この震えは」

 男の手の中の銃で、陰念に一発入れた。手とは別の痛みを体に受け、そこら中を転げまわっている。

「ノミ?」

 口元を緩めながら、ソファーに横たわっている男たちの表情を覗いた。一人は、息があるがすでに死臭に近い臭いがしていた。外傷がないところを見ると、雪之丞に内臓をやられているのにろくに治療を受けていないようだ。もう一人はまだ死臭はしていないが、首か脊髄をやられているようでまったく動けないようであった。

「ま、いいか。どうせ全部燃やしちゃうんだし」

 明るくそういうと、ノミ呼ばわりした陰念に近づいた。銃の弾装を出し、残弾を確認した。

「かおり先輩には4回刺して、雪之丞には2回刺して6発ぶち込んだわね。あんた」

 陰念に銃を向けると、引き金を引いた。銃声が部屋の中に響いた。5回響くと、陰念は動かなくなった。だがタマモは引き金を引き続けた。
 生きて動いているのではない。弾丸の衝撃で体が揺れているのだ。13発打ち込み、引き金を引くのをやめた。

「神父の分と、私からのプレゼントよ」

 もう2発撃ち込むと、スライドが上がり弾切れを起こした。銃から煙があがっていた。苦悶の表情で固まっている陰念の顔を見ると、ため息に似た呼吸をした。硝煙が揺れた。
 銃を放り捨て一度外に出ると、用意していた灯油の入ったポリ容器を運んだ。1缶を1階に、もう1缶は2階に撒き散らした。
 まだ意識のある男が泣き叫んだが、タマモは気にとめる様子もなかった。
 灯油を撒き散らしてある部屋の中でタバコを咥えた。狐火でなくライターで火をつけた。

「あんたも吸う?」

 口から離して、男の方に向けた。

「嫌だ、助けてくれ!」
「あ、そう。末期の一服、いらないのね」

 深く吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出した。その間も男は泣き叫び続けている。
 タマモは男を無視して、下へと降りていった。タバコを咥えたまま、灯油の染みた家具にライターで火をつけた。みるみるうちに火は燃え広がり、1階は火の海になっていく。
 天井に火が伝わっていくのを確認すると、タマモは家の外に出た。人が集まってくる気配はまだなかった。屋敷の方を振り返ると、屋敷は紅蓮の炎に包まれていた。






 



 仕事が終り相原に連絡を入れると、翌日の早朝に葉山の別荘まで来くるようにとの事であった。
 命じられたことに従い、指定された場所へと出向く。だが、相原に案内された場所は別荘から少し離れた海辺であった。

「あれ? 社長の別荘に行くのでは?」

 相原ともう一人の男の異様な汗の臭いと、心音の早さに気づいていたが気づいていないフリをした。
 いちおう別荘の所有地で、周りには民家は見当たらなかった。波の音だけが聞こえ、道路を通る車の音さえここまでは聞こえてこなかった。
 相原が震えながら振り向くと、男がタマモの腕を押さえた。

「なに、セクハラしてんのよ」

 股間を膝で蹴り上げ、下がってきた顔に蹴りを入れた。

「あ! あんた今、パンツ見たわね! タダ見しないでよ!!」

 のびた男の胸倉を掴みあげ、揺すったが男は気を失っており何の反応も示さなかった。

「大塚君、すまん。死んでくれ」

 相原がこちらに向け銃を構えている。かなり粗悪品のトカレフのようであったが、その銃口はガタガタと震えていた。
 男から手を離し、ゆっくりと立ち上がると眼鏡を外した。タマモが一歩進むと、相原は一歩下がった。苦笑しながら相原に近づいていく。相原は目を瞑りながら引き金を引いた。
 弾は出なかった。相原は目を開けると何度も引き金を引いた。タマモの手が相原の持つトカレフを握った。

「拳銃ってさ、ある程度の距離があって役に立つもので、接近されると不利になるって知ってます?」

 にっこりと笑うと、銃身をテコの応用でくるりと回すと、トリガーに掛かっていて相原の指が折れた。相原は右手を押さえその場にへたれこんでしまう。
 トカレフを奪い、スライドを後退させると薬室に弾丸が入ってなかった。

「薬室に弾は入ってない、安全装置はかかっている……こんなんで弾がでるワケないですよ」

 相原に銃口を向けると、相原はしゃがみこんで頭を抱えた。

「やめろーーー! やめてくれーーー」

 銃声が響くと、相原の体が大きく揺れた。体に痛みは感じなかった。タマモの右手は空を向いていた。
 なおも頭を抱えてしゃがみこんでいる相原の右手を取ると、関節を固めた。

「知ってます? 部長。固められた関節って、少しの衝撃で折れるんですって」

 相原の肩に銃尻が叩きつけられる。鈍い音が聞こえると、相原は転げまわった。折れた右腕をそのまま引っ張り、こちらを向かせると顔面に膝を入れた。











 別荘では紅藤の重役たちが、相原の報告を待ちわびていた。
 自分の別荘ということで真友社長はラフな格好だが、おおかた徹夜でいたのであろう、他の二人は背広を脱いだだけの姿である。

「報告はまだかね、平出君」
「まったくあいつは要領が悪くて……たかが人外を一匹始末するのに、どれだけ時間がかかっていることやら」

 平出は時計に目をやると、苛立つようにタバコを咥えた。なにかに気がついたようにタバコを口から離すと、切先に白い粉をつけもう一度タバコを咥えた。

「まったく、人外を会社の中に入れていたというだけでも忌々しき事態だよ……人外を置いておく場所などこの地球上にすら存在しない」

 真友が言葉をいいかけると、ドアが大きな音を立てて開いた。相原は転がるように部屋の中に入ると、肩を押さえて唸っている。

「おはようございます! あ♪ 相原部長ちょっとした事故で、どうやら肩の骨折ったみたいです。それから、これお返しします。弾は抜いてありますから」

 笑顔でそういってリヴォルバーを放ると、一番手前のソファーに腰を下ろした。

「なにを……なにをやっているんだ君は。ここは社長の家だよ、平社員が、しかも野良の人外が勝手に上がりこんでいいと思っているのかね。出て行きたまえ!」

 平出がタバコで刺すようにタマモに詰め寄った。シガレットケースを取り出し、タバコを咥えると狐火で火をつけた。

「なるほど。利用するだけ利用して、仕事が終ればさっさと殺されていろ。こんな所にのこのこでてくるなと」
「なにをいっておるんだ。君、疲れているんだ、な。今日は会社に出なくていいから、休みたまえ」

 タマモに触れようとすると、タマモは相原から奪ったトカレフを向けた。

「臭い息近づけるんじゃないわよ!座りなさい」

 腰を抜かしたのか、平出は尻餅をつくとガタガタと膝が笑って動けないでいた。タマモは舌打ちをすると左手を振るう。平出はふわりと浮き上がると、イスに下ろされた。

「あのさ……チンピラを片付けることが出来るモノノケがさ、こんな玉無しに大人しく殺されると思う? バッカじゃないの、あんたら」
「失敬な! 重役に向かって」

 外松が反論しようとしたが、銃を突きつけられると大人しくなった。

「そもそもあんたが原因でしょ、諸悪の根源の息子は切り落とした方がいいんじゃない?」

 股間に向けると、股間を押さえ首を横に振った。 重役たちの顔を蔑んだ目で眺めると、紫煙をゆっくりと吐き出した。

「だいたい……私が、あんたらにのこのこ殺されようとして黙っているようなネンネに見えたの? どうなのよ、答えなさいよ!!」

 段々と口調を荒くして、最後には怒鳴り声を上げながら銃を向けた。

「ちょ、ちょっと、待った。謝る。謝ります。この通りだ」

 イスから降り、平出が土下座をした。

「いや、これはね。相原が、ぜひに殺らせてくれって頼むから」
「うそだ! 私はあんたらの命令に従っただけだ」
「なにを言ってるんだ君は! 君はクビだ!」

 平出が相原の右手を無理に引っ張った。相原が悲鳴を上げる。

「クビにしたいならやれよ。私はこのまま警察にいって全部白状してやる」
「大塚君、私は重役連中に唆されただけでな。すべてはこいつらが」
「あんたが中心になってやったじゃないか! あんたが人外の土地だったら安く手に入れられると始めたのが、最初じゃないか!」

 素知らぬ顔でタマモは紫煙を吐き出した。

「うるさいなぁ……もういいから座りなさい」

 今度は手を動かさずに睨むだけで、平出はソファーに戻った。

「仲間割れは、後であんたらだけでやって頂戴。とりあえず今日、私にやった無礼に対して落とし前をつけてもらいましょうか」
「落とし前……金か? 5千万だそう」

 平出が片手を突き出した。

「7千万! 女性社員としては破格値だぞ」
「シケた話をされては困るわ。しょうがありませんね、こちらの要望を申しましょう……紅藤の株、400万株頂きましょうか」
「よ、400万株だぁ〜? バカバカしい。私の持ち株でも500万株なんだぞ、それを400万だなんて」

 真友がようやく自分が脅されているという実感が湧いたのか、呆れたように言った。

「別に全部社長に出せといってるワケじゃないわ。ここにいる皆さんで分ければできない数じゃないでしょ?」
「気は確かかね。400万株だと時価にして20億以上だ。なんで私がそこまでやらなきゃいかんのだ」
「あ……そう」

 タマモは、そういわれると確信していたのか、ポケットからICレコーダーを取り出しスイッチを入れた。

『処分してもらいたい』『首ってことですか?』『殺すということだよ』

「それにこれ、あんたたちの署名捺印がしてある誓約書。これに私の供述書をつけて、検察庁に送ったらどうなるでしょうね」

 書類をテーブルの上に置いた。

「社会的に高い地位の御方が、何年くらいこむかしら。しかも野良を利用して殺ったとなると、普通の刑務所には収監されないでしょうね。20年以上は固いだろうなぁ……まぁその前に小さい桐箱の中に入ってでてくるでしょうけど」

 小さい桐箱の中、つまりは骨壷の中ということである。タマモはにっこりと笑った。

「それとも……唐巣経済研究所に送ってあげましょうか?」

 間友は肩を落とし、深いため息をついた。

「分かった……我々の負けだ。明日までに譲渡証と株券、用意しよう」

「結構♪」

 トカレフの弾装を抜き、確認させるようにひらひらと動かしテーブルの上に置いた。

「弾は抜いてあります。お返ししますよ」

 誓約書をポケットの中にしまうと、タバコを灰皿に押し付けた。

「あ、そうそう外松専務。その銃、私の指紋ついてませんから処分しておかないと逮捕されるのあなたですよ」

 空の銃を手にしていた外松は、慌てて銃を置いた。

「それからチンピラたちを始末したときに、妖力は一切使ってません。人間の犯行だと思うでしょうね」

 自分がこの犯罪をやったという証拠はどこにもない。皆、素直にそう受け止めた。自分たちの甘さが犯したリスク。そう受け止めるより他はなかった。

「これからは火遊びは程ほどにすることですね」

 ソファーに凭れると、目の前で見せ付けるように露骨に足を組んだ。

「大株主にコーヒーくらい持ってきなさいよ、気が利かないわね……ね♪」

 後ろで呆然と立っていた男に声をかけ、重役たちに微笑んでみせた。








 ―――つづく―――

 
金毛第7話です。
2日更新間に合いました〜

さて次はいよいよ最終話。
明日更新できればいいなぁ〜〜〜なんて、まだ4KBしか書いてないのに無謀なこと思ってますw

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