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蘇える金毛 第6話

 タマモと別れた雪之丞は、電車とタクシーを使い遠回りをして池袋のとあるビルに入った。
 少し古さは感じるものの、立地条件のよいビルでアクセスし易い場所に立っていた。エレベーターを使い、5階に行く。エレベーターのドアが開くと、正面にビルの古さには不似合いな豪勢なドアがあった。

『唐巣経済研究所』

 金属のプレートにそう書かれているドアを開けた。
 まずまずの広さのオフィスには、数人の男が待機している。いずれも堅気ではない雰囲気をかもし出していた。

「失礼ですが、どちらさんで」

 一番手前の机にいた男が立ち上がり、雪之丞の側にいった。

「唐巣のおっさんいるかい? 伊達がきたと伝えてくれるか」

 おっさんの言葉に反応したのであろう、男たちの目付きが変わりこちらへ向かっている。

「伊達だ? このドチビが、舐めたマネしてんじゃねぇぞこら」

 この中では一番若い男が、雪之丞に掴みかかる。雪之丞は口元を緩めながら、凶悪な目を男に向けた。奥の部屋のドアが開いた。

「おいおい、何を騒いでいるんだい。穏やかじゃないねぇ」

 白い頭髪がかなり後退した眼鏡の男が顔を覗かせた。

「雪之丞君、よく着たねぇ……この人は私のお客さんだ、手を離すんだ」
「しかし会長、こいつ会長のこと」
「離せといってるんだ。私の言う事が聞けないのかい?」

 鋭い目を若い男に向けそういうと、男はすぐに手を離した。雪之丞に近づき、肩に手を置くと鋭い眼光は消えていた。

「随分と久しぶりだ元気そうだね」
「どうにか生きてましたよ」
「ふ……あいかわらずだねぇ、君は」

 唐巣は雪之丞の肩に手を乗せたまま、取り囲むようにしていた男たちの方を向いた。

「彼は伊達雪之丞君、君らの先輩に当たる。失礼のないようにね」

 唐巣がそういうと、男達は頭を一斉に下げた。

「こちらへどうぞ、積もる話でもしようじゃないか」

 男たちの前で見せた顔ではなく、少し老けたが貧乏教会の神父の頃の笑顔で雪之丞を奥の所長室へと誘っていった。
 オフィスの半分ほどの大きさの部屋は、高そうな家具が揃えられていた。貧乏教会の名残りになるようなものは何一つ残っていなかった。

「まぁ座りたまえ、お茶でも入れよう」

 オフィスにいる男たちに声をかけずに、部屋に備え付けてある小さなコンロでお湯を沸かせた。
 雪之丞は室内を見渡し、唐巣の机に近づきフォトスタンドに入っている写真に目を向けた。

「神父、これ……」
「懐かしいだろ? もう12年、干支が一回りしてしまったよ」

 かおり、おキヌ、魔理、タイガーを中心に、極楽ファミリーといわれた面々が写っている。かおりたちがGS試験を受け合格したときのものだ。
 フォトスタンドを手にすると、一人一人の顔を眺めた。遠くに行った者、消息が分からない者、そしてすでに鬼籍に入った者。

「その時代が一番楽しかったね。苦労は耐えなかったが」

 トレイにカップとティーポットを乗せると、懐かしそうにそう語った。

「だろうな。美神の旦那、横島、旦那のところの獣娘たち、六道のお嬢に小笠原の旦那、それに俺……神父に迷惑ばかりかけちまったよな」
「それも楽しい思い出さ……さ、どうぞ。日本茶やコーヒーは生徒に煎れさせるんだが、紅茶だけは自分でいれないとね」

 ソファーに座ると、カップに紅茶を注いだ。フォトスタンドを机の上に置くと、雪之丞はソファーに腰を下ろした。

「神父は変わってないっつーけど、俺は変わっちまったよ。あの頃とは違う」
「霊能力のことかい?」

 目を閉じたように細めると、カップに口をつけた。

「それもあるが、女に頼るようになっちまった。ただ強さを求めたあの頃の俺はもういない」

 自嘲気味に笑うと、唐巣は少しだけ首を横に振った。

「君だけじゃないさ。君は僕のことを未だに『神父』と呼ぶが、私は教会を破門されたどころかすでに神さえも信じちゃいない。もちろん他人もだ」
「異端狩り、人外狩りの矢面に立ったんだ。神父の場合は仕方ないぜ」
「仕方のないことなんてないよ。私は未だにあの時のことを夢にみることがある」

 受皿ごとカップを抱え口に運ぶと、落ち着けるようにそれを飲んだ。

「美神君親子が生きていたら、こんな私を笑うだろうな」
「いや……顔真っ赤にして怒り狂うと思うぜ」

 美智恵と令子の顔を思い出したのか、二人は口の端を緩めた。

「彼女たちが生きていたら、あのワクチンは世にでなかっただろうね」
「だろうな。『こんなものが出たら商売上がったりよ!』ってな」
「あの偶然ともいえるワクチンが完成して、予防接種と同様に全世界に普及。それにより低中級霊による霊症の被害は無くなった。今日の食事にも困るような人たちがそれで苦しむことが無くなる……私はそれでいいと思っていたよ」
「まぁな。俺たちも雑魚を相手にしなくていい、技術や力を持たない詐欺まがいのGSが減るくらいにしか思っていなかったからな」
「事実、オカルトGメンの仕事が減り、美智恵君がいなくなった穴も埋めることができたくらいなんだからね……霊症が無くなる……まさかそれによって仙界に不埒な奴が出入りする事になるとは、考えもしなかったよ」
「桃源郷か」
「ああ。通常の麻薬よりも10倍以上の高値の悪魔の薬。その魔力は人間だけでなく、神界や魔界の人々をも狂わせた」
「最初に問題が起きたのは、魔界軍だったよな」
「そうだったね。兵士の精神状態を鎮めるため、恐怖を無くすため。本来は魔界の軍人には必要ないはずのものだったんだがね」
「人間の軍での興奮剤の代わり……あの甘ちゃん坊やだったな、暴走したのは」
「彼は、先祖帰りだったからね。あの闘争本能を剥きださずに戦うために使用したんだが、それが裏目にでた。最期は自分の姉さえ区別がつかなかったらしい。こうなると、人間の世も上の世界も変りはないさ」
「チャンネル封鎖されるの早かったよな」
「半年だよ。僅か半年で、数千いや数万年に及ぶ歴史が幕を閉じたのさ。自分たちの世界を守るために、神は下界を切り捨てたのさ」

 唐巣は温くなった紅茶に口をつけた。

「あとのことは思い出しくもない……力有るものは桃源郷を求め暴れ周り、力無きものは人々によって殺された。いっそあの時、人間は滅ぶべきだったのではないかと私は思うよ」

 チャンネルが閉じた後、取り残された中級上級の神魔、妖魔たちは桃源郷を求め暴走を開始した。もちろんすべてが中毒患者ではない。人に味方してそれらの暴走をせき止める者もいた。だがその戦いが終わった後、人間たちは味方だった者に襲い掛かってきたのだ。いつ暴走をするか分からない、その恐怖のためにかつての仲間を攻撃したのだ。その矛先は、特殊能力を持つGSにも向けられた。六道が没落したのもこのためだ。
 魔女狩りともいえるこの愚行は2年間に及び、ワクチンが対応できない中級以上の神魔や妖怪はこの世から姿を消した。そしてワクチンで対応できるもの達にはさらなく地獄が待っていた。
 生きる者への権利という大義名分の『鑑札』である。戸籍をもたない神魔や妖怪たちが、生活できるようにと戸籍を与える代わりに鑑札をつけた。これをつけていない神魔や妖怪は『野良』などと呼ばれ、無条件で殺されても文句をいえないというものだ。この鑑札は新たな差別や弾圧を生んでいったことは言うまでもない。

「それからはこの世は地獄さ。神界、魔界に行きそびれたものは、なにもしない、いや仲間だったのに人々の手によって殺されていく。結局桃源郷は切っ掛けでしかなかったのだと思うよ」
「一番恐ろしいのは人の心か」
「力を持たない、抵抗するすべを知らないか弱き人を守るために闘って、それが終われば『恐れがある』という理由で守ってくれた者を狩りだしていく……まるでいじめの構図さ。か弱くいじめらていたものが立場が変わればいじめる側に回る……逆だな、大人がそうだから子供の世界もそうなっているんだろう」

 唐巣の憎しみは時を重ねても消え去ることはない。聖職者であったればこそ、自分の身を投げ打ってでも人々を助ければこそ、その心の奥底にある傷は癒えることはない。
 雪之丞はタバコを咥え、切先に火を灯した。二人の間に紫煙が立ち込める。

「私が人間を信用したばかりに、罪のない者たちが死んでいった。ピート君とシロ君は一族と故郷を失い、西条君は組織と倫理との板挟みで自らの命を絶った」
「西条の旦那は仕方ねぇよ。奴は自分に落とし前つけたかっただけだ。奴は自分の死に場所を見つけたんだろうよ」
「私が……私がもっとしっかりしていたなら、人に慈悲などをかけなかったなら、あのようなことにはなっていなかったんだよ。神は右の頬を打たれたら左の頬を差し出せといったが、伴侶を殺されたら次は子供を差し出せとでもいうのか? 冗談ではない!」

 唐巣は受皿をテーブルの上に叩きつけるように置いた。
 人狼の里への攻撃は、オカルトGメンが陣頭指揮をとっていた。その二カ月前に部下であるピートを亡くしていた西条は反対したが、国際公務員である西条に拒否できるすべはなかった。それに免職覚悟で西条が拒否しても、変わりのものが行くだけである。
 実戦経験が少ないオカルトGメン、魔物狩りに餓えた特殊部隊、それらをまとめながら、侍である人狼族を傷つけずに投降させるというのは、いかな西条でも不可能であった。
 最新装備を携えた軍を相手に、刀と弓ではいかな侍でもなすすべはなかった。その中でシロだけは抵抗を続け、禁術を使いそれらを一蹴した。
 そして西条はある決意を秘め、シロと対面した。禁術のため崩壊をし始めるシロを前に、西条は自らの命を絶った。自分の命でこの過ちを許して欲しい、そして君は生きろと。
 公式発表は双方全滅となっているが、唐巣のもとに届いた西条からの手紙は日付が作戦の3日前となっていた。西条は最初からそうつもりであったのだろう。

「すまない。ついカっとなって」
「いいさ。俺でもあの時のことは未だにムカつきが止まらねぇ。結局、人狼の隠し金山を取り上げた会社が最初だったんだよな」
「そうだね。あれが私の総会屋としての初めての仕事だったよ。カイザルのものはカイザルへ、神のものは神へ、そして獣のものは獣へ……だ。温室の中でぬくぬくとしている豚どもが持つに相応しいものではない」

 雪之丞は思わず苦笑した。神父ではないと言った唐巣ではあるが、神を例えにだしている。なにより、その根っ子には守るべき対象は違えど、神父としての心が今でも生きているからに他ならない。

「なにかおかしなことをいったかね?」
「いや、別に」

 口元を緩めたまま、タバコを灰皿に押し付けた。

「そういえば、久しぶりにタマモの嬢ちゃんに会ったぜ」

 厳しい顔つきだった唐巣の顔が急に綻んだ。

「どこでかね? 元気にしてたかい?」
「さっきこっちで会ったぜ。女狐ぶりに磨きがかかっていたなぁ」
「なんだ、こっちにいるのかい。水臭いなぁ、顔でも出せばいいのに」
「あいつは家族になるべきものを失って、そして戦うことを選んだ相棒と袂を分かった……狐はやっぱり一人でいるのが気楽でいいんだと」
「なぜ君がそれを知っているんだね?」
「あぁ、あいつ前に組んだときにかおりには結構話しててな。ツンツンタカビーなところがお互いに通じるんだろ」

 どちらからともなく笑った。

「ところで雪之丞君。例の件は引き受けてもらえないだろうか」
「俺が、神父の後を継ぐって話かい?」

 唐巣は立ち上がり自分の机に戻ると引き出しを開け、中から書類を取り出し雪之丞の前に置いた。

「目標のリストだ、追剥ぎどものね。6年かかってようやく資料は集めた、海外の方はエミ君や魔鈴君に任せているとはいえ、まだかなりの時間がかかる。日本の方を君に任せたい」

 ざっと資料に目を通した。紅藤の名前も記されていた。

「かおりもそろそろガキが欲しいっていってたから、それもいいかもな」
「引き受けてくれるかね」
 
 唐巣は思わず雪之丞の手を握った。

「今やってる仕事が終わったら、でよければな」
「やっかいな仕事かい。手伝おうか?」
「いや、最後の仕事は自分たちの手でやり遂げたい。一匹狼の最後の仕事くらいわな。悪ぃな、待たせた上に、もったいつけて」
「構わんさ。私と違って君らにはまだ時間はある。亡くなった」

 唐巣は顔を軽く振ると、言葉をとぎった。

「とにかく頼むよ。いやぁ〜楽しみだな、年甲斐もなく久しぶりに胸が躍るよ」

 喜びを押さえきれないように、唐巣はうろうろと落ち着き無く歩き回った。
 かつて唐巣にはピートいう弟子がいた。人と魔物が仲良く暮らせるという目標のため唐巣の基で修行をした彼はやがてオカルトGメンに就職して唐巣のもとを去った。そして例の弾圧によりハーフということで失職しかつての仲間たちに捕らえられ絶望の中死んでいった。
 8年の歳月が流れ生徒は増えても、自分の跡を継いでくれるという器を持ったものは現れなかった。ようやく手に入れた跡継ぎである。彼の喜びは相当なものなのだろう。
 落ち着くのも悪くない―――唐巣の喜ぶ様子を見て、雪之丞はそう思った。











 唐巣経済研究所をでて、ホテルに戻る。電車とバス、それにタクシーまでを乗り継ぎ尾行に気を払った。怪しい奴は尾けていなかった。
 自分のとっている部屋の前に着くと、備え付けのチャイムを押した。

「俺だ、開けてくれ」

 中からドアが開いた。

「動くな」

 ベッドの近くでかおりが後ろ手で縛られ、銃を突きつけられていた。

「写真とDVDはどこだ?」

 首に冷やりとした感触。ナイフを当てられている。

「お前ら外松に雇われたチンピラか?」
「質問に答えろ」

 かおりの頭に銃が突きつけられる。

「ここには無ぇよ。別の場所に隠してある」
「場所はどこだ?」
「言えねぇな。言った途端にズドンだろ?」
「言わなくてもズドンだよ」

 引き金にかかる指に力が入った。

「待てよ。取引きといこうぜ」

 顔色を変えることなく、そう告げた。

「お前と取引きなんかするかよ。俺らは仕事を完遂するだけだ」
「ならこの街のどこかに隠されているものを、必死こいて探すんだな。爆弾が仕掛けられているようなもんだ、お前らチンピラが起爆させたとなると雇い主は黙っていないだろうな」

 引き金にかかる指が緩んだ。十分な間であった。ナイフを突きつけていた男の腹に肘を入れ、体をくの字に折ると、顎に膝蹴りを入れる。
 かおりに向けられていた銃が、こちらに向けられた。倒れようとした男を盾にして、そして蹴りつけた。かおりを巻き込みながら倒れこむ。ナイフを取り上げ、銃を持った腕を床に突き刺した。悲鳴を上げる前、顔を何度も蹴りつけ声をあげさせなかった。
 蹴るのを止めると、銃を部屋の隅に放りかおりの縄を解いた。手を取り、部屋を飛び出す。

「唐巣のおっさんのところに匿ってもらえ、移動の仕方は分かってるな」
「えぇ、心得てますわ」

 エレベーターに乗り込むと、雪之丞はかおりをきつく抱きしめた。

「すまんな、大丈夫だったか」
「あれくらい昔に比べたら“ヘ”でもありませんわ」

 抱きしめたまま雪之丞は笑った。

「なんですの?」
「いや、お前も変わったなぁってな。お嬢様が“へ”だとよ」

 体を離すとかおりの顔は赤くなっていた。

「あなたと一緒にいたら自然とそうなってしまうのよ。一緒になって10年なのよ」
「早ぇよな……」
「えぇ、あっという間。まるで昨日のような気分ですわ」

 エレベーターが止まり、ドアが開いた。雪之丞はポケットに手を入れると、キツネのマスコットをかおりに渡した。

「ほら、土産だ。タマモの嬢ちゃんから」
「タマモちゃんに会ったの?」
「あぁ。詳しい話は、唐巣のおっさんのところで話そう」
「えぇ、気をつけて」
「お前もな」

 裏口に回るかおり、そして雪之丞はフロントへと向かった。















 携帯電話の呼び出し音が響く。通話ボタンが押された。

『終わったか』
『すいません、逃げられました』
『だから言ったろう、お前らにはまだ早いって』
『所長、安田が右手がパーになって』
『わかった仇はとってやる』

 通話にビープ音が混じる。キャッチが入ったようである。

『電話が入った。セーフハウスに戻ってろ、医者を呼んでやる……もしもし、俺だ』

 もう一度ボタンを押し、通話を切り替えた。

『所長、唐巣はこの件にはなにも絡んでませんね。伊達が寄ったのも、どうやら数年ぶりだそうです』
『分かった。こっちに合流しろ、狩るぞ』
『分かりました』

 電話が切られる。スカーフェイスの男は、ホテルの前で雪之丞の姿を見つけると白い歯を見せた。












 電車を乗り継ぎ、唐巣の事務所とは山の手線を挟んで真向かいの駅でかおりは降りた。すぐにタクシーに乗るのではなく、人通りの多い道を歩く。仕事を終えた人々がかおりと反対の駅の方へと移動していく。顔に冷たいものが当たるのを感じた。

「雨か……」

 コートの襟を立て、顔を上に上げた。何かがぶつかった。人。男だった。体を支えられた。また一人ぶつかってきた。
 声が出ない。持ち物やポケットを探られていた。抵抗はできなかった。男が一人ずつ離れていく。最後の一人が離れると、かおりはアスファルトの上に倒れた。

「……寒いなぁ……」

 雨と血で濡れたアスファルトに顔をつけたまま、かおりは重たくなった目蓋を閉じた。










 部屋が白い霧のようなものに包まれている。その中でシロは、焦点の定まらない目でタバコを咥えていた。細い指が咥えていたタバコを口元から外した。

「平出の持ち株数は聞いた?」
「あのおとこのもちかぶは100まんかぶでござる」
「専務と社長の持ち株は?」
「300まんかぶと500まんかぶでござる」
「そう」

 手にしていたタバコをシロに持たせると、タマモはシロの耳元で囁いた。

「ありがとう、よくやったわ。それからもう一つ、あいつらの隠し財産を聞きだしてちょうだい」
「おやすいごようでござるよ」
「お願いね。それから……あんたは1日にこれを2本以上吸えない。体が勝手に拒絶する……いい、わかった?」
「わかったでござる」
「よろしい。あんたは5つ数えると、目が覚める……」

 一つ、二つと数えながらベランダに向かい窓を開けた。白い煙が窓の外へと流れ出していく。

「五つ」

 シロの目に焦点が戻り、慌てて周りを見渡した。

「あんたなにやってんのよ、タバコの吸い初めだっていうのに、寝タバコぉ? 火事になってもしらないわよ」
「あ、あれ? 拙者寝てたでござるか?」
「目ぇ開けたまま、ぼーっとしているんだもの。そんなんだったらタバコ控えなさいよ」

 そういいながら窓を閉めようとした。耳に僅かな声が届く。シロの方を振り向くが、シロはタバコを手にしたまま首を傾げていた。

(違う、今のは……)

 ベランダに出て身を乗り出すようにして耳を澄ませた。
 
(かおり先輩?)

 タマモの背中に冷たい汗が流れた。リビングを飛ぶように駆け抜け、玄関にあるヒールを手にすると再びベランダに戻る。

「タマモ、なにやっているでござるか」
「ごめん、急用できた。また来るから」

 ヒールを履くと、ベランダから飛び降りた。

「こらーー! 玄関から出て行くでござるよーーー!」

 シロがベランダに駆け寄りそう叫ぶが、白いNSXは爆音を奏でながらマンションの前を走り去っていた。










「ちっ、雨かよ」

 雪之丞は駅前の電話ボックスに入ろうとしたが、思い直し近くの公園へと歩いた。晴れた日だと、人通りも多少あるのだろうが、急な雨を避けるために皆他の道へと回っているようであった。
 公園の隅にある電話ボックスに入り、電話をかけた。3回ほどコールすると相手が電話にでた。

「外松さんかい?」
『あぁ、私だ』
「随分とふざけたマネをしてくれたな」
『なんのことだ?』
「なんの? しらばっくれるんじゃねぇよ。チンピラ雇って脅しとは、大会社の専務とは思えない遣り口だよな」

 外松からの返事はなかった。

「気分を害した、倍の3億貰おうか」
『待ちたまえ、私にはなんのことやら』
「なんのことでもなんでもいい。慰謝料は3億だ、明日また電話を入れる」

 外松の声が聞こえたが、構わずに電話を切った。
 雨が強くなってきた。雪之丞はタバコを咥え火をつけると、コートを頭から被ろうとした。

「人がいねぇ……結界か?」

 背中に熱いものを感じた。電話ボックスのガラスが音を立てて崩れていく。弾けるように飛び出すが、足がもつれた。ぬかるんだ土に足を取られ、そのまま転ぶ。手にしていたアタッシュケースが開き、中の紙幣がばら撒かれドロに塗れていく。

「じ、銃撃だと」

 かろうじて立ち上がると、植込みの影から男どもが現れ、雪之丞を取り囲んだ。

「よお、久しぶりだな。13年ぶりくらいか」
「てめぇ……陰念」
「哀れだな雪之丞君よ。お得意の魔装術もチャンネルが封鎖されちまって使えないんだってな」
「そりゃあ、お前もだろうが」

 取り囲んでいた一人が雪之丞にぶつかった。腹に痛みを感じながらも、振り払い蹴りを入れた。すぐにもう一人がぶつかってくる。避ける。もう一人。
 万全であったのならば全て避けられたかもしれない。だが銃撃で受けた傷とぬかるんだ足元は雪之丞の体力を奪っていた。
 二人ほどは動けなくしてやったが、雪之丞の足元はすでにおぼつかなくなっていた。

「流行んないんだよ、一匹狼なんて」
「豚に食わせてもらっているダニよりはマシだ」

 雪之丞に向けられていた銃が火を噴いた。鉛玉が雪之丞の体に食い込んでいく。一発。二発。三発の銃弾を浴びると、雪之丞はそのまま後ろに倒れた。

「ざまぁねぇな。ダニに殺される狼様なんてよ」

 動かない雪之丞の体を探る。DVDはアタッシュケースの中にあったようだ。部下の男が発見していた。内ポケットに妙な手ごたえを感じ、探ると隠しポケットになっていた。ポケットを破り、中にあったメディアカードを奪った。その手が捕まれる。雪之丞の手だ。

「無駄なことやってるんじゃねぇよ。このドチビ」

 手を握られたまま蹴りを入れるが、その手には次第に力が込められていく。

「この死に損ないが……」

 もう一度蹴りを入れようとしたが、手首の異様な熱さに声を出すのさえ忘れていた。握っている雪之丞の左手が蒼白い光りを放つ。陰念は右手を押さえ、熱さにもがきのた打ち回った。左手の光りが淡くなっていくと、陰念の手は雪之丞の手から離れた。煙に混じるように異臭が漂い、濡れた地面に陰念の右手が音を立てて落ちた。

「お、俺の手が! 俺の手がーーーー!!!」

 ドロに塗れ、のた打ち回ると男達が陰念の側に寄ってきて体を支えた。

「銃だ、銃貸せ!!!」

 右手の傷口を縛られると立ち上がり、部下の一人から銃を奪った。左手に持つと、ピクリとも動かない雪之丞に向け、発砲した。
 慣れない左手のせいと怒りのせいで、弾は当たらない。近づき体を跨ぐと、引き金を引いた。2発体に食い込むが、それ以上弾丸はでてこなかった。陰念は銃を放り投げると、よろめきながら蹴りを入れ男たちに支えられると公園を去っていった。












 フロントガラスに当たる雨に、赤いパトランプが反射している。
 かなりの数が現場にいた。黄色いテープの向こう側に救急車が停まっている。赤色灯はついていなかった。
 ウィンドーを僅かに下げる。雑多な音や匂いに混じり、懐かしい匂いがした。そして血の匂い。野次馬の間から、漂ってきた匂いには生を感じることはなかった。
 シガレットケースからタバコを取り出し咥えた。狐火は使わずに、ライターで火をつけた。ガスの匂いが煩わしかった。
 ストレッチャーが救急車に乗せられた。ドアが閉まると、かおりの匂いはかなり薄れた。サイレンもないままに、救急車が走り出した。
 救急車に目を向けないままに、目を閉じると深く紫煙を吸い込んだ。バックに手を入れ、桃源郷の入ったケースを取り出す。薄めていない桃源郷を小指につけると、火のついたタバコに直接つけた。もう一度深く吸い込み、窓を開けると紫煙を外にだした。ニ、三度深く呼吸をすると、車を走らせた。

 二時間ほど車を走らせると、駅の駐車場に車を止め公園に向かった。
 雪之丞が宿泊していただろうホテルから、唐巣の事務所へ至るまでの道で追っ手をまくために使う経路を計算し、その逆方向で多人数で襲撃できるところを割り出した。桃源郷まで使い感覚と集中力を極限にまで高めた。
 その公園はあえて人が避けていた。結界のためであろう。入れないはず、見えないはずの公園に足を踏み入れた。強いはずの匂いがかなり薄れていた。
 空を眺める。雨はまだ降っていた。気づいてはいたのだが、気にならなかっただけだ。顔を洗うように、雨に打たれると歩を進めた。
 都内では珍しい土の公園だった。地面はかなりぬかるんでいた。踏み散らかした足跡が残っている。真っ直ぐになにかを見つめ、歩を進めた。
 雨が降っていた。穴だらけの死体があった。流れていたはずの血は、雨で薄まっていた。苦しんだ顔ではなかった。幸せそうな顔でもなかった。そこにあるものを、ただ当たり前に受け入れた―――そんな顔であった。
 タマモはかつて仲間だった男をじっと見ていた。雨は振り続けていた。



  ―――つづく―――

 







金毛6話です。
今現在で7話まだ終わってません。ヤバいかもしれません……
7話はともかく……私、今回始めてGSキャラを現在進行で殺してしまいました。
あああああああああああ、ゆっき〜〜〜……灰街であんなズタボロになっても死んでないのに……

これから会話で細かいジョークが入るときはありますが、どんどんハードな展開になっていきます。
ハードボイルドがお好きな方には読み応えがあると思いますが、そうでない方にはとてつもなく鬱な展開かもしれません……もう一度いいます!!




ごめんなさい!m(__)m



では、また二日後に……会えるかなぁ?(汗)

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