プロローグ
喫茶『蜘蛛の巣』
何処にでもある個人経営の喫茶店。
そこそこ安っぽい内装の店内にラジオから流れるBGMはなぜか民謡。
ちょっときつめな印象の美人店主と大きなリボンが可愛らしい女の子が切り盛りしている。
妖怪が経営していること以外、どこにでもあるありきたりな喫茶店だった。
それなりに人がいたランチタイムも過ぎ、店内の客はたったの四人。
カウンター席に座っているスーツ姿の男が二人。
彼らは注文したコーヒーに手をつけず、新聞を覗き込むように読んでいた。
奥のテーブル席にはバンダナを巻いた少年と赤ん坊を抱いた美女が向かい合って座っている。
少年の格好はデニム地のジャケットにジーンズ、シャツは一山いくらで売られるような安物。
顔立ちはすこし童顔気味でそこそこ整っているが、とりたてて格好いいわけではない。
美女のほうは白いシャツにベージュのスカート、ぱっと見て分かりにくいが割と名の知れたメーカーの高級品だった。
目鼻立ちがはっきりとし、凛とした形のいい眉。瑞々しい張りのある肌。アップで纏めた亜麻色の髪は艶っぽい。娘を産んだとは思えないくらいに若々しい。
二十にも三十にも見える外見はまさしく魔性の女という表現にぴったりだった。
若い男と若い人妻が人目を忍んで喫茶店で密会する。
それなりに艶ごとのありそうなシュチュエーションだが、女のほうは子連れである。艶消しだろう。
それに二人の間に漂っている雰囲気は、そのような退廃的になものとは違い、肌がビリビリするような緊張感が漂っていた。
少年は少しいらだった様子で女に問う。
「これは一体どういうことなんスか隊長?」
低く抑えられてはいるが、そこには深い憂いがあった。
「ごめんなさい。でも私にだってまだ、正確な事態はつかめてないのよ」
赤ん坊を抱いた美女、ICPO超常犯罪課日本支部非常勤顧問、美神美智恵はおくるみの中ですやすや眠る次女ひのめをぎゅっと抱きしめた。
横島忠夫が美智恵から連絡を受けたのは早朝の五時。
普通の人間ならばまだ安眠を貪っている時間帯である。
だが横島忠夫にとっていつもならこの時間は『散歩』にいくために起床している時間だった。
横島がバイトしている美神令子除霊事務所が二週間という長めの春休みに入ったのは事務所の横島と氷室キヌの春休みに合わせてのことだった。
公立の横島と違い、おキヌが通う六道女学院は少しばかり春休みが長い。
これは私立であることと霊能科があることが深く関係している。
霊能科に通う大半の生徒の実家は何かしら形で霊能に関わっていることが多い。
実家が神社、寺院、教会など宗教関係という生徒は珍しくない。むしろ大半はそうだ。
そんな中、しきたりや慣習として季節の節目毎に儀式をする家系はざらにいる。
遠方からの留学生も結構な数いるし、下手すると実家と学園の往復だけで春休みが終わるなんて生徒もいたりする。
そのため、六道女学院は四季ごとに一週間から二週間の長期休暇を設けていた。
おキヌも事務所の一室に下宿しており、実家は人骨温泉にある氷室神社である。
他の生徒に比べれば比較的帰りやすいとはいえ、忙しい美神のところではなかなか帰省する時間はとれない。
大抵帰るときは日帰りか精々一泊くらい。
それに人一倍優しいおキヌはどうしても忙しい事務所を気にしてしまう。
令子ががめついため、事務所のスケジュールには常に仕事が入っているのだ。
優しいおキヌが長期休暇とはいえ帰省するのを躊躇うことは簡単に想像できる。
そんなおキヌにたいして、令子は彼女が気にしなくてもいいようにと事務所全体の休みをかなり前からスケジュールに組み込むことにしたのだ。
なんだかんだ言って、令子は横島以外の事務所のメンバーには甘い。
おキヌの春休みに合わせて休暇を宣言すると手のかかる事務所の居候のシロとタマモにある程度の小遣いを渡し、人狼の里への帰省を促したりしている。
横島は事務所のバイトが無いと文字通り命にかかわるため、見習いでも出来るレベルの安い仕事をいくつか回した。
回された仕事のおかげで休み中は心置きなく、高校の補習に行けるほど懐は暖かい。
その懐具合は某牛丼チェーン店で朝昼晩三食、大盛り豚丼に生卵、味噌汁とサラダ付きを食べていられるくらいだ。
もっとも、バイトが休みと聞いてお隣の小鳩や愛子、どういうわけか雪之丞やピートまでがやってきて食事を作ってくれているのだが・・・・・・
余談だが雪之丞は横島が休みと何処からか聞きつけ、もらい物の酒とツマミ(除霊先でもらったらしい)を持ち込んで酒盛りをしだし、ついでに買いだめしてたカップめんをたらふく食べてまた何処かに行ってしまった。
純粋にホテルに泊まる金がもったいなかったからアパートに泊まっていたようだ。
ピートのほうは教会で取れた野菜のおすそ分けを持ってきたついでだった。
バラの精気を吸うだけでは味気ないので野菜料理を学びだし、神父に作っているらしい。
別に男の手料理なんて有り難味ないものに興味がない横島だったが、自分で野菜を料理する気がないので、そのままピートに作ってもらうことにした。
味は意外に美味だった。
凝り性なのかいちいち聞いてもいない料理の解説をし、感想を尋ねる姿は妙に甲斐甲斐しかった。
途中で返事しないでいるとなぜか逆切れされ、宥めるのに苦労した。
結局帰るときにはピートの機嫌は直っていたから問題はない。
頬を染めて鼻歌交じりだったピートの後ろ姿に横島は一抹の不安を抱いたが。
と、話はそれたが事務所が休みに入ったのは一週間前。
教師に嫌がられながらも春休みの補修を全て終わり、横島は心置きなくだらだらしていた。
『散歩』によって早起きの習慣が付いていたのか横島は浅い眠りの中ですぐさま着信音に反応した。
某三代目大泥棒のメインテーマがバイブと共に携帯電話から流れ出る。
この携帯は令子が事務所の支給品として横島に渡した結構な値段の高性能携帯電話。
44口径の銃弾にも傷つかず、対G、耐水、耐電性がきわめて高いCIA御用達の一品だったりする。
実は通話録音機能が付いており、どんな会話をしたかがはっきり携帯に残ってしまう。
ときたま、事務所の面々がこの携帯の通話録音を鬼のような形相で拝聴していることに横島はまだ気がついていない。
「うぃーっす・・・・・・横島ッス」
携帯に手を伸ばし、寝起きのためはっきりとしない声で答える。
だがこんな非常識な時間に電話をかけてくる相手は限られている。
おそらくは美神令子だろうと横島は当たりをつけた。
突拍子もない時間に電話をかけ、呼びつけられることなんて横島にとってザラにあることだった。
電話の向こうからはなぜかバタバタと人が行きかうような音がする。
「せっかくの春休みッスよ美神さん。たま〜の休みくらいゆっくり寝させてください」
安過ぎる時給を強調するため、たま〜の部分をとっても不機嫌そうに横島は強調する。
ほぼ毎日過酷な労働しっぱなしで休みなんて取りようがないのだ。
その上、時給が安いため、仕事をしないと最低限の栄養さえ不足する。
正気なら令子が恐ろしくてこんな嫌みは言えないが、半分未だに夢の中な横島に怖いものはない。
「ああ、良かったわ横島君、連絡付いたわね」
「?・・・・・・あれ? 美神さんじゃなくて、隊長ですか!?」
声の主は令子ではなく令子の母親である美智恵だった。
親子だからか、少し甲高いがよく通った令子の声と美智恵の声は似通っていた。
てっきり令子からだと思って何も聞かずに嫌みを言ってしまったことに横島は慌てる。
美智恵は嫌みに気付かないのかあっさりと流した。
「ええ、令子じゃなくてごめんなさいね。 それよりも横島君早くから悪いんだけど、あなた令子の居場所知らないかしら?」
少し急いた口調からはそんな他愛もない質問が飛び出す。
イマイチ起ききっていない横島は欠伸をしながら答えた。
「朝っぱらから電話してソレですか・・・・・・休暇でどっか外国いくって言ってましたけど」
横島は令子が休みに入る前、海外にでもいってくる、と言った事を思い出す。
除霊道具の買い付けもかねて、近場は香港、遠くはザンス、アフリカあたりまで観光を兼ねてアシを伸ばすなんて言っていた。
そのことを手短に美智恵に伝える。
「それは私も聞いてたんだけど・・・・・・」
電話越しに聞こえた美智恵の声に潜む疲労感。
横島の半分眠っていた頭はそれに気が付いた瞬間に嫌な想像を思いついた。
なんだかんだで横島は並の人間ではとっくの以前に三途の川逝きのトラブルをいくつも体験している。
その中心には常に令子がいた。
本人は認めないだろうが令子は生粋のトラブルメーカーであると横島は思っている。
しかも何気ない行動が後になってとんでもないレベルの事件になって返ってくるタイプの。
横島は生唾を飲み込んだ。
「・・・・・・なんか有りましたね。俺に連絡が来るってことは美神さん絡みで何かが。もしかして、連絡取れないんですか美神さんと」
美智恵は手短に告げる。
「これから指定する場所にこれるかしら。詳しい話はそこでするわ」
美智恵は横島にいくつかの指示を与えると電話を切った。
口早に指示を与える美智恵の様子はなにやら不吉なものを横島は感じる。
よく考えれば夜が明けきってない時間に緊急のコール・・・・・・この業界では珍しくない、ヤバイ感じが漂いまくり。
「いったい何が起こってるんだよ・・・・・・」
すっかり眠気のとんだ横島は窓から差し込んできた朝日に目を向けた。
空に上り始めた朝日は血のように真っ赤で、それはどこかで見た夕日にも似て、眩しすぎた。
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