午後のひととき
「お忙しい一尉をたびたび煩わせるのも心苦しいんですが、どうしても報告書の筆が進まなくて‥‥ また、手を貸してもらえませんか?」
局長秘書官として自分のオフィスを持つ柏木の元を皆本が訪れたのは、午後の就業時間も半ばを過ぎたあたりであった。
「いいですよ。ちょうど仕事の区切りがついて時間が空いたところですから」
言い訳めいた挨拶をする皆本に柏木は軽く微笑む。多忙を極める秘書官という仕事に余裕などあるはずもないが少しも迷惑そうな感じは見せない。
「すみません。この部分について、何かお考えがあれば聞かせてもらえませんか」
デスクに備え付けられた端末を借りる関係で彼女の椅子に腰を掛けた皆本は背後に立った柏木に用件を示す。
『では、拝見します』と柏木。
見やすいよう場所を明け渡そうとする皆本を軽く押さえ肩越しにディスプレイをのぞき込む。
”えっ?!”と皆本の体が微妙に強ばる。
のぞき込む形になったことで柏木の胸が肩に触れたため。
当人のまったく気づかぬ様子に、下手にそれを言うと気拙くなりそうで口をつぐむ。
対して、柏木は ふんふん と小さく頷きディスプレイから目(と体)を離す。
「今朝の出動で二重干渉式ESP波測定装置が壊れたという話は聞いていましたが‥‥ ”そういうコト”だったんですね」
「ええ、まあ」と皆本。
微妙過ぎる状況から解放された事でほっとしつつ、”そういうコト”だった事を認める。
ちなみに、”そういうコト”とは失われた測定機器−装備課長曰く、世界でまだ五台とない極めて高価かつ代替の効かない貴重な機器−の損失にチルドレンが絡んでいるという事。
当然、提出しなければならない報告書には、それについて触れざるを得ないわけだが‥‥
もちろん、それが不可抗力的なものであれば事実を書けば済む。
しかしそれが、柏木が匂わせた通り彼女たちの勝手な振る舞いが引き起こしたとなれば少なからず話は違ってくる。
昨今、かなり改善されてきたとはいえ、未だ強大な”力”を使いこなせているとはいい難い彼女たちに向けられる評価は芳しくなく、この一件をありのままに書く事は事実でそれを補完する事に他ならない。
初めの頃の”クソガキ”時代であれば、それも自業自得と割り切ることはできたが、曲がりなりにも良い資質を見せ始めている現在、(少し‥‥ いやかなり甘いと思うが)彼女たちのマイナスにならないよう配慮を加えられればと心が動く。
で、さきっきまで自分のオフィスで嘘にならない範囲で黒を白に言いくるめる報告書を作り上げようとキーボードと格闘していたのだが、どうにもならず、思いあまって、ここに助けを求めにきたという流れだ。
ややあって、
「そうですね。この部分を不幸な”偶然”の結果という形にしたいのなら、前に似た事があった時の報告書‥‥ 確か、ファイルコード・B2013が使えますよ。もちろん、多少は文章をいじらなければなりませんが、皆本さんならすぐに体裁を整えることができるはずです。 ‥‥ 『そんないい加減なことで』って、大丈夫です。装備課長は割とアバウトな性格なんですから。口では色々と言っても、報告書については形式さえ整っていれば文句の言う人じゃありません」
「‥‥ そ、そうですか」と応えつつ額に冷や汗の皆本。
いったんは離れた柏木の体−正確には胸−が端末を操作する関係で再び触れてきたから。その上、今回、マウスやキーボードを(肩越しに)使うため、接触面はより大きく、操作による揺れまで微妙に伝わってくる。
一方、柏木といえば、そうした状況にもかかわらず、先と同じで(操作等に集中しているためか)それに気づく様子はない。
こうなると最初に黙っていた引け目も手伝って成り行きに任せるしかない。
”普通の人々”の拷問にも匹敵する精神的負荷が加わる事、十数秒(主観的にはその十倍は経過している感じだが)、やっと解放される。
「どうかしましたか?」ディスプレイを凝視する皆本を訝しむように尋ねる柏木。
「いえ、何でもありません!」とはっとした皆本はあわてて首を振る。
”接触”による動揺を鎮めようとしていたとは言えない。あらためて示されたファイルに目を走らせる。
そして、ようやく読み終えると、
「毎回の事ですが柏木さんって凄いですね。こんなに簡単に答えを見つけ出してくれるんですから」
「そうですか? 私がこの報告書を書いたのならともかく、皆本さんが必要としている内容がここにあるって示しただけですよ」
『だからこそ凄い』と思う。
こちらが提示した問題に即座に模範解答を示せるという事は、局長秘書官の元に集まる膨大な報告書の内容を整理・記憶している事に他ならない。
天才と言われる自分でも同じマネができるかどうか‥‥
以前、秘書官が陰でバベルの検索プログラムつき生体メモリーバンクと呼ばれていると聞いた事があるが、表現上の問題はさておくとすれば正鵠を得ていると思う。
「とにかく、今度もお役に立てたようで嬉しいわ」
そう満足そうに付け加えた柏木はさらに、
「どうです? ”お茶”でも。もう答えが見つかったんですから、それをするくらいの時間くらいは取れますよね」
一応は問いかける形だが、すでにコーヒーメイカーに向かいスイッチを入れている以上、断るという選択肢はない。ましてや、局内外で知られた”柏木マジック”と呼ばれる特製を出してくれるのが判っているとなればなおさらだ。
やがて差し出される薫り高いコーヒー。
仕事に目処がついた安堵もあって心地よい”空気”の中での雑談となる。
「そうだ!」雑談の中で皆本はふと思いつく。
「一尉からもチルドレンに一言、アドバイスしくれませんか。任務に当たって、もう少し僕の指示に従うようにって」
言うまでもないが、チルドレンとのつきあいは自分よりもずっと長く(彼女たちにとって愉快ではない指示を出さずに済む立場とはいえ)好感度も高い。
ダメ元に近いが、言っておいてもらって損はないと思う。
「解っています。今までだってあの娘(こ)たちには機会を見計らって言ってはいるんですよ」
「あっ、そうなんですか?! ありがとうございます」
すでに希望が叶えられているとの話に皆本はあらためて目の前の女性の気配りに感心する。
「お礼はいりませんよ。もともとこの苦労は私が押しつけたようなものなのですから」
「い、いえ、そんなことは」『ありません』と皆本。
就任時のやり取りを思いだし微苦笑が浮かぶ。
たしかに、『押しつけ』られたと言えるが、今、それをどうこうは思っていない。
始まりの経緯はどうであれ、今の自分は彼女たちの健やかな成長を楽しみにしている。その喜びの大きさを思えば、この程度の苦労など大したことではない。
‘とは言ってもなぁ ‥‥’と付け加える。
こう任務のたびに、報告書という名の始末書づくりに追われるのはたまったものではないし、多忙な柏木に迷惑を及ぼしているのが心苦しい。
成長ついでにというのも変だが、チルドレンがもう少し”大人”となり、報告書も他の現場運用主任並で済むようになって欲しいと真剣に思う。
そんな内心のぼやきを知ってか知らずか柏木はなだめるような口調で、
「まあ、何にせよ、チルドレンがここまで成長できたのは皆本さんのおかげ。局長も私もすごく感謝しています。だから、遠慮なく(私を)使ってくれてけっこうです。皆本さんのためになら私は”何でも”してさしあげますから」
最後の台詞−それも”何でも”という部分に添えられた艶めいたニュアンスに、一瞬、 どきっ とする皆本。
あわてて見直すが、いつもの秘書官で特段おかしな点はない。さっきの影響だろうか、変な感じ方をした自分を叱責しつつ、
「どうも長居をしてしまったようです。報告書を仕上げたいと思いますので、これで失礼します」
「さてと」皆本を見送った柏木はそう自分に小さく声を掛ける。
これからチルドレンたちの控え室に赴き皆本の要望に沿ったアドバイスをしてこようと思う。
その際、頼まれた内容については少し厳しめに聞こえるようアレンジしようと考えている。
もちろん、あの三人娘が厳しく言われたからといって行動を改めるはずはない。それどころか、かえって反発・過激な行動に出る事は確実といえる。
しかしそれで良いと思っている。彼女たちがそうした方向に動けば動くほど、困った皆本が自分に頼ってくる事になるのだから‥‥
無意識に口元が綻びる柏木。少女たちに見せるわけにはいかない笑みを引っ込めるとオフィスを後にした。
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