「はあ……」
つい、深くため息をつく。
別に五月雨が嫌なのでも、梅雨寒にふるえているのでも無い。
筍流を好むくらいには、雨を楽しむ術も知っているつもりだった。
だけど今は、一つの想いに囚われてしまっていた。
かすかに雨露をあびた指で、傘をくるくるまわす。
まわすごとに、自分自身にどうしてこうなるのだろうと繰り返し問いかけていた。
−紫陽花−
自分は地味だ、それは分かっている。
それを拗ねてもしょうがないのは分かってもいる。
だけど、だけど。
やっぱり、ままならないのは面白く無い。
そんな子供みたいな−−−。
気心しれた人なら、きっとそういうだろう。
「……でも、想っちゃうのはどうしようもないもの」
事務所のみんなは、それぞれに華やかだ。
別に容姿が、ってだけじゃない。
美神さんはその芯の強さが。
シロちゃんはそのまっすぐな瞳が。
タマモちゃんはその秘めた激しさが。
時間を重ねるごとに洗練されて、眩しくなっていく。
羨ましくない、と言えば嘘になる。
私には無いもの、手を伸ばしても届かないもの。
「……無い物ねだりしたって、しょうがないけど」
自分が持っていて、他の人が持っていないものは何だろう。
でも、自分の目は自分の中を覗けるようには出来てない。
わずかに見える世界を通して、自分自身を見つめ返すしか術は無い。
生き返ってから、身に染みて理解したこと。
思い出したこと。
心や気持ちは、とてもとてもやっかいなのだということ。
幽霊のままでいれば良かったとは、想わない。
あのままでいてもきっと楽しかったのだろうけれど、それは夢だから。
生きてもいず、死んでもいず、現世と幽世の間をずっと漂っていただろうから。
だから。
空を飛べもせず、壁を通り抜けられもせず、訳も分からない気持ちに左右される生身の自分を、嫌いだとは想わない。
「いや、違う……な。嫌われるのが怖いんだ、あたし」
分からないから、見えないから、自分自身が人にどう映ってるかなんて想像も出来ない。
自分の気持ちが、どう受け取られているなんて考えも及ばない。
だから怖い。
もう一歩を踏み出す気に、なれない。
「もう!」
たまらず水たまりを跳ね上げた。
かすかに波紋が広がって、溶け消えた。
すぐにまた、ぴちゃんぴちゃんと雨粒が水面をたたき始める。
暗いアスファルトに染められたそれは、また変わりなく佇んでいた。
「はあ……なにやってんだろ」
またどこかへと足を伸ばそうとした私を、不意に引き留めるものがあった。
車のサイドミラーに映り込んだ鮮やかな色彩は
「紫陽花……?」
緑の葉養と赤紫の紫陽花が、そこにあった。
「やだ、すぐ隣にあったのに」
気づかなかったなんて。
私は紫陽花を見つめ直して、ツバメでも留まっていないかしらと考え、一人かすかに笑った。
こんな雨の日に、しかもまだ季節ではないのだから、こんなところにいるわけはないのだ。
その代わりと言っては可哀想だけれど、生い茂る葉に隠れるように、カタツムリが涼を楽しんでいた。
「このところずっとなのに、嬉しいんだ」
カタツムリはのそりと葉の上を進み、紫陽花はたおやかに恵みを受けて輝いていた。
こんな都会の隅にこっそりしっかり根を張って、やわっこく生き物を包んでいる。
「花の色が赤っぽいのは、土の関係なんだったよ……ね」
紫陽花は土に応じて色を変える。
見惚れる様な青もあれば、この子みたいな優しい色にもなれる。
「羨ましい」
どんな土でもしっかり根を張って、やわっこく、でも力強く生きられるならそれはどんなにか素晴らしいだろうか。
滋養を密かに蓄えて、毎年誰に誇るでもなく、綺麗な花を咲かせる。
その慎ましやかで逞しい様は、清々しい梅雨晴れを想わせた。
相変わらず、傘は雨露にたたかれている。
「もう一回りして、戻ろうかな」
この街で、やわっこく生きてるみんなを見てみたくなったから。
そうすれば自分も、もう一歩を踏み出せるかもしれないと、想えたから。
だから私は、傘をまわした。
くるんくるんと、次に出会えるのはどんな子達だろうとわくわくとしていた。
「私って地味なだけじゃなくて、案外単純なのかも」
でもそれも今は大して気にならなかった。
気持ちはもうこんなにも夏めいて、前を向いて歩いているのだから。
−−−心って、本当にやっかいだ。
どこか楽しげな独り言を呟きながら、苦笑いして。
今夜はふともれた梅雨の星が見られるといいなと、そう想っていた。
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