昔は何でも自給自足。
漬物や味噌は、家で作るのが常識でした。
三百年前の幽霊である少女も、その御多分に洩れず。
しかし時は現代。
中には、そうそうお目にかかれない材料も、ちらほら。
でも、大丈夫。
勝手の違いはあっても、こちらがあわせれば何とかなるものです。
いいんです。売り物ではないのだから。
コブがないならヒジキでも。
大豆がないなら枝豆でも。
お味噌は容器が命。
入れ物は、おもいっきりキレイに洗って準備した後です。
ここまでして止めるのは勿体無い。
おマメ、おマメとようやく見つけた一品。
焙煎された、黒いお豆が死地へと旅立ちました……。
coffee break!
発掘されたぞ、ビターなお味噌。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
腕を組む亜麻髪の女性に、作った少女、キヌが平謝りしていた。
きっかけは、些細な事。
なにやら変な匂いがすると、鼻の利く二人が掘り出したのだ。
「ま、まぁ、一応毒じゃないんだし、さ」
「そ、そうでござるよ。形は、立派なお味噌でござる」
狐と狼の少女がフォローにまわる。
作り方は完璧だった。
雑菌は入ってない。湧きようが無かったかもしれないが、それは置いておく。
茹でるのも擦るのも、丁寧な物だ。キヌが上手に仕込んでいる。
問題は材料ただ一点のみ。
それが致命的にも程があるから、頭が痛い。
「う、うーん、どうしようか」
悩む面々に、黒髪の少女が決意あらわに話しかける。
「美神さん。私が、責任もって使い道を……」
「おキヌちゃん、待った待ったっ!」
美神と呼ばれた女性が、腕を解いて慌てて止める。
何とか使おうと考えるのは、いかにも彼女らしい。
しかし、その流れは非常に困る。
なにせ彼女に料理を一任しているのだ。
行き先は、自分たちの胃袋に相違あるまい。
「犬科の二匹に、コーヒーはよくないのよ。
私がなんとかするから、おキヌちゃんは気にしないで」
この物言いに、野生のプライドが刺激されたか。
「ちょ、ちょっと! 十把一絡に括らないでよっ!」
「拙者、犬ではござらんっ!」
しかして抗議もなんのその。美神は無言で取り押さえ、壁の隅へと引きずり込む。
(いいから合わせるっ!
それともアンタらは、あれを食事に混入されたいっ!?)
耳打ちに、一言。これは強烈に効いた。
「そ、そっか、狐も犬科だったっけね。忘れてた忘れてた」
「そういえば、拙者もそうでござったなぁ。ははは……」
空笑いが、白々しく響く。
音声の最後は、掠れて消えた。
醸す雰囲気というのは侮りがたいもの。
何やら、察し処があったか。
「すいません……。買い物、行ってきます……」
どんより、どよどよと。
人魂が出そうなオーラを纏って、キヌは消沈して外へと出かけた。
これでは、残されたほうも良心に疼く。
「あちゃ、マズったなぁ」
美神は額に手の平を当てて、考え込んだ。
なんとか、有意義な使い道はないだろうか。
この手の閃きは、彼女の十八番。
すぐに思いつくと、事務所の電話に手をかけた。
「美神どの、一体どうするのでござるか」
「なんとか言いくるめて、引き取ってもらうのよっと、繋がった。
あ、もしもし厄珍。ええ、ええ。それはまた今度。
それより今、時間ある? うん、実はね……」
程なくして電話が終わり、美神は出かける準備を始めた。
犬よろしく、狼の少女はついて行こうとするが。
「あんた等はいいわ。それより、同時進行でコレの使い道を考えて頂戴。
捨てるのはダメよ。おキヌちゃんにバレたら事態が悪化するから。
……よし、オッケーと。口八丁でなんとかなれば良いけど」
そう言い残すと、漆黒の味噌玉を一つ手に取り、早足で行ってしまった。
困ったのは居候の二人。コネなし案なし辣腕なし。
「う、うーん。一体、如何なる使い道がござろうか」
「まずは、食べないことには話にならないけど」
ターゲットは、隅っこの僻地にも関らず、麗しくない香りで鼻を刺してくる。
嗅覚の良い二人には荷が重い。
「まずは言いだしっぺのお主が」
「む、無茶よ! 見た目と言い匂いと言い!
こんなの試すなんて拷問に近いわ!」
それは重々承知の上。
しかし、なんとかせねば前に進まない。
「何方か、コーヒー好きに需要はあるまいか」
「アンタは肉でジャムを作ったら、喜んで食べるというの?」
痛々しい沈黙が点々と続く。
「……えーい、無理よこんなの!
こうなったら、化かして誰かの口に放り込むしか」
ココまで言ったまさにその瞬間。
錆びついた自転車の停止音が、二人の耳に届いた。
狐少女の目が妖しく光る。
「チャンス。……鴨が来たわ」
「こら、タマモ! 先生を騙して食べさせるつもりでござるか!」
「じゃ、他にどんな手があるのよ」
逆に突かれて返事に困る。
「こ、この犬塚シロ、不意打ちは性に合わんでござる!」
「だから、それならどうすんのよ」
「正々堂々と食べさせるでござるっ!!」
(シロさん。論点はそこじゃない気がするんですが……)
天井から、ささやかなツッコミが入った。
実はここに、もう一人住民が居る。
美神事務所の建物そのもの。人工幽霊一号だ。
彼は留守居を任せれる身。
非常時には警告の任を承っているのだが、果てさてどうしたものか。
伝えるが吉か、静観が吉か。彼は悩んだ挙句、後者を選んだ。
バンダナの少年が、ちわーっと大声を放ち、事務所に上がりこんだ。
それに合わせて、先ずは私がとタマモが動く。
「うん? なんじゃこりゃ」
傍から見たら黒ーいお味噌。が、彼は己の好物だと錯覚した。
「うまそうな肉マンじゃねえか! ひとつぐらい、いいかな。いい、よな」
裏手で笑う、狐の少女。
「いいのよいいのよ。さーて食べろ、さぁ食べろ〜〜」
「昔話かなんかで、おんなじような展開があったような……」
「う、うるさいわね。要は数を減らせばいいのよ!」
食の誘惑にかかった彼に、悪巧みの声は届かない。
しばらく悩んだものの、大口開けて頬張った。
「#$%&%$#っ!?」
お味噌がタマモの幻術を、一瞬で吹き散らす。
食べた本人はのた打ち回っているのだが、それにはお構いせずに。
タマモは半分になった味噌玉を手に取り、シロに見せ付けてフフンと笑う。
狼の少女に、火がついた。
タマモから半身を奪い、さらに黒い球をいくつか抱え込むと、ドタドタと台所に突撃。
程なくして、ジョッキを片手に、勢いよく飛び出した。
「先生、飲み物! 飲み物はいかがでござるかっ!」
「くっ! くれっ! 緊急事態だ!!」
奪うように容器をもぎ取り、喉へどっと流す。
「うげっ! 口から喉から、すんげえ残りやがるっ!!」
「おかわりは、いかがでござるか!」
切羽詰った一声。
「すまん、大至急だ!!」
「はいはい、ただいまっ!」
シロは身を翻して台所に向かう。途中、キヌとぶつかりかけた。
「おキヌどの、お早いお帰りでっ!
火急ゆえ、通り捨て御免っ!」
「はは、お財布を忘れちゃって……って、シロちゃん?」
呼んだ相手はもういない。
何事かあったのかと思い、キヌは居間へと向かった。
リビングはリビングで、尋常ではない模様。
減っているお味噌。
見当たらない狐の少女。
そして、苦虫を潰したような顔の……。
何があったか、直接本人に聞いてみる。
「横島さん、どうしたんですか?」
「いやそれがさ、俺も良くわかんないんだけど……」
「おまちどーでござるっ!」
「ゴメン、とにかく喉がヤバイ」
横島と呼ばれた少年が、グビグビと灰色のエキスを流し込む。
キヌは違和感を感じたが、これでは話ができない。
飲みっぷりを見て、嬉しそうにしている少女に問うた。
「シロちゃん。お味噌が減っているんだけど……」
「ああ、今、先生が飲んでいるでござるよ」
師匠が吹いた。
「え、ええっ!?」
「ミルクを滴らせてカフェオレ風味に仕立てたら、いたく気に入ったご様子」
「気に入るかバカタレっ! てめえ、何つー物を飲ませやがるっ!!
あああ、粘土状の物体が喉に張り付くっ!!」
横島が口から火を吹きそうな勢いで、もがき始めた。
「ええっ! しかしタマモが生で食べさせたら、苦しんでいたではござらんか」
「これも存分に苦しいわっ!
……そうか、最初のアレはアイツの仕業か」
バラさないでよ、と、やむなくタマモが現れる。
血走った横島が指を震わせながら、眼と眉を吊り上げた。
「てめえら、これは一体何の冗談だ」
「いやその、いろいろと深い事情が」
言いたくとも、この地に本人ご在中。
曖昧にする二人に、横島のボルテージがどんどん上がる。
「ほう、是非とも聞きたいなぁ。
何をどうやったら、こんなフザけた物が出来るのかをよぉ」
「あ……」
シロとタマモの声がハモった。
視線の先に釣られて後ろを見れば。
がっくり垂れたキヌが、しょんぼり立ち去る背の姿。
「……つまりなんだ。作ったのおキヌちゃん?」
細目で睨む獣二匹に頷かれ、横島の頬から冷や汗が流れる。
「先生。少しは、でりかしぃというものを」
「ま、待て待て待て。そうは言ってもだなぁ」
横島のトーンが下がる。そこに追撃がはいった。
「あーあ。おキヌちゃん傷つけないように、そっと処分しようって決めてたのに」
「くっ……えーい、わかったよ悪かったよ! で、俺はどうすりゃいいんだ」
タマモが薄く笑う。
「そりゃ、責任とって全部平らげるとか」
「う、嘘だろおい!?」
容器には、味噌の塊が残り九つ。
今でも口の中がやばいのに、さらに食べろというのは……。
と、ここである事に気づく。
「なぁ。おキヌちゃんがコレを作ったのはわかった。
が、どうして俺が食べるんだ?」
「何いってるのよ。
食料はちゃんと消費しないと、罰が当たるでしょうが」
「そ、そうか。……って味噌は食料じゃねえ調味料じゃっ!
やっぱり俺が食う必要性がみえてこねーぞ!」
横島が強い視線を送ると、僅かに目を逸らす二匹の少女。
そうか。そう言う事か。
「やっぱり、お前らの独断による所業か」
薄ら笑いを浮かべる一同。
すぐさまタマモが、逃げた。ワンテンポ送れて、シロも。
「お前ら、そこになおれっ!
毛という毛を引ん剥いて、質屋に流してくれるっ!!」
「先生、スケベでござるよっ!」
「ド喧しいっ!!」
バタバタと痛烈な振動が、屋敷全体を覆った。
「皆さん、できれば暴れないで頂きたいのですが……」
これに応ずる者は誰一人としていない。
人工幽霊一号は、己の判断ミスを嘆いた。
そんな彼を天は見捨てなかったか。
救いはすぐにやってきた。
「オーナーがお戻りになられました!」
「くっ」
喜び混ざる天井からの声に、追いかけっこの足が止まった。
事務所で暴れたなどと知れたら、雇い主にどんな折檻を食らうか。
「ちくしょー、あいつら。後で覚えとれよ」
舌を出すタマモに、横島はコメカミを震わせた。
そちらに気をとられて、背後の接近に気づかない。
「ちょっと何やってたのよ! 埃が舞ってるじゃない」
「わわっ!? お、お帰りなさいッス、美神さんっ!」
いきなり声を浴びせられ、横島の背が真っ直ぐ伸びる。
強く息をつく美神と、もう一人。
並列して、髭を生やした小男が現れた。
「ついでに厄珍もいるのか。何しに来たんだ」
「ご挨拶ネ。商売のネタがあると聞いて、飛んできたアルよ。
時に坊主。令子ちゃんのお召し物は……じょ、冗談アルよ令子ちゃん。
さ、ささ、品物の話に移るネ」
厄珍が慌てながらも、商人特有のスマイルを浮かべた。
「何か新しいオカルトアイテムでも買ったンすか」
「逆よ。こちらのを引き取ってもらうの。
……あ、そうだ横島君。変わった物を食べてみたくない?」
流石に、これは気づくというもの。
横島の血管がピクピクと脈打った。
「結構です! もう食べ……食わされましたっ!」
「あ、ほんと! ちょうど良かったわ」
何が良いのか悪いのか。
美神はそう言うと、霧吹きを横島に向かって噴射した。
不自然な甘い香りが、鼻を抜ける。
「ぺぺ、なんじゃこりゃ!」
「ほら、効き目あるでしょ」
「おお、最初聞いたときは半信半疑だったアルが。
使えるかもしれないアルなぁ」
流れが読めないが、これはおそらく。
「勝手に人を、モルモットにしないでください!
……一体なんなんですか、そのスプレーは」
「あ、これ? 麻酔よ麻酔。
少し眠くなったかもしれないけど、問題ないでしょ」
美神が片目をウインクさせた。
ブツを食べるのではなく、睡眠の阻害剤に使おうというのか。
「コイツを安眠妨害に使うンすか? 需要あるんかな」
「張り込みなんかで、寝ちゃダメな時もあるでしょ。
催眠や精神攻撃する相手にも、多少は効果が見込めるしね」
厄珍がチョビ髭を弄りながら、黙って耳を傾ける。
そこに、横島が待ったをかけた。
キョロキョロと辺りを見渡し、不在を確認して話しかける。
「でもこれ、おキヌちゃんがいないから言いますけど……。
味は凄まじいですよ。特に後味が最悪で、ずっと尾を引きますし」
「大丈夫よ、薬として飲むんだから。
最悪、糖衣を塗すという手もあるし」
ここまで聞いて、厄珍が口を開いた。
「なるほど。糖衣で時間調節すれば、水の携帯も不要アルね。
……後は分量アルなぁ。坊主、お前どれくらい服用したネ?」
尋ねられて、横島は返答に詰まった。
「おいお前ら。俺にどんだけ盛ったんだ」
シロが嬉しそうに指を突き出す。
「三つアルか?」
「三玉でござる!」
横島の肩が跳ねた。
うどん、ではない。
ソフトボール大のでっかい塊が、三つ。
「味噌球の本体を、三つも!? うええ〜〜」
「……お前ら、ちょっと来い。うん、いいからちょっと来い」
彼の顔から湯気が湧き、景色が歪むのは幻影の類か。
「せ、先生? 何やら、凄まじい殺気を感じるのでござるが」
シロが後ずさる。横島が前に一歩出る。
タマモが端に隠れる。横島が死角から手を伸ばす。
それをひょいと交わして……。
「こら、大人しく捕まりやがれ!」
「冗談よしてよ、コーヒーくさい!」
「ふっ……! お前らまとめて、保健所に送ってくれるわっ!!」
堪忍袋の緒が切れた。
雇い主の存在を忘れ、再度ドタバタと駆けずり回る。
全くあいつらは、と美神が溜息をついた。
居間のドア、スチールの取っ手がカツンと鳴った。
気づいた美神が、ドアを外から開けてやる。
すると買い物袋をぶら下げたキヌが、ひょっこり顔を出した。
「ただいま帰りました。あら、どうしたんですか」
「いつもの事よ。……そこで走るな、ウィスキーが割れるっ!!」
銃声が二発、鳴り響いた。
駆ける三人と、どさくさに引き出しを漁っていた厄珍が、揃って両手を上に伸ばした。
「美神さん、今のはちょっとマズいんじゃ」
「大丈夫よ、威嚇だから。
あ、そうそうおキヌちゃん。味噌の引き取り先、見つかったわ」
「ええ! ど、どうなっちゃうんですか」
興味半分、怖さ半分。キヌが苦笑いの顔で聞いた。
「食用は無理だったけど、薬としてなら使い道があったわ」
「さすが美神さん!
私は普通のお味噌と混ぜるぐらいしか、思いつかなかったですよ〜〜」
(あ、危なかったっ……!)
心の中で、一同が呟いた。
「あ、そうだ。
さっきお味噌を買ってきたんですけど、夜はこれで」
皆の、血の気が引いた。
「う、私は遠慮するわ!」
「わ、私もパス!」
「せ、拙者も」
「ゴメン! 俺も!」
顔を青くして、ブンブンと首を横に振る。
「へ、へーんっ!! ごめんなさ〜〜いっ!!」
涙声が、屋敷の上の、空まで抜けた。
決着ついたか筈のその夜。丑三つ時の頃合に。
小雨の中、一人の男が事務所に潜った。
目指すは最上、屋根裏部屋。
イビキかく、二匹の獣をはたと見下ろす。
野生の勘は衰えないか。
接近に気づき、少女は薄目を開けた。
「ちょっと、なによぉ〜〜」
「ふえ、先生……こんな時間に、でござるかぁ〜〜」
「……眠れねえんだ」
対して男は淡々と、機械的な口調で呟く。
「だからってココに来る? なに考えてんのよぅ」
「へんへぃ、拙者おねむでござるぉ」
「眠れ、ねぇんだよ……」
口調に、ただならぬ気配を感じ、タマモの頭にようやくブドウ糖が回り始めた。
「ちょっ、ちょっと……シロ、シロっ!」
「ふええ、拙者がぁ、ぷりちーなら襲いたいって言えばいいのにぃ」
何かが、完全に飛んだ。
「おおお、おまえらああああっ!!
黒化した味噌で煮込んでやるから、覚悟しとけぇぇぇ!!」
「な、何っ!? 何事でござるかっ!?」
「よくわかんないけどアンタのせいよ!!」
ドンチキ騒ぎが三度目に起こる。
人工幽霊一号は、何かを達観した面持ちで空に意識を向けた。
ああ、カフェインとは恐ろしい。
でもオーナーは、それより遥かに恐ろしい。
睡眠妨害を嫌うあの人は、きっと顔を真っ赤にして排除に当たるだろう。
どうか、建物の原型ぐらいは残っていますように。
想いとは届かない物。十センチ砲弾の群れが、夜中の騒音を鎮火した。
おそまつ様ですっ!
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