銀に赤の混ざった髪持つ少女が、自転車を洗う。
総じてボロボロだが、それが想い人のであれば、愛着も湧くものだ。
鼻歌一つの間に、前輪のタイヤが片付いた。
師に褒められる未来を想像し、自然と尻尾がはためく。
いい感じでテンポがのってきた、ちょうどその時。
空から見慣れぬお客が舞い降りた。
絆あらば、物は輝く
古風な服装で手にはマイク。然して肉体は存在しない。
「あ、あー……うちに、何か御用でござろうか」
この手の来客は初見だった。少女は、とぎまぎしながら話しかける。
「おめえ新入りか。俺の名前はジェームス伝次郎! 幽霊世界の一輪の……。
ってそれは後でいいや。ちと急用でな。おキヌちゃんは居るかい?」
「おキヌ殿の知り合いでござったか。あいにく今は、買い物にて不在でござる」
知り合いの名前が出て、少女はほっとする。
「参ったなぁ……」
「時間がかかるやもしれませぬ。ささ、中でお待ちくだされ」
所内へと促すのだが。
「いや〜、結界があるから中に入れねえんだわ、これが。
あ、いいってことよ! 正式な依頼とかじゃねえし」
「左様でござるか。……なれば此度は、いかなる用向きでござろうか?」
手を振る伝次郎に、少女が尋ねる。
「実はよ、俺に弟子が出来たんだが、ソイツ、彼岸から二ヶ月経つってのに焼香がもらえねえんだ」
「ほうほう」
「しゃあねえから仲間内でって思ったんだが、共同墓地の線香に水かけたバカがいてよ。
もう、奴さんは枕元に立つって言って聞かねえし、てんやわんやでな。
おキヌちゃんマメだから、予備の線香を持っていると思うんだが……おめぇ知らねえかい?」
伝次郎が頭をかきながら、問いかけてきた。
「場所はわかり申さぬ。されど拙者は狼! 鼻を使えば一発でござる」
「お、わかるのか。悪いな」
「いやいや、師が弟子を気遣うとは拙者、感服いたした。では早速っ!」
少女はそう言うと、キヌの部屋へと向かった。
「おキヌ殿、火急ゆえ失礼しま〜す」
部屋は小奇麗にまとまっており、自分の住処とは大違い。
これから荒らすことに、少女はチクチクとした罪悪感を覚える。
さて、何処にあるだろうか。
くんくんと鼻を鳴らすと、木灰の匂いが微細に届いた。
「拙者なんかは火を点したら悪臭に、のた打ち回るのでござるが……」
香りの元は化粧台の一番下。
ごそっと引っ張ると、最奥にリボンで結んだ箱を見つけた。
ざっと紐解くと、線香を束ねる帯にも綺麗なリボン。
一瞬悩んだが、キヌの死者に対する礼儀なのだろうと、それを持っていく。
「おう早かったな。……げっ!」
待っていた伝次郎は、少女の持つ線香を見て息を呑んだ。
「ば、馬鹿、これはおキヌちゃんの大切なっ! 早く戻して来い!」
「は、はいでござる!」
理不尽を感じたが、キヌの大切なものと言われたら従うしかない。
少女、シロは再び部屋へと直行した。
「いや、驚いたでござる」
「バッキャロー、それはこっちの台詞でい! 寿命が縮むかと思ったぜ」
幽霊でも肝を冷やすのでござるか。
シロは、喉の手前まで出た言葉を飲み込んだ。
「一体、何だったのでござるか」
「おキヌちゃんが元幽霊だった事は知ってるか。あれはそん時に、大切にしていたモンだ」
シロも、幽霊だった頃のキヌを知っていた。
「そう言えばおキヌ殿、日給三十円で働いていたとか……」
「チッチッ、あれは自分で買ったんじゃねぇ。彼氏からの送りモンさ」
おキヌちゃんがあれを眺めていて、不躾にも聞いちまったんだがと、伝次郎は語り始めた。
雲ひとつない、穏やかな陽気の昼下がりの事。
バンダナの少年が女性を漁るも、新たなる出会いは、とんと皆無だ。
「くっ……春に変人現る、みたいな目で見やがってっ!!」
涙と鼻水が痛々しい。しかし彼は諦めなかった。
さらに、反対通りを歩く女性に声をかけようと近づく。
その時、惨事が起こった。
横手から来た小さな影。
奥手の女性に目を取られていた少年は、反応が遅れて避けそこなった。
「あ、スンマセン!」
詫びて立ち去ろうとする少年の襟元を、皺枯れた手が掴む。
「待たんか馬鹿者! 女性と見れば見境なく突っ込みよって!」
「ははは、見てたんですか。いや〜、上手く行かないモンで……えーと、すいません」
相手の機嫌の悪さに気づき、少年がもう一度頭を下げた。
「そんなにナンパしたいなら、わしと付き合ってもらおうか!」
「な! ……冗談きついぜ婆さん」
突然の提案に少年は引くのだが。そんな彼に、老婆は足元を差す。
転がる新ジャガ。亀裂が入った時期早トマトに、半ばで折れたアスパラガス。
「最低でも、コイツの分は相手をしてもらうからな」
老婆はそう言うと手を離し、落ちた野菜を拾い始める。
なんてこった。
少年は、がっくりと頭を垂れた。
「あら横島さん、奇遇ですねぇ」
建物の壁を抜けて、幽霊の少女が寄ってきた。
「わ、おキヌちゃん」
頭を上げると、少女の顔が目の前に映る。
咄嗟に一歩、足が下がった。まんまるジャガ子でムーンキック。
少年は背中から派手に転倒する。その下で、野菜が呻きをあげた。
一張羅から老婆の顔までわけ隔てなく、主にトマトが散布された。
「バ、バッカモーン!!」
頬に種をつけた老婆の、殊更なる怒声が木霊した。
こうして二人は、老婆の家に招集されることと相成った。
「ほら、これに着替える」
「婆さん、これハッピじゃねえか! しかも○×商店って、でかでかと……」
ぶつくさ言いながらも、横島と呼ばれた少年は着替える。
「おっや、馬子にも衣装だねぇ。少しは曲がった顔が誤魔化せるよ」
「な、なぬっ!」
「まーまー……」
次は玄関先に案内され、積み込みを指示された。
「ほら、とっとと運ぶ!」
「はいはい……。って一度に五段は無理だって!」
「わしの爺さんより一段少なくしたんじゃ、つべこべ言うな!!」
軽トラックからエンジンに負けない声で、怒鳴りが響く。
「横島さん、上二段は私が支えますね」
「うう、ごめんねおキヌちゃん、巻き込んじゃって……」
助手席に乗った横島に、老婆が命令する。
「ほら、客寄せの一つでもやりな」
そう言うと、スピーカーのマイクを横島の腿に投げた。
車は家を出発して、すぐ横の大通りへと向かう。
「わかったよ。……オホン。え〜、右の〜左のだんな様〜」
「それは物乞いじゃっ!!」
硬い拳骨が、直角に落ちた。
販売は決まったコースをたどって、転々と移る。
その間の空き時間に、横島が愚痴をこぼした。
「うう、せっかくのオフの日なのに……」
「ほっほ、島田に降りた天女と呼ばれたるこのワシと、フルコースで過ごせて良かったのぅ。
ま、五十年前の話じゃが」
老婆が喜々と語る。
「島田家の天女ねえ。それが今じゃ皺だらけの金魚に」
「なんじゃと!」
「じょ、冗談だ婆さん! イデッ! 運転しながら殴んじゃねぇっ!」
バタバタしている間に日が暮れた。売店仕様の軽トラックからも、斜めに長い影が出る。
「ふー……こき使いやがって」
「ほれ。お駄賃じゃ」
老婆は唐突にそう言うと、茶の封筒を放る。
これには横島が戸惑った。
「流石に受け取れねえよ。元は俺が悪いんだし」
「そこの浮いてる嬢ちゃんにも、手伝ってもらったんだろ。
こんな時にお礼の一つもできない甲斐性なしでは、情けないじゃろうが!」
この言に、横島とキヌが顔を見合わせる。
「気づいていないのかと思ったぜ」
「ふん、見くびるでないわ。……で、どうするんじゃ?
チャチでよければ、小物はここにあるぞ。何、こういうのは気持ちとタイミングが肝要じゃ」
そんな、いいですよとキヌは言うが、
ねだってもバチは当たらんと、老婆が押し切る。
「つっても、普通のは身につけれねえしなぁ。……あ、そうだ婆さん。線香ある?」
「線香! なんとまぁ、色気のない。
じゃが、着用できんとあらば仕方ないのぅ。そうだ、ちょっと待っておれ」
そういうと、老婆は線香を包装から取り出してリボンを施し、綺麗な同形の箱に戻す。
「そしてちょいちょいと……。ほれ、こうすれば感じが出るじゃろ」
「おお、すまねえな婆さん」
中身が線香とはいえ、華美な包装によって贈り物の雰囲気は存分に出ていた。
横島は片手で受け取ると、そのままキヌに渡そうとするが。
「こりゃ! 無言で差し出す馬鹿があるか!」
「いや、なんつーか気恥ずかしくて」
横島が頭を掻いて下を向く。
「あれっだけ見知らぬ女子に痴態をバラまいとって、よく言うよ!
ありゃなんだい、仮の姿かい?」
「う、うるさいな。びしっと決める台詞考えるから、黙ってくれよ」
顔が火照るは、日輪の恵みか否か。
「えーと、今日はありがとうございました」
「そんな、とんでもないですよ」
考えてそれかいこの唐変木、と老婆が野次を飛ばす。
「あ、あー、今後とも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくです横島さん」
渡されたプレゼントを、透ける両の手、肘、腕で深く抱え込む、幽霊の少女。
むず痒く、あさってを見て動かないバンダナの少年。
そのまましばし、時が流れた。
二人を現実に戻したのはトラックの出発音。気づいたおキヌが、老婆にお礼をする。
運転席から小さな腕が伸びた。手は申しわけ程度に三度、緩慢に揺れると引っ込んだ。
やりとりは、そこで途絶えてしまった。
「……俺たちも、戻ろうか」
「はい!」
傾いた日輪が背面を焼く中、別れるまで会話はなかった。
しかし、背中とは別のところから、暖かいものが全身を満ち満ちて……。
「おキヌちゃん曰く、ここでもう一押し出ればよかった、つってたんだがな」
「うう、拙者と変わって欲しいでござるよ……」
おいおい、と伝次郎が首を振る。
「生きてるモンが死者を羨ましがってどうするよ。歌を伝えるのも大苦労。
何か貰っても、礼状一つ書けりゃしねぇ。恋もハードルが高ぇぞ〜。
……ま、その点お前さんは、まだまだ恵まれてるんじゃねえか?」
「そうでござるかなぁ」
「そうでゴザルだ。ま、俺は死のうが生きようが、性懲りもなく歌うがなっ!」
伝次郎が一人で笑った。シロは話にしょ気ていた、のだが。
あっ!? と喚くとフルスピードで事務所に戻った。
「どうしたい?」
「で、でで、ど、ど……」
シロが持ち出したるは話の種の、現在の姿。
ティッシュに包まれたリボンつきの線香。
斜めに半折り底の箱。ぐしゃんとプレスだ上の箱。
ゴミ箱から回収した線香の容器は、復旧の見込みなど考えられない。
「お、おまっ!? 俺の話聞いてなかったのか!?」
「容器にまで執着してなかったでござる!
話を聞いていたら、もっと丁重に扱ったでござるよぉぉぉっ!」
二人とも変な汗が流れて、一向に止まらない。
「そ、そうだ。援護を、助太刀を願えませぬかっ!」
「許せ嬢ちゃん! 俺はまだまだ、この世に未練があるんだ!」
「あ、そんな御無体なっ!」
伝次郎は風に逆らって飛び立ち、あっという間に見えなくなってしまった。
「ああ、おキヌ殿が帰ってくる前に何とかせねば!」
「私がどうかしたんですか?」
「わああああっ!? ……あ」
手の平から、全てが落ちた。
シャープペンシルの芯を砕いたような音が複数、耳にこびり付いた。
月満ちる、涼やかな夜。
屋根裏から涙と遠吠えが混じった声が、延々と響いて耳に残る。
「……で、アンタ、それからどうしたのよ」
「ひぐっ……どうもこうもござらんっ!
拙者の持っている、最も大切なもので相殺っぐしゅ! えぐっえぐ……」
同居人である狐の少女、タマモが頭痛をこらえながらも、根気よく話を聞いてやる。
「ひぇ、拙者のっ! 拙者が先生に師事した折のっ! 大切な一品をっ……
これしか代替になるものが、思いつかなかったからっ! わぉぉぉぉぉんっ!」
「そういうことか……」
難儀したが、ようやくここまで聞いて話の前後が繋がった。
タマモが疲れ果てて、溜息を漏らす。
「アンタね、いきなり土下座してお納めくだされ、じゃ訳がわかんないでしょうが。
おキヌちゃん、すごい困惑してたわよ」
「ひゃいん、すいませんでござる、すいませんでござる」
タマモはもう一度、溜息をつくとその場を離れた。
屋根裏部屋はドア一枚抜けると、書斎に通じる階段がある。
そこで待っていたキヌのもとに寄り、タマモは小声で会話した。
「どうするの?」
「うーん……。タマモちゃん、私はもう怒ってないよって伝えてもらえないかな」
「許すの? アイツ、おキヌちゃんの大事な物ぐちゃぐちゃにしてたのに」
このままじゃ寝れないから私は助かるけど、と、タマモは付け加える。
「うん。だけどすごい反省してるみたいだし、横島さんに復元してもらったし、ね」
「……わかった」
頷いて向かおうとするタマモに、おキヌが待ったをかけた。
「それからコレ、返してあげてもらえないかな」
「返しちゃうの? アイツ、没収されても文句はないって言ってたのに」
決めるのは私じゃないんだけど、と、タマモは付け加える。
「う、うーん。だけど宝物だって言うし、すごい大切にしてるみたいだし、ね」
「……わかった」
タマモは後ろ手で受け取ると、再び部屋に戻った。
「シロ、聞こえてたんでしょ。
おキヌちゃん、許してくれるって。それからアンタのこれ、返すって」
唐突にシロが跳ね、タマモに覆いかぶさった。
勢いに押されて、そのまま床に相倒れる。
「ちょっとっ! アンタね、私に飛び掛ってどうするのよ」
「うう、面目ないでござる、面目ないでござるっ!」
顔の横手に残った涙が、左右併せて滴りタマモの顔に散る。
下に引かれた少女は、顔を思いっきりしかめた。
「おキヌ殿! かたじけないでござる!
コイツは……コイツはっ! 後生まで持っていくでござるっ!!」
「暑苦しい……。そんなにムキになる物なの?」
「拙者と、先生との最初の絆でござる!」
シロが泣き笑いの顔で、それを広げた。
その頃の横島さん。
「文珠でなーおしーたしーっ。
悪い事なーんもしーてなーいのにーっ。
どうしてみんなーでふーるぼっこ……?」
ポリバケツに嵌ったまま、奇天烈な歌詞が流れた。
それを聞いたのだろうか。
シロの手に戻った、古ぼけた雇い主のパンティーが口を開いて笑った。そんな気がした。
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